雪の石畳の路……

第八話 思いがけない客

=誤解……か?=

「先輩、どうかしたんですか?」

 店先で手元にあるコーヒーを眺めながらつい高校時代を思い出してしまった。あの頃の自分はまだ恋愛に関して初々しかったと思うよ。

「いや、なんでもないよ、ちょっと昔を思い出したんだ」

 心配げな表情で勇斗の顔を覗き込んでいる穂波に向って微笑む。

「昔ですかぁ、そうですね、よくベイエリアの喫茶店に行きましたよね? 今でもありますよ、あのお店」

 高校時代によく行ったあのお店、こっちに帰ってきてから行っていないな。確かあそこで俺と穂波の仲がばれ、翌日に学校中の噂になっていたことがあったなぁ。

「まだあるのか……今度行ってみるか? 一緒に」

「はい! 喜んで」

 心底嬉しそうな顔で穂波はうなずくと、空になったカップを持ち店の中に入ってゆく。

 ハハ、あんな顔をするのは高校時代とまったく変わっていないな。穂波らしいというか変わらないな。

 勇斗がそんな事を考えながら穂波の消えた方を見ていると不意に声をかけられる。

「あのぉ……」

 いけね、今は商売だよな。

「はい! いらっしゃ……」

 振り向く勇斗の笑顔が凍りつく。数秒間お互いに顔を見つめ合っていると勇斗の目の前にいた客がいきなり勇斗のことを指差す。

「あぁ〜、やっと見つけたぁ」

 その台詞を放った人物は勇斗に突進するように抱きつく、あまりにもいきなりだったため勇斗はその力を受け止めることができずにその場に尻餅をついてしまった。

「勇斗ぉ〜会いたかったよぉ〜」

 勇斗にはその女性から発せられている香りは東京で何度か嗅いだ事のある香り、その香りに一瞬眩暈に似たようなものを感じるが、そこは踏ん張りながら勇斗はやっと声を上げることができた。

「ちっ、ちっ、千草ぁ〜?」

 その台詞に顔を上げる人物……間違いない二ヶ月ぶりになるのか千草の笑顔が俺の間近にある。あの時と変わらない雰囲気、香り、そして行動。

「勇斗ぉ、会いたかったよぉ」

 まるで猫のように勇斗の胸に頬をすり寄せる千草、その頭が動くたびに長い髪の毛から懐かしいシャンプーの香りが勇斗の鼻腔をくすぐる。

「なっ、どうしたんだ、何でこんな所に……」

 不意に抱きしめそうになる衝動を押さえつつ千草の顔を見る。

「会いに来た……『会いに来れば』って勇斗は言っていたから、だからあたしは会いに来た、あなたを失いたくないから」

 猫目がかった千草の瞳に涙が浮かぶ。周りの通行人や観光客が怪訝な顔をしながらお店の前を通り過ぎてゆく。

「わかった! わかったから、だから泣くな、な?」

 腰を上げ、千草の小さな肩を抱く。こういうとき一番見られたくない人物に見られるのが常だよな?

 そう思う勇斗のカンはよく当たる。店先での騒ぎに真っ先に出てきたのは穂波だった。

「せっ、先輩?」

 あぁ、なんと言えば納得してくれるのだろうか……。

 勇斗はガックリと肩を落とすものの、まさか千草を店先に放っておけないし、何よりも店のイメージが傷つく、その打撃だけは避けたい、それが最優先課題と勇斗は穂波の横を通り過ぎ店の中に入ってゆく。

 店先でも店内でも同じことだったな、何か言っている一葉に冷ややかな視線を遠慮なく向ける和也、言葉にできないようにアウアウいっている夏穂、その視線を一手に引き受けている俺って、やっぱりとんでもない男なのかもしれない。



「落ち着いたか?」

 有川商店の休憩所兼居間で泣きじゃくる千草にコーヒーを差し出す。

「エグゥ……フエェ〜ン」

 まだよく落ち着いているようではないな。

「先輩、こういうときは温かいミルクの方が落ち着くと思います」

 勇斗の背後から声がしたと思うと穂波がマグカップに入ったホットミルクを千草の手元に置き、優しい笑顔を見せる。

「はい、これ飲んでみてください、きっと落ち着くと思いますから」

 そういう穂波のことを千草は上目遣いに見る。

「フグゥ……あり……がとう」

 千草はそういうと穂波にペコリと頭をさげる。

 ハハ、どっちが年上だかわからんな、それにしても千草にもこんな可愛い一面があったとは今更ながらちょっと驚きだ、もう少し毅然とした女の子だと思っていたよ。

 まるで小さな女の子のようなおどおどした顔でそのミルクを飲み干す千草は今まで勇斗の知っている千草とはちょっと違っていた。



「落ち着いたかな?」

 勇斗は再び千草に声をかけると今度はコクンとうなずく千草、イメージがまったく違う千草に対してちょっと躊躇する。

「ウン……ちょっと落ち着いたかも……」

 ふっと視線をテーブルに落とす千草、その行動はまるで昔の穂波を見ているようだった。

「……まさか千草がここにくるなんて思っていなかったよ」

 ちょっと呆れた表情で勇斗は千草の事を見るが、対する千草の表情は生気を取り戻し嬉しそうな表情を浮かべている。

「だからぁ、あたしは勇斗に会いに来たんだよ……勇斗に忘れられたくないもん」

 頬をプクッと膨らませる千草に対し勇斗は苦笑いを浮かべている。

「あのぉ……もしかしてあたしお邪魔でしょうか……」

 遠慮がちに穂波が声を出すが、その視線はしっかりと千草を見据えていた。

 この女性が千草さん……先輩の東京の彼女。

「アッ、いや邪魔なんて……」

「あら、この人は?」

 千草は勇斗の台詞をさえぎるように穂波の顔を見据える。

 ぎょっとする勇斗、その表情には動揺がありありと浮んでいる。その隣の穂波も複雑な笑顔を見せている。

「えぇっと……この娘は……」

 勇斗は言葉尻を濁し、穂波と千草を交互に見る。

「あたしは、先輩の……義理のですが、妹です」

 穂波はちょっとうつむき加減でそう言う。その一言に勇斗は唖然とする。

 そう思っていたのか穂波は……、いや俺もそう思わなければいけないんだ、事実戸籍上は義理であれ俺の妹になるわけだから。

 勇斗はちょっと胸が痛む。

「へぇ……勇斗に妹がいたなんて初耳だけれど、こっちに来ていきなり出来た妹だったりして……」

 意地の悪い笑顔を浮かべる千草に対して勇斗と穂波は顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

「よくわかったな……こいつはこっちに来ていきなり妹になったんだ」

 その一言に今度は千草が狼狽する。

「ちょっ、なによそれ! それって……」

 千草の目がつりあがる、その様子を見て再び勇斗たちは微笑む。

「本当の事だ、この娘は有川家長女で、この下に妹もいる……親父が再婚してそうなった」

 穏やかな表情でそういう勇斗の顔とにっこり微笑む穂波の顔を千草の視線は忙しそうに動いていた。



「……と言う訳だ、正直俺にもまだこの現状がよく見えていないよ」

 勇斗はここまでの経緯を千草に話す。千草も納得していないようだったが……。

 それはそうだろうって、説明している本人だっていまいち理解し切れていない。今普通にこうやって生活しているのはいわゆる慣れだ。

「納得はしていないかもしれないけれども何となく分かった」

 千草はほっとため息をつきながら顔を上げるが、その目はまだ勇斗の疑いを払拭している様子ではなかった。

「で? なんで妹であり、後輩であるあなたは勇斗のことを『先輩』って呼ぶの?」

 千草は怒ったような表情で穂波の顔を見つめる。その視線の先で困惑している穂波の姿。

「そ、それはですね……なんといいますか……」

 しどろもどろになっている穂波のことを疑いのまなざしで見つめる千草。

「俺がそう呼べって言ったんだよ……何となく今更なんでね」

 勇斗が助け舟を出す。その一言に穂波の顔に笑顔が生まれるが、千草の表情はなお一層険しくなる。

「……勇斗そんな趣味あったの?」

 きっと誤解をしているよこの娘……疑いの表情ではなく軽蔑した目で俺のことを見ている、やめてくれ、そんな目で俺を見ないでくれ。

「誤解するな、いきなり後輩に『お兄ちゃん』と呼ばれて喜ぶ方がどうかしていると思うぞ、それにずっとそう呼ばれ慣れていたからだ」

 勇斗は力こぶしを振り上げながら千草に向かい力説する。

「まぁいいわ、そういうことにしておきましょう……詳しい事は今夜にでも聞くから覚悟していてよね?」

 意地の悪い顔をしながらだが誤解は解けたようだな……って、今なんて言った? 今夜とかいっていたような気がするが……。

 その台詞に今度は穂波の険しい視線が勇斗の顔に突き刺さる。

「千草、お前なんていった? 今夜って、どこに泊まるつもりでいるんだ?」

 あわてた様子で勇斗が千草を見ると、千草はにっこりと微笑みながら勇斗の顔を見つめる、その笑顔がすべてを物語っていた。

「当たり前じゃない、勇斗の家に泊めてもらおうと思っていたのよ? 確かこっちで一人暮らししているって聞いていたし、今夜は久しぶりに夕食作ってあげる」

 うかつだった……確かこっちに越してきて何回かメールしたときにそんな話題を提供した記憶があった、まだそのときはこんなにややっこしい事になっていないときだ。

「エッ」

「エェ〜〜〜……?」

 勇斗が声をあげる前に穂波があげる。その様子を二人が見つめる。

「ど、どうしたのよ……そんな素っ頓狂な声をあげて」

 驚いた表情で千草は穂波の顔を見る。その視線の先の穂波はちょっと照れたように頬を赤らめているものの驚きの表情は崩していない。

「あっ……ごめんなさい」

 ペコリと穂波は頭を下げる。

「ウフ、変な娘ね? 勇斗どうせ毎日コンビニ弁当なんでしょ? 今日はこの千草さんが腕によりをかけてご飯作ってあげる、前みたいにね?」

 東京時代よく千草はご飯を作りに来てくれた、料理はよく作るらしく腕前は変な定食屋のそれよりも美味い。

「えぇっと……あの夕食は……」

 穂波が遠慮がちに千草の顔を見る。この家に穂波や一葉と一緒に暮らしていることはまだ千草に話していない。

「大丈夫、腕には自信があるから……そうか、あなたよく作りに来て上げているのかな? 今日はゆっくりしていていいわよ、これから一週間はあたしがこの男の面倒を見ていてあげるから、心配しないで」

 この男って……なんだか子供みたいないわれようだな……にしてもなんと言って説明したらいいんだろう。

「あの……ですね」

 穂波は躊躇するように口を開く。

「勇斗さん、すみません、ちょっといいですか……」

 穂波が口を開いたときに遠慮がちに一葉が顔を出す。

「はいちょっと、お時間いただけますでしょうか?」

 一葉は勇斗に対し、申し訳なさそうな表情で頭を下げる。

「いや、ちょっと……」

 勇斗がチラッと穂波を見ると、穂波は笑顔を浮かべながらうなずく。その表情はまるで『あたしにまかせておいてください』というような表情だ。勇斗はその一言にうなずきながら席を立ち一葉とともに部屋を出る。

「すみません、お客さんが来ているところに……」

 一葉は再び申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、大丈夫だ……」

 そう言いながらも勇斗は後ろ髪を引かれる思いで後にする部屋をチラッと見る。



=VS=

「……忙しそうね?」

 部屋を出て行く勇斗の後姿を見送りポツリとつぶやく千草。

「……はい、観光シーズンですから」

 出鼻を挫かれた穂波は仕切り直しにとふっとため息をつく。

「じゃああなたも忙しいわよね? ゴメンね付き合せちゃって」

 千草は素直に頭を下げる。この人はきっと悪い人じゃない、千草の行動に穂波は直感的にそう思う。

 千草さんって、きっと思ったら一途な人なんだろうな? だからこうやってわざわざ東京から先輩に会いに来たり、先輩の世話を焼いたりするんだ。素直な気持ちが彼女を行動させているんだ。それに比べてあたしは……。

「どうかした?」

 じっと千草のことを見つめている穂波に向かい首をかしげる。

「あっ、いえ、何でも……」

 二人の間に沈黙が訪れる、それはそんなに時間は経っていないのであろうが穂波にとってみれば長い時間に感じられた。なに言うわけでもなく穂波は千草の顔を上目遣いで見る。

 綺麗な人、垢抜けているというのか、長い髪の毛はまっすぐのストレートヘアー、ちょっと猫目がかっている目はいたずら猫のようで可愛らしさを演出しているみたい。この人が先輩の彼女……かぁ。

「あなた、名前は?」

 千草が口を開く。

「エッ? はい、穂波です」

 名乗る穂波の顔を千草が見る。さっきまでの猫目がかった目を否定するかのように大きく見開き、それと同時に口も半開きになっている。

「あなた……が穂波……さん?」

 つぶやくように千草が言う。

「えぇっと……はい、そうです」

 その様子に穂波はちょっと戸惑い、千草の顔を見る。落ち着きを取り戻したのか千草の目は元に戻り、口にはちょっと不敵な笑みがこぼれている。

「フーン……あなたがそうなんだぁ……」

 そういう千草は無遠慮に穂波の事をまじまじと見つめる。

「エッ? な、何か?」

 その視線の戸惑う穂波。

「……穂波ってどういう字を書くの?」

 全然会話が噛合っていないなぁ、あたしの質問は却下されたのかしら?

 首をかしげる穂波に対して千草の顔には笑顔が浮んでいた。

「えぇっと、稲穂の穂に海の波の波で穂波です……なんでですか?」

 再び穂波は千草の顔を見る。

「……ごめんなさい、実はあたしあなたの名前は良く知っているのよ……でも漢字までは知らなかったからつい……へぇ、でも想像したより可愛らしい娘ね?」

 へ? 何で彼女があたしのことを知っているの? それに漢字は知らないっていうことは先輩があたしのことを話したの?

「ウフ、やっぱりクエスチョンよね?」

 千草は意地の悪い顔をしながら穂波にウィンクする。

「ハァ……分かりません」

 呆けた顔で穂波は千草の顔を見ると、ちょっと顔を赤らめながら、しかしちょっと寂しそうな目をする。

「……実は彼から聞いたのよ」

 やっぱり……彼はなんてあたしのことを言っていたのだろう。

「といっても、酔っ払っているときだから、彼は覚えていないでしょうけれどね」

 千草はペロッと舌を出し、照れたような表情を浮かべる。

「あの時彼はべろべろに酔っ払っていた」

 思い出すように千草は視線を宙に向ける、その表情は物憂げと言うか、同性である穂波もドキッとするような表情だった。

「大学に入って、慣れてきた頃だったな」

 千草は自嘲したような笑顔を穂波に向ける。

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