雪の石畳の路……
第十話 気持ち……
=ライバル宣言?=
「はぁ……」
千草の話を、頬を赤らめながら聞き入る。先輩と千草さんはそんな関係……いわゆる大人の関係だったんだ……ちょっと照れるかも。
「ごめんね、あなたにこんな事を話すのはフェアじゃないけれど、話しちゃった……ゴメンね」
千草はそう言いながらもペロッと舌を出しおどけるように小首をかしげる。
「あっ、いいえ、そんな別に……なんとも」
穂波は途中まで言うと口をつむぐ。
なんとも? なんて言おうとしたの、あたしは……なんともない? 本当に? だったらこの心の奥底にあるしこりは一体何なの?
「本当に? 本当になんとも思っていないの? まぁ、あなたは彼のことをどう思っているか知らないけれど、少なくとも勇斗はまだあなたの事を忘れないでいると思う……悔しいけれど」
千草が唇をかむようにしてつぶやく。
「……千草さん」
先輩があたしの事を想っている? そんな素振りはまったく感じないけれど。
「さっき会って思ったの『やっぱり彼は函館にいたほうが生き生きしている』って、でも違うみたいね、きっとあなたがいるから生き生きしているのかもしれない……でも」
千草はそこまで言うとうつむいてしまう。
「でも……」
「アノ! 実はあたしと先輩、さっき呼びに来た一葉さんの三人で今このお店に暮らしているんです……一緒に」
千草の次の台詞を遮るように穂波がまるで宣言するように千草に言う……。
そんなことを話すタイミングではないだろうと思う、でも、この事は伝えなければいけない事実。
「エッ!」
千草は小さく声をあげると驚きの表情で穂波を見つめる。
「すみません、黙っているつもりは無かったんですけれど……色々とありましてこうなってしまいました、でも誤解しないでください、あたしたちが先輩の家に居候しているようなものですし、お店に住んでいると何かと便利で……それで」
力一杯言い訳しているわよね? 誤解するなといっても絶対に誤解すると思う。
「……フフ」
驚きの表情の千草の頬が緩む。
「……あなた素直ね? 純朴といってもいいかもしれないわ」
クスクスと微笑をこぼしながら千草は穂波の事を見つめる、その顔はさっきまで見ていた表情とは違い素直な感じを受ける。
「そっ、そうですかねぇ……」
穂波は素直にその言葉を受取り、頬を赤らめる。
「そこよ、その素直な反応……いつからかしらねぇ、そんな風に素直に人を見られなくなったのは、そんな所に惚れているのかしら勇斗は」
優しい笑顔を見せながら千草は穂波を見つめている。
「そ、そんな……」
穂波は顔を真っ赤にしながらうつむく、その様子を千草は楽しそうに微笑みながら見つめる。
「アハ、本当に可愛いわね? 勇斗が惚れるのもわかるような気がするよ」
千草は穂波の頬を指で突っつく。
「勇斗があなたに優しく接しているのは見ていて辛いけれど、でもそんな勇斗を見られるのもちょっと意外でいいかもしれないな」
ちょっと寂しそうな表情を浮かべている千草。
「で、でもよく先輩には『はんかくさい』とか言われますよぉ」
先輩の行動は昔と変わらない、むしろきつくなったような気がする。先輩があたしの事を思ってくれているという実感があたしには無い。
「はんかくさいって?」
千草が首をかしげる。
「ごめんなさい……はんかくさいって、ドジとか、馬鹿者とかいう意味で……でも先輩は本気で言っている訳じゃなくって……そのぉ……」
励ましてくれているんだと思うけれど、先輩のその一言って結構きついんですよね?
「ウフフ、『はんかくさい』かぁ……いいわね、お国言葉って言うのかしら? なんとなく温かみを感じる響きよね?」
穏やかな微笑を浮かべながら千草が穂波の顔を見つめる。
「北海道弁ってなんとなく暖かい感じがするのは地域柄のせいなのかしら……たまに勇斗もなまることがあるわよね?」
千草は思い出すような顔で穂波を見つめる。
確かに先輩はなまることがある、この間も店に来たカップルを見て『へくせぇカップルだなぁ』なんて毒を吐いていた。確かに格好の良いカップルでなかったのはあたしも認める……その格好のすごいことといったら今時無いでしょみたいな感じだった。ちなみに格好の悪いとかダサいということを『へくさい』と言うのよ?
「アハハ、そうかも知れませんねぇ」
穂波はそんな事を思い出しながら苦笑いを浮かべる。
「ここが勇斗の生まれ育った街なのね……いい街、そしていい人達……あたしもこっちに生まれていればまた違ったのかもしれないわね」
千草の横顔が曇る、その表情は何か思いつめたような表情だったことの穂波は気が付かなかった。
「でもね……あたしの気持ちは変わらない、たとえ勇斗があなたのことを好きであっても、あたしの気持ちは変わらない…あたしか勇斗のことが好き」
真剣な表情で穂波を見つめる千草に対して穂波も本当の気持ちで応えなければいけないという気持ちになる。それだけ千草の表情は真剣だった。
「……はい、あたしも先輩のことが好きです……昔も今も変わりません……今の状況は嬉しいです、でも……」
そう、先輩との間柄は兄妹になってしまった、たとえそれは義理のであろうと先輩との間には兄妹という川が流れ出してしまった。
「よし! なにはともあれ、あなたとわたしの関係はライバルと言う事になるわね? 今のところあなたに有利なのはわかっているけれど……負けないわよ」
千草はそう言いながら穂波に手を差し出す。
「受けて立ちます」
穂波はその手を握るとニッコリと微笑む。
「ごめん……って、どうしたの?」
ちょうど二人で握手をして微笑みあったとき勇斗がそこに現れる、よほど慌ててきたのであろう、額にちょっと汗を浮かべている。
「勇斗、とりあえず今日から一週間厄介になるわよ!」
千草は意地の悪い顔を浮かべつつ人差し指を勇斗に向って突きつける。
「へ?」
勇斗はその台詞に首をかしげながら穂波の顔を見る。穂波もやれやれと言った表情で勇斗の顔を見つめている。
「先輩、しっかりしてくださいね?」
ちょっと頬を膨らませながら穂波は勇斗の顔を睨みつける。
「えっ? えっ? えっ?」
勇斗はその光景を間の抜けた顔で見つめるしかできなかった。
=賑やかな夜=
「えっと……自己紹介からはじめようかな?」
営業時間を過ぎ、普段であれば集計を行っている時間だが今日に限って言えば落ち着けないため居間に戻る……すごい光景だよな。
勇斗の目の前に座っているのは千草を筆頭に一葉と穂波、それと和也や夏穂までいる。
「その方が良さそうですねぇ……じゃああたしから、三好一葉です、このお店の従業員です、よろしくお願いします」
一葉は苦笑いを浮かべながらペコリとお辞儀する。
「じゃああたしも……有川穂波です」
今更挨拶してどうするんだか……。
「……あたしは夏穂です」
夏穂はそう言いながらもうつむきながらではあるがその手は勇斗の腕を握って放そうとしない。
照れているのかな? 夏穂ちゃんにいつもの元気さがないように思えるが……。
「僕は有川和也……兄貴が迷惑かけています」
和也はペコリと頭を下げ千草を見る。
「うぁ……勇斗の弟さんなの? 驚いた……最初は女の子かと思ったぐらい……兄弟でもこんなに顔の造形が違うものなのね?」
千草はそう言いながら和也の顔をまじまじと見つめる、対する和也もあまり慣れていないのかちょっと頬を赤らめながら視線を泳がしている。
それにしても造形が違うとはどういうことだ……確かに認めるが本人を目の前にして元彼女がそういうことを言うか、普通……。
勇斗はちょっとむくれた顔になるが千草はそんなことはお構いなく自己紹介を始める
「ハイ、はじめまして、あたしは八神千草です、よろしくお願いしますね」
千草は怪訝な表情の四人とは違い晴れやかな笑顔を全員に向ける。
「……あの、ひとつ確認させていただいていいでしょうか?」
一葉が遠慮がちに手をあげて千草に質問を投げかける。
「ハイどうぞ!」
千草はそう言い一葉を指差す、その指先では一葉が苦笑いを浮かべている。
「えっと、千草さんは勇斗さんの元彼女と言う事でよろしいんでしょうか?」
一葉の質問に勇斗と穂波はほぼ同時に視線を落とす。
「うーん、わたし的にはその『元』はいらないなと思っているんですが、どうもそうなってしまっているみたいですね」
意地の悪い笑顔を千草は勇斗に向ける。その視線に勇斗は身体をすくませる。
「でも、穂波さんも勇斗さんの元彼女ですよね? 元彼女達に囲まれている今のこの状況ってすごくないですか?」
一葉は同情するような目で勇斗を見つめる。
「ハハ……きっと想像が付かないぐらいすごい事だと思うよ……すご過ぎて俺には理解できない」
やけだ……やけになるしかないよ、今のこの状況は。
「でしょうねぇ……」
勇斗に注いでいた同情の目を千草と穂波に移すとその二人も困惑した表情になる。
「でも兄貴がこうやって、もてている姿を見たのは初めての様な気がするな」
和也……周りの雰囲気を読めよな? と言っても高校生や中学生にはちょっと大人の会話過ぎるかな?
勇斗はその台詞をはく和也とさっきから不気味なぐらい大人しい夏穂を見る。
「穂波さんと付き合っていること自体が驚きだったのに、東京から帰って来たら東京にこんな綺麗な彼女がいたなんてホント驚きだよ」
君ねぇ……褒められているような気がしないのは俺のヤッカミからなのかな?
「あら、綺麗な彼女だなんて照れるわね……ありがと」
千草はそういう和也を見てにっこりと微笑む、その微笑に和也は何となく照れたような顔になりうつむく。
「まぁ、とりあえず現状打破だな……風呂に入ってくる」
勇斗はそう言いながら腰を上げる。
「なっ、なんだよ兄貴、どこが現状打破なんだ?」
和也は肩を落としながら勇斗の顔を見る。
「あん? これから一週間は、千草はこっちにいるし、穂波も一葉さんもこの家に住んでいるのが事実だ、その事実を歪める事はできない、だとすれば、この状況を受け入れるしかないわけだ、ようは普段と同じにすればいいのであろう」
逃げているな俺、現状打破ではなく、少なくともこの状況から逃れたいだけのような気がするよ……。
「そうですね、とにかくこの状況は変わるわけがないんですし勇斗さんを責める事はできないと思います……二人の気持ちなのですし、もしかすると勇斗さんが一番辛い思いをしているかもしれません」
一葉はそう言いながら優しい目で勇斗の顔を見る。
「一葉さん、やけに勇斗の肩を持ちませんか?」
疑いの眼差しを千草は一葉に向ける。
「そっ、そんなことないですよ……一般的に言っただけです、勇斗さんお風呂は沸いていると思いますので入っちゃってください」
不意に一葉は頬を赤らめ、慌てた様子でその千草の疑いを否定する。
「……やっぱり怪しい」
「ウン……」
穂波と夏穂も疑いの眼差しを向けるが、その先では何事もなかったように一葉は夕飯の片付けを始める。
「勇斗、一緒に入って背中流そうか?」
千草のその一言に勇斗と千草を除く全員が厳しい視線を二人に向ける。
「先輩駄目です! だったらあたしが……」
穂波は血相を変えて振り向く。
「お兄ちゃん! あたしが背中流すぅ!」
夏穂は、今にもその場で服を脱ごうとする……駄目だって。
「勇斗さん……」
一葉はなんだかちょっと軽蔑したような顔で見る。
「いいなぁ……兄貴」
和也はちょっと頬を膨らませるように勇斗の顔を見る。
へいへい、皆おいらが悪いんですよ、って和也、最後に何か違わなかったか?
さらっと四人の抗議の声を聞き流していたが、どうも和也の台詞だけが勇斗の気持ちに引っかかりつつも湯船に身を投じる。
「はぁぁー」
つい大きなため息が出てきてしまう……疲れた、仕事も忙しかったけれど、それ以上に疲れた。
「……来ちゃった、かぁ」
天井を見ながら勇斗はつぶやく。
まさか千草が東京から来るとは思ってもいなかった、本来であれば彼女がわざわざ函館まで来てくれているんだから嬉しいには嬉しい、だけどその半面にちょっと後ろめたい気持ちも否定できないのは穂波のせいなのだろうか。
揺らめく湯面を見つめながら勇斗は頭をフル回転させる。
「元彼女に囲まれて凄くないですかかぁ……凄すぎるよ、きっと幸せ者と不幸者の狭間に今俺は居るんだろうなぁ……そしてどっちかに転ぶ事になる」
勇斗は湯船に潜り込む。
「お先」
居間に戻ると和也と夏穂の姿がない、既に自宅に戻ったのであろう。
「わたしも入ろうかな?」
千草が腰を上げる。
「どうぞ……これ使ってください」
穂波はそう言いながらバスタオルを千草に渡す。
「ありがとう、じゃあお先にね」
千草は微笑みながらそう言い、居間を出てゆく部屋の中に残ったのは穂波と勇斗だけ。
「……一葉さんは?」
片付けをしている穂波の背中に勇斗が声をかける。
「ハイ、明日も早いから寝るって……お風呂は朝入るって言っていました」
穂波は振り向かずに勇斗の問いに答える。
「そうか……」
勇斗はそう言いながらテレビのチャンネルを変える。
「先輩も明日早いんだから早く寝たほうがいいんじゃないですか?」
穂波はそう言いながら勇斗の前に麦茶を置く。
「あぁ、そうするよ、今日は疲れた……」
苦笑いを浮かべる勇斗に対し穂波は心配そうな目で勇斗を見つめている。
「大丈夫ですか? もしかしたらあたしのせいですかねぇ」
申し訳なさそうに穂波が勇斗の前にちょこんと座る。
「違うよ、きっと俺のせいだろうよ……」
勇斗はそう呟くが、穂波の耳には最後の方が届いていないようで首をかしげている。