第二十七話 ロウソクの灯りで。



=T=

「確かここにあったと……ほら、あった! マッチも一緒に入っているよ?」

 リュックサックのようなカバンを棚の下から取り出した琴音は、その中を物色し中からお盆時期にしかあまり見ないような細いロウソクと、マッチを取り出す。

「あぁ、あとは灰皿のように受け台になるのがあれば申し分ないかな? でも、この家に煙草を吸う人間はいないし……」

 どこか疲れきったような顔をする健斗に対し、安どの表情を浮かべる琴音。

「だったら台所のフライパンを使っちゃおうか?」

 既に確定なのだろう。琴音は健斗から携帯を奪い取るとキッチンにその姿を消す。

「ちょっと熱いかも知れないから離れていて……ロウソクのロウをたらして、そこに立てれば倒れないはずだ……ほら……」

 普段使っている電気とは違い、どこかホンワカとした温かみのあるオレンジ色の光に部屋が照らし出され、二人の間には安どの空気が流れる。

「――ステキ……なんだか、クリスマスのキャンドルみたい……」

 ゆらゆらと揺らめき、頼りなさそうな明りではあるが、光を得た事にホッとしたのであろうか琴音は、やっと穏やかな微笑を浮かべる。

 確かに、ちょっとロマンティックかもしれないな? 彼女と二人きりでロウソクの炎を見つめる、でも、俺と琴音の二人じゃあそんなロマンティックな雰囲気にはならんかな?

「それにしても、雨ひどいね?」

 気密性はいいはずなのだがどこからか進入してくるのであろう風に、儚げにユラユラと瞬くロウソクの光の中で琴音がそう呟き、不安そうな顔をしながら健斗に身を預けてくる。

「あぁ、台風だからな? しかし、台風で停電になるとは思わなかったぜ……」

 さっきまで雑木林を照らし出していた街灯の光も消え、近所の家の様子もはっきりと見えないが、その様子からまだ電気は点いていないようだな? 雨が収まらないと復旧もできないのかも知れん。最悪の場合は朝までこの状態も覚悟した方がいいかもしれないな?

「ウン……」

時折聞こえるゴォという風の音に、琴音は身体をビクッと反応させながら健斗に押し付け、不安そうな顔をロウソクの光の中で向けてくる。

 まあ、俺だってそうだけれど、このような状況にあまり慣れているものでもないし、外は嵐なのだから、怖気してしまうのも無理は無いだろう。

 フワッと匂うシャンプーの香りに混じり、肩に感じる琴音の体温は容赦なく健斗は胸を高鳴らさせ、ボンヤリと灯るロウソクの光の中に浮かぶ琴音の事が愛おしく感じる。

「なっ、なぁ、琴音……」

 胸の高鳴りを抑えるように、健斗は不安なのであろう身を縮こませている琴音に声をかけると、少し潤んだような瞳が向けられ、その表情にさらに胸は高鳴る。

「ん?」

 ロウソクの柔らかい光のせいなのかなぁ、すっげぇ琴音が可愛く見えるぜぇ……って、こんな状況の中でそんな事を感じている場合じゃないよな?

 小首を傾げ、大きな瞳にロウソクの光を映しこんでいる琴音の表情に、健斗は思わず頬を赤らめ、顔を逸らしてしまう。

「その……お前の夢って聞いてもいいか?」

「あたしの夢?」

 そっぽを向き照れたように鼻先を指で掻きながら話す健斗の顔を、琴音はキョトンとしたような顔をして覗き込んでくる。

「あぁ、そういえば俺はお前の夢を聞いていなかったなぁって思って……べ、別に無理にというわけじゃあないから、もし教えてくれるなら聞かせてくれないか?」

 努めて穏やかに話す健斗の言葉に、琴音は考えるように首を傾げたままアゴに指を置いて、虚空に視線を向ける。

「あたしの夢かぁ……あまり深く考えた事無かったかも……でも、最近ではちょっとやってみたい事はあるかな?」

 それまでの恐怖心が少し和らいできたのか、やっと琴音の表情に笑顔が浮かび、健斗も心の中でホッとため息を吐く。

「やってみたい事?」

「ウン、ちょっと恥ずかしいんだけれど……誰にも話した事が無いんだぞ? でも、これは健斗や美音ちゃんに感謝しなければいけないかもしれないし……」

 穏やかな笑みを浮かべながら、琴音は肩をすくめながら健斗の顔を見つめなおす。

「俺や美音ちゃんに感謝って? 小説を書いてみたいとか?」

 よほど的外れな回答だったのだろう、健斗の言葉に琴音はクスクスと笑い出す。

「あは、あたしには健斗や美音ちゃんみたいな文才は無いから無理だよ……」

 頼りきったようにコツンと健斗の肩に頭を乗せながらクスクスと微笑む琴音は、上目遣いに困惑したような顔をした健斗の顔を覗き込む。

「あたしがやってみたいと思ったのは、ガイドさん。バスガイドさんや、旅行会社のツアーコンダクターもいいかもしれない……あたしの大好きな街を色々な人に知ってもらうために案内をして喜んでもらうのがいいなぁって思ったの」

 ヘェ、確かに初耳だぜ? 琴音がそんな仕事につきたいと思っていたなんて。でも……。

「確かに琴音に向いているかもしれないな? 説明が上手ですごく聞き易いせいなのかな? この街の事を俺に色々教えてくれた時だってすごくわかり易かったよ」

 健斗の言葉に琴音は照れたような顔をするが、やがてその表情が曇りはじめる。

「――怒らないで聞いてね? あたしがこの街の事をあれだけよく知っているのは、あの人の事を案内するためだけに勉強したの……彼に街を案内するって言う名目で、あの人に会いたかったから……あたしも札幌の出身だし、函館の事はよく知らなかったから一生懸命調べたの」

 今にもご主人様に怒られるのでは無いかというような子犬のように申し訳無さそうな顔をして覗き込んでくる琴音に、健斗は小さく微笑み返す。

 正直言って心中は穏やかでは無いけれど、そのおかげで俺もこの街の事が好きになる事ができたのは間違いが無い事だし、一番辛い思いをしたのは琴音だろう。

「そっか……でも、そのおかげで俺は琴音にこの街を案内してもらえたわけだし、琴音には感謝こそすれ、琴音に対して別に怒る必要はないだろ?」

 少し乱暴ながらも、健斗は下ろしたままの状態になっている髪の毛をクシャッと撫で、その大きな手の重みに琴音は心地よさそうに目を細める。

「それで? 琴音の大好きな街……みんなを案内したい街ってどこなの?」

 覗きこんでくる健斗の顔に、琴音は目尻に浮かんだ涙を拭いながら微笑む。

「――決まっているじゃない? この街よ……函館……一時期あの人とあんな事のあった街だから嫌いになった事もあったけれど、でも、今ではこの街の事が大好き……古い街並の中を路面電車が走って、素朴ながらも心の温かい人たちがいっぱいいるこの街の事が……健斗がいるこの街が大好き……みんなにこの街の事をもっと知ってもらいたいよ」

 目尻に涙を浮かべながら真正面に健斗の顔を見つめてくる琴音は、はにかんだような笑顔を浮かべており、その表情にこみ上げてくる彼女へのたまらない愛おしさに、健斗は思わず琴音の身体をギュッと抱しめてしまう。

「琴音……」

 その健斗の行動に一瞬ギョッとしたような表情を浮かべた琴音だったが、やがてその身体の緊張を緩め、その自由を健斗に委ねる。

「……健斗、あたしね?」

 意外に厚みのある健斗の胸に抱しめられ、伝わってくる体温に心地よさそうな顔をしながら、琴音は意を決したように顔を見上げてくる。

「…………あたし高校の最終学内選考を受ける事にしたの……あたしは明和大に進む……明和大に進んで健斗と一緒にいるよ、そうしないと健斗が寂しがっちゃうでしょ? それに、あたしも健斗と離れちゃうのが寂しいの……あなたのいるこの街で一緒に暮らしていたいの……」

 それまでダランと垂れていた琴音の腕はしっかりと健斗の身体に巻きつけられ、その顔をギュッと健斗の胸に押し当てる。

「そっか……安心したよ。もう琴音と離れ離れになっちゃうのかと思ってすごく悩んでいたし、もし琴音が札幌に行ってしまったら、毎週でも俺は行こうとまで思っていたんだぜ?」

 心底ホッとした顔をしている健斗の顔を、少し驚いたような顔をして見上げる琴音、しかし、その顔が笑顔に変わるまでそんなに時間は要さなかった。

「エヘ、嬉しい事を言ってくれるなぁ……ねぇ健斗、あたし、あなたの事を好きになれてよかったよ……これからもずっと好きなままでいてもいい?」

 キュッと抱きついてくる琴音に、健斗は顔を赤らめる。

「当たり前じゃないか……俺だってこれからもずっと琴音の事を好きでいる……」

 照れ臭そうな顔をしながらもその視線は真っ直ぐ琴音に向けられており、琴音の瞳もしっかりとその視線を受け止める。

「健斗……」

「琴音……」

 ロウソクのオレンジ色の光の中、二人の顔はゆっくりと近付きやがて唇が合わさる。

「健斗……好き」

 ゆっくりと離れた琴音の唇からは、呟きともため息ともとれない声が発せられ、その熱を帯びたような声に健斗の理性は切れる寸前にまで追いやられる。

 ヤバい……これはヤバいぞ……これ以上追いつめられたら……抑えきれなくなる。

「――お、俺の夢……」

 少し声を引っくり返しながら話し出す健斗に、もたれかかっていた琴音はキョトンとした顔をして真っ赤な顔をしている健斗を見上げてくる。

 話題を変えないと大変な事になってしまう。少し名残惜しいかもしれないけれど……。

 小柄な身体を抱いたままながらも健斗は体勢をなおし、温かな体温が伝わってくる琴音から身体を少し離してどうにか理性をつなぎとめる。

「……俺はやっぱり小説家になりたいんだよね? 別にそれによって世の中に何かを伝えるとか、そんな大仰なものではないんだけれど、俺の書いた小説を読んで、その話に共感してくれる人がいてくれたり、悩んでいる人がその話で少しでもラクになってくれたり、その話しに励まされたりすればいいと思っているんだ……ちょっと非現実的かもしれないけれどね? でも、そんな作家さんになりたいと思っているんだ」

 頭に浮かんだ言葉を羅列させながら照れ臭そうな顔をして話をする健斗の話を、琴音はしっかりと聞きとると、クスッと微笑みながらその顔を覗き込む。

「それだったら大丈夫じゃないの? 結構現実味はあるかもしれないよ? だって、美音ちゃんはあなたの書いた小説を読んで、あなたに告白をしようと決心したって言っていた。少なくとも一人はあなたのお話に勇気をもらっている事になるし、あたしも読ませてもらったけれど、今から思えば、あなたのお話にあたしも勇気をもらったような気がするよ?」

 照れ臭そうにも優しい微笑を浮かべたまま琴音はうつむき、健斗はまだ完全に髪の毛が乾ききっていない小さなその頭をボンヤリと見つめる。

「――前にあなたから借りた同人誌の中に『人を好きになる事は、絶対に苦痛であってはいけない……それが自然の事なのだから』というくだりがあったでしょ? それを読んだ時に、そのヒロインの姿と自分の姿が重なり合ったの……ちょうどその頃、あたしの中で健斗の事が気になりはじめていてすごく辛かったの……でも、人を好きになるのは当たり前なんだという文章に、なんて言うのかなぁ……ホッとした感じがしたの。当たり前だから健斗の事が気になっている。好きになっているんだって……」

 再び上げられた琴音の顔は柔らかい笑みを湛えており、その笑みに健斗は励まされる。

「だから、あなたはその夢を諦めないで……現実的じゃないと言ってそれを諦めないでもらいたい。絶対にあなたの小説に共感している人だっているはずなんだから。そんな人たちのためにも、あたしのためにも……ずっと書いていてください……夢を諦めないで?」

「――そこまで言われると嬉しいなぁ……ちょっと照れ臭いかもしれないけれど、でも、そこまで言ってくれるのなら自信を持っちゃうよ」

 照れ臭そうに鼻先を掻きながらそっと抱しめる健斗に琴音も、ニッコリと微笑みながらも頼りきった様に身体を預けてくる。

「ウン、自信を持って、健斗ならできるよ。不思議とあなたならできるような気がする……」

 お互いに微笑み合う健斗と琴音、いつの間にか窓の外からは強風の音はしなくなり、窓を叩いていた雨もいくらか小降りになってきたよう感じになっている。

「ヘヘ、なんだか琴音に褒められるとお尻がむずがゆくなってくるぜ」

 おどけたような顔をする健斗に、琴音は少し頬を膨らませる。

「ぶぅ、あたしだってちゃんと褒めるよ? いつも文句ばかりじゃないもん」

 いじけたような顔をする琴音の身体を健斗がキュッと抱しめると、その表情を穏やかなものに変えて、幸せそうに頬を健斗の胸に摺り寄せてくる。

「ねぇ健斗……あたしにはもう一つの夢があるの……」

 潤んだ瞳で見上げてくる琴音の表情は健斗が今までに見た事のないもので、無意識に健斗はその表情に胸を高鳴らせる。

「もう一つの夢?」

「ウン……この夢を叶える事が出来るのは健斗だけだよ……」

 揺れる事のなくなったロウソクの光を、キラキラと瞳に映しながらその瞳を上目遣いに健斗に対して上げてくる。

「そんな事は無いよ……その夢を叶えようと信じる己の気持ちだけなんだから、別に俺じゃなくとも、琴音がそう信じていれば絶対に叶うよ」

 力強く言う健斗の言葉に琴音は嬉しそうな表情を浮かべながらコクリとうなずくと、その厚い胸板に身体を寄せる。

「じゃあ大丈夫かな? あたしは絶対に叶うって信じているから……」

「それは……どんな夢なんだ?」

 猫のように目を細めながら話す琴音の髪の毛を撫でながら、健斗は強引に顔を覗き込ませると、その頬はオレンジ色の光の中でもわかるほどに赤く変化してゆく。

「エヘ……健斗とずっと一緒にいたい……一生一緒にいたいって……」

「こ、琴音……」

 一生一緒にって、それって……まぁいいかぁ。俺もこれからずっと琴音と一緒にいたいという気持ちは同じなわけだし、考えてもいなかったけれど、そんな人生も有りかもしれない。

 穏やかな笑顔を浮かべる健斗は言葉には出さないで、琴音の身体をギュッと抱しめる。

「絶対に叶うよ……その琴音の夢は……」

 穏やかな健斗の視線と、嬉しそうな琴音の視線が絡み合い、どちらからとも無く顔が近付く。

「健斗……好き…………」

 再び二人の唇が重なり合うとそれはそれまでと違い深く長く重なり合い、次に離れた時にはその名残がオレンジ色の光に煌く。

「ダメだ……俺これ以上我慢ができなくなっちゃう……だから」

 既に理性が崩壊しはじめている健斗は、慌てて琴音から身体を離そうとするが、それは呆気なく琴音の腕によって妨げられる。

「琴音?」

 まるで身体が離れてしまうのを拒むように、琴音の腕はしっかりと健斗の背中にまわされ、頑ななまでに離そうとはせず、顔も胸につけたままだ。

「…………我慢する事なんてないよ……」

 呟くような声が健斗の思考をかき乱す。

「だって……」

「健斗があたしの事を大切にしてくれるのはすごくわかっている、たぶんあたしの過去の事を気遣っての事だと思っているよ……その気持ちは本当に嬉しいの……」

 その表情は胸に付けられ健斗からは見る事はできないが、その言葉からは雰囲気に流されているのではなく、意を決するように話しているのがわかる。

「でも、あたしは過去を捨てたいの……わかるでしょ? この意味。あなたと一つになる事によって過去が振り切れるような気がするの……ウウン、それだけじゃない……本当に……本当に健斗に抱かれてもいいと思っている、過去を清算するではなく、好きな人と一つになるのが当たり前なのなら、あたしは健斗と一つになりたい」

 あげられた琴音の瞳からは、既に大粒の涙が溢れさしていた。

「軽薄な女に思われちゃうかもしれないけれど、でも、もしも健斗があたしのために我慢をしているのなら、我慢をしないでいい……あたしも健斗になら抱かれてもかまわないし……あたしも健斗に抱かれたいと思っているの……」

 再びギュッと抱きついてくる琴音の胸からは、自分のものとは違う早打ちしたような鼓動が伝わってきて、健斗がソッとその頬に手を触れると、まるで熱があるのではないかというほどにまで体温が上昇しているのがわかる。

「琴音……」

 ロウソクの光の中、頬を触れられた手の感触に琴音は穏やかな笑顔を浮かべている。

「健斗……あたしの事を愛して……体中であたしの事を感じて……あたしの中のキズをあなたの思いで満たして欲しいの……あれは悪夢だったんだって……」

 目尻に浮かんだ涙を健斗は唇ですくい取り、ソッと開かれる唇に健斗は自分の唇を重ね合わせると、そのままの状態で二人は床にゆっくりと横たわり、お互いの息吹を確かめ合うように激しく深いキスを繰り返す。

 琴音……俺はもうお前の事を離さない……一生お前と一緒にいる……約束だ。

 ウン、健斗……あたしの汚された身体をあなたが綺麗にして……あなたの唇で、あなたの吐息であたしの過去を全部拭って……お願い……。

 ユラユラと揺れるロウソクの光の中、二人の気持ちを確かめあうべく、素肌でお互いの体温を感じ合い、言葉だけでは表す事のできないない感情だけでお互いの心に触れ合う。

 琴音……俺は一生お前の事を離したりはしないよ……。

 嬉しいよ……健斗……一生一緒だよ?



=U=

「――琴音……来月の三連休に二人で東京に行かないか?」

 健斗の腕枕に安心しきったような顔をして目を閉じている琴音に声をかけると、少し気だるそうにゆっくりと体を起こすと、真剣な顔をしている健斗の顔を上から覗き込んでくる。

「東京? あたしと健斗で?」

 はだけているシャツを胸元で押さえながら、その真意がわからないというような顔をして首を傾げ、健斗もゆっくりと身体を起こすと、琴音の唇に軽くキスをしてくる。

「――以前に東京に行ってみたいって言っていただろ? どうせ東京に行く用事があるから、そのついでに一緒に行かないかなって」

 肩を抱き寄せながら言う健斗の言葉に、琴音はさらにわからないといったような表情を浮かべながら首を傾げ健斗の顔を見上げる。

「東京に行く用事? なんで?」

「親が帰ってくるんだ、スケジュールの都合で一週間しか日本にいられないらしいけれど」

 照れ臭そうに言う健斗に対して琴音は、まるで我が事のように嬉しそうな顔をするが、すぐにその顔には疑問の色が浮かぶ。

「なんで? どうせならご両親と水入らずの方がいいんじゃないの?」

「いや、琴音の事を親に紹介したいんだ……俺の彼女として……」

 鼻先を掻きながら少し照れ臭そうに話す健斗に対して、琴音も照れ臭そうにうつむく。

「ウフ……嬉しい……健斗があたしの事を彼女って呼んでくれた、あたしをご両親に紹介してくれるって言ってくれた……嬉しいなぁ」

 満面に笑みを浮かべ健斗の胸に顔をつける琴音だが、それを見る健斗の表情は引き締まったままで、重たく口を開く。

「それに、東京に行ったら俺は美音ちゃんの所にも行く……」

 苦渋の表情を浮かべた健斗の口から美音の名前が出ると、それまで笑顔だった琴音の表情が一気に曇り、心配そうに顔をしかめて見上げる。

「きちんと美音ちゃんには話さないといけない……彼女は勇気を絞って俺に告白したんだ、その気持ちを踏みにじったのは俺なんだから」

「だったらあたしも行くよ……美音ちゃんはあたしが健斗の事を好きなのを知っているし、健斗一人が悪者になる必要はないよ、あたしも一緒に言って美音ちゃんに謝るよ」

 美音が琴音の気持ちを知っているという事実に、健斗はかなり驚いたような表情を浮かべて顔を覗き込んできて、思わずその顔に微笑んでしまう。

「って、美音ちゃんが琴音の気持ちを知っていた? なんで?」

「ウフ、それは女同士の秘密よ……」

 ウィンクしながら言う琴音に、健斗は呆れたように肩をすくめ、それ以上の事を聞こうとはしないで、クシャッとクセッ毛の琴音の頭を撫でる。

 気持ち良い……健斗にこうやって頭を撫でられるとすごく落ち着く。

 猫のように目を細めながら、健斗の手の重みを受け止める琴音。その時、目の前がいきなり明るくなり、今まで闇に慣れていた目の奥が痛くなるような感覚に襲われる。

「直ったようだな?」

 手を乗せたまま健斗は電気のついたサークラインに視線を向けており、やっと目が慣れた琴音も顔をあげるが、そこには見かけによらずに筋肉質な健斗の胸が、何も纏わない状態で映り込み、一気に顔を茹で上がった花咲ガニのように赤くする。

「きゃっ!」

 小さな悲鳴をあげる琴音に健斗が視線を向けようとすると、さらに自分の格好に顔を完熟しきったトマトのように真っ赤にして、近くにあったクッションを投げつける。

 ヤダッ! シャツの下に何も着けていないよぉ、こんな姿健斗に見られたくない!

「なんだよぉ……そんなに恥ずかしがる事なのかぁ?」

 顔に張り付いたクッションをもどかしそうに取る健斗に、琴音は毛布でその柔肌を隠す。

 恥ずかしいよぉ、いくら肌を合わせたかとは言っても、こんな明るい所で見られるのは嫌!



「こんな感じかな?」

 明りの戻った部屋の中、健斗はパソコンに向かい父親からのメールに返信文を書き上げる。

〈九月に敬老の日が絡んだ三連休があるのでその時に東京に行ってやる、スケジュールが合うのであれば東京で宿泊するホテルを教えろ!〉

 たいした内容ではないが何度も書き換えた内容に、納得をした顔をして、送信ボタンをクリックすると、送信中のメッセージがディスプレーに浮かび上がる。

「健斗? まだ起きている?」

 コンコンというノックの後、扉の向こう側から遠慮がちに琴音の声が聞こえてくる。

「あぁ……起きているぞ? どうしたんだ?」

 さっきまでの出来事が頭によぎり、健斗は思わず顔を赤らめてしまい、無意識に顔を赤らめ、その声は異常なまでに甲高くなってしまう。

 意識しないようにしている。しているけれど、やっぱり意識しちゃうぜ? だって無理ないだろ? 好きな女の子とあんな事になれば、意識しない方がおかしいぜ。

「ウウン……ちょっと入ってもいいかなぁ……」

 モジモジとしたような琴音の声に、健斗は思わず微笑んでしまう。

 まだ怖いのかな? どうやら台風は去ったらしいし停電も治まっているのに、またなるのではないかという恐怖心があるのかもしれないな?

「かまわないよ、ちゃんと服は着ているから」

「ばっ、ばぁか! ヘンな事を言わないでよね?」

 怒ったようにそう言いながらも琴音はゆっくりと扉を開くと、中を確認するように視線を当たりに配らせ、健斗がちゃんとした格好をしている事を確認しホッとしたような表情を浮かべ、健斗がパソコンの前に座っている事に気がつくと、それまでの伺うような表情を変えて、一瞬にして顔に笑顔を浮かべる。

「あぁ、お父様にメールしていたの? なんか連絡あった?」

 怪我をした時に買ったボーダー柄のルームワンピースを着る琴音はピョンピョンと裾を躍らせながら跳ね、珍しくはしゃぐような様子に健斗は苦笑いを浮かべる。

「そんなにすぐに連絡はないよ、今が夜の十一時だから向こうではサマータイムで朝の七時。朝っぱらからメールなんてチャックをしないだろうから、返事が来るのは早くても夕方の四時から五時……下手をすれば明け方の五時ぐらいかもしれないぜ?」

 送信したばかりのメールがすぐに戻ってくるわけも無く、苦笑いのままヒョイッと肩をすくめる健斗に、琴音は感心したような表情を浮かべる。

「そっか……でも、お父様から連絡があったら教えてよね?」

 ワクワクしたような、ちょっと心配そうな不思議な表情を浮かべる琴音は、口を尖らせながらパソコンのディスプレーを覗き込む。

「わかったよ……連絡が来たら真っ先に琴音に教えるよ……それよりも、お前はどうしたんだ? こんな時間に俺の部屋に来ると妊娠させられちゃうかもしれないぜ?」

 意地悪く言う健斗の言葉に琴音は頬をプクッと膨らませながら、健斗の顔を睨みあげるが、その表情は今までのように冷かすようなものでは無く、ちょっと照れ臭そうに頬を朱に染めながら顔をうつむけている。

「ばっ、ばぁか、あたしはちょっち健斗の事が気になったから声をかけただけで……他に他意は、ない……ないわよ……」

 しかし、琴音は健斗の部屋から出て行くわけでもなく、少し躊躇しながらも部屋の中に入ってきてはモジモジとその部屋の中の様子を伺う。

 ったく……意固地というのか、なんと言うのか……。

「気になったって何が?」

 咄嗟に口をついた言葉だとわかっているが、健斗は意地悪い顔のまま琴音を見つめる。

「それは……そのぉ…………色々よ……」

 ゴニョゴニョと尻すぼみに話す琴音に対して、健斗はクスッと笑顔を浮べながらパソコンの電源を落とし、ベッドに腰を下ろす。

「ほら? おいで」

 腰掛けるベッドの隣を手でポンポンと叩くと、それまでうつむいていた琴音の表情がパァッと明るくなり、コクリとうなずいて健斗の示した場所に腰を下ろす。

「エヘへ……」

 チョコンと隣に座り、健斗の顔を見上げてくる琴音の表情には、満面に笑みを浮かんでおり、再び健斗の心をくすぐるには十分だ。

 ヤベェ、また理性が……俺ってやっぱりスケベなのかもしれない……トホホ。

「なんだか……琴音らしくないな?」

 顔をそむけながら照れ隠しに言う健斗の声に、琴音も満面の笑みを優しい笑みに変える。

 キチンとしているというのか、いつもの琴音はしっかり者というイメージで、いい意味で人に自分の弱みを見せる事無く、人から頼られるタイプなのだが、いま俺の目の前にいる琴音はまったくそれとは真逆のイメージだ。

「ウン……実はあたしもそう思っているんだ……なんだか自分らしくないなぁって、でもね? もしかしたら、これが本当の自分なのかもしれないなとも思うのよ」

 ソッと健斗の手を握りながら顔を見上げてくる琴音の顔には優しい笑みが浮かんでおり、その表情の中にはどこか大人っぽさを漂わせている。

「あたしって、小さい頃から母親の代わりに家事を手伝ったり、兄妹の面倒を見たりをしていたでしょ? だから人に頼るという事がほとんど無かったの……でも、健斗の前だとなんだか頼れるというか、甘えたくなっちゃうの……」

 普段はポニーテールにまとめている琴音も今は髪を下ろしており、恥ずかしそうにうつむくと、うなじが髪の毛の隙間からチラッと見る事ができ、その肌は桜色に染まっており、普段感じないような色気を健斗は感じてしまう。

「エヘ、たぶんあたしはずっと健斗に甘えたかったんだと思うよ……だって、今はこうしているだけでもすごく幸せな気持ちだよ」

 肩に寄りかかってくる琴音の重みが健斗にも心地良く、伝わってくる体温は、まるで健斗の体全身を包み込むように感じる。

「だから、もうちょっと一緒に……健斗に甘えさせて……今まで我慢してきた分、今日いっぱい甘えさせてちょうだい……お願いだから」

 呟くように言う琴音の頭に健斗は手を乗せると、ソッとその頭を抱しめる。

「好きなだけ甘えていいよ……琴音の気が済むまでずっとこうしていてあげるよ」

 柔らかな琴音の髪の毛が健斗の頬をくすぐり、そこに息を吹きかけるように健斗が話すと、琴音は一瞬身体を硬直させ、熱にうなされたような潤んだ瞳を向けてくる。

「ぁん……健斗の意地悪……」

 悩ましげな琴音の吐息に、健斗は思わず顔を赤らめてしまい、見上げてくる琴音の顔も赤く染まり、さらに潤みをもった瞳は妖艶ささえ感じる。

 頼むからそんな声を出して、そんな艶っぽい視線を向けないでくれ、また、我慢の限界を超えてしまうでは無いか……。

 どちらからともなく顔を寄せ、お互いの唇を貪りはじめると、二つのシルエットはゆっくりとシーツの波間に沈んでゆく。

「……健斗……電気を消して?」

 やがて部屋の電気が消され、いつの間にか部屋の中には月明かりが差し込んできており、女性らしい琴音のシルエットと、意外に筋肉質な健斗のシルエットがその中に浮かぶ。

「やっぱり我慢できなくなっちゃったよ……琴音があんな色っぽい顔をするから……」

「ぅん……健斗のエッチ……」

「エッチな俺は嫌い?」

「エッと……キライじゃないよ……健斗なら……どんな健斗でもあたしは好き……」

 再び重なり合う二つのシルエットは、お互いの体温を求め合うように動き、お互いにその身体を肉体的にも精神的にも包み込み合うように闇の中で蠢く。

「初めての二人だけの夜は、あたしたちのとって忘れる事ができない一日になったね?」

「後悔している?」

「ウウン、そんなわけないよ。こうなる事がきっと必然だったんだと思う……それに、あたしだってこうなりたいと思っていた……あたし、健斗に抱かれて本当に幸せだよ?」

第二十八話へ。