第十六話 怪我の功名?



=T=

「琴音っ!」

 ゴールテープを切った琴音の身体は、バランスを崩したと思うとあっという間にレンガ色のアンツーカの上に叩きつけられたように転がる。

「なに? どうしたの?」

 何が起こったのか理解できない知果は、助けを請うような目をしながら隣にいる健斗に向けられるが、既にそこには健斗の姿はなく、いち早くグラウンドに下りる出口に駆けつけている。

 なんだか不自然な転び方だったぞ? 大きな怪我をしていなければいいのだが。

 グラウンドに下りた健斗の目の前に広大なトラックが広がり、その一角に人垣ができており、その騒然とした様子に健斗の不安はピークに達する。

「琴音っ!」

 まるでその人垣を分け入るように身体を潜り込ませる健斗の勢いに、関係者は無意識にその道を開き、開けたその視線の先にはランニングシャツに短パンという姿の琴音が足を押さえながらしゃがみこんでいて、健斗の声に気がついたのか痛そうに歪めているその顔を向ける。

「け……健斗ぉ……」

 それまで堪えていたのか琴音は、その大きな目に一気に涙を溢れさせる。

「琴音、お前大丈夫か?」

 間が抜けた聞き方だと自分でも思っている。しかし、こう聞くしか他に声をかける事ができないものなんだよ。

 心配顔の健斗の顔を見た途端、琴音の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちたかと思うと、よほど痛いのであろうその顔をグシャグシャに歪める。

「健斗ぉ、痛いよぉ〜ぉ!」

 痛いよぉって……子供じゃないんだから……。

 しかし、健斗の見据えるその視線の先の琴音は、かなり痛いのであろう涙を流しながら健斗の顔を見上げており、白衣を着た医務員が丁寧にその細い足首の辺りを触っている。

「すぐに専門医に連れて行った方がいいですね? かなり酷く筋を痛めているようですし、最悪骨折の疑いもあります」

 白衣の医務員はそう言いながら、健斗の顔を見据える。

「あたしお医者さんの場所知っているから……」

 心配顔の由衣も、痛がっている琴音を励ましながら健斗の顔を見上げてくる。

「わかった、じゃあ車で行こう。琴音は歩ける……わけがないよな? 仕方がねぇ」

 そう言いながら健斗は横たわっている琴音の横に跪き、痛めている足と肩にその腕を差し込み抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこの状態で……。

「け、健斗さん?」

 隣にいた由衣が顔を赤らめながら、ため息に似たと息を吐くと、周囲からも同じような熱を帯びたようなため息(主に女子)が聞こえ、健斗の腕に抱えられている琴音も、茹で上がった花咲ガニのように顔を真っ赤にしている。

「ちょ、ちょっと健斗……」

 恥ずかしさのために痛みが一瞬引いたのか、呟くような琴音の声が聞こえてくるが、健斗の耳にはその声がまったく聞こえていない。

「あたしも一緒に行きます」

 女子陸上部顧問と名乗るジャージ姿の女性も同行を申し出てくると、健斗はコクリとうなずき、腕の中にいる琴音の身体を担ぎ直す。

「お願いします。車はこっちです、由衣ちゃん琴音の荷物をお願いできるか?」

「ハ、ハイ!」

 声をかけられた由衣は慌てて荷物を取りに一旦スタンドに向かい、健斗と顧問の先生は駐車場に向かうべく、身体を反転させ歩き出すと、少し早足で歩く健斗の顔を琴音は赤い顔のままその顔を下から見上げると、健斗は視線を真っ直ぐにグラウンドの外を見据え、代わりに琴音の耳には羨望のようなため息が聞こえてくる。



「お待たせしました」

 車のセカンドシートに琴音を座らせていると、少し息を切らした由衣が来ると、それに続いて知果と深雪が心配そうな顔をしてその後ろからついて来る。

「琴姉ちゃん大丈夫?」

 まるで自分が痛そうに顔をしかめている知果に、琴音は何とか笑顔を作るろうとするが、思うようにうまく顔が作れないようで、その顔は引きつっている。

「健斗クン、あたしたちはバスで帰るから心配しないでいいわ、お医者さん終わったら、そのまま琴音ちゃんと一緒に家に帰って来てね?」

 心配顔のまま健斗に言う深雪に、健斗も神妙な顔をしてうなずきエンジンをかける。

「エッと、とりあえず『電車通り』に出てもらっていいですか? ここから休日診療している病院はすぐですから」

 助手席に座った由衣はそう言いながらシートベルトを締めると、先ほどから赤らんでいるその顔を健斗に向ける。

「了解だ、琴音少しの辛抱だからな?」

 ルームミラーでセカンドシートに座る琴音を気遣いながら、健斗は衝撃を与えないようにゆっくりと車をスタートさせる。



=U=

「まだ痛むか?」

 あまり人気のない総合病院の休日外来、足をギプスで固定された姿の琴音の事を、健斗が心配そうに見下ろすと、その顔に琴音は微笑みかける。

「ウン、ちょっと痛いけれど、でも大丈夫だよ」

 その琴音の笑顔に、健斗はホッと胸を撫で下ろし手続きをしている顧問先生に視線を向けていると、同じく心配顔の由衣が琴音に声をかけている。

「琴音ぇ、酷い姿になっちゃったね? 大丈夫なの?」

「酷いって……まぁ、正常では無いけれどね? でも、痛みもだいぶ治まってきたよ……」

 痛み止めの薬が効いてきたのか、いくらか余裕ができてきた琴音は、苦笑いを浮かべながら顔をしかめている由衣の顔を見上げている。

「でも、靭帯損傷なんでしょ? それってかなり痛くない?」

「いたいよぉ、でも薬のせいなのかな? さっきよりマシになったかも……」

「全治一ヶ月だって……手術するほど酷くなかったのが不幸中の幸いよね?」

 困ったような顔をしながら顧問先生が戻ってくると、それまで笑顔を浮かべていた琴音の表情が引き締まる。

「先生すみません。みんなにご心配、ご迷惑をおかけしちゃって……」

 ペコリと頭を下げる琴音に先生は手を振る。

「気にしないで、あなたは一日も早くそれを治す事を考えればいいだけよ……でも、安静といっても今月末には期末テストがあるし……」

 さすがは教師だな? 学校の行事の事まで考えるとは……って、俺も今月末から前期の試験だったっけ? 嫌な事を思い出しちゃったぜ……。

 困った顔をしている教師に、琴音はニコッと微笑みかける。

「大丈夫です、固定しているから多少歩いたりするのは大丈夫だって医者も言っていましたし、下宿から学校までもそんなに距離がないから」

 そんな琴音に顧問先生もホッとした顔をしている。

「じゃあ、申し訳ありませんが、あたしたちは片付けがあるので一旦競技場に戻ります。後日おって下宿の方にはご挨拶に伺いますので、失礼いたします」

 ペコリと頭を下げる顧問先生に健斗は恐縮したように頭を下げると、由衣もそれに合わせたように頭を下げる。

「健斗さんスミマセン、琴音の事をお願いします」

「了解だよ由衣ちゃん」

 そんな健斗に再度一礼して病院を出てゆく二人を見送り、健斗は視線を座っている琴音に向けると、使い慣れない松葉杖を脇に当てながら立ち上がろうとしていた。

「おいおい、大丈夫か?」

 慌てて健斗が手を差し出すと、少し恥ずかしそうな顔をしながら琴音が顔を上げる。

「ん、大丈夫だよ……って、わぁっ!」

 松葉杖をどう扱っていいのかわからない琴音は、見真似でそれを動かすが、タイミングが合わずに体をよろめかす。

「ほらぁ、全然大丈夫じゃないかぁ……って」

 よろめいた琴音の身体を健斗の腕が支えるが、その二人の間にあった距離は短くお互いの息吹を感じるほどで、健斗はその支えている腕から伝わってくる体温に合わせたように顔を赤らめ、絡んでいた視線を慌ててそらす。

「ゴ、ゴメン……いまいち感がつかめなくって……」

 チラッとわき目で見る琴音は、表情こそ確認する事はできないが、あらわになっている耳からうなじにかけて赤くなっている。

「た……ったく仕方がねぇなぁ……ホレ」

 痛めている琴音の左側に立ち腰をかがめていると、琴音はそんな仕草を見せる健斗の事をキョトンとした顔をして見つめている。

「ホレ! 俺の肩につかまれって言うんだよ……」

 視線を合わせないようにしている健斗に、琴音は表情を和らげると、遠慮無しにその肩につかまる。しかし、腰を伸ばした健斗の背の高さは予想以上だったようで、三十センチあるその差によって琴音の体は大きく右側に傾いてしまい、少し歩き難そうである。

「健斗ぉ、あなた本当に背が高いのね? ちょっと歩き難いかも……」

 苦笑いの琴音に、健斗は思案顔を浮かべる。

「確かに、ここまで差があるとは思わなかったぜ……だったら仕方がないな? ホレ」

 今度はその大きな体を縮めこませ、琴音の目の前にしゃがみこむと、琴音は再びキョトンとした顔をしてその姿を見つめている。

「ホレって……まさか」

 キョトンとしていた表情を恥ずかしそうに赤らめながら、琴音はその背中を見つめ、イヤイヤと顔を横に振る。

「いつまでも、ここでボヤボヤしているわけにはいかないだろ? 早く帰って深雪さんや知果ちゃんに説明しなければいけないんだし」

 口を尖らせながら見上げてくる健斗に、琴音は口をアヒルように横に広げる。

「そうだけれどぉ……でもぉ」

「でもも、ストライキもない! 早く!」

 健斗の勢いに気圧されしたように、琴音は渋々とその首に腕を絡める。

「しっかりとつかまっていろよ?」

 そう言いながらも健斗は縮まっていた腰を伸ばすと、琴音がいつも見ている視界よりもかなり高い位置に視線が置かれ、一瞬湧き上がった恐れにその身体を密着させる。

「キャッ……いきなり立ち上がらないでよぉ、ビックリしたじゃないのよぉ」

 そう言いながらも、琴音は健斗の首にしがみついたままでいる。

「お…………おぅ…………わりぃ」

 立ち上がりながらもなかなか動き出さない健斗に気がついた琴音は、怪訝な顔をしてすぐ近くにあるその顔を覗き込んでくる。

「どした?」

 琴音の目の前で揺れる健斗の髪の毛の先には、その体温を感じるほどに赤くなった横顔があり、その目は大きく見開かれている。

「お……おぅ……ちょっと意外だったものでな?」

 直接耳の中で囁かれているような健斗の声に、くすぐったそうな顔をする琴音に反して、健斗はそう言いながらゆっくりと歩き出す。

「意外?」

 再び健斗の顔を覗き込むと、その顔は少し意地悪そうな表情を浮かべているが、その顔は新鮮なタラバガニの身のように桜色をしている。

「あぁ、琴音って結構胸があったんだと思ってね? キヒヒ、これは役得だぁ」

 一気に顔を赤らめた琴音は健斗の背中からその身体を離そうとするが、健斗がバランスを崩しそうになり、慌ててその首にしがみつき直す。

「ば、馬鹿な事をいわないでよね? もぉ、変態! 降ろしてよぉ、このまま健斗の背中にしがみ付いていたら妊娠させられちゃうよぉ」

「おいおい、滅多な事を言わないでくれ! 知らない人が聞いたら本気にするだろうが!」

 今にも泣き出しそうな勢いで言う琴音の声に、すれ違う人々は怪訝な顔をして健斗の事を見送ってゆき、どこかヒソヒソ声が聞こえてくるようでもある。

 くそぉ、本当にこの辺りに投げ出して一人で帰ってやろうか?

 しかし、そう言いながらも琴音の身体には拒むような緊張感はなく、その身を完全に健斗の背中に委ねているようで、健斗もホッとため息を吐き出す。

「な、何よ!」

 そのため息に気がついたのか、琴音の腕に力がこもる。

「ん? いや……Bカップぐらいかなって……」

「失礼ねぇ、こう見えたってCカップ……って、何を言わせるのよぉ!」

 小さな琴音の手がそっと健斗の首を流れている血管を圧迫してくる。

「ゴメンって、だから首を絞めるなぁっ!」



=V=

「琴姉ちゃん、本当に大丈夫なの?」

 翌日の黒石家のリビングには、心配そうな顔をした知果と深雪、健斗の三人の顔があり、その視線を一手に受けているのは、ブラウスの上からオフホワイトのニットベストに、グレーのチェックのプリーツスカートという夏の制服を着た琴音だった。

 確かに、あまり凝視して変態扱いされたくないから見ないようにはしているけれど、そのスカートから伸びている少し日に焼けた足にはギブスが痛々しいぜ。

 しかしトーストをかじっている琴音は、平気な顔をしている。

「大丈夫だよぉ、痛みもほとんどないし、ちょっと歩くのが不便なだけ」

 ペロッと舌を出す琴音に、健斗が何かを思い出したように顔を上げる。

「それなんだけれどよ、やっぱり俺が送って行ってやるよ……普通に歩いてもここから学校まで十分はかかるだろ? その足じゃあ何分かかるかわからねぇからな?」

 涼しい顔をしながら健斗はコーヒーをすすっているが、琴音は驚いたような顔をして健斗の事を見据えている。

「送っていくって、車での登校は大学でも禁止されているんでしょ?」

「許可があれば例外を認めてくれているよ」

 のんびりとした顔をしている健斗の事を、琴音は少し顔を険しくして見つめる。

「許可って……」

 まるで毒気を抜かれたような顔をしている琴音に健斗はクスッと微笑むと、プリンターから打ち出した申請書を琴音に突きつける。

「車両通学申請書?」

 大袈裟なまでに書かれているその書類には、ハンコを押す欄がいっぱいあり見ただけでも面倒臭そうなものという事が琴音にもわかる。

「昨日のうちに申請しておいた。今日事務課に行けば許可証が発行されるはずだ」

 自信満々な健斗の顔を燻しそうに見る琴音は、再度その申請書に視線を落とす。

「何々……申請理由……同校に怪我をした身内の送迎のためって……身内?」

 呆れたような顔をする琴音に対して、優しい微笑を浮かべる健斗に琴音の頬は不用意に赤らませ視線を泳がせる。

「そうだ。この家に一緒に住んでいる以上みんな身内と同じなんじゃねぇか? オフクロ代わりの深雪さんや妹と同じ知果ちゃん……」

 健斗にコーヒーのお代わりを注いでいる深雪は柔らかな笑みを浮かべ、知果はちょっと複雑な顔をしながら健斗と琴音の顔を見つめている。

「それに、琴音。お前も同じだよ……みんな身内……家族なんじゃないか?」

 ヤベ、また俺は恥ずかしい事を言っているんじゃないか?

 恥ずかしさを隠すように、健斗は視線をみんなから外し視線を虚空に向けると、グスッと知果が鼻をすすり、それに同調するように深雪も目頭を押さえる。

 おいおい、そんなに感動するような事なんでしょうか?

「おにいちゃん……」

 目に涙を湛えながら真っ直ぐ見つめてくる知果の視線。

「健斗クン……立派になって……」

 実の息子を見るような目(黒石家は知果の一人っ子)で健斗の事を見る深雪。

「――健斗……あなた……」

 素直に感動したような顔をしている琴音の視線。それらに耐え切れなくなったように健斗は身体を精一杯バタつかせ、その雰囲気を払拭しようとする。

「ダァ〜ッ! なんだってみんなそんなシンミリとした顔をしているんだよぉ、だって事実だべ? 琴音は学校に行かなければいけないんだから、何とか理由をつけなければいけないわけだし、そうすれば俺も車で学校に行けるという利点が生まれるわけであって……」

 一気にコーヒーを飲む健斗は、想像以上に熱いそれに顔をしかめる。

 アチ、アチ……。

「アハ、おにいちゃん照れているぅ〜」

 茶化すような知果の視線。

「健斗クン、素直になった方がいい時だってあるものよ」

 言い聞かせるような優しい言い口の深雪。

 な、なんなんだよぉ、その思わせぶりな二人の態度はよぉ……、それじゃあまるで俺が琴音の事が……って、そんな事は無いぞっ! ……たぶん……。

 動揺するような顔をする健斗に、感動したような顔をしている琴音は、真っ直ぐに健斗の顔を見据えており、恥ずかしそうに健斗は視線をさ迷わせる。

「健斗……あなたそんなにあたしの事を?」

「ご、誤解するなよ? ただ、俺はだなぁ……」

 俺は? 俺はなんで琴音のためにこんなにまで一生懸命になるんだ? べつにそんな義理も何もないだろう? ただ一緒に住んでいる。それだけなんじゃないのか? でも、はっきりとそれをいう事をはばかってしまう気持ちが心の奥底にあるような……。

 得もいえない感情に、健斗は心の中で首を傾げるが、目の前でどこか嬉しそうな顔をしている琴音の顔を見ると、何となくいいかなという感情に押し流されてしまう。

「ただ……なに?」

 少し意地悪い顔をする琴音に、

「今日はとりあえず黒石家にある文明の利器自転車! カヤヌマスペシャルで我慢してくれ」



「……って、これがそのカヤヌマスペシャル?」

 目の前に置かれている自転車を見ながら、琴音は呆気に取られたような顔をしている。

 昨日の夜に深雪さんにお願いして、自転車を借りて、その荷台に要らなくなった座布団を敷き、ロープでグルグル巻きにしてあるのがカヤヌマスペシャルたる由縁だ。これを作るのに結構時間がかかったんだぞ?

「そうだが?」

 自慢げに胸を張る健斗に対して琴音は、呆れたような顔をしながら小さくため息を吐き出す。

「それで、あたしがこの荷台に座るという事よね? そこまではわかるんだけれど、自転車の二人乗りは確か違反なんじゃないの?」

 その通りです。道路交通法第五十七条によって道路交通規則第十条に『自転車は運転者以外の人間を乗せてはいけない』という項目があり(北海道公安委員会)琴音を乗せて俺が運転する事ができないというのは承知している。

「だから、琴音が歩かなければいいんだろ? 琴音がそこに座って俺が押して行けばいい事だ」

 なんていう事ないという顔をしている健斗に、琴音は驚いたような顔をしている。

「そんな……それじゃあ健斗が疲れちゃうじゃない」

「別に、今日一日だけだから気にしないが?」

「気にしないって……」

「ゴタクは途中で聞くから、早いところ乗ってくれ。俺も朝一番から授業があるんでな?」

 せっつくように健斗に促され、心配そうな顔をしながらも、琴音は座布団が巻かれているその荷台に横座りで腰掛けると、健斗はゆっくりとそれを押し出す。

 なかなかどうして、バランスを取るのが難しいなぁ……やっぱり誰も見ていない所で走らせちゃおうかな?

 不届きな事を考えていると、琴音が恥ずかしそうな声をかけてくる。

「健斗ぉ……そのぉ…………」

 モゴモゴという琴音に、健斗は視線を向ける。

「どうした? ケツでも痛くなったか?」

 ケケケと笑う健斗に、琴音は少し頬を染めながら口を尖らせる。

「ぶぅ、女の子にケツなんて言わないでよね? お尻は平気……それより重くない?」

 尻すぼみになる琴音の声に、健斗はキョトンとするがすぐにその顔に笑顔を浮かべる。

「ちっとも? 軽いものだぜ。ちゃんと飯を食っているのか?」

「食べているよぉ、食べているからぁ…………もぉ、いいわよ!」

 少し朱が混じっている頬をプックリと膨らませながら、琴音は健斗から視線をそらす。

 ハハ、もしかして太ったのかな? 琴音さん?



「ありがとう健斗」

 校門をくぐり、自転車置き場に自転車を置く頃にはさすがの健斗も息が上がっていた。

 なんていう事はないと思ったが、ずっと上り坂というのが結構堪えたな? 二の腕がフルフルと震えているぜぇ、ライブをインターバル無しに二本連チャンでやったみたいだぜ。

 まだ慣れない松葉杖をつきながら、琴音はそんな健斗の事を気遣うような顔をして覗き込ませてくると、健斗は気勢を張ったような顔をする。

「なんの! なんていう事はないぜ! なんだったら明日も同じように送ろうか?」

 そんな健斗の顔を見て、琴音は呆れたような顔をしながら小さなため息を吐き出し、ジッと健斗の顔を見据える。

「ホント……意地っ張りなんだからぁ……」

「ん? なんか言ったか?」

 自転車のスタンドを立てながらキョトンとした顔をしている健斗に、琴音は軽い脱力感を覚え、今度は深いため息をついていると、同じ制服を着た由衣が声をかけてくる。

「琴音? それに……健斗さん?」

 琴音と違ってオフホワイトのニットベストを着ていない由衣は、驚いたような顔をしながら二人の事を見据えている。

「おはよぉ〜由衣!」

 いつもと同じ笑顔を由衣に向ける琴音に、由衣は少し戸惑っているような顔をして二人の顔を見比べている。

「ウン、おはよ……って、琴音大丈夫なの?」

 心配そうな顔をしている由衣は、いつもならスラッと伸びている琴音の足に痛々しく巻かれているギブスに視線を向ける。

「ウン、痛みもそんなにないし、期末試験が近いから」

 苦笑いの琴音に由衣は呆れたような顔をしているが、やがてその顔に笑顔を浮かべる。

「それに寝ていると太っちゃうから。じゃないのか?」

 意地悪い顔をする健斗に、琴音は頬を膨らませる。

「ちょっとぉ、どーゆー意味よぉ! 言っておきますけれど、あたしはそんなに太ったわけじゃないですからね? ほんの少しだけ……」

「俺は太ったなんていってないぞ?」

 キヒヒと嫌味のこもった笑い方をしながら健斗が自転車に鍵をかけていると、ポカポカとその頭が琴音に叩かれる。

「意地悪ぅ」

 赤い顔をしながらポカポカと健斗の頭を叩き、それを避けながらも意地悪い顔をしている健斗の二人の姿を由衣は驚いたような顔をして見つめていた。

「琴音と健斗さんってそこまで仲が良かったの? まるで恋人同士みたい」

 突飛でもない由衣の一言に、琴音は手を振り上げた状態で固まり、健斗も頭を手で覆う仕草のままで固まり、顔は申し合わせたように赤らめながら見つめあい、すぐに息を合わせたように否定の言葉を由衣に向ける。

「「んな事はないっ!」」

 それに対して由衣は、怯む事無く疑い深そうな顔をしながら二人の顔を見比べる。

「でもぉ、昨日琴音が怪我をした時、健斗さんはすぐに琴音の所に駆けつけてきたしぃ、病院で診察が終わるのを待っている健斗さんの顔も、すっごく心配していたように見えたよ?」

 冷かすように言う由衣に、琴音は顔をうつむかせる。

「そんな……」

 上目遣いに琴音は健斗に視線を向けると、健斗も恥ずかしそうに鼻先を掻きながら、あらぬ方に視線を向けている。

「やっぱりなのかなぁ……」

 なぜか少し諦めたような顔をしている由衣は、ボソッと呟きながら二人して顔を赤らめている健斗と琴音の顔を見据えると、深いため息を吐き出す。

「琴音もまんざらじゃないんじゃないの? 健斗さんの事を……」

 由衣の一言に琴音は顔を真っ赤にしているが、その顔は少し辛そうに歪ませており、それを悟られないようにうつむかせて、呟くような力のない琴音の言葉は、健斗の耳にもしっかりと聞いて取る事が出来た。

「あたしは…………そんな事に興味がない……だけよ」

 辛そうな顔をしながらそういう琴音に対して、健斗は首を傾げる。

 どうしたんだ琴音の奴は……なんだか思い出したくない事に、触れられてしまったような顔をしているけれど……そんな事に興味がない? そんな事ってどんなことなんだ?

 怪訝な顔をしている健斗に気がついた琴音は、すぐに表情を元に戻して手を顔の前でブンブンと振るといつもと同じ笑顔に変わる。

「なんでもないよ健斗。送ってくれてありがと、由衣早く教室にいこ? あんまりのんびりしていると、あたし早く歩けないから遅刻しちゃうよ」

 ヨチヨチと松葉杖をつきながら歩く琴音の事を由衣は慌てて追うように歩きだし、そんな二人の事を健斗は見送る。

 なんだか琴音ってたまにああいう顔をするよな? 函館山の話をしている時や、おんぷに行った帰りとか……なんか辛い思い出があるのかもしれない。

 フッとため息を吐き出す健斗の視界からは、琴音の後姿はもう消えていた。

 興味がない……かぁ。

第十七話へ。