雪の石畳の路……
Autumn Edition
第三話 えがお
=疑惑=
「ダメダメダメェ〜、たとえ誰が許可しようとあたしが許可しません!」
憤然とした表情と共に、千草は両腰に拳をあて、まるで仁王様のようにその場に立ち竦み、まるでその迫力に怯えたかのようにいつもはいるカラスもどこかに姿を隠している。
「だ、だから、仕事でだってばぁ〜」
気おされる様に両手を前に突き出しその千草の進行を防ごうとするものの、恐らくその程度では抑えきれないであろう程に、千草は憤然と頬を膨らませている。
……駄々っ子じゃないんだから、そんなに拗ねなくってもいいじゃないか……いや拗ねるを通り越して、本気になって怒っているよな?
ランチタイムを終え、店に人気がなくなったと言いながら千草はいつも上機嫌な顔でお店に顔を出してくるが、今日に限ってはかなり不機嫌だ。
「仕事とはいえ穂波ちゃんと二人旅でしょ? 旅先では心がオープンになりやすく、間違いを起こすこともしばし……勇斗と穂波ちゃんも人の子、何が起きるかわからないわよ」
君は脅しているのか、それとも二人の事を後押ししているのかよく分からないんですが……。
「だからぁ……」
否定をしようと思えば否定できるのだが、きっとその否定もきっと千草によって否定されるであろうって……訳が分からなくなってきたよ……。
きりきりと痛むこめかみを勇斗は両手の人差し指で突っつきながら顔をしかめる。
「こんちゃ〜」
……ややっこしい娘が来たよ……トホホ。
店先には秋らしい格好というよりも、既に冬のいでたちをした直子が猫目を細めながら手を上げている。
「……な、なんだか気まずい雰囲気の所にあたし来ちゃったのかしら?」
眼に涙を浮かべ、頬を思い切り膨らませている千草の姿を見た直子は、気まずい雰囲気に気が付いたのか、目をパチクリさせている。
「直ちゃん聞いてよ、勇斗ったらぁ〜……」
千草は母親に言いつけるような顔をしながら直子に対し一気に話すが、その内容はまるで勇斗が悪いような言われ方だった。
「勇斗が穂波ちゃんと一緒に……何という事なの!」
「そうでしょ? やっぱり良くないわよね? ヨヨヨ」
ワザとらしく手を口にする直子に対し、これまた芝居がかった動作で直子にすがりつく千草、その姿は、寛一お宮の世界だ。
「……なんだかなぁ」
うなだれている勇斗の事を見る二人の表情が一気に険しくなる。
「何を言っているの! そんな不純異性交遊を認めるわけにいかないじゃないのよ!」
直子……君が千草の言う事をすべて信じるという事が俺は寂しいよ……。
トホホな顔を浮かべる勇斗に対する援軍はまったく無い……唯一の援軍である穂波が買い物に行った為だ。
「そうよ、不純異性交遊だわ! あたしにあんな事やこんな事をしておきながら……」
千草はそう言いながら頬を赤らめながらうつむく。
へ、変な事を言わないでいただきたいなぁ、それじゃあ俺がまるであんな事やこんな事を君に強要したようではないか。
「勇斗……あんた……」
軽蔑した目で直子が勇斗の事を見つめる。
「ご、誤解だ! 俺はそんな事をしたことないぞ! ただ純粋にだな……」
「純粋に?」
「うぐぅ〜」
「可愛い子ぶらない!」
執拗な直子のオトナの尋問がそこから始まる。
「先輩、おはようございます!」
一時間ぐらいであろうか、直子の尋問が佳境に入り、良い子にはお聞かせできないような所に話が到った頃、店先にはいつものように真央がニコニコしていた。
この話を未成年に聞かせるわけにはいかないだろ?
勇斗が目で直子と千草に訴えかけると、物足りないといった顔をした直子と、少し満足したような千草は互いに顔を見つめ合わせながら頷きあう。
「どうかしたんですか先輩」
純真な目で俺の事を見上げてくる真央の視線に顔が向けられない、そうだ、俺は汚れてしまったんだな……。
深いため息を付く勇斗に対し、真央はキョトンとした顔で首をかしげる。
「気にしなくっていいのよ、真央ちゃん」
意地の悪い顔をして直子が真央の肩をポンと叩く。
「そうそう、ちょっと勇斗は昔を思い出しているだけ、ね、勇斗」
少し頬を赤らめている千草の表情はやはり艶っぽい。
「そうですか? 先輩、そういえば穂波さんは?」
勇斗の目に現実に引き戻されたかのように光が戻る。
「そういえばそうだな……まだ帰ってきていないようだが」
既に穂波が出かけてから二時間は経過している。
「お買い物ですかぁ……という事は先輩と二人きりですね?」
ニコニコっと微笑む真央に対し、千草と直子の冷たい視線が勇斗に向く。
まるで人を獣みたいな目で見ないでくれよ……そこまで酷くないぞ……多分。
「ただいまぁ」
店先に聞こえた声に、監視役で付いていた直子の顔に笑顔が膨らむ。
「穂波ちゃん、お帰りなさい!」
まるで抱き付かんばかりに飛び出した直子は、穂波の持っている荷物によって阻まれる。
「あ、直子先輩、いらっしゃっていたんですか?」
荷物を下ろしながらふぅ〜と息を吐く穂波に向かって驚いた表情を浮かべる直子。
「随分買い物をしてきたのね? こんなの勇斗にやらせればいいじゃない」
キッと直子の厳しい視線が勇斗に向く。
「違いますよ、晩御飯のおかずはこっちだけでして……」
穂波は気まずそうにビニール袋の一つに目を向けるが、全体を見回せば、その比率はかなり低く、それ以外の荷物がほとんどといっても過言ではない。
「何を買ってきたの?」
直子はそう言いながらデパートの名前の入った紙袋に視線を落とす。
「はぁ、バーゲンをやっていたのでつい……」
直子は視線で穂波にその中身を見ていいか許可を取るとそれを開く。
「洋服ね? わぁ、これなんて可愛いじゃない」
直子の顔がほころび、それにつられたかのように真央が覗き込むと、同じように顔をほころばせる。
何だって女というのはこんなに洋服が好きなんだろうねぇ?
やれやれといった風で勇斗は力なく首を横に振るが、その奥では三人の娘のキャイキャイといった歓声が聞こえてくる。
「普段着というよりも、お出かけ用っていう感じですね? 先輩とのデート用ですか?」
真央の一言に穂波の顔が一気に赤くなる。
「いや、そうじゃなくって……そうだけれど……」
その様子を見ていた直子の視線が意地悪く変化する。
「東京行きの服なのかしら?」
直子は冷やかすように穂波のわき腹を突っつくとさらに穂波の顔は赤くなり、まるで頭のてっぺんから湯気が出ているのではないかと思うほどだ。
「穂波さん、東京に行くんですか?」
目をキラキラさせながら真央が穂波の顔を見上げている。
「う、ウン、ちょっとね……仕事でよ」
視線を泳がせながら穂波がうなずくと、真央は両手を胸の前で組み、憧れの人を見つめるようにウットリとした表情で穂波を見つめる。
「いいなぁ〜、あたし今年の夏は行けなかったから冬に行こうと思っているんです」
「真央ちゃんは東京に行ったことがあるの?」
驚きの表情で穂波は真央の事を見ると、真央は大きくうなずく。
「ハイ、夏と冬の二回行きますよ? もう何回ぐらい行ったかしら……でも、十回ぐらいですかねぇ」
驚いた……年二回で換算すると、十一の頃から行っている事になるよな?
「……あたしはじめて……」
穂波は敗色の色を浮かべながらうなだれる。
「あたしも二、三回は行った事あるけれど……」
直子も素直に驚いた顔をしている。
「へへ、それでどこに行くんですか?」
真央はちょっと自慢げな表情を浮かべ、落ち込んでいる穂波の顔を見ると、その視線の先で再び顔を赤らめる。
「たしか東京ビックサイト? でしたよねぇ」
助けを請うように穂波は勇斗に視線を向けてくる。
「そうだよ、トラベルフェアーというイベントが行われるので、俺と穂波で行ってくる、その期間のお店はお休みするよ」
勇斗は苦笑いを浮かべながら真央を見るが、その顔はさらに羨ましそうに見上げてきている。
「ビックサイト……それはあたしたちの聖地ですね? だったらあの辺りの事ならあたしに聞いてください、ビックサイトの周辺から、その中の事まで何でも知っていますから! 美味しいお店とか安いお店、夜中になってもやっているお店とかも、任せてください!」
嬉々とした顔で真央は、呆気に取られている二人の顔を交互に見渡している。
なんでそんな細かく知っているんだろう……彼女は?
「それにお泊りだからねぇ……」
その騒動を気にしないような直子はさらにその洋服たちの入っている袋をあさっていたのであろう、その中にあった小さな物を取り出し、キヒヒと嫌味っぽい笑いを浮かべている。
「な、直子さんダメ! それは……イヤン」
真っ赤な顔をしている穂波はそれを取り上げようと必死に手を伸ばすがその手をすり抜けるのはレースでデコレートされている小さな布地のもの。
「勝負用なのかしら、ブラとセットで、だいぶ大人っぽいデザインよねぇ」
この光景はあえて見ないようにしたほうがいいであろう……目に毒だ。
=旅支度=
「俺も支度をしなければいけないよなぁ……といっても……」
ハンガーにかかっているのは普段とあまり変わらないものだけで、おしゃれをした穂波からは間違いなく見劣りする格好である事は間違いない。
「背広はアレがあるから良いとしても、まさか向こうにいる間ずっと背広というわけにもいかないし、あまりあの格好をしていたくない……」
勇斗の視線の先には去年の今頃毎日来ていた背広がハンガーにかかって釣り下がり、脳裏には地獄の就活が思い出され、深いため息を付いてしまう。
「仕方が無い……買いに行って来るか」
腰を上げると、タイミングよく部屋のドアがノックされる。
「勇斗さん」
扉を開くとそこには穂波が微笑みながら立っており、その表情に勇斗も微笑み返す。
「どうかしたのか?」
勇斗の質問に穂波はうつむき、ボソボソっと呟くように言う。
「いえ、準備は出来たのかなぁって……もしなんだったらお手伝いでも……」
うつむいているため穂波の顔はよく見えないが、目の前にある穂波の耳は赤くなっている。
「そうだな……手伝ってもらおうかな?」
勇斗のその一言に穂波が顔をあげると、その顔はまるで輝いているようにも見えるほど満面の笑顔だ。
「はい……でも、どこかにお出かけですか?」
勇斗のその姿に首を傾げながら穂波は顔を見上げる。
「ウン、とりあえず買い物に行こうと思ってね……安いやつでいいから」
ウィンクする勇斗に対し穂波は大きくうなずく。
「お供します!」
「お出かけですか?」
車のエンジンをかけている勇斗に一葉が近づいてくる。
「はい、ちょっと買い物に行ってきます、留守番をお願いします」
勇斗の一言に一葉は微笑み、そうして後から来た穂波の顔を見るとその微笑みに冷やかしに似たようなものがミックスされる。
「ハイ、ゆっくりでいいですよ? デートなんですから、なんだったらご休憩にでも……」
最近一葉さんまで冷やかしてくるようになってきたなぁ……。
苦笑いを浮かべる勇斗とニコニコしている一葉を交互に見て穂波は首をかしげる。
「ん? どうかしたんですか、勇斗さんと一葉さん……」
「な、なんでもないよ、ねぇ一葉さん」
一葉の冷やかしの視線から避けるように勇斗は運転席に腰を下ろすと、穂波は怪訝な表情を浮かべつつ助手席に乗り込む。
「ハイ、ご休憩なんて……」
もういいですよぉ……。
車は一葉の見送りを受けながら走り出す。
「どこに行きますか?」
助手席から穂波が声をかけてくる。
「特にここというのは無いんだけれどね? 洋服を買おうと思っていたんだよ……最近全然買っていないし、レパートリーが減ってきてね」
ハンドルを握る勇斗のその隣を路面電車が併走する。
「だったら美原とか上磯ですかね?」
全国チェーンのデパートの並ぶ地区の名前を聞き勇斗は少し悩み顔になる。
「別にそんないいやつじゃなくってもいいんだ、どうせ着潰しちゃうからなぁ……安い方が嬉しいかな?」
洋服に関しては無頓着な勇斗はそれにあまり投資をしようとしない、ゆえに安い服を多く買ったほうが得という気がある。
「ん〜……だったらあそこが良いかしら」
顎に人差し指を当てながら穂波は考え込み、思い当たる場所を見つけ出したようだ。
「どこ?」
「ハイ、山の手にあるお店なんですけれど、駐車場が広いし、何よりも安くってあたし大好きなんです、一度そこで三時間ぐらい見ていたことがあるぐらいなんです」
三時間も洋服を見ているか?
苦笑いを浮かべつつも、勇斗は穂波のそのナビゲーションに従いながらハンドルを切る。
「ここかぁ」
産業道路沿いにあるそのお店は全国チェーンのファッションセンター。洋服だけではなく靴からおもちゃまで色々な物が揃っている。
「ハイ、安くってあたしもたまに買いに来ます、ついいっぱい買っちゃうんですよね?」
穂波の目は当初の目的を忘れたかのように釣り下がっている洋服に視線を動かしている。
「確かにそうかもしれないな……Tシャツが九百八十円ねぇ……安いな」
ここはいいかもしれない、決して安っぽいわけではないその品物は目移りする。
「勇斗さんこれなんていいんじゃないですか?」
穂波はまるで自分の洋服を見繕っているかのように売り場を右往左往している。
「ウン、カッコイイな」
既に勇斗には選ぶ余地が無いかのように穂波は後から後から持ってきては勇斗の胸に当て、一喜一憂している。
「これはちょっとですねぇ……でもこっちはいいかも……ウン、カッコイイです」
本当に幸せそうな顔をしているなぁ穂波のヤツ……。
「後は何を買うんですか?」
既に買い物かごの中はいっぱいになっている。
「後は……」
勇斗の視線の先にはトランクスタイプのパンツが並んでいる。
「アハ……これはちょっと……あたし他の所を見ていますからごゆっくりどうぞ」
穂波は頬を染めながら勇斗の隣から離れる。
良かったよ……俺もちょっと恥ずかしかったんだ……。
「ただいまぁ」
二人はその後数件のデパートなどを回り、家に付いた頃には既に日は傾き、街路灯にも灯が入り始めていた。
「お帰りなさい、お姉ちゃん」
二人を真っ先に出迎えたのは三つ編みにメガネという格好をした夏穂だった。
「夏穂? どうしたの、メガネなんてかけて」
驚いた表情を浮かべる穂波に対して夏穂はニコニコと微笑み、モデルよろしくその場で体を一回転させると、フワッとしたフレアースカートがその動きに半周遅れて舞い上がる。
「いいでしょ、お義父さんに買ってもらっちゃった、メガネはダテなの、髪の毛はお母さんが結ってくれたの」
嬉しそうな顔をしている夏穂の顔を見ながら勇斗の表情には不安が浮かんでいた。
親父に? 親父にはそんな趣味があったのか?
あらぬ疑惑を持ちながらも、夏穂の着ているお嬢様風のそのワンピースを見るが、まあその趣味がなくっても十分可愛らしさを演出する格好ではある。
「ヘェ、ウン、可愛いよ夏穂ちゃん」
勇斗のその一言に夏穂は抱きついてくる。
「わぁ〜い、お兄ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいよ!」
夏穂はいつもと同じように勇斗に抱きついてきて、その隣では複雑な表情をする穂波の顔があるのも、いつもと同じ事だった。
「勇斗、今度はそっちに走るの?」
目が据わっている千草が玄関先で腰に手をやりジトッと勇斗を睨みつけてくる。
「なんで千草がここにいるんだ?」
素直に驚いた勇斗に対し、千草の背後から聞き覚えのある声がする。
「千草ちゃんだけじゃないわよ」
千草の背後から直子の意地の悪い顔がぴょこんと現れる。
「なんで直子まで……」
よく玄関先を見れば様々な靴やらパンプスなどが思い思いの方角を向いて置かれており、この家に何人いるか推理できる。
何なんだ? 明日から東京に行くというのにこの団体は……。
勇斗の隣でもさすがに呆れ顔をしている穂波がいた。
「よぉ、勇斗やっと帰ってきたのか、みんな待っていたんだぞ?」
居間に入り込むと鉄平と穂乃美が仲良く並んで座り、一葉と夏穂が仲良く話をし、千草の隣に和也が幸せそうな表情でポヤッとした顔をしている。
「やっとって、何だってこんなに人が集まっているんだ?」
怒りの矛先を向けながらも見渡すと直子の座っている席の隣には真央がニコニコしながら勇斗に対して手を振っている。
ハハ……店の関係者総登場だな……。
「何って、明日から上京する二人の壮行会じゃないか……」
シレッとした顔で鉄平は勇斗の顔を見るが、その顔は既に上気しており、酔いがかなり進んでいる事を証明している。
「……二人の壮行会って、俺達がいないうちに始まっているじゃねぇかよ!」
勇斗の目が険しくなるが、それを穂波が優しく促してくる。
「まぁ、お前たちがご休憩しているかもしれないから……」
意味深な表情で鉄平が勇斗の顔を覗き込む。
一葉さん……。
一葉のことをギロリと見つめると、その視線に気が付いた一葉はぺろりと舌を出して首をすくめる。
「ご休憩って?」
穂波はその意味が分からずに首をかしげ、その隣にいた真央もそれを真似るように同じように首をかしげる。
……エロ親父&酔っ払い……。
疲れ果てたようにうなだれながら勇斗は今買ってきた荷物を持ちながら席を立つと、穂波がそれに続くように立ち上がる。
「勇斗ぉ、どこ行くのよぉ」
酔いが完全に回っているようで千草は据わった目をそのままに勇斗を見上げてくる。
「明日の支度だよ、まだ荷造りしていないんだ……」
「穂波ちゃんもまだなの?」
立ち上がった穂波を心配そうに見上げるのは直子だった。
「いえ、あたしは終わっています、勇斗さんのお手伝いをしないと……」
穂波のその一言に周囲が色めき立つ。
「あはは、穂波さんたら、なんだか先輩の奥さんみたい」
無邪気な顔で言うのは真央だ。
「そんなのダメ、勇斗に任せておけばいいじゃない」
穂波の腕にしがみつきながら直子はかぶりを振る。
「あたしが手伝うぅ〜、二人きりで荷造りしましょうよぉ〜、なんだったらあなたの下着の支度もちゃんとしてあげるからぁ〜」
千草は勇斗の足にしがみつきながらとろんとした目で見上げてくる。
「あたしも手伝う!」
立候補するのは夏穂だった。
収拾が付かないなぁ……。
「若旦那はここでみんなのお相手をしていてください、荷造りはあたしがしておきますから」
一葉の思いがけない提案に、当の勇斗はもちろんの事、穂波も仰天した顔で一葉の事を見つめると、穂波に対しウィンクを飛ばす一葉。
「穂波ちゃん悪いけれど手伝ってくれる?」
一葉の一言に無言のままうなずく穂波は一葉に続いて居間を出てゆく。
「いい奥さんになるぞ、一葉ちゃんは……」
鉄平が言った意味が勇斗にはいまいち理解できなかった。別にそれに異論を唱えるわけではない、それが当たり前だと思ったからなのだが、いまさらそんなことを言う必要が無いと思ったからだ。
俺もそう思うよ、なんで一葉さんのような人がこの家にいるのかがよく分からないぐらいだ。
珍しく鉄平の意見に勇斗も賛同する。
「なんとなく穂波もいい奥さんになりそうだし……」
勇斗の顔を見ながら、ポワッとした口調で穂乃美がそう言うと、勇斗は無意識にうなずき、それで再び千草や直子がヒートアップする。
「ちょっとぉ〜、勇斗今やらしい事を考えたでしょ!」
「そうよ、穂波ちゃんを嫁にしようとかそんなことを考えなかった?」
あぁ〜、また収拾が付かなくなってきたよぉ……。
「お兄ちゃんはお姉ちゃんと結婚するの? そうするとあたしはどうなるの?」
「夏穂ちゃんは変わらないんじゃないの?」
……ややっこしい、飲む前から酔っ払ってしまいそうだ……。
勇斗が頭を抱えるように席に座りなおすと、夏穂からグラスが提供され、千草からビールが注がれる。
「よぉ〜、両手に花だな勇斗」
近いうちに俺は殺人犯になるかもしれないな?
握り締める拳はプルプルと震えてくる。
「穂波を泣かすような事はしないでよね?」
真剣な表情で言う穂乃美の声に、勇斗は力尽きる。
「エヘへ、穂波さん、東京に行ったらですねぇ……」
一時間あまりで勇斗の荷造りを終わらせ、再び穂波と一葉が合流し、フルメンバーでの壮行会が始まり、東京慣れした真央のレクチャーを受ける穂波は笑顔を浮かべており、千草は勇斗に抱きつきながらすやすやと眠っている。
「ウフ、なんだか楽しいわね? やっぱりこのメンバーっていいわ」
穂乃美はそう言いながら周囲を見渡すと、コクリコクリと舟をこいでいる夏穂の隣で、優しい表情を浮かべている一葉、黙々と酒をあおっている鉄平の姿がある。
「いいんですかねぇ」
苦笑いを浮かべる勇斗に対し、穂乃美の表情は落ち着き、優しい表情を浮かべていた。
「いいんです、だってみんな笑顔じゃないですか、これ以上楽しい事なんてないですよ?」
穂乃美の一言に対して納得が出来たような、なんとなくはぐらかされたような感じがするが、確かにみんな笑顔を浮かべている事だけは確かだ。気が付くと、穂波と真央の談義は、アキバ系のものに変わっているようだし、鉄平は穂乃美を口説き始めている。
笑顔だな……。