第二十一話 浪漫の記憶



=函館の街=

「とりあえずここなんてどうかな? ここは『旧函館区公会堂』明治四十三年に建てられたもので、ルネサンス風の木造建築はその当時でも随分とモダンな雰囲気だったと思う」

 ライトブルーの外壁に黄色いアクセントの入っているその佇まいはまさにモダンな雰囲気で、今にもハイカラな貴婦人たちがドレスを着て集まってきそうな雰囲気である。

「本当にハイカラな建物ね? 明治ロマンを感じるというのかな? この街の雰囲気によく似合っているかもしれないなぁ」

 詩織はそう言いながら坂の頂上にあるその洋館を見上げる。

「その昔、天皇陛下もここに泊まった事があるほどの由緒ある建物なの」

 鮎美はそう言いながら自慢げに鼻をヒクつかせている。その様子は、本当にこの街の事が好きで、自分が褒められているようで、ちょっと嬉しいらしい。

「この公会堂の前にあるのが『元町公園』ここから見る港の風景なんかも結構情緒があって良いかも知れないなぁ」

高台にあるその公園からは函館港が一望でき、港に入交船が引く白波が見える。

「ヘェ、函館版の『港の見える公園』みたいね? 夜なんかはロマンチックかもしれないなぁ」

 ちょっとうっとりしたような顔をしている詩織と、同じような表情を浮かべながら有希の顔を見ている鮎美が口を開く。

「函館公会堂もライトアップされているし、クリスマスになればこの『基坂』もライトアップされてロマンチックなの……好きな人と一緒に歩きたくなるよ?」

「基坂?」

 詩織はそう言いながら首をかしげる。

「そう、この石畳の坂道はそう言う名前なんだ、その昔この坂の下に里程標が設けられたのがその名前の由来だ、昔はここが函館の基準点だったという事」

 有希は以前習った函館の歴史を思い出しながらそう言う。

「フ〜ン、そうなんだぁ……それにしても広い道ね?」

 街路樹のプラタナス並木を見つめながら詩織が呟く。

「函館という街は、昔から何度も大火に襲われたの、そのせいで延焼を防ぐ為にこうやって広い道を作って防波堤の役目をしていたという事、ここ以外にも『二十間坂』なんかもその役割をしているのよ」

 鮎美の視線の先にはきらめく函館港のさざなみが写り込んだようにキラキラしている。

「鮎美ちゃんはこの街が好きなのね?」

 さっきまでの険呑な雰囲気がウソのように穏やかな顔で詩織は鮎美の事を見る。

「えっ?」

 鮎美はまるで毒気を抜かれたような表情で詩織の横顔を見る。

「ううん、この街の事を愛しているんだなぁって思ってさ、案内してくれている鮎美ちゃんの表情は、まるで好きな人を紹介しているような、そんな顔をしていた」

 鮎美の表情が一気に真っ赤になる。

「そ、そんな事無いよ……ただ、この街の良い所を紹介したかっただけ……だって、これだけ良い街なんだもん、好きになってもらいたいし……」

 鮎美は視線を泳がせながらそう言う、その様子を見て詩織は微笑む。

「街を好きになってもらいたいかぁ……鮎美ちゃんやっぱりこの街の事が好きなんじゃない」

 俺もそう思うよ、自分の生まれ育った街にそこまで思い入れが持てるって言うのはやっぱり良い街なんだろう、こっちに来て数ヶ月だけれど、ボクもこの街を気に入ってきたよ。

 鮎美の隣で有希も微笑む。

「さて、有希ちゃん、このあたりで小腹が空いたんだけれど、良いお店知らない? パフェとかあると非常にうれしいんだけれど」

 ペロッとピンク色の舌を出す詩織に、鮎美と有希は呆気に取られたような表情を浮かべながら顔を見合わせる。

 あはは、そうだ、こういう娘だったよな……甘い物好きというのか、常に小腹をすかせているのではないかと思うほどよく喫茶店とかに連れて行ったよなぁ。

 優しい微笑を向ける有希に、なんとなく頬を赤らめる詩織。

「だったら鮎美の家にいくか? 喫茶『シオン』のパフェは絶品だよ」

 有希の意見に戸惑う鮎美に対し、目をキラキラときらめかせる詩織。

「鮎美ちゃんの家って喫茶店なの?」

 ワクワク……そんな顔をして詩織は鮎美の顔を覗き込む。

「ウン、そうだよ、喫茶『シオン』のパフェは美味い! これはボクが保障するよ……ね?」

 ウィンクをしながら鮎美を見ると、ちょっと照れくさそうな、それでもちょっと自慢げな表情がその顔に浮かんでいる。

「ウ〜ン、どうだろう、でも、お父さんのパフェは美味しいと思うよ? ちょっと贔屓目入っているかもしれないけれど……」

「いや! あれは美味い!」

 思わず断言する有希に驚いた表情の二人の視線が突き刺さる。

 アハ……だって、美味しいんだもん。

「決まりね? 鮎美ちゃんの家にレッツゴ〜!」

 詩織はフッとした笑顔を浮かべながら一人歩き出す……が、数歩歩いた所でピタリと止まる。その様子に有希と鮎美はポカンとした顔で見つめる。



「へぇ、ここが鮎美ちゃんの家なんだぁ、すっごぉ〜い、お洒落な喫茶店ね?」

 お店の前で詩織は古臭いながらも、ちょっとロマンを感じさせるその店構えを感心したように見上げている。

 確かに、外壁にツタが絡まっている感じといい、和洋折衷の函館独特の造りの家はこの街の風景にマッチしたような感じだよなぁ、鮎美は『古臭いだけ』なんて言っていたけれど、いい雰囲気ではあると思うよ。

「褒めなくっても、今日はおごるよ」

 ちょっと照れたような表情で鮎美は詩織の事を見る、やはりその表情には最初に出会った時のような剣呑な雰囲気は感じられなくなっている。

「お世辞じゃないわよ本心よ、そして、この隣の美容室が有希ちゃんの家なのね?」

 詩織の視線は、その隣にあるどこの街にでもあるような平凡で小さな美容室に向き、ニッコリと有希の顔に向く。

「ウフ、なんだかホッとするな? 今まで綺麗な建物ばかり見ていたからなんとなくこの街の生活が垣間見る事ができるかも」

 詩織はそう言いながら、あまり綺麗では無い有希の家と鮎美の家を交互に見つめる。

「そう言うもんですかねぇ……暮らすにはちょっと古臭いだけですよ?」

 この辺りは条令で目立ったリフォームをする事ができず、少し不便だと真澄さんがこぼしていた事を思い出す。

「そういうこと、さ、入って」

 有希の話に鮎美は頷きながらそう言い、詩織を招き入れるようにお店の扉を開く。

「お父さん、ただいま!」

 扉についているカウベルの音と同時に、お店の中にかかっているBGMがちょうどいいボリュームで流れてくる。

「おぅ、お帰り……有希ちゃんもいらっしゃい」

 マスターはそう言いながらカウンターの中から笑顔を見せるが、有希の隣でお店の中を見渡している詩織を見て首をかしげる。

「適当なところに座っていて、あたしちょっと着替えてくるから」

 鮎美はそう言い、母屋につながるカウンターの奥に姿を消し、すれ違いにマスターが笑顔を浮かべながら二人の元にお冷を運んでくる。

「いらっしゃい、有希ちゃんこちらの可愛い娘ちゃんは誰だい?」

 マスターはそう言いながら詩織の顔を見ると、少し恥ずかしそうにしながらも元気よく頭をペコリと下げる。

「はじめまして、菅野詩織です」

 その声にマスターは笑顔を浮かべながらおしぼりを詩織と有希の順に置いてゆく。

「彼女は、東京の高校生で、研修旅行でここに来たんだよ」

 有希はホッとした顔をしながら手元に置かれたお冷に口をつけるが、その言葉に詩織はちょっと驚いたような表情を浮かべて有希を見つめている。

「研修旅行? 修学旅行とは違うのかい?」

 マスターが不思議そうな顔をして詩織の顔を見るのも仕方がないことだろう。

「はい、修学旅行は高二の時にありました、それとは別にこの研修旅行があるんです」

 その答えに、マスターの首は横に九十度近く傾く。

「ウフフ、うちの高校は基本的に付属の大学に進学するんですが、その選考の時にこの研修旅行のレポートを各人でテーマを決めて提出するようになっているんです」

 そうだ、ボクが一番苦手な教科だったけれど、思わぬことで免除されたよな? もしあのままだったら今頃……。

 有希はちょっと苦笑いを浮かべながらマスターにその説明をしている詩織の顔を見る。

 忘れたくない……かぁ。

「……だから研修なんです、でも、ほとんどの人は修学旅行の第二弾みたいに感じているでしょうけれどね?」

 クスッと微笑む詩織に、有希はちょっと胸が高まる。

〈勇気……あなた今でも詩織さんの事?〉

 有希の意識がフッと浮かび上がる。その意識はちょっと怒っている様な感じに受取れる。

 ――かもしれないかな? そう簡単には忘れられないって鮎美も言っていただろ?

〈でも、ちょっと複雑かも……〉

 何で?

〈何となく……だよ〉

 なんだ? まさかお前、やきもち妬いているんじゃ……。

 有希がそんな意地の悪い意識を送り込んだ瞬間、自分の顔が一気に火照る感覚に陥る。

「有希ちゃんどうしたの? 顔真っ赤だよ?」

 詩織がそんな有希の様子に首をかしげる。

「へ? いや……なんでもないよ」

 有希は頬に手をやり、視線をテーブルに落とす。

 なんだ? どうしたんだ?

〈……ばか〉

 その一言を残して有希の意識が頭の中から消えてゆく。

 ばかって……おい、有希?

 有希の問いに答えられる事はなかった。



=過去に見える勇気=

「そうなんだ、有希ちゃんって記憶喪失で……でもそうは見えないよね?」

 そりゃそうでしょ? まさか自分の中にいる女の子が教えてくれて、その実態は男の、詩織のよく知っている勇気だなんてだれが信じるんだ。

「ところで有希ちゃん、あなた拓海の事をどう思う?」

 ――いきなり話が飛んだなぁ。

「どうって……良い人だよ」

 有希のその一言に詩織は、哀れむような顔をして天を仰ぐ。

「ハハ、それって『良い人』というだけで、それ以上でも以下でもないと言う事?」

 詩織の言っている意味がよくわからず、有希は首をかしげるだけで、そんな有希に詩織は顔を近づけてくる。

「……ねぇ、有希ちゃんって男の人に恋した事ある?」

 いきなりの詩織からの問いに再び有希の頬が赤らむ。

「な、何をいきなり」

 動揺している有希に対し、詩織はほくそ笑むような笑顔を向ける。

「ないのね? やっぱり……」

 自分の考えが当たったといった顔をしているけれど、何でこの場でそんなことを話すんだ?

「あたしの感なんだけれど、拓海は有希ちゃんの事が好きよ? 当然ながらそれは『Like』ではなく『Love』の方ね?」

 詩織の言っている事が有希の頭の中に留まる事をしない、まるで他人の話を聞いているような、そんな感じでいるが、じっと見つめる詩織の視線は外れることなく俺に向いている。その視線はまるで何かを探っているような、そんな瞳の色をしている。

「そ、そんな、ボクは……」

 そう、俺は女の子の格好をしているけれど中身は男、徐々に慣れてきたとはいえ、意識の中には『勇気』の記憶が残っている。

 有希は動揺を隠そうと無意識に自分の鼻先を中指でポリポリと掻く、その姿を見た詩織は最初こそ驚いた表情を浮かべていたものの、その顔は徐々に優しい微笑みに代わっていく。

「……ふ〜ん」

 詩織は鼻でそう頷き、有希の顔をじっと見つめるが、その瞳には徐々に涙が浮んでくる。

「ど、どうしたんだ……の?」

 慌てる有希が詩織の肩をつかんだところに鮎美が着替えを終え二人の元に顔を見せる。

「詩織さん? どうしたの、何かあったの?」

 そう言いながら、鮎美は事の経緯が知りたいといった表情で有希の顔を見るが、有希もそれには首を振るだけだった。

「ゴメン……ちょっと彼の事を思い出しちゃって」

 詩織のその一言に有希は反射的に顔を向け、鮎美も驚いたような表情を浮かべている。

「……彼って、彼氏の事?」

 有希は冷静を装いながら涙を拭っている詩織を見ると、僅かに震えているその小さな肩を上下させてコクリと頷く。

「うん……似ているの、有希ちゃんと彼……広川君の表情が……」

 しんみりした顔で詩織は有希の顔を覗き込んでくる。

 そりゃ似ているだろうよ……姿形は違うけれど、中身は広川勇気なんだから。

「そ、そんなに似ているの? 有希と……その彼氏は」

 鮎美は興味津々と言うような感じに詩織に詰め寄り、今更になってなのだが有希の顔をジッと見つめてくる。

 そんなに見つめられるとちょっと恥ずかしいなぁ……。

「う〜ん、背格好は全然似ていないし顔も全然違うよ、彼よりも有希ちゃんの方が全然可愛いから心配しないで?」

 やっと詩織の顔に笑顔が戻るが、まだ泣き笑いといった風である。

「ただね仕草が似ている……というよりも、同じ仕草をするの」

 その一言に有希と鮎美は詩織にばれないように顔を見合わせ互いゴクリと息を呑む。

「へ、へぇ〜、でも詩織さんの彼氏なんだから、きっとカッコいい人だったんでしょ?」

 意地の悪い顔をして鮎美が言うと、詩織は困ったような、微妙な笑顔を浮かべてチラリと有希の事を見る。

「う〜ん……カッコがよかったかは別にして……」

 苦笑いを浮かべる詩織の表情はさっきの涙をたたえていた時のような表情はない。

 別にされちゃうんですか? それはちょっとショックかも……。

「でも、良い人だったよ、無愛想な人だったけれど、でも本音は優しい人だった、バイクで転んだのだって猫を避けようとして転んだらしいし……」

 気のせいか詩織の視線が俺の事をずっと見ているようだけれど……。

「あたしが彼に惚れたのもそんな所かな? 気が落ち込んでいる時とか、調子が悪い時なんて、気が付かないうちにあたしの近くにいてくれていた、それだけで落ち着く事ができて、気がついたら彼に惚れていたのよね?」

 恥ずかしそうに頬を朱に染めて、その時を想い出すかのように詩織は宙を見つめながら穏やかな表情でそう話す。

「そうだ、写真見る?」

 その一言に鮎美は食いつくような勢いで顔を詩織に近づける。

「あるの? 見せて!」

 詩織はニコニコしながら定期入れに入っている一枚の写真を取り出す。その写真は淵が少しボロボロになり、何度も取り出している事を物語っている。

「へへ、ずっと入れっぱなしだからちょっとボロボロになっちゃったけれど」

照れ臭そうに詩織が差し出す写真には引きつった笑顔を見せる勇気と、満面の笑みを浮かべている詩織のツーショット写真。

 これは修学旅行の時に一緒に撮った写真だ、いきなり『一緒に写真撮ろう』と言われて、照れくさかった記憶がある。

「去年の修学旅行の時、彼に無理言って一緒に撮らせてもらったの」

 頬をちょっと赤らめながら詩織はその写真を愛おしそうに見つめる。

「へぇ……これが、勇気……」

 その写真に写っている男の子は、ハンサムとかイケメンというような美男子ではない、悪い言い方をすればどこにでもいるような造形であまり目つきも良くない、しかしその隣に写っている詩織の表情は同性から見ても可愛らしく見えるような笑顔をこぼしている。その笑顔だけで勇気に恋している事がよくわかる。

「あれ? 鮎美ちゃんに彼の名前を教えたっけ?」

 詩織は首をかしげながら鮎美の顔を見つめる。

「アッ、エェ〜っと……拓海君に教わったの、確か……」

 苦しい言い訳をしている鮎美の横で有希は苦笑いを浮かべながら、懐かしい男時代の自分の写真を見つめている。

〈これが勇気なんだぁ……〉

 意識の中に有希が感心したような感じで現れる。

 どうだ?

〈ふ〜ん……まぁ、合格点をあげてもいいかしらね?〉

 意地の悪い感覚が有希の頭の中に広がる。

 なんだよそれ、ということは、俺はギリギリって言う事か?

〈そう言う事、でも……予想通りかな?〉

 有希はそう言いながら意識の中から消えていく。

 予想通りってどういうことなんだよ!

「……き、有希?」

 意識と会話しているうちに鮎美の顔が間近にあることに気が付き、慌てて体をそらす。

「ちょっと、大丈夫なの? あなたたまにそうやってボケッとしているけれど、まさかまた病気が再発したんじゃぁ……」

 心配そうな表情で鮎美は有希の顔を見つめてくる。

「ウウン、大丈夫だよ、ちょっと考え事をしちゃうんだ」

 照れ笑いを浮かべながら有希は鼻先を中指で掻く。

「変な有希……でも気をつけてね? また病気が再発したら……」

「病気って? 記憶喪失の事?」

 二人の会話に詩織が口を出す。

「うん、実は有希はね……」

 鮎美は、勇気が有希になった時の話をゆっくりと話し出す。当然有希が勇気であるということは伏せているが。

「……と言う事なの、だからちょっと心配なのよね?」

 鮎美の心配げな表情が再び有希に向く。

「確かにそうかもしれないわよね? 原因がわからないというのが一番怖いわよね? ちゃんと病院行っているの?」

 まるで母親のような表情を浮かべる詩織。

「ウン、月に一回定期的に通っているから……今のところは心配ないって……」

 月に一回検診を受けるが、それで問題があったことはない、確かに有希が倒れた理由がわからないというのは心配ではあるが。

「じゃあ鮎美ちゃんも有希ちゃんが倒れた時心配だったでしょ?」

 詩織の一言にその時の事を思い出したのか、いつもの明るい鮎美の表情が一気に曇る。

「心配だった……おばさんはダメかもなんて言うし、そうしたら目の前が真っ暗になっちゃって、涙がボロボロ出てきて普通の精神状態じゃなかった」

 気がつけば鮎美の目には涙が溢れ、頬にはいく筋も涙が伝っている。

〈鮎美そんなに心配してくれたんだ……ゴメン〉

 涙声で有希の意識が浮かび上がってくる。

 いい友達だよな? 鮎美は……。

〈ウン……一生の友達……〉

 そうだ、鮎美のようないい子はいないよ……。

〈ウン〉

「そうだよね? でも記憶喪失だってまだ目の前にいてくれるから良いよ……いなくなっちゃったら本当に心の中にポカンと穴が開いちゃったみたいになっちゃう」

 気がつくと詩織の目にも涙が溢れて、手元のテーブルにそれが雫となって落ちている。

「詩織さん、ごめんなさい、あたしそんな……」

 申し訳無さそうに鮎美は詩織の肩をそっと抱きしめるが、詩織が顔を上げることはなく、BGMにかき消されながらも店の中に嗚咽が響く。

 詩織にこんな辛い思いをさせてしまうなんて俺は最低の男なんなんだよ……。



「ごめんなさいこんな所で大泣きしちゃって、迷惑かけちゃった……」

 詩織は目を真っ赤にしながら、カウンターで見ぬ振りをしていたマスターにペコリと頭を下げると、マスターもバツ悪そうに手を横に振る。

 マスターも良い人だよな?

「気にしなくっていいよ、どうせ客なんていなかったんだし……」

 鮎美の目も真っ赤に充血している。

「アハ、そんな事をいって、お父さんに怒られるわよ?」

 やっと笑顔を浮かべる詩織の顔を有希一人はまともに見ることができないでいる。

 有希になってこんなに辛かったのは初めてだ、いっそうの事自分の正体を彼女に伝えてギュッと抱きしめたかった。でもできる訳がない、俺は女なんだから……。

「有希ちゃんもゴメンね」

 有希の顔を覗き込んでくる詩織は心底申し訳なさそうな顔をしている。

「ウ、ウウン平気……だから」

 辛そうな顔をしている有希を怪訝な顔をしながら詩織は顔を離す。

「じゃあ、ご希望通りのパフェでも食べる?」

 鮎美の一言に詩織は笑顔を浮かべてコクリと頷く。

「有希もいつものやつで良いでしょ?」

 そんな有希を励ますようにわざと背中をパンと叩きウィンクする鮎美。

「痛ったいなぁ、本気で叩いただろう鮎美ぃ」

 顔を上げると鮎美はニッと口を横に広げて有希のわき腹に手を入れてくる。

「やっ、やめて、くすぐったいってぇ〜ウヒャヒャヒャ」

 わき腹をくすぐられて声を上げて笑い出す有希を見て詩織はホッとしたような顔をしている。

「やっぱり有希ちゃんと鮎美ちゃんはそんな仲だったの?」

「違うよぉ〜」

第二十二話へ。