第九話 バイトのススメ



=恥じらい?=

「次の授業は……体育」

 ついにきてしまった……。

 ドンヨリとした顔をし、有希は巾着袋を持ちながら重い足取りで廊下を歩いている。

前回の体育の時は、生まれてはじめて女の子になった為に見学で済んだのだが……さすがに今回は逃げられないよな……あれはあれで……。

 前回は体育の授業があるという前日、有希は生まれて初めて『女の子の日』になった、真澄に用意してもらったり、学校では鮎美に聞いたりして何とかしのいだが、なれない有希はその事事態に右往左往しているだけだった。

お腹というか背中というかは痛くなるし、色々と気にしなければいけない事があったり、あんな事とこれから一生近く付き合うのかと思うとブルーになるよ……はは、確か『ブルーデー』とも言うのかな? しかし、女の子の機嫌が悪くなると言う意味を、身をもって知ったよ……確かにこんな事が毎月おきるなんて、憂鬱だが……今目の前にある問題に俺はこれから立ち向かわなければいけない。

「女子は体育館でバスケットボール、男子は校庭で持久走だって、ご愁傷様ねぇ」

 隣で鮎美はそう言いながら笑っているが、有希はそれどころではなく、まるで、死の宣告を受けに行くようなそんな感覚が有希の表情を曇らせる。

 着替えなんてしないで済むのであればいいのだけれど、体操服がある以上はそれに着替えなくてはいけない、着替えると言う事は……どわぁっ!

 気がつくと怪訝な表情を浮かべながら鮎美は有希の顔を覗き込んでいる。

「ん? おぉ? なんだ? どうかしたのか?」

 慌てた有希はつい男言葉になってしまう、大分慣れてきているけれど、やはり気を抜くと男言葉になってしまうらしい。

「どうかしたって……それはこっちの台詞よ、どうしたの? 浮かない顔しちゃって」

 ――男時代だったら浮かれる状況だけれど、正直今の俺の気持ちは浮かれる事なんてできない、というよりもはっきり言って憂鬱だ……。

「だってよ……体育だぜ?」

 ドンヨリした顔で有希が答えると、鮎美はまるで友を得たような笑顔を浮かべる。

「有希も体育嫌いなの? アハ、あたしと同じだねぇ、あたしもあんまりスポーツって得意じゃないのよ、特にバスケットボールは……」

「違う……もっと問題は根底に有るんだよ……」

 ちょっと語尾が強くなる有希の台詞に鮎美はキョトンとした顔をしたまま首を傾けながら有希の顔を覗き込んでくる。

「根底? 何かあるの?」

 自然と足を止める鮎美に合わせるように足を止める有希。

 到着してしまった……更衣室、そう『女子』更衣室に……。

 女の園と書かれているように見えるその文字の前で深呼吸するものの、鮎美の開いた扉の前で再び足を止め、そこに入る事を躊躇していると、じれったそうに鮎美が手を引く。

「早く入らないと男子が覗くじゃないのよ」

 鮎美に引かれた勢いでその園の中に入ると、様々なコロンの香りやらがミックスされた淀んだ空気に咽かえりそうになり、目隠しのパーテーションの前で立ち止っていると鮎美が再び首をかしげながら覗き込んでくる。

「どうしたの?」

 少ししかめ面をした有希に、不思議そうな顔をしている鮎美の顔が近づく。

「だってお前……ここは更衣室だぞ?」

 有希の一言に何かを悟ったように鮎美が頬を赤らめる。

「有希、なに考えているのよぉ、えっち」

「違う、そんなことは既に自分の身体で見慣れたよ、男が男の身体を見て喜ばないだろ? それと同じだ、それにこの身体で女子の着替えを見て喜んでいたら、ただの変な奴になっちまう、そうじゃなくって、着替えの内容だ」

 有希はそう言いながら自分の持つ巾着袋をバンと叩く、その中には体操服、いわゆる女子専用の体操服が投入されている事は、さっきの休み時間に確認済みだった。

「なんで? そんな事気にする事ないじゃない、ほら、授業に遅れちゃうよ」

 鮎美はそう言いながら、有希の腕を引き更衣室の中に入り込んでゆく。

「青葉さん、高宮さん、早く着替えないと遅れちゃうわよ?」

 あまり飾り気のない純白の下着姿で都が二人を見る……にこやかな顔をして……周囲を見渡せば、あちらこちらで色とりどりの下着姿の女子が、函館港にいるウミネコのようにキャァキャァ言っており、有希は目のやり場の困ったようにうつむいてしまう。

「ウンわかっている! ほらぁ、有希もう観念しなさい!」

 隣で鮎美が返事をしながら有希の腕を引き、有希は引きずられるような格好でその色とりどりな下着娘たちの中を歩いてゆく。

「本当は、出席番号のついたロッカーを使うのが決まりなんだけれど、みんな好きな所を使っているの、あたしはいつもここなの」

 カーテンの引かれた窓から少し離れ、蛍光灯の光だけでは薄暗いような場所にあるロッカーの扉を開きながら鮎美はそう言い、おもむろに胸のスカーフを外し取ると、脇にあるファスナーを上げはじめる。

「わぁ、鮎美、お前何やっているんだよ」

 慌てて有希は鮎美から目を離すが、その視線の先にもカラフルな下着姿の同級生が着替えを続行させており、その視線は彷徨い過ぎて目が回りそうになる。

「何って……着替えに決まっているじゃない? 変な有希」

 背けた有希の背後では、布のすれる音がして、その音の意味に有希の頬が赤らむ。

「……べ、別に変じゃないよ……わよ」

 わき目でチラッと鮎美を見ると、既にその姿の上体は体操服に代わっており、スカートを持ち上げ、もぞもぞとお尻のあたりで手を動かしている。

「なにやっているんだ?」

 ホッとしたような顔をしながら有希が鮎美の顔を見ると、当たり前のような顔をしながら有希の質問に答える。

「何ってブルマーを履いているんじゃない」

 そう言いながら鮎美はスカートのホックを外し、それを床に落とすとその瞬間有希の頬が音を立てたように赤くなり、再び身体を反転させる。

「何しているのよ、ほら有希も早く着替えないと遅れちゃうよ? さっきからずっと変だけれどどうしたの?」

 ジャージのズボンを履きながら鮎美は有希の顔を見上げている。

「変って……それのせいだよ」

 エンジ色のジャージからは雪国の女の子らしい真っ白な太ももがまだ隠されず、有希の指差す先には紺色をしたブルマー。

「それって……これ?」

 鮎美は気にした様子なくそれを引っ張ると不思議そうに首を傾げる。

「この間履いたじゃないの……尻尾がついていたけれど……」

 その時の事を思い出したのか鮎美の表情が曇る。

「あの時はスカートの下に履いていたから気にならなかったんだよ、今日は違うだろ?」

「ジャージを上に履くからいいじゃない……変な有希」

 そういう問題じゃないと言いたいが、生まれながらに女の子だった鮎美にはわからないだろう、俺がなぜそこまで頑なになるのかが……。女の象徴なんだよ俺の中でのブルマーは……。

「青葉さんまだ着替えていないの? 体育館まで行かなきゃいけないから早くしないと」

 鮎美と同じエンジ色のジャージに着替えた都が迎えに来るが、まだ制服姿の有希を見て呆れたような顔をする。

「わかったよ……今着替えるよ……」

 ここまでだ……さらば男の俺……。

 有希は目をつぶり、スカーフに手をかける。



=得意教科=

「パァ〜ス、こっちだ!」

 外で持久走をしている男子の吐く息は真っ白でまるで真冬を思わせるような陽気だが、それとは逆に熱気のこもった体育館の中、センターコートに有希の元気な声が響きわたっている。

「都! こっちだ、こっちによこせ!」

 思わぬところでボールを取ってしまい、まるで『どうしましょう』というような表情でボールを持ちアタフタしている都に有希の声がかけられる。

「アッ、ハイ」

 有希のその声に無意識に都は反応し、目をつぶりながら投げたボールは奇跡的にも有希の胸元に飛んでくる。

「ナイスパス、都……さてと……」

 ダムダムダム……。

 有希はその場に立ち止まり、ボールをその場にバウンドさせコートの中に視線をまわす。

「有希にボールが渡った! ディフェンス! ゴール下について!」

 バスケ部の部員であろう少女A(基礎知識、応用共に未登場のためこう呼ばせていただきます)が、必死に周囲の女子に声をかける、その表情は十分に本気だ。

 ヘヘ、そうこなくっちゃ、さてと……鮎美かぁ……。

 ペロッと唇をなめる有希はゴールまでのルートを図っていると、鮎美の姿が目に入ってくる。

「そこだぁ!」

 有希はドリブルをしながら鮎美に向かって突進してゆくと、その様子に躊躇した鮎美はその場であたふたと手を振るばかりだった。

「ダメ、有希来ないで!」

 鮎美の視界から有希が消え呆気に取られていると、鮎美の隣をすり抜けるように有希の小さな体が通り過ぎる。

 よし! これでゴールまで一直線……だ?

 有希の視界にいきなり先ほどの少女Aが現れ、その行く手を阻むように両手を広げている。

「行かせないよ!」

 さすがバスケ部員(たぶん)俺の動きを読んでいたのか……。

 ドリブルをしながら身体を反転させるが、有希の小さな体にのしかかるように背後からプレッシャーをかける少女Aの大きな体は離れる事がない。

 まいったなぁ……体が小さすぎてフェイントで逃げようにも体全体を覆われているみたいで行く手がないよ……味方との間には敵がいるし……敵?

何回か身体を反転させると、目の前にはあたふたした顔の鮎美がいる。

 ヘヘ鮎美がいたんだっけ? ゴメン!

 有希の体が一気に鮎美に向かうようにダッシュしフェイントをかけるように体を反転させると、慌てた少女Aの体が有希の目の前から一瞬消え、その先にはゴールリングが見える。

「ここっ!」

 スナップを効かせながら有希は持っていたボールを投げ、それが綺麗に放物線を描きながらネットを揺らす。一瞬の間があったかと思うと同じチームの女の子から黄色い歓声が沸き起こり、それに対して有希は手を振りながら愛嬌よく答える。

「たいした物ね? あんな無理な体勢であの隙間からシュートを打つなんて……有希ってそんなに運動神経よかったっけ?」

 少女Aは目を白黒させながら有希の顔を眺めている。

「アハハ、そ、そんな事ないよ……たぶん病気のせいなのかな?」

 有希ぃ、この娘は一体誰なんだぁ。

〈……確か神宮寺舞(じんぐうじまい)ちゃん、バスケ部の部員……でもあたしもあまり話したことないから良く知らないのよね?〉

慌てる有希の顔を面白いものを見たような顔をして見つめるショートカットの舞は、見たからに体育会系という感じがする。

 文科系の部員と体育系の違い、いや、有希の場合は帰宅系になるのか?

〈アハハ、そうかも……〉

「ヨォ〜ッシ、やられっぱなしじゃつまんない! 行くわよぉ〜!」

 舞は床に転がっていたボールを手にするとジャージの上着を脱ぎ捨て、挑戦的な目で有希の顔を睨みつけてくる。

 ハハ、やっぱり体育会系のノリだな……そんなの嫌いじゃないよ?

 有希もジャージを脱ぎ捨て、半袖の体操服の袖を肩まで捲り上げる。

「有希まだやるのぉ〜」

 半泣きの声を上げる鮎美を尻目に、再開されたゲームに有希は飛び込んでゆく。

〈あなたあまりあたしの身体で無茶しないでよね?〉

 俺は結構この体が機能的にできていると言う事に気がついたよ、小さいながらも高性能、まるで日本で作っている車のようだぁ。

〈なにそれ、あ〜ぁ、明日間違いなく筋肉痛になるわよ?〉

 ため息をつきながら有希の意識が消えてゆくが、有希のその目はキラリと動くバスケットボールを見つめてそれに突進してゆく。

「カットだカット! ボールを奪え!」

 大きな声を上げながらコートを走り回る有希を鮎美は呆れたように見つめている。

「なんだか生き生きしているなぁ……有希」

 寂しそうな顔をしている鮎美に都が声をかけてくる。

「青葉さん言い顔しているよね? 前も元気元気だったけれど、それにも増して元気になったみたい……まぁ元々ね?」

 都の一言に鮎美は苦笑いを浮かべながらその視線を元気に走り回っている有希に向ける。

「元気になったのはいいんだけれど……ばれちゃうぞ、あいつ……」

「ほらぁ〜、こっちにパスまわして! あぁ〜ちっくしょぉ〜!」

「……男丸出しじゃない」

 女言葉を使いながらも、熱くなってくると男言葉になる、そんなのを繰り返している有希に鮎美は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「終了〜」

 ホイッスルが鳴ると有希はその場にヘタレ込む。

 つかれたぁ〜……やっぱり有希の身体は運動不足だ……鍛え方が足りんぞ。

〈だから言ったでしょ?〉

 息が乱れて立つ事がままならない、体中から汗が吹き出し気持ちが悪いぜ。

〈ちょっと大丈夫? もぉ〜あたしの身体にそんな無茶させないでよね?〉

 わりぃ……ムキになっちゃったよ……あぁ〜でも思い切り身体を動かして気持ちいいかもしれないな、久しぶりだこんなに動いたの。

 床に大の字になっている有希の顔はどこか満足そうな表情を浮かべているが、そんな有希が心配になったのか鮎美と都、それに舞が顔を覗き込ませてくる。

「有希大丈夫?」

 心配顔をする鮎美に有希は微笑んで答える。

「青葉さん楽しそうだったわね? いつもの元気娘に戻ったみたいで安心したよ」

 有希の中に勇気がいる事を忘れたような発言をする都に苦笑い。

「有希、漫研じゃなくってバスケ部に入りなよ、有希だったらポイントガードが務まるよ」

 舞はニコニコしながら大きな身体を有希に摺り寄せる。

「いや……そんなたいした事じゃないから……」

 そっと断りを入れる有希の身体をその大きな身体が包み込んでくる。

「たいした事よ、このあたしからゴールを奪うほどのバネの持ち主なんだから、この小さな身体のどこにそんな力があるのかしら」

 舞はスリスリと有希の頭に頬を摺り寄せると、それを見ていた鮎美の瞳がつりあがる。

「有希! チャイム鳴ったんだから早く着替えに行きましょう!」

 普段からは予想できない力で鮎美が有希の腕を引くといとも簡単に舞の呪縛から有希の身体が離れ、舞は少しつまらなそうな顔をする。

 ――鮎美ってたまにすごい力を発揮するよな?



=LUNCHTIME=

「有希ちゃんは、連休どうするの?」

 金髪ツインテールを揺らしながらミーナが有希の顔を覗き込んでくるこの場所は、この学校で一番自慢の学食、そうして現在は世間一般的にはお昼休みという時間。

本来であれば教室でお弁当箱を突っついているのだが、本日に限っては学食でのAランチというメニューになっている。これは昨日の夜から茜が風邪をひいてしまい寝込んでいるための緊急処置で、友達思いの鮎美や都が一緒についてきてくれ、そこに、この学食の常連客でもあるミーナが加わったというのが現在のこの構図だ。

「連休かぁ……どうしようかな?」

 この身体になって既に一ヶ月以上が過ぎ徐々に慣れてきた頃だし、よく考えればこの函館という街の事をよく知らないよな? 夜景の綺麗な街とか、エキゾチックな街とよく言われているが、どうもイメージは自宅と学校の往復しか知らない。

 ハンバーグを口の中に放り込みながら有希が思案顔を浮べると、ミーナの顔がほころぶ。

「もしも決まっていないならバイトしない?」

 ニッコリと微笑みながら、食後のコーヒーを飲む姿が様になっているのはやっぱり血筋なのかなと、有希は感心した顔でミーナを見つめる。

 バイトかぁ、男の時代にやっていたのはガソリンスタンドやコンビニだったけれど、女の子がやるバイトってどんなのだろう……。

「バイトだったら、うちのお店でやればいいじゃない!」

 ミーナの突きつけてきた提案を、鮎美が慌てた様子でその意見を遮る。

「でも、鮎美のお店はバイト雇うほどじゃないでしょ?」

「はぐぅ……そうかも知れないけれど……」

 ミーナは涼しげな表情で言うが、それに打ちのめされたような表情を浮かべる鮎美は黙り込んでしまい、それを見届けたミーナは再び有希の顔を覗き込む。

「どうかな……あたしも一緒だから心配する事ないけれど……」

 懇願するような蒼い瞳を潤ませながら覗き込んでくるミーナの顔に有希は言葉につまる。

 男だったら間違いなく騙され……いや、二つ返事で応じるよな? こんな表情をされた日には男なんてイチコロだ。

 不意に男心が持ち上がってくるが、それを押し殺しながら有希は付け合せのサラダにフォークを伸ばす。

「どんなバイトなの?」

 憮然とした顔をして鮎美がミーナを見る。

確かにそうだ、怪しげなバイトではないと思うが、それを受けるか受けないかはそれを聞いてからでも遅くないはず。

「ファミレスだよ? そんなに時給は悪くないと思うし、何より六時間以上やれば食事無料の特典付き、メニューにある料理なら何でもOKよ?」

 ……ウッ、弱いかも……料理食べ放題ですか? 今までそんなに美味しい……いや、おいしいバイトに巡り合ったことないかも。

 今まで動いていたフォークが止まり、有希のこめかみに一筋の汗が光る。

「実は一緒にバイトしていた女の子が……」

 ミーナが声を潜めながら有希に耳打ちする。

「えっ! バイトを口実にぃ!」

 ミーナが囁いた言葉に、思わず有希は大きな声を上げてしまう。

「ダメ、そんな大声を上げて言ったら……そういう訳で、人が足らなくなっちゃうのよぉ、お願い有希ちゃん、助けると思って!」

 まるで神様を拝むようにミーナは有希の鼻先で手を合わせる。

 俺はいわゆる頭数合わせなのかな?

 有希はサラダの直前でフォークを止めたままの状態で思案顔になる。

バイトかぁ……以前に言っていた茜の台詞『エンゲル係数が上がるよ』の一言が、いつまでも頭に残っていたことも事実だし、家計が苦しいのもよく分かっている。何とかここの家族の手助けをしたいと思った第一弾が、あの『茜専用踏み台』だ。鮎美に付き合ってもらって買った材木はこの前の日曜日にキッチンの踏み台に姿を変え、今では茜のお気に入りになっている。しかし、財政的に彼女たちを援護する事はできない、美容室というのはあまり儲からないものだと痛感したよ、しかも真澄さんは人が良すぎると言うか、サービス精神が旺盛というか、気風がいいと言うのか、採算度外視し過ぎているような気もしないでもないが、でも、少しでも俺があそこに役に立つことが出来ればな?

意を決したような顔をする有希にミーナをはじめとした三人の視線が一気に向く。

「……わかった、やらせてくれる?」

 有希のその一言に、鮎美と都は驚いたような表情を浮かべ、ミーナは満面の笑顔を浮かべる。

「きまりぃ! じゃぁ、今度の休みにお店に顔を出してよ、店長に紹介するから、大丈夫、有希ちゃんなら可愛いから絶対採用間違いなしだよ!」

 パチンと指を鳴らしながらミーナは有希にウィンクする。

 ん? 今ミーナの台詞の中に何か引っ掛かりがあったような気がするけれど……気のせいなのかな?

「場所は『漁火通り』沿いの『グランマ』だからすぐに分かると思うよ、夜は基本に七時までだから、今の時期はちょっと暗くなっちゃうけれど、明るい通りを選んで帰れば大丈夫だよ」

 ミーナのその一言に、自分が女の子であるという事を思い出させられる。



「そんな安請け合いして良いの? 真澄さんに相談したりしなくて……」

 どうやら鮎美はこの話に反対のようだな? さっきから頬を膨らませている。

「ウ〜ン、大丈夫だと思うよ? 真澄ちゃんの事なら……」

 一瞬頭に真澄のお気楽な顔が浮かぶ。まあ、心配していない訳ないだろうけれど、何かにつけて、自由奔放にやらせてくれるのは、真澄なりの有希に対する配慮なのかもしれない。

「そうかも知れないけれど……でも、漁火通りからこっちに帰るんじゃあ、結構暗い道を歩かなければいけないよ、怖いよ」

 まるで自分の事の様に身をすくめる鮎美に対し、有希は優しい笑顔を見せる。

「ハハ、大丈夫だよ、元々俺は……」

 有希のその台詞に、鮎美は口を尖らす。

「有希ぃ、言葉遣い!」

「わりぃ、元々ボクは男の子だったんだから、何かあったら、返り討ちにしてくれる!」

 二人は一瞬の沈黙のあと大笑いを始める。

「ソフトはそうでも、ハードは女の子よ? 大丈夫なの?」

「男の弱点はよく知っているつもりだよ? そこを突く!」

 有希はそう言いながら、足を高く垂直に上げる。

「やだぁ〜有希って、下品〜」

 鮎美はケラケラと笑いながら有希の顔を見る。

「下品って言うけれど、これほど効果的なものはないぞ? この痛みは口では表せない、それが口から飛び出るんじゃないかって言うぐらいだ」

 有希は股間を押さえてピョンぴょんと飛ぶ仕草をすると、怒る事無く鮎美は興味津々な表情で有希の事を見つめる。

「そんなになの? よく話には聞くけれど……」

 よほどその話に興味があるのか、鮎美は少し頬を赤らめながらも真剣な顔をして有希の顔を見つめてくる。

「アァ、あの痛みは男なら必ず一度は経験するからね、どんな大男でもアソコだけは鍛えられないから効果はある、本当に女には分からない痛みだよあれは、悶絶するよ」

 思い出しながら話す有希のその一言に、再び鮎美は微笑む。

「有希だって女じゃない」

 そうでした。

「アハハ、他にも男には弱点なんていくらでもあるさ、その弱点を知っているボクって、ある意味最強の女かもしれないね?」

 有希がそういうとちょっと鮎美の顔が曇るが、すぐに笑顔に変わった。

「そうね? 男の子にモテモテになるかもよ?」

 うーん……いい事なのか、なんなのか……分からないな? そういえば、

「鮎美、さっきから『漁火通り』って言うけれど、どこなの?」

 有希のその質問に、鮎美の顔は一気に呆れ顔に変化する。

「あなた、そんなこと知らないで請負ったの? 呆れちゃうわね……」

 そんな事を言っても、俺の知っているこの街はほんの一部だけなんだから。

 申し訳なさそうに、上目遣いで鮎美を見てうなずく有希。

「……はぁ、漁火通りは通称名で国道二二八号線が正式名称なの、よく『海岸通り』ともいわれているよ、ちょうど海沿いに湯の川温泉に向かう道で、夜になると漁火が綺麗に見えるから『漁火通り』と呼ばれているのよ、ここからなら宝来町を抜けていくのが早いけれど、夜になると暗いし、やっぱり函館駅前の本通を抜けたほうがいいかもしれないね? でもそうするとあそこまで結構時間が掛かるかも……」

 鮎美は思い出すように視線を泳がせながら一気に説明してくれる。

「だったらやっぱり自転車を使うしかないかな?」

 青葉家にある文明の利器、車とスクーターと自転車。自転車はあまり使っている様子がないから、特に問題はないであろう……まさかバイクというわけにもいかないだろうし。

「そうね、徒歩だとあのお店までは結構あるからその方が懸命かも……多分自転車でも二十分ぐらいかかるかも知れないよ」

 頭の中に地図を描いているのであろう、鮎美の視線は虚空を舞っている。

 『ふぁみりーれすとらんグランマ漁火通り店』が有希のバイト先の正式名称で、函館市内に何店舗かあるチェーン店らしく、ガイドブックなどにもよく掲載されているらしいのは後になって知った事だった。

「でも、あれだけブルマーを嫌がっていたわりには、あのお店の制服はいいの? フリフリのメイドチックな制服だよ? 可愛いけれど……」

 ちょっと憧れているように言う鮎美に対し、有希の表情は見る見るうちに曇っていく。

 忘れていた、そういう問題もあったんだ……しかし、今になって断るわけにもいかないし、だぁ〜、うかつだった!

「あ……アハ……アハハ、大丈夫でしょ? 何とかなるよ、アハハハハハ」

 派気のない笑い方だと自分でも認識しているし、頬がぴくついている自覚もある。

「へぇ、でもちょっと羨ましいな、あのお店人気があるのよ? 制服が可愛いから女の子にも、ある意味男の子にも……」

 そんなに可愛いんだ……それはちょっと好奇心を刺激されるなぁ。

「有希も男に口説かれないように注意したほうがいいわよ? それ目当ての男が多いらしいから、有希なんてすぐに声をかけられるんじゃない?」

 鮎美はちょっと膨れっ面で有希の顔を見る。

「ハハ、それはないでしょ?」

 有希がそういうと、今度はホッとした表情を浮かべる鮎美。

「フーン……分からないわよ? 猫をかぶっていると……」

「ありえないって!」

 有希はそう言いながら鮎美の頭をぽんぽんと叩くと嬉しそうな笑顔を浮かべる。

第十話へ。