第七話 デート?

《前編》



=八月十四日= はこだてホリデイ

「じゃあいってきます」

玄関先ではいつもような元気な亜美の声が上がらず、どちらかというとちょっと沈んだようにさえ聞こえる。

「何よ亜美、なんだか元気がないわね?」

玄関先で雪音は亜美の支度を手伝いながら亜美に声をかけるがその隣では、なぜかニヤニヤした顔をしている妙子が亜美を見つめている。

「べつにぃ……はぁ、ここで急におなかが痛くなるとか、中止になるとか連絡ないかなぁ」

 ローファーに足を入れながら亜美は嘆息し、誰に向けるでもない助けを請うような顔をして周囲を見る。

「馬鹿な事言ってないで早く行きなさいよ、あなたキャプテンなんでしょ?」

呆れ顔を浮かべながらせかすように雪音は亜美に荷物を渡すが、亜美は頬を思い切り膨らませてそれに対して抗議をする。

「でもあたし部長じゃないもん!」

 ふぐと競り合うほどにまで頬を膨らませる亜美は、抗議の目を雪音に向けるが、そんな事お構いなく雪音は壁にかけられている時計に視線を向けると、パンパンと手を叩きながら二人の間に割って入る。

「ほらほらそんなこと言っていていいのかい? 亜美、時間見なよ」

妙子がそんな二人のやり取りを楽しそうに見ながらも、玄関先にかけてある時計に視線を向けると亜美の表情が変わる。

「あぁ〜っいけな〜い! 遅刻しちゃうよぉ〜……じゃ行ってきまぁ〜す、お兄ちゃん帰ってきたらまたどこかに行こうね?」

亜美のそんな提案に陽平が手を上げて答えると、亜美はうれしそうな笑顔を浮かべ制服のプリーツスカートを翻しながら函館駅の方に向かって駆けていった。

何だかんだ言って責任感の強い娘だよなぁ亜美ちゃんって、俺だったらきっと何かにかこをつけてサボると思うよ……。

街の中に溶け込んでゆく亜美の後姿を見ながら微笑む陽平の横顔を雪音はチラリと見上げて、頬を膨らませる。

「フフ〜ン……」

 そんな二人の様子を見ながら妙子は鼻で笑いながら、悪戯っぽい表情を浮かべている。

「ホラホラ、そんな所にいつまでも突っ立っていると蚊が入ってくるでしょ? 早く家の中に入ってちょうだい」



「さてと、片付けしなきゃ」

家の中に入り散らかったダイニングを見てため息交じりに雪音が呟き、台所にあったエプロンに手を伸ばすと、妙子がそのエプロンを横から取り上げ雪音と陽平の顔を交互に見る。

「さてと、あんたたち二人もどこかに行って来たらどうだい?」

雪音は妙子の言っていることが理解できないといった表情で妙子の事を見る。

「だって、お店は?」

「あたしがやっていればいいんだろ? 別にこんな小さなお店あたし一人いれば十分だよ、べつに予約が入っているわけでもないんだし、飛び込みの客くらいならいくらでも対応できるよ」

妙子はウィンクして雪音を見るが、その言葉に何か納得できないような顔をしている雪音。

「でも……」

「それとも、陽平君と一緒に出かけるのがいやなのかい?」

妙子は、困惑した表情でうつむいている雪音に止めをさす様に言う。

「そんなことない! 嬉しい……って、やだ」

はっと顔を上げながら雪音は力いっぱいにそれを否定しながら顔を赤らめる。

「だったらいいじゃないか、行って来なよ。というわけで陽平君よろしくね?」

妙子は、陽平に微笑みかけるとその先では陽平も照れたようにうつむいている。



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「じゃあ、お母さん行って来るけれど……」

玄関先では、雪音がまだ心配そうな表情で妙子を見る。

この間亜美と一緒に行ったデパートで買った夏物のワンピース、フリルが付いて可愛いかなと思ったけれど、なかなか着る機会がなかった……まさか陽平さんと一緒に出かける時に着るなんて思わなかったわ。

フリルがあしらわれ、紺色に白い水玉模様のキャミソールは首で結ぶタイプのもの。上着かわりに着るボレロカーディガンは浅黄色のシースルーになっており、白くふんわりしたシルエットのロングスカートはしわ加工になっている。

「あぁ、ゆっくり行って来なさい、陽平君頼んだよ?」

妙子が陽平に向かいウィンクすると、その顔ははにかんだような笑みを浮かべるが、雪音はわけわからずに首を傾げる。

頼むって、一体何を頼むの?

「はい、じゃあ行こうか?」

陽平はわかったような顔をして、車のキーを持ちながら玄関を出るとそこには雪音の小さな軽自動車と並んで、陽平の大きなワンボックスカー(キャンピングカー改)が止まっている。

「それで、どこに行こうか? 雪音さんの行きたい所でかまわないけれど」

そういえば……。

「うん、ちょっと行きたいところもあるけれど……ねぇ、陽平さんって人の車を運転をする事できる?」

苦笑いを浮かべながらも雪音は意を決するように陽平の顔をまっすぐに見る。

「うん? 別に大丈夫だけれど……なんで?」

 いきなりの質問に対して陽平は戸惑ったように自分の車に向かっていたその足を止める。

よかった、そうしたらちょっとお願いしちゃおうかしら? この子の事。

雪音はチラッと自分の車を見る。

「実はね、この車今年に入って買ったんだけれどな、仕事が忙しくってぜんぜん動かしていないのよ。たまに亜美と買い物に行ったりしているけれど……もう一ヶ月以上動かしていないのよ、バッテリーがあがっちゃうかもしれないからこの車で行かない?」

買った当初は珍しくって、わざわざ車で買い物とかによく行ったりしていたけれど、最近ではぜんぜん動かしていないなぁ。

懇願するような目で見つめられた陽平は、その顔を赤らめながら首を縦に振る。

「うん、いいけれど、俺が運転するの?」

陽平は自分の胸元に親指を当てながら、きょとんとした表情をつくって雪音を見る。

「当然! 今日は陽平さんがエスコートしてくれるんでしょ?」

雪音はにっこりと微笑む。

「……は、はは、喜んでエスコートさせていただきます」

何? 今、微妙な間があったように感じるんだけれど、何か私変な事言ったのかしら。

「まあいいか……えーっと、ガソリンは大丈夫だし、エンジンもかかるし……フーン本当に走っていないんだね? 走行距離は千キロちょっとしか走っていないや、まだ慣らし運転の段階だね、うん、まだ新車の香りがするな」

それまで戸惑いの表情を浮かべていた陽平は、その車に頭を突っ込むとまるで子供のように、ニコニコしながら運転席に座る。

ウフ、なんだか陽平さん子供みたいで可愛いかも……。

「慣らし運転ってなぁに?」

そんな運転方法って教習所で習ったかしら、わたし、この車普通に走らせていたけれど、それってよくなかったのかしら?

雪音は、きょとんとした表情で陽平を見ると、少し渋い顔をしているのがわかる。

「あぁ、うん、車好きの人間たちは新車で車を買った時、大体走行距離を三千キロまでは、エンジンの回転数をあまり上げないようにしているんだよ、エンジンを慣らす為にね、でも、最近の車はそんなに気にしなくてもいいみたいだけれど……」

はは、わたしには何の事だかよくわからないよぉ……。

陽平は水を得た魚のようにペラペラと饒舌になるが、その話を聞く雪音は引きつった笑顔でニコニコしているしかなかった。

「さてと、暖機運転終了、さてと、それでどこに行くの?」

熱く慣らし運転についての講義を終わらせた陽平は、満足そうな表情で雪音を見て目的地を聞いてくる。

「うん、温泉に行きたいの、わたし道わかるから……行きましょう」

雪音はそういい助手席でシートベルトをしめると、軽自動車独特の軽いエンジン音を高鳴らせながら駐車場を後にする。

いい天気、絶好のドライブ日和かしら? ウフフ……。

自分でも気がつかないうちに満面の笑みを浮かべながら雪音は周りを動き出している風景に視線を向ける。

「うん、駅前の信号を右折してそのまま直進して漁火通りを湯の川方面に向かって行って」

雪音のナビにより、陽平はハンドルを操る。

道なりに左にカーブをすると右手に海が見えてくる。

右手に見える津軽海峡は遠く澄み渡っており、天気がいいおかげで本州の下北半島を見渡す事ができるわね?

夏の陽光をキラキラと反射させるその海は波もさほど高くないようで、雪音が穏やかな表情を浮かべると、水平線近くではカモメが気持ち良さそうに舞い上がってゆく。

「気持ちのいい道だね、海を眺めながらのドライブだなんて結構贅沢かもしれないよ」

陽平も運転席で気持ち良さそうにホッとしたような声で言うと、雪音はその声につられるようにその横顔を見る。

「うん、この国道二百七十八号線は通称漁火通りと呼ばれているの、前に船の中から一緒に見た事あるわよね? イカ釣り船の漁火、それがここからよく見る事ができからその名前がついたみたい」

雪音はそういいながらも顔を赤らめる。

やだ、何をわたし動揺しているのかしら? なんだか彼の横顔がまぶしくって、それで……。

自分に対してわけの分からないいい訳をしている雪音だが、陽平はそんなことを気にした様子もなく車を走らせると、やがて海が離れてゆきまるでその隙間に入り込んでくるように、高層ホテルが立ち並びはじめると湯の川温泉のホテル街に入ってきたことを現す。左右には大きな観光ホテルが立ち並び、そのフロント前には大型観光バスがこれから出発をするお客を待っている。

「ここが湯の川温泉かぁ、温泉というと硫黄の匂いとかというイメージだけれど、ここはそんな事無いんだね?」

陽平はそんな高層ホテルをキョロキョロと見回しながら車を走らせる。

「うん、この湯の川温泉は源泉がいろいろな所にあるらしいけれど主に『ナトリウム塩化物泉』といわれる無色透明のお湯なの。火山とかの硫黄泉と違って、地熱で温められたお湯だから匂いはあまりしないでしょ? それに、ここのお湯は無色透明で、体がすごく温まるからゆっくりつかっているといつの間にかのぼせてしまう事もあるぐらいなのよ」

以前、叔父さんたちの湯の川に日帰り入浴に来たことがあるけれど、その時のぼせて倒れそうになったことがあったなぁ。

車は観光地でよく見るような『ようこそ函館へ』というような看板と、大型化してゆくパチンコ店の間を抜けて走ってゆくと函館空港の看板が目に入ってくる。

「ここが函館空港なの?」

 空港に分かれる交差点で信号待ちをしながら陽平が空を仰ぐと、ちょうどジュラルミンボディーの飛行機が着陸してゆく。

「そう、最近綺麗になったけれど、やっぱり地方空港のイメージは払拭できないのよね? 東京に行く便も千歳に比べると少ないし、特割チケットもないってお客さんがこぼしていたのを聞いたことがあるわよ」

 東京の彼と遠距離恋愛をしていると言うお馴染みさんがそんな事をこぼしていたのを思い出すわね? 確かに遠距離恋愛は物理的にもキツイだろうけれど、それ以上に財政問題も絡むわけで、あたしの場合はどうなんだろうなぁ……ってなに考えているんだろう。

 コソッと陽平の横顔を見る雪音の頬は再び赤く染まる。



「北海道・本州最短の地?」

車は小さな漁港をいくつも通り過ぎると少し大きな町に入ってきて、そこに掛かっていた看板を見て陽平は声を上げる。

「うん、ここ戸井にある『汐首岬』は、本州の大間との距離が十七,五キロ、一番本州に近い場所なんですって、ちなみに北海道最南端の地は『白神岬』で松前にあるの」

陽平が器用に車を運転しながら窓の外の景色を見る。

「じゃあ、あそこに見えるのは本州なんだね?」

陽平が指を指す先にはこんもりとした黒い影が浮かんでいる。下北半島の突端大間崎だ。

「そう、こうやってみると近いのよね、北海道と本州って」

近い、そう、あそこがあなたや、あの人がいる本州……でも遠い……。

「えぇー、橋を架けるって?」

陽平が突飛な声を上げると雪音ははっとして顔をあげる。陽平が声を上げる原因は『北海道本州架橋を実現しよう』といった看板だった。

「うん、夢みたいな話だけれどね、ここと本州大間に橋をかけて日本列島を道路でつなぐっていう構想があるらしいの」

これが本当の夢の架け橋っていうのかしら、できれば確かに便利にはなるのは間違いないけれど、実現するのはいつになるのかしら?

「いいじゃないか、できれば絶対に便利になると思うけれど、できたら絶対に走ろうよね!」

陽平がにっこりと雪音に微笑みかける。

ねって……それはもしかしてわたしも一緒にという事なのかしら? いやだ、また顔が火照ってきたかも。

その問いに対して雪音は答えずに、頬に手をやりながら再びうつむいてしまう。



「ねぇ、ちょっと休憩していかない?」

既に車が走り出して一時間ちょっとが経っており、雪音の下腹部に生理的欲求が持ち上がってきている。

まさかおトイレに行きたいなんていえるわけもないし、そんな事いったら、ヤダ、考えただけで恥ずかしいよぉ。

助手席で雪音は顔を真っ赤にしながらモジモジするが、運転席の陽平は視線をそのままにして何かを発見したように顔をほころばせる。

「そうだね、ちょうどあそこに道の駅があるから寄っていこうか?」

陽平は雪音の提案に賛成し、パーキングの案内にしたがって右にウィンカーを立てる。そこは、津軽海峡を正面に見据えた道の駅だった。

「うーん、いいロケーションだな」

正面に恵山を見渡す事のできるビューポイントになっているこの道の駅は、人気が高いのか他県ナンバーの車が多く止まっており、二人の乗った赤色の軽自動車は空きスペースを見つけるのに少し時間を要する。

「うん、あっ、あそこが空いているよ」

雪音は、空いている駐車スペースを見つけ、陽平に伝えると陽平は器用にそのスペースに車をバックさせてサイドブレーキをかける。

「はい到着、お疲れ様でした」

ドアを開けると心地よい潮風と、なぜか香ばしくこげたソースの香りが漂ってきて、陽平のお腹がそれに反応する様に鳴る。

「あは、陽平さんお腹が空いたの?」

 といいつつもわたしも危なくお腹が鳴っちゃうところだったわよ、なんだってこのソースの匂いってこうも、空腹中枢を刺激するのかしらね?

「アハハ、別に空いたわけじゃないけれど、いい匂いだなって……」

 バツの悪そうな顔をして微笑む陽平の顔に対して雪音も自然と微笑が浮かぶ。


「ふぅー」

売店に隣接するトイレから戻ると陽平が売店にある大きな水槽を眺めている。

「大きな魚ね?」

その水槽の中には五十センチぐらいある魚が悠然と泳いでいる。

「これは『黒ソイ』だね」

へぇー、これが黒ソイなんだ。よく、朝市とかで売っているのは見たことあるけれど、実際に泳いでいるのははじめて見たかもしれないなぁ。

「うん、これは刺身にしたりすると旨いんだ。後は浜汁にするこれがまた旨い! 昆布とかで出汁をとった鍋にこんにゃくとか入れて、あとはこれを突っ込むだけでいいからお手軽だよ」

ウフ、まるで今にも舌なめずりしそうな表情をしているな陽平さん、なんだか今にもこのお魚を取り出して食べてしまいそう。

「陽平さんって、結構食いしん坊なのね?」

雪音はそんな陽平を覗き込みながら微笑むと、照れたような表情を浮かべて鼻先を掻くその表情はどことなく少年のそれのようにも見える。

「はは、そうかもしれないなぁ、やっぱり俺って食ったりするのは好きだからなぁ」

陽平は照れ笑いを浮かべながら雪音の事を見る。



「こっちに展望台があるみたいだ……行ってみようか?」

売店を出た所で陽平が展望台に上がる階段を見つけ雪音の顔を見る。その顔はまるで子供のようにはしゃいでいるみたいで、雪音の胸を揺するには十分なものだった。

「うぁー、すごいな……あれが恵山?」

陽平の指差す先には、山肌をあらわにした荒々しい山がそびえている。

「そう、あれが恵山。標高六百十八メートルの活火山なの、五月から六月にかけてつつじ祭りが開催されるほどつつじが有名なのよ」

そういいながら、雪音は伸びをして陽平のそばに寄り添う。

うーん、気持ちがいい、今日は良いお天気だから恵山もよく見えるし、海も真っ青で、空との境がわかりにくいかもしれない、そうして遠く下北半島もよく見えるし、海の上にはさまざまな船が忙しそうに通り過ぎて行く。来てよかったなぁ、こんなにのんびりとしたのは久しぶりかもしれないいなぁ。

雪音は全身に潮風を浴びるかのように深呼吸する。

「……さん、雪音さん?」

「はっ、はい?」

気が付くと陽平が呼んでいる。

「いや、ちょっと下に降りてみない? 気持ちよさそうだよ?」

道の駅の裏は芝生が張り詰められ、キャンプ場も併設しているせいか遊歩道のようになって波打ち際までいけるようになっている。

「やっぱり気持ちがいいなぁ」

二人寄り添って海辺を歩く。本当に気持ちがいい、頬をなでる潮風が火照った顔に気持ちがいいかもしれない。

「この道の駅の名前になっている『なとわえさん』の『なとわ』ってどういう意味なの?」

陽平が海を眺めながら雪音に聞いてくる。

「えーっと、確かこのあたりの方言で『あなたと私』という意味らしいわね」

以前お店に置いてあったタウン雑誌で読んだ事がある。

「そうかぁ……『あなたと私』かぁ……いいね、まるで恋人同士のためにあるような名前だな」

雪音は陽平の一言に急に照れくさくなりうつむいてしまう。

ちょっとそんな事を言わないでよ、わたしまでまさかあたしたちみたい、なんて使い古されたような言おうとしちゃうじゃない? でもそんな事ない、だってわたしには……。

モジモジしている雪音を怪訝な目で見ながら陽平はバッグに入っていたデジタルカメラの存在に気が付く。

「そうだ、写真撮ってもいいかな?」

突然の陽平の提案に戸惑いを隠しきれない雪音だったが、その可否を聞かずに陽平は小さなデジカメを取り出すとカメラマンのように指示を出す。

「ほら、ちょっとそこに立って」

「わたしを撮るの? なんだか恥ずかしいなぁ」

「ほら、こっちをみて、そんなにうつむかないで、うーん、雪音ちゃん可愛いなぁ」

陽平は茶化すように雪音に言うと、周りの人たちも微笑んでいるようにも見える。

「さぁてと、リフレッシュ完了、行こうか?」

なんだか陽平さん、満足そうな顔をしていない?

車に戻った陽平はニコニコ顔を絶やさないでいるが、対する雪音は日焼けしたかのように頬を赤らめている。

「もう、意地悪なんだから陽平さんたらぁ」

すねた表情をしながら雪音は助手席に座る。

「はは、ゴメンゴメン、でも本当に可愛かったよ雪音ちゃん、そうだ家に帰ったらパソコンに落として壁紙にしようかな? いっそのこと携帯の待ち受けかなんかにしちゃったりして」

 キヒヒと悦に入っている陽平であるが、助手席に座る雪音は今にも頭から湯気を出さんばかりに顔を真っ赤にしている。

そんなの恥ずかしいからやめてぇ〜。



「あれは?」

海沿いから離れて恵山の麓を縫うように走る山道を抜け、再び海沿いに車が出ると家の軒先に吊り下がっている物を不思議そうに眺め陽平が言う。

「うん? アァ、あれは昆布ね、ここ茅部は昆布の名産地なの。ここでの昆布は日本一といわれているのよ、特に『白口昆布』は茅部町の前浜で獲れる昆布で身が厚く、その切り口が白いことからこの名がついたの。上品な味わいと澄んだダシ汁が豊富に取れ、高級加工品にも使われているらしいわね?」

「……雪音ちゃんって、そういうことよく知っているね?」

陽平はにっこりと微笑みながら、雪音を見つめている。

「ヤダ、亜美と一緒にいるとそういうことをよく聞くから……別に覚えようとして覚えたわけじゃなくって……」

なんだか照れてしまう、本当に別に覚えようとして覚えたわけじゃないのよぉ。

尻すぼみに否定をする雪音だが、既に陽平の視線はその光景に再び優しいものになっている。

「フーン、でもいい光景だね、あんな小さい子まで手伝って昆布を干しているよ」

陽平の視線の先には家族総出なのだろうか、老年夫婦の隣で若夫婦が昆布を取り上げ、その隣では小さな兄妹が楽しそうにそれを広げている、そんな光景があちらこちらで見受けられる。

「わたしの友達で、ここ出身の娘がいるんだけれど、お盆時期は必ず実家に帰って昆布干しを手伝うって言っていたなぁ」

 決して嫌じゃないとも彼女は言っていたわよね?

雪音もその微笑ましい光景を、目を細めながら見つめる。

「でもいいよね、こうやって家族総出で家の仕事をするって、家族の絆を感じるっていうのかなというかな? って、ちょっとくさいかな?」

陽平は照れた笑いを浮かべながら、その場を通り過ぎる。

そんな事無いよ、わたしだってそう思う。それがその家族の当たり前の光景、それが家族の絆というものだと思う。



「そこ、道の反対側に駐車場があるから……はい到着です、お疲れ様でした」

海沿いに走る国道沿いに今日の目的地がある。

「ここは?」

運転席から這い出すような格好で陽平が顔を出し、雪音に聞いてくる。

「うん、ここは『しかべ間歇泉公園』といって道南でも珍しい間欠泉が見られる場所なの。小さいけれど、結構わたしのお気に入りの場所なの」

気さくなおじさんのいる入り口を通り抜けると正面に岩山のように石が積み上げられている。そこの中心には湯気がモウモウと立ち込めている。

「あっ、ちょうど吹くみたいよ」

雪音がそういうのを待っていたかのようにその岩山から勢いよくお湯が噴出される。

「おおぉーこれはなかなか」

雪音の隣で陽平が声を上げるが、その声は噴出するお湯の音でかき消される。

ドドドドォ……シュンシュン……。

やがてその噴出は満足したかのように勢いを弱めながらその量を減らす。

「規模こそたいしたことはないけれど、十分おきに吹き上がるこのお湯は大体百度ぐらいあるっていわれているの、高さも十五メートルぐらいまで上がるらしいけれど、そこまで上がっちゃうと道にまでお湯が降っちゃうから、ああやって上に蓋をしているんですって」

陽平が雪音の視線をたどると、そこには鍋蓋のようなものがかぶっており、お湯がそれ以上高く上がらないようになっている。

「へぇ、でもちょっと高くあがるのを見てみたいね?」

感心した顔で陽平は雪音を見る。

「ウフ、そうね、で、わたしがここをお勧めするのはこれ!」

雪音は、公園の一角にある東屋に向かうとそこには、数名の先客がいるものの落ち着けそうな足湯場になっている。

「足湯?」

「そう、ここの足湯は、さっき見た間欠泉のお湯を使っているの、すごく暖まって冬にスキーとかに来たときは必ず寄るのよ」

そういいながら、雪音はスカートをたくし上げ、履いていた靴下を脱ぎ始めると、陽平は慌てたようにその視線をあらぬ方に向ける。

「はは、そうでしたか、足湯、ねぇ」

陽平は視線を虚空に向けながらちょっとがっかりとした表情を浮かべているが雪音はそんなことお構いなく湯に足をつける。

「あぁ、気持ちいい……」

満足げな表情を見せながら、雪音はその湯船の中を歩き出す。

痛い……けど、気持ちいい、最近ちょっと運動部側気味だったし、うーんやっぱり気持ちがいなぁ……天気もいいし駒ケ岳もよく見えるし最高の気分!

全身をリフレッシュさせるように伸びをする雪音だが、連人は……。

「陽平さん?」

雪音が振り向くとそこには陽平の姿がない、いや、正確には座ったままの状態で雪音の視界から消えていただけだった。

「雪音ちゃん……痛くないの?」

彼はまるでよちよち歩きの赤ちゃんみたいに脚をつけたまま動けなくなっている。陽平さんも運動不足のようですねぇ。

「大丈夫だよ、ほら!」

雪音が元気に歩き回るその姿を陽平は苦笑いで見ているだけだった。

「それはいい事で……イデデ……」

 へっぴり腰で雪音を見る陽平の姿に雪音の頭の中に意地悪い考えが浮かぶ。

「ほら陽平さんもちゃんと立って、足は第二の心臓と呼ばれるぐらいなんだから、ここでしっかりとしておけば健康になれるよ」

 そう言いながら陽平の手を取り、強引な形で立ち上がらせるがそれまで苦痛に顔をゆがめていた陽平の顔にそれがない、むしろ照れたようなそんな表情を浮かべて雪音を見ている。

 ん? どうかしたの?

 雪音はその陽平の視線をたどってゆくと、ちょうど胸元が大きく開いており雪音の視線からはその中につけている衣類が見る事ができた。

「……見た?」

 ジトッとした目で陽平を見る雪音に対して、その視線をあからさまに逸らしている。

「……見ていない、けど、その胸元の汗が……色っぽかったかも」

 その一言に慌てて自分の胸元を見ると、大粒の汗が浮かんでいる。

 よかったぁ、見ていなかったのね……ん? 今の台詞の中にちょっと腑に落ちない点があったんだけれど、わたしの気のせいなのかしら?

 見ていないという台詞の意味を理解していない雪音に対して、陽平は見えないところでホッとため息をついていた。



「さてと、ちょっとお腹がすいたわね? どこかいいところないかしら?」

本当に暖まる、足をつけていただけなのに、不思議と全身お風呂に入ったように体がぽかぽかする、これじゃあ足湯だけでのぼせる人がいるというのにも納得できるかも……彼も額の汗をぬぐうのに忙しいみたいね。

何度かのお湯の噴出を足湯で見学した後、二人は車をおいた駐車場に足を向けるが、その顔はまさに温泉に肩から浸かってのぼせたような顔をしている。

「うーん、ここからだと大沼とかが近いけれど……行ってみる?」

 助手席に座りながら記憶を探るような顔をするが、隣の運転席に座る人は……。

彼は、買った手ぬぐいで鉢巻をして額から落ちる汗を防御して地図を眺めているけれど、その姿はまるで、的屋のお兄さんみたい、クスクス。

「そうね、大沼だったらいろいろなお店があるからいいかもしれないわね?」

雪音の意見に対して陽平はうなずきながら再びハンドルを握り、車を走らせる。

後編へ続く……。