第十九話 この空の元に……。



=彼女=

「いらっしゃいませぇ〜『グランマ』へようこそ! お客様は三名様でよろしかったでしょうか? 禁煙席と喫煙席がありますが……」

 漁火通り沿いにあるファミリーレストラン『グランマ』の店内に有希の元気な声が響き渡る。

「有希ちゃん今日も元気だね?」

 お客からオーダーを取って戻ってきた有希に店長が声をかけてくる。

「ハイ! あたしはいつでも元気ですよぉ〜……オーダーお願いしまぁ〜す! 海鮮ランチワン、バーグランチワンお願いしまぁ〜す!」

 ニッコリと微笑みながら有希はそう言いながら、厨房にオーダーを通す。

「ホント、元気だけが取り柄だもんね?」

 ミーナが意地の悪い顔で有希の隣で同じようにオーダーを通す。

 なんだかちょっとトゲがあるよなぁ、今日のミーナは……拓海と何かあったのかな? まぁそれを訊くというのもヤボかも知れないけれど。

「元気だけってなによぉ、他に取り柄はいくらでもあるよ?」

 頬をプックリと膨らませる有希に対し、厨房から暁の声がかかる。

「有希ちゃんの他の取り柄って、あまり見たこと無いかな?」

 配膳カウンターから意地の悪い顔を覗かしている暁に対して、有希は思い切り頬を膨らませたまま睨みつける。

「暁さんまでそんな事言って、確かに勉強は取り柄じゃないですけれど、でも、運動とか、料理とか、あとは……もぉ、他にもあるんです!」

拗ねるような顔をした有希は口を尖らせながら暁とミーナを見るが、お互いに有希のその表情に笑みを浮かべて真剣にその意見を取り入れるようには見えない。

確かに元気印が俺のとりえみたいなイメージが根付いているようだけれども、他にだって結構可愛らしい所があったりするんだぞ?

〈それはどこ?〉

 たとえば、妹の面倒見がいいとか、料理ができるとか……ほらぁ、色々あるだろ? って、有希がそこで突っ込むなよ!

 キヒヒという意地悪い意識を残しながら有希は消えてゆく。

「そうか、有希ちゃんは料理というスキルを持っていたのよね? これはポイント高いのよねぇ、負けられないかも」

 ミーナは独り言のように呟きながら、金髪のツインテールを揺らしながら再びホールに飛び出してゆく。

 負けられないってなにが?

 有希は首をかしげながら、ホールで忙しそうに動き回っているその金髪を眺める。

 やっぱり拓海と何かあったのかなぁ……、鮎美も言っていたけれど、最近二人がうまくいっているように見えたんだけれどなぁ。

「有希ちゃん、ナポリ上がったよ」

 暁の声にハッとして、有希は笑顔に戻る。

「はぁ〜い」

 トレイに湯気をたたえているナポリタンを乗せてホールに元気に飛び出す有希の後姿を暁が目を細めて見送る。

「それがいいんじゃないか? 有希ちゃんの元気がみんなに伝わって、いいムードにつながっている、そうムードメーカーが有希ちゃんの取り柄なんだよ」

 クスッと微笑みながら暁は厨房に顔を戻す。

「ほれ! ホールに負けるなよ野郎ども!」

 暁の一言に、キョトンとしたコックの肩をポンと叩く。

「な、なんですか料理長?」

 真新しいコック帽をかぶった、若いコックは呆気に取られたような顔をして暁の顔を見つめるが、暁はそれに笑顔で答えるだけだった。



「お待たせいたしました、ナポリタンです」

「お姉ちゃん、コーヒーのお代わり」

「ハイ! ただいまお持ちしますので少しお待ちください」

 忙しい、店長の予想通り忙しくなってきた。まぁ、暇なままじゃあ、バイトをクビになっちゃうから良かったと言えばそうなんだけれど。

 秋になり客足が減りと思っていたが、店長はこれからの季節が忙しくなると言っていた、そのココロは『食欲の秋』だから。

「すみませぇ〜ん、オーダーお願いしまぁ〜す」

「ウェートレスさん、お冷ちょうだい!」

「ハイィ〜! ただいまお伺いいたしますぅ〜」

 それにしても忙しすぎるぜぇ、ホールの中を何周しているか分らない……忙しくって目が回ってきたぜぇ。

 顔では笑顔を浮かべているものの、その下にある顔には疲れが溢れているであろう、思わず時間が経つのを忘れるぐらいだ、あとからあとからお客が入ってきてはオーダーを繰り返す。

「有希ちゃん、お客様の案内お願い!」

 先輩ウェートレスの言葉尻もちょっときつくなっているのもやはり忙しさのせいであろう。

「アッ、はぁ〜い……いらっしゃいませぇ〜『グランマ』へようこそぉ〜ってぇ」

 有希は精一杯の愛想笑いを浮かべながら、待合に座っていたグループの客に声をかけると、見覚えのある色男がスクッと立ち上がる、その客は……。

最悪だぁ……なんでここに来るんだよ。

「うむ、少し待ったな……ほぉ、見覚えのない可愛らしいウェートレスがいると思ったが、僕の子猫ちゃんだったのか……これは珍しい所で会ったな、これはやはり運命ではないか?」

 矢野だ、矢野がでたぁ〜。

 その時の有希の表情は、笑顔を浮かべたまま客に入ってきた熊を案内するようなそんな表情を浮かべていた。

「だ、誰が子猫ちゃんだ、だわよ……」

「フム、この間のネコミミも良かったがそのコスも結構萌えるものがあるなぁ、今度はそれにネコミミを……」

「お客さまっ! こちらにどうぞ!」

 放っておくと何を言い出すかわからんからなぁこの男は……って、な、何で?

 有希の案内に動く人間は六人、笑顔をたたえた矢野に、有希の姿に鼻息を荒くしている平間、あと存在感が相変わらずない霞……他の人は漫研では見たことの無い人ばかり、しかし、その人間たちの着ている制服は見覚えがある……。

 矢野たちとの接点が良くわからない……なんで?

 有希の表情が強張ったのは、矢野たちに出会ったからだけではない、その制服……有希の通っていた学校の制服が見えたせいでもある。

「矢野君、彼女かい? 以前に言っていたネコミミ娘さんは」

「左様」

「結構可愛いじゃないか……後で一緒に写真取らせてもらおうかな? 制服のまま」

「ネコミミがあるといいのに、ちょっと残念」

「でも可愛いわね? 彼女にしたいぐらい」

 ぎこちない様子でテーブルに案内する有希の背後からそんな会話が聞こえてくる。

 ……あの学校の漫研の連中か? そういえばどことなく見覚えもあるようだが……やっぱり変なやつらだ。

 有希はその台詞に、あの部紹介の時のネコミミ悪夢が蘇り、ドキドキしながら空いている席を案内する……かなり他の人たちから離れた場所に。

「お決まりになりましたらお呼びください……」

 早くこの場から逃げなければ、また変な事に使われる。

 有希は本能的にそう考え、そそくさといった態度でその席を離れようとするが甘かった。

「有希君、紹介しよう」

 離れ際矢野に腕をつかまれると、有希の顔から血の気が引く。

「あのぉ〜、矢野先輩ボクはまだ仕事中なんで……」

 ギギギと油切れのロボットのような動作で雪が矢野に向くと、そこには満面の笑みをたたえた矢野と、なぜか優しい笑みで有希を見上げる霞の顔が視界に入ってくる。

 この美少女と言っていいであろう霞先輩が、この矢野の恋人と言う事がいまだに信じられない、みんな俺の事を担いでいるんじゃないかとも思っていたが、結構有名なカップルらしく、学校のベストカップルの中に入っているらしいが……やっぱり信用できない。

「大丈夫、このお店の店長とは懇意にしているから」

 えっ?

 頼みの綱を絶たれたような気になりながら有希が店長のいる方を向くと、そこでは笑顔で有希たちに手を振っている店長。

「フフ、多少の事なら目をつぶってくれる」

 助けてください……ボクはそっちの世界に行きたくないんです。

 ニヤリと微笑む矢野の笑顔は有希からすれば悪魔の微笑みのようにも見える。

「矢野君、早く紹介してくれよ」

 勇気が昔着慣れていた制服を着ている、ちょっと太目の男子はかけているメガネの奥から有希をジッと見つめている。

 え〜ん、気持ち悪いよぉ。

 泣きそうである、いや、既に有希の目尻には涙がにじんでいる。

「フム、では紹介しよう、こちらのお三方は、はるばる内地東京から研修旅行という名目でここ函館まで来てくれた方々だ」

 研修旅行、という事は三年生……俺と同級生。

 ピクッと肩を震わせる有希の表情が曇る。

「はじめまして、お台場高校漫画研究会会長の品川です、こっちの男は青海、女子は有明です、以後お見知り置きを……」

 どことなく見覚えのある三人、まぁ、一度ぐらいは廊下ですれ違ったりするであろう、特徴の無い顔だからきっと三歩も歩けば忘れてしまいそうだが。

「それで彼女が、綾西学園高等部漫画研究会のマスコット青葉有希君だ」

「誰がマスコットだ!」

「痛いじゃないか……なんで角なんだ?」

 矢野はトレンチの角で叩かれた頭をさすりながら有希の顔を見上げる。

「なんとなくです、ハイ、自己紹介終了ですよね? では、ボクは仕事に戻りますんで失礼いたします……そうそう、ごゆっくりといいたいんですけれど、他にお客様がお待ちですから早めにお帰りくださいね? うふ」



「有希ちゃん、あそこのお客さん、コーヒーのお代わりだって、お願いね?」

 先輩ウェートレスが目配せする先には、テーブルの上に紙のようなものを広げながら頭をつき合わせている、ちょっと異色な雰囲気の一角。有希はさっきからあの場所を『ダークゾーン』と呼んでいるその場所だった。

「あそこ……ですか?」

 助けを請うような目で先輩を見つめるが、その先輩は笑顔を振りまいてコクリとうなずくと忙しそうに別のテーブルに向かってゆく。

 あぁ、誰か助けてくれないかなぁ……ミーナは?

 目立つツインテールの金髪はホールの中に見る事はできず、恐らくもう休憩に入ったのであろう、その結論にさらに有希はうなだれる。

 いくらか客足が減ってきたから当然だよな? と言うことはやっぱり俺が……ハァ。

 有希はいつもの笑顔を忘れたように憂鬱な表情を浮かべながらコーヒーサーバーを持ち、そのダークゾーンに向かって歩いてゆく。

 お願いです、声をかけないで下さい……何事も無いように……。

 心の中で念仏のように唱え、恐怖に怯えたまま笑みを浮かべながらそのダークゾーンに足を踏み入れる。

「そういえば、有明さんの同級生の話なんですが……」

 さっき青海と紹介された男が、コーヒーを口に含みながらいうと、霞が身を乗り出す。

「うん、あの話をちょっと頂こうかなって思っていたのよ」

 コーヒーを注ぐ有希の耳にそんな会話が聞こえてくる。

「どんな話なんだい?」

 矢野に気が付かれない様に普通のウェートレスといった表情をしながらコーヒーを注ぐと、矢野は珍しく真面目な顔をしながら話を聞き入っており、その隣では霞が何か絵を描き、平間はチラチラと他のウェートレスを盗み見している。

「うん、実は有明さんの同級生で、彼をバイク事故で亡くしちゃった娘がいるんだ……いまだにその人の事が忘れられないようで、明るく振舞っているのがなんとなくいじらしいんだ」

 青海の話に、霞は辛らつな顔をしながら動かしていたペンを止めて矢野の事をチラリと見る。

「彼女も来ているんでしょ? 函館に」

 有明の一言に品川はコクリと頷く。

「あぁ、飛行機で俺の隣だったよ……やっぱり愁いを帯びた横顔だったよなぁ……僕は三次元の人間に興味ないけれども、ちょっとドキッとしたよ、あの横顔には」

 それ……もしかして。

「ほぉ、それはなかなかのストーリー物になりそうだな、ん? 有希君どうしたんだ? そんなところでボォーっとして」

「もしかしてその女の子っていうのは詩織……菅野詩織の事か?」

 有希はコーヒーサーバーをテーブルの上に置き、その話をしていた品川の顔を睨みつける。

「う……うん、そうだけれど、何で君が菅野さんの事を知っているんだ?」

 有希の気迫に戸惑いながらも首を縦にふる品川、その答えを聞いた瞬間、有希は一目散に店長に駆け寄る。

「すみません、ちょっと具合が悪くなったので帰らせていただきます」

 店長の答えを聞かずに有希は更衣室に向かう。

 ――詩織がこの街に来ている、この函館の空の元に詩織が……。

 有希は制服をちょっと乱暴に脱ぎ捨て、下着姿になった時にピタリと動きが止まる。

 詩織が来ている……だから? 俺は既に勇気じゃない、女の子の有希なんだ、詩織に会ってどうするんだ?

 有希は自分の顔を、鏡を通して見つめる。その顔は、なんだかすごく情けない顔をしているようにも見え、不意にあの葬式の時の詩織の顔が思い浮かぶ。

『広川君の……馬鹿……』

 悲しそうな顔をした詩織……その顔は今でも忘れる事ができずに、俺の頭の中に残っている。

「……だからなんだっていうんだ……」

 詩織が来ているからといって会ってどうなるんだ……俺は勇気じゃないし、彼女がこの姿を見て分るわけがないじゃないか……それに俺は女なんだ。

「どうなるものでもないよな……」

 着替えを終えて有希は荷物を持つと、そう呟き更衣室から出る。

「有希ちゃん具合が悪いんだって? 大丈夫?」

 休憩室に顔を出すと休憩に入っていた、ミーナが心配そうな蒼い瞳で有希の顔を見つめるが、有希はそれに自嘲した笑顔で答えるだけで、スタッフルームを出る。

「日が傾いてきたせいか、ちょっと冷えてきたかな?」

 見上げる空はさっきまでの青色の部分が減り、その代わりにオレンジ色の部分が侵食し始め、風もそれにあわせるように徐々に冷たくなってくる。

 この時期は昼間と日が暮れてからの温度差が激しいからと鮎美に言われていた事を思い出し、荷物の中に入っているカーディガンを取り出しそれを羽織る。

「アハハ、結局サボっちゃったな……」

 ため息交じりに有希は呟き自転車に跨る。

「――函館駅寄って帰ろう」

 頭に浮かんだのは函館駅、なぜ? と聞かれても分からないけれど……なんとなく。

 有希はいつもの帰り道から軌道を変更して、函館駅に向かう大通りに向かった。



=思わぬ再会=

「まだこの時間だと人が多いかも……」

 大通りでは函館市電が交わり、交通量も増える。それに伴い人通りも増えてきて、自転車で歩道を走るのが困難になってきたため、有希はやむを得ず自転車を押して歩き出す。

 函館駅は目の前なのに、なかなか先に進む事ができないかも……、駅についたらジュースでも買って帰ろうかな? 特に用事があるわけでもないのに……何やっているんだろ。

 やっとの思いで函館駅についた頃には日は完全に傾き、空の色はオレンジ色からダークブルーに変化していた。

 本当になにやっているんだろうな俺は……。

ライトアップされた函館駅には、これから夜景見物に行くのであろう観光客が、時間つぶしにうろうろとその構内のおみやげ物店を歩き回っており、かなりごった返している。

 これじゃあゆっくりと買い物するっていう雰囲気じゃないな……仕方が無い、茜の好きな『ガラナ』だけ買って買えるかな?

 お土産物として売られている『コアップ』を買うべく有希がお土産物店に進路を変えた瞬間、近くにいた女の子が、パワーあふれるおばちゃんのお尻に突き飛ばされ、有希の目の前でペシャっと倒れこむ。

「だ、大丈夫?」

 有希は思わず手を差し伸べて、その時初めてその女の子の着ている制服に気がつく。

 この制服は……台場高校のやつ……。

 有希はちょっと躊躇しながらも、出した手を引っ込めるわけにもいかずにそのまま伸ばすと、その女の子がそれに触れてくる。

「いたた、あ、ありがとうございます……ちょっとドジですね?」

 顔をあげた女の子に有希の表情が固まる。

「ちょっと、考え事をしていて人に気がつかなかったの……ん? あたしの顔に何か?」

 キョトンとした顔をしている女の子の顔を、有希は遠慮なく見つめている。その顔は、あのお葬式の時に涙を流していた女の子……。

「ん?」

 女の子は固まっている有希の顔を怪訝な表情を浮かべて覗き込んでくる。

「……詩織」

 有希は思わずその女の子の名前を呟いてしまい、慌てて口を手で覆う。

「ハイ?」

 いきなり見も知らない女の子に名前を呼ばれたのだから、そういう反応を示すのは当然であろう、詩織はポカンと有希の顔を見つめる。

「いや、ゴメンなさい、ちょっと知り合いに似ていたから、つい……」

 うまい! 思わず自分の事を褒めてやりたいよというぐらいに、うまくゴマかすことが出来た……ような気がする。

 有希は小さく心の中でガッツポーズを作る。

「ウフフ、偶然なのかしら? あたしも詩織って言うのよ?」

 ――そんな事はわかっているよ、だから思わずそう呼んじゃったんじゃないか……お前の名前は菅野詩織、台場高校三年生だ。

「アハ……そうですか、そ、それは偶然ですね?」

 曖昧な表情を浮かべながら有希は詩織から視線をはずすと、その表情に詩織が何かを感じ取ったように小さな声を上げる。

「……どうかしました?」

 形勢逆転なのだろうか、さっきまでの有希の表情がまるで移り変ったかのようになる。

「ううん……なんでもない、あなたの表情が昔の知り合いの仕草に似ていてちょっとビックリしちゃったのよ」

 クスッと微笑みながらも詩織はそう言いながら、有希の顔をじっと見つめる、その瞳には笑みはなくどこか疑っているように感じるのは有希の……いや勇気の驕りのせいだけなのか。

 昔の知り合いって……それはボク……俺の事なのか?

 二人がうつむきながらその場に立ち尽くしていると、思わぬところから声がかかってくる。

「よぉ〜詩織ぃ久しぶり〜いぃっ?」

 声を裏返しながら、間を白黒させながら見つめる拓海の視線の先には詩織と有希のツーショットがあり、その意味合いを知っているからであろう、酸欠になった金魚のように口をパクパクさせているが、やがてハッと我に返りそのツーショットを見直す。

「詩織……お前なんで有希と一緒にいるんだ?」

 その声に二人様々に、しかしそれは過敏なまでに反応する。

「あぁ、拓海……久しぶり、元気していた?」

「な? 拓海……なんで?」

 詩織は、ちょっとホッとしたような表情を浮かべ、有希は訳が分からないといった表情を浮かべながらお互いに拓海の事を見る。

「なんで、詩織と有希が一緒なんだよ……」

 そういう拓海の表情は、驚いているというよりも、どちらかと言うと何でという疑問が先に浮んでいるようで、その視線は忙しなくその二人の顔を行き来している。

「ん? 彼女は拓海の知り合いなの?」

 詩織はそう言いながら拓海と有希の顔を交互に見るが、その表情は徐々に意地悪っぽいものに変わってゆく。

「いや、その……」

 まずいという表情を浮かべるという事は、拓海は最初から彼女がここにいるという事を知っていたということなのか?

 拓海の表情は明らかに、詩織の存在を隠そうとしていたようで、その視線は泳ぎ、有希の顔を正面から見ようとはしない。

「……有希ちゃんって言うの?」

 詩織は何事もなかったように有希の顔をニッコリと微笑みながら見つめる。

「はい、そのぉ……はじめまして、青葉有希です、よろしくお願いしまぁすっ」

 ちょっとわざとらしかったかな?

 有希はその表情を隠すようにペコリと頭を下げると、詩織は優しい笑みを浮かべながら有希を見つめる。

「うん、はじめまして菅野詩織です、よろしくね、有希ちゃん」

 ……はじめましてじゃない……俺は、君の事を良く知っているんだ……。

 有希の表情が曇った事を察知した拓海が、それを隠すように有希の前に立ちはだかる。

 拓海?

「アハハ、同級生でね、バイトも一緒なんだ……アハ、アハハ」

 引きつった笑いを浮かべながら拓海は詩織に説明するが、やはり、どことなくぎこちないというか、言い訳じみているというか、そんな言い方をすると変な誤解を生むような気がしないでもないんだけれど……相変わらず嘘をつくのがヘタな奴だな……拓海は。

「フーン……」

 詩織の視線が拓海の背中越しにいる有希の事を見つめている、その目は完全に誤解している表情だった。

「な、なんだよ……」

 拓海は憮然とした表情で詩織を見つめるが、詩織はそんな視線をスルーして一直線に有希に向かって質問を投げつける。

「有希ちゃんは拓海の恋人?」

 ほらぁ、誤解されたじゃないかぁ、どうしてくれるんだ?

「ちっ、ちが……違います!」

 有希は力一杯と言った感じでそれを否定する、それはもう全身全霊を傾けてと言っても過言ではないであろう。

「そこまで力一杯言わなくたっていいじゃないか、ちょっと傷ついたぞ……」

 拓海は寂しげな表情で有希の顔を見るが、有希はそんな事かまわずに続ける。

「勝手に傷ついていればいいじゃないか、ボクと拓海はただのバイト友達なだけで、それ以上でもそれ以下でもないだろ?」

 手を身体の前で突っ張らせながら、否定を体現する。

 なぜそこまで強く否定するのか自分でもよくわからない、でも、その辺ははっきりしておかないといけないという心が働いたのではないかと、勝手に自分で判別しておこう。

「それより、詩織さんこそ拓海の遠距離恋愛の相手だったりして」

 その事を言うのにはちょっと抵抗を感じるけれど、でも、これで形勢逆転になればいいかも知れない……少なくとも有希の存在をごまかす事はできる……かな?

 有希は意地悪く言っているつもりなのだろうが、その表情は引きつっており、目は笑っていなく、どこか引きつっている笑顔に見える。

「――そうだったら良かったのにな?」

 つぶやくように言う詩織の横顔は、今までの笑顔とは違った寂しそうな表情で、その台詞も恐らく拓海には届いていないであろう、そして、有希にもその言葉は良く聞き取ることはできなかった。

 いま詩織の奴、そうだったらいいといったような気がしたけれど……。

 首を傾げる有希に対し、詩織の顔に笑顔が戻る。

「アハ、気になる有希ちゃん、やきもち妬かなくって大丈夫よ、あたしが拓海の相手をするわけないじゃない、もう少しいい男をチョイスするわ?」

「やきもちってぇ……だからそんなんじゃないです、ボクは……」

「クス、そんなムキにならないでよ! 冗談だから、こんな可愛い娘が拓海を相手にするわけなんてないじゃない?」

 意地の悪い顔をする詩織はそう言いながら有希に向かってペロッと舌を出す、その顔はどこか納得がいったようなそんな表情を浮かべている。

「……なんだか俺って無茶苦茶言われていない?」

「だって拓海だからでしょ? 言い得て妙と言うか、拓海の事をよくわかっているなぁって思って……あは、さすがだね?」

 有希も思わずその笑みに対して素直に反応してしまう。

「有希ぃ〜少しはフォローとかないのかよぉ……、まるで俺がお馬鹿みたいじゃないかよぉ」

「違うの?」

「――否定させていただいてよろしいでしょうか?」

「却下ね?」

「そりゃねぇよぉ〜結構お前の事フォローしているじゃねぇかよぉ……それなのにその仕打ちは結構身につまされるぜぇ?」

 拓海はうなだれるようにしながら有希たちに声をかけると、詩織はいきなり大きな声をあげて笑い出す、その様子に拓海と有希は一瞬驚いた表情を浮かべるが、やがて二人とも声をあげながら笑う、その様子を周りの観光客は遠巻きに見ていた。



「アハハハ、久しぶりに笑ったな?」

 目尻に涙を浮かべる詩織はそう言うと、急に笑顔がその表情から消える。

「詩織?」

 拓海が詩織の顔を覗き込むとその顔に一瞬息を呑む。

 涙? いま詩織の頬を伝っているその光の筋は、今までとは違う涙なのか?

 よく見ると、詩織の頬は濡れ光っている。

「ゴメン……まだ完全に復活できていないみたい……拓海は知っている? 広川君の事……」

 勇気の名前が詩織の口から聞こえてきて、有希の表情が一気に曇る、そんな様子を拓海は横目で見ながら、真剣な表情で詩織の事を見つめる。

「……あぁ、聞いたよ……」

 まさか本人から聞いているとは思わないであろう詩織は、拓海の顔を見上げ涙を浮かべながらコクリと頷く。

「ゴメンね? まだちょっと踏ん切りつかなくって……まだ、ちょっと情緒不安定かも」

 詩織はそう言いながら目尻に残った涙の残りを小指で拭う。

「いや、気にするな……」

 拓海の表情は優しい微笑を浮かべている、それは、有希の目から見ても何となく逞しささえ感じるようなそんな表情だった。

 へぇ、拓海もこうやって見ると結構いい男じゃないか、ちょっとドキッとした……いや、これは有希の気持ちなんだろうな? きっとそうに決まっている。

第二十話へ。