第四話 女の子



=退院=

「やっと退院かぁ良かったね? もう少しかかると思っていたから、ちょっと茜そっちの荷物を取ってちょうだい。」

 病室には急かすような真澄の声と、かいがいしくせっせと有希のパジャマを片づけている茜の姿、その隣では有希はボケッとしながら窓から外を眺めている。

「有希、何ボケッとしているの?」

 プクッと頬を膨らませて有希の頭をコツンと小突くのは鮎美だった。

「痛いなぁ……ちょっと考え事だよ……」

 叩かれた頭をさすりながらも有希はそう言いながら再び窓の外を見る。有希が躊躇する理由はいくつかあるが、その中でも結構な割合を占めているのは、有希の眺めている窓の外に広がる景色だった。

 慣れる事ができるのかなぁ……有希の身体が寒冷地仕様とはいえ、中にいる人間がヌクヌクの都会っ子なんだ、いきなりの北国の気候に慣れるとは思えないんだが……。

ヘキヘキした顔で見る窓の外、そこは東京と同じようなコンクリート色の景色であるが、しかし、何よりも違うのはそのコンクリート色を隠すように積もっている雪の存在だった。

 寒そうだな……やっぱりここは北海道なんだよね? 確かもう三月になるはずなんだけれども、まだ春というには程遠いかもしれないよな?

 勇気が有希になってから既に一ヶ月が経過しようとしており、自分の置かれている立場というものには慣れてきた……しかし、

『今日はまた冷え込むでしょう……渡島地方の今日の天気は晴れ、気温は低く……』

 テレビからまるで勇気のその不安を駆り立てるように聞こえてくる気温にそれだけで、勇気は震え上がる。

「やっぱり寒いよなぁ……」

 思わず有希はそう呟きながら身震いする。

 唯一の救いはこれから暖かくなるという事だけだけれど……でも、聞く気温は真冬の東京と同じじゃないかぁ!

「そんなに心配する事ないわよ? 結構有希は寒いのが平気だったし、あなたもいずれ慣れるわよ」

 真澄はそんな心配げな顔をしている有希の顔を覗き込みながら優しい顔を向けてくる、その表情はまさに母親というものだった。

 真澄ちゃん……。

その表情に有希はなんとなくホッとしたような表情を浮かべる。

本当に真っ直ぐにそれを受け止めてくれたんだ……。

あの後、母親の真澄には素直に全てを話した。取り乱すかと思っていたけれど、意外と素直に受け止められたようで、あっけらかんと『男の子みたいでいいかも』とお気楽に言っている母親に対し、有希本人が一番驚いた。それ以降も真澄がそれまでと同じ様に接してくれているという事には頭が下がる思いだった。

「有希、これに着替えて」

 鮎美はせわしなく動きながらそう言い有希に着替えを投げつけてくる。

「投げる事ないだろ? って……これに着替えるの?」

 渡されたその服を見て、有希は呆気にとられたような顔になり、それをギュッと握り締めながら恨めしそうな顔をしてそれを渡した鮎美の顔を睨みつける。

「当たり前じゃない、あなたの洋服なんだから」

当たり前といった顔をしている鮎美ではあるが、当の有希は着慣れないそして見慣れないそれはどう見ても女物の洋服。

「これを着ろって……女物じゃないか?」

今まではパジャマしか着ていなかったからあまり気にもしていなかったが、初めて女物の洋服を目の前にすると、ちょっと抵抗があるよなぁ?

その洋服を膝元に置きながら有希は固まったようにジッと見つめる。

「お姉ちゃん早くそれ脱いじゃってよ……片付かないから」

 これは明らかに女物だよな? それに、この小さく丸められたものはもしかして……。

 グビビと息を呑む有希の耳には茜の苦言など聞こえていないようで、その洋服の上に置かれている小さく丸められている布状のものを見つめ、無意識に顔を赤らめる。

 こんなに小さく畳まれていると良くわからないけれど、間違いないよな……。

 そんな赤い顔をしている有希の様子などかかわっていられないとばかりに頬を膨らませながら茜は有希の着ているパジャマを強引に脱がしにかかる。

「わ、わかったよ、着替える……よ」

 意を決するように有希がパジャマを脱ぐと、その姿を見るなり鮎美が真っ赤な顔をしてはだけたその有希の胸を隠す。

「ちょっ、ちょっと、あなた何もつけないで寝ていたの?」

 真っ赤な顔をする鮎美に対し有希は首を傾ける。

「ウン、俺はいつもこうだったよ」

 有希はそう言いながら自分の今の姿を確認する。

「いつもって……それは男の子の時代でしょ? 女の子は駄目なの、胸の形が崩れちゃうわよ、ちゃんとブラジャーもしなさい! って、そんなにじろじろ見ないで!」

 ベッドの上であぐらを掻きながら、物珍しそうにその胸を見ている有希に対し、鮎美の目がつり上がる。

 なんだかいつもより迫力があるようだが……。

「ほら、後ろ向いて……まったく、あたしよりも大きいくせに……そもそも」

 ぶつぶつ言いながら鮎美は有希の背後に回りブラジャーのホックを止める。

「苦しいかも……」

 有希は眉間にしわを刻み鮎美の事を見るが、その意見はすぐに却下される。

「我慢しなさい、はじめの頃はみんなそうなの!」

 やっぱりいつもと違って優しい鮎美とは違う、なんだか怒っているようにも見えるけれど。

「……って、これを履くの? 俺が?」

 ようやくブラウスを着込み、その下の物を手にする。

「当たり前じゃない、それ以外に何があるの?」

 鮎美は、茜と一緒に今まで有希の着ていたパジャマを畳みながら、有希の言っている意味がわからないといった顔をする。

「イヤ……これは……スースーしそうだな」

 膝丈よりも少し短いそれは、男時代ならば喜んで見ていたであろうミニスカートだが、実際に自分が装着するとなると、かなりのためらいが生まれる。

「なに言っているのよ、今の女子高生ならば当たり前よ、特に有希はあまりパンツを好まなかったから、自然とスカートになるわよ、もし寒かったらストッキングでも履く?」

 鮎美はそう言いながら色のついたストッキングを有希の前に差し出すが、少し悩んだ挙句有希はそれを拒否する。

 寒いとはいえストッキングまで履くという上級な事はもう少し心の準備をしてからの方がいいかもしれない――有希、俺はお前の事を恨むぜ。

〈あら? スカートの方が可愛くっていいと思うけれどな? それに慣れれば絶対にこっちの方が良いって〉

 なんていうことないといった感じで有希の意識が勇気の意識に割り込む。

 俺は見ている方が良いかも……。

〈勇気のえっち〉

 ハハ、またえっちって言われちゃったよ……なんだか一日に一回は言われているような気がするよな?

 苦笑いを浮かべる有希に三人は首をかしげる。

「あぁ〜、なんでもないです……これを履けばいいんですね?」

 有希はやけになりながらそれを履くためにスクッとその場に立つ。

「大丈夫? めまいとかしない?」

 心配そうに真澄や茜、鮎美の全員が有希の姿を見る。

「大丈夫みたいだよ……でも、やっぱりスースーする」

 有希は赤い顔をしながらカーキ色のプリーツスカートを押さえながらそう言い、近くにあった鏡に映った自分の姿を見る。

 これが……有希……か……フム。

 有希はその姿を見て心なしか頬を少し赤らめる。

 そういえばちゃんとした姿を見た事なかったけれど……なかなかどうして……こうやって第三者的に見ると結構可愛いじゃないか?

「フム……」

 有希はその鏡の前で一回りしてみる。

「どうかしたの?」

 その行動に、怪訝な表情で鮎美が有希の顔を覗き込む。

「な、なんでもないよ……」

 まさか自分の姿に見惚れていたなんて言えないしな、今までは顔しか見たこと無かったし、私服姿を見るのは初めてだ……もしかして俺ってナルシストだったの?

〈あたしに惚れるなよ?〉

 意地悪い有希の意識に対して有希は苦笑いを浮かべる。

 ――きっと街中であったらきっとあんたに惚れるだろうけれど、それが自分だったなんて三文小説にもならないよ。

 苦笑いを浮かべる勇気の意識に対して有希の意識は何の反応もない。

 おい? 有希どうしたんだ?

 そんな有希の意識に勇気は問いかけるが、その意識はあるものの、まるで絶句しているように何も語りかけてくる事はない。

〈あんた、ひょっとして天然にそんな事を言うの?〉

 ようやく反応してきた有希の意識は恥ずかしそうに、そうしてどことなくちょっとはにかんでいるようにも感じる。

 天然って、事実だろ?

〈そ、そうなんだけれど……そんな事を面と向かって言われると、こっちの方が恥ずかしくなってくるかもしれない……なんとなくあんたの友達の苦労がわかるような気がするよ……〉

 淀んだ雰囲気を残しながら有希の意識が消えてゆく。

 ――何の事だ?

「さて、準備万端! 帰りましょうか?」

 気が付かれないように首を傾げている有希の隣で、真澄はそう言いながら元気よく荷物を持ち病室を後にし、有希はその病室を出る間際に振り向き少し感慨深い顔をする。

 ここからはじまったんだよな……俺の有希としての生活が。

「お姉ちゃん早く!」

 ちょっとしんみりとそこを眺めていると茜に急かされるような声がかかり、手をつなぎながら向かうナースセンターに向かうとそこでは真澄が見知った看護婦たちにお礼を言ったり挨拶をしている。

「有希ちゃん、退院おめでとう」

 ナースセンターで退院手続きを終えて、病棟のエレベーターホールに向かうとちょうど回診を終えたのであろうめぐみとばったりと出会い声をかけてくる、その表情は素直に退院して行く有希に対して喜んでいるようだった。

「めぐみさん色々とお世話してくれてありがとうございました」

 有希はペコリと頭を下げる、なるべく女の子っぽく。

 この人は色々な事でお世話になったよな? 何かというと気にかけてくれたし……。

「ううん、気にしなくっていいわよ、でも、しばらく通院するんでしょ? これからも色々と大変だと思うけれどがんばってね?」

 ニッコリと微笑みながら言うその一言がなんとなく有希の頭に引っかかる。

 これからも色々?

 有希が頭をかしげているとちょうどエレベーターの扉が開き、そこに引きづられるように乗り込む有希の顔を優しい微笑で見送るめぐみに違和感を感じながらも扉は閉まる。

 

=美容室『はる』=

「寒いぃー……何なんだこの寒さは!」

 病院の玄関先に出た途端に冷気が有希の体を取り巻き、無意識にその身を縮みこませる

「ウン、今日はちょっと寒いかもね?」

 そう言いながらも鮎美は手をちょっと擦るだけで、言う割にはそんな寒そうには見えないし、隣にいる茜においては寒さを感じているようではない。

「ちょっとって……十分寒いでしょ?」

 体を小さく丸め込むものの、その冷気は有希に取り付いたまま放れようとはしない。

「もう三月だから、落ち着いてきた方よ……そっか、有希は東京だったものね? 内地の人からすれば寒く感じるのかな?」

 意地の悪い表情を浮かべながら鮎美は有希を見る。

 内地?

〈道外から来た人の事をそう言うの、勇気は東京だから寒く感じるでしょうけれど、このあたりじゃあこれぐらい当たり前よ、早く慣れてね?〉

 意地の悪い感覚で有希が勇気の意識を触る。

 慣れてって……そんなぁ。

「車来たよ、ほら、お姉ちゃん早く、風邪引いちゃうよ?」

 駐車場から真澄が移動させてきたグレーのワンボックス車の扉を手馴れた手つきで茜は開き、まるで押し込むかのように有希の背中を押す。

「茜はお姉ちゃんの隣」

 そう言いながらチョコンと隣に座る茜の顔は嬉しそうに微笑んでいる。

「ウフ、じゃああたしは助手席ね?」

 鮎美はその様子を微笑みながら見て助手席に体を滑り込ませる。

「じゃあ出発進行!」

 運転席の真澄はそう言いながらハンドルを右に切り、車を路面電車の走る大通りにのせる。

「ヘェ、路面電車が走っているんだ」

 窓の外を眺める有希。その景色は見たことも無いはずなのに、なんとなく懐かしく感じるのはきっと有希の意識が勇気の中に残っているせいであろう。

「そう、函館の市電は日本で七番目に出来た路線で、北海道で初めての電車なの、平成十三年には北海道遺産にも認定されたのよ?」

 助手席に座る鮎美は自慢げにそう話す。

「路面電車なんてはじめて見たよ」

 反対側を年季の入った電車がゴトゴトと車体を揺らしながら走り抜けてゆく。

「雪が多い街でもあるから今では市民の無くてはならない足になっているの、車も便利だけれど、やっぱり雪のある時は電車が一番よ、時間が読めて便利よ」

 運転席から真澄も会話に加わってくる。どうやら真澄は車の運転が得意なようで、鼻歌交じりにハンドルを操っているが、その隣を今にも掠めそうに路面電車が走り抜けてゆく。

 結構迫力があるかも……。

 電車の中の乗客と目が合い、有希は照れ臭そうにその視線を外す。

 車はしばらく路面電車と併走しながら走ると正面に函館駅が見えてくる。

「あれが函館駅、函館市の中心よ」

 鮎美はそう言いながら街並みを眺めるが、車や人通りこそ多いものの、いわゆる繁華街っぽく感じず、どちらかというと生活感の漂うような商店街といった雰囲気である。

「ここが中心?」

 有希のクエスチョンに真澄が笑い出す。

「ハハ、東京に比べたらやっぱり地方よね? その昔は北海道の玄関先ということもあって賑ったけれど、最近では飛行機に取られて寂れていっているわね? まぁ、函館の繁華街は今では五稜郭に近い本町になるのかしらね?」

 真澄のその一言に、再度街並みを見る。

 これなら俺の住んでいた街のほうが賑っていたかもしれないな?

〈勇気の住んでいた所ってそんなに人が多かったの?〉

 有希の意識が驚いたように飛び込んでくる。

 あぁ、東京でも小さな街だったけれどね? 夜遅くまで電車は走っているし、一晩中人は歩いていたと思うよ。

〈ヘェ、都会だぁ……ちょっと羨ましいかも〉

 そんなもんかね? 賑やかなだけだよ、治安は良くないし。

〈あら? それに憧れるのよ〉

 そんなもんかねぇ……。

 少し呆れたような顔をすると、意識の中で有希がコクコクと言葉無くうなずいている感覚が強く感じながら、視線を外に向けると交通量の増えてきた交差点を直進する。

「ここは?」

 タクシーや観光バスがひしめき合う駅前のその雑踏を移したかのような駅横のその場所には加えて明らかに観光客と行った格好の人間が残雪をよけるようにヨチヨチと歩いている。

「ここは函館の台所『函館朝市』観光名所だから有希も知っているんじゃない?」

 助手席の鮎美が答えるのと同時に、車が左折しそこに看板が見えてくる。

「ここにでは鮮魚や生鮮品はもとより、生活に使うものは何でもそろえる事ができるのよ? ここにおいていないのは棺おけと墓石ぐらいとまで言われているわ」

 運転席の真澄も駐車している軽トラックをよけながらそういう。

「今では観光地化して、昔の面影が薄れたなんてよく言われているけれど、でも、良いお店も残っているよ?」

 店の前で観光客に声をかけているオジサンや、カニを手にしながらそれを説明しているおばさんの姿は見ているだけでその活気というのは伝わってくる。

「どいてどいてどいてぇ〜!」

 ガシャン!

 どこからともなくそんな声と擬音が聞こえてきたかと思い視線を向けると、ショートカットの女の子が雪に足を滑らせたのか尻餅をついて照れ笑いを浮かべている姿が見える。

 どこかで見たような光景だな……。



「ねぇ、お姉ちゃんはお兄ちゃんになっちゃったの?」

 朝市の雑踏を抜けて、車窓風景が倉庫街のようなものに変わった頃、不意に隣に座っていた茜が口を開く。

「エッ?」

 その意味が良く分からないで有希は隣でうつむいている茜の顔を覗き込む。

「だって、お姉ちゃんの中には男の人がいるんでしょ? だったらお兄ちゃんになっちゃうのかなって……でもそれは嫌だなって……」

 茜はうつむいたまま肩を震わせている、有希の話によると小さい頃からお父さんがいなかったせいもあって男の人が苦手らしい。

 茜……。

 有希はそっとうなだれているその小さな頭に手を置く。

「……茜はどう思う? ボクが男に見える?」

 有希のその一言に、驚いたような表情を浮かべるのは茜だけではなかった、助手席に座る鮎美と運転席に座っている真澄まで驚いた表情を浮かべている。

「有希?」

 鮎美のその一言に有希はうなずく。

 そうだ、とやかく言ったって俺はこの体の中で無いと生きていけないんだ、それに有希にはこんなに心配してくれる人たちもいる、そうして有希もやはり俺がいなければ生きていけない、この現状をどう打破するか……俺が……いや、ボクが有希になること。

〈勇気……〉

 有希の意識は素直に驚いたようなもので、口をポカンと開けている様子が想像できる。

「……見えないよ、有希姉ちゃんは有希姉ちゃんだよ」

 茜はそう言いながら有希の胸に顔を埋める。

 そう、後ろを向いても仕方が無い、前に向かないと何も始まらない。男の勇気はここでさよならだ、出来るかわからないけれど、これからは女の有希になるしかないんだ。

 茜の頭を撫ぜながらそう誓う。

 これでいいよな? 有希、これからもレクチャー頼んだぜ?

〈……フフ、どういうレクチャーが必要になるのかしらね? でも……ありがとう〉

 優しい有希の意識が流れ込んでくる、それはなんとも言えなく心地のいい感じだった。



「到着ぅー、久振りの我が家よ……といってもあなたにとってははじめてみたいなものよね?」

 運転席から降り、荷物を引っ張り出しながら真澄は苦笑いを浮かべ有希の顔を見る。

 ここが有希の家なのか?

 有希の見上げるその佇まいは、よく言えばレトロチックでモダンな佇まい、悪い言い方をすれば、古臭い佇まいである。

 確かに美容室「はる」の看板がかかっているが、今にも朽ち果てそうなこの雰囲気は、一言で言い表せば、ボロだ……それに、隣は確か鮎美の家だったと思うが、こちらもなかなかどうして、競ったような……佇まいで。

 周囲の軽視や雰囲気などとは見事に調和が取れており、この街の景色の一環を担っているが、住むには少し躊躇してしまいそうなその建物、そんな有希の視線に気が付いたのか鮎美は頬を膨らませながら睨みつけてくる。

「仕方が無いでしょ? この元町や西地区って言うのは美観地区とかいうのに設定されていて、なかなか新しく立て替えたりすることが出来ないらしいのよ、まぁそのおかげで観光客も来てくれるんだけれどね?」

 観光で来る人間にしてみれば素敵な雰囲気と思うのだろうが、実際暮らす人間からすればいい迷惑なのかもしれないな?

「お姉ちゃん早く、こっちだよ」

 茜が有希の手を引くと、有希はそれに慌てたような顔をしながら荷降ろしを手伝う鮎美に視線を向けながら声をかける。

「鮎美、今日はありがとう、これからもよろしく頼むよ」

 その一言にトランクから荷物を降ろしている鮎美の頬が一瞬赤らんだようにも見えた。

 カラン……。

 茜が扉を開くとカウベルが鳴り、美容室独特の香りが有希の鼻をつく。

「ここが……俺の家」

 店内を見渡す有希、そこには卵をぶら下げたような機械や、色とりどりのタオルが干してあったりして、いわゆるどこの町にもある様な美容室の造りだった。

「先生、それに有希さん、お帰りなさい!」

 ショートヘアーの女の子? が、有希たちの顔を見てまるで猫のように飛びついてくる。

「かがりちゃん、ただいま、お店番ありがとうね?」

 真澄は慣れた様にかがりと呼んだその女の子の頭を撫でると、その娘も本当に猫のような表情を浮かべる。

 彼女は?

 有希の意識に問いかける。

〈彼女は三宅かがりさん……見た感じ幼く見えるでしょうけれど、今年で二十八になるのよ〉

 二十八って……俺と同い年ぐらいに見えたよ。

〈アハハ、でしょ? そう思っても間違いじゃないと思うわよ〉

 有希の意識が途切れたと思うと目の前にかがりの顔が迫っている。

「うぁぁ、な、何ですか?」

 眉間にしわを寄せながらかがりは有希の顔をじっと見つめる。

「……有希ちゃん、ちょっと変わったかしら?」

 ぎくぅー、鋭い……。この娘見た目とは違って意外に鋭いかも……。

「な、なに言っているのよ、当たり前じゃない、一ヶ月も入院していたんだもの、そりゃ変わるわよ……ねぇ、有希」

 その場を取り繕うように真澄はかがりと有希の前に立ちはだかる。どうやら有希と勇気の話はこのかがりには話をしていないようで、珍しく真澄が慌てている。

「う、ウン、五キロもやせちゃった……」

〈し、失礼ねぇ、あたしそんなに太っていないわよ?〉

 強引に有希の意識が勇気に割り込んでくる。

 この際緊急事態だ、細かいことは気にするな!

〈気にするわよぉー〉

「五キロ……」

 かがりはメガネをかけている目を上目遣いにして有希の顔を覗き込む。その視線はどこと無く迫力を感じるほどに鋭く有希の奥を見据えられているような気がする。

〈ほらぁ、そんなこと言うからばれちゃったじゃない!〉

 プリプリと怒る有希の意識を感じつつ、有希は必死にその場を取り繕うとする。

「か、かがりさん?」

 今にも息がかかりそうなほどまで二人の距離が接近する。

「……いいなぁ、五キロ、夢の数字よねぇ、あたしも五キロもやせられたらどんなに幸せか、あたしも入院しようかしら」

 大きめな胸の前で手を組み、まるで憧れの君を目前にしたようなきらきらした瞳でかがりは有希の事を見る。

「……ほっ」

 うまくごまかせたようだな……。

 素直に胸をなでおろす有希に対してかがりの瞳が再びそれを見据える。

「あぁ、有希ちゃんもしかして、内心喜んでいるでしょ、そりゃそうよね? あなたのように可愛くってスレンダーなら悩みも無いだろうけれど、あたしなんて……ぽっちゃりしていて、メガネっ娘なんだけれど周りにいる男なんてみんな……」

 有希ぃ……。

 タオルをねじり、ブツブツと言うその姿は可愛らしいのだけれど、その愚痴の矛先が自分となるとちょっといたたまれない。

〈我慢よ、彼女はこのお店の従業員、休みの日以外は毎日来ているわよ、お母さんも腕は認めているほどだけれど……ちょっと性格がね?〉

 有希はため息と共に意識を消す。

 なんだか大変そうな家庭だな……。

 有希は曖昧な笑顔を作りながらその場を後ずさりするように部屋の中へと消えてゆく。

「か、かがりさんだって胸が大きいからいいじゃないですか……憧れちゃうなぁ」

〈キッ!〉

 殺気を持った有希の意識に少し怖気ながらもその場を取り繕う有希の顔は引きつっていた。



「お姉ちゃんの部屋はここよ」

 一つの部屋の前に足を止め、茜はその扉を指差す。その扉には丸っこい文字で『yukiの部屋』と札がかかっている。

「ここが俺の部屋……」

 ゴク……。

 なんだか微妙に緊張している……自分の部屋とわかっていても、生まれてはじめて女の子の部屋に入るわけで、肩に変な力が入っていることに気がつく。

「どうかしたの、お姉ちゃん」

 怪訝な顔をして茜が有希の顔を覗き込んでくる。

「いや……ちょっとね」

 苦笑いを浮かべるものの、その額には少し汗が浮かんでいる。

〈何そんなに緊張しているの?〉

 有希の意地の悪い意識が浮かぶ。

 何でって、生まれて初めて女の子の部屋に入るんだから緊張するだろ?

〈高二にもなって女の子の部屋に入ったことが無いの? ちょっと驚きかも〉

 余計なお世話だ……有希だって男をこの部屋に連れ込んだことなんか無いだろ?

〈連れ込んだなんて失礼な言われようね、そんなの当たり前でしょ? でも、あなたには彼女がいたんでしょ? 彼女の部屋に入ったことが無いの?〉

 入るわけ無いだろ? そこまでの仲じゃなかったし……。

〈ふーん……〉

 有希は鼻を鳴らしながら消えてゆく。

 何なんだ?

「ほらぁ、お姉ちゃん、早く入ってよ荷物入れなければいけないんだからぁ」

 足元では重たそうにボストンバックを持つ茜が苛立ったように言う。

「お、おう……お邪魔しまぁーす」

 自分の部屋に入るのにお邪魔しますは変だと思いつつもそう呟きながら扉を開くと、なんとなくいい匂いがする部屋の空気が流れてくる。

「こ、これは……」

 扉を開くとそこに広がる景色はまさに女の子の部屋だった。

 ベッドにぬいぐるみが置いてあるし、本棚には参考書なんかの他に少女マンガが置いてあったり、吊るしてある洋服は……セーラー服?

 怪訝な顔をしてそのセーラー服を見つめる有希。

「それはお姉ちゃんの学校の制服だよ、可愛いよね? 茜も同じ学校に行きたいよ、その制服もかわいいけれど、普通科のブレザーも捨てがたいよね?」

 ちょっと待て、忘れていたが、俺はひょっとしてこれを着て学校に行くのか?

 有希はセーラー服を見つめ愕然とする。

〈当たり前じゃない、あなたは青葉有希として学校に通ってもらわないと困るの、それにその制服が着られるのってそうそうあるものじゃないわよ〉

 そりゃそうでしょ、男がセーラー服を着たら、それは危ない人だよ……。

〈ウフフそうかも、それに、この制服はこのあたりじゃ可愛いって有名だから、目立つわよ〉

 あまり目立ちたくないんだが……。

「ん、っと……わぁあ」

 ドスン!

 隣で茜が尻餅をつく。

「茜は何やっているんだ……わぁ、何こんな所で……」

 尻餅をついている茜のその姿を見て、有希はあわてて背を向ける。

「エヘへ……スカートが足に絡まっちゃったよ」

 スカートが絡まったって……。

「な、なぜここでスカートを脱ぐ必要があるんだ? 着替えるのなら自分の部屋で着替えればいいだろうに」

 すでに下着姿になっている茜に対して有希は背を向けながら抗議の声を投げかける。

「だって、このお部屋が一番暖かいし、お姉ちゃんと一緒にいたいんだもん」

 下着姿の茜はそう言いながら頬を膨らませる。

「おいおい、茜ぇ……」

 強く拒否することも出来るのだが、それではなんとなく茜が可哀想な気もするし、そこまで慕われているというのも気分が悪いわけでもない。

「わかったよ、早く着替えを済ませちゃってくれ」

「わぁ〜い、お姉ちゃんだぁ〜いすきぃ!」

 茜はそう言いながら有希の背中に抱きついてくる。

 さすが小学生、やっぱり幼いのかな?

「有希入るよ」

 部屋の扉が開かれ、そこに鮎美が入ってくる。その表情は、入った当初の笑顔が数秒の内に凍りつき、そして時間を掛けて怒りの形相へと変化してゆく。

 昔の特撮映画でこんなのあったよな?

「有希! あんた実の妹に何しようとしたの? そんな下着姿にしちゃって……もしかして、あなたロリコン?」

 俺の人格が疑われてゆく……以前に何が出来るっていうんだ。

「誤解だよ、何で、女同士で……」

 女同士でもロリコンってあるのかな? そんなことはどうでもいい、とりあえず、今の優先課題はこの誤解を解くことだ!

「うるさい、こんな年端も行かない女の子を手篭めにするなんて……」

 ハタと鮎美の動きが止まる。

「……有希だって女じゃない……」

 やっと気がついて頂けましたでしょうか……。

 胸をなでおろす有希に対し、鮎美は申し訳なさそうに手を合わせる。

「ゴメン! どうもあなたの言動を見ていると男の子という感じになっちゃって……ゴメン」

 まぁ、確かに否定はしないけれど、これからうまくやっていけるか自分でも心配なんだ。

「ハハ、かまわんよ、俺も言葉遣いには気をつけないといけないな」

 その一言に着替えを終えた茜と、ちょこんと床に座っている鮎美の双方から、笑いがおきる。

「有希ぃ、今『俺』って言った」

「お姉ちゃん、だめだよぉ、ちゃんと女の子っぽく喋らないと」

 ハハ、はたして慣れるのかなぁ、ちょっと心配。

 有希は苦笑いを浮かべながら二人を見る。

第五話へ。