ご心配お掛けしました……

らっぴ




=プロローグ=

「……暇だ」

 白い壁に消毒液臭いのは、ここが病室だということを嫌でも教えてくれる。

 それにしても……昼間のテレビなどあまり見ないが、こんなにもつまらない物だったとは、今更ながら痛感したよ……とほほ。

 イヤホンを耳にしてテレビカードなるものでテレビを見るが、カード度数の無駄遣いになるようなワイドショーしかやっていない。

「パソコンやりたいな……小説書きたいかも……」

 テーブルに置かれているノートパソコンを見つめながら呟く。

 しかし、一日二時間までといわれているし、当然ネットなどの環境がこの病院に完備されている訳もない、本当ならばここで一気に書いておきたいところなのだけれど。

 諦めたように視線をそれから外し、窓の外を眺めると、そこに見えるのは……マンションの廊下、ちょうど視線を向けたときに正面の家の子供であろう、黒いランドセルを背負った男の子が元気にその玄関の呼び鈴を押していた。

「窓の外は、普通の日常なんだよな?」

 ため息をつき、さらにその上にあるだろう空を眺めようとするが、そこは小さな空が見えるだけだった。

「……はぁ、行きたいな……北へ。」



=嫁?=

「ハァ……」

 何度目のため息だか分からない、さてと、一服するかな?

 タバコの箱を持ち、ベッドに腰掛ける。本当は、タバコは控えろと言われているんだけれど、やめられないのよねぇ。

 苦笑いを浮かべていると、四人部屋に見舞い客の来た雰囲気が流れる。

「こんにちは、お邪魔します」

 その来客は愛敬を振りまくように周囲の患者に声をかけながらベッドに近づいてくる。

「ヤッホー、着替えもって来たよ」

 にっこりと微笑み、目の前に立っている女の子はショートカットに魚のヘアピンをしている。

「へっ? 温子……ちゃん?」

 紛れも無く目の前にいるのは茜木温子。

「アァ! またタバコ吸いに行こうとしていたんでしょ、ダメよ、先生からも控えるように言われているんでしょ?」

 温子はそう言いながら顔を睨みつける。

「はは……だって、暇だからさぁ」

 ごまかすように微笑を温子に向けるが、温子のその顔は頬を膨らませている。

「あのねぇ、暇つぶしにタバコを吸いに行っていられたら、また具合が悪くなるでしょ? 出張の最中に具合悪くなって強制送還されてきて、病院に行ったらいきなり入院だなんて、本当に、人に心配かけるのは天下一品よね?」

 温子はそう言いながら抗議の目を向けるが、その瞳にはちょっと涙が浮かんでいるようにも見える。

「……わかったよ、ごめん」

 素直に頭をさげる。

「ヘヘ、わかってくれればいいよ……どうなの調子は?」

 再びベッドに横になると温子は優しく毛布を掛けなおす。

「うん、全然平気なんだよね? ただの疲れだけだと思うけれど……」

 温子の持ってきた禁煙パイポを咥えながら着替えを片付けるその横顔を見つめる。

「だけれど、あんなに具合の悪そうなあなたを見たのは初めてだったよ? まるで今にも死んじゃいそうだったし……死んじゃったら嫌だよ……」

 温子はきつい口調でそういう。

 そうだな、確か温子の父親もこうやって病気で亡くしたんだったよな?

「大丈夫だよ、俺はこう見えても頑丈にできている様だから、殺されてもそう簡単には死なないよ、きっと俺は」

 そう言いながら温子の頭をぽんぽんとたたく。

「エヘヘ、ウン! そうみたいね?」

 温子の笑顔が膨らむ。



=女医さん?=

「回診でぇ〜す」

 病室に、ちょっとした緊張感が漂う。

「ウン、結構回復してきたみたいね? これなら大丈夫、近いうちに退院できると思うわ」

 長い髪の毛にメガネをかけているのがこの病院の女医さんである朝比奈京子先生。

にっこりと微笑んでいるものの、タバコを吸っている姿でも見られるものなら、一気にどやしつけられる、結構おっかない先生だ。

「えぇっと……」

 京子はベッドの前に立ち、含み笑いを浮かべながら顔を見つめてくる。

「君は……どれ、見せて御覧なさい」

 見せてご覧って……医者の台詞かなぁ……。

「はい、前を開いてください」

 女性看護師の格好をしているウェーブヘアーの女性は、そう言いながら積極的にパジャマのボタンを外す。

「ちょ、ちょっと……自分でできますから」

 なんとなく照れくさいかも……へんな意識をしてしまうよ。

 ちょっと頬を赤く染めて胸をはだける。

「まふゆちゃん、そんな積極的に……もしかして? 彼はお気に入りなのかしら?」

 京子は意地の悪い顔をしてまふゆを見る。

「そ、そんな事無いですよ……多分」

 今多分って言わなかったか? まさかこんな綺麗な女の人が?

 まふゆは顔を赤らめながら背を向けると、京子は楽しそうに微笑みながら聴診器を胸に当てる、その隣にいた温子の表情は……ちょっと般若のような表情を浮かべている……怖いかも。



「フム……」

 京子はそう言いながら目をつぶりその音を聞き入っている。

「先生?」

 その隣でまふゆをけん制しながら温子がそっと京子に声をかける。

「……うーん」

 京子は聴診器を外し、難しそうな顔をしている。

「どうなんでしょうか?」

 ついこんな台詞が出てきてしまう。

「……フム」

 京子はそう言い真っ直ぐに顔を見つめる。

「合格よ、退院も近いわね?」

 にっこりと微笑む京子に対して温子は満面の笑顔を浮かべて京子に頭をさげる。

「有り難うございます! 本当に有り難うございます!」

 温子は京子の手をとりながら何度も頭をさげ、それに京子は微笑みながら答える。

「あなたの旦那は本当に頑丈にできているわね? 本当ならもっと時間がかかると思ったけれど……もう大丈夫、退院の日は近いわ」

 京子はそう言いながら温子を見るが、その隣にいるまふゆはちょっとつまらなそうな表情を浮かべている。



=妹?=

「よかったね? 退院は近いって!」

 温子はそう言いながらベッドサイドでみかんの皮をむく。

「アァ、ほっとしたよ……でも仕事がいっぱい残っているんだろうなぁ」

 会社のデスクを想像すると、再び具合が悪くなりそうだ。

「頑張ってね? ジャパニーズビジネスマン!」

 温子はそう言いながらむいたみかんを口に放り込む。

「俺には?」

 そのみかんをものほしそうに見ている俺、ちょっと情けないかな?

「エヘ、ゴメンね? はいアーンしてぇ」

 照れる……でもいいかな?

「……アーン」

「仲がいいことで……ちょっと暑いかも、この部屋ぁ」

 気がつくと、病室には腰まである長い髪の毛をした女の子が頬を膨らませながら立ち二人を見つめている。

「果鈴ちゃん?」

 温子は驚いた様子で果鈴の事を見る。

「果鈴、なんだ来たのか?」

 まさか来る訳ないと思っていたけれど妹まで来るとは思っていなかった。

「なんだとは失礼ね……お兄ちゃんが入院したって言うから慌ててきたっていうのに……そうかぁ、温子お義姉ちゃんとラブラブしたかったんでしょ? ヤラシイなぁ」

 果鈴はそう言いながらわき腹を突っつく。

「そんな事無いわよ、果鈴ちゃんも忙しいだろうからと思っていたから……ねぇ?」

 温子も頬を赤らめながら、制服を着ている果鈴の顔を見る。

「確かに忙しいわよ……でもお兄ちゃんが入院したって言うからこうやって来たんじゃないのよ……そんな事を言っているとお兄ちゃん二号に格下げするわよ?」

 果鈴はそう言いながら顔を覗き込む。まるで息がかかりそうなぐらいに近い距離まで迫っている。

「ちょっとぉ、近いよぉ」

 温子が慌てたように二人の間に割り込む。

「そう? アァ、温子お義姉ちゃんやきもち妬いているんでしょ……可愛い」

 果鈴は冷やかすように温子の顔を見ると、温子はまるで熱でもあるかのように顔を赤らめている。

「ばぁか、冷やかすなよ……さて、ちょっと一服ぅ」

 再びタバコの箱を持ち、喫煙所に向おうとすると、温子と果鈴から非難の声が上がる。

「ちょっと、控えなさいよぉ」

「おにいちゃん、身体を大切にしないとぉ」

 二人からそう言われ、ちょっと苦笑いを浮かべる。

 わかっているけれど、それでやめられれば今頃嫌煙家に俺はなれたと思うよ。



=お義姉さん?=

「ふぅ〜……美味いなぁ」

 紫煙が肺に染み渡っていくようだ……体に有害とわかっていても、中毒になってしまった以上は付き合っていくしかないのかな?

「あは、本当に好きなのねぇ、タバコ」

 温子は既に諦めた表情で、美味しそうにタバコを吸う姿を見つめている。

「これをきっかけに止めればいいのにぃ」

 果鈴は膨れ面で睨みつけるが、やっぱりやめられないのよねぇ。

「なんだぁ、元気そうじゃない……入院したというから駆けつけたのに」

 残念そうな表情を浮かべているショートカットの女性はサングラスの奥から優しい瞳ながらも意地の悪い顔を向ける。

「笙子姉さん!」

 温子が素っ頓狂な声を上げると、笙子は慌てて温子の口を塞ぐ。

「名前を言わないでよ……どこにリスナーがいるかわからないでしょ? あの催馬楽笙子がこんなアットホームな場面にいたんじゃイメージにかかわるわよ」

 苦笑いを浮かべながら笙子はコソッと温子に言う。

「ゴメン……でも、笙子姉さんが見舞いに来てくれるなんて思ってもいなかったなぁ」

 ラジオのDJをやっている笙子姉さんと会うのはそんなに無い。

「一応温子の旦那だからね……義理よ義理!」

 笙子はそう言いながらも温子にお見舞い用の花を渡す。

「有り難うございます」

 そう言いながら頭をさげる。

「なに、気にしなさんなって、たまたまこっちに来る用事があったから……でも、体には気をつけなよ? もう若くないんだから」

 意地の悪い顔で笙子が言う。

 痛感しております……。

「本物の催馬楽笙子だぁ……」

 その隣では果鈴がウットリとした顔で笙子の事を見ている。

「ウフ、果鈴ちゃん久しぶりね? 元気になったみたいで結構!」

 笙子はそう言いながら果鈴の頭を撫でる。

「ハイ、いつも聞いています『カプチーノブレイク』まさか笙子さんと親戚になるなんて思っていませんでした」

 果鈴はそう言いながら笙子の顔を見つめる。

「それは嬉しいわね? あたしも果鈴ちゃんのように可愛い娘が親戚になるなんて思っていなかったわよ、思わず嬉しくってラジオで言っちゃったぐらいなんだから」

 それは事実だった、いつだったかラジオで笙子が『可愛い妹のKちゃんに』といったメッセージを言っていた記憶がある。

「あの時は失神しそうでしたよ」

 果鈴は顔を真っ赤にしながら笙子に言う。

「事実失神していたんじゃないか? お前、うわごとの様に言っていたぞ『笙子さんが……』って、何かに取り憑かれたのかと思ったよ」

 意地の悪い顔で果鈴に言うと、果鈴はほほをおもいっきり膨らませながら睨み返してくる。

「もぉ、やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃん二号に降格決定!」

 果鈴はそう言いながらそっぽを向くと、周囲からは笑いが起きる。

 二号ですか?



=同僚?=

「あのぉ〜」

 みんなで談笑していると一人の金髪の女の子が声を掛けてくる。

「やっぱり、だいぶお加減良さそうで何よりです」

 金髪の女の子はにっこりと微笑みながら顔を見つめてくる。

「やぁ、スオミちゃん、わざわざ見舞いに来てくれたのかい? 有り難う」

 そう言うと色白い彼女の顔が赤くなったように見える。

「いえ、明理さんも一緒でしたが、どこかに行方不明になってしまわれたようです」

 おいおい……。

苦笑いを浮かべていると正面にあったエレベーターの扉が開き、そこからセミロングの髪の毛を翻しながらちょっと息を切らせ飛び降りてくる女の子が一人。

「はぁあ、よかったぁここだったんですか……ちょっと何回もエレベーターを往復してしまいました……アッ、お加減いかがでしょうか?」

 何回も往復って……気がついてよ、明理ちゃん。

 ペコリと頭をさげる明理に苦笑いを浮かべてしまう。

「……あなた、こちらは?」

 温子はそう言いながら明理とスオミを見る。

「アァ、会社の同僚で、原田明里ちゃんと北野スオミちゃんだよ、同じ部署で働いているんだ、二人とも、彼女が俺の奥さん」

 そう言いながら温子を紹介すると明理とスオミはちょっと緊張した面持ちで頭をさげる。

「いつもお世話になっております」

 明理はそう言いながら温子を見る。

「お世話にされています」

 スオミちゃん、まだ日本語がおかしいかも……。

「はじめまして、いつもお世話になっております」

 温子はそう言いながらもちょっと疑ったような顔で二人を見つめる。



=そして……=

「じゃぁ帰るね?」

 さっきまでの騒がしさが嘘のように静まり返っている病室の中で温子はそう言いながら軽く手を上げる。

「アァ……ちょっと」

 つい声を上げる。

「ん? どした?」

 温子はキョトンとした顔でこっちを見る。

「ん、送るよ……」

 上着を羽織、さっきまでみんなでわいわい言っていた談話室まで向う、そこはさっきまでみたいに明るくなく、既に電気が消され、薄暗くなっている。

「ねぇ、明理ちゃんとスオミちゃん、可愛いわね?」

 温子はエレベーターの表示を見つめながらそう呟く。

「ウン、可愛い部下……なのかな?」

 つられるようにその表示を見つめる。

「アァ、今ちょっと困った顔をしていた……浮気もの!」

 温子は頬を膨らませながらこっちを見る。

「そ、そんな事はないぞ!」

 慌てる、別にやましい事があるわけではないのだけれどそういわれるとおどおどしてしまう。

「ホント?」

 温子は疑いの眼差しを向けてくる。

「本当だ!」

 その視線に対して真正面に見据える。

「……よかった」

 温子はそう言いながら胸に頭を寄せる。

「温子……」

 そっとその小さな頭に手をのせる。

「……ウフ、ねぇ、ちょっと」

 温子はそう言いながら手招きをするようにする。

「ん?」

 温子のその手に顔を近付けると、頬に暖かいものを感じ、反射的にそこの手を触れる。

「早く良くなれ」

 その暖かさの元は温子の唇だった。そしてその視線の先には温子のちょっと恥ずかしそうな笑顔があった。



=エピローグ=

「……病んでいるな、俺」

 ベッドから起き上がると既に周囲は暗くなっており、ベッドサイドにはただでさえ美味しくない病院食が、冷え切った状態で置かれている。

 まさかこんな夢を見るなんて思わなかったよ……しかし、嫁が温子とは……俺らしいかも。

 つい苦笑いが浮かんでしまう。

「どした?」

 その病院食の横では小説を読んでいる嫁。

「いや、なんでもない……ちょっと夢を見ていたよ」

 そう言いながら、冷えたご飯に手を伸ばす。

「そう? 早く良くなるといいね?」

 嫁のその一言にちょっと胸が詰まる思いがする。

「アァ、早く良くなって小説を書きたいよ」

「ウン、メールでもいっぱい励ましが来ているし、BBSにも書き込んでくれているよ、そんな人たちのためにも早く良くなれ」

 嫁はそう言いながら鼻先を指で突っつく。

 はは……早く良くなれ……かぁ。

「わかっているよ……早く良くなって、ホームページを更新しないと!」

 まさか、そんな夢を見ていたとは嫁には言えるわけもなく、でも、これほど面白い話しもないなと思いつつ、今、制限時間二時間に挑戦する事になった。



fin