函館という街は『坂の街』とか『風の街』というイメージが強いけれど、その他にもうひとつ言える事がある、それは『猫の多い街』でもある。

 確かにえさである『魚』は豊富だと思うが、不思議なことに市場などでは猫よりも海の猫『ウミネコ』のほうが多いぐらいだ、むしろ、元町などの西地区、観光地に多く見られるような気もする、確か、彼女と猫を追いかけたのも函館山の近くだったような気がする……それがこんな事件を予兆することだったとは思わなかった。



 ガコンガコン……。

 フェリーから降りるそのときの衝撃は結構なものであるが、目の前に広がる景色は大好きな娘のいる街。

「函館に上陸……さてお店に行こうかな?」

 久しぶりに踏むこの函館の地、なんだか東京にいるよりも落ち着くような、戻るべき所に帰ってきたようなそんな不思議な感覚が自分の気持ちの中に広がる。

「……どんな顔をするかな? こっちに来ることは話していなかったし、きっと驚くだろうな?」

 ……あまりいい趣味ではないことは自分でも承知はしているが、彼女がどんな反応を示すかが気になるのも事実だ。

「抱きつかれたりして……ウフフ」

 気味の悪い微笑を残しながらすでに慣れた函館の街に車を走り始めさせる。



「北へぇ〜行こうランララン……」

 車の窓が閉まっているからきっとこんな鼻歌が出るのであろう、きっと周りから見れば何の歌を歌っているんだろうか分からないはずだ。もし分かったとしたらきっとその人は……マニアだろうな?

 国道227号線を函館駅方面に車を走らせるが、ちょっと気になる事がさっきから視界に写っては消えてゆく。

「この辺りの流行なのかな……」

 女の子に限ってなのだが、帽子を目深にかぶっている娘が多く見受けられる。その姿は可愛いのだが、なんだかみんなちょっとうつむいているようにも見える、しかし、俺にしてみればそれどころではない、早く朝市のお店に向かわなければ。

 ……思えばこの時点で異変に気が付いておくべきだったのかも知れない、そうすれば……。

 車は国道五号線を右折し、工事を行いながらも徐々に綺麗になってゆく函館駅前に到着する。

「さてと、いるかな? 温子ちゃん」

 再び悦に入ったような笑みを浮かべながら車を降りる。

 いなかったりしたら作戦失敗だという認識はこの時点では全くといっていいほど自分の中には無かった。つい足早になってしまうのはやっぱりあの娘に早く会いたいという気持ちのせいなのであろう。



「らっしゃい! 今日はホッケの大安売りだぁ」

 こういう状況もあるじゃないか……俺って粗忽者なのかな? 予想を見事に裏切ってくれたよな……。

 目的地である『茜木鮮魚店』の店先に立っていたのは予想していたあの女の子では無い、ごつい顔をした源さんだった。

「作戦を練り直す必要ありだな……ちょっとぶらついて来るかな」

 そう言いながら振り返ると、そこには温子の母親である早苗が立っていた。

「あんた……なんで」

 早苗の顔は心底驚いたといった顔をしている。

「いえちょっと……ハハハ」

 ……大失敗の巻って言う奴でしょうか?

お茶を濁すようにとりあえず微笑むが早苗の表情は動揺しきっている。

「そ、そうかい……」

 どうも様子がおかしい、何かあるんじゃないか?

 早苗の様子は明らかにいつもと違っている、いつものような元気がなく、まるでここに来られた事をあまり歓迎している様子ではない。

 まさか、また神宮司さんが温子ちゃんに……。

 たまらない不安が首を持ち上げてくる。

「……温子ちゃんはどうしたんですか?」

 温子の名前が出ると早苗の表情はさらに動揺した様子が浮かび上がる。

「わっ、若旦那!?」

 店先でそれに気がついた源さんが振り向き声をかけてくる。

「源さん、久しぶりです」

 源さんにも声をかけるがやはり様子がおかしい、絶対に何かを隠しているそんな様子がありありとわかる。

「わ、若旦那が何で……もしかしてお嬢の事で……」

 きっと思わず口をついてしまったのだろう。

「源さん!」

 早苗にぴしゃりと言われて源さんは首をすくめる。

「温子ちゃんがどうかしたんですか? 源さん!」

 詰め寄られる源さんは視線を合わそうとしない。

「源さん!」

 源さんは観念したように早苗の表情を読むと、早苗は力なく首を振る。それを合図に源さんは口を開く。

「お嬢は……そのぉ……病気みたいなもの……なのかな?」

 言いにくそうに源さんは宙を見上げながら言う。

 病気……。

脳天をつくような衝撃が襲う。一瞬目の前が暗くなるが、気を失っている場合ではない、とりあえず最優先事項は、彼女の容態だ。

「病気って……どんな具合なんですか? 入院しているんですか?」

 矢継ぎ早に口からはこれでもかと言うほどの台詞が連なる。

 動揺していることが自分でも良くわかる。今までの話の中にそんな話は出てきたことはないし、そんなこと本人からも聞いていない。

「いや、その別に入院もしていないし、命に別状があるわけでもないし……本人はなんだか気に入っているみたいだし」

 気に入っている? 病気を気に入っている? なんだぁ?

 早苗は慌てている彼をなだめる様にそう言う。

「気に入っているって……」

 呆気に取られていると背後から声がする、昨日までは電話でしか聞けなかった声、何よりも一番間近で聞きたかった声。

「……なんで? ここに?」

 振り向くとそこには温子の姿……なぜか帽子をかぶっているけれど。

「病気って……どうなんだ? どこか痛いとかないの?」

 つかみ掛かるような勢いの彼の事を見て、温子は最初こそ驚いていた表情を浮かべているものの次第にそれは嬉しそうな微笑に変わってゆく。

「アハ、大丈夫だよ……なんともない……嬉しいなぁ、心配してくれたんだぁ」

 にっこりと微笑みながらそう言う温子の事を彼は相変わらず心配そうに見つめる。

「なんとも無いって……でも病気じゃあ……」

 彼の表情は相変わらず曇っている。

 見た目はなんともないように見えるけれど、もしかしたら重病なんじゃあないか?

「ハハ、ホント大丈夫だよ、確かに病気なのかもしれないけれど、結構気に入っているよ」

 気に入っているって……病気の事をなのか?

「……でも……」

「もぉ、源さんやお母さんが彼に心配かけるからよ! ちょっとこっちに来て」

 温子は軽く早苗と源さんを睨みながら二階にある休憩室に彼を誘う。



「ちょっとここで待っていて」

 温子はそう言いながら彼を座らせると休憩室の奥に姿を消す。

 一体何が起きるんだ? なんだか思いつめたような顔をしていたようにも見えるけれど……温子ちゃんの身に一体何が起きているんだ。

 長く感じる沈黙に終止符を打ったのは温子だった。

「ねぇ、ちょっと恥ずかしいから向こうを向いていてくれる?」

 こ、このシチュエーションは……。

 鼻の下が伸びる彼に対し温子は恥ずかしそうにもじもじしている。

「う、ウン……」

 うつむきながらそっぽを向く。

 パサァ……布が床に落ちる音がすると胸の高鳴りが高まる。

 この雰囲気……もしかして振り向くと温子ちゃんが……エヘへ。

 鼻の下はまるで床に着くのではないかというぐらいまで伸びている。

「……いいよ、こっち向いて」

 温子のその一言にゆっくりと振り返る。

「温子ちゃん……って、ヘェエェ〜?」

 その姿は予想した姿と違い、さっきまでと同じ格好……しかし、違っていたのはさっきまでかぶられていた帽子が無いこと……そうして、その頭の上にあるものに首が無意識に傾く。

「エヘへ……どうかなぁ」

 どうかなって……それは飾りなのかな? そう思いながらそっと手を伸ばしそれに触れる。

 フワァ……なんとも言えない触り心地、程よく暖かい感覚に思わず触りまくる。

「ん、ふぅ……はぁん」

 その手の動きに温子は目を細めながら反応する。

「うぁぁ〜、ゴメン、つい……」

 その反応に思わずあらぬ想像をしてしまった。

「もぉ、えっちぃ!」

 えっちって……ちょっと待て! それは、一体何なんだ?

 ハタタとうごめくそれを一点に見つめる。

 造り物にしては良くできているようだが……それにあの感覚……。

 さっきの余韻に浸るように手のひらを動かすその姿に温子の頬が膨らむ。

「やっぱりえっちぃ〜」

 温子はそう言いながら頭の上にある三角形のものを押さえる。

「いや、えっちって……それひょっとして」

 そう、温子の頭についているものは紛れも無いそれ……。

「……ウン、そう」

 温子は照れくさそうに手で押さえていたそれをそっと開く。

「そうって……」

 それは今まで押さえられていた鬱憤を晴らすかのようにハタタと動く。

「ヘヘ、可愛くない? このネコミミ」

 そう、温子の頭の上でさっきから動いているのは紛れも無いネコミミだった。

「いや……可愛いとか以前に何で?」

 そうだ、俺の記憶が正しければ温子ちゃんにこんな趣味があったとは思えないし、どう見ても作り物で無い天然のそれは以前の温子ちゃんには装着されていなかった。

「ウ〜ン……やっぱり病気みたいなんだよねぇ」

 ……そんな事も無げに言っていい問題なのかな?

「病気って……」

「アァ、心配ない、お医者さんが言うには伝染することは無いみたいだし、命に別状があるわけでもないって……ホラ、よくあるじゃないウオノメが出来たとかタコが出来たとかそんなものみたいよ? まぁ不便なのは音が良く聞こえるからお母さんの声が頭に響くのよね?」

 ペロッと舌を出し温子は微笑む。

 ウオノメとかタコとかって……そんなものと同じなのか?

「まぁ、人間ポジティブにならないとね? 良いじゃない、ネコミミの女の子が魚屋さんをやっているだなんてちょっと面白くない?」

 面白くないって……まぁ、いいのかな?

「それとも似合わないかなぁ……あなたが嫌いならあたし……困っちゃう」

 シュンとした顔をする温子の表情はまさに猫のような表情だった。

「……嫌いじゃないよ、むしろ……そのぉ、可愛いかな?」

 そう言いながらそっと温子の肩を抱く。

「ホント? 嬉しいなぁ……」

 彼の胸に顔をつける温子、その彼の視線に入ってきたのは……。

 ……しっぽ?

 それは目の前で先っぽだけクルクルとうごめいている、その動いているのは間違いなくフサフサと毛の生えた猫のしっぽだった。

「しっぽまで?」

 思わずそのしっぽに触れる。

「いゃん、くすぐったいよ」

 温子はきゅっと目をつぶり、頬を紅潮させる。

 やばい、やっぱり変な気になってきちゃうよ。

 彼は反射的にそのフサフサしたしっぽから手をどける。

 ……なんだか訳が分からなくなってきたよ……いいのかなぁ、この状況を受け入れてしまって、俺は……。

 彼は、ハタタとうごめく耳と、クリクリと動くしっぽを見つめながら冷静な判断力を欠いているような、そんな気がする。



「お母さん行って来ます、源さんお店お願いね?」

 温子と二人、久しぶりのデートに向かうのは函館ベイエリア。

「アァ、ゆっくりしてくると良いさ、若旦那も優しくしてやれよ! キヒヒ」

 意味深な笑いを源さんは二人に向ける。

「源さん!」

 ぴしゃりという温子はいつもと同じ、でも頭には帽子がかぶられている。

「帽子、かぶっていくの?」

 似合っていない訳ではないが、やはりさっきの出来事が気になる。

「ヘヘ、別にあたしはいいと思っているんだけれど、周りの視線が痛くってね? 観光客が多いせいもあって珍しそうに見ていくの、下手すると一緒に写真撮らせてくれなんていわれることもあるぐらいよ……それが嫌なだけ、この前なんて怪しい人につけられたこともあったぐらいなんだもん……良し悪しよね?」

 怪訝な顔をしてその帽子を見つめている彼に対して苦笑いを浮かべながら温子は彼の顔を見上げる。

「まぁ、これだけ可愛い娘がネコミミなんてつけていたらマニアにはたまらないだろうし……気をつけたほうが良いよ」

 そう言うと温子は素直に顔を赤らめる……彼の背中に何かが当たる感覚。

「いやだぁ〜、もぉ、可愛いだなんて言ったって何も出ないぞ?」

 照れたように身体をくねらす温子、しかし、周囲の観光客の視線は、素直に温子に対して向いている。

「ん? アァ〜、だめ、温子ちゃんしっぽ出ている」

 スカートからしっぽが飛び出し彼の背中をなぞっている。

「えっ? いけない……どうもうまくコントロールできないのよね」

 コントロール以前に……。

「温子ちゃん、やっぱりズボンのほうが良くないかい? その……しっぽが飛び出るとパンツ見えちゃうし」

 しっぽがスカートを捲りあげる為にそこには温子のパンツが見え隠れする。

「あぁ〜、えっちぃ〜」

 久しぶりのあっちゃんパンチを食らう。

 俺が悪いのかぁ?



「温子さん!」

 ベイエリアに向かう途中にあるおみやげ物店で声をかけられる。

「アァ、穂波ちゃん、久しぶり! その後どう?」

 タンクトップにショートパンツといった格好のその女の子はポニーテールにした毛先を揺らしながら温子のぺこりと頭を下げる……麦藁帽子をかぶっているのが気になるが……。

「ハイ、特に何も無いですね……あのぉ……もしかして、そちらは温子さんの彼氏さんですか?」

 穂波はそう言いながら、彼の顔をうつむき加減に見る。

「アハハ、彼氏というか……ウン、紹介するね、この娘は有川穂波ちゃんこのお店の看板娘よ、病院で知り合って意気投合したの」

 温子の見上げるそこは、ちょっと古ぼけたような雰囲気のお土産物屋さんだった。

 病院でって……もしかして、やっぱり?

 彼はその一言に穂波の頭に載っている麦藁帽子を見る。

「穂波、お客さんか?」

 店の奥から目つきの悪い男が出てくる。

「勇斗君、こんにちは!」

 温子はにっこりとその男に挨拶する。

「温子さん、こんにちは……そちらは?」

 勇斗と呼ばれたその男性はギロリという擬音が聞こえてくるような視線を彼に向ける。

 やけに挑発的な奴だな……。

 彼もちょっとムッとしたような顔で勇斗を見る。

「ハハ、この人は有川勇斗君、このお店の店長よ」

 有川……穂波ちゃんも確か有川……。

「夫婦さんなのかな?」

 彼はそう言いながら二人を見ると、その二人の顔が一気に真っ赤になる。

「ち、違うよ……たぶん」

 勇斗は顔を赤らめ否定するものの、その言葉には力が無い。

「そうです、違います……」

 あらら? 二人してうつむいちゃったよ。

「あら? そんな否定しちゃっていいのかしら? 穂波ちゃん」

 顔を赤らめている二人に対して声をかけてくる女性が二人。

「やぁ、暁子さん、それに真菜ちゃんも、今日は休みだったんじゃないですか?」

 大人っぽくワンピースを着込んだ女性は長めの髪の毛に……そしてもう一人の女性は若々しくホルターネックのキャミソールがちょっと幼く感じさせるもののやっぱり……二人は共に帽子をかぶっている……もしかして……。

そんなことを気にしないように勇斗はちょっと首をかしげながらも暁子に話しかける。

「そう、休みだから久しぶりにベイでもぶらつこうかなと思って真菜ちゃんと一緒に来たのよ、そうしたら麦藁帽子の穂波ちゃんが見えたからお邪魔しちゃった、今日は、ビジネスは抜きね?  ウフ、温子さんも久しぶり」

 暁子はそう言いながら温子の事を見る。

「ハイ、暁子さんもたまにはお店に顔を出してくださいよ、真菜ちゃんも久しぶり」

 どうやら温子の知り合いらしいが、みんな帽子をかぶっているということは……。

「立ち話もなんですから麦茶でもどうですか?」

 穂波はそう言いながら店の奥にみんなを招き入れる。



「はぁ、あっついわね、今日も真夏日になるって言っていたわよね」

 暁子が座り帽子を取るとやはり予想通りネコミミ。

「ハイ、夏本番ですよね?」

 隣に座る真菜の帽子を取るとそこにもネコミミ。

「どうぞ、冷えていますよ」

 麦茶を運んできてくれた穂波の頭にもネコミミ。

 呆気にとられている彼に勇斗は苦笑いを浮かべる。

「この辺りだけの病気らしいよ、しかも女の子だけが発症しているみたいだ……」

 勇斗はそう言いながらも穂波のネコミミを見てにっこりと微笑む。

「困っちゃうわよね? このせいで得意先回りが出来ないのよ……スーツでネコミミなんて変でしょ?」

 暁子はそのネコミミを触りながら困り果てた顔をしている。

 それはそうだろう、商談しているときに、頭の上でハタハタと動いているネコミミを見ながら机に向かう姿というのはちょっと想像できない。まぁ、好きな人にはたまらないシチュエーションとして逆にスムーズに事が進んだりして。

「そうですかね? あたしは可愛いからいいと思いますけれど……太一課長も褒めてくれたし、あたしは気に入っていますよ?」

 真菜はそう言いながらしっぽをパタパタさせているが、隣に座っている暁子のしっぽはピンと一直線に立ち毛を逆立てている。

「太一、そんなこと真菜ちゃんに言ったの?」

 怒っているな?

「ハイ、太一課長は『可愛いよ』って褒めてくれました」

 真菜は耳をパタンと寝かせて頬を赤らめる。

「ふ、ふーん……良かった……わね?」

 暁子はそう言いながらもしっぽはウロウロと動き回り耳もぴくぴくと忙しなく動いている。

「アハハ、太一さんの事だから暁子さんには言い難いんですよ」

 耳をパタパタさせながら温子はその場を取り繕う。

「そうですね? 太一さんも結構優柔不断そうなところもあるし、どうなんですかね?」

 穂波は耳を勇斗に向け意地の悪い顔をする。

「……優柔不断って……ねぇ」

 そこで俺の顔を見ないでくれよ……。

 勇斗はまるで助けを請うように彼の顔を見る。

「どうなのかしら?」

 四人の視線と、八個のネコミミが一気に彼に集中する。



「アハハ、あの時のあなたの顔ったら……可笑しかった」

 嬉しそうに笑う温子と共にいるのは津軽海峡を眼下に望む立待岬。

「そんなに笑わないでくれよ……」

 すでに周囲は薄暗くなってきており、水平線も闇に滲みはじめている。

「……それで?」

 温子が正面から顔を見上げる。

「え?」

 首をかしげた瞬間、海から風が吹き上がってゆく、その風は温子の帽子を吹き飛ばして行った。

「キャ! 帽子が……」

 その帽子はすでに柵を超えて闇の色濃くなった海峡に落ちていった。

「あ〜ぁ……気に入っていたのにぃ……」

 温子は柵に身を乗り出しながらその行方を追っていた。

「危ないよ」

 彼は温子の肩を抱く。その肩は思いのほか小さく、こんな小さな肩があのお店を切り盛りしているんだなと思った瞬間、その肩をギュッと抱きしめる。

「アッ!」

 温子は小さな声を上げ、そして上目遣いで顔を覗き込んでくる。

「……ねぇ、あなたもやっぱり……」

 温子の目はちょっと潤んでいるように見える。

「……そんなことは無いよ、俺の好きな娘は、今俺の目の前にいる娘だけ……」

 温子の頭の上でネコミミがパタタと動いたかと思うとその耳はペチャっと倒れる。

「……あなた……」

 温子は彼の胸に顔をうずめ幸せそうな表情を浮かべる。

 ハハ、本当にネコのようだな? 安心しきった顔をしているよ。

 彼はそんな温子の事を見て得もいえない感覚に陥っていた。

「どんな姿だって、俺の気持ちは変わらないよ……俺は君の事……茜木温子の事だけを思っている、どんなに離れていたって」

 二人の顔が近づく。



……病んでいるのかな俺……。

暑いアパートの中で目を覚ます、すでに三十度は越えているであろうその部屋の中の空気はよどんでいると言う言葉がピッタリと当てはまる、そんな部屋の中で一人呆然としている。

ネコミミ温子ちゃんかぁ、こんな物を読みながら寝たからだな?

枕元には函館の観光ガイド、その中に猫の多い街という件があった、きっとこのせいであろうと思うが……。

「病気していないかな……電話してみよう」

 携帯を取り出し、その函館の女の子に電話をする。

「もしもし……ウン、元気かなって……エッ! 病気かも?」

 あわてて部屋を飛び出し、車を北に向ける。

 まさかネコミミが生えていたりしないだろうな?

 少し期待しながら車は一路「北へ。」



fin



PS

「あなたに対する気持ちはきっと病気だよ……草津の湯でも直らないと言うやつ……」