第十二話 GoAhead



=T=

「ありがとうございましたぁ〜!」

 ライブハウス『おんぷ』の店内には、ランチの時に流れていたクラッシックとは違った大音量の音楽がかかっており、その音の大きさに耳が痛くなるほどだが、小さい頃からそのようなライブハウスに通い慣れている健斗の耳はすぐに慣れてしまい、気にもならなくなっている。

 最初はどうなるかなんて思っていたけれど、意外にこの仕事って俺に向いているのかもしれないな? 音楽も結構好みの音楽がかかったりするし、バータイムになると色々な人間関係が見えたりして小説のネタにもなりそうだ。

「坊や、だいぶ慣れてきたみたいね?」

 カウンターで他の客と話をしていたマキが、話を切り上げて健斗に声をかけてくる。

「どうにかですよ。マスターやマキさんがフォローしてくれるおかげです」

「ちょっと坊主いいか?」

 厨房からヒゲ面のマスターが、少し渋い顔をしながら健斗を手招きし、その様子にキョトンとした健斗とマキはお互いに顔を見合わせる。

「ハァ……いいッスけど、どうかしたんですか?」

 首を傾ける健斗の腕をムンズと掴むと、問答無用に引っ張られてゆく。

「坊主は確かドラムをやった事があると言っていたよな?」

 厨房を抜け、ライブをやるメンバーの控え室に向かうマスターは、そう言いながらグイグイと健斗の腕を引っ張り離そうとしない。

「ハァ、親父とかとセッション組む時はいつもドラムのパートですけれど……それが、いったいどう関係するんですか?」

 ドラムは楽器の中でも一番得意とする物で、他に弾ける楽器といったらキーボードぐらいしかない健斗は、首を傾がせながらマスターについて(引きずられ)歩く。

「今日ライブをやる予定だったバンドのドラマーが急遽来られなくなってな? 坊主にヘルプを頼むという事だ」

 おいおい、頼むって言う雰囲気じゃないんですが……どちらかというと拉致されているような気がして仕方がないんですけれど……それにいきなりヘルプでと言われても。

「待たせたな? ご希望のドラマーを連れて来たぜ?」

 控え室の扉をろくすっぽノックもせずにマスターが開くと、そこにいた人間の視線を一気に浴びる健斗は、そこにいるメンバーに眼を見張る。

 って……女ばっかりなの?

 ステージ衣装までの派手さはないものの、普段着るには少し奇抜な服を着ているのは女の子ばかりで、中にはかなりセクシーな衣装を着ている人もいる。

「あぁ〜っ! ケンちゃんだぁ!」

 ひときわ大きな声を出すのは、琴音と一緒にお店に来た時にランチを食べていたOLさんで、確か名前は赤坂莉奈さんといったかな? それにしても、二回目で人の事をケンちゃんと呼ぶとは、やけにフレンドリーな人のようだな?

 ニッコリと微笑む莉奈は健斗に対してパタパタと手を振っているが、その隣にいる全体的に小柄な身体をしてランドセルを背負っている女の子は怪訝な顔をして健斗を見据えている。

「彼がヘルプのドラマー?」

 にわかに信じられないと言うような顔をしている小学生のような(時間が時間だし、小学生がこの舞台に立てるわけがない)女の子が健斗の顔をマジマジと見つめると、軽くため息を吐き出し、苛立ったような顔をして連れて来たマスターを睨む。

「腕はいいと思うから心配するな」

「――パパがそこまで言うのなら……でもちょっと心配かも……」

 ちょっと待ってください? いまこの幼子はマスターの事を『パパ』と呼んだような気がするけれど、もしかして……マスターにはそんな趣味があったのか?

 疑い深い視線をマスターに向ける健斗に、マスターは慌てたようにその疑惑を否定する。

「ヘンな誤解をするなよ? そこにいるちっちゃいやつは正真正銘俺の娘だ」

「ちっちゃいなんて言わないでよねぇ? あたしだってちゃんとした社会人なんだから……はじめまして、あたしは名和田遥(なわだはるか)です。名和田剛(なわだつよし)の娘です」

 社会人? その体(ぼでぃー)で? しかもマスターの娘?

 クエスチョンマークを盛大に頭の上に浮かべている健斗に、マスターは少し照れ臭そうな顔をしながら他のメンバーの紹介を始める。

「遥はヴォーカルをやっている。あとリードギターがチカコで、キーボードがヨーコ。ベースが莉奈でドラマーに本当はヨシエという女の子がいるのだが……」

「――ヨシエはもうダメだよ? 結婚するって言っていたから」

 アフロヘアー寸前のチリチリパーマのチカコは、大柄な体をさらに大きく見せるように派手なボディーランゲージを交えながら話すと他の女の子たちの表情が曇る。

「今日だって本当は来られるって言っていたのに、そのフィアンセに止められたらしいよ? どうやらそのフィアンセさんはこういう騒がしい所は嫌いみたい」

ツインテールにしたヨーコは嫌味っぽくそう言いながら肩をすくめる。

「とりあえず、今日はお客さんが大勢来てくれているんだから、何とかやり遂げないといけないわよね? そのためにはケンちゃんの願い」

 顔の前で合掌する莉奈に、周囲の視線が再び健斗に向けられる。

「でも、いきなりでできるかなぁ……最近やっていないし」

 一番最近でも二年ぐらい前だぜ? いきなり本番はちとキツイかも。

「なに、お前にはあいつの血が流れているんだ、一曲終わるまでには完全に勘を取り戻す事ができると思うぜ? いつも曲を聞いては足でリズムを刻んでいたろ?」

 意地悪い顔をしながらマスターは健斗に紙を差し出してくる。

「これは?」

 受け取るとその紙には五線譜が書かれているスコア(楽譜)だった。

「ほとんどの曲がコピーだ。まだまだこいつらはオリジナルをやる腕なんてないからな? 坊主も知っている曲ばかりだから、曲の流れさえ掴む事が出来れば何とかなるだろう。他のメンバーも坊主が慣れるまではアドリブ禁止だからな?」

「パパ、さっきから彼の事を珍しく褒めているけれど、そんなにすごい人なの?」

 胡散臭そうな顔をしながら健斗の顔を見上げる遥に、マスターは高らかに笑い出す。

「あぁ、こいつは俺なんかと違ってサラブレットだからな? シノブカヤヌマの血が流れている実の息子なんだ、コピーバンドのドラムスぐらい簡単にこなすだろうよ」

 その名前があがった途端に、実情を知っている莉奈以外は目をまん丸に見開いて健斗の事を見つめてきて、遥にいたってはまるで憧れの人を見るように瞳をキラつかせている。

「シノブカヤヌマ様の息子さんが、あたしの目の前にいる……ぼ、坊ちゃん!」

 おいおい、飛躍しすぎでないかい? 坊ちゃんはやめてくれないかなぁ。



「やっほぉ〜! みんな今日も来てくれてありがとぉ〜!」

 ゴシックロリータ調の黒のワンピースに、なぜか赤いランドセル(これがトレードマークらしい)を背負った遥がステージに立つと、どよめきにも似た歓声があがる。

「遥ちゃぁ〜ん!」

「莉奈ちゃぁ〜ん!」

 結構人気があるみたいだなぁ、ちょっと気になるのは背広を着たサラリーマンに混じって怪しげな視線を向けているオタクっぽい男連中もいる事なのだが、いまの俺にはそれにかまっている暇はない、とりあえず今日の曲順とフレーズだけでも頭に叩き込んでおかないと、彼女らのステージをぶち壊す事になってしまう。

 熱いばかりの照明に照らし出されているステージ上のメンバーは、それぞれノースリーブかそれに似た少し露出度が高く(特にチカコさんはビキニといっていいほどの露出)、助っ人メンバーである健斗だけがお店のオリジナルTシャツを着ており、女だらけのこのバンドの中でかなりの異彩を放っている。

「きょうわぁ、ドラムのヨシエが急遽来られなくなったので、このお店のアルバイト君にドラムを手伝ってもらう事になりましたぁ! トチッてもご愛嬌でみんなよろしくね! じゃあ今日のファーストナンバーからいくよぉ〜っ!」

 チラッと遥の視線が健斗に向く。

 この曲はドラムのソロから入るからタイミングが取りやすい。きっとマスターが俺に気を使って一曲目に変更してくれたんだろう。

 スティックをカチカチと鳴らしながら、感触を確かめるようにスネアドラムを叩きだすと、それにあわせたように各パートがそのリズムに乗ってくる。

「Woo!」

 確かにこのバンドのレベルの高さは痛感するぜ、バンドというのはドラムとベースで曲の流れを作り、ギターやキーボードで曲を完成させる。俺みたいにシロウトに毛が生えたようなドラムのペースに一楽章も終わらないうちに協調させてきたよ、こいつはすげぇや……ウ〜ン気持ちがいいかもしれないぜぇ。

 心地良さそうな顔をしてドラムを叩いている健斗に、ヴォーカルの遥が近付いてくると、間奏の間に健斗に向かってウィンクしてくる。

「いいねっ!」

 グッと親指を立てる遥に、健斗はニコッと微笑んでいると莉奈も近付いてきて、心地良さそうな顔をして健斗にウィンクする。

 最高ぉ! 久しぶりにやると興奮するぜぇ!

 課題としていた一曲目が終わると、会場から割れんばかりの歓声が沸きあがる。それのほとんどがこのバンドのメンバーに対してのものだったが、その中の一部には、

「バイトくぅ〜ん! よかったよぉ〜!」

 MCをしている遥以外のメンバーの視線も健斗に向けられ、各々指をグッと立てながら健斗の事を賞賛してくれ、それに答えるように健斗もタオルで汗を拭いながら親指をグッと立ててそれに応え、暑く感じるスポットライトに目を細める。

 ヘヘ、いいねぇこういう感じ、嫌いじゃないよ。

「さぁ〜て、バイト君がノッてきたところで、Next!」

 次の曲はチカコのギターソロから入り、それにドラムで曲に勢いをつけるという曲だ、入りに失敗すると曲全部をぶち壊してしまう。

 スネアを乱打し、シンバルで勢いをつけると、その小さな体からなんでそんなパワーのある声がでてくるんだと思わせるような遥の声が入ってくる。

 すっげぇ声域だな遥さんって、その幼顔からは想像できないような声は腹から押し出されているようで、プロの歌手も顔負けじゃないのか?

 間奏に入り、舞台中央にはギターのチカコがソロ演奏をアドリブ交えながら演奏をしており、遥はその隙にドラムの脇に置いてあるペットボトルに入ったスポーツドリンクを取りにくると、健斗の顔を見ながら再びニッコリと微笑むが、顔や着ているブラウスも汗でびっしょりと濡れている事が分かる。



=U=

「だぁ〜っ! 疲れたぁ〜!」

 ライブが終わり控え室に戻ると同時に、健斗は倒れ込むように古いソファーにその体を投げ出し、用意してあった二リットル入りのスポーツ飲料を一気に飲み干してしまう。

「お疲れ!」

 そんな健斗たちを出迎えたのはマスターではなく、マキが微笑みながらみんなにタオルを渡していて、グッタリとしている健斗にはそのタオルを頭からかける。

「お疲れさん坊や、すごいわね? いきなりであそこまでできるとは思っていなかったよ?」

 優しい笑みを浮かべるマキに、健斗は苦笑いを浮かべる。

「知っている曲ばかりでしたから何とか乗り切りましたよ。それより他の人の方がやり難かったんじゃないですか? 何回か間違えたし……」

「そんな事ないよ! ヨシエには悪いけれどいつもよりもやり易かったような感じかな? ライブの後半になってまであんなに迫力あるドラムをバックにしたのは初めてかもしれないよ」

 ショートカットの髪の毛をタオルでゴシゴシ拭く遥はそう言いながら健斗の顔を見据えてきて、それに同調したように他のメンバーも首を縦に振る。

「ありがとうございます。お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいですね?」

「お世辞なんかじゃないよ、正直言ってケンちゃんがあそこまでできるなんて思っていなかったし、本当に最後の方なんてケンちゃんのドラムに助けられた感じだよ」

 ペットボトルを傾けながら莉奈がいうと、再び他のメンバーが同調したように首を縦に振る。

「イヤイヤそこまで言われちゃうと天狗になってしまいますよ。鼻高だかぁ〜ってね?」

 おどける健斗に笑いが湧き上がると、マキが何かを思い出したように手をポンと叩く。

「そうだ、坊やの知り合いが来ていたんだよ」

 少し意地悪い顔をしながらマキは健斗に顔を近づけてくる。

 知り合い? 俺がここでバイトしているのを知っているのは、ほんの一部の人間だけなんだけれどいったい誰が来ているんだ?

 首を傾げる健斗にマキはさらに意地悪い顔をすると、それに気がついた莉奈がパンと手を叩きながら健斗の事を見据える。その顔もどこか意地悪げな表情だ。

「もしかしてぇ、ケンちゃんの彼女じゃない? この間一緒にいた娘」

 その一言に他のメンバーも色めき立つ。

「エェ〜ッ! 坊ちゃんって彼女いるんだぁ、ちょっとショックかもぉ、あたしにだってまだ彼氏がいないと言うのにぃ……」

 口を尖らせる遥に、健斗は手を振ってそれを否定するが、それを受け入れてもらう事が出来ずにいたる所から冷やかしの声がかかってくる。



「雄二? それと花織……さん」

 バーテンの格好に着替えた健斗の事を出迎えたのは、怪しいほどに目をランランと輝かせながら健斗の事を見つめている雄二と、お酒を飲んでいるのか少し頬を赤らめている花織の二人が、カウンター席に座っていた。

「健斗! さっきの格好も良かったけれど、その格好もいいぞっ! うん! 萌える」

 今にも抱きついてきそうな雄二をけん制しながら花織に視線を向けると、程よく酔ったような顔をしている花織は熱い視線を健斗に向けている。

「健ちゃん……すっごくよかった……格好良かったよ?」

 妖艶な雰囲気を醸し出す花織に、健斗は曖昧な笑みを浮かべている。

 ハハ……花織さんもしかして酔っています? 何となく目つきが怪しいかもしれませんが?

「ウン、俺も感動したよ、お前があんなにいい表情を見せてくれるなんて思っていなかったからな? 思わぬところで夜のオカズが……ヘグゥ」

 とりあえず殴って黙らした方がいいだろうこの男は、放って置くと何を言い出すかわかりゃしないからな? それにしても……。

「花織さん、なんだってここに?」

 微妙に痙攣しながらカウンターに顔を突っ伏している雄二を完全に無視し、健斗はずっと自分に対して熱い視線を向けてくる花織に質問を向ける。

「ん〜? 健ちゃんがいるからぁ」

 おいおい、会話が成り立っていないんですけれど……。

「おにいちゃんっ!」

 店の扉が開き何者かが店内を伺うようにしている気配に、健斗がそちらに視線を向けると、そこから覗いていた視線とかち合い、一気にその扉が開きツインテールの小柄な女の子が飛び込み健斗の胸に抱きついてくる。

「ヘ? 知果ちゃん? なんだって……」

 未成年(見た目も実年齢も伴い)の知果がこのようなディープな所に現われるとは思わなかった健斗は、目をまん丸にして驚き開きっ放しになっている店の扉に視線を向けると、物珍しそうな顔をして店内を見渡している深雪と、困り顔を浮かべている琴音の姿が見える。

「み、みんなまで?」

 予想もしていなかった人物たちの登場に、さらに健斗の目は大きく見開かれる。

「エヘヘェ、お母さんがおにいちゃんのバイト先を見たいって言うから、ボクもついてきちゃったよぉ。おにいちゃんカッコいいね? その格好」

 驚きを隠さない健斗の腕に抱きつきながら、少し顔を赤らめる知果に、それまで虚ろな目をしていた花織の眦がつりあがる。

「ちょっとぉ〜、あたしの健ちゃんに抱きつかないでよぉ〜」

 ちょっと花織さん? いま激しく誤解を生むような事を言いませんでしたか?

「ぶぅ、おにいちゃんはボクのおにいちゃんなんだもん! 酔っ払いは引っ込んでいて!」

 意外に知果ちゃんって怖いもの知らずなのかもしれない……。

「へぇんだ、そんなペッタンコな胸をしたお子ちゃまが何を言っているのかしら? そんな事を言うのなら、もっと胸を膨らませてから言いなさい」

 はちきれそうな胸を突き出し、知果の目の前でそれを揺らす花織の姿に、知果の目には涙が浮かび上がってくる。

 そんな刺激的な事……いや、中学生相手に何をむきになっているんだ花織さんは……。

「仕事中ゴメンね健斗クン。こちらは?」

 大人の落ち着きを見せながらカウンターに座る深雪に、ちょっとホッと胸を撫で下ろす健斗は、その背後にいる琴音にカウンターに座るように目配せする。

「ハァ、大学のサークルの先輩で藤宮花織さんと、そこで死んでいるのはその他です」

「うぉい! 俺もちゃんと紹介してくれ、俺は健斗クンの大学の親友で皆川雄二と申します。えぇ、それはもう知り合いどころか身も心も……ガハァ」

 いきなり息を吹き返すな気色悪い。それにここには未成年者がいるんだ、お前のわけわからんジョーク(十八歳未満お断り系)は封印して噴火湾の深い所に沈めておけ!

 再度グーで雄二を殴って沈黙させておき、健斗は曖昧な笑みを浮かべながら、ニコニコ顔の深雪に視線を向ける。

「それよりも、みんなはなんで?」

 みんなにおしぼりを渡しながら首を傾げる健斗に、琴音が申し訳無さそうな顔をして答える。

「ゴメン、あたしがうっかりと、健斗がここで働いているって教えてあげたら、行って見たいって言い出して……一応あたしも止めたんだけれど……」

「あらぁ? あたしも、一応人様からお子さんを預かっているんだから、その子がどんな所に勤めているかは知っておかないとね?」

「琴姉ちゃんだけ知っているなんてずるいよぉ〜、ボクもおにいちゃんの仕事しているところを見てみたいぃ!」

 ハハ……なるほどねぇ。

「気にするな、別に琴音が悪いわけじゃないよ、ただ、自分の飲み食いした分に関しては各自でお払いくださいね?」

 ニッコリと微笑む健斗に、三度雄二が再生する。

「エェッ! こういう場合健斗のおごりと相場が決まっているだろう……ハゥア」

 この世に殺人罪と言うのが無ければ、きっと俺はこの場でコイツの一生を奪った事であろうが、手加減しておいた……武士の情けだ。

 駒ケ岳の如く頭から煙を噴きながら床に突っ伏す雄二に対し、同情する声はない。

「ケンちゃん!」

 それまでのステージ衣装から普段着に着替えた莉奈と遥が顔を出すと、それまで知果や深雪の事を、苦笑いを浮かべながらたしなめていた琴音の表情が曇る。

 そういえば、この間も莉奈さんと会ってから琴音の様子がおかしくなったんだよな? なんで莉奈さんにそんな過剰なまでの反応を示すのか俺にはわからないけれど……。

 また様子がおかしくなるのではと少し身構えながら、健斗は莉奈と琴音の様子を見守るが、この間のような過敏な反応を琴音が起こすようにも見えず、胸のうちでホッとため息を吐き出していると、近寄ってきた莉奈に肩を叩かれ労をねぎらわれる。

「ケンちゃん、本当に今日はお疲れ様!」

その様子を見ていた琴音の表情はそれまでとは打って変わり、まるで敵を見るような視線で健斗の事を見据えている事に気がつき、それまでの経験から健斗は背筋を伸ばす。

 なんだってそんなおっかない顔で俺が見られなければいけないんだ?

 頬を力一杯に膨らませ、普段は大きなその目を三白眼にして健斗を睨みつけてくる琴音の視線から、健斗は思わず顔をそらせてしまう。

「エッと、赤坂さんに名和田さん……今日はお疲れ様でした」

 場をつくろう様に言う健斗に、莉奈と遥はキョトンとしながらも笑顔を浮かべる。

「そんなよそよそしい言い方は無しにしようよぉ、ケンちゃん! あたしの事は莉奈って呼んでくれてかまわないからさ!」

「そうそう、坊ちゃんは立派な『GoAhead』のメンバーの一人なんだから、あたしの事も遥でかまわないよ!」

 おいおい、いつの間にメンバーの一人になったんだ? 俺は……。

「健斗クンこの方たちは?」

 既にウィスキーのロック二杯目に突入した(飲む事を予想してバスでここまで来たらしい)深雪さんは、トロンとした顔をしながら莉奈と遥を見つめてから健斗の顔を見る。

「ハァ、このライブハウスに出演されている『GoAhead』というバンドのメンバーで、こちらがベーシストの赤坂莉奈さん」

 Aラインスカートにクシュッとした感じのオフタートルのシャツを着る莉奈を紹介すると、深雪に向かってペコッと頭を下げる。

「こちらが同じく『GoAhead』のヴォーカリストの、名和田遥さん。遥さんはこのお店のマスターの娘さんなんです」

 ティールブルーのニットワンピにデニム姿の遥もペコッと頭を下げる。

 さすが社会人だよな? 一応目上の人間に対しては、きちんと挨拶をするというところだけを見ると……外観は琴音などと変わらないように見えるが。



「今日は本当に助かったよ」

 一通りの自己紹介が終わったところで、ビールの入ったグラスを傾ける莉奈が、カウンターに戻ってきた健斗に声をかけてくる。

「いえいえ、みんなの足を引っ張らないようにするので精一杯でしたよ」

 洗い物を分けながら笑顔を浮かべる健斗の顔を、莉奈はカウンターに頬杖をつきながら見上げると、近くに座っていた琴音はキョトンとした顔をしている。

「そんな事ないよ……本気で考えない? あたしたちのバンドのドラマー。ヨシエが辞めちゃうのは確実みたいだし、そうするとあたしたちも困っちゃうから……」

「そんなの無理ですよ、俺は所詮シロウトですから、皆さんみたいに練習を積んでいるわけじゃないですから」

「ちょっと健斗、今日何かあったの? 助かったとか何とか……」

 怪訝な顔をしながら琴音が首を突っ込んでくると、既に酔っ払いになった花織もそれに付くように顔を突っ込んでくる。

「健ちゃんは、今日ドラマーだったのぉ」

「ドラマー? なんかのドラマに健斗が出たの? それは随分と思い切った事をするドラマね? 採用した人の明日からの生活を心配しちゃうわ……」

 おいおい……突っ込みどころ満載の言葉の提供してくれてありがとう琴音さん。

「ウフ、違うよ琴音ちゃん。今日ウチのバンドのドラムをやる娘が休んじゃって、急遽ケンちゃんに手伝ってもらったの」

 大人の余裕なのか、莉奈は小さく微笑みながら琴音の顔を見ると、琴音は恥ずかしそうにその顔を赤く染めながらうつむく。

「そぉなのぉ〜、今日の健ちゃん本当にカッコよかったぁ〜。琴ちゃんにも見せてあげたかったわぁ、あの雄姿をぉ、あんな顔を見せられちゃったら、あたし……」

 健斗に向ける花織の熱い視線にムッとした顔をしながらも、琴音は莉奈に視線を向ける。

「えと、健斗がもしかして莉奈さんたちのバンドの?」

「そう、いま花織ちゃんが言っていたけれど、本当にすごかったよ? 初めてセッション組んだとは思えないぐらいに。それにドラムを叩いているケンちゃんの顔は、本当にいい顔をしていたなぁ、ちょっと惚れちゃいそうだったわよ?」

 意地悪い顔をする莉奈に、琴音は再び頬を膨らませながら目をつり上げて健斗の事を睨むと、その様子を見ていた莉奈は大笑いをはじめる。

「冗談よ、琴音ちゃんの彼氏を取るわけがないでしょ?」

 梨奈の一言に健斗と琴音は顔を見合わせ、同時に顔を赤らめ声を揃える。

「「違いますっ!」」



「ケンちゃん、本気になって考えてくれないかなぁ、ドラムの件」

 バイトが終了し、酔っ払い二人(深雪と花織)に悪戦苦闘している健斗に莉奈は、酔った素振りもなく真剣な表情でその顔を見据える。

「ハァ、いまは無理ですねぇ、バイトも楽しいし学校もありますから……それに」

 チラッと琴音に視線を向けたのは、なぜなのか自分でもよくわからない。

「他にやりたい事があるんで……ヘルプならいつでも手伝わせてもらいますよ」

 ニコッと微笑む健斗に、莉奈は諦めたような表情を浮かべる。

「お互い様なのかな? とりあえず今はヘルプで我慢しておくけれど、諦めたわけじゃないわよ? あたしたちはメジャーデビューをめざしている。そのためにはあなたの力が必要なの」

 小さく微笑みながら莉奈は手をあげて街の中に消えてゆく。

 莉奈さんは俺の事を買いかぶりすぎじゃないのかなぁ、自分自身そんなにたいしたものじゃないと思っているし、他に良いドラマーはいくらでもいると思うよ。

「健斗ぉ、ちょっと藤宮先輩がぁ」

「健ちゃぁん……あたしあなたのためにぃ……むにゃ」

 ありゃりゃ、酔い潰れちゃったよ。

 ため息を吐きながら健斗は琴音にしなだれかかっている花織を抱き上げる。

「!」

 お姫様抱っこで花織の事を抱き上げる健斗に、琴音は険しい視線を向けるが、それに気がついていない健斗は車に向かい歩きはじめ、渋々といった顔をしている琴音がそれに続く。

「おにいちゃん、車の鍵……アァッ!」

 そんな二人の前を、千鳥足の深雪を促しながら歩いていた知果が振り向き、その様子を見た途端に機嫌悪そうな声を上げる。

「ん〜、あらぁ、健斗クンったらぁ、そんな事をしちゃってぇ、あたしもしてもらいたぁいぃ」

 何を言っているんだか深雪さんは……。

 しかしその深雪の一言に、シラフの女の子二人の視線が険しい事に気がついた健斗は、腕の中で幸せそうな顔をしながら寝息を立てている花織に視線を向ける。

「し、仕方がないだろ? 潰れちゃったんだからぁ。緊急処置と言うやつで他意はない」

 しかし、健斗の言い訳に素直に納得する人物はおらず、頬を膨らませた女の子二人と、酔っぱらって足元のおぼつかない女性が一人に囲まれた状態で駐車場に向かう。

 すっごく居心地悪いんですけれど……。

「藤宮先輩ばかりずるいよ……健斗のライブは見られるし……」

 背後で睨みを利かせている琴音の呟きが健斗の耳に聞こえてきて振り向くと、さっきまでの不機嫌そうな顔を赤らめながら、口を尖らせている琴音の視線と交わる。

第十三話へ。