第六話 昼のひと時



=T=

「ムンッ!」

 ようやく桜の花がほころび始めた函館の街は既にゴールデンウィークを終えて、これから来る夏に向けてマッタリとした空気が流れているような雰囲気になっているが、目を血走らせながら、校内にある掲示板とにらめっこをしている人物が約一名いる。

「さてと、本気でバイトを探さなければいけないなぁ……ドル仕立てで仕送りを送ってくるマヌケな親はさておき、日本円を稼がなければ、そのうちあの家からいつか追い出されてしまう」

 健斗にも一応仕送りは来るのだが、その額面はすべてアメリカドルで送られてきて、しかも、そこから学費などを抜くとかなりカツカツになる。

 円安にでもなってくれれば多少は違うんだけれど……今のレートが確か……ってやめた、考える事によってさらに悲しくなってくる。せめてもの救いは深雪さんが家賃を請求してこない女神様のような慈悲深い人だという事だ……。

 深いため息をつきながら、健斗は学食近くにある購買部の掲示板をジッと見つめる。そこにはさまざまなアルバイト募集の記事が張ってあり、割の良い仕事を必死に探すが、景気がいくらか良くなったとはいえ、その張り紙の数にも限りがあり、東京と物価が違うせいなのか、その時給設定に健斗は首を傾がせ、世の中はそんなに甘くはないという事を痛感させるとともに、徐々にその眉間にはしわが深く刻まれはじめる。

「フム……これなんか結構率がいいかな? ゲッ、深夜だけかよこの時給……」

 掲示板の前で御供を唱えるが如く、ぶつぶつ呟く健斗の事を、気のせいなのか周囲を歩く人間は、そこだけを避けて通っているようにも見える。

「健斗!」

人が避けて通るほどまでに不振な行動をしている健斗の事を、勇気ある人物は、気軽にその肩を叩きながら声をかけてくる。

「ん? オウ琴音かぁ、またこんな所にまで来て……先生に見つかって、後で苦言を申し付かっても、俺はしらねぇぞ?」

 健斗が掲示板から視線を外し、その声の主に顔を向けると、そこには紺色のブレザーにエンジ色のリボンタイ、濃緑色と紺のチェック柄のプリーツスカートという格好をしている琴音が、気まずそうな顔をして健斗の顔を見上げている。

「テヘヘ、まぁまぁこまかい事は言いっこ無しで……それにしても、あんたはなにを掲示板の前で唸っているのよ……傍目から見たら不審人物だぞ」

誤魔化すようにペロッと舌を出しながらおどけた顔をする琴音。

こうやって見ると琴音も可愛い女子高生に見えるのだが、何につけて俺には突っかかってくるんだよな? この娘……普通にしていれば平均以上に可愛いんだけれどね?

「不審人物って……場所柄からいうとお前の方が不審人物じゃないのか? 大学生ばかりの生協の中に制服姿の女子高生というのは、完全にこの景色から浮いているぞ」

この明和大学は、小等部の校舎を中等部の校舎が囲み、大学部の校舎が高等部の校舎を囲むようにそれぞれ併設されており、それぞれの各学部には専用の購買部や学食があり、本来ならそこ以外を利用しない決まりになっているのだが、ボリュームがあって三学部の中でも一番美味しいといわれている大学の学食は人気があり、小、中等部の生徒はそれをちゃんと守っているが、世間にスレてしまっている高校生は当たり前のように使っているのが現状で、学校側も一応は注意をするものの、ほとんどがそれを黙認している。

だからと言って五つもある大学の学食で、わざわざここを選ぶ必要は別に無いだろ?

大学に通い慣れた頃に気がついた事なのだが、健斗たちが昼によく使う学食は高等部の生徒が昼時になると大量に押しかけ、そこを占有するべき大学生がはじき出されるという現象がよく起きていた。琴音によれば、『高等部の学食よりもここの方が美味しい』らしいが、AからEまである学食の中で、わざわざD食(D学食の事)を使うのかがよくわからない。琴音曰く『だってぇ、あたしの教室こっちの方が近いんだもん』というのが理由らしいが……。

「エヘ、それよりも、健斗はお昼食べたの?」

短めのスカートを揺らしながら、琴音は小首を傾げて健斗の顔を覗きこんでくる。

「俺か? 俺はまだだ、これから行こうと思ったところだけれど……」

健斗はそう言いながら、視線を再び掲示板に向ける。

居候の肩身は狭いもので、なんとか収入が欲しいところである。なんとか割りの良い(ここ重要!)バイトを探して、少しでも黒石家に入れていかないと、このままでは無言のプレッシャーに押しつぶされてしまいそうだ、しかも、この琴音でさえ、わずかながらでも家賃を入れているらしいし……そうなるとまるっきり俺の立場がない。

「バイトを探しているの?」

健斗の袖がクイクイと引かれ、それに従い渋い顔を琴音に向ける。

「あぁ、いつまでも深雪さんにおんぶに抱っこという訳にはいかないだろ? 俺だって仮にも男なんだからな? 少しでも役に立たないと……」

しかめ面をした健斗は、再び掲示板を眺めながら琴音に答えると、何か感心した事があったのだろうか鼻で返事をしたかと思うと、なぜか嬉しそうな表情を浮かべる。

「フーン……でも、今の最優先課題は、昼食を食べる事! でしょ?」

いきなり腕を引かれ、どの反動で一瞬倒れ込みそうになる体を踏ん張ると、さらにグイッと温かい体温と共に腕が引かれ、その腕を引く琴音の顔は、まるで悪戯っ娘の様に目を三日月形に細め、クスクスと微笑みながら健斗の顔を見上げると、ニィッとその口を歪める。

俺は今バイトを探している最中だぜ? けれど、まぁいいかぁ……。



「琴音ぇ、おそぉ〜いぃっ!」

腕を引かれるがままに混雑を極めているD学食前に行くと、相変わらず琴音と同じ制服を着た生徒の集団の中から、一人の女の子が頬を膨らませて琴音を睨みつけている。

「ゴメ〜ン、おトイレに行ったら、知り合いが間抜け面をして掲示板に張り付いていたから、拉致してきたよ……お昼期待しちゃおうか?」

うぉい、なにを言っているんだ? その期待と言うのはまさかだよなぁ……。

健斗はトホホな顔をしながら、はじめて見るその女の子に視線を向けると、メガネをかけたその娘と視線が交錯し、彼女は一瞬にして顔を赤らめてうつむいてしまうが、その手はスカートの前でモジモジと落ち着きをなくしたように忙しなく動いている。

「どした? 由衣(ゆい)モジモジして、あんたもトイレなの?」

 女の子が男の前で平気にトイレとか言わないでもらいたいものだな? 一応こんな俺でも女の子に夢を見ているんだぜ?

 呆れ顔をしている健斗の事を、チラチラと上目遣いで見ていたその女の子は、琴音の一言にまるで敵を見るような目をして睨みつける。

「なっ、なにを言っているのよぉ! 男の人の目の前で、そんなに平気な顔をしてトイレなんて言わないでよね琴音! それよりも誰なの? この人……」

由衣と呼ばれたその少女は、琴音の袖を引きながらコソッと耳打ちをし、照れ臭そうな顔をしながら健斗を見つめる。

「あぁ、彼は茅沼健斗、あたしが下宿している所の居候よ」

わざとらしく『居候』の所を強調したように言うと、琴音は意地悪い顔をして健斗に向き、その顔には含み笑いを浮かべている。

クゥ〜ッ、否定できないぜぇ……これは、早急にバイトを探して何とかこいつと肩を並べなければいつまでたっても俺はこいつに頭が上がらなくなってしまうな。

苦虫を噛み潰したような顔をしている健斗と、まるで勝ち誇ったような顔をしている琴音の二人を交互に見ながら由衣は首を傾げている。

「そうなんだぁ……はっ、はじめまして……あの、あたし琴音とクラスメイトの根川由衣(ねかわゆい)です、よろしくお願いします」

髪の毛を三つ編みに編んでおさげにしている、由衣はペコリと健斗に向けて頭を下げる。

「あぁ、茅沼健斗です、よろしく」

健斗も軽く手を上げながら由衣の顔を見ると、一瞬間をおいて、

「ハ……ハイ! よろしくお願いされちゃいます!」

 キャピッという形容詞が似合う声を出しながら元気に頭を下げると、パシッ三つ編み髪の一房が由衣の顔に勢いよく当たり、見た目はちょっと痛そうであるが、顔を上げた由衣の顔にはそんな痛みを感じた風はなく、満面の笑顔を浮かべて健斗の顔を一点に見つめている。

 なんだ? 俺の顔に何か付いているのかな?

 そんな由衣の笑顔攻撃に、キョトンとしている健斗に対して、琴音は少し不満そうな表情を浮かべながら由衣の腕を引く。

「由衣、そんな所でオタク男に付き合っていると席が無くなっちゃうよ!」

 プイッと健斗から顔をそらす琴音の表情は、どこか機嫌が悪そうである。

「オタク男って言うのはもしかして俺の事を指すのかな? 琴音さん……」

 脈動するこめかみを押さえながら、健斗は自分に親指を向けると、琴音は当たり前といったような顔をしながらコクリと頷く。

「だってぇ、そうじゃないの? 小説家志望のオタク男」

 ベェ〜ッと舌を出す琴音に対して、健斗は怒りで拳をフルフルと震わせながら、シレッとした顔をしているその顔をジトッとした目を向ける。

「琴音ぇ〜!」

 怒りが決壊した健斗に対して、意地悪く微笑む琴音はさらに追い討ちをかけるようにさくらんぼ色をした舌を再度ベェッと出しながら由衣の腕を引く。

「エヘヘェだぁ、ほら由衣ぃ、早く行かないと不審者に襲われちゃうぞ……って、ちょっと由衣? あんたどうかしたの?」

 その腕を引けば軽く付いてくるだろうと予想していた琴音だったが、その予想に反して、引く由衣の腕はなかなか動く事無く、不審に思った琴音が由衣の顔を見ると、どこかポヤッとした顔をしながら健斗の事を見つめており、その瞳はまるで熱病にうなされているように熱く潤んでおり、顔も全体に朱を帯びているようにも見える。

「……健斗さん……かぁ」

 周囲の雑音にかき消されそうな小さな声だったが、由衣がそう呟いたのを琴音は聞き逃さす事は無く、素直に驚きの表情を浮かべて由衣の顔を見つめると、その頬は同性の琴音から見ても可愛らしく上気している。

「ちょっと、由衣? ねぇどうかしたの?」

 琴音が袖を引いている事にようやく気が付いた由衣は、まるで温泉につかってのぼせたような表情を浮かべながら琴音の顔を見る。

「エッ? あぁ琴音、いつの間にいたの?」

 そんな由衣の一言に思わず琴音は健斗とは首を傾げながら見つめ合ってしまう。

「いつの間にって……あなたが教室を出てからいままでずっと一緒だったでしょう?」

 不審な顔をしながら由衣の顔を見つめる琴音は首を傾げているが、視線の先にいる由衣はいまだに健斗の顔を上気した顔でチラチラと盗み見てはため息を吐いている。

「はぁ〜」



=U=

「Aランチかな?」

空いている席と確保した後、食券売り場で三人して悩む……Aランチはボリュームがあり、いかにも男子学生向けといった感じの物で健斗はすぐにそれをチョイスするが、隣にいる女子二人は明らかに困惑したような顔をしてそのメニューに視線を向けている。

「えっとぉあたしは、Bランチにしよ」

琴音はさんざん悩んだ挙句に、照れ臭そうな顔をしながらAランチよりも少しボリュームが落ちるBランチをチョイスする。

「あ……あたし、サラダセットだけでいいかな?」

由衣は、ちょっと遠慮がちに同じように券売機のボタンを押す。

「由衣、そんなのだけで足りるの? もっと食べないと、午後の授業でお腹がすくよ?」

琴音はそういい心配そうな顔を由衣に向けると、慌てたような顔をして由衣がその琴音の口を手で覆いながら、作り笑顔を健斗に向ける。

「な、なに言っているのよぉ、だっ、大丈夫に決まっているでしょ? そんないつも大食らいの琴音とあたしを一緒にしないでよね!」

由衣は赤い顔をしながらそう言いながら琴音を睨みつけると、その赤さが伝染したかのように琴音も顔を赤らめながら頬を膨らませる。

「大食らいだなんて、あたしだってそんなに食べないわよ?」

「だって琴音ってば、いつも放課後になると『お腹すいた』なんて言っては購買でよくお菓子買っているじゃないのよ、それにぃ、学校の帰りに『ハセガワストア』によく寄って『とり弁』を買って食べているし……」

 まるで健斗に言いつけるように言う由衣の表情に、健斗の頬が思わず緩む。

ハハハ、女の子だねぇ、男女の差があるとはいえ高校時代はみんなそんなものだろう、俺なんかも買い食いの常連だったし、よく学校帰りのコンビニで美音ちゃんたちも買い食いしていたのを見た事がある、あまり気にする事ないんじゃないのかな?

しかし、暴露されたような格好になった琴音は、ふぐと競り合うように頬を膨らませながら由衣の顔を睨みつけるが、由衣は関係ないといった顔をしてその顔を健斗に向き直す。

「そ、そんな事を、何もここでバラさなくたっていいじゃないでしょ? そんな事を言っていたらぁ由衣だってこの間ラッピで……」

顔を赤らめながら琴音は由衣を睨み、微笑ましい言い争いが起きるが、健斗はそんなやり取りを微笑みながら見ていた。

「なによ健斗、いやらしい笑い方して」

 食券を買い求めて、料理が提供されるパンツリーレールの最後尾につくと、背後についた琴音が健斗の顔を覗き込みながら口を尖らせている。

「やらしい言うなよ……」

 琴音とは色々とあるから、いやらしいと言われるとドキッとするんだよね?

「だってぇ、あたしと由衣の顔を見ながらニヤニヤしていたじゃないのよ」

 頬を膨らませ意地悪い顔をする琴音、その後ろでは相変わらず少し頬を朱に染めている由衣が健斗の顔を見据えている。

 なんだよ俺はただ単に、微笑ましい光景だなと思って見ていただけなのに……そういう斜に構えたように見られるのもちょっと不満かもしれないなぁ。

 今度は健斗が口を尖らせる番だったが、

「よっ、健斗」

ゆっくりと進む列の中、健斗が琴音に文句を言おうと振り返ろうとすると、健斗の肩がいきなり抱きつかれるように抱きしめられる。

「ん? あぁ、雄二か」

混雑した学食内で健斗の後ろに立ちながらトレーを持ち、器用な格好をしながら健斗に絡みついてくる男は、大学の同じ学部に所属している皆川雄二(みながわゆうじ)だ。

琴音の高校時代の先輩という事なのだが、いまだに俄かに信じられない。しかし、この男とは意外に話が合い、一ヶ月経った今では仲がいい友達かもしれないが、でも、何かにつけてなついてくる変わり者で、鬱陶しそうな態度をとっても、いつも雄二はどこか幸せそうな顔をし、いまでも俺の肩に頬を摺り寄せている。

「なんだはないだろう? そんなツレない事を言わないで一緒に飯を食わないか?」

雄二はそういいながら、健斗の答えを待たずに自分のオーダーしたメニューを手にすると、健斗たちが確保した席に迷う事無く歩いてゆく。

悪い奴ではないのだが、スキンシップと言いながらこうやって近づいてくる。たまに背中に悪寒が走る事もあって、コイツと付き合っていると本能的に貞操の危機を知らせているような気がするのですが、それって俺の気のせいなのか?

健斗が胡散臭そうに雄二の事を見ていると、待ちかねたメニューが提供されトレーに乗せると、健斗と同じように自分のメニューをトレーに乗せた琴音が雄二に挨拶をする。

「皆川先輩! こんにちは」

 トレーに乗った味噌汁をこぼさないように、琴音がゆっくりと雄二の座る対面にそれを置きながら微笑むが、当の雄二はあまり興味を示さないような顔をして、視線を飛び越えさせてその背後にいる健斗に向けている。

「やぁ、沢村さん、今日はこっちで食事なのかい?」

お座なりに雄二はそう言いながら、自分の隣に座る健斗にその幸せそうな再び視線を向けると、琴音は少しつまらなそうに頬を膨らませている。



=V=

「健斗、お前バイトを探しているって言っていたじゃないか? それでここなんかどうだ? 俺の知り合いが働いているんだけれど、かなり時給は良いぞ?」

 ニコニコ顔をした雄二が差し出すチラシを受け取りながら、健斗はA定食のメインディッシュの一つである鳥のから揚げを口に放り込み、マジマジとそれをジッと見つめる。

フム、時給千円かぁ、これは良いなぁ……って、ちょっと待てくれ? これって……。

「――ヲイ、お前これは、バーじゃないのか? 二十歳未満は要相談となっているし、しかも、フロアーでの接待というと、ひょっとして……」

なんとなく淫靡な匂いが香るそのチラシを見て、健斗は思わず口に含んだ唐揚げを危なく真正面に座る琴音の顔面に向かって吹き出すところだった。

「いや、そんなにいかがわしい所ではないぞ? お客に酒を勧めながら、ちょっとこうやってシナを作ったりすれば、たまに小遣いがもらえるらしい。店長とも懇意にしているから年齢についてはうまくクリアーする事ができるだろう」

おいおい、それって……。

吹き出しそうになったから揚げをどうにか飲み込み、シナを作って健斗に寄りかかっている雄二の顔をキッと睨みつけるが、雄二はなぜか少し頬を赤らめ、熱を帯びたような目をしながら健斗の顔を見上げている。

「ねぇ、それってホストクラブじゃないの?」

寄りかかっている雄二を鬱陶しそうに押しのけて、息を吸い込んで健斗がこれから言おうとした台詞を背後からの声に先取りされる。

「藤宮先輩?」

言葉を横取りされて、声を失ったように口をパクつかせている健斗の代わりに、キョロッと大きな目をさらに大きく見開いた琴音が声をあげる。

って、また先を越されたし……。

再び台詞を琴音に横取りされて苦々しい顔をしている健斗の目の前では、ショートカットの髪の毛をかき上げるような仕草をしながら、花織は指を額に当てて敬礼するように琴音と健斗の顔を交互に見つめる。

「ヤッホー琴ちゃん……って、ちょっと雄二! あんた健ちゃんにそんな怪しいバイトを薦めないの! まだ健ちゃんは純潔なんだからっ!」

花織はニッコリと微笑みながら健斗と琴音を見たかと思うと、次の瞬間に雄二に向いた時の顔は、まるで般若のような表情を浮かべて雄二の顔を睨みつけている。

おっかねぇ、花織先輩もこんな顔をするんだな? いつもはニコニコしていて人当たりのいい大人の女性というイメージなんだけれど、雄二と幼馴染という間柄せいなのかな? ちょっと意外な一面を見たような気がするぜ。

「だったら花織は見たくないのかよぉ?」

そんな怖い顔をしながら胸倉をつかんでいる花織に対して、口を尖らせながら言う雄二のその言葉に、花織はその健斗の姿を頭に思い描いているのか、一瞬視線を虚空に向ける。

「なによ……健ちゃんがそんな格好をしたら……かっ……」

何を思い描いたのか、花織の顔は見る見るうちに真っ赤になっていく事によって、その想像がどのようなものに至ったのかを周知に知らせる事になる。

おいおい、俺がなんだってホストの格好をしなければいけないんだよぉ。

「ちょっ……ちょっとカッコいいかも……」

風呂上りのように赤らんだ花織の顔は、それまで否定していた事自体を否定するような事を呟き、さっきまで浮かべていた般若のような表情をいっぺんさせ、うっとりとした表情で健斗を見つめ、胸倉をつかまれていた雄二もウンウンとうなずきながら健斗の顔に向く。

おいおい……。

「でしょ? 絶対に健斗がそんな格好をしたらカッコがいいと思うよ! 俺だったら間違いなく毎日のように通って健斗を指名しちゃうけれどなぁ」

花織の呪縛から解き放たれた雄二は、そう言い健斗の肩をさりげなく抱こうとするが、健斗はそれを鬱陶しそうに手で払い、紅潮した顔をしている雄二の事を睨みつける。

「なんだって俺がホストなんだよ。大体なんでお前が通うんだ? そういう所というのは女の人を相手にする所なんだろが? なんで俺がお前を相手にしなければいけないんだ!」

口を尖らせながら唾を吐きかける勢いで雄二に異論を申し立てている健斗だが、それに反して花織と由衣、琴音でさえ健斗に視線を合わせる事無く顔を赤らめている。

「おや? おまえは知らないのか? ああいう所は結構男連中にも人気があるんだぞ? 確かにちょっと特殊な趣味の方々が多いようだが……」

 ひょっとして、お前もその特殊な一人なのかい?

「女性だったらいいのね?」

 少し猫目かかった目を細めて花織が首を突っ込んでくる様子は、健斗のバイトがそこで行なわれると彼女の中では既に確定されているようだ。

「花織先輩……」

 助けを請うような顔をする健斗を見て花織は我に返り、コホンと咳払いを一つすると視線をさ迷わせながらも、その横顔は少し残念そうに見えるのは、健斗の気のせいなのか?

「だから、そんな世界もあるという事をだな、お前にも知ってもらいたいんだが……」

いまだに諦めていない雄二はどこかワクワクした顔で健斗を見るが、健斗はキッパリとそれを否定するように腕を伸ばし、手のひらを雄二の目の前に差し出す。

「俺はそういう世界をあまり見たくない!」

「そんな事はないぞ? 男同士もお互いにツボを知っているからなかなか……」

持論を発表するかのように雄二は拳を握り締めながら力説をしているが、これ以上の事を、話させない方がいいであろう……目の前には年頃の女の子が二人もいるんだし、あまり突っ込んだ話は精神衛生上よろしくないし、何よりもうるさい。

大きな口を開いて唾を周囲に撒き散らしながら力説している雄二の口に、健斗はA定食の付け合せにあったグリーンピースを向けて一粒投げ入れると効果てきめん、吸った息と一緒にそのグリーンピースが鼻腔に入り込んだようで、雄二はその場でもんぞり打つように床に転がり、苦しそうにむせ返っているが、それに同情するような人間は誰もいない。

「健ちゃんはバイトを探しているの?」

あまり綺麗な形では無いがどうであれアブナイ話が止まり、健斗がホッ胸を撫で下ろしていると、いつの間にか花織が健斗の隣に座り、由衣と同じサラダセットをついばんでいる。

「はぁ、まぁ……」

言葉尻を濁しながら健斗はそう言い、目の前で由衣と話をしている琴音をチラッと見る。

まさか居候をしているなんて花織先輩には言えないし、男としては情けないよな?

「――フーン、じゃあうちのお店でやれば? 琴ちゃんも一緒だし楽しいと思うよ? ちょっと時給が安いけれど、食事もついているし」

 プチトマトを口に放り込みながら、ニコッと微笑む花織の提案に、健斗の心は色々な面で揺さ振られ、その視線が忙しなく周囲を見渡す。

食事付きかぁ……ちょっと魅力的かもしれないけれど……でもそれなら……。

「確かに魅力的ではあるんですけれど、ちょっと考えさせてください」

健斗が曖昧な答え方をしながら笑みを浮かべていると、その話を片耳で聞いていたのか、琴音がプゥッと頬を膨らませながら健斗の顔を睨みつけている。

「あたしは健斗と一緒にバイトをするのは嫌だなぁ」

 険しい顔をして健斗を見る琴音の視線は本気でそれを嫌がっているようにも見え、そこまで言われた健斗は眉尻を下げ情けない顔を作る。

 そこまであからさまに嫌な顔をしなくってもいいだろうに……ちょっとヘコむぜ。

「あらそう? あたしは健ちゃんと一緒にやりたいなぁ、バイトが終わったらそのままデートに行く事だってできるし……」

 花織先輩? 今さらっと爆弾発言しませんでしたか?

 花織の一言に健斗と琴音が目を剥くが、その視線の先にいる花織はまったく気にした様子を見せないで、平和そうにレタスをフォークに刺している。

「藤宮先輩? まさかこんな男の事を? まさかですよね?」

 こんな男って酷い言われようだな……確かに否定は出来ないけれど、しかし、花織先輩のいまの一言には俺も悲しいながら琴音と同意見、まさかだ。

「うふふ」

 花織は思わせぶりな微笑を浮かべながら、琴音の言葉を受け流す。

まさかだよなぁ……花織先輩って『mas』の中でもしっかりしていて、サークルの母親的存在みたいだし、同じサークルの女の子でもその存在に憧れている人が多いと聞いている。それもその筈だよ、ベリーショートの髪の毛はいまどき珍しい黒髪で、瞳の色はダークブラウン、決して高くはない鼻だけれども鼻筋は通っており顔の造形を際立たせている。しいて難を挙げるのであれば少しアゴが狭いのか、それが折角の美貌を全体的に年齢よりも下に見せてしまっているという事か? しかし、十人いれば六人は彼女の事を『美人』という印象を持つだろうし、残りの四人も『可愛い』という印象を持つであろう、そんな美形キャラが俺とデートに行くなんていう意見が出る筈がないし、仮に出たとしたらそれは奇跡だ……って、自分で言っていて情けなくなってきた……。

 皿にフォークを置きながら、花織はチラリと一人落ち込んでいる健斗の事を見ると、再びフフンと意味深な笑みを浮かべて。

「さぁ、それはどうかしらね? 琴ちゃんが言っているのよりも、あたしは健ちゃんって男前だと思うけれどな?」

「ハッ? 男前? 健斗が? 悪い事をいいませんから眼医者行った方がいいんじゃないですか藤宮先輩、ちょっと重症かもしれませんよ?」

 おいおい、間髪いれずに否定をして、しかも眼医者に行く事まで勧めてくれるとは、琴音の奴は俺に喧嘩を売っているんだろう。

 顔を花織に近づけ、その目の前で手をヒラヒラさせる琴音の事を、険のある目をして睨みつける健斗の視線に、琴音はシラをきるように顔を逸らせる。

「あたしも藤宮先輩に一票を投じさせてもらおうかな?」

 そんな琴音の横で由衣も少し遠慮がちにではあるがうなずきながら、ソッとその手を上げるが、その思いもしなかった一票に、琴音は大きな目をさらに大きくする。

「ちょっとぉ〜、みんなどうしたしちゃったのよぉ〜」

第七話へ。