coffeeの香り
第十話 something extra(おまけ)
=得意先まわり taichi=
「暑くなってきたなぁ」
見上げる太一の視線の先には真っ青な空、既に空は夏色になっている。
「ハイ、今日も夏日になるって言っていました……北海道でも暑いんですね?」
太一の隣には上着を片手に持つ真菜。
「ハハ、内地の人はそう思うかもしれないけれど、市街地は結構暑いよ、道北や道東の方はそうでもないらしいけれど、函館や札幌は暑いね? 温暖化のせいなのかここ数年で大分暑くなったらしいよ」
俺も始めて函館に赴任してきた時はそう思ったよ。暁子にそれを話したら怒られた『北海道でも暑いんです』って。
「でも、風がさわやかだから苦にはなりませんね」
海風が二人の頬を撫ぜてゆく。
「あぁ、あの東京の暑さに比べたら過ごしやすいよ、でもこの時期は昼と夜の温度差が激しいから体調を崩さないようにしないといけないね?」
この時期暑いからといって半袖でいて、夜帰るときに寒く、家に帰ってお風呂で温まるなんていう事もあるほどだ。
「ハイ、この間体験してしまいました……寒かったです、七月にあんな寒い思いをするなんて思わなかったですよぉ」
真菜は苦笑いを浮かべながら太一の顔を見上げる。
既にこの娘とコンビを組んで三ヶ月が過ぎようとしている、もうそろそろ一人歩きさせてもいいかな?
「毎度!」
太一はベイエリアにあるお土産物店に笑顔で入ってゆく。
「あぁ、真島君、毎度……何か良い話でも持って来てくれたの?」
店長らしい中年女性は太一にニッコリと微笑む。
「いや、今日はどんなあんばいかなって思って、ちょっとお店の中を見させて頂いてよろしいでしょうか?」
太一は相手の返事を聞かずに背広の上着を脱ぐ。
「お願いするわ……最近ちょっと動きが鈍っているみたいなのよ」
女性はちょっと困り顔をしながら太一にお店の一角をあごで示す。
「フム……わかりました、ちょっと見てみますね」
太一はそう言いながら女性の指し示した一角に歩みを向け、やおらその棚の前に座り込む、その隣では真菜が心得たようにメモを取り出す。
「真菜ちゃんわかるかい?」
太一はそう言いながら立っている真菜の顔を仰ぎ見る、すると真菜もちょっと困惑したような表情ながらもうなずく。
「ハァ……もしかしたら採光の問題ですかね? 他のコーナーに比べるとちょっと暗く感じます、これではいい商材を置いてもお客は見なくなりますね、それと下段の品揃えがちょっと偏っている気もします、もう少しエントリーがあっても良いかもしれません」
雑然としたイメージが第一印象の棚を見ながら真菜は考えるように目を配りそれを指摘してゆく、その台詞に太一の顔に笑顔が生まれる。
「うん、よく出来ました、後もう一つあるんだけれどなんだかわかるかい?」
少し意地の悪い顔をして太一は真菜を見る。
「もう一つ……ですか?」
真菜はそう言いながら周囲を見渡すが、首をひねるばかりで回答が出ないようだ。
「……ん~、なんだろう、ゴールデンゾーンは結構しっかり捉えられているような気がするけれど」
ハハ、意地悪しすぎたかな? まぁ、さっきの答えで合格なんだけれどね?
「正解は周囲の品揃え……見てごらん」
太一はそう言いながら立ち上がり周囲を見渡す。
「周囲の品揃え……あっ! 本当だ」
真菜も太一と同じように周囲を見渡し、ハッとした顔になる。
「わかったかい? 周囲に人気商品が多く置かれている、恐らく人の流れを考えて店主がやった事であろうと思われるが、むしろ逆効果なんだ」
太一はそう言いながらその棚を見る。
「ハイ、相乗効果ではないですが売れ筋の商品が逆に出なくなってしまう」
真菜も神妙な顔で太一を見る。
「そのとおり、しかもこのお店は特に売れ筋を集中しておいている傾向が見受けられる、こういった場合は?」
以前大沼にあったお店で同じようなお店があったよな? そのときに言ってあるはずだよ。
太一は優しい目で真菜を見つめるが、当の真菜はうめきながら首をかしげている。
「ん~……、売れ筋が集中する……人気……」
そこまで真菜が呟くとパッと笑顔になる。
「そうだ! 人気が集まるとそこに人が集まる、集客効果はあるけれどお客様はゆっくり見られずに売れない、適度に散らばせるのがいいかも……でしたよね?」
真菜はそう言いながら自信なさげに太一を見る。
「ハイ、ご名答、売れるものまで売れなくなってしまい、しかもそのお店の弱点がお客様にわかってしまう、だからお店をまわれるようにレイアウトする方がいい」
太一はそう言いながら無意識に真菜の頭をぽんとたたく。
「わかってきたじゃないか、これなら独り立ちできるぞ!」
太一がそういうと真菜はちょっと寂しそうな顔をしながら太一の顔を見る。
「まだダメです、太一課長がヒントをくれたからわかったようなものです」
それはどうかな?
「じゃぁ、真菜ちゃん、このお店の人にこの場所をどう提言する?」
太一は楽しそうに真菜に言う。
「ここをですか? そうですねぇ……」
真菜はそこまで言うと黙り込んでしまう。
ちょっと難しいかな?
「照明を変えてもらうにはお金がかかりますし……暗いのを売りにするものをおいたら……そうだ! 夜景! 函館名物の夜景シリーズ!」
真菜はそう言いながら周囲を見渡す。
「このあたりをわざと暗くして、ブラックライトを照らせば……雰囲気出るかも、後この近辺の商材も函館の限定品を置くと」
真菜はそう言いながら棚を一つ一つ見回しながら構想を練っている。
ウン、大変良く出来ましただな。
太一は真菜のその様子を嬉しそうに眺める。
「店長喜んでいたでしょ?」
お店を出て真菜の顔を見るとちょっとその顔は紅潮していた。
「ハイ! あなたに任せるなんてはじめて言われました……でも緊張します」
その顔は戸惑いも伴っている。
「心配するな、俺がフォローに廻る、今回の改装は真菜ちゃんがやるんだ、いいね?」
太一のその一言に真菜の顔に笑顔が膨れ上がる。
「ハイ! がんばります!」
ウン、真菜ちゃんも十分楽しんで仕事をするようになって来たかな……そろそろ……。
「さて、次はこのお店だ、ここの店長は若いけれど結構なやり手だと思うよ、真菜ちゃんと同い年じゃなかったかな?」
函館朝市近くのお店の前に立ち止まる、このお店はホテルにも近く、社長の息子が店長を務めているが、若い割には結構アイデアマンだと思う。
「あたしと同い年ですか?」
真菜は驚いた表情で太一の顔を見上げる。
「あぁ、お店の社長の息子だよ、でもどこかのお店のドラ息子とは違って凄いやり手だ、それにお店の雰囲気もアットホームでいい雰囲気だよ」
太一はそう言いながら微笑む。
「太一課長がそこまで言うのは珍しいですねぇ、他に理由があるんじゃないですか?」
真菜は意地の悪い顔をして太一の事を見る。
「そんなやましい理由は無いよ……多分」
太一の視線がちょっと泳ぐ。
「今課長視線をそらしましたね? 何かあるんじゃないですか?」
真菜はさらに太一の顔を覗き込む。
「無いって!」
「本当にですか?」
「本当だ!」
「なんだか必死みたいですけれど」
いかん、完全に真菜ちゃんのペースになっているかも……。
「そんなことはない、とにかく……さぁ、行こうか?」
太一は話題をはぐらかすように真菜の顔から視線をはずすが、その真菜は怪訝な表情を浮かべていた。
「あぁ、太一さんこんにちは!」
店の前で話しているとお店からいきなり声をかけられる。
「やぁ、穂波ちゃんこんにちは、店長いるかい?」
太一はその声の主に向かって微笑む、その視線の先にはお店のユニフォームなのか店の名前の入ったエプロンをしたポニーテールの女の子がニッコリと微笑んで立っている。
「ハイ、今奥にいますけれど……そちらは?」
穂波は小首をかしげながら真菜の顔を覗き込む。
「あっ、はじめまして、私とらべるわーくすの新人営業で吉村真菜と言います、よろしくお願いします」
緊張の面持ちで真菜は頭を下げる。
「新人さんですか、はじめまして、有川商店の従業員です有川穂波です」
穂波はにっこりと微笑みながら真菜の事を見る。
=お客さん mana=
「先輩、太一さんがお見えですけれど」
先輩? 今この人先輩って言っていたけれど……。
真菜は首をかしげながらポニーテールのその女性、穂波を見る。
「ん? あぁ、太一さん、お元気そうで」
店の奥で怒ったような顔をしている男性が太一の顔を見ながら笑顔を向ける……が、やっぱり怒ったような顔かも。
「やぁ、勇斗さん毎度……相変わらずですね?」
太一はそう言いながら勇斗を見る。
「ヘヘ、相変わらず暇そうって言う事ですか?」
勇斗と呼ばれたその男性は皮肉ったような顔で太一の事を見る。
「……ご名答、相変わらずこの時間はダメ?」
太一はそう言いながら店内を見渡す。その店内は確かに客の陰は少なく、ちょっとのんびりした雰囲気が流れている。
「ウン、ダメだね……なんとかこの時間にもお客さんを呼びたいけど、ちょうど谷間になるみたい……それにしても今日はどうしたの? いきなり来るなんて珍しいじゃない」
勇斗は意地悪く太一の顔を見ながらそういう。
「ヘヘ、ちょっと息抜きにね? 紹介するよ、この人がこのお店『有川商店』の店長の有川勇斗さん、確か今年大学を卒業したんだったよね?」
太一がそう言い真菜に勇斗を紹介すると勇斗は立ち上がって真菜に手を差し出す。
「新人さんかぁ、はじめまして、有川勇斗です」
ニッコリと微笑む勇斗に真菜も微笑みながら勇斗の手を取る。
「はじめまして、新人営業の吉村真菜です、よろしくお願いいたします」
その手は暖かく、怖い顔をしている割には優しい人なんだと真菜は直感的に思う。
「フーン、真菜ちゃんかぁ、じゃあ暁子さんと一緒の課なんだね」
勇斗はそう言いながら太一の顔を見る。
「あぁ、うちの三課は女性が強いからね、立場が弱いんだよ、俺みたいなのは……」
太一はそう言いながら苦笑いを浮かべる。
「はは、苦労しているみたいだね、太一さんも……でも、暁子さんほど優秀な営業もそうはいないんじゃないかい? 彼女のおかげでうちも助かっている面もあるし」
勇斗はそう言いながら店の奥にある休憩所に案内する。
「まぁね、でも彼女も優秀な営業だよ」
太一はそう言いながら真菜に肩をぽんとたたく。
やだ、太一課長優秀だなんていわれると照れるじゃないですかぁ。
真菜は太一の横で頬を染める。
「へぇ、太一さんがそこまで言うなんて珍しいねぇ、じゃああの話も受けるの?」
あの話?
勇斗のその一言が真菜の頭に疑問符を浮かべさせる。
「いや、まだ熟考中……そう簡単にはね?」
太一課長の様子も少し違う……なんだろう。
「真菜ちゃんって言ったね、ごめんね、ここ自宅のダイニング兼用で散らかっているけれど」
勇斗はそう言いながらソファーに置いてあった荷物を片付ける。
「いえ、お気になさらないでください」
確かにそうかも、商談スペースとか休憩所というよりは、普通の家のダイニングに招待されたような感覚でちょっとアットホームな感じになる。
「あっ、ごめんなさい勇斗さん」
キッチンからセミロングの髪の毛に、さっき穂波がつけていたものと同じエプロンをした女性が慌てた様子で勇斗を手伝いはじめる。
「アハハ、気にしなくていいよ一葉さん、俺だっていきなりお邪魔したんだし」
太一はそう言いながらその女性に声をかける。
「でも、一応お客さんでしょ? 太一さんだって……あら? そちらの可愛い女性は、太一さんの彼女かな?」
彼女だなんて……照れるわね。
意地の悪い顔を一葉は太一に向けると、当の太一も照れたように頬を掻く。
「はは、ばれた?」
太一がそういうと一葉のそれまでの意地の悪いものから顔色が一変する。
ちょっと、太一課長?
「……でも、まさかですよね」
一葉はくすっと微笑みながらキッチンに姿を消す。
「まったく信用していないようだな……」
太一は苦笑いを浮かべるものの、真菜は動揺した表情でいる。
「太一さん、それには無理があるよ」
勇斗は二人に席を勧めながらソファーに座る。
「はは……そう真っ向から否定しなくってもいいじゃないか」
太一は苦笑いのまま勇斗を見る。
そうよ、少しはそう見てくれてもいいじゃないって、なに考えているんだろうあたし。
真菜はひとりで顔を赤くしてうつむく。
「ハハ、太一さんと年が離れすぎているよ真菜ちゃんは、それに太一さんにはもったいないよ、彼女は」
勇斗はそう言いながら太一の顔を見る。
「えらい言われようだな……」
太一は苦笑いを浮かべながら勇斗の事を睨みつけている。
「今の女性が有川さんの奥さんですか?」
真菜は話題をはぐらかすように勇斗に向かって微笑みながらそういうと、勇斗は顔を真っ赤にしているし太一は楽しそうに笑い出す。
「違います!」
いつの間にか三人の横には穂波が立っており鬼のような形相で三人を見つめている。
迫力あるかも……。
真菜はきょとんとした顔で穂波の顔を見る。
「はは、彼女は三好一葉さん、このお店の店員さんだよ、でもここに住んでいるんでしょ? どうなんだよ勇斗君、穂波ちゃんなのかい? やっぱり」
太一は意地の悪い顔をして穂波と勇斗を見る、その視線の先では真っ赤になった穂波の顔と、動揺しきっている勇斗の顔があった。
「どうなんだって……どうなんでしょう」
はっきりしない言い方をするものの、女のあたしの感でいくと穂波さんが本命なのかしら?
「そうです……そんな……」
穂波は顔から湯気が出ているのではないかというぐらいに赤い顔をしている。
「じゃあ、これからもよろしくね? 真菜ちゃん」
勇斗と穂波、一葉が店の前まで出てきて見送ってくれる。
「ハイ、こちらこそよろしくお願いいたします」
真菜はペコリと頭をさげる。
「本当にアットホームなお店ですね?」
しばらく歩きながら真菜はため息をつきながら太一の顔を見る。
いきなり担当があたしに代わるなんて太一課長が言うから驚いちゃったわよ、そんな話聞いていなかったし。
「このお店なら大丈夫、気を使う必要はないよ、社長も良い人だし、まぁちょっとせこいところあるけれど……でも、実質は勇斗さんが仕切っているからね」
太一はそう言いながらどんどんと函館朝市に足を向ける。
「次はどこに行くんですか?」
太一の後ろを歩きながら真菜は太一の顔を見上げる。
「知合いの所……一応お客さんなのかな?」
太一はそう言いながら一軒のお店を見上げる。
「ここ……ですか?」
真菜が一緒に見上げると、そこにかかっている看板は、
「茜木鮮魚店? て、魚屋さんじゃないですか?」
たぶん百人の人に尋ねれば恐らく九十八人はこのお店をお魚屋さんと答えると思うよ、店の前には威勢のいい若女将が威勢のいい声を上げているし……。
「いらっしゃい、いらっしゃい! 今日はイカの良いのが入っているよ、今日の夕飯にいかがですかぁ!」
ちょっと親父ギャグも入っている?
「あっちゃん、こんちは」
太一は当たり前のような顔をしてそのお店で声を上げている女将に声をかける。
「アァ~、太一さん、いらっしゃい! 今日はイカのいいのが入っているよ、どう?」
大分馴染みのようにその女将は太一に声をかける。
「はは、今日は買い物じゃないんだ、仕事で近くに来たから、今日は新人さんを連れてきたんだ、真菜ちゃん紹介するよ、彼女は茜木温子さん、このお店の若女将さん」
太一が真菜の肩をぽんとたたく、これが合図になり真菜はペコリと頭を下げる。
「はじめまして新人営業の吉村真菜です、よろしくお願いします」
「アハ、新人さんかぁ、はじめまして茜木温子です、よろしくね」
可愛らしい人ね? お魚屋さんの女将さんって言う感じではないけれど。
「彼女はね、こう見えてももう奥さんなんだよ、旦那はどうしたの?」
太一は辺りを見回す、そこは雑然としており、いたるところで威勢のいい声が上がり、潮の香りというよりも、魚臭い朝市独特の雰囲気を持っている。
「うん、今源さんと一緒に配達に行っているの、それにしても太一さんも珍しいね? ここに来るなんて、前もって言ってくれれば旦那にも待っていてもらったのに」
温子はそう言いながら太一の顔を見るがその頬はちょっと赤らんでいた。
「真菜ちゃんを紹介しようと思ってね、真菜ちゃん、このお店はご覧の通り魚屋さんなんだけれど、ちょっとしたことで女将と出会ってね、意気投合してうちの商品を置いてもらっているんだ、ほらあそこに置いてある」
太一の視線の先には干したイカと一緒にTシャツがはためいている。
「あれが?」
真菜の顔に困ったような笑顔が浮ぶ。
「そうだ、個人的にはヒット作なんだけれど受け入れてくれるお店が少なくってね……どうかな売れているかな?」
首をかしげながら太一はそのはためいているTシャツを眺める。
「う~んあんまり売れていないかも……週に一枚売れればいいほうかな?」
温子も苦笑いを浮かべながらそのシャツを見る。
「そうか、好きなんだけれどなぁ、あのTシャツ」
ハハ、ちょっとあれは……あたし好みではないかも……。
真菜もそれを見る、そのTシャツに描かれているのは海の波とイカの絵が描かれ、力強く書かれた文字は、イカ最高!
「いいと思うけれどなぁ……イカ最高」
太一と温子は声をそろえるようにそう呟く。
二人のセンスって一体……。
「アハ……アハハ……」
二人を眺めながら真菜はただ苦笑いを浮かべるだけだった。