第十四話 バースデープレゼント



=T=

「なんだってこんな待ち伏せみたいな事をしなければいけないんだ?」

 masの打ち上げが終了して既に一時間が経過した『ふうりん』の駐車場では、運転席で痺れを切らしたような顔をしている健斗が、ボンヤリと辺りを見回している。

「だって、せっかくなんだもん、琴姉ちゃんの事を待っていてあげようよ。暗くなってきたし女の子の一人歩きは危険だよ?」

 セカンドシートでは、今日のイベントで買った同人誌を楽しそうに読んでいる知果が、然程気にした様子も見せないでいる。

 女の子の一人歩きって……いつも一人で歩いて帰って来ているだろうに……ん?

 従業員の出入口なのであろう鉄扉が開くと、そこからピンクのパーカーにフレアースカートといった格好をしている琴音が姿を現す。

「知果ちゃん、やっと出て来たぜ?」

「ん? そぉ?」

「そぉって……」

 セカンドシートの知果はチラッと外を一瞥するだけで、すぐにその視線は同人誌に向いてしまうと、運転席の健斗は小さくため息を吐く。

 ったく、俺が琴音に声をかけるのか? 変な声のかけ方をすると、きっと痴漢とか言われそうだぜ? あの娘だったら絶対に言いかねないぜ……。

 ヤレヤレといったような顔をしながら健斗が運転席から降り、琴音に声をかけようとすると、再び鉄扉が開き、そこからカジュアルシャツにジーパンという姿に着替えた聡が琴音に声をかけているところだった。

「沢村さんも終わりかい?」

「はい、お疲れ様でした二瓶さん」

 駐車場は電灯に照らされているが、琴音たちの姿はちょうど影に入っており、健斗からはその表情まではよく見る事ができない。

「もしよかったら送っていこうか? 暗くなった事だし」

「エッ? だ、大丈夫ですよ、いつも暗い所を帰っていますから」

 顔の前で手をパタパタと振る琴音の様子は、いつも健斗に対する態度とは違っており、健斗の心の中には少しつまらないというような気持ちが首を上げてくる。

 なんでぇ、しおらしい態度をしやがって。

 気がつくと、健斗は足音を潜ませながら二人に近付いており、まるで二人の会話を盗み聞きしようとしている危ない男のようでもある。

「遠慮はいらないよ、暗い夜道を女の子一人で歩かせるなんて危ないからね?」

「そ、そんな……」

 なに照れたみたいに顔をうつむかせているんだ? 琴音の奴は……俺にはそんなしおらしい顔を見せる事ないのに……って、何をイラついているんだろう、俺は……わからねぇぜ。それにしても、やっぱりあの人のせいなのかな? 琴音がここでバイトをしている理由というのは、だとしたら野暮な真似をしない方が良さそうだ。

 なぜか焦燥感に駆られたような気持ちになっている健斗は、そって踵を返そうとすると、駆けて来た子供が健斗にぶつかってくる。

「おっとぉ、大丈夫かい?」

 とっさにその小さな体を支えたため、子供は転ぶ事無くニコッと微笑みながら近くにいた親元へ駆けて行くと、背後から二人の視線が自分に向けられている気配に気がつく。

 あちゃぁ、琴音に何を言われるかなぁ、暗に邪魔者扱いされるだろうな?

 気まずそうに作り笑いを浮かべ振り返る健斗を、案の定琴音と聡の視線が向いていた。

「け、健斗? なんで?」

 ナトリウム灯のオレンジ色の光に琴音の顔が浮かび上がり、その表情は驚いたというような顔と、ホッとしたような顔の両方が混在する不思議な表情をしているようにも見え、対する聡はその端正な顔立ちを少し歪ませているように見える。

「いや、知果ちゃんが琴音も一緒にって言うから……でも、ゴメン、お邪魔だったみたいだな?」

 気まずそうに言う健斗は、頭を掻きながら視線を至る所にさ迷わせている。

「な、なんでお邪魔なのよぉ……ヘンな事を言わないでよね。そもそも、一緒に帰るってあたしは自転車だよ? 自転車はどうするの?」

 恥ずかしそうな顔をしながら向ける琴音の視線の先には、琴音愛用の自転車が置かれており、その手にはその自転車の鍵が持たれている。

「今日一日置かせてもらうとか?」

「じゃあ明日、ここにはどうやってくればいいのよぉ」

「俺が琴音の事を送るという手段も選択肢の一つとしてあるが?」

 視線を合わせようとしない健斗の提案に、琴音は悩んだように虚空を見上げる。

「でも、あたし明日早番だよ? 七時にはここに来なければいけないんだけれど……それでもいいの? ただでさえ朝寝坊なあなたが、そんな早くに起きて送ってくれるのかしら?」

 意地悪い顔をして顔を覗き込んでくる琴音の言葉に、健斗は一瞬躊躇するが、提案を出した以上ダメともいえずに首を縦に振ると、琴音は嬉しそうに笑顔を浮かべる。

「じゃあ、店長にお願いしてくる」

 そう言いながら、琴音は再び店内に入ってゆき、その場には健斗と聡の二人が残され、少し気まずい空気が二人の間に流れる。

 なんだろう、この変な雰囲気は……いづらい空気とでもいうのかな? 尻がムズムズする。

「茅沼君、ちょっと聞いてもいいかな? いま沢村さんがキミの事を『朝寝坊』と言っていたが、なんで彼女がそんな事を知っているんだ? それに『一緒に帰る』とも言った。まるで同じ家に帰って同じ家に住んでいるようなニュアンスに取れたのだが気のせいかな」

 とりあえず冷静さを保ったような顔をしているが、明らかに聡の表情には動揺の色が浮かび上がっており、その顔のいたるところには不機嫌さがちりばめられている。

「えぇ、一緒に住んでいるんですよ?」

 何も考えないで答えた健斗の回答に、聡の取り繕ったような冷静さは一気に崩壊し、その顔には動揺だけが浮かんでいる。

「一緒にって……沢村さんと君はそういう間柄だったのか?」

肩を落とす聡に、誤解があると言う事に気がついた健斗は慌ててその説明を補足する。

「誤解しないで下さい。同じ下宿に住んでいるというだけですから、そのぉ同棲しているとかそういう間柄じゃないので勘違いしないでくださいね?」

 同棲と言う言葉に顔を赤らめる健斗に対して、聡はホッとしたような顔をしているが、すぐにその表情を再び引き締めると真っ直ぐに健斗を見据える。

「そうか、だとしたらひと安心だ……、しかし、君と沢村さんが同じ屋根の下に暮らしているという事には間違いないわけだよな?」

「ハァ、まぁ他にも一緒に暮らしている人間はいますが、男は俺だけですね?」

 一人は中学生の女の子、一人は管理人さんのような人妻という事は、なんとなく伏せておいた方がよさそうな気がする。

「フン、そうか……じゃあ僕は失礼するよ……」

 機嫌悪そうに鼻で返事をしたかと思うと、踵を返し駐車場に止めてあった、真っ赤なスポーツカーに乗り込むと、一気にアクセルを吹かして走り去ってゆく。

 さすが小説家さん、いい車に乗っているねぇ、俺もいつかはああなりたいなぁ……。

「おまたせ健斗。あれ? 二瓶さんは?」

 従業員口から琴音が出てくると辺りを見回し、聡のいない事に気がつく。

「あぁ、帰るといって帰っていたよ。赤いスポーツカーに乗って……いいよなぁ作家先生は、あんな高級車を乗り回す事ができるんだから」

 羨望の眼差しをしている健斗の事を、琴音は少し嫌そうな顔をしている。

「そおかなぁ、あたしはあまり良いとは思わないかな?」

 首を傾げる琴音に、少しホッとしたような気持ちになる健斗は、少し意地の悪い顔をする。

「琴音はよかったのか? かっこいいスポーツカーじゃなくって」

「ウン、全然気にならないよ……あのテの車ってあまり好きじゃないし……」

 そう言う琴音の表情が一瞬曇った事は、周囲が暗いせいで健斗は気がつかなかった。



=U=

「お帰り健斗クン、東京から荷物が届いているわよ?」

 黒石家の玄関先、先に降りた琴音と知果に続いて健斗が靴を脱いでいると、ニコニコ顔の深雪がそう言いながらリビングに視線を向ける。

「東京から? 誰からだろう……」

 その視線に促されたように、健斗がリビングに入ると、いつも健斗の座るソファーの上に段ボール箱が置かれている事に気がつく。

 なんだろう、東京から荷物が届くって……なんかの懸賞でも当たったのかなぁ。

 首を傾げながら比較的軽いその段ボール箱を持ち上げ、貼り付けられている送り状に視線を向けていると、横にいた知果が興味津々な顔をしてそれを覗き込んでくる。

「なにそれ、おにいちゃん」

 まるでプレゼントでも貰ったようなキラキラした瞳で見つめてくる知果に、健斗も苦笑いを浮かべ再度その送り状に書かれている荷送り人の欄に書かれている名前を確認する。

「わからん、東京からって言っていたけれど……エッと、送り主は青山美音……」

 知果にせっつかれた健斗は、そこに書かれていた名前を声に出して読み上げ、その名前に目の前にいた知果と、飲み物を冷蔵庫から取り出していた琴音の視線が健斗に向く。

「美音ちゃん?」

 しかし健斗はそんな二人の視線には気がつかず、その送り主の名前を再び口にしたところで、知果の頬がフグと競り合うほどに膨らんでいる事に気がつく。

 うぉっとぉ、な、なんだ知果ちゃん、その顔は……まるで目付きの悪いハコフグのようだけれど、何か俺悪い事でもしたか? って、な、なんで琴音までそんな険しい顔をしているんだ?

「美音って誰?」

 唸るような声を上げる知果の問いに一瞬躊躇する健斗。

 な、何となく迫力があるんじゃないか? 知果ちゃんってば……。

「東京からって言っていたわよね? 東京にいる彼女からなのかしら?」

 少し離れた所にいながらも、琴音のその台詞にはかなりのトゲ(テトロドトキシン=フグ毒塗布済)があるように感じるのは俺の気のせいなのか?

 一瞬のうちに出来上がったピンと張り詰めたような空気に、健斗は冷たい汗を掻く。

「中身はなんだったの健斗クン」

 キッチンからその雰囲気を和ませるように深雪が入ってくるが、その台詞がさらに油に火を注いだようで、目付きの悪いハコフグ……もとい、知果の目が眇められる。

「そうね? もしも中に生ものでも入っていたら痛んじゃうから、早いところ開けた方がいいよ、おにいちゃん……琴姉ちゃんもそう思うでしょ?」

 援軍を求めるような知果の視線に、琴音も静かにうなずく。

 何となく裁判を受けているような気がして仕方がないんですけれど。ここは深雪さん大人の意見をみんなに伝えてください……って、なんで深雪さんまでそんなワクワクしたような顔をして俺の事を見ているんですか!

 この家にいる女性陣(と言っても健斗の他に男性はいないが)三人の視線の矢面に立たされた健斗は、やがて諦めたようにそのダンボールを開きはじめると、その三人の距離がジリジリと健斗を中心にして縮まってくる。

 四面楚歌というのはこういう事を言うのだろうか……深雪さんの視線は単純に好奇心だけだろうが、知果と琴音から向けられている視線はどこか殺気すら感じるぜ。

 恐る恐るといった感じで開いた箱の中には、可愛らしい包装紙にラッピングされた物が底に敷かれるように入っており、その上には大きく厚みを持っている封筒と、二つ折りの一枚のカードが添えられていた。

「なに? これ……」

 目ざとくそれに気がついた知果は、健斗が取り上げるよりも先にそのカードを取り上げ、それを開き見ている。

 おいおい、俺宛に来たものなんですけれど知果ちゃん……。

「エッと何々、『HappyBirthday先輩! どんなものが良いかわからなかったのですが、寒い時にでも着てください』って……これってバースデーカードじゃない? おにいちゃんの誕生日っていつなの?」

 キョトンとした顔をしている知果は、そのカードと健斗の顔を交互に見ており、琴音も驚いたような顔をして健斗の顔を見つめている。

「俺の誕生日? エッと六月の十六日……って今日か?」

 自分で答えていながら、壁にかかっているカレンダーに視線を向けると、その日付が本日という事に気が付き軽い脱力感に駆られる。

 何となく今日のイベントの日付に引っ掛かりがあったんだよな? そうか、俺の誕生日だったんじゃないか、すっかり忘れていたよ……情けない。

「ちょ、ちょっとぉ、今日が健斗の誕生日だったの? あなた一言もそんな事を言っていなかったじゃないのよぉ」

 責めるような口ぶりではあるが、琴音は慌てたような顔をして何かを模索するように視線を宙に向けている。

「俺だってすっかりと忘れていたんだよ。それに誕生日だからってここ数年誰かにお祝いなんてしてもらった事もないし……」

 最後に誕生日プレゼントを貰ったのは、まだ親が日本にいた頃だから、俺が小学校の時かな?

「もぉ、教えといてくれればちゃんとプレゼントを用意しておいたのにぃ……ゴメンね、おにいちゃん。来年の誕生日には今年の分と一緒にプレゼントしてあげるね?」

 目に涙を浮かべながら知果が手を合わせてくると、健斗は慌てて両手を振る。

「ち、知果ちゃん、そんな事を気にする事なんてないよ、本人だって気にもしていなかったんだから、知果ちゃんが気にする必要ないよ」

「でも、おにいちゃんは今まで誕生日をあまり祝ってもらっていないんでしょ? そんなの可哀想すぎるよぉ、ボクだってお母さんや琴姉ちゃんから祝ってもらっているんだもん」

 既に流している知果の涙に、動揺を隠し切れない健斗はどうしていいのかわからずにアタフタしながら助けを請うような視線を琴音に向ける。

「まったく、自分の誕生日を忘れるなんて、間が抜けているとしか言いようが無いわよね? でも、あなたの置かれていた環境には同情する余地はありそうね?」

 嘆息しながらも、哀れ見るような視線を健斗に向ける。

 そんな顔をして見ないでくれよ……なんだかすごく哀れなような気持ちになってくるぜ。

「ハイハイ、ちゃんと用意してあるわよ」

 いつの間にかキッチンに姿を消していた深雪が、ニコニコ顔でリビングに顔を出す、その手にはあまり大きくはないもののケーキが持たれている。

「お、お母さん?」

 涙を拭いながら大きな瞳をさらに大きくする知果と、驚いた顔をしている琴音は深雪の手に持たれているケーキをマジマジと見つけている。

「深雪さん?」

 健斗も例外なくそのケーキと深雪の顔を交互に見つめる。

「ウフフ、あたしだってあなたの叔母に当たるのよ? 一応あなたの誕生日ぐらいは把握しているつもりでいるわよ。まさかあなた自身が忘れているとは思わなかったけれど」

 意地悪い顔をしている深雪に、健斗は胸の奥をギュッと何かに握り締められているような気持ちになり、不意に目には熱いものが浮かんでくる。

 ヤベ、いま一瞬ジワッときちゃったよ。まさか琴音や知果ちゃんがいる所で泣くわけにはいかないよな? 一応俺にだって見栄はあるんだ……けど、感動はしたよな?

「あぁ、健斗ってばウルウルしているぅ」

 茶化すように言ってくるのは琴音だが、その目もどこか潤んでいるように見え、健斗の隣に座っている知果は涙を浮かべながらも笑顔を浮かべている。

「う、うるせぇ、琴音だってウルウルしているじゃねぇか!」

「あ、あたしは別に……」

 お互いに顔を見合わせながら口を尖らせている二人の間に、深雪が何気なく体を割り込ませながらそのケーキをテーブルの上に置く。

「ハイハイ、その辺にしておいて料理もちゃんと作ってあるから、早く食べましょ?」



=V=

「ねぇおにいちゃん、プレゼントはなんなのかなぁ?」

 ささやかな宴が終わりマッタリとしはじめた頃、健斗の顔を覗き込んでくる知果の表情は、どこか玩具をおねだりするような子供のような顔をしている。

「さぁ、なんだろうなぁ」

 ソファーの上に置きっぱなしになっていたその段ボール箱を手繰り寄せると、底に敷かれるようになっていた可愛らしいラッピングを施されていたものを取り出す。

「大きさからいくと、着る物みたいね? 寒い時に着てくれってカードに書いてあったから、セーターとかマフラーの類のものかしら」

 おいおい、まるで名探偵のようだな琴音のやつ……というか、琴音までそんな興味津々の顔をして見てくるなよな?

 苦笑いを浮かべる健斗は、巻かれていたリボンを丁寧にほどき包装紙を剥がしてゆくその様子を、知果と琴音はワクワクした顔をして覗き込んでいる。

「ん?」

 包装紙から出てきた物は、カーディガンと季節外れであるマフラーで、それは共に手編みなのであろう、店で売っているものに比べるとだいぶ見劣りするような物であるが、送ってきた美音の気持ちが十分にこもっており、その上には可愛らしいキャラクターのイラストの入っている封筒が乗せられており、今度は知果に取り上げられないようにすばやくそれを取ると、ズボンのポケットにそれをねじ込む。

「わぁ、綺麗な色ね?」

 そんな健斗に気がついていないのか、知果の視線は、綺麗に畳まれているカーディガンとマフラーは、ミントグリーンの毛糸を基調に使ったもので、両方に雪の結晶の模様が入っている方に向いている。

「ウン、この色は俺の大好きな色なんだよ……覚えていたんだぁ」

 以前に美音との話しの中で好きな色が話題になった事があり、その時に好きな色はミントグリーンと答えた記憶があるよ……特に理由はないんだけれどね? 確か美音はオレンジが好きと言っていたかな? その色は夕焼けのオレンジではなく、朝焼けの色と言っていて、記憶に鮮明に残っているよ。

「フーン、随分と親しいみたいね? その送り主と」

 意地悪い顔をしている琴音の台詞に、健斗は思わず動揺してしまい、その様子に気がついた知果は再びその頬を膨らませ、ハコフグのような顔になる。

「ぶぅ、そうだ、その送り主はおにいちゃんのなんなの? もしかして前に話していた東京にいるおにいちゃんの彼女なの?」

 目をつり上げている知果の言葉に、琴音がピクリと反応する。

「ヘェ、健斗って東京に彼女なんていたんだぁ……それは初耳ね? その彼女っていうのはよほど物好きなのかしら?」

 うぉい! それはどういう意味なんだ?

「ねぇねぇおにいちゃん! その彼女の写真とかないの? ちょっと気になるかもぉ……」

 さっきまでのハコフグのような表情を一転させ、いまでは興味の方が先行したような顔をさせているが、琴音は険しい顔をしたままだった。

「彼女って……そんなんじゃないよ、厳密には美音……ちゃんは、俺が所属していた文芸部の後輩なだけで、そんな関係では無い……」

 キッパリと言い切る事のできない健斗の顔を見ながら、琴音はさらにその顔を険しくしているが、知果は嬉々とした顔をしている。

「ヘェ、おにいちゃんは彼女の事を『美音ちゃん』って呼んでいるんだぁ、でも、彼女からすると呼び捨てにしてもらいたいかもしれないよ? 『美音』って……ねぇ? 琴姉ちゃん、女からすると好きな男の人からは呼び捨てにしてもらいたいよね?」

 同意を求めるような顔をしている知果に、琴音は困惑したような表情を浮かべる。

「そ、そうかなぁ……あたしは……あまり気にした事ないし、あまりそういうのには興味が無いからなぁ……あくまでもその呼び方なんて自然なものじゃないの?」

 どこか落ち着きをなくしたような素振りを見せる琴音は、視線をさ迷わせて健斗や知果と視線を合わせようとしない。

 なんだ琴音の奴、珍しく動揺しているみたいだな? 何かホロ苦い思い出でもあるのかな? ってそういえば、俺も気がついたら琴音の事を呼び捨てにしているじゃないか? 会ってからまだそんなに経っていないのに、ちょっと不思議だな? 俺が女の子に対してこんなに普通に接しているというのも。

「そうかなぁ、おにいちゃんに呼び捨てにされるのは全然気にならないけれど……やっぱり相手によるのかなぁ……ボク、おにいちゃんの事大好きだしぃ、エヘ!」

 腕に抱きついてくる知果に、健斗は曖昧な笑顔を浮かべているが、琴音は素直に驚いたような顔をして知果の顔を見据えている。

 フム、その大好きと言うニュアンスは微妙だけれど、知果ちゃんのように可愛い娘から言われるのは気持ちがいいかな? それに比べて、なんだって琴音はそんなおっかない顔をして俺の事を睨みつけているんだろうか?

 ギロッと言う擬音が見えそうな目をした琴音の視線に、健斗は肩をすくめてしまう。

「ねぇ、おにいちゃんその人の写真とかないの?」

 クイクイと袖を引っ張られて健斗は視線を宙に向ける。

「卒業アルバムに写っていたと思ったなぁ」



「こ、この人が美音さん……なの?」

 数分後、卒業アルバムの中にある『部活の想い出』というページに載っている美音の姿を発見し、二人に見せると琴音は唖然としたような顔をし、知果は諦めたような顔をする。

「すっごく綺麗な人ぉ……琴姉ちゃんよりも綺麗かも……」

「ウウン、あたしなんかよりも全然綺麗だよ……この人が健斗の彼女なの? 何か彼女の弱みを握って脅しているとかじゃないでしょうねぇ」

「うぉい、それじゃあ犯罪じゃないか! そんな事をするわけないだろ? それに俺から告白をしたわけじゃない。彼女の方からだなぁ……」

 途中まで言いかけると、知果の好奇心旺盛な顔が目の前に飛び込んでくる。

「エェッ! という事は、おにいちゃんはこの綺麗な人から告白されたって言う事なの? その辺の詳しい事をお聞きしたいんですけれど……」

 芸能レポーターのような知果に対してヘキヘキしたような顔をする健斗は、見るとも無く琴音に視線を向けると特に関心がないように、アルバムの他のページを見ている。

「ハイハイ、もう遅いからみんなお風呂に入っちゃってね? それともみんなで一緒に入る?」

 おいおい、深雪さんってばいまさりげなく過激な事を言わなかったか? 危うく一瞬喜んでしまいそうになってしまったよ……ハハ。



「そういえば……」

 風呂から上がり部屋に戻ると、さっきズボンに突っ込んだままの封筒の事を思い出した健斗は、椅子にかけてあったズボンからそれを取り出し、ベッドに転がりながらその封を開ける。

 懐かしいなぁ、いつもはメールだからあまり感じなかったけれど、美音の文字を見るとすごく懐かしい感じがするよ。

 丸っこい字をした美音の文字を見ると、何となく健斗の胸の奥がキュンと何かに掴まれたような甘酸っぱい感覚に陥る。

〈健斗先輩お元気ですか? 美音はめっちゃ元気ですよぉ! この間は急に電話を掛けちゃってゴメンなさい。いいプレゼントが思い浮かばなくって、気がついたら先輩に電話をしてしまいました。もしかして、あの時は函館のお友達と一緒だったんですか?〉

 べ、別にやましい事はないよな?

〈先輩だったら誰とでも仲良くなれるから、友達の一人や二人当たり前ですよね? もしかして、函館で仲良くなった女の子だったりして〉

 ギックゥ〜……って、別に美音に対してやましい事はない……女の子には間違いないが。

〈あたしも夏休みに函館に行けるように一生懸命バイトをしています。早く先輩に逢いに行きたいです……すごく心配なんです、先輩と離れているのが〉

 美音ちゃん……。

〈アハ、ごめんなさいこんな事を書いちゃって、先輩迷惑ですよね? あまり気にしないで下さい。最近部活とかで色々とあって、ちょっと疲れているせいです。一緒に送ったのは、文化祭で発表する会報の原稿です、暇があったら読んでください〉

 確か今年の会報のテーマは『恋愛物語』だったよな? 良い作品を書いたであろう、美音の力を持ってすれば心配はないはずだ。

〈もしよかったら先輩の感想を聞かせてもらいたいです……でも、メールじゃなくって直接聞きたいから、あたしが函館に行った時にじっくりと聞かせてください(エヘ)じゃあ先輩、またメールをしますので、美音に付き合ってくださいね?〉

 わざわざ函館までこの作品の感想を聞きに来るというのか? 俺なんかの感想なんかよりも、もっと適正の人間だっているだろうに……。

〈PS、一緒に送ったカーディガンとマフラーは、一応あたしが編みました(一部はお母さんに手伝ってもらっちゃったけれど)、見栄えが悪くってごめんなさい〉

 そんな事無いよ……すごく嬉しいよ美音ちゃん。

 手紙を折りたたみ封筒に戻し、同封されていた原稿に目を通そうと大きな封筒の封を開けていると、部屋の扉がノックされる。

 誰だ? こんな時間に……もうそろそろ日付が変わる時間だぜ。

「ハイ?」

「あ、起きていた?」

 ドアの向こうから聞こえる声は琴音で、さすがに遅い時間という事を考慮してなのか、その声は潜められている。

「あぁ……どうした?」

 扉を開くと、パジャマの上からカーディガンを羽織った格好をした琴音が、うつむきながら扉の前に立っている。

「ウン、ちょっと…………中に入ってもいい?」

 モソモソと話す琴音の様子に首を傾げる健斗は、その扉を開け広げて中に入るように促す。

「どうしたんだ? こんな時間に……」

 恐らく、普段であればそんな行動にでるはずのない琴音(普段であればパジャマ姿などを見せるはずが無い)を、椅子に座るように促し、自分はちょっと離れたベッドの上に座る(部屋の扉は開けたまま)と、うつむいたまま琴音は促されたままに椅子に座る。

「ウン……」

 こ、このシチュエーションは、かなりいい感じかもしれないかもしれないぞ? って、それは無いかぁ。美音ちゃんとかとならまだしも、相手は琴音だぜ? 少なくとも彼女が俺に対してそんな気持ちを持っているはずが無い。

 一瞬高鳴る気持ちを、自虐的な考えによって現実に引き戻す。

「どうしたんだ? こんな時間に……しかもそんな格好で来たら、俺がいつオオカミになっちゃうかわからないぞ? ガォゥ」

 どうにもならない妙な雰囲気に健斗がおどけたように言うと、やっと琴音も微笑を浮かべながら顔を上げてくる。

「アハ、そんな事を言っていいの? そんな事をしたら美音ちゃんに怒られちゃうわよ?」

「という事は、琴音はそれを予想してここに来たというのかな?」

 冗談で言ったつもりの健斗に、琴音は慌てて自分の胸を腕で隠すような素振りを見せ、顔を真っ赤に染めながら睨みつけてくる。

 ちょっとぉ、そんな真剣に受け取らないでくれよぉ。

「…………冗談です」

 ペコッと頭を下げる健斗に、琴音はクスッと顔をほころばせる。

「ウン……知っているよ」

 ――――会話終了? って、なんなんだよこの重苦しい雰囲気わぁっ!

「……だからぁ」

「これは?」

 二人ほぼ同時のタイミングで発せられた言葉は、限りなく音速近い速度ですれ違い、お互いは顔を見合わせ(全然ロマンティックではないが)ながら、どちらとも無く笑いがおきる。

「アハハ、本当にあたしたちって息が合わないのね?」

「確かに……ここまで合わないのも珍しいかもしれないぜ?」

 ったく、でも、いままでの重苦しい雰囲気が払拭されたのは嬉しい事かな?

「アハ、ホントね? それで、これは健斗の彼女が書いた小説なの?」

 机の上に置かれているコピー用紙に視線を向ける琴音に、健斗はうなずく。

「あぁ、彼女の書く小説はすごく上手でね? すぐにでもプロになれる腕前なんだよ。正直言うとあれだけの文才があるというのは羨ましい限りだよな?」

 これは俺の正直な気持ちだ。おれよりも小説を書いている期間が短いにもかかわらず、あれだけ読み手を引き付ける事のできる文章が書けるというのは才能なのだろう。

「そうなんだ、健斗がそこまでほめるという事はよほどなのね? でも、健斗の書いた小説ってあたし読んだ事が無いからなぁ」

 ちょっと残念そうな顔をしている琴音に、健斗は少し考えたような仕草を見せると、突然立ち上がり本棚に向かう。

「あった。これを読んでみるか? 去年文芸部で発行した会報だよ。俺のも載っているし、美音の作品も掲載されているから」

 masの会報に比べるとかなり地味な本を琴音に渡すと、その顔はなぜか少し驚いたような顔をしている。

 どうしたんだ? そんな驚く事では無いだろう……。

「――う、ウン、読んでみるよ……ありがとう……そうだっ!」

 驚いた顔を少し寂しそうにしながらその本を受け取った琴音は、何かを思い出したようにその顔をあげ、手に持っていた包みを健斗に差し出す。

「ん?」

 キョトンとした顔をして、健斗はその包みと琴音の顔を交互に見比べると、琴音はそれまで寂しそうな顔をちょっと恥ずかしそうに赤らめている。

 琴音って本当に表情がクルクルと変わるよな? 表情が豊かというか、自分の思っていた事が表情に表れるんだろう。素直なのか何なのかよくわからんが……。

「そのぉ、誕生日のプレゼント買っていなかったから、こんなのしかないけれど……前にお父さんのプレゼントを買うのに付き合ってもらったでしょ? その時に買ったネクタイ。他の人にあげようとも思ったんだけれど、健斗が選んだ奴だし……」

 少し言葉尻を濁す琴音に、健斗は首を傾げるもそれを受け取る。

「滅多に締めないというのはわかっているけれど、何年か経てば就活とかで必要になるでしょ? だから……ゴメン気の利いた物じゃなくって……」

 言いよどむ琴音の雰囲気は、いつものような快活な雰囲気ではなく、モジモジと歯切れが悪く、照れているようにも見えつい顔がほころんでしまう。

「さんきゅ琴音、ありがたく頂くよ。でも、いいのか? 他の人にあげる物を俺なんかがもらちゃって……また買わなければいけなくなるんじゃないか?」

 健斗の言葉に琴音は一瞬体を硬直させる。

「う、ウウン……別に関係ないから……どうしても、その人にプレゼントしなければいけないというわけじゃないし……」

 どうもさっきから琴音の様子がおかしいよな?

「じゃ、じゃああたし部屋に戻るね? 明日も早いから……」

 勘ぐるような健斗の視線に気がついたのか、琴音はまるで逃げるように立ち上がると、早足で健斗の部屋を出る。

「アッ、琴音」

 慌てた健斗の声に、扉を閉めかけていた琴音の手が止まり、僅かに開いていた隙間から様子を覗き込むように琴音が顔を振り向かせる。

「ネクタイありがとうな? 機会があったら絶対にこれを締めるよ」

 ニコッと微笑む健斗に、隙間から見ていた琴音は大きな目を細める。

「ウン、健斗、誕生日おめでとう。オヤスミ……」

 嬉しそうな顔をした琴音はそう言いながら、そっと扉を閉める。

第十五話へ。