雪の石畳の路……

第三話 この家に……

=奇妙な暮らし=

「荷物は以上ですか?」

定休日のはずの有川商店の店先にはライトバンと赤い軽自動車が止まっている。

「そうですね、はい以上です」

お店の二階から勇斗は声を張り上げる。休憩所として使っていたスペースが台所に戻り、仮眠室と使っていた部屋が居間に戻る。

「ずいぶんと荷物少ないんですね?」

一葉が荷物を広げながら隣で汗をかいている勇斗に声をかける。

「ずっと一人暮らしだったからね? 生活必需品は向こうの友達連中に上げてきたし、また一人暮らしをするんだったらもってくれば良かったよ……」

勇斗は一葉に向けて苦笑いを浮かべる。

「でも、おかげで引越しが楽だった訳じゃないですか? うふ」

そうして一葉もその勇斗に向けて笑顔を向ける。

「……なんだかあの二人、いい感じじゃない?」

その様子を見ていた夏穂が憮然とした表情で穂波に言う。その穂波の顔には動揺の色が浮かんでいる。

「うん」

「あっ、お姉ちゃん妬いているでしょ?」

夏穂はとっさにその表情を読み取り穂波にずばりという。

「ウン、多分……」

穂波は、それを隠そうとはしなかった。

初めてお母さんが結婚をすると言った時は確かに動揺した、でも子供じゃないし、それにお母さんには幸せになってもらいたいと思ったから賛成した。そしてその相手が彼……先輩のお父さんとわかったときは訳のわからない気持ちに陥った。だって、先輩とは兄妹になる、そうすると先輩に対する気持ちはどうすればいいのかわからなかった、いくら自然に消滅したとはいえあたしの気持ちは変わらない、今でも先輩の事が好き。

「というと、あたしのライバルにお姉ちゃんと一葉さんが入るのかなぁ……結構大変かもこの恋を成就させるには」

夏穂がため息をつきながら部屋の奥へと入っていく。

ということは……ちょっちょっとぉ、嘘でしょ? 夏穂まであの人のことを?

「穂波? ちょっとそんなところでぼぉとしていないでちょっと買い物に行って来てくれない? 生活用品がまったくないのよ」

はぁい」

 ちょっとふてくされているのかな?

「どこまで行けばいいの?」

穂波は穂乃美に向かってちょっと膨れた顔をしながら答える。

「そうね、ちょっと量があるから量販店の方が良いわね、産業道路沿いにあるハイパーマートに行ってきてくれる? あそこなら全部そろうと思うから」

えぇ、あそこに行くには車じゃないと行けないじゃないのよぉ、面倒くさいなぁ……。

「じゃあ車は私の使ってくれて良いから、勇斗さん一緒にいってくれる? ほかにも物入りでしょうから、一緒に行って選んできて」

先輩も一緒に行くの?

穂波の顔に笑顔が膨れる。

「あのぉ、もしなんだったらあたし行きましょうか?」

一葉がちょっと遠慮気味に立候補する。

「先輩、場所知らないでしょ? あたしが運転していくから乗って待っていて?」

せっかく先輩と二人になれるんだ、このチャンスを逃すわけにはいかない、それに一葉さんと一緒にいかれたらこの先片付けにきっと身が入らなくなってしまうだろう。

「穂波が運転できるとはねぇ?」

車は五稜郭公園の脇を通り抜ける、桜のつぼみはまだ固く春の訪れはまだ遠いようだ。

「どーゆー意味ですか?」

穂波は正面を見据えながら顔を膨らませる。

「いや、運転免許とはなんだか程遠い人物だと思っていたからね、ハハ」

勇斗は苦笑いを浮かべながら再び外に顔を向ける。まだ、日陰には雪が残っており、暖かくなったとはいえまだまだ函館は寒い。

「もう、こっちじゃ車が足代わりですからね、運転免許は必須アイテムなんです、あたしだってもう取って一年経ったんです、若葉マークもつけなくっていいんですよ?」

穂波は自信満々な表情で車を走らせる。

「へぇ、やっぱり函館にも近代化の波が押し寄せているんだね?」

産業道路沿いにある大型ショッピングセンター。一箇所にさまざまな設備がそろっているため便利ではあるが、しかし、関東でも同じように郊外にこのようなショッピングセンターが出来ている、このためドーナツ化現象が起きているとよくテレビで言っている。

「なぜですか? あたし達は便利になってよかったなんてよく言っているんですよ?」

車を所定の駐車スペースに置きドアを閉める、うん、ちゃんと真っ直ぐに入って、なかなかの腕前なんじゃないの?

勇斗はその車を見つめ感心した表情になる。

「いや、こういうのは日本全国変わらないんだなって思ってさ、確かに便利だよね?」

勇斗はその敷地を眺める。そこにはスーパーをメインにホームセンターや書店、ドラッグストアーにカラオケまである。

「はい、よく夏穂や、一葉さんとカラオケに来たりするんですよ、先輩はカラオケとかは良く行くんですか?」

カラオケの看板を見ながらいる勇斗を見て穂波はにっこりと微笑む。

「まぁ、嫌いではないけれど音痴だからね、行っても歌わないで飲むほうオンリーだぁ」

勇斗は苦笑いを浮かべながら穂波を見る。

「じゃあ今度みんなで来ませんか? カラオケ、最近あたしも来ていないし……ウン、楽しみだなぁ」

 既に穂波の中でカラオケパーティーが確定したようだ。

                              

「後は、トイレットペーパーにティッシュですね? あと何かあったかなぁ」

穂波はカートを押しながらメモを見る。

「以上じゃない?」

勇斗は歩き疲れてやけになっているようにいう。

「そうですねぇ、トイレットペーパーやティッシュは確かドラッグストアーの方が安いですね……じゃあ会計していきましょう」

まだ歩くのかよぉ……終わったらちょっとお茶でもしてから帰ろう。

勇斗は既に疲れ果てて、うんざりという表情が浮かんでいる。

「先輩、もし良かったら車で待っています? お疲れみたいですし」

穂波はその表情を読み取り勇斗に声をかける。

いやいや、女の子一人に買い物をさせて自分は車の中でのうのうとしている訳にはいかないでしょ? それに、俺の男の美学にそれは反する。

「いや、大丈夫付合うよ。にしても、穂波は疲れを知らないなぁ、前からそうだったけれどそんなに動き回って疲れないのかい?」

高校時代もそうだったな、合宿や試合のときなどは人一倍動き回って面倒を見てくれた、それが何よりも嬉しかったよな。

「ヘヘ、あたし結構平気なんですよ、人のために動くのって好きだから」

そういいながら穂波は顔をちょっと赤らめる。

エヘ、本当は先輩のために動き回るのが平気なんです、試合が終わって解散した後なんて結構疲れてお母さんや夏穂に当たったこともあるぐらいなんです。今日だって、先輩のために動き回っているんですよ?

「なら良いけれど……」

そういいながら勇斗は袋に荷物を詰め込みながら、缶ジュースなどの入っている重い袋を率先して持つ。

「あっ、先輩持ちますよ」

「良いよ、重いから、それより早く買い物を済ませてちょっとお茶でもしようよ、のどが渇いた」

勇斗はうんざりした顔を見せながらも、その重い荷物を持ち歩く。

「……はい、そうですね!」

穂波はなんとなく勇斗の顔を見上げる。

「寒いといってもやっぱり春は近いんだね、荷物を持って歩いたら汗ばんできたよ」

車に戻り、途中で買った缶コーヒーを開ける。

「はい、ゆっくりですけれど春は近いです」

穂波もお茶を飲みながらほっと一息ついている。

「なんだかまだ実感がないなぁ、函館に帰ってきたっていう実感が」

勇斗は車の中から外の景色を見る。

周りに見える景色は東京のそれとあまり代わりがない、近代的なショッピングセンターにかかっている看板は東京にもある大型チェーン店のものと同じ。むしろ、狭い街であるこの街だからこそ東京なんかよりも便利なのかもしれないな。猫の額ほどのこの街に人が住んでいて、そこには山があり海がある、田舎くさい景色だと思っていたけれど、それも良いのかな? なんて思うということは、俺はやっぱり東京で負けて尻尾を巻いて帰って来たようなものなのかな?

ちょっと自嘲気味の笑がついこぼれてしまう。

「どうかしましたか? 先輩」

穂波が不思議そうな顔をして勇斗の顔を覗き込む。

「いや、別になんでもないよ、ただ……いい街なのかなって、思ってさ」

なんとなくちょっとセンチなのかな? ふっとため息をつき空を眺める。

「ハイ! いい街ですよ、この街は」

穂波はにっこりと笑いながら飲み終えたお茶の缶を車の中のゴミ箱に捨てる。

確かにいい街なのかもしれないな?



=穂波の思い=

「ただいまぁ」

店に戻ると、そこには既に人の気配がしない。みんなどこかに行ったのか、玄関にはご丁寧に鍵までかかっている。

「みんなどこに行ったんですかねぇ?」

穂波も合鍵で鍵を開けている勇斗の横顔を見ながら首を傾げる。

「何か食いにでも行ったのかもしれないね、まぁそのうちに帰ってくるでしょ」

勇斗は苦笑いを浮かべながら店に入ってゆく。店の出入り口とは反対側になる裏口にある玄関から中に入ると店のストックヤードになっており、その隅に二階に上がるちょっと急な階段がある。

「とりあえずその辺に置いておいて、後は勝手にやるから」

運び込んだ部屋には閑散としており、そこに直接勇斗はしゃがみこむ。

「しかし、本当に何もない部屋ですね?」

穂波も部屋を見渡しながら腰を下ろす。

「あっちではずっと一人暮らしだったし、不要なものはみんなあっちの連中にあげちゃったから」

部屋の中にある目立った物は休憩室で使っていたテレビと冷蔵庫ぐらいで、後はこれといったものは無い。

「食事とかはどうするんですか?」

心配そうな目で穂波が勇斗を見る。

「まぁ、まったく自炊ができない訳じゃないからね、たまにはするとは思うけれど、ほとんど弁当になるんじゃないかな?」

勇斗は鼻先を掻きながら恥ずかしそうにいう。

料理自体は嫌いではないが、結局後片付けが面倒くさいので、どうしても出来合いのものを買ってくるのが今までの生活のリズムだ、まさかこっちに帰ってきてまでその生活が継続されるとは思っていなかったが。

「それじゃあいけませんね、ちゃんとしたものを食べないと体に毒ですよ」

穂波はちょっと怒ったように頬を膨らませながら勇斗を見る。

「もしなんだったら、あたしが毎日でも作りに来ましょうか?」

穂波はやや考えながら一つの案を勇斗に提案する。

それは素敵な提案だけれど、ここまであの家から歩いて十五分ぐらいかかるし、夕食にもなると食事が終わるのはきっと夜の十二時を廻ってしまうだろう。それじゃああまりにも穂波に申し訳なさ過ぎる。

「いや、それじゃあ申し訳ないから遠慮しておくよ、夜も遅くなっちゃうし」

 勇斗は苦笑いのまま穂波を見るが、穂波はそれを否定するように真剣な表情で勇斗の事を見つめている。

「そんなことありません、あたし先輩のためにがんばりたいんです!」

穂波の瞳には涙が浮かぶ。

穂波?

「……あたし、先輩から連絡が来なくなってからもずっと、先輩のことを思っていました、いくら遠距離恋愛が失敗したといっても、あたしの気持ちが変わる訳じゃない、あたしの気持ちは先輩に告白したときと同じ……今でも好きです、いえ、先輩だけが好きなんです!だから先輩の為に何かしたいんです!」

ちょっとまて?

「穂波、ちょっと待ってくれ、微妙にニアンスが違うような気がするんだけれど、俺はお前に避けられたのではないのか?」

そう、大学に入って一年ぐらい電話やメールのやり取りをしていた。そしてあるときいきなり音信が途絶えたのだ。

「何であたしが先輩を避けなければいけないんですか?」

 涙をこぼしながらだか穂波はキョトンとした表情で首をかしげる。

「だって、確か最後に話をした時に『先輩なんて』と言って切られたような気がしたが?」

その前の会話はどんな内容だったか今になっては覚えていないが、なんだか変な話になって『先輩なんて』といわれて電話がつながらなくなった記憶は鮮明に覚えている。

「エッ? そんな事言っていませんよ? ただあの時は携帯の電波の調子が悪かったのは覚えていますけれど……あぁ、ちょうど携帯が壊れちゃったときだぁ、その後電話番号が変わっちゃってメルアドも変わったし、でも、ちゃんと変わった携帯の番号とメルアドをメールしましたよ」

エッ? なんだって、ちょっとすごく俺達行き違いをしていないか?

「それに何回も携帯に電話したけれどつながらなくって、何かの拍子であたし先輩に嫌われたのかなぁって思っていたし、きっと東京に新しい彼女が出来たんだと思っていました」

「俺はそんなメール受けた記憶ないよ? それに、携帯の番号も俺変えていないし」

勇斗はその話を聞きながら目をまん丸にしていた。

「だって、現に番号は……ほら」

穂波は、携帯を取り出し、メモリーに入っている勇斗の番号を手馴れた様子で呼び出す。

ウン……番号はあっている……? いや違うこの番号は、

「この番号俺のじゃないよ? ほら、俺の番号は……」

勇斗は自分の携帯を取り出して穂波に見せる。その番号は途中まであっているが、最後の一桁が違っていた。

「エッ? ほ、本当だ、じゃああたし番号を間違えていたんだ……でもメルアドは?」

次にメルアドを呼び出す。

「あぁ、これも違っているよ、最後の『ドット』のところが『カンマ』になっている」

勇斗はなんだか力が抜けたようにその場に仰向けに転がる。

なんだぁ、別になんっていう事がなかったんだぁ……ということは、この三年間俺達はお互いにずっと勘違いをしていたって言うことなのかぁ。

「いやだ、あたしったら、馬鹿みたい、こんなことで……こんなことでぇ」

穂波がいきなり大きな声で泣き出し、その場に崩れこむ。

「あたし、あたし、先輩に嫌われたと思ってずっとずっと悩んでいたのに」

「穂波……」

勇斗は頭を撫ぜるように手を出すがその手が躊躇した。

穂波はずっと俺を思っていてくれたのに、俺はどうだったんだ? 振られた腹いせに仲の良かった千草と飲みにいってそのまま男と女の関係になって、そのまま千草と付き合っていた。ということは千草のことを俺は好きではなかったのか? いや違う好きだった、じゃあ穂波はどうなんだ? 俺はひょっとしたらすごい卑怯者なのかもしれない、今俺の目の前にいる穂波も好きだし、東京の千草も好き……最低だ……最低男だ!

勇斗はがっくりと肩を落としうなだれる。

「先輩? 具合でも悪いんですか?」

いつの間にか泣き止んでいる穂波が勇斗の顔を覗き込んでいる、いつの間にか周囲が薄暗くなっている。

「……いや、なんでもない」

なんでもないことはない、ただ、今の自分がものすごくいやな人間に思えて、穂波の言葉に答える資格すらないようなまでに落ち込んでいるのがよくわかる。

「電気つけますね?」

「いや、点けなくっていい!」

今明かりの下にはいたくない、こんな惨めな自分を見られたくない。

「先輩?」

再び穂波は勇斗の顔を覗き込むと、その顔がこわばる。

「!」

穂波が見た勇斗の顔は、まるで幽霊のように蒼白く、生気がまったくない顔だった。

「先輩具合が悪いんじゃないんですか? どこかお医者さんに」

「いいといっている!」

勇斗の叫び声にも似た声が部屋に響き渡る。その声に穂波は肩をすくめ目をつぶる。

「でも……」

穂波はただ事ならない勇斗の表情を見て黙っていることが出来ないでいた。

「でも、先輩」

「わりい、大きな声を出して、ちょっと自分がすごく嫌になっていたんだ」

やっと勇斗が顔を上げる、きっと涙でも流していたのだろうか目が赤くはれ上がっている。その表情を見て穂波は息を呑む。

「穂波、こんな男は諦めた方がいい、ロクでもない男だ、これは兄貴としての忠告だ」

勇斗の口元が自嘲気味に笑う。

「何で?」

穂波はそういいながら勇斗に顔を近付ける。

穂波には正直に話さないといけないな、どんなに罵られ、どんな罵詈雑言を投げつけられたとしても、俺はそれを受け入れなければいけない。

勇斗は、それまでのいきさつをゆっくりと穂波に話し出す。

「……というわけだ」

勇斗は東京であったことをすべて話した。それを穂波は勇斗の目を真っ直ぐに見つめながら最後まできちんと聞いていた。

『最低男』とか『卑怯者』とか『女ったらし』とか言われるだろうな、引っ叩かれるか、グーで殴られるかするだろうな?

勇斗が覚悟を決めたときだ、穂波の口が動く。

「良かったです、ちゃんと話してくれるんですね? あたしに」

そういうと穂波は勇斗に抱きつく。

「穂波?」

勇斗は出鼻をくじかれたというか、今まで覚悟したのと違う展開にちょっと戸惑う。

「千草さんには申し訳ないんですけれど、今はあたしが一番近くにいるんです、有利ですよね? それに、正直にあたしに話してくれるって言うことは、先輩もあたしのことをチョッとは想っていてくれているということですよね?」

勇斗はその穂波の顔を見ながら頭が下がる思いになった。

「許してくれるのか? こんな情けないことをしている男を」

「許すも何も、半分はあたしの責任でもあるんですよね? だからこれでおあいこです」

にっこりと微笑むその穂波の顔を見て無意識に勇斗はその華奢な体を抱きしめる。

愛しい、今目の前にいる娘はこんなまでに自分の事を思っていてくれている、俺はそれに答えたい……。

「先輩……」

穂波の目がつぶられる。

「穂波」

二人の顔が近づく。

「おーい、ちょっと手伝ってくれぃ」

その瞬間玄関先から鉄平の声が聞こえる、と同時に階段を駆け上ってくる音がする。

「お姉ちゃん! ちょっと聞いて……って、どうしたのそんなに離れて座って、喧嘩でもしたの?」

二人は明らかに不自然な位置に座って何事もなかったかのようにしている。

「な、な、何? 夏穂、何かあったの?」

穂波は真っ赤な顔をして夏穂を見る。勇斗にしてもそうだ、真っ赤な顔をして本を読んでいる。

「何って、二人でなんかあったの? 勇斗兄ちゃんにしても……その本逆さまだよ?」

そういわれて勇斗はあわてて本をひっくり返すが、夏穂は二人に疑いの眼差しを投げかける。

「そんなことより何よ夏穂、そんなにあわてて何かあったの?」

ナイス穂波、旨く話をそらしたなぁ。しかし、もう少し遅かったらきっと久しぶりに穂波と、

勇斗はチラッと穂波の横顔を見る。

「そうそう、あのね、一葉さんもここに一緒に暮らすんですって!」

なっ?

「なんだってぇー」

二人してまるで練習したかのように声をそろえる。

「親父! また何を勝手に決めているんだ!」

ドドドド……きっとこの家の階段も、勇斗のこの手荒いもてなしにいずれ崩れ落ちるであろう、心なしか、軋みがひどくなっているような気もする。

「何って? 何がだ?」

なんていうことないというような表情で鉄平はライトバンから荷物を下ろしながら勇斗を見上げる。

「何って、俺はここに独り暮らしするっていったじゃねぇか! 一葉さんまで巻き込んでどうするんだ?」

函館に帰ってきてから血圧が上がったような気がするよ。

「いや、これは一葉ちゃんたっての願いなんだぞ」

いつになく真剣な表情の鉄平を見て勇斗は鉄平の後ろにいる一葉を見る。

「願い、って?」

勇斗はどちらとなく質問を投げかける。その質問を打ち返してきたのは一葉だった。

「はい、ご迷惑かもしれませんが、旦那さんにはあたしからお願いしました」

一葉は申し訳なさそうに勇斗の顔を見る。

「でも……」

勇斗はふと、この前言っていた一葉の話を思い出す。

居場所がなくなってしまったかも……かぁ、でもなんで一葉さんがうちに住み込みで働いているかは聞いたことがないし、そこまでなんで函館にこだわるのかも聞いていない。聞いていいのかもわからないし。

「まぁ、一葉ちゃんがお前と一緒にいてくれればお店のことを安心してお前に任せることが出来るし、お前にしてみても食事の心配とかしないで済むだろ?」

確かにそうかもしれんが、重要課題がひとつ残っているだろ? 仮にも成人した男と女だぞ?

「勇斗、後はお前の理性を信用するしかないな?」

鉄平はちょっと心配そうな表情で勇斗の肩をたたき荷物を持ったまま二階に上がる。

「勇斗さん、やっぱり迷惑だったでしょうか?」

鉄平を見送る勇斗の背後から一葉の申し訳なさそうな声がする。

「いや、迷惑ではないけれど、むしろ助かるな?」

一葉はその一言でにっこりと微笑む。

「アハ、勇斗さんって本当に優しいんですね? 旦那さんがいっていた通りです」

親父が、俺を優しいだと? どんなシチュエーションでそんなことを一葉さんに話したんだ? それに俺はみんなが思っているほど優しいとは自身思っていないのだが。

勇斗は苦笑いを一葉に向けるしかなかった。

「やっぱりあの二人、なんだかいい感じぃ……」

その様子をそばで見ていた夏穂がほほを膨らませながらつぶやく。

「ホント、先輩人が良いというか、誰にでも優しいから……」

穂波の頬もちょっと膨れている。

さっきの話で先輩とのワダカマリは消えた、まだあたしに対する気持ちも残っていると思う、確かにあたしに有利な条件ばかりだった。でも、ここにきて先輩と一緒にいられるとか先輩の世話ができるといった利点が半減してしまった上に、一葉という強力なキャラクターの登場と、東京にいる千草というライバルを考えると一概に有利とは言えなくなってきているのが現状、あたしのこれから取るべき行動は……ウン、決めた!

「お母さん、ちょっと」

やおら穂波は荷物を運び込んでいた穂乃美に声をかける。

「なによ」

穂乃美は忙しいんだからといわんばかりの顔で穂波を見つめるが、そんなことはお構いなしに穂波は腕を引く。

「お姉ちゃん?」

その行動を夏穂はきょとんとして眺めているだけだった。

「穂波、本気なの?」

三部屋ある部屋のひとつ、物置みたいになっている部屋の中に穂乃美の声が響く。

「ウン、本気」

普段は開いているのかわからないような細い目をした穂乃美の目が見開かれている。

「でも、迷惑になるんじゃないの? 勇斗さんの」

穂乃美は心配げな表情に変わり、穂波の肩をたたく。

「わかっている……わかっているけれど……」

わかっている、でも、どうしてもそうしたいの、そうしないときっとあたし後悔してしまう。もう、後悔なんてしたくない、先輩とずっと一緒にいたい。

「穂波……」

穂波はうつむきながら肩を震わせている。

「穂乃美さん?」

そこに鉄平が入ってきてその光景にちょっと驚いた表情を見せる。

「何かあったのかい穂波ちゃん? 勇斗が何かやらかしたのかな?」

鉄平はちょっとおろおろしながら穂波を見る。

「ウフフ、違うのよ鉄平さん、実はね……」

穂乃美はその経緯を鉄平に話す。

「ふむ……」

鉄平はその話を聞きあごに手をやりながら目をつぶる。

「鉄平さん?」

穂乃美がその顔を覗き込み、その隣で穂波は心配そうな表情を浮かべながら次に出てくる台詞を待つ。

「……元々付き合っていた二人を一緒に暮らさせるというのはあまり感心しない」

その一言に穂波はうつむく。

「鉄平さん、でも……」

穂乃美が鉄平の顔を睨みつける。その顔にちょっと鉄平は躊躇しながら台詞を続ける。

「でも、今の二人は兄妹なんだ、それだけは覚えておくようにすればいいだろう、部屋もまだひとつ空いているし」

鉄平の表情は致し方ないという諦めにも似たものだが、穂波の顔全体に膨らむ笑顔を見てつい微笑んでしまう。

「はは、しかし、あの男のどこがそんなに良いのかねぇ? 頑固だし、口は悪いし」

「エヘ、だからこそ先輩なんです」

穂波の笑顔が鉄平に向けられる。

「何でこうなるのかな?」

既に薄暗くなり、電気を点けなければきっと足をあちらこちらにぶつけてしまいそうな一階のストックヤードの隣にある旧休憩室(現居間)に置かれたダイニングテーブルには三人が顔をそろえている。

「はい?」

そこにはニコニコしている穂波の笑顔に困惑しながらもちょっと表情が緩んでいる一葉の苦笑い顔、そして完全に状況が読み込めていない表情の勇斗の顔があった。

「はは、なんだかもっとややっこしくなってしまいましたねぇ」

一葉はそういいながら席を立ち冷蔵庫から飲み物を取り出し三人の前のそれを置く。

「一葉さんはわかる、お店の店員としてここに住み込むことになったという事は、でも穂波は何でここにいるんだ?」

 ギロリといった表情で勇斗は穂波の顔を睨む。

この異常な状況は穂波が作り上げていることは間違いがない。

「ぅあ、っとですねぇ、あたしもこのお店の従業員兼、賄いだからです」

ちょっと勇斗の顔にビビリながらもさっき鉄平が穂波に言ったことを言葉に出してみる。

「はぁ?『賄い』だぁ?」

勇斗はその一言に毒気を抜かれたように椅子に力なく座り込む。

「でも、勇斗さんの食事なんかの面倒はあたしが見るのに?」

一葉もその一言に驚きを隠せないでいる。

「いえ、お父さんは今度からあたしが有川商店の賄いをやるようにといっていました、だって、あたしが今年の新入社員なんですものそれが道理なんです、だから、一葉先輩、これからもよろしくお願いします」

一気に言い訳をいい穂波はちょっと大げさに一葉に向かって頭を下げる。

「新入社員って……」

勇斗と一葉は顔を見合わせる。

「はい、有川商店の従業員です!」

嘘はついていない、さっきお父さんに言われた、有川商店の従業員としてこのお店に住み込み賄いをやってくれといわれた。

「穂波さん……」

一葉はなんとなく穂波の心中を察知したのか苦笑いを浮かべながらその表情を見つめる。

「エヘヘ、一葉さんには負けませんよ、こう見えても料理は得意なんですから」

穂波は顔をちょっと赤らめ真っ直ぐに一葉を見つめる。

「はは……もうどうにでもして」

その二人を見ながら勇斗はがっくりとうなだれる。

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