雪の石畳の路……

第九話 東京LoveStory



=酒と泪=

「勇斗、今日飲みに行かない? ちょうどバイト代が入ったところなの」

 授業を終え、後ろから発見した勇斗の後姿に声をかける。

「おお、千草かぁ……どうしたんだ今日は、やけにご機嫌じゃないか」

 勇斗が微笑んでくる。

 いつもながらちょっとドキッとする彼の笑顔……この笑顔に何度となくささくれ立ったあたしの心を癒されたものか。

「ウン、ちょっとね……えへへ、どう、こんな可愛い女の子の申し入れを断る手はないと思うわよ?」

 勇斗はちょっと考えるようなそぶりを見せながらカバンを手にして再び千草の顔を見る。

「そうだな、ちょっとだけ行こうか?」

 そういう勇斗の横顔はちょっと寂しげだった事に千草はちょっと違和感を覚えた。



「おじさぁ〜ん、とりあえずビールと、枝豆に軟骨のから揚げ、シーザーサラダに……勇斗は何にする?」

 山手線五反田駅に近くいつも寄る居酒屋、普段であればサラリーマンでごった返している店内も、まだ時間が早いせいかまだ空いている。

「ウン……豚串にアスパラのベーコン巻きそれと……肉ジャガ」

 ちょっと沈んだ表情を見せる勇斗にそのときまだ千草は気がつかないでいた。

「それじゃぁかんぱぁ〜い!」

 いつになくはしゃいでいるあたし、自分でも気がついている、なんだか今日はすごく楽しくって仕方がない、みんなで飲みに来ているときも楽しいけれど、今日は二人っきりでもすごく楽しい……きっとそれは相手が勇斗だからかもれない。

「ウン、乾杯!」

 勇斗もにっこりと微笑みながらグラスを合わせる。

「……プハァー、美味しい」

 千草は一気にグラスに注がれたビールを一気にあおる……。

 しまった、もう少しおとなしく飲まなければ女らしくないじゃないのよ……アァ、やっぱり呆れた顔をしているよぉ。

 千草は勇斗の顔をチラッと見るとそこには苦笑いを浮かべて勇斗がいる。

「ハハ、なんだかおじさんみたいだな、千草は……でも、ありがとう」

 勇斗はちょっと照れたような笑みを漏らすと千草の顔を真っ直ぐに見る。

 ありがとう? 今彼はそう言った……何なの? 何かお礼を言われるようなことをあたししたかしら?

 千草は首をかしげながらもあいまいな笑顔を勇斗に向ける。

「洋介あたりに聞いたんだろ? 『勇斗の元気がないから元気付けてやってくれ』とか言っていたんだろ? 正直嬉しいよ千草がこうやってきてくれるなんて」

 元気がない? 勇斗が? 

 千草は相変わらずにあいまいな笑顔を振りまいているものの、その意味を理解しようと必死に頭の中で考えていた。

「あは……アハハ、ま、まぁそんなところか……かな?」

 嘘です!

「心配ないよ、ここは東京なんだ…………函館じゃない」

 そういう勇斗は自嘲気味に微笑むその姿がなんだか痛々しく思える。

「……勇斗?」

 心配げに見る千草の顔を次の瞬間笑顔に戻しながら勇斗がグラスを持ち上げる。

「さぁ、飲もう! 今日は千草のおごりだったよな!」

 そういう勇斗の笑顔はいつもと同じだった。



「なぁに勇斗ぉ、やけに今日はハイペースじゃない?」

 周囲にはサラリーマンらしきお客が大勢座っている、このお店に入ってから既に三時間は過ぎようとしている。

「ヘヘヘ、俺だってたまには飲みたい時があるって言うもんだ……ここは東京なんだよ」

 勇斗はさっきから同じようなことを口走っている、あたしも勇斗のペースで飲んでいると酔いつぶれてしまいそうだ。

 わざと千草はペースを落として飲んでいるが勇斗は飲み始めてからまったく同じペースで飲んでいるためか、既に目が据わってきている。

「勇斗、そんなに飲んだらつぶれちゃうよ?」

 優しくなだめるように千草は勇斗に言うが、一向にペースが落ちることはない。

「はぁ、わかった! あたしも飲んじゃお、つぶれたらよろしくね?」

 千草は諦めたように微笑みながら勇斗を見る、その勇斗は幼子のようににっこりと微笑みながら千草を見てコクリとうなずく。

「おぉ、俺だって男だ! それぐらいの甲斐性は持っているぞ!」

 どんな甲斐性なんだか……でも勇斗ならいいかもしれない。

「……あたしは女だよ?」

 酔っているのかしら? ちょっと大胆な台詞がつい口をつき頬だけがなんだかすごく熱くなっている事に気がつく。

「アハハ、わかっているって、千草は女の子だよ……紛れもない女の子だ……そしてあいつも女の子……でももう駄目なんだ……」

 勇斗の笑顔が消える。

「勇斗?」

「そう、やっぱり遠いんだ、東京と函館は……離れすぎていたのかな?」

 勇斗はそう言いながらもグラスに口をつける。あいつも女の子……その台詞に千草は動揺を隠せない。よく見ると目にはちょっと涙が浮かんでいるようにも見える。

「なぁに? ふるさとにおいてきた彼女の事でも思い出していたのかな?」

 意地の悪い顔で千草が勇斗を見ると、勇斗の顔は一層沈んでいた。

 どうやらビンゴのようね? そんな娘が居たんだあなたのいた街、函館に。

「ヘヘ、正確には居たんだ……過去形になるのかな?」

 トロンとした顔で勇斗は千草に言う。

「……過去形って?」

 千草はそう言いながら身を乗り出す……過去形ならばあたしにもチャンスがある筈。

「……フラレたみたいだ……もう一ヶ月連絡が取れていない、きっと無理だったんだろうな……俺に長距離恋愛は」

 フッとため息をつく勇斗に得も言えぬ感情が千草の中に生まれる。

 きっとあたしはこの人のことが好きかもしれない……きっかけなんて無いかも知れないけれど、でもこの人のことを今のあたしは好き。

 自分で出した結論に千草は満足したようにうなずく。

「そうなの? それは残念ね……あたしが慰めてあげようか?」

 その台詞は勇斗だけでなく千草自身も赤面するものだった。



=千草の想い=

「……頭いて……二日酔いだな」

 ベッドの隣で彼が起き上がる動作で目が覚める。

「!」

 一瞬の間をおいて彼の動きが硬直することが確認できる。それを確認してから千草はわざとらしく起き上がる。

「ううん……アハァ……勇斗起きたの?」

 よし、我ながら色っぽい声が出た!

 千草は心の中で小さくガッツポーズを作る。

「ん? 勇斗ぉ……起きたのぉ?」

 千草は何もまとっていない格好でベッドから起き上がり、勇斗に抱きつく。

「何があっても、あなたのことがあたしは大好きだよ……」

 言った……でも嘘は言っていない、あたしは彼……勇斗のことが好き。そして、彼はあたしの事を抱いてくれた……。



「ホント、何にもないわね?」

 彼のワイシャツを借りてキッチンに立つ。冷蔵庫等を物色するも特に目立った食材は出てこず結局トーストに賞味期限ぎりぎりのベーコンと卵を使用してモーニングセットを作る千草。

「うん……」

 彼はさっきから『うん』とか『あぁ』しか台詞を吐いていない。

「……どうかしたの?」

 どうかしているのはあたしだってよくわかっているよ、酔った勢いとはいえあなたとベッドを共にしたのは事実だし、あたしだって初めてだったんだから……やだなぁ、顔が焼けるほど火照っているよ。

「……どうしたって……」

 彼がやっと二文字以上のことを言うが再び黙り込む。

「……よっと、ハイ完成! 千草さんお手製のモーニングセット」

 うつむいている勇斗の目の前にスクランブルエッグにカリカリベーコンを添えた物にトーストとコーヒーを置く。

「食べて、こう見えてもあたし料理は得意な方なんだから」

 勇斗の正面に千草は座り様子を眺める。

「……あのさ……」

 勇斗が顔を上げると、その顔は真っ赤にしており、目はおどおどと泳いでいる。

「ん?」

 千草の顔も勇斗の赤さが移ったかのように紅潮するが努めて冷静になるようにコーヒーをすする。

「その…………昨晩は…………ゴメン」

 まるで土下座するような勢いで勇斗は頭を下げる、その様子に千草は呆気にとられた表情を浮かべる。

「……酔っていたとはいえ、謝って済む問題じゃないのは分かっている。でも……謝るしかない……本当にゴメン」

 その台詞の意味は千草にはよくわかっている。昨夜この部屋に帰ってきた時には勇斗はべろべろに酔っていて正体を完全になくしていた。

「……穂波さんの事ね?」

 千草の一言に勇斗の肩がピクリと反応して驚きの表情のまま顔を上げる。

「……なんで?」

 勇斗は千草の顔を見ながら驚いた表情を崩さない。

「……やっぱりね?」

 千草は意地の悪い表情を浮かべながら勇斗の顔を見つめる。対する勇斗は普段見た事のない顔をしながらうつむく。

「……あなたの心の中に穂波さんがいるのはわかっている、彼女があなたの心の中に大きな存在なこともまだ忘れられないと言う事も……」

 千草はゆっくりと噛みしめるように話しだす、それは勇斗に言うだけではなくまるで自分にも言い聞かせるように。

「あたしは別にかまわない……一晩だけの関係であっても、でも、あたしの中にはずっとあなたが残る、きっと死ぬまで覚えていると思うの」

 そう、昨夜の事は忘れない、勇斗と……好きな人とそういう事になったことには後悔なんてしていない、贅沢を言えばこれからもずっとこうしていたいけれど。

「勘違いしないでね? 別にあなたを咎めるとかそういうつもりはないわ、ただあたしはあなたのことが好き……大好きなあなたに抱かれた、一緒になることができた……それだけは一生忘れないっていうこと、それだけで満足」

 不意に千草の目から涙がこぼれ落ちる。

 本当に満足? それはちょっと嘘かもしれない。

「千草……」

 勇斗が心配そうな表情で見つめている、やめて、そんな顔であたしを見ないで……自分の中ではそう割り切っているのに……割り切れなくなってしまう。

「やだなぁ、そんな顔をされたら悪い事したみたいじゃない……」

 泣き笑いの表情で千草が勇斗を見るといきなり勇斗は千草を抱きしめる。

「勇斗?」

 驚きと嬉しさで千草の顔がほころぶ。

 そう、少なくとも今はあたしが勇斗の一番近くにいる……。

「……これからちょくちょくご飯作りに来ても……良い?」

 千草の問いに勇斗はコクリとうなずく。

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