雪の石畳の路……

第二話 函館

=新しい朝が来た=

「兄貴は?」

寝床の脇から和也の声が聞こえてくる。

勇斗は居間の隣にある客間で一晩を過ごした。自室が使えないのは昨日確認済みだし、それにあそこに寝るとなると穂波たちと一緒に寝るという行為になってしまう。

「まだ寝ているんでしょう? まぁ、昨日帰ってきたばかりだし疲れているでしょうからゆっくり休ませてあげた方がいいと思いますよ」

答えているのは新母親だ、何でこんなことになっちまったんだろうなぁ。

既に勇斗は布団の上であぐらをかきながらタバコをふかしている。

お心遣いありがたいのですが、俺にもちょっと考えさせていただきたいのでね、それに、昨日一日の間にいろいろとありすぎて思考能力のキャパシティーを超えてしまっているようだ。

「ふぅ……」

紫煙をはきながら勇斗は、こっちに着いてからのことを思い出す。

まず一葉さんは、お店の従業員であることは確認が取れた、それに和也の存在も難しく考えることはないであろう。問題は、あのくそ親父と、新母親およびそのオプション装備達だ! まず、新母親、どこかで見たことがあるのは、穂波の家に何回か行った時にそれとなく顔を合わせていたからであろう、それに穂波……変わらないなぁ、ちょっと髪の毛が伸びたかな? つい、最後にあった卒業式の時とを重ね合わす。まぁいい、それにしてもあの少女はいったい誰なんだ? 見るとやけに和也になついているようだが? 確か夏穂と言ったよな? 穂波と付合っている頃には会った事がなかったと思うが。

「おにいちゃん、起きたの?」

枕元から声がする。

「あぁ……って?」

勇斗はその声のするほうを恐る恐る振り向く。まるで首がギギッと音を立てているかのように……。

まさか……まさか、そんな事があってはいけない……しかしだったら今隣から聞こえた甘えた声は一体誰だ?

「おはよーおにいちゃん!」

悪びれることなくにっこりと微笑むその少女は、勇斗と枕を並べというか、勇斗が起きたその布団の中にいるというか……ともかく、『同衾』というやつですかぁ? 勇斗の顔から血の気が滝のように引いてゆくのがわかる。

「アァッ〜〜〜ッ……!」

勇斗の叫び声が有川家に響き渡る。

「どうかしたの先輩?」

その声を聞きつけ、穂波が顔を覗かせる。

「いや、その、何だぁ……誤解……だぁ?」

穂波が口に手をやる。やばい絶対誤解している。違う! 俺はノーマルであって決してその趣味はない。しかし……穂波の次の台詞が怖い、何を言われるか、その台詞を聞くのが怖いかもしれない。

穂波の顔が見る見るこわばっていくようだ。長い沈黙……周りはそうでもなかったかもしれないが、勇斗にしてみればまるで判決を待つ死刑囚のような感覚だった。

「もぉ、夏穂だめじゃない! そんなところで寝ていたらお兄ちゃんの迷惑でしょ!」

ほら……って、あれ? 焦点が違っているような気がするけれど? 勇斗は首をすくめ、穂波の台詞を聞く。

「ごめん、おにいちゃんすごく気持ちよさそうに寝ていたからつい一緒に寝ちゃった」

夏穂と呼ばれたその少女は舌を出し穂波を見つめる。

「先輩すみません、この子、ちょっとブラザーコンプレックスみたいな所があって、昨日まではずっと和也さんにずっとつききりだったのに……」

穂波は申し訳なさそうに勇斗に頭を下げる。

「おっ! なぁんだ夏穂ちゃん兄貴になついたのかぁ……ウン、そうか……よかったぁ」

その後ろから和也が顔を出し、心底ほっとしたような、晴れやかな表情を浮かべているが、ちょっと待て、また俺に悩みの種を増やそうという魂胆なのか?

「ちょっと待て、頼むから俺にちゃんと説明をしてくれる人はいないものかな?」

勇斗は昨日と同じように眉間にしわを刻み、その額に人差し指を当てる。


「ちょっと話を整理させてくれ」

眉間のしわを指先で触りながら勇斗はトーストにかじりつく。腹が減ってはなんとやらというのか、穂波はうれしそうにコーヒーを提供してくれる。

「まず、有川家の長男である俺、勇斗はそのまま長男でいいわけだよな?」

一同がうなずく。

「次が、嫁に来た飯島家の長女である穂波が長女。俺からすれば妹になるわけだな?」

再び一同がうなずく。

「そして今度は有川家の次男でもある和也、これが穂波から見て弟になるわけだ」

まったく同じ動作、以下略。

「最後が飯島家の次女夏穂で、一番下の妹になるわけだな?」

うなずく……もういい!

「要は四人兄妹になるわけだな?」

「だから、そう昨日の夜からいっているじゃないか」

和也が業を煮やしたように言う。

「やかましい、この異常な状態を一日二日で納得が出来るか!」

「納得いかない?」

夏穂が潤んだ目で勇斗にすがりつく。

あぁ、なんだかすごく悪人になったような気がする、頼むからそんな潤んだ瞳で俺を見ないでくれ!

「いや、なんとなくだがわかってきた、そこで最大の疑問なんだが、何で親父が穂波のお袋さんと結婚をするのかが聞きたい」

「あっ、兄貴、それは……」

和也が静止しようとするがとき既に遅かったようで、勇斗の前に父親の鉄平と、穂波のお袋である、穂乃美が満面の笑顔を振りまきながら勇斗の前に立ちふさがるように座りなおす。

「そうかぁ、おまえも聞きたいか、俺と穂乃美ちゃんとの経緯を、ならば話してやろう、それはある雪の日だった……」

それから、その話は延々と二時間近く続き、俺は二人の前でまるで説教をくらうような格好で話につき合わされた。気が付けば周りには誰もいない。みんな結構薄情だと、ちょっと人生を垣間見たような気がした。ホント、みんな冷たいのね?


「終わりました?」

二時間の超大作を拝聴し、ぐったりとした表情で台所に行くと穂波が苦笑いを浮かべながら勇斗にお茶を提供してくれる。

「あぁ、あのまま話を聞いていたら、第二部を聞かされそうだよ……参った」

勇斗は降参といった意味合いを含めて両手を挙げる。

「ウフ、本当ですよ、ずっと聞いていたら五時間は越える超大作になるかもしれませんよ」

穂波も苦笑いを浮かべている、ということは、穂波も付き合わされた同士というところであろう、お互いに苦労するな。

二人は見つめあい、苦笑いを浮かべる。

そういえば穂波と会うのは俺が高校三年のときに顔を合わせたのが最後だった。まだ、あの頃はセーラー服がやっと似合うようなそんな感じだったかな? そして今目の前にいる穂波は白いハイネックのニットセーターを着ておりちょっと大人っぽい雰囲気を持つようになっている。

「あのぉ……先輩、本当に久しぶりで……えっと、お元気でしたか?」

穂波が沈黙に耐えられないように口を開く。

「あっ? あぁ、おかげさんでね、穂波も元気そうで……」

二人は照れたように視線を動かす。

「お姉ちゃん達はラブラブなのかな?」

どこからともなく舌足らずな声がする。

「夏穂! 何を言っているの、茶化さないで!」

穂波は真っ赤な顔をして声の主を睨む。その視線の先には、一番下の妹になる夏穂がセーラー服を着てちょこんとたっている。背が低いから入ってきたことに気がつかなかったのか? はたまた気配を消して入ってきたのか?

「だって、入ってきたら二人して見つめ合っているんだもん」

夏穂は、頬を思いっきり膨らませながら勇斗の腕にしがみつく。

どうやら、俺はこの娘のお気に入りになってしまったようだな。

「もう、夏穂ったら」

その様子を見て穂波もちょっとふくれっ面をする。

「ねぇ、お姉ちゃんは何で勇斗兄ちゃんの事を『先輩』って呼ぶの? 変じゃない?」

勇斗の腕にしがみつきながら夏穂が穂波の顔を見上げる。

「うん、先輩……勇斗兄ちゃんとはね、高校時代同じクラブだったのよ、それで……ね」

なんだ? 穂波の表情がちょっと沈んだ様に見受けられたが、気のせいかな?

「ホントに? 勇斗兄ちゃんは何をやっていたのかな? 背が高いからバスケとか、バレーとか……うーん、意表をついて陸上とかかな?」

なぜ、クラブ活動をするのに意表をつかなければいけないか良くわからないが、確かに、バスケやバレー部からは助っ人を頼まれたことは良くある。

「なんだと思う?」

思案顔の夏穂の顔を見ながら穂波は意地の悪い笑顔を見せる。

「うーん……バスケ! バスケやっている人ってカッコの良い人多いから!」

しまった! やはりそういうものか。

勇斗は、思わずうなだれてしまった。その様子を見て穂波は苦笑いを浮かべている。

「残念、はずれだよ」

嬉しそうな表情で穂波は夏穂の顔を見つめる。夏穂は心底残念そうな表情を見せながらさらに思案顔になる。

「えぇー分からないなぁ……勇斗兄ちゃんはスポーツ系だと言う事だけは確かなんだけれどもなぁ」

何で確定なんだ?

「正解は『柔道部』なのよ、あたしはそこのマネージャーだったの」

夏穂の表情が一瞬硬直する、何となく頬が引きつっているような気もするが……。

「……うそ」

夏穂はそう言うのがやっとなのか、そのまま呆然と勇斗の顔を見上げるだけだった。

「本当よ『稜西学院柔道部 有川勇斗』といえば、道内では結構有名だったのよ? 北海道では無敵だったんだから……インターハイにも出たしね! 先輩」

ね、って言われてもなぁ、四年前の出来事だしそんなことを覚えている人ももういないだろうよ。

勇斗は、ちょっとはにかみながら笑顔を夏穂に向ける。

「勇斗兄ちゃん柔道をやっていたの? あんまりカッコよくないかも……」

夏穂は、がっかりした表情で勇斗をみる。

そんな目で見ないでくれ、俺もカッコが良いとは思っていないから。

「そんなことないのよ! 柔道って結構カッコがいいの。あたしもそれまでは『汗臭い』とか『だらしない』とか『野蛮』とか思っていたけれど、なかなかどうして熱くなるスポーツよ」

穂波は、夏穂の一言に噛み付く。

というより、そんな目で見ていたの? 『カッコいい』とかどうとかで?

勇斗は、呆れるというよりちょっと情けなくさえ思ってきた。

「えぇ、だってあまりメジャーなスポーツじゃないじゃない? それに見ていて美しくないよ」

夏穂は、ふくれっ面をして穂波に食いかかる。

まぁ、確かに美しくないよな? 最近は女子柔道なんかはカッコよく紹介されているけれど、男子柔道というのは相変わらず、イメージは『汗臭そう』だ、何よりやっていた当人が言うのだから間違いないだろう。

「うぅ……それは確かにそうかもしれないけれど、でもね、先輩が投げ飛ばしたときとか、一本取ったときとかはすごく興奮するの! なんていうのかなぁ『やったぁ!』っていうか、すごくスカッとした気持ちになったの」

穂波はたじろぎながらも、柔道を説明している。その時、一瞬夏穂の目が光った。

「お姉ちゃん? それは、柔道が面白いんじゃなくって、それをやっているおにいちゃんが好きだったんじゃないの?」

再び夏穂の顔に意地悪げな笑みが浮ぶ。すると穂波の頬が一気に赤くなり、まるで湯気でも出ているのではないか? というほどにまで赤くなるなる。

「もぉ、夏穂! 茶化すんじゃないの!」

力いっぱい照れた表情を浮かべながら夏穂の顔を睨みつけるが、顔を真っ赤にしているその表情ではあまり迫力を感じない。

ほぉ、穂波もこんな顔をするんだな?

勇斗は、その二人のやり取りをいつの間にか楽しそうに見ていた。

「だって、お姉ちゃんの今の顔、完全に恋する乙女の顔だったよ? 可愛いかも……」

油に火を注ぐというのか、怖い物知らずというのか、夏穂は挑発するように穂波に言う。

「なっ、なっ、なにをいっているのよ! あたしは別に先輩が気になって柔道部のマネージャーになったわけじゃ、ない……ないし……」

 尻すぼみな言い方をしながら穂波はうつむきゴニョゴニョという。

「やっぱり、それが動機じゃない」

夏穂はそう言いながら穂波のわき腹をひじで突っつく。

「もぉ、夏穂!」

夏穂は、勇斗の後ろに隠れる。

「ねね、勇斗兄ちゃん、このカッコ可愛い?」

穂波の怒りが収まらないうちに夏穂は次の話題に進む。

この娘はきっと大物になるんじゃないかな?

そう思う勇斗の前で、夏穂はモデルよろしく、身体を一回転させスカートを翻す。まだ夏穂にはそれはちょっと大きいようで袖口にあるはずの手は完全に隠れてしまっているものの、勇斗にとってみると懐かしい制服のように感じる。

「その制服は?」

勇斗は、紺色のセーラーカラーに白の三本線の入っている制服に目を細める。

「稜西学院中等部の制服です……」

えっ? という事は俺達の後輩? それよりも中学生? 夏穂ちゃんが?

勇斗の瞳は、夏穂の頭の先からなめるように足先まで眺める。

「もぉ、勇斗兄ちゃん、そんなにみられると恥ずかしいよ……まさかロリ?」

夏穂は、ない胸を隠すように勇斗を軽蔑したような表情で見る。

「ばっ、馬鹿言うな、俺はただ……」

待て、それ以上言うと、きっと夏穂ちゃんを傷つける結果を生むことになりそうだ、そこは、大人の余裕という物をビシッと。

「はいはい、どうせ『背が低すぎる』とか『幼すぎるとか』とか『幼児体型』とか言いたいんでしょ?」

はは、ばれてらぁ。

「こう見えても、今年の八月で十三になるんだよ? 勇斗兄ちゃんは、あたしの事いくつだと思った?」

夏穂は気にしていないと言うようにケラケラと笑いながら勇斗を見上げる、その顔には諦めにも似た笑顔が浮んでいる。

「……十歳ぐらい……ゴメン」

夏穂はその台詞を聞いた瞬間に大声で笑い出しながら勇斗の腕をぎゅっと抱きしめる。勇斗がきょとんとした表情でいると、夏穂はやおら勇斗の頬にキスをする。

「かかか、夏穂?」

穂波が動揺した表情で夏穂と勇斗を見比べる。

「エヘヘ、勇斗お兄ちゃんって優しいんだね? 本気で好きになっちゃうかも……」

赤い顔をしながら夏穂は勇斗の腕を抱きしめ、まるで宣戦を布告するように穂波の顔を見つめる。

なんだぁ? このきな臭い雰囲気は?

勇斗は二人の視線の間を行ったりきたりするだけだった。

「そんなこといっていないで、着替えてきなさい!」

穂波はしかりつけるように夏穂に言うと、夏穂は舌をペロッと出しながら逃げるように部屋から出てゆく。



=職場=

「じゃあ、ちょっとお店に顔を出してくるよ、親父も行っているんだろ?」

今自分の置かれている立場が徐々にだが分かってきた。結論から言うと、めちゃくちゃというやつだな。いきなり妹が二人も出来て、しかもその一人が高校時代の彼女だなんてめちゃくちゃもいいところだ。しかし、ここまで来た以上は後戻りは出来ない、このめちゃくちゃな環境に慣れていくしかないのだろう。

「はい、勇斗さん、いってらっしゃい」

玄関先では、にこやかに新母親である穂乃美さんが手を振りながら見送ってくれる。

今まで、玄関を出るときに声をかけて見送ってくれる人なんていなかったからちょっと恥ずかしい気がする。でも、これはこれでいいのかな?

「先輩、あたしもそこまで買い物に行きますからご一緒します」

部屋の奥から穂波があわてたように小走りで玄関先に出てくる。

「あら? そんな事言って、お掃除サボる気じゃあないでしょうね」

穂乃美は意地悪い顔をして穂波を見つめる。

「そっ、そんなことないよ、ほらゴミ袋もないし……」

ちょっとしどろもどろになっていないか? 何となく狼狽しているように見えるのだが。

穂波は、ちょっとうつむき加減でぶつぶつといいながら靴を履く。

「さっ、先輩行きましょう!」

「穂波! お茶も買ってきて」

穂波はまるで逃げるように玄関から出ると、背後から穂乃美が声をかけてくる。

「わかったぁ……」

おいおい、明らかに今の返事は生返事であろうって、その話を聞いていないことがありありとわかるぞ。


「うー、やっぱり寒いなぁ……東京じゃあこの季節は薄手のジャケットで十分なんだけれど、やっぱりこっちは寒い」

勇斗はそう言いながらズボンのポケットに手を突っ込みながら肩をゆする。このあたりは坂の上になり、ちょうど港からの吹き上げの風が吹くため体感温度は実際のそれより低く感じる。

「先輩だらしないですよ? それでも道産子ですか?」

穂波はにっこりと微笑みながら勇斗を見上げる。勇斗と穂波の背の違いはおそらく頭ひとつ半ぐらいあるであろう、勇斗は常に穂波を見下ろすような格好になる。

道産子ねぇ、そういわれればそうだ、北海道生まれだから道産子になるけれどでも、東京の気候に慣れちゃったから、しばらくは苦労しそうだ。

「忘れていたよ」

勇斗は肩をすくめながら穂波に言う。

「そういえば先輩は……」

穂波は楽しそうに話をしているが、昨日からちょっと引っかかる事がある。

「なぁ、その『先輩』はどうにかならないかな?」

そう、昨晩から気になっているのはその『先輩』だ、既に親は入籍を済ませているわけだから戸籍上は俺と穂波は兄妹になる訳だ、それに家にいるときに『先輩』と呼ばれるのには、なぜか背徳感がある。

「そうですか? そうですよねぇ……なんて呼べばいいですか?」

穂波は宙を見つめながら思案顔になる。

「うーん、お母さんは『勇斗さん』って呼んでいるし、和也君は『兄貴』でしょ? いつの間にか夏穂は『勇斗兄ちゃん』って呼んでいるし、やっぱり『お兄ちゃん』ですかね?」

穂波は顔を赤らめながら勇斗を見つめる。

お兄ちゃんかぁ、好きな人にはたまらないのだろうが生憎とその趣味はないし、そもそも元彼女にそう呼ばれるのはなんだか妙な感じがするのは考えすぎなのだろうか。

「ちょっとそれも……」

勇斗は苦笑いを浮かべて穂波をみる。

「じゃあどうしましょう? お母さんと同じように『勇斗さん』かしら、それとも『勇斗君』でも、なんだかあたしの方がそれだと落ち着かないですし……やっぱり『先輩』が一番呼びやすいかもしれないなぁ」

穂波は勇斗に対して懇願するような表情を見せる。

まぁ、個人的にもそのほうが呼ばれ慣れているからかまわないのかもしれないけれど、他の連中が変な想像をしなければいいのだが。

「いずれ何か言い呼び名ができるでしょ? それまでは別にいいか?」

なんだか、どこかの愛称名みたいな決まり方のような気がするけれど、いいかな?

「はい! そのほうが呼び易いです、先輩!」

穂波はこれ見よがしに勇斗に言う、その笑顔は華やかで、高校時代の穂波を思い出す。

昔、この笑顔に何度も助けられたよなぁ。


「あれ? 穂波、買い物は?」

二人は他愛のない話をしながら歩いていると、いつの間にか函館朝市近くまで来ている、この朝市の近くにあるのが勇斗の新しい職場でもある『有川商店』がある。

「いけない、つい話し込んでいたら忘れてしまいましたぁ」

穂波はおどけるように舌を出し勇斗を見る。

やはり掃除をサボる気でいたのであろう、その行動に計画性を感じるのだが。

「じゃぁ、買い物に行ってきます」

穂波は敬礼をする真似をすると勇斗に背を向ける。

「穂波、穂乃美さんがお茶もって言っていたの忘れるなよ」

そういうと、穂波は振り返り「そんな事言っていました?」などと言っている。やはり聞いていなかったようだな。


「ちわー」

勇斗は一軒のおみやげ物店に入る、そうここが勇斗の職場である有川商店だ。店内は観光客で、結構ごった返しており繁盛しているのがよくわかる。

「勇斗来たか、ちょうどいいこっちに来てレジをやってくれ」

おいおい、いきなり実戦配備かよ。

店の中では店員の一葉と、冬休みのバイトという大義名分を名目に手伝されているのであろう和也が忙しそうに動き回っている、そしてレジには親父が客の列の対応に大汗をかいているが客の具間にその隙を見つけ勇斗を手招きして呼ぶ。

「やり方はわかるな? お前が学生の頃とはちょっと違うから、まぁ、バーコードを当てるだけでいいからむしろ簡単になっているんじゃないか?」

鉄平はそういい店の奥に入り込み、なにやらごそごそと探し物をしているようだ。

「すみませーん、これを二十個違う袋に入れてもらいたいんですけれど」

どこかの馬鹿っぽいOLが勇斗に言う。

それぐらい自分でやれよな? まったくこっちは忙しいというのに。しかし相手はお客様、俺の給料の種な訳だから、そう無下に言うわけにもいかない。

「はいはい、これですね?」

勇斗は渡されたハンドタオルを作り笑いを浮かべながらセコセコと二つに折りながら袋につめてゆく。

「さすがに手馴れているな、学生時代の勘が戻ってきたか?」

鉄平が勇斗にエプロンを渡しながら声をかけてくる。

「小学校の頃からやらされているんだ、体が覚えているよ」

そう、小学校の頃から、休みというとこのお店で手伝いをしていた。あの頃は死んだお袋と親父の三人でやっていて、よく女の人に『お手伝いしてえらいわねぇ』なんて頭を撫ぜられて喜んでいた記憶がある。

「旦那さん、これの在庫はありますか?」

一葉が地酒を持ちながら鉄平に聞いてくる。

いけないな、感傷にふけっている場合ではないな、商売商売っと。

「はい、ありがとうございましたぁ」

いつの間にか勇斗はエプロンをして営業用スマイルを浮かべていた。


「ひと段落だな……」

既に日が傾き始めてきている午後五時、朝市の方は既にお店を閉めているところも多いけれど、お土産物屋はこれから夜にかけて再びピークが来る。

「今年はまだ夜景バス走っていないのか?」

ポツンポツンとお客がいるため休憩所でちょっとお茶でもというわけにはいかない、レジの下においてあるペットボトルのお茶を口に含みながら勇斗は鉄平に聞く。

「あぁ、大体四月頃からだな? 確か今年も四月の半ばぐらいからだと思った」

函館といえば夜景、その夜景を見るため駅前から夜景を見るためのバスが走っているが、季節運行で通年は走っていない。その期間は毎年変わるようで、お店はそれにあわせて閉店時間を決めるのだが、有川商店は通年二十一時までのオープンとなっている。

「客は来るのかい?」

最近もこの街は寂れだしているというのを新聞で読んだことがある、まぁこの不景気では致し方がないのであろうが、経営者としては厳しいと思う。

「やっぱり減ったよ、バブルの頃より売り上げは半分に減った、組合でも何軒か潰れたって言う話しはよく聞くしな」

親父は昨晩とは打って変わってまじめな表情を見せている、いわゆる経営者の顔つきになっている、いつもこうであれば少しは尊敬できるところもあるのだが……。

「そうだ、勇斗お前ここの二階に住んだらどうだ? まだ部屋はそのままになっているし、あっちの家にお前が住むスペースなんてないだろう」

やっぱりくそ親父だな?

「わざわざ故郷に戻ってきてまで一人暮らをしろって言うのかよ」

勇斗の顔が再び険しくなる。

「なんだったら穂波ちゃんもこっちに来てもらうか? キヒヒ」

鉄平はそういい意味深な笑顔を勇斗に向ける。

「ばっ、馬鹿な事言うなよ、何で穂波と一緒に暮らさなければいけないんだ? 兄妹なんだぞ」

自分でも真っ赤になっているのはわかっている、体中の血液が顔に集まっているようなそんな感覚がする。

「それ以前はお前達付合っていたんだろ? だったらいいじゃないか」

むちゃくちゃな理論だな……親の言う台詞じゃない。

「そういう問題じゃあないだろ?」

勇斗はしどろもどろになりながら否定をする。

「まぁ、冗談はさておき、お前はこの店の二階で暮らす、いいな?」

確定かよっていうよりも本当に勝手な親父だな!

「どうかしたんですか?」

休憩所に上がっていた一葉が顔を出す。

「いやね……」

鉄平が、その話を一葉にしていると、一葉の顔に笑顔が膨らんでゆく。

「そうなんだぁ、勇斗さんここに暮らすんですね?」

はは、もうどうにでもして。

勇斗はがっくりとうなだれながらうなずく。

「どうやらそうなってしまうようですねぇ」

どうやら親父の中では俺の意見というものは存在しないようだな。

「いいなぁ、あたしも一緒に暮らそうかしら?」

なっ? 何を言っているんだこの娘は?

「そうか、一葉ちゃんと一緒という手もあったな? どうだ、一葉ちゃんなんて? まだ二十三歳だぞ? お前と同い年だし……ちょうどいい」

おいおい、どういう手なんだよ、というよりなんで俺は女と一緒に暮らさなければいけないんだ? それは別に女嫌いではないし、人並みに女の子は好きだけれども、親公認の同棲というのはどうも理解できない。

「……わかった、一人暮らしさせていただきます、これ以上変な暮らしをするんだったら、ここで一人暮らしをしたほうがいいよ、それに、この家なら……」

そう、ここは俺が生まれ育った家、そう、前のお袋との想い出もあるところだ。勇斗は顔を上げ、懐かしい天井を見わたす。

「よし、決まりだな? あっちにあるお前の荷物は早々にこっちに持ってくるとして」

親父はそういいながら休憩所に上がっていった。

「まったく……」

勇斗はレジにある椅子にどっかりと座り込むとため息をひとつつく。

「また旦那さんの思惑にハマってしまったみたいですね?」

一葉がにっこりと微笑みながら勇斗を見つめる、その顔はちょっと紅潮しているようにも見える。

「まったくだ、でも、一葉さんはよくここに俺となんか一緒になんていえますよねぇ」

勇斗が肩をすくめながらそういうと、一葉はちょっと悩みながら、

「いえ、本気でそう思ったんですよ? あたしあの家に住込みでいるんで、それまでは旦那さんや和也さんの賄いをさせていただいたんですが、新しい女将さんが来たら、あたしの居場所がちょっとなくなっちゃうかなって思っていたので」

そういう一葉の表情はちょっと寂しげだった。

「何だ、兄貴ここに住むんだって? せっかく穂波姉さんと一緒に暮らせると思ったのにな、残念だね?」

和也が店頭から茶化すように勇斗に声をかけてくる。

「やかましい! チャッチャと仕事しろい」

そういい勇斗は手元にあった紙くずを和也に投げつけるが、風の抵抗に遭いそれは途中で失速し落ちる。

「穂波さんと勇斗さんのつながりって?」

一葉はその紙くずを拾い上げながら不思議そうな表情で勇斗を見る。

「兄貴の元彼女だよ、穂波姉さんは」

再び和也が店頭から声を上げる、すると一葉は驚いた表情を浮かべる。

「それは……ややっこしいですねぇ」

驚きの表情は苦笑いに変わってゆく。

やっぱりそう思いますよね? 当事者はもっとややっこしくって脳のシワがこんがらがりそうですよ。

勇斗は再びため息をつきながらうなだれるが、それを一葉は優しい目で見ている。

「兄貴、観光バス来たよ!」

店先から和也の声が響く、観光バスが来たということはお客が降りてくるということだ、商売商売。

勇斗は椅子から立ち上がり店先で声を上げる。

「さぁ、いらっしゃいお土産見ていってください」

第三話へ

戻る