第五話 Ayumi



=喫茶しおん=

「そういえば、鮎美は何しに来たんだ?」

 部屋にあったタンスの中に着替えを三人で収納しホッと一息つく。

 しかし、女の子のパンツというのは小さくたたまれて、色とりどりだと言うことに今日はじめて気がついた、それをじっと見つめて鮎美にも怒られたけれど……。

 ベッドに腰掛ながら有希が鮎美の顔を見ると、まるでそれをまねするように茜もベッドに腰掛て鮎美の顔を見ると、その様子に鮎美は優しい微笑を浮かべる。

「そうそう、お父さんがね、有希の退院祝いに何か作ってくれるって、どうせお昼まだでしょ? 一緒に食べない?」

 鮎美はそう言いながら、どこと無く嬉しそうな表情を有希に向けると、隣に腰掛けていた茜がもろ手を挙げて賛成の意思を表明する。

「でも、真澄ちゃんたちは?」

 そんな茜の頭を撫ぜながら有希は、店舗のある床下に視線を向ける。

最近やっと真澄の事を『真澄ちゃん』と呼べるようになった、もともと有希は母親の事を真澄ちゃんと呼んでいたらしいが、さすがにそれに慣れるのは大変だった、元々俺の家では『お袋』だったせいもあるんだけれどね?

「今聞いたら、『助かる』ですって」

 親指をぐっと突き出しながら満面の笑みを浮かべる鮎美に対して、その勢いに有希の表情は一瞬怯み苦笑いに変わる。

 既に確認済みだったようで、なんだか計画性を感じるんですが。

「お母さん何も作っていないよ? 料理はまったくダメだモン、いつもあたしが作るんだから、本当はお姉ちゃんにも手伝ってもらいたいよ」

 茜はそう言いながらベッドから飛び降りクルッと踵を返すと腰に手をやりながら有希の顔を睨みつけてくる。

 手伝うって、料理の事なのかな?

「料理だったら手伝えるぞ」

 首を傾げながらサラッという有希のその一言に、鮎美と茜の視線が向くその視線は共に驚いたようなものだ。

「料理だったらって、あなたわかっているの? 料理っていうのは作るっていう事なのよ? 食べるっていうわけじゃないの」

 ――えらい言われようだな。

 明らかに動揺している鮎美は有希の発したその一言の理由がわからないといった表情で見つめるが、その視線の先にいる有希は不敵な笑みを漏らしている。

 フフフ……馬鹿にするなよ?

「お姉ちゃんだってお料理はまったくダメだったじゃない、コロッケ作るだけで危なく家ごと燃やしちゃいそうになるし、ゆで卵を電子レンジで作るし」

 まるでホラー映画を見た時の事を思い出したかのような驚愕の表情を浮かべる茜のその目にはすでに涙が浮かんでいる。

 卵爆弾ですか? 茜も可愛そうになんだか凄く怯えた顔をしているよ……。

〈そ、そんな顔をしないでよぉ、あたしだって、トーストぐらいはちゃんと焼けるんだから、目玉焼きは……いつもスクランブルエッグに代わっちゃうけれど〉

 ――あのなぁ……って、ひょっとして苦手なのかな? 料理。

〈……アハ、ちょっと……ね?〉

 ……ちょっとねぇ、その割には茜の怯え方は尋常じゃないような気がするんですけれど。

 気が付けばガタガタと体を震わせている茜のその姿は余程のトラウマがあるのではないかと推測される。

「有希……もしかして、あなた手料理できるようになったの?」

 鮎美さん? 何で君はそんな悲しそうな目をするんだい? なんだか、料理が出来るぐらいですごい騒ぎになっているような気がするんですけれど……。



「有希ちゃん、退院おめでとう……原因がわからないというのがちょっと気にはなるが、まぁ、無事に退院できたという事はめでたい」

 喫茶しおんのカウンター席に有希と茜は仲良く隣り合わせに座り、カウンターの向こう側にいるこの店のマスターである鮎美パパが、満面の笑顔で有希たちを迎え入れる。

 あんまり鮎美に似ていないかな?

 絵にすればきっと線のような細い目は開いているのかどうか分らないし、ちょび髭のせいなのか、少し骨っぽくも見える。

〈ウ〜ン、鮎美はお母さん似だと思うよ?〉

 それに対しては俺も賛成票を入れさせてもらうよ、遺伝の神秘を見たような気がするぜ。

 そんな失礼な事を考えているなんて思ってもいないのであろう、マスターは優しい顔をしながら有希の事を見つめている。

「本当によかったよね? ちょっと性格が変わっちゃったというけれど、そのうち元に戻るって言う話しだし……とりあえずは良かったよ」

 鮎美はそう言うマスターの台詞に頷きながら二人にお冷と暖かいお絞りを提供する。

「エヘヘ、色々とご心配おかけしました」

 苦笑いを浮かべながら有希はペコリと頭を下げるものの、以前打ち合わせした『有希は男っぽくなる病』がこのお店で通用している事に驚く。

「なぁに、有希ちゃんは可愛いからどんな事しても許されるからいいよ、それに引き換えうちのはねっかえり娘といったら……お前のほうが男っぽいんじゃないか?」

 マスターは意地悪な顔をして鮎美の事を見ると、その当人は頬を思い切り膨らませながら抗議の表情を浮かべている。

「ちょっと、よりによってこの有希より男っぽいとはどういう意味なのよ! そもそも……」

 鮎美はそこまで言って気がついたのであろう慌てて口をつむぐ。

 おいおい、変なところでばらさないでくれよ? 気にはしないけれど、説明するのがまた面倒になるから。

「そもそも……なんだって?」

 案の定マスターは鮎美のその言葉に首をひねり、うつむく鮎美の顔を覗き込む。

「エッと……そもそも……有希は……」

 さぁ、何て言い訳する?

 弱りきった様な鮎美は、視線を虚空に投げ出しながら必死にその後の言葉を探しており、有希もその後の鮎美の台詞が気になり、顔を覗き込むがその顔はどことなく意地悪くなる。

「エッと……有希は……男の子っぽかったの、そう、これが地なのよ、今までの有希は猫をかぶっていたの!」

 ニャァー……って、おいおい、無茶苦茶な理論だな。

 カクンと顎が脱力する感覚に素直に従う有希。

〈鮎美との付き合い方考え直そうかしら?〉

 うんざりした意識で有希が出てくる。

 鮎美もこういうキャラクターなのか?

〈違うよ……もっと毅然とした女の子だったよ、ちょっとボケもあったけれどここまで酷くなかったよ……でも、勇気が有希になってからちょっと変わってきたような気もするかな?〉

 なんで?

〈何でって、あたしだって分らないよ、ただなんとなくそんな感じがするだけだから……ホント分からないけれどね?〉

 首をかしげながら有希の意識は消えてゆく。

 オイオイ無責任な事を言わんでくれよ、ちょっと!

「……鮎美」

 怪訝な顔を見せるマスターと、その視線を捕らえきれないように泳がせている鮎美。

 さぁ、どうする鮎美?

 無意識に息を呑みながらその経緯を見守る有希。

「……有希ちゃんに男でも取られたのか?」

 有希と鮎美の左肩が、申し合わせたように落ちる。

 きっと漫画ならば、二人の頭の上に大きなクエスチョンマークがぽっかりと浮んでいるだろうな? かなり的外れた回答すぎて一瞬、意味をまったく理解できなかったよ。

「……エェ〜っと……ハイ?」

 有希は、唖然と言うか、呆然とした表情で鮎美を見るが、その鮎美も呆れた表情を浮かべて力なく首を振る。

「……まぁいいわ……ボケは放って置いて……とりあえず、有希は何にするの?」

 気を取り直すように……いや気付けの為なのか、グラスに入ったお冷を一気に飲み干し、有希の目の前にお店のメニューを置くと、一人置いてけぼりを食ったようなマスターは寂しそうな顔をしており、ちょっと有希の心が痛む。

「気にしなくっていいわよ、ほら! 何でもいいわよ、有希の好きな物を選んでちょうだい、茜ちゃんも好きなのを頼んでいいよ」

 茜はその一言に満面の笑みを浮かべてそのメニューに書かれている物を物色しはじめるが、有希はキョトンとしてそのメニューを見る。

「有希、どうかしたの?」

 心配げな表情を浮かべながら鮎美は有希の顔を覗き込む。

「う、ウウン……どぉしようかなぁ」

 慌ててその場を取り繕うものの、勇気は必死に以前詩織とデートした時にオーダーしていたメニューを思い出そうと記憶を回転させる。

 腹いっぱいに何かを食べたい所だが……。

〈なに言っているのよ、もうおやつの時間なのよ? こんな時間にガツガツ食べないでよね? 太ったりしたら承知しないんだから!〉

 問答無用に否決ですか?

〈当たり前でしょ? 女の子はそんなハンバーグ定食を頼んだりしないの!〉

 有希の視線の先にあるメニューにはハンバーグ定食の文字。

 だってよぉ、腹減っただろ?

〈我慢よ、女の子は何かにつけ我慢が大切なの! それが女の嗜みというものなの!〉

 嫌な嗜みだな……だったら何にしろというんだ?

〈パフェよ、ここはやっぱりパフェ〉

 パフェって、あの生クリームがゴテゴテっとのっかっているやつだろ? 俺はダメなんだよ、甘い物は……。

 メニューのページをめくると、まるで船盛になっているようなパフェの写真が大きく掲載され、可愛らしい文字で『大人気!』と書かれている。

〈そんなこといって一人前の有希になれると思っているの? 女の子はみんなああいう甘い物が大好きなの、まぁ、一部の例外もあるけれど〉

 そんな事言ってもよぉ。

 写真はメロンが笹の葉のように広がり、彩を考えてなのだろうか、オレンジやらチェリーやらがその生クリームの白を際立たせており、勇気の意識はそれだけで胸焼けを憶える。

〈大丈夫、味覚はきっとあたしなんだから、甘い物はいけるはず!〉

 きっと両手を降りながら訴えているであろう有希の意識は一層と強くなる。

 そんなものなのか?

〈そんなものよ、きっと〉

 お気楽に言ってくれるなぁ……。

〈ここが正念場よ!〉

 正念場って、そんなに重要な事なのか?

〈パフェ!〉

 いつもにも増した強い意識が有希から発せられる。

「……フルーツパフェ?」

 なぜか疑問符になってしまうが、そのオーダーに鮎美はニッコリと答える。

「エヘ、やっぱり有希だね? お父さん、フルーツパフェ一丁!」

 そのオーダーに嬉しそうに動き回っている鮎美を見ると、ホッとした感覚を覚える。



「お待ちどうさま、有希はフルーツパフェに、カフェオレ茜ちゃんは、クレーププレートに、オレンジジュース、イチゴのコンポートはオマケね?」

 茜の目の前には、皿に盛られたクレープに生クリームがこれでもかと言うぐらいにデコレートされた物と、新鮮果汁百パーセントと言わんとばかりのオレンジジュースが置かれ、有希の目の前には、まるで芸術品ではと見まがうばかりのものが置かれ、その隣には暖かそうな湯気を立てたカフェオレが置かれる。

「わぁ……美味しそう……頂きまぁ〜す!」

 茜はコレステロールとか糖分とかを、この瞬間に消え去ったというような表情でそれに飛びつき、幸せそうな笑顔を浮かべながらスプーンまで食べてしまいそうな勢いでパクついている。

 ……甘そうだなぁ……。

 引きつった笑顔を浮かべる有希は目の前のその芸術品を一瞥して、周囲には分からないようにため息をつく。

「有希?」

 なかなかスプーンを取ろうとしない有希に、怪訝な表情で鮎美が顔を近づける。

 はぁ、やっぱり甘そうだよなぁ……でも……。

 生クリームの頂点に置かれているさくらんぼを見つめながら、不意にその甘ったるい香りと違う、爽やかなシャンプーの香りに気がつく。

「うぁぁ〜、鮎美、いつの間に……」

 そこには鮎美の顔が真横にあり、息がかかりそうなぐらいまで接近している。

「いつの間にって……いつまでも有希がぼぉ〜っとしているからよ? 早く食べて、お父さんのパフェは、この辺りじゃ美味しいって有名だから」

 顔を赤らめる有希を見て怪訝な表情を浮かべるが、自慢げな表情をしながら鮎美はコソッと耳打ちするように言う。

「お、おう……」

「有希、言葉遣い!」

 躊躇して思わず男言葉になる有希を鮎美は厳しい顔をして指摘する。

「う、うん」

 再び視線を目の前に置かれておる、生クリームの塔に移し、意を決したように有希はスプーンを手にする。

 ……我慢、我慢。

 スプーンでその塔の一角をすくい、有希は目をぎゅっと瞑ってそれを口に入れる、その様子を鮎美は心配そうに見つめている。

 舌の上にのるその生クリームの滑らかな舌触り、フワッとその鼻腔をくすぐるのは一緒に乗っていたメロンの香りだろうか? 嫌味のない甘みがその生クリームを際立たせる。

「……どう?」

 鮎美の台詞には答えず、ただ口の中に広がっていくその心地いい生クリームの感覚と味を確かめるように口を動かす。

「……美味しい……美味しいよ」

 驚いた、前に嫌々食べていたパフェなんかとは比べ物にならない、というよりも、味覚が合っているのか、素直にこの甘さに対し、美味しいという反応が返ってきたよ、これが有希の味覚なんだろうな?

 パクパクとそれを口に運ぶ有希を見る鮎美は満面に笑顔を浮かべる。

「よかったぁ、有希の好みが変わっていたらどうしようかと思ったけれど、変わっていないみたいね? カフェオレも有希は大好きだったでしょ?」

 我が事のように鮎美は喜び、カフェオレの入ったカップを有希に勧める。

 いつもブラックコーヒー派で、カフェオレもあまり得意な類ではないのだが、パフェがいけたのであれば、きっと大丈夫であろう。

 有希はそのカップを受取り口に含むと、フワァッと暖かく、懐かしい感覚が口の中に広がると、思わず顔が綻んでいく事が分る。

 これも有希の感覚なんだろうな?



=初? 登校=

「有希、用意できた?」

 部屋の扉がノックされ、それと同時に鮎美が顔を覗かせる。

「まだぁ……」

 有希はパジャマのままでベッドの上であぐらをかき、吊り下がっているセーラー服と、にらめっこをしている真っ最中だった。

「なにやっているのよ、早くしないと始業式に遅れちゃうよ?」

 ため息交じりに鮎美は言いながら有希のセーラー服をハンガーから下ろす。

「いや……どうやって着たものかよくわからなくって……」

 有希はそう言いながら、ぶら下がっていたのと同じ白地に緑色のセーラーカラー、緑色に白い三本のラインの入ったプリーツスカートといった格好をしている鮎美を見る。

「……ハァ」

 鮎美は大きくため息をつきながら眉間に刻まれたしわを人差指でなぞる。

「予想通りっていうわけね? 早めに来ておいてよかったわ」

 予感が的中したというような顔に苦笑いを浮かべながら鮎美は有希の顔を見る。

「助かるよ鮎美、何せ、やっとのことで最近スカートに慣れてきたところなんだ、それに、こんなややっこしい服着た事無くって、戸惑っていたんだよ」

 一度茜と一緒にこれを着る練習をしたのだが、ジッパーを上げて、下げて、スカーフを結んでスカート履いて、カラーを整えて……ややっこしいったらありゃしない……ネクタイを締めるだけでも面倒臭かったというのに、何でこんなややっこしいものを着なければいけないんだとカンシャクを起こした。

〈そんなの慣れよ慣れ、嫌でも体がその動作を覚えるわよ〉

 ふわぁっとあくびをしながら有希の意識がそう語る。

 簡単に言ってくれるよな……俺は結構テンパっているんだぜ?

〈アハ、大丈夫本当に慣れよ、慣れ!〉

 ――お気楽に言ってくれるよな?

 泣き笑いといったような表情を浮かべて鮎美の手を取る有希に、鮎美は笑顔を浮かべる。

「まぁ、それはそうでしょうね? セーラー服を着なれている男はあまり聞いた事ないし、そんな人とお付合いもしたくないわよ……、でも、あなたの事だからこんなな事だと思って早く来て正解だったみたいね? ほら、早くパジャマ脱いで……アァ! あなた、またブラジャーしていないじゃない!」

「だって、苦しい……」

 有希の一言に鮎美はあきらめたような表情を浮かべつつ、タンスの中からそれを取り出し、有希に手渡すと、それをまごついた手付きでそれをつけようと必死になる。

 なんでこんな面倒くさい物を着けなければいけないんだ? まぁ、男時代は夢見ていた光景だけれど、実際に着けたりしていると予想以上に邪魔な物だと痛感するよ。

 男には無い胸の膨らみを恨めしそうに見下ろしながらため息をつくと、さらに鮎美の厳しい視線が飛んでくる。

「有希早く着ちゃいなさい! 女の子がそんな下着姿でずっといるもんじゃないわよ!」

 この話題になると鮎美の態度が冷たくなるような気がする……。

 腰に手を当てながら有希の事を睨む鮎美の表情はそれまでの優しい表情から想像ができないような険しいもので、思わず首をすくめながらそれをして、着慣れないそれに手を伸ばす。



「ほら、これで最後……」

 胸元のスクールカラーでもある緑色のリボンを絞め、最後と鮎美に手渡されたものは、女子高生の必須アイテムであるルーズソックスだ。

「はぁ〜い」

 床に座りながらそれを履く有希に対して鮎美の厳しい指導が入る。

「そんな大股開きで履くんじゃないわよ、椅子に座るとかして片足ずつ履くの、そんなガサツな格好をしないでよお願いだからぁ……」

 鮎美の顔がまるで懇願するように訴えてきて、有希はわけ分らず近くにあった椅子に座りながらモシャモシャしたそれに片足づつ履く。

 やっぱり女の子って難しいかも……。

 心の中で首を傾げる勇気であったが、それを履き終わった所でまるでスイッチが切り替わったようにその場に無意識に立ち上がると、その様子を鮎美は眩しそうに見上げる。

 不思議だよな? なんだかフワッとしたような感覚だ……身が軽いというか、男時代のような息苦しさが無いのかな?

 ようやく女子高生らしい格好に変身した有希は、部屋にある鏡でその姿を写し見る。

「どぉ?」

 鏡に映る自分の姿を見てちょっと頬を赤らめる有希に対し、その隣から同じように少し紅潮したような顔をしている鮎美が顔をのぞかせる。

 これは、立派な女子高生だな……しかも結構レベル高いかも。

「うん、可愛いな……」

〈ありがと〉

 そんな有希の意識を感じながら有希は鼻を鳴らしながらニッコリと微笑み、鏡の前でクルッと一回転しながら鮎美を見ると、そこには視線を合わせないようにうつむきながらも真っ赤な顔をしている姿があった。



「お姉ちゃん、おはよ〜」

 着替えを完了させて、ダイニングに向かうとそこには小さな体をいっぱいに伸ばしながら料理をする茜の姿があった、どうやら同年代のその基準よりも小さな茜は、この家のキッチンにはちょっと背が足りないようで、背伸びをしながらまな板の上のものを切り、その背丈を補うための小さな踏み台に上ってフライパンを揺すっている。

「……フム」

 有希はその姿を顎に手をやり見つめる。

「茜ちゃんおはよ、これからまた毎朝大変になるわね?」

 鮎美のその声に、茜は嫌な顔を一つもせずむしろ嬉しそうな表情で鮎美に振り向く。

「ウン! でも、これがあたしのお仕事だし、やっぱり有希姉ちゃんが一緒にいられるのが何よりも嬉しいかも……」

 満面の笑みを浮かべる茜に対し、有希のその胸はキュンと何かにつかまれるような衝動にかられ、その健気な姿を思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。

 いかん、ロリじゃあるまいし……しかしなんて言ういじらしい台詞なんだろう。

 有希は思わず目頭が熱くなる事を感じる。

「お姉ちゃん、今日はトーストに目玉焼きだけ、コーヒーはセルフサービスだよ?」

 アハハ、それでもやっぱりメニューはあまり代わり映えしないのね?

 苦笑いを浮かべる有希だが、茜の足元には決して安全ではないような踏み台があるだけで、気になる。ホームセンターなどで売っている安物の踏み台であろうが、あまり安定感はよろしくないようで、茜が動くたびにゴトゴトと音を立てる。

「……茜ちゃん可愛いわね? 一生懸命って言う感じがするわ?」

「……あぁ、そうだな」

 優しい表情を浮かべながら有希は茜のその行動を見つめる。

「……有希、即答だったね?」

 意地の悪い表情を浮かべながら鮎美は有希を見つめる、その表情をかわすようにするが、事実、その茜のかいがいしさには頭が下がる。

「そうかもしれないな……」

 そう言う有希の表情に、鮎美はちょっと戸惑うがそんな事はお構いないようにセーラー服の上からつけていたエプロンを外しながら茜が業を煮やしたように茜は言葉を荒げる。

「お姉ちゃん、早くしないと遅刻するよ? 鮎美お姉ちゃんも!」

 そんな茜に急かされながらトーストをほおばる二人がBGM代わりについているテレビを見ると、そこでは北海道の天気をやっており、やっと慣れてきた『渡島・檜山地方』の天気に変わったところだった。

『函館の降水確率は三十パーセントです』

 東京と違ってお天気お姉さんがニッコリと微笑むわけでもなく、ただ函館の画とお天気マークが出るだけのあまり色気のある画像ではないそれに茜が反応する。

「三十パーセントかぁ……お母さん、三十パーセントだって洗濯どうする? やっておく?」

 茜はお店に続く扉を開き、真澄に大きな声をかける。

「……わかった、じゃあお願いしちゃう」

 お店で真澄が答えているのだろうが、有希の耳まで届かないが、茜の台詞とニッコリした表情から察するところ、洗濯は真澄がやるという事で合意したようだ。

「有希! 時間!」

 そんな光景に目を細めながらゆっくりとコーヒーを飲んでいる有希に対し、鮎美が腕時計を見ながら急かす。

「わかったよぉ……茜、行ってくるね?」

 有希は、のそのそっと椅子から立ち上がり、近くにあったカバンを取る。

「うん! お姉ちゃんいってらっしゃい!」

 いい笑顔だねぇ、こうやって送り出してくれると非常に気持ちがいいよ。

 茜の笑顔に対し、有希も微笑み返す。その表情に茜の頬が赤らんでいた事は、鮎美意外は気が付かなかった。

「優しいお姉さんね?」

 玄関先で有希の肩につかまりながら鮎美は靴を履く。

「ん? 何のことだ?」

 有希は訳わからんといった表情で靴を履き終えた鮎美を見る。

「ウウン、茜ちゃんに対して優しい表情を浮かべるなぁって思って、うちのお姉ちゃんとは大違いだわ」

 玄関を出ると冷たい空気が二人を取り巻き、反射的に二人の肩がすくみ上がる。

「鮎美にはお姉さんがいるの?」

 既に声を出すごとに、息は真っ白く変化し周囲を濁す。

「うん、今は東京にいるんだ……美容師になりたいんだって、有希のお母さんみたいに……」

 その一言に有希の脳裏に、普段店で働いている真澄の姿が浮かび上がる。

 美容師って言うのは、ただ髪を切って、ロットを巻いて、髪の毛洗ってだけだと思っていたけれど、結構お客のいない時は色々な地味な作業をやっているんだよなぁ……ロットを洗ったりハサミを消毒したりクシを手入れしたりして、華やかさだけではないと目の当たりにして思ったよ……結構大変な仕事なんだって言う事を。

「美容師か……鮎美は?」

 四月ともなるとさすがに路上の雪は消え始め、その名残のようにいたるところに水溜りが出来ている、その水溜りを避けながら二人は歩く。

「あたしは、お父さんの後取りだから、あのお店のママさんをやりたいの、自営業だけれど、小さい頃から見ていたからやってみたいんだ……有希は?」

 鮎美はそう言いながら大きな水溜りを避ける。

「俺……いや、ボクは……なんだろう……」

 有希は足元に合った大きな水溜りを見つめて考え込む。その水溜りに写り込んでいるのは普通の女子高生……一ヶ月前に自分になった姿。

 もう既に勇気の肉体はない、ということはこの身体で一生暮らしていく事になるだろう。それに対しての不満は無い、むしろ歓迎したいほどだが、いきなり女の子になって、戸惑っているということも事実で、正直これからの事まで考えていない。

 ――考えていないというか、考えられないというのが正直な所だろうな?

 有希は吹っ切れたような顔をしてその顔を春色が濃くなってきたその空を見上げる。

「ボクにはわからんよ……っと!」

 有希はそう答えながら、その大きな水溜りをジャンプして飛び越える。

「ちょ、ちょっと有希、スカートめくれるでしょ?」

 着地する瞬間、有希のその緑色のプリーツスカートがフワッとめくれ上がり、その中身が見えたようだが、本人はぜんぜん気が付いていない様子。

「えっ? アァ、そうか……短すぎるんじゃないか? このスカートはスースーするよ」

 有希はそう言いながら太ももの辺りまでしかないそのスカートの裾を引っ張る。

「そんなこと無いわよ、それが通常の長さなの、もう少し短くしてもいいかも……ほら、こうすれば可愛いでしょ?」

 確かに鮎美と見比べると確かに有希のスカートの方が少しだが長いかもしれない。

「冗談だろ? これ以上短くしたらケツから風邪ひいちゃうよ」

 男の視線から見れば眩しいその姿……その短いスカートからは覗く白い太ももは冷気にさらされほんのりと桜色に変化している、きっと男時代ならばその一瞬のチャンスを見逃さないように凝視しているであろうが、不思議と今はそうは思わないでいるのはやはり性別が変わってしまったせいなのだろうか?

 有希は苦笑いを浮かべながら鮎美を見る。

「有希、言葉遣い……女の子がケツなんて言わないわよ」

 頬をプクッと膨らませる鮎美に対し、有希は意地の悪い表情を浮かべる。

「鮎美だって今言ったじゃないか、ケツって言ったよぉ〜」

 そう言いながら有希が舌をペロッと出しながら鮎美の顔を見ると、顔を真っ赤にして拳を振り上げる。

「もぉ、有希!」

第六話へ。