雪の石畳の路……

Autumn Edition

第七話 ながい夜



=飲み会=

「勇斗ぉ〜、こっちだぁ〜」

 駅の改札口に、今朝見たのと同じ格好をした厳つい顔が笑みを浮かべて勇斗たちを見ている。

 相変わらず声のデカイ奴だな……、もう少しは周囲の視線というのも考えていただきたいのだが……それは無理かな? あいつにそんな腹芸が出来るとは思っていない。

 力なく微笑む勇斗に対して光明は、まるで子供のように手を振っている。

「……知らん顔をしようか?」

 隣で顔を赤らめている穂波に対して勇斗が呟く。

「そ、そんな悪いですよぉ、なんだかすごく楽しみにしていたみたいですし」

 チラッと穂波がその厳つい顔に視線を飛ばすとすぐにうつむく。

「でも恥ずかしいよな?」

 勇斗のその一言に、穂波は肩を震わせながら言葉無くうなずく。

 俺だって恥ずかしいよ、あんなヤツが同級生という事が……今でも遅くないから、知らん顔をしてその横を通り抜けたいぐらいだ。

 まだ飲んでもいないのに勇斗の顔も真っ赤になり、なんとなく周囲から失笑を買っているような気がする。

「うむ、久しぶりに誰かを待つというのも中々良いものだ、さぁ、有川どこに行く?」

 本気で知らん顔をしようと思った瞬間に、光明のその大きな手で勇斗の腕は握り締められる。

「……前もって言っておくが、割り勘だからな?」

 悪い予感がして勇斗は光明の顔を睨みつけると、その表情が一瞬怯む。

「無職の俺に対しての慈悲の気持ちはないのか?」

「まったく持っていない!」

 問答無用にはっきりと言い切る勇斗の事を、穂波は苦笑いを浮かべながら、その顔を見上げている。

「オ、オイ、ちょっと有川……」

 光明は、穂波に対して拝むような仕草をしながら勇斗の肩を押して、少し離れた場所に移動するように促してくる。

「なんだよ」

 口を尖らす勇斗に対して気のせいなのか頬を赤らめながらその厳つい顔を勇斗の目の前に向けてくる。

「彼女、お前の何なんだ……妹と言っていたと思っていたが、お前にあんな可愛い妹がいるとは聞いた事は無いぞ?」

 すねたような表情を浮かべる光明は、先ほどからこっちの事を気にするように見つめている穂波の事をチラチラと横目で見つめ、そのたびに顔を赤くしていっている。

「そうだろう、俺だってそんなことを言った事ないし、俺だって向こうに行くまでその存在すら知らなかった……いや、知っていたが知らなかったんだ」

 勇斗のその回答に対して光明は首をひねり、思案顔を浮かべるが、すぐにその考えを切り替えたように再び勇斗の顔を覗き込む。

「ムゥ〜、難しい事はよく知らんが、ようはあの娘とお前の間柄は何になるんだ?」

 相変わらず難しい事はスルーするんだな? しかし、俺と穂波の間柄……かぁ……難しい所をさりげなく付いてくるなぁ。

「兄妹……なんなんだろう……多分」

 思わず口をついた勇斗の一言に対して光明は満面の笑みを浮かべながら勇斗の両手をギュッと握り締めてくる。

 き、気持ち悪いなぁ……。

 思わずその手を引っ込めようとするが、その力は明らかに光明の方が強いようでその手はびくともせず、勇斗はその顔を恐る恐る見上げると、その厳つい顔にある瞳はまるで恋するような綺麗な瞳をしていた。

 ちょ、ちょっと光明さん、何なんですか? その清らかな表情は一体……。

 引きつる笑顔を浮かべている勇斗のことなどお構いなしに光明はその握っている手をさらに力強く握り締めてくる。

 だから痛いってば!

 顔をしかめる勇斗だが、それを気圧させるには十分の笑顔を浮かべたかと思うと、勇斗の耳には信じられない言葉が聞こえてくる。

「お義兄さん!」

 へ?

 あまりにも突飛な事に勇斗の思考能力は付いていけず、中枢神経はまるでフリーズしたようにその機能を一瞬にして停止させる。

「……ちょっと、光明さん? アナタハナニヲイッテイルンデスカ?」

 怪しげな宣教師のような言い回しになるのは、それだけ勇斗が混乱してるせいなのであろう。その顔は眼が点になっているという形容詞が当てはまるように瞬きを忘れ光明の事を見つめる。

「何って……俺はお前の妹さんに一目惚れした、だからお前は俺からすればお義兄さんになるのだ、そんなこと当たり前だろう」

 あのですネェ、君は重要な所を欠落させているような気がするんですが……というよりも、穂波に惚れただぁ〜!

 目付きの悪い勇斗の目が、輪をかけるように悪くなり、一気に周囲にいた衆人が一歩引いたような感じがする。

「当たり前って、お前が穂波に?」

 問いただす様に勇斗は光明の顔を見るが、その顔は完全に恋する男の表情だった。

 なんだかさらに訳がわからない展開になってきたぞ?

 力なく肩を落とす勇斗に対し、光明は相変わらずニコニコと微笑んでいる。



「それでは、再会と出会いを祝してかんぱぁ〜い!」

 満面の笑みを浮かべながら光明は、何事かいまいち把握していない穂波のグラスに強引な格好でそれを重ねる。

「穂波ちゃんと出逢ったお祝いに乾杯」

 ウィンクしながらそう言う光明に対して、作り笑いを浮かべつつも穂波は助けを請うような顔をして勇斗の事を見る。

 お前がそんなキザな事をいうと歯が抜けて、総入れ歯にしなければいけないではないか。

 うつむきながら、それこそお座なりに光明とグラスを合わせる勇斗は、がっくりと肩を落とし、疲れきった表情を浮かべている。

「……お前のどこを叩けばそんなキザたらしい台詞が飛び出して来るんだ?」

 皮肉をこめて勇斗が言うと、そんな嫌味は全て跳ね返すというような笑顔を浮かべながら光明は勇斗の顔を見つめる。

「そんなこと言わないでくださいよ、お義兄さん……」

 ゾワヮワァ〜……全身の毛が一気に立ち上がったような気がするぜぇ……。

 身震いする勇斗の事など眼中に無く、光明は穂波の事を口説き始める。

「穂波ちゃんはいくつなの?」

「二十一」

「……ヘェ、十代だと思っていた」

「そりゃどうも……」

「有川に全然似ていないという事はお母さんかお父さんが美形なんだろうね?」

「お母さん似かな?」

「…………有川がなんで答えるんだよ」

 穂波に変わってつまみを突っつきながら受け答えをしていた勇斗に対して、光明は微笑を引きつらせながら、厳つい顔を勇斗に向ける。

「やめろ、お前の顔は怖い」

「お前に言われたくないわ!」

 まるで掛け合い漫才のようなそんな姿に、目の前に座っている穂波はまるで面食らったようだったが、やがてその顔には笑顔が浮かび始め、最後には口を開けて笑い出す。

「アハハハ、ゴメンなさい、笑っちゃいけないですよね?」

 堪えようとしているものの、堪え切れない笑いは穂波の奥底からコンコンと湧き出しているようで、何度も穂波の肩がピクピクと弾けるように揺れる。

「あはは、面白かった? こいつは大学時代いつもこうだったんだよ、ネクラだったし、いつも一人でボォーっとしていたから俺がこうやって励ましていたという事」

 目の前に置かれたビールのジョッキを片手で持ち、グイィーっとそれを飲み干しながら光明は、自慢げに穂波の顔を見つめている。

「勇斗さんが?」

 さっきまでの微笑がウソのように、穂波は意外そうな顔をして光明の顔を見る。

「あぁ、気が付くとキャンパスの中庭にあるベンチでボォーっとしている事が多かったよな? 何を考えているのかよく分からず、みんなそんなお前を遠巻きに見ていた……まぁ、単純にお前の顔が怖かっただけかもしれないけれどな?」

 余計なお世話だ。

 キッと光明を睨みつけるが、そんなことはお構いなしに、光明は近くを通ったウエイトレスに追加オーダーを入れる。

「……勇斗さんが……」

 穂波は次に勇斗の顔を心配そうに見る。

「まぁ、知り合いもいなかったし、特に群れるというのもあまり好きではなかったせいだよ、まぁ、中にはおまえの様にお節介やきがいたけれど……」

 その中の一人が、この光明であり、千草であった。

「お節介とは聞き捨てなら無いなぁ、俺は心配してだ、おまえに声をかけていたんだぞ?」

 新しく運ばれてきたビールのジョッキに口をつけながら光明は不服そうな顔をするが、それに対して勇斗は優しい微笑を浮かべる。

「わかっているって、お前のおかげで四年間大学に行けたと言う事は事実だ、それに関しては感謝している」

 素直に頭を下げる勇斗に、光明は照れくさそうに頬を人差し指で掻きながら、その視線をジョッキの中で弾けているビールの泡に向けられる。

「なに言っているんでぃ、恥ずかしいじゃねぇか」

 酔いのせいなのか、光明は顔を赤らめている。

「なに照れているんだよ、俺に近寄ってきたのにはもうひとつ理由があるという事を俺は知っているぞ?」

 意地悪い顔で勇斗が光明を睨みつけると、光明の顔に動揺の色が浮かぶ。

「もうひとつって?」

 小首を傾げながら穂波は勇斗の顔を覗き込むが、それに慌てたように光明は両手を大きくばたつかせる。

「それはあくまでも噂だ、なんで俺がお前の彼女にうつつをぬかすと言うのだ?」

 どことなく落ち着きをなくす光明を尻目にゴキュっと勇斗は喉を鳴らしながらビールを飲み干すと、隣にいた穂波は近くにいたウェイターに追加を入れる。

「ホホォ〜それは初耳だな? 俺の聞いた所によると『いつでも俺の胸を空けておくぜ』と言っていたらしいなぁ」

 光明が千草に惚れていて、よくちょっかいを出していた事は同級生からも聞いているし、千草本人からもよく聞いていた。

 勇斗のその一言に、光明の顔は、まるで音を立てるように真っ赤な顔になる。

「な、なんでお前がその事を知っているんだ……」

 呻くように言う光明は、恨めしそうな顔をして勇斗の事を見つめる。

「……実は、今うちの隣に千草がいるんだよ……彼女が酔っ払う度によくその話を聞くんだ、何でも『勇斗を諦めて俺を』なんていって口説いていたらしいじゃないか?」

 その一言のうなだれていた光明の顔が、ガバッと起き上がる。

「あいつ相変わらず酒に酔うと余計な事まで……って言うか、お前たちもうそんな仲になったのか? やっぱりお前八神と結婚するのか?」

 その光明の一言に勇斗は慌てふためき、隣にいた穂波の表情はまるで食って掛かる様な表情で勇斗の事を見る。

「なっ、なんでそうなるんだ?」

 動揺する勇斗の隣には、眼をつり上げた穂波の顔。

「だって、お前を追って函館に行ったと聞いたぞ? 愛しいあなたを追ってあなたの暮らす街へ行く……かぁ〜、男冥利に尽きるねぇ、そこまで思いつめられるとさすがの俺も諦めざるを得ないよ」

 グビっとビールのジョッキを傾ける光明に対し、言葉にならない抗議をするものの、その真意は穂波に伝わる事はなかったようだ。

 お前を恨む事をきっと、神様も許してくれるであろう……。

 勇斗はそんな穂波の視線から隠れるように、身を小さくしながら目の前にあるチビっとビールを口に含む。



=HOTEL=

「はぁ、いい塩梅に酔ったかな?」

 フロントで鍵を受け取り、昨夜と同じようにお互いに同じ部屋に入り込む。

「アハ、勇斗さん本当に楽しそうに飲んでいましたよね?」

 隣で、ファー付きのコートを脱ぎながら穂波が微笑むが、それに振り向く勇斗の頬は、酔いとは違う赤みが差す。

 スーツ姿の穂波かぁ……滅多に見ることが出来ないだろうなぁ……じっくり見ていたい気もするけれど、ジッと見ていればきっと穂波は変に思うだろうし……。

 勇斗の目の前で、着替えの準備をしている穂波の姿はリクルートスーツの様なものだが、普段はトレーナーや、フリースのパーカーなどを着込んでいる穂波のイメージとはまるで違う、そう、ちょうど一緒に就活を行っていた千草たちを思い出させる姿であり、酔いも任せ、自分ではいけないと思いながらもじっとその姿をジッと見つめていた。

「……勇斗さん、そんなジッと見られていると着替えることが出来ないんですが……」

 穂波のその一言に、勇斗は我に返りその視線をはずす。

「わりぃ」

 勇斗のそんな様子を怪訝な顔で穂波が見ていたかと思うと、何か思い当たる事があったのであろう、その頬が一気に赤らむ。

「……エヘ、この服おぼえていますか?」

 その一言に、勇斗は再び穂波の姿を見ると、そこで穂波はモデルのようにクルッと身体を一回転させて、その洋服を見せ付ける。

 おぼえていますか? って、おぼえていないか?

 勇斗はその心の動揺が穂波に伝わらないように平静を装うものの、必死にその服装を見た記憶を追跡するが、なかなかその記憶が勇斗の中にHITすることが無く、動揺は徐々に大きくなり、さらに記憶はそれに比例するかのように深い所にもぐってゆく。

「おぼえていないですよね? きっと……」

 そう言いながら穂波は勇斗の顔を見るが、それはその事によって落胆したようではなく、むしろ意地の悪いような微笑みを浮かべていた。

「わりぃ」

 素直に勇斗は穂波に対して頭を下げると、穂波はクスッと微笑みながらそんな勇斗の頭をポンと叩く。

「ホントですよ? あたしは一生懸命におめかししたつもりだったのに、先輩ったら、怒っているままで……、気がついたら……夏穂と一緒に寝ているし……」

 思い出した! 俺が函館に帰った時に穂波が家にいた時の格好だ、あの時は、親父の何も前予告の無い仕打ちに対して頭に血が上っていてよく覚えていなかったけれど、あの時そんな格好をしていた様な気がする。

 勇斗が何か言い返そうとするが、それを穂波は優しい微笑ではねかえす。

「冗談です、もしも本当に勇斗さんが望んで夏穂と一緒の布団に寝ていたのなら幻滅しますけれど……そんなこと無いですよね?」

 懇願するような瞳で穂波は勇斗のことを覗き込む。

「んな分けないだろ? それじゃあ俺は犯罪者になっちゃうよ……俺はノーマルだ!」

 穂波の出した疑問に対して、勇斗は全力でそれを否定する。

「ウフフ、当たり前じゃないですか、でも、勇斗さんにそんな趣味があるんだったら……」

 意地の悪い顔をした穂波の顔が不意に勇斗の顔に近づき、思わずそれに怯むように勇斗は体を反らす。

「ない! 全身全霊を傾けてそれは否定させてもらう、俺は普通だ、そんなの当たり前だろ!」

 そんな勇斗の反論に穂波はその表情を和らげ、少し寂しそうに俯く。

「……あたし、勇斗さんが帰ってくると聞いて、すっと心待ちにしていたんですね? その日に選んだ洋服がこれだったんです。あたしの中では一番の服……一張羅って言うんですかね? それを着て、朝からずっと待っていたんです……本当は空港まで迎えに行きたかったんですけれど、色々とやる事があって、結局一葉さんと和也君が行ったんですけれど……あたしはその日は分刻みに動いていたんですよ? 何でもあなたの取る行動の時間が頭の中に入っていて、車が家に着いた時は心臓が止まるんじゃないかと思いました」

 穂波は、両手をギュッと何かを抱きしめるように胸の前で交差させる。

「ちょっと、怖かったんです、あんな事で勇斗さんと別れてしまったから、でも、あたしはあなたと一緒に見たあの景色を忘れる事は出来なかった……周囲の街灯が雪の石畳の路を綺麗に、煌かせるその景色を忘れる事が出来なかった……あたしが一番好きな人と見たその景色はきっと忘れる事はないと思う、この思いがどうなったとしてもきっと変わらないそう思ってあなたに再会した時の顔は……うふふ、まるで般若のような怖い顔でした」

 苦笑いを浮かべる穂波の表情は愛おしく、勇斗は思わず抱きしめてしまいたいという衝動に駆られるが、それを思いっきり飲み込む。

「ハハ、あの時は、怒りに身を任せていたからね? でも、穂波がそんな気持ちで挑んでいたのに、俺はダメだな……」

 勇斗はそう言いながら、視線を穂波から外しながら、正面にあった鏡に写る自分の顔を見つめるが、その顔は酷く情けない顔をしているようにも見える。

「勇斗さん……そんなこと無いです!」

 穂波はそんな勇斗の事を抱きしめるように、その肩をキュッと抱きしめる。

 穂波?

「……あたしの目の前にいた勇斗さんは、まったく変わっていなかったです。だって、あたしの知っている先輩は……ぶっきらぼうだけれど、でも、あたしの事を覚えていてくれる……そう、あたしの事を思っていてくれている……そう思っていました」

 勇斗の頭に心地のいい重みが圧し掛かって来る……そう、それは、本当に気持ちのいい重みだった。

「俺もそうだ……忘れるわけがない」

 その一言に穂波の顔が勇斗の顔を一点に見つめてくる。

「先輩も?」

 穂波のその一言に勇斗はただうなずく。

「……お前と一緒に見たあの景色は一生忘れることはない……だって、俺の好きな人と一緒に見た景色なんだから……忘れるわけがない」

 勇斗の思い浮かべたその景色は恐らく穂波の思い浮かべている景色と同じだろう、街灯に煌く雪の石畳の路、そこにいるのは詰襟を着た勇斗と、制服を着て微笑んでいる穂波の姿だった。

「忘れるわけがない……東京にいて何度も見た景色だ……その中にいた女の子は、お前なんだから……あの景色を見たのはお前だけなんだから」

 今度は勇人が穂波のその肩をそっと抱きしめるとフワッとシャンプー以外の香りが勇人の鼻腔を擽り、その香りは、勇人の脳髄を擽るには十分なものだった。

「勇斗さん……」

 穂波の顔が徐々に近づいてくる、今日は誰に邪魔されるはずがない。

 そんな気持ちのせいなのか、勇斗はじっと恥ずかしそうに頬を染めている穂波の顔を見つめ、自らも顔を近づける。

「穂波……」

 二人の間にある空間が徐々になくなってゆき、やがてその空間がなくなると、二人の唇が触れ合う、触れ合う時間はほんのわずかであったが、そのわずかな時間が起爆剤になったように、次に二人の顔の触れ合う時間は長くなる。

「……勇斗さん……あたし……」

 何度目かに離れたとき、お互いの顔はまるで湯気が出ているような赤い顔をしており、穂波はうつむいたままでいる。

「……あたし、シャワー浴びてきます」

穂波はそう言いながら、バスルームに姿を消すが、その一言に、勇斗はこれから予想される展開に気恥ずかしさを感じ、近くにあるものを意味もなく見つめ変に興奮している自分を抑えるように、身体をモジモジさせて間を持たせようとしているが、どうにもならず、さっきからバスルームから聞こえるシャワーの音に耳を傾けてしまう。

「……なんでこんなに緊張しているんだ?」

 自分に対して問いただす勇斗だが、その答えが出てくるわけでもなく、無意味についているテレビに視線を向けるが、その内容などまったく入ってこない。

 何なんだ? 俺……。

 何度目だかわからない質問を自分に対し投げ掛けていると、バスルームから聞こえていたシャワーの音が不意に止まり、勇斗の心がさらに高鳴るが、そんな気持ちを逆撫でするようにバスルームから穂波の呟くような声が聞こえてくる。

「あの……電気……消してくれませんか?」

周囲の音が無かったから聞こえるような声は、勇斗の耳にははっきりと聞いて取れることができ、勇斗も慌てたようにベッドサイドにあったスイッチに手を伸ばし、電気を消す。

真っ暗……というほどでもないけれど……でも、暗いかな?

仄暗い部屋の中は、近隣のネオンなどにより真っ暗と言う感じではないものの、感覚的にはかなり暗くなったような感じになる。

「あの……こっちを見ないでくださいね?」

 勇斗はその声に従うように、視線を床に落とし、所々に染みのあるカーペットを無意味に眺めるが、五感はその周囲の空気の動きを感じている。

 ――ギシッ……。

 勇斗の腰かけているベッドの軋み、フワッと石鹸の香り漂ってきて、勇斗が顔をあげると、一気に動悸が激しくなる。

 ほ、穂波……、お前……。

隣ではうつむいたままの穂波が座っており、いつもはポニーテールにしている髪の毛はおろし、その毛先は濡れ光っており、周囲のネオンを写し込むように光っている。そしてその下にはバスタオルを巻いただけの格好をしていた。

いくら暗いといっても、周囲からの明かりでまったく見えないわけではないのは穂波だってわかっているはずだ、それでそんな格好をしているというのは……。

勇斗の喉が思わず上下に動き、その音が穂波に聞こえるのではないかと思う。

「……あの……あたし……」

 露わになっている穂波の白い肩は小刻みに震えているようであり、じっとそれを見ていてはいけないような感じになり、勇斗はそれから視線を外そうとするが、その次にその視線に入り込んできたのは、目を潤ませている穂波の顔だった。

「穂波……」

 何か言葉を続けようと思うが、頭の中でその言葉が作られる事はなく、無意識に勇斗の手はその白い肩に触れる。

「ひっ……」

 小さな声が穂波の口から漏れたが、勇斗はお構いないようにその肩をギュッと抱きしめる。

 思いっきり抱きしめたい、穂波の体温をずっと感じていたい、でも、俺は……。

 やがて勇斗はその肩を離す。

「勇斗さん?」

 穂波はわずかに乱れたタオルを直すようにしながら、立ち上がってそっぽを向いている勇斗の事を見上げる。

「穂波……俺はお前のことを抱く事ができない……そんな資格が無いと思う」

 吐き出すように呟く勇斗は、大きなため息をゆっくりとつき、その表情を穂波から隠すように背を向ける。

「……勇斗さん……」

「……穂波も知っているだろ? 俺は、こっちに来て、勝手に穂波にフラれたと思って、千草とそういう仲になった、お前がずっと俺に思いを寄せていたのにもかかわらず……」

「勇斗さん」

 背後では穂波の声が聞こえるが、勇斗は聞こえないように言葉を続ける。

「俺はろくでもない男だよ、千草とそんなことをしておきながら、お前のことを好きだなんて言って、今度はお前を抱こうとしている」

 そうだ、穂波を傷つけたにもかかわらず、さらに穂波を求めようなんて都合がよすぎる。

「勇斗さん!」

 背後からは穂波の少しきつい口調が聞こえてくる。

「俺には、お前を抱く資格なんてない……もしかしたら好きだという事を言う資格も無いのかもしれない、最低男だから……」

「先輩! こっちを見て!」

 勇斗の言葉を遮るような穂波の声に、勇斗がゆっくりと振り向き、その光景に息を呑む。

「ほ……穂波……お前」

 勇斗の視線の先で穂波は立っていた。しかし、その身体には、さっきまで巻かれていたバスタオルは無く、重力に負けたそれは穂波の足元に落ちている。

「勇斗さん……あたし恥ずかしいです」

 穂波はそう言いながら顔を赤らめ横に向けているが、その言葉は、さっきよりもはっきりと聞き取る事ができた。

「だったら……」

 勇斗は慌ててベッドにかかっていた毛布を取り上げようとするが、穂波はその行動を起こす勇斗に対して抱きついてくる。

「恥ずかしいです……でも、勇斗さんに見てもらいたい……恥ずかしいけれど、でも、あたしを見てもらいたいんです」

 穂波の暖かな体温が直接勇斗の頬に触れる。

「穂波……でも」

「はじめて千草さんとの事を聞いたときはショックでした、でも、勇斗さんに対しても、千草さんに対しても怒りというのは無かったです」

 勇斗を抱きしめる穂波の手に力がこもる。

「あたしは勇斗さんのことが好き、だからあなたのぬくもりを感じたい、千草さんに負けたくないと思うわけではないです、でも、あたしはあなたに愛してもらいたい」

 穂波の頬に一筋の涙が伝う。

「穂波……」

 勇斗は穂波のその細い腰に手を回し、自分の身体に押し付けると、最初は硬かったその身体も徐々にその力にしたがってゆき、勇斗の促されるようにベッドにその身体が沈む。

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