coffeeの香り

第十一話 夏休み




=疑念 akiko=

「毎度有難うございます、とらべるわーくす吉村がお受けいたします」

 事業部内の電話は鳴り止む事を忘れたかのように鳴り続ける。

 シーズンに入ったからにしてもこの本数は凄い量よね? さすがに声がかれそうよ。

 午後のまどろみを無視するかのように電話の攻勢がかけられており、そして暁子の目の前にある電話も多分にもれずに着信を告げるランプを赤色に点滅させる。

「ハイ、毎度有難うございます、とらべるわーくす茅島がお受けいたします」

 営業用のボイス、今日も明るく出ているわね? 我ながら感心するわ。

 心の中で舌をペロッと出しながら暁子はニッコリと微笑みながら電話の応対を始める。

「あのぉ〜、真島太一さんはいらっしゃいますでしょうか……」

 電話の向こうから聞こえてきたのは予想をしていなかった若い女性の声、いや、女の子の声が聞こえてくる。

「真島……ですか?」

 暁子は確認するように復唱する。

 今確かにこの女の子は太一の名前を言ったわよね? 誰なのかしら……どう聞いても十代の女の子の声なんだけれども……。

 暁子は首をかしげながら忙しそうに書類とパソコンを見比べている太一の顔を見る。

「ハイ、真島太一です」

 ちょっとおどおどしたようなその声は確かに太一の名前を言っている。

「……少しお待ちください」

 怪訝な顔で暁子は電話の保留ボタンを押す。

「太一、三番にお電話……女の子」

 暁子の顔は怪訝なまま太一を見ると、太一はわけわからんといわんばかりに首をかしげ受話器をとる。

「ハイ、真島ですが……エッ?」

 太一は話し出しだすと顔色が変わる。それを暁子は見逃さなかった。

 一体誰なのかしら、あの様子は太一の知っている女の子みたいだけれど……それにしては歳が離れているんじゃないのかしら……まさか。

 暁子は自分の出した答えに首を振りその疑惑を払拭する。

「何だ……会社に電話してくるなよ……他に人だっているんだから」

 電話口では太一がコソッとそんなことを言っているようだ。

「携帯にしろよ……俺にだって面子って言うのがあってだな……」

 相変わらずコソコソと話をしている、その様子を暁子は知らん顔をしながらも耳はしっかりとその会話を聞いている。

 何やっているんだろうあたし、まるで盗み聞きしているみたいかも……。

 暁子はそんな自分に苦笑いを浮かべるがやはり気になって仕方が無いようで、ちらちらと太一の事を見ている。

「エェ〜、なんだって、ちょっと待て……エッ、合鍵って、お前!」

 太一の声が大きくなると周囲で気にしていなかった真菜やみゆきが顔をあげ太一の事を見る。

「そりゃお前……わかった」

 今太一合鍵がどうのって言っていなかったかしら……合鍵ってもしかしてアパートのやつ、確か相手は若い女の子だったはず、そんな子を部屋に招きいれるの?

 暁子の頬が思いっきり膨れ上がる。



=噂? mana=

「さっき太一課長なんだかすごい声を上げていたけれど一体なんだったんだろうね?」

 昼時、お弁当を買いにエレベーターまで行くとちょうど一緒になった哀が真菜にコソッと声をかけてくる。

「ウン……良くわからない、あの後太一課長は普段どおりだったし、特に変わったところなかったから、暁子係長も気にしなくていいといっていたし」

 でも暁子係長の笑顔がちょっと引きつっていたような気がした。

「そうかぁ……太一課長があそこまで取り乱すのなんて珍しいから、ちょっと気になったんだ」

 それはあたしだってそうだよ、太一課長は何があっても結構ひょうひょうとしているからあたしにも図れないところあるし……。

「あら? あなた達も食事なの?」

 真菜が苦笑いを浮かべながらエレベーターを降りるとちょうど弥生が悩んだような表情で立っている。

「弥生もお昼? 総務も大変よね?」

 時間は一時を過ぎた所、お昼時は電話が増え、なかなか食事を取りにいけないのはどの部門も同じ。

「ウン、今日はお昼電話当番だったから……、二人はどうするの? お弁当買いに行くの?」

 助けを請うように弥生は二人の顔を見る。

女の子一人で食べに行くのもちょっと抵抗あるし、お弁当にしようと思っていたけれど、哀と弥生がいるのならどこかに食べに行ってもいいかもしれないわね?

「どうしようか、この時間お弁当ってなかなか残っていないのよね」

 哀は諦めたような顔で近くにあるコンビニを見つめる。

 確かにそうかもしれないわね? この時間に残っているお弁当はちょっとカロリー高めのものが多いかもしれないし、ちょっと最近体重計に乗るのが怖いかも……。

「もし良かったら一緒に食べに行かない?」

 弥生はホッとしたような表情で二人に提案する。

「そうね、だったら……」

 哀はその意見を聞き入れ近くにあるお店を案内する。



「弥生はどう? 総務ってあまり面白みが無いんじゃない?」

 オーダーを済ませ三人はお冷代わりの麦茶を口にする。

「ウ〜ン、確かにそうかもしれないけれど、でも本社の人と電話で話が出来て面白いよ、本社での噂話なんていうのも聞くし……」

 その一言に哀の目がきらりと光る。

「噂? どんな噂よぉ、ちょっと教えて」

 ちょっと哀ちゃんあまりいい趣味じゃないわよ?

 真菜はそう思いつつも弥生の言葉に耳をすませる。

「ウ〜ン、たとえば、結婚話とか」

「結婚話? 誰が? 誰と?」

 哀は身を乗り出すように弥生に詰め寄る。

「……哀ちゃん、別に函館事業部の人じゃないわよ……函館事業所での噂話は以前に聞いた片山課長と真島課長が付き合っていたと言う事ぐらいかしら……後、その噂に色々とフィクションがついて回っているみたいよ」

 その一言に今度は真菜が身を乗り出す。

「フィクション? 一体どういう?」

 哀と真菜の二人から詰め寄られている弥生は苦笑いを浮かべる。

「ちょっと、本当に噂だけよ? 変に騒ぎ立てないでね、うちの君塚課長にも言われているんだから……変な噂になると困るって」

 困ったような表情を浮かべながら二人を手招きして三人は頭をつき合わせるようにすると弥生はコソッと口を開く。

「実は二人の間に子供がいるって言う噂が本社では流れているの……それで真島課長は函館に飛ばされたと言う噂が」

 はぁ?

 真菜の頭に大きなクエスチョンマークが浮かび上がる。

「ちょっと、それホント?」

 哀は今にも泣き出しそうな顔をして弥生を見つめる。

「だからぁ、噂だって、そんな事無いでしょ? この間片山課長だってそんな事言っていなかったし……そんな事があったら大スキャンダルよ」

弥生は大げさに両手を挙げてそれを否定する。

「そう、それは噂だけね……」

 真菜が冷静にそういうと二人の視線が真菜に向けられる。

「何で言いきれるのよ!」

 哀は噛み付かんばかりに真菜の顔を見る。

「だって、子供がいれば太一課長の家にいるはずでしょ? 少なくってもそんな雰囲気太一課長の家には無かったもん」

 ふと、この間の保険証の違和感が頭に引っかかる。

「そうかも……でも片山課長の家にいるとか……」

 哀は疑惑を一つ一つ消すように疑問を口にする。

「それも無いでしょ? よく電話するけれど、片山課長も独身だって言っていたし、残業もしているみたいだからそれは無いでしょ」

 弥生のその一言で哀はちょっと落ち着いたのかホッと胸をなでおろす。

 でも、あの保険証にちょっと女の香りを感じたけれど。

「だけど……あくまでも噂よね? 噂」

 真菜はそれをみんなに言いながらも自分に言い聞かせているようだった。



=来客は…… akiko

「帰るよ?」

 太一は上着を羽織ながら暁子に声をかけてくる。

「うん、あたしの方はもう少しだから……来週まで持ち越したくないし、休み前に片付けておきたいから……大丈夫、そんなにかからないよ」

 そう、明日はお休み、久しぶりにショッピングでもしようかななんて思っている、だから仕事を持ち越したくないのよね?

 暁子はニッコリと微笑みながら太一を見上げる。

「そうか……無理するなよ? もしなんだったら休み明けに手伝うから、早く帰れよ」

 太一はそう言いながら暁子の肩をぽんとたたく。

 肩をぽんとたたくのは太一の癖、励ましたりするときによくたたいてくる、いやなおじさんだったらすぐにセクハラになるのだけれど、太一がやると嫌味がなく、むしろ落ち着く感覚がある、ただ誰にでもやるというのはどうかなとも思うけれど……。

「うん、大丈夫だよ、お疲れ様」

 暁子はそう言いながら太一を見送る。

「あぁ、お疲れさん」

 太一はそう言いながら手をあげ部屋を出てゆく。

「さて、後はこれを整理すればいいだけだから……」

 暁子は書類をまとめているとその中にはさっきのメモ。

「……誰なんだろう……まさか援交とか……」

 暁子はさっき頭に浮んだ疑惑を口にする。

 そんなわけないじゃない、あの太一に限って援交だなんてありえない、でも、さっきの口調は少なくっても部屋で待っていろみたいな口ぶりだったし……って、なんであたしがそんなことを気にしなければいけないのよ。

 暁子は手をばたつかせながら考えを変えようとするものの、仕事が手につかなくなってしまったのは事実。

「……そういえば、あのお店の件で太一に聞きたかった事があったんだ」

 暁子はそう言いながら席を立つ。



「何やっているんだろうな、あたし……」

 太一のアパートに到着した暁子はそのたたずまいを眺めながらつぶやく。

 なんであたしが心配しなければいけないのかしら……ウウン、上司がそんないけないことをしていたら困るし、それを未然に防がなければいけないし……ってホント何やっているんだろうな、あたし。

 暁子はため息をつきその部屋を見上げる、その部屋からは明かりがこぼれ先行した太一がいることは容易に想像がつく。

 太一がどうしようとプライベートな時間なんだからあたしには関係ないけれど……。

「でも……」

 暁子は意を決したようにその部屋の呼び鈴を押す。

「……」

 なかなか応答がない、電気はついているからいることは間違いないんだけれど。

 暁子は再度呼び鈴を押そうとボタンに指を伸ばす。

「ハァ〜イ、ちょっと待ってくださいねぇ」

「!!!」

 部屋から聞こえてきたのは予想外の声、いやちょっとは予想していた事だが、それを現実として受け止めると唖然とする。

 この声は、さっきの電話の女の子の声?

 ガチャガチャ……。

 鍵が開けられる気配がして、扉が細く開かれる。

「どちらさまですか?」

 ちょっと緊張したような台詞とふわっとシャンプーの香りが香ってくる。

「えぇっと……えぇっ!」

 暁子も緊張した面持ちでその扉の隙間から部屋の中を眺めみると、そこにはバスタオルを巻いただけの格好をした女性、いや、女の子であろう、が怪訝な顔で暁子を見る。

 ちょっと、なに? なにがこの部屋の中で繰り広げられているの?

 暁子は自分の想像に顔を真っ赤にしてうつむく。

「……あのぉ……どなた様でしょうか……」

 女の子は再度暁子の顔を見て首をかしげる。その様子は、まさに女の子といった感じだった、恐らく高校生ぐらいであろうが、その行為に何も悪びれた雰囲気は無い。

 太一って、ひょっとしてロリだったの?

 暁子はそんな自分の予想に徐々に怒りが込み上げてくる。

「暁子!?」

 背後からはさっき会社で分かれたばかりの人の声が聞こえてくる。

「太一?」

 振り向くとそこにはコンビニ袋を下げた太一がきょとんとした顔で暁子を見ている、そのコンビニ袋の中には恐らくやきとり弁当であろう弁当が二つ入っているようだ。

「なんで暁子が……」

 太一は唖然としたような顔をして暁子のことを見るが、その暁子の背後の扉が開いているのを見て顔色を変化させる。

「太一……」

 暁子の目が徐々につりあがってゆく。

 信じたくない、まさか太一がそんなことをしているだなんて、信じたくない!

 つりあがった目にはうっすらと涙が浮ぶ。

「ちょっ、ちょっと暁子、なんだか凄い誤解をしていないか? 言っておくけれども俺にはやましい事なんて何一つとしてないから」

 太一はそう言いながら暁子の顔を見る、しかし暁子は信じられないという言葉が出てくるだけで他の言葉は耳に入らなくなっている。

やましい事をこれからするつもりだったんじゃないの? 二人でお弁当を食べて、あんな事やこんな事……あぁ〜! ヤラシイ。

「太一なんて……不潔だわ……」

 暁子の手が太一の頬に向けられるその瞬間に背後の女の子から声が上がる。

「太一君? あぁ〜、お帰りぃ」

 女の子は暁子を押しのけるようにして太一に抱きつく、バスタオルを巻いただけの格好で。

「うぁぁ〜、泉美お前なんていう格好をしているんだ」

 太一は驚きのあまりに声を裏返す。

「だぁって、お風呂に入っていたらピンポンが鳴って、太一君だと思って出たら、このお姉さんだったんだもん」

 泉美と呼ばれたその女の子は頬を膨らませながら太一の顔を見上げる。

「それ以前に玄関先に立つのなら何か着て出ろよ、暁子だったからよかったものの、変なおじさんとかだったらどうするんだ?」

 太一はそう言いながら周囲からその格好を隠そうとする。

「だって、太一君だと思ったんだもん」

 ふくれっ面をしながら太一を見るその少女の目には涙さえ浮んでいるようにも見える。

 ちょっと幼いようにも見えるかもしれない。

「わかったよ、でもいくら夏だからといってその格好じゃあ風邪をひくぞ、早いところお風呂に入ってきなさい」

 太一はそう言いながら泉美の身体を反転させ、背中を押す。

「はぁ〜い」

 泉美は渋々といった様子で部屋の中に消えていく。

「……とりあえず上がって行くか? 何もないけれど……ちょっと暁子には説明しなければいけないな」

 太一はそう言いながらため息をつき暁子に部屋に上がるように促す。

 そうね、じっくりとお話を聞かなければいけないようね?

 暁子はコクリとうなずき、太一に続いて部屋に上がる。



「ビールでいいかな?」

 部屋の中は、以前と変りが無い、あの時真菜と暁子の二人で片付けたのだが、結局元のもくあみになってしまっており、片付ける前に景色が戻っていた。

「ウウン、別にいい、状況によっては飲んでいないほうがいいかもしれないし」

 飲んでいると彼になにをするかわからないかも……。

 ソファーに座りながら暁子は無意識に指を鳴らしている、その様子を太一は苦笑いを浮かべながら暁子の正面に腰掛ける。

「……」

 太一は宙を見ながら必死に言葉を捜しているようだ。

 そんなに考えなければいけないことなの? 簡単に言える間柄じゃないの、彼女は?

「……太一」

 つぶやく暁子の言葉に太一は意を決したように口を開く。

「……暁子、実は泉美は……」

「太一君、お風呂出たよ!」

 その瞬間にお風呂から元気よく泉美が飛び出し太一の背中に抱きつく、その様子を見て暁子の目が再びつりあがる。

「泉美、お客さんの前だろ、そんなことをしないの」

 なんだか太一の様子が今までのものと違うような気がする。

「ごめんなさい、久しぶりに太一君に会えて嬉しくって、お姉さんごめんなさい」

 泉美はそう言いながら暁子に頭を下げる。

 あら? 結構礼儀正しい子ね、いまどきの子にしては珍しいかも……。

「……泉美、お姉さんに自己紹介しなさい」

 太一にそういわれると泉美はパジャマの裾を正すようにしてコホンと咳払いする。

「はじめまして、真島泉美(まじまいずみ)です!」

 ピョコンと言った擬音が聞こえてきそうに元気よく泉美は暁子にお辞儀をする。

 真島泉美……太一の妹? それにしてはずいぶんと歳が離れているようだけれど、でもなんで? それだったら簡単に言ってくれればいいじゃないのよ、なんであんなに言いにくそうにしていたのかしら。

 暁子はちょっと疑問を持ちながらも、ほっとしたのか安どの表情を浮かべながら泉美をよく見る、その容姿は可愛らしいパジャマを着ているものの、その体格から見て恐らく高校生ぐらいであろうか。

「こちらこそはじめまして、茅島暁子です」

 暁子もそう言いながらペコリと頭を下げる。

「エヘ、暁子さんは太一君の恋人さんですか?」

 顔が一気に赤くなる。

「ば、ばか言っているな……はは、わりぃ、まだ子供だからさ」

 子供なんて失礼な言い方よね、ほら泉美ちゃんも怒った顔をしている。

「もぉ、太一君ったらデリカシーがないわね、こう見えても来年は中学生なんだよ、もう大人だよぉ、いつまでも子供扱いしないで」

 ちょっと待って……頭の中に今ものすごい衝撃が走ったんだけれど、今この娘来年中学っていったわよね? ということは、ひょっとしてまだ小学生なの?

 暁子は素直に驚いた顔をし、そして無遠慮に泉美の事を見る。その姿はどう見ても高校生ぐらいに見えるボディー、確かにまだ膨らみきっていないようにも見えるけれど、すらっと長い足は十分悩殺できるのではないかと思う、それに長い髪の毛は天然パーマなのか毛先で軽くウェーブがかかっている髪、しかしよく見ればやはり年齢を象徴するかのように艶やかだ。

「泉美……」

 太一は諦めきったような表情で彼女の事を見ているが、その表情は今までに暁子の見た事の無いような優しい表情だった。

 でも、ちょっと年齢差があり過ぎない? 妹にしてみてもこの差には無理がありすぎないかしら……もしかして……。

 暁子の頭には再度さっきの疑惑が頭を持ち上げる。

「さて、泉美、ちょっと暁子と……お姉さんとお話があるから席を外しなさい」

 太一はそう言い泉美を見る、その顔は普段見た事のないような表情だった。

「ハイ……お話が終わったら呼んでね? お姉ちゃん」

 泉美はそんな太一の顔を見ながら寂しそうに部屋を出て行く。子供なりにいつもと違う雰囲気を感じ取ったのであろう、やけに素直だった。

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