雪の石畳の路……

Autumn Edition

第一話 真央



=プロローグ=

「ハイお待たせいたしました」

 十月も半ばになり、秋風の吹く『hakodateすばる』の店先では、その季節感を無視するかのように額に汗を浮かべ有川勇斗は客の応対に大わらわになっていた。

「ハイお客様、こちらが商品ですね? どうもありがとうございました」

 レジ前では行列を作っているお客に商品を提供している穂波の姿があった。

 なんだか暇な時期がなくなってしまったような気がするよ……これじゃあ店員を増やすしかないのかな?

 夏に作ったホームページ効果が出始めたのか、普段であれば客足が少ない季節なのに、お店にはコンスタントに客が訪れ、買い物をしていってくれるが、引き代わりに勇斗たちに『多忙』を強いる事になっている。

「忙しいですねぇ〜」

 たまにこうやって客が途切れる事があり、いわゆる一息がつける。日中は穂波と二人きりでの賄えるほどのお店なのだが、たまに賄いきれないほどの客が訪れて来て、目の回るような思いをする事もまれになってきた。

「あぁ、ありがたい事だが……」

 再び客が訪れ、会話の相手をさらってゆく。

「ハイ、これでしたらこちらに……」

 客から何かを探すように言われたのであろう、穂波は陳列台の下にあるストック用の引き出しを開いては閉じるを繰り返している。

「お兄ちゃん、これを十個欲しいんやけれど」

 そうして勇斗も客に声をかけられ、一息が終了した。

 これじゃあ、本当に人手をプラスしないときっと体を壊してしまうかもしれないな? 今度親父に真剣に提案してみよう。

 勇斗は真剣に、その事を考えるようになってくる。



=不思議娘=

「おはよ〜ございます! 先輩!」

 観光客が増えだす午後になると、店先から能天気な声が聞こえる、その声の主は勇斗たちにすれば懐かしい制服を身にまとった真央だった。

「真央ちゃんおはよう、今日も元気そうだね?」

 毎日学校が終わった時間から、このお店の社長であり、勇斗の父親でもある鉄平の自宅で仕入や、経理関係の雑務をこなしている一葉がお店に戻ってくる八時ごろまで、お店を手伝ってくれているのが勇斗たちの後輩でもある仁木真央である。

 懐かしい制服を着た女の子とまさか一緒にお店をやるだなんて思ってもいなかったよ。

 少し疲れた表情を浮かべる勇斗の一言に対し、今まで店内を物色していた周囲の男性客の視線が真央に集中する。

「……まおっちさんですか?」

 少し小太りの男性は、かけたメガネの奥から真央の事をじっと見つめ、他の男性客も同じような視線を真央に向けている。

 まおっち? なんだぁ?

 勇斗が首をかしげていると、臆することなく真央はニッコリと微笑み、あっけらかんとその質問に対し首を縦に振る。

「はぁ〜い、まおっちでぇ〜す」

 真央が手をあげながら答えると、周囲の男性客が色めき立つのがわかる。

「本当にまおっちなんだぁ……サインいただけませんか?」

「写真を一緒に撮らせていただきたいのですが……」

「こ、これにらむねちゃんのイラストを……」

 ジワリと真央を取り巻く輪が徐々に縮み始め、その中心にいる真央はまるでライオンの群れの中にいるシマウマのように見える。

 ……感じ悪いなぁ……。

 その様子を眺めていた勇斗は、いつでもその輪に突入できるように体勢を整えると、その隣では穂波がやはり心配そうにその様子を眺め、勇斗の袖を握り締める。

「ええぇっと、あたしこれからバイトなんで、ごめんなさいです」

 真央がペコリと頭を下げ、その男性陣を見つめるが、その包囲網が解かれる事はなく、むしろさらに縮まったように見える。

「いいじゃないか、これにちょちょっと描いてくれれば……」

「一緒が無理ならピンでの写真でもいいです」

 集団の一部が、真央を射程に捕らえたぐらいであろうか、それまで笑顔だった真央の顔に、困惑した表情が浮び、その視線が勇斗の事を見る。

 はぁ……困った娘さんだこと……。

「お客さん、すみませんが、彼女はうちの店員でして、仕事中は困るんですよ」

 勇斗のその一言に、まるで血走ったような目でその男連中は睨みつけてくる。

「お客さんだからだろ? 俺はこの店で土産を買った、だったらそれぐらいサービスしてくれてもいいんじゃないのか?」

 明らかに勇斗より年上の男性は、鼻息を荒くして勇斗の事を睨む。

「減るわけじゃないんだ、写真ぐらい撮ってもかまわないだろ? 俺だってホームページを持っているんだ、このお店の宣伝をしてやるよ」

 勇斗のこめかみでは、浮き出た血管がピクピクと脈動し、今にもそこが決壊しそうになっており、穂波はそんな勇斗の姿を心配そうに見つめている。

「……お、お客さん、このお店はそういうお店じゃありませんし、宣伝はありがたいのですが、別にこちらからお願いしているわけではありませんから」

 作り笑いを浮かべる勇斗の頬は既に限界に近づいているようで、その瞳は今にも獲物を追いかけ出しそうな獣のような光が灯る。

「ヘン! 生意気を言わないでくれよ、俺たちはまおっちがこのお店で働いているというからわざわざ東京から来たのに、そんな観光客をムゲにすると言うのか?」

 大人しそうな客も、周囲の勢いを借りてなのであろうか、勇斗に対し文句を言い出す。

 ……押さえろ……マインドコントロールだ……。

 ヒクツく頬の痙攣を抑えるように勇斗は両手の人差し指でマッサージしながら我を忘れないように何回も深呼吸をする。

「あ、あのぉ〜、スミマセンでした! まだ着替えが終わっていなかったからみんなにちゃんと挨拶できなかったよね?」

 そんな勇斗の背後からいつもの真央の声が聞こえ、それに振り向くと学校の制服の上からではあるが、お店のエプロンをしてニッコリと微笑む真央がいた。

「まおっち……可愛い」

 今まで、血走った目をしていた男の表情から殺気が消える。

「……」

 恐らく数秒分の一の速さでその姿を何カットかカメラに収める男がいたかと思うと、

「……素晴らしい……天使だ……」

 まるで何かに取り憑かれたように真央に向けてジリッと足を踏み出す男もいる。

 これは……恐らく危険な状況であろう。

 勇斗の中で、この状況の危険度がかなり高い事を意識の中で感じ取り、無意識に真央のその姿を背後に追いやる。

 こいつらの殺気は異常だ……、まるで獲物を目の前にした獣のような目をしている。

 脇の下にいやな汗を感じる勇斗は、間合いを詰めてくるその男たちに対しなるべく隙を見せないように目配せをする。

「先輩?」

 背後から真央の呟くような声が聞こえてくるが、それにかまっている場合ではない、今こいつらから目を放せばきっと一斉に飛び掛ってくる。そんな空気が感じられる。

 勇斗の目は、まるで柔道をやっていた時代のように寸分の動きも見逃さないといった目で男たちの足元を見つめている。

「勇斗さん……」

 穂波もそんな雰囲気を感じ取ったようにその様子を、両手を胸の前で組みながら固唾を飲んで見守っている。

「……ゴメンなさいね、みんな」

 勇斗の背後から真央の明るい声が聞こえてきたかと思うと、真央は勇斗の体の影から覗き込むように顔を出しながら、男たちに微笑む。

「イラストはちょっとゴメンなさいなんです、バイトが出来なくなっちゃうから、でも写真は少しだけならOKです!」

 真央は怖じける様子もなくニッコリと微笑み、驚いた表情を浮かべている勇斗に対して『まかせて』と言うようにウィンクすると、男たちのリクエストに応えるかのようにポーズを取り始め、その様子をポカンと見つめていた勇斗と穂波は顔を見合わせながらため息をつく。

「なんだか、知ってはいけない次元のような気がするよ……」

 やれやれといった表情の勇斗は心底疲れきった表情を浮かべ、再び深いため息をつくと、それに応えるように穂波の顔に苦笑いが浮かぶ。



「一体なんなんだ? あのいかれた連中は」

 憮然とした表情でストックコーナーから勇斗が顔を出すと、さっきまでのにこやかな表情がウソのように真央は申し訳無さそうな顔をして勇斗の顔を覗き込んでくる。

「ごめんなさい……あたしのホームページを見てくれる方たちって、ああいった人も結構多いみたいで……この前このお店の事を書き込んだから来てくれたみたいです」

 本来であれば喜ばしい事だが、あのようなお客はあまり嬉しくないかな……でもそれで納得いったよ、最近店の写真を撮っていく客が多く、そのほとんどが今話題の『アキバ系』のような格好をした奴だと言う事が。

「真央ちゃんのホームページってひょっとしてこれ?」

 いつの間にか穂波はレジの脇に置かれている集計用のパソコンでインターネットにアクセスし、空色の髪の毛をした女の子が元気いっぱいに手をあげている画面を出す。

「ハイそうです! 穂波先輩もご存知でしたか?」

 真央はそれを覗き込むと一瞬驚いたような表情を浮かべるが、すぐに嬉しそうな顔をして穂波を見つめる。

「この前ネットサーフィンしていたら『函館発の大人気サイト』と言う名目で紹介されていたから見たの……このキャラクターが可愛くってあたしも好きかも」

 穂波はそう言いながらその空色髪の毛の女の子のイラストを見る。

「ありがとうございます! そのキャラクターは『らむねちゃん』っていいます、あたしが創ったキャラクターなんですよ?」

 本当に嬉しそうな表情を浮かべる真央は、まるで自分の容姿を褒められたかのようだ。

「すごいね? あたしもこういうのを描いてみたいなぁ……最近ちょっとハマっているのよね? こういう可愛い形のキャラクターを描くのが……」

 穂波もまるで憧れの人を目の前にしたような顔で真央の事を見ている。

「穂波先輩だってすごいじゃないですか、このお店のキャラクターは穂波先輩が描いたものでしょ? みんなの特徴がよく描けていると思います、特にこの真ん中の星は有川先輩ですよね? すぐにわかりましたよ? 『すくえあー』に掲載されていたバナーを見て『もしかして』って思って直子先輩に聞いたらやっぱりそうだったという事なんですよ」

 真央はそう言いながら店に飾ってあるお店オリジナルのTシャツを指差しながらニッコリと微笑み穂波の事を見ると、照れたような表情を浮かべながら穂波も微笑む。

「そんな事無いよぉ……ただ、キャラクターにしたらって思って描いただけだし、あたしには真央ちゃんみたいな才能無いから……」

 顔を赤らめながら穂波はモジモジと胸の前で人差し指をつき合わせている。

 なんだか話が合っているなこの二人……俺にはよくわからない世界のような気もするけれど、穂波も楽しそうだし、いいのかな?

 キャイキャイとパソコンを見ながら談笑する二人は、先輩後輩と言うよりも、すっかりと大の仲良しに見え、勇斗も何となく微笑ましくなってくる。

「ゆ・う・と!」

 店先でその様子を見つめていると、そんな声と共に腕に柔らかく暖かいモノが押し付けられ、その正体を知っている勇斗の目尻はちょっとだけ下がる。

「……千草、いちいち抱きつくなよ……店はどうしたんだ?」

 既に慣れたように言う勇斗のその腕には、長い髪の毛を海風になびかせながら八神千草が、幸せそうな表情を浮かべながら腕に抱きついている。

「今は休憩……ちょうどお客さんが切れたから」

 千草はニコニコしながら上目遣いで勇斗の顔を見上げるが、その暖かな柔らかいものは相変わらずその腕に押し付けられたままだ。

「勇斗さん! お店の前でそんな事していないでください!」

 その声に勇斗の肩が過敏に反応し、無意識にその柔らかい呪縛から離れようとするが、対する千草の力はその声に反応して力を増す。

「アハハ、いいじゃないのよぉ〜、別に減るものでもないし、お客さんなら今いないからいいでしょ? もし、穂波ちゃんにとって迷惑だったらあたしの部屋に来る? 勇斗とあたしのふ・た・り・っきり……ウフフ」

 千草はそう言いながら勇斗にウィンクすると、店の奥にいた穂波は、まるでダッシュするかのように勇斗の脇に来て、怒りの形相で抗議の顔を千草に向ける。

「減るとかそう言う問題じゃ無くってですね、そんな事がいいわけあるはずがありません! 千草さんもこんな所で油を売っていて良いんですか?」

 口を尖らせながら穂波は千草の顔を睨むが、千草の表情はどこ吹く風といったように平然とした顔をして穂波の視線をかわしている。

「あたしは勇斗のためならお店がどうなってもいいの……勇斗二人で駆け落ちでもしない? 愛し合う二人の逃避行……ドラマのようだわ」

 恍惚の表情を浮かべながら宙を見る千草の表情は、本気で夢を見ているようだ。

 ……冗談ではない、今でさえ十二分にドラマティックな生活をしているというのに、これ以上ドラマティックになったら、きっと俺は殺されて物語終了になるだろう。

 穂波と千草の視線の交わる先で、勇斗はため息をつきながらうなだれる。

「あの、ちょっと素朴な質問してもいいでしょうか?」

 その視線の最中に真央が少し遠慮がちに割り込んでくると、頬を膨らませている穂波の目と、優位を感じ取っているような千草の目がそちらを向く。

「エッと、千草さんは先輩の大学時代の元彼女さんですよね?」

 真央の一言に千草の頬の一部が引きつったように見える。

「ちょっとその元という所に引っ掛かりがあるけれど……」

 ちょっと必死な顔になりながら千草は微笑もうと努力をしているが目だけはどうにも出来ないのであろう、厳しい視線を真央に向けている。

「それに穂波先輩は高校時代の元彼女さん……」

 そんな千草など眼中に無いのか、真央は視線を穂波に向けるが、その穂波も頬をさらに大きく膨れ上がらせながら真央の顔を睨みつけるが、そんな二人の視線に怖じける事無くニッコリと微笑む。

「と言う事は社会人の先輩には彼女さんがいないと言うことですよね?」

 彼女が何をいっているのかよく分からないが、これから何を言わんとしているかが何となく分かってしまう……ヤバイ。

 勇斗の表情が凍りつくと同時に、

「……あなたは何が言いたいのかしら?」

 それまで余裕のあった千草の表情からそれが消え始めており、それは穂波にしても同じであろう、さっきまで優しい表情で見ていた真央の事を今では厳しい表情で睨んでいる。

「だったらあたしが立候補しちゃおうかな? 先輩の彼女に」

 ……やっぱり。



「……疲れた」

 店の集計を終え、応接間兼休憩所兼自宅の居間にあるソファーに勇斗は心底疲れた表情を浮かべながら身を預ける。

 真央が変な事を言うからあの後千草と穂波の視線が厳しかった事といったら……まるで人の事を犯罪者のような扱われ方をした気がするよ。

「……かなりお疲れのようで」

 キッチンからビールを持ちながら、この家の同居人である三好一葉が苦笑いを浮かべながらそれを勇斗に対して提供する。

「はは……いつもの事だよ……」

 一葉のお酌にグラスを傾けながら勇斗は苦笑いを浮かべるが、その様子を一葉が少し厳しい視線を勇斗に向ける。

「いつもの事って……千草さんですか?」

 一葉は明らかに不機嫌な口調でそう言いながら、もう一人の同居人である穂波が入っている風呂場の方に視線を向ける。

「……それに、真央ちゃんと言う調味料が加えられたよ」

 勇斗は注がれたビールに口を伸ばしながら苦笑いを一葉に向けると、それまで剣のあった一葉の表情が、同情するような表情に変わる。

「……それは大分スパイシーな味になりそうで……」

 気のせいなのかな? 一葉さんは呆れ顔を浮かべながらため息をついたような気がするんですけれど?

 勇斗が首をかしげるのと、時を同じくして一葉は少し慌てたような表情を浮かべながらその台詞を否定するように手を振る。

「わ……若旦那は本当にモテるんですよ……ちょっと彼女に同情します」

 話題を摩り替えるように一葉はそう言いながら勇斗に対し背を向ける。

「一葉さん、その若旦那は何とかならないかなぁ……お尻のあたりがムズムズしてしょうがないんだけれど……」

 この店の正規のオーナーであり、俺の親父でもある鉄平の家で事務仕事をやっている彼女は最近俺の事をそう呼ぶようになった。なぜだかを聞いたところ、親父が『旦那様』であり、その跡取りである俺は、彼女からすれば『若旦那』だそうだ。

「いいじゃないですか、慣れですよ」

 ニコニコっと微笑みながら一葉は席を立ち、台所に消える。

「……慣れねぇ? いつになったら慣れるのやら……」

 苦笑いを浮かべながら何の気なしにテレビをつけると、そこでは全国の天気予報が終わり、北海道ローカルな天気予報に切り替わる。

『明日は道内各地冷たい雨になるでしょう、降水確率は……』

 札幌の夜景をバックにした女子アナの装いはそれまでの薄着から、すっかりと秋らしい格好になっている。

「明日は雨ですか?」

 不意に勇斗の背後から風呂から上がったばかりなのであろう穂波が、その天気予報を見ながらがっかりした表情を浮かべている。

「生憎だな? せっかく店が休みの時に……」

 視線を穂波に向けると、濡れた髪の毛をタオルで拭く姿、いまだにその姿に慣れないのは俺に学習能力がないということなのだろうか……。

「まったくですよね? お休みの日ぐらい天気を良くしたってお天道様は怒らないと思いますよ?」

そんな勇斗の気持ちを知ってか知らずか穂波は勇斗の目の間の前でリモコンを取り上げるが、その瞬間にシャンプーの香りなのだろうか、フワッと暖かい良い香りが穂波の身体から発せられ、勇斗の一部分を刺激する。

……本当に学習能力がないんだな。

勇斗はその事を悟られないように前かがみになりながら、テレビを見続けていた。

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