雪の石畳の路……

第五話 東京……


=一つ屋根の下=

「じゃあ買い物行ってきまぁす」

穂波が声をあげ店先から飛び出してゆく。その様子を勇斗が見送る。

「はい、いってらっしゃい」

見送る穂波の後姿にはポニーテールにした髪の毛が左右に揺れている。

髪の毛伸ばしたんだな、確か卒業する頃はまだ肩に届くかぐらいだと思ったけれど、今ではもう背中まである。三年という月日を感じるかな?

「勇斗さんどうしたんですか? だらしない顔になっていますよ?」

横から一葉が顔を出し、意地の悪い笑顔を勇斗に向ける。

「だ、だらしない顔っていわないでよ……だらしなかった?」

勇斗は動揺を隠せない顔で一葉の顔を見る。

「はい、ちょっとだらしない顔でしたねぇ」

一葉はいっそう意地の悪い顔になり勇斗の顔を覗き込む。

「ははは……」

勇斗は否定が出来なくなり照れ笑いを浮かべるしかなかった。

「……穂波さん、可愛いですよね?」

一葉は、もう指先ぐらいまで小さくなった穂波の後姿を見ながらそう呟く。

「あぁ……いい娘だよ」

勇斗もその視線につられるように後姿を見る。相変わらず髪の毛が左右にふれてまるで踊っているようだ。

「勇斗さん、今即答でしたねぇ、こっちが照れちゃいますよ」

一葉は苦笑いを浮かべながら勇斗のわき腹を突っつく。

「そそ、そんなことないぞ、さぁ、商売商売! いらっしゃ〜い」

勇斗は顔を真っ赤にしながら観光バスの着いたほうに歩みだす。


「先輩、夕飯食べちゃってください」

店を閉め、本日の売り上げを集計する。やはり、この景気のせいなのか、売り上げはあまり芳しくない、赤字にこそなっていないがこのままではいつ赤字に転落してもおかしくない状況は確かだ。

「あぁ、これが終わったら行くよ」

薄暗くなったお店の中で帳簿とにらめっこをしている。勇斗がお店を任されてから既に一ヶ月が経ち、帳簿とのにらめっこは毎日夜まで続いている。

何とかお客を呼ぶ方法がないものかな? 他のお店はどんどんと潰れてゆき、大きなおみやげ物やでさえ経営が逼迫しているというが、うちも例外ではないな……。

「先輩、ご・は・ん」

勇斗が眉間のしわを弄っていると不意にシャンプーの香りと共に穂波の顔が間近に来る。

「わぁあーーー驚かすなよぉ」

一メートルぐらいは飛び上がったのではないかと思うぐらいに勇斗は跳ね上がった。

「先輩驚きすぎ、そんなに驚きますかぁ?」

穂波は頬を膨らませながら勇斗の隣に立つ。

そりゃぁ驚くよ、そもそも穂波と一緒に暮らしている事自体がいまだに驚きなんだけれども。

穂波は既に風呂に入ったのであろう、パジャマに着替えて長い髪の毛をまとめ上げているがその毛先には水滴が付いている。

「わかった、すぐに行くよ」

勇斗は苦笑いを浮かべながら帳簿を閉じ、お店の電気を消す。



「あっ、勇斗さん先にいただいています」

居間に入るとテレビをつけたまま一葉がビールを片手におかずをついばんでいる。

「うん、おっ、今日は肉じゃがかぁ」

テーブルの上におかれたお椀には美味しそうな肉ジャガがこんもりと盛られ、湯気を立てている。

「はい、ジャガイモが今日安かったから……」

そういう穂波の顔を見て一葉がニヤリと笑う。

「本当に安かっただけ? 昨日も料理の本読んだり、女将さんに電話して聞いていなかった? 肉ジャガの作り方」

 意地の悪い顔をして言う一葉のその一言に穂波は顔を赤らめる。

「ほ、本当です、あれはそのぉ〜たまたま……そう、たまたま見ていたからです!」

 真っ赤な顔のまま穂波は一葉を見つめる。

「ハハ、何に付け嬉しいよ、こうやって毎日ちゃんとした夕飯が食べられるって言うことはさ、こっちに戻ってきてまでコンビニ弁当は洒落にならないからね……ウン、美味そうだ! いただきます!」

 勇斗は手を合わせて肉ジャガに箸を向ける、その横では穂波が緊張した面持ちでその様子を眺めている。

「……どうですか?」

 心配そうに穂波は勇斗の顔を覗き込む。

「うーん……」

 唸りをあげている勇斗を、今にも泣き出しそうな表情で穂波が見る。

「……美味い! これは最高だ、お袋が昔作ったやつと同じ味だよ……お袋の味だぁ、穂波、これならいつでも嫁にいけるぞ!」

 勇斗は親指をぐっと穂波に向ける。

「良かったですぅ」

 心底ホッとした表情を浮かべる穂波に対し、一葉がビールを持ってきながら再び意地の悪い表情を浮かべる。

「良かったじゃない穂波ちゃん、いつでもお嫁にいけるって」

 ハッ! そうだ、誰のお嫁にいけるんですか? 先輩!

「さ、店長ビールです」

 一葉は慣れた手つきで勇斗にお酌をする、それを嬉しそうな表情で受け取っている。

「ありがとう……仕事の後の一杯は格別だぁ」

 満面の笑みをこぼしている勇斗に対し、嬉しそうな表情の一葉、穂波はプックリと頬を膨らませている。



「まだ起きていたのか?」

 深夜一時、風呂から出ると居間には一葉の姿があった。

「えぇ、ちょっと寝付けなくって……やります?」

 一葉は、ウィスキーのビンを勇斗に見せる。

「頂くよ……」

 勇斗もテーブルに置かれたタバコに火をつけ腰をすえる。

「店長は東京でどうでした?」

 水割りを作りながら一葉が勇斗の顔を見る。

「東京でかぁ……結局何もできなかったな、大学に行ったのは良いけれど結果はこの有様、負け組みみたいに地元に帰ってきたっていうこと……収穫はないに等しいな」

 自嘲するような表情で勇斗は差し出された水割りを口に含む。

 本当に収穫なんてまったくない、東京に行って覚えたことといえばこうやって酒を飲んで憂さを晴らす事と、あとは……千草……。



「なによぉ〜、勇斗今日はやけにハイペースじゃない?」

 学校帰りに良く寄る居酒屋で勇斗は酒をあおる、隣には同じサークルで、こっちで仲良くなった千草が付き合ってくれている。

「ヘヘ、俺だってたまには飲みたい時があるっていうもんさ……ヘヘ、ここは東京なんだ」

 勇斗の目は既に据わっている。

 そうだ、ここは東京なんだ、北海道ではない。そしてあいつとの連絡も途絶えてしまった……やはり遠かったんだな、東京と函館の距離は……やっぱり無理だったんだ、俺に遠距離恋愛は。

 既に函館との連絡が途絶えて一ヶ月以上が経過しており、それが二人の間の今までを終了させる知らせには十分な時間であった。

「珍しいわね? 勇斗がここまで飲むなんて……よぉ〜しあたしも付き合っちゃお、つぶれたらよろしくね?」

 千草は嬉しそうな顔をしてグラスをかたむける。

「おぉ〜、任せておけ、俺だって男だ、それぐらいの甲斐性は持っている」

 既に酔っぱらっている勇斗に対し、千草は赤い顔をしながら勇斗の顔を覗き込む。

「あたしは女だよ?」

 記憶が途切れる……『あたしは女だよ』その台詞が勇斗の頭の中でリフレインする。


「ううん……飲み過ぎたかな」

 翌朝、といっても既に日は昇りきっているようで、部屋の中は十分に明るくなっていた。

「頭いて……二日酔いだな」

 むっくりとベッドから起き上がるとそこにはいつもと同じ部屋の光景だった……が、唯一違う事があった。そしてそれは、今、勇斗のベッドの横にいる。

「エッ?」

 勇斗が小さく疑問符を投げかけると、まるでそれに反応するかようにそのベッドの横が動き出す。

「ウゥ〜ン……アハァ……」

 そんな色っぽい声を上げて動き出すのは昨日一緒にいた千草……しかもその姿は普段つけていなければいけないものまでつけていない……生まれてはじめて見たといっても過言ではないであろうそれは、まるで芸術品のような白い肌をあらわにしている。

「ン、勇斗ぉ……起きた?」

 艶っぽい瞳で千草は勇斗の事を見る。

「ち、千草?」

 滝のように勇斗の頭から血の気が引いてゆく。

 もしかして……昨日酔っぱらってそのまま……記憶が無い、確かに仲がよく行動を共にすることが多かったこの娘とそんな……。

「ウン……勇斗ぉ」

 千草は勇斗に抱きついてくる……生まれたままの姿で。

「何があっても、あなたのことがあたしは大好きだよ……」

 安心しきった表情で千草がそういう。大好きだよ……その言葉に勇斗は得も言えぬ安らぎを感じ、千草のその肩を抱きしめる。



「勇斗さんどうしたんですか? そんなに真剣な顔をして……怖い顔していましたよ」

 一葉の一言に勇斗は我に返る。

「いや……なんでもないよ」

 つい昔を思い出してしまった……でも、千草とはそれからもずっと続いていた、本当に恋愛感情があったのか? いや、彼女に対する気持ちは好きという事だけだった……だったら何なんだ? 元彼女が目の前に現れて、そしてその気持ちがいまだに俺に対して変わらないと思ったとたんに再びその彼女に移る程度のものだったのか? 行き着くところまで行って、それで彼女とはもう終わりなんていうほどお前はいい加減な男だったのか?

 勇斗は一葉に対し苦笑いを浮かべるが、その瞳には心の葛藤が見えるようだった。

「勇斗さんもいろいろあったんでしょうね?」

 一葉が優しくうなだれている勇斗の手を握る……暖かい彼女の体温が伝わってくる。

「一葉さん?」

 ハッとして勇斗は一葉の顔を見る、その表情はとても優しく、でも女を感じさせるほどの色気を持った瞳だった。

「二十三年も生きていくと、色々ありますよね?」

 一葉の顔が勇斗に近づく。

「一葉……さん?」

 勇斗は酔いが回ってきたのか体が思うように動かない、いや、動かすことができない。

「勇斗さんは自分で色々背負い込みすぎです……少し肩の力を抜いて自然にしていた方がいいと思いますよ」

 徐々に近づく一葉の顔に戸惑いながらも勇斗はそれを振り解く事ができなかった。

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