第一話 沈んでいく鳥、飛びつづける鳥



「ふぅ〜〜〜」

俺は家の壁に寄りかかり、煙草の煙をゆっくりと吐き出した。

「ったく、親父のやつめ・・・」

旭川に送られてすでに一年経っても親父への恨みは消えることは無く、もはや口癖になってしまったその言葉をつぶやいた。

「おいっ、翔!」

「ああっ、何?」

忘れもしない一年前、資産家の親父、実沼亮が俺を呼ぶ声にけだるそうに振り返る。

「大学を卒業してもう二年だ。いつまでも親の金で遊んでないでいいかげんに働いたらどうだ?」

「うるせーなー・・気が向いたら働くっていつもいっているだろ」

俺は最近流行りのニートとかいうやつで大学を卒業して数年が経っても働く気がせずに、毎日を何するでもなくぶらぶらとしながら過ごしていた。

「そうか・・じゃあ、こことは別のところで一ヶ月くらい生活して気分を変えてみたらどうだ?もちろん必要な経費は全てこっちで出すからよ」

「まあ、それなら行ってやってもいいかな」

今、思えば急で胡散臭い話だった。



「あ〜〜、やっぱ北海道は涼しいなぁ」

旭川の夏は東京と違ってクーラーがなくても涼しかった。

♪〜〜〜〜〜〜

 ♪〜〜〜〜〜〜

空港をでて、大きく手を上にあげ伸びをしていると急に携帯が鳴った。親父からだった。

「もしもし、翔ですけど」

携帯を取り出し、通話ボタンを押す。

「ああ、翔か。突然ですまんがわしらは海外に旅行に行くからうちには誰もおらんからな」

嬉々とした調子で話す親父に、

「なんだよ急に・・で、いつ帰ってくるんだよ?」

質問すると親父は笑いをこらえながら、

「ああ・・・それなんだがな・・特に決めてないんだよ。明日かもしれないし、一年先かもしれないし、もううちには帰らないかもしれん」

「あっ?なんだよそれ?」

ついに親父は吹き出して、

「はははっ・・すまんな翔よ。必要な経費を全て出すというのは嘘だ。本当はおまえが住むアパートの分しか振り込むつもりはないんだよ」

衝撃的な宣告にガーンッとかいう効果音が自分の中に鳴り響いた・・ような気がした。

「じゃ、じゃあ、俺はどうやって生活すればいいんだよ?」

俺の質問に親父は素っ気なく、

「知らん。自分で何とかしろ。ああ、あとうちに帰っても中には入れんぞ。扉の鍵は全て変えたし、窓は防弾ガラスにしたからどうやっても割れんぞ」

ちくしょう親父のやつめ、そんなことにばっかり金かけやがって・・・

「でも安心して、空港にお友達の小嶋くんがそちらでの生活に必要なことをアナタに教えてもらうことになっていますから」

お袋、実沼恵の言うことを元に辺りを見回すと、空港前の道路に停まっている車の前でこちらを見ている大学時代によくつるんだ悪友で、大学卒業後に実家の仕事を継ぐために旭川へと帰っていった小嶋堅の姿があった。

「なにが安心だよ!!俺はどうすればいいんだよ!?」

だが、友人の再会と今、直面している問題とはまったく別のことだ。

「そうねぇ、餓死したくなかったら働けばいいんじゃないかしら。小嶋くんにはぎりぎりまで助けないように言ってありますから」

「実の息子に向かって、そんな投げやりな言い方ないんじゃねえの?」

お袋のおっとりとした口調の残酷な言い分に反論すると、

「まあ、全ては働こうとしないお前の責任だからな。それを改善するために手を尽くすわしらは、まだ子どものことを考えている証拠だと思うがな」

親父がそう言うと二人の笑い声が携帯から発せられた。

「だからってこれは極端すぎじゃねーのかよ!?」

怒気をあらわに訴えると、

「獅子は子を育てるために谷へと落とすと言うだろう」

今時の親は絶対しなさそうなことをさらっと言ってのける。もう何を言ってもこの状況が好転しないことを親父の言葉が物語っていた。

「くそっ・・わかったよ。ここで生活すればいいんだろ」

仕方なく同意すると親父は自身満々に、

「そうそう、お前が何を言おうと結果は変わらんのだから最初からそうしておけばよかったんだ。ほら、小嶋くんが待っているんじゃないのか?早く行ってやれ」

言い終わった瞬間に通話は切られ、今はツーッ、ツーッという音だけが残った。

二人とも無茶苦茶だ!!こんな見知らぬ土地に放り投げやがって・・・

ぶつぶつ文句を言いながら堅の元へと向かう。

「おう、翔!ずいぶんと大変なことになったな」

堅が片手をあげながら人事のように軽く言った。

「ああ・・っていうかお前も被害者の一人じゃねえか」

「いや、俺は必要なことを教えたら何も手伝わんぞ。ほら、早く乗れ。お前の住むアパートに送ってやるからよ」

運転席に向かって堅は歩き出す。

そりゃねえぜ友よ!あの時の友情はどこにいってしまったんだ。

そう思いながら、俺は助手席に乗り込んだ。



そして、このオンボロアパートで最低限のバイトをして食いつなぎながら今に至っている。

「ちっ・・・」

短くなった煙草を灰皿に押し付け、次の一本を取り出そうと箱に手を伸ばす。節約のために一日一本という制約がどうなったかは吸殻のたまった灰皿が物語っていた。

「ちっ・・・」

もう一度、舌打ちをして箱を握りつぶし、ごみ箱に放り投げ、テーブルに置いた財布に手を伸ばす。

「ふう・・・」

財布の中は空だった。給料日までまだ少しある。

「しょうがねぇなぁ・・少し歩くか」

立ち上がり、気晴らしの散歩をするために玄関へと向かった。



「あ〜〜あっと、気持ちいいなぁ」

朝の涼しげな空気を吸いながら、常磐公園に向かって川沿いを歩く。

急にこんなところに送られて戸惑いはしたが、旭川は何気に結構気に入っている。

北海道では当たり前な碁盤の目のように整備された街、広々とした公園の数々、冬の寒さはしんどいが慣れれば楽しむ余地もある。

そんなことを思っているといつの間にか旭橋が見えてきて、その横に常磐公園へと向かう階段があった。

階段を下り、ガチョウが泳ぐ千鳥池の横を、新緑に覆われた道の上をなるべくゆっくりと歩いていく。

「子どもは無邪気でいいねぇ」



近くの幼稚園から来たのか、公園にあるプールへと入っていく子ども達を見ながら親父臭いことをつぶやきその横を通り抜け、公園の隅、あまり人が通らない林の道へと入って行く。

「んっ?あんなところに人がいるな」

公園の隅の隅、通り過ぎるだけでは見逃してしまいそうなところに人が一人、おそらく女性がなにやら動き回っていた。

「何やってんだ?」

立ち止まりしばらく見ていると、急に両目をおさえて激しく動き出す。

「おいっ!!大丈夫か!?」

女性に向かって叫びながら走っていった。



「おいっ!!大丈夫か!?」

その声に演技をやめて、声のしたほうに振り返る。茶パツでぼさぼさ頭の見知らぬ男性がこちらへと走ってくる。

「ここからじゃ見えちゃってたのか。しまったなぁ」

そう言いながら髪をまとめていたピンを外す。解放された黒髪が背中のあたりまで降りていく。

「ハァ・・ハァ・・大丈夫かよ?」

目の前まできた男性が息を切らせながら私に聞いてきたので、

「うん、大丈夫だよ。それよりもごめんね。私はただ劇の練習をしていただけなの」

「練習?」

彼はきょとんとして聞き返してきた。

「うん、そう。ポスター見たことない?劇団Wings公演の『暗闇の光』っていうんだけど」

ようやく息を整え落ち着いた彼が、

「ああ、それなら見たことがあるかも」

などど、曖昧な返事をした。

「そう、じゃあ見かけたらちゃんと確認してね」

私が言うと彼はわかったと言って頷いた。

「ところでさ。あなたは私のところまで『大丈夫か?』とかいいながら走ってきたけど、どんな風に見えたのかな?教えてくれる?」

私の八年間磨いてきた演技が気になったので、演劇に関して素人そうな彼に聞いてみると、

「ああ、なんか急におかしくなっちゃったのかと思ったよ」

心配した、と付け加える彼を見て、

「私の演技もまだまだなのかしら、自身なくなるなぁ」

がっくりと肩を落とした。

そんな私を見て彼が慌てて、

「いや、なんていうか大変なことにはなっているっていうのはわかったよ」

フォローにもなっていないことを言った。

「それってやっぱり全然わかってないってことよね」

さらに深く肩を落とした。

「こんなことじゃ主役なんて務めきることなんてできないよ」

彼に聞こえないように小さくつぶやいた。



半年前、

旭川周辺で劇を行っている劇団『Wings』のメンバーが集まる中、

「今度の劇の主役は高原にやってもらおうと思う」

座長が劇団全員に大きな声ではっきりと言った。

「えっ!!」

驚く私に劇団全員の視線が集中する。

「おまえも劇団に入ってもう八年経ったんだ。もうそろそろ主役をやっても大丈夫だと思うんだがみんなはどうだ?」

団長の問いかけに先輩も後輩もまだ驚いている私に拍手を送り、認めてくれた。

役者になることを夢見ていた私は高校を卒業してすぐに劇団Wingsに入団して、様々な劇の役を演じてもう八年・・やっと主役を演じる機会に恵まれたんだ。

「みんなありがとう。私、がんばります!」

感極まって涙が出そうになるのをこらえながら、劇団全員にむかって笑顔で答えた。



やがて台本が出来上がり、それに目を通すと、聞いていた以上に難しい役を与えられてしまったことに気付かされることとなった。



今度行われる劇『暗闇の光』は、バイオリニストを目指した女性がある日、脇を通った車がはじいた石により割れたガラスの破片をかぶり視力を失い、一度は夢を諦めようとしたが周囲の助けにより再び道を歩み始める、という話だった。

この女性を演じるのは思いのほか難しかった。目の見えない大変さは予想以上に辛いものだった。試しに目をつぶって街を歩いてみたけど、少し歩くだけで目を開けてしまうほど怖いことだと思い知った。

今のままじゃ絶対うまく出来ない、練習しなきゃ・・・今まで以上に・・・



そして今、私はこうして劇団員との練習とは別に朝早くに一人で人目のつかない常磐公園の隅で練習に励んでいたのだ。

「んっ?何か言ったか?」

怪訝そうに彼が言った。

「何でもないわ。それよりあなたさ、私の秘密の練習見ちゃったついでにこれからも見に来て感想を聞かせてくれないかな?予定が空いていればだけどさ」

「えっ!俺が?・・だけど俺、劇のことなんてよくわかんねえんだけど・・・」

彼は頭をガシガシと掻きながら、困惑した様子で言った。

「それでいいのよ!劇のことを知らない人でもわかるような演技が本物なんだから!」

熱っぽく言いながら彼に詰め寄ると、彼は少しひきぎみに、

「まあ・・それなら引き受けてもいいかな。どうせ暇だし」

最後の方はよく聞き取れなかったが、とにかく引き受けてくれるみたいね。

「それじゃあこれからもよろしくね。私は高原舞、あなたは?」

握手を求めて手を差し出しながら聞くと、

「俺は実沼翔、よくわからんがよろしく」

彼は面倒そうにゆっくりと手を差し出した。私はその手を掴み、

「ほんと助かるわ」

笑顔で握った手をぶんぶんと上下に振った。



続く・・・

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