coffeeの香り

第十二話 太一……




=太一の過去 akiko=

「……正直に話すよ、会社の一部の人間しか知らないんだけれどね」

 太一は真剣な顔で暁子の顔を見つめる、その表情に暁子は思わず息を呑む。

「……泉美はね、俺の実の娘なんだ」

 暁子の頭は一瞬真っ白になりめまいを感じる。

 今太一はなんていった? 娘? 泉美ちゃんが? それで年の差については説明がつくけれど、娘がいると言う事は母親がいると言う事、太一は結婚していたの?

「……俺が三年前にこっちに来た理由はそこにあるんだ」

 太一は自嘲した顔でタバコに火をつけ、泉美の消えた部屋を眺める。

「会社からすれば泉美は俺の隠し子みたいなものなんだ、一部の人間は俺の事を弁護してくれたが、しかし会社組織としてはやっぱり認めるわけにはいかないということだろう」

 大きくタバコの煙を吸い込む太一の表情はいつものような明るさが無い、むしろちょっと沈んだ顔、何で?

「泉美の母親は俺の高校時代の同級生でね、ちょうど高校を卒業する頃に泉美を生んだんだ」

 淡々と話し続ける太一その表情はやはり自嘲気味で、暁子にはその顔を見ていることが苦痛になってくる。

「……高校時代のって……恋人?」

 暁子はうつむきながらそう呟く。

「そうだったな……お互い真剣だったと思うよ、でも、周囲はそうは見ていなかったみたいだ、子供が生まれた途端赤ちゃんを抱いて彼女の親が来たよ」

 太一はタバコを灰皿に押し付けながらそのときを思い出すように宙を見上げる。

「その親は彼女を連れてこないで『子供の親権はお宅にゆだねる、こんなことがあったことは内密にしてくれ』と一気に言い放って帰っていったよ、それから俺の前に彼女は姿を現さなかった、聞いた話によると彼女はいい所のお嬢さんだったらしく、それが公になることを嫌ったみたいだな、それで終わり……俺のところには泉美が残っただけだった」

 太一はそう言いながら暁子の顔を見る。

 ちょっと、なんでそんなヘビーな過去を持っているのよ。

 暁子の目が潤む、自分でもよくわからない、ただ、太一に同情しているわけではないと自分では思う。

「そうなんだ……」

 暁子はそういうのが精一杯だった。

 そう、少なくってもあたしより先に太一を好きになった人がいる、しかも、太一との結晶をその人が生んだ……あたしより先? なに言っているの? あたしの気持ちって……。

「あぁ、戸籍も何も俺の子供としてずっと育てたよ、まぁ、大学のときはお袋や姉貴に大分手伝ってもらったけれどね、だから社会人になって育てようとしたけれど、会社にばれて函館に単身赴任というわけさ、今は姉貴のところに暮らしているよ」

 太一はそう言いながら再びタバコに火をつける。きっと自分を落ち着かせようとしているに違いない。

「でも、何で……」

 何で太一は自分で苦労をすることがわかっていて彼女を引き取ったのだろう、話によれば相手の女性は裕福なのだからそっちに引き取ってもらった方が泉美ちゃんにもよかったのかもしれない。

「ハハ、センチだったのかも知れないな、親には反対されたよ、一時はうちの親が引き取るとも言っていたけれど無理言って俺の籍に入れたよ」

 太一は自嘲気味に微笑む、その微笑には影があり、ちょっと暁子の心を揺さぶる。

「だからって、何も……」

 何もなに? 太一が苦労する事なかったの? 太一はもしかしたら子供を育てると言う事が泉美ちゃんに対する償いと思っていたんじゃないのかしら、それで大学時代はバイト三昧だったのかも。以前太一と話したときに太一は笑いながら『大学時代はバイト三昧で何でも出来る』と豪語していた、その時はあたし単に自分の生活のためと思っていたけれど、実は泉美ちゃんのためだったのね?

「そうだよな、何も俺が苦労することはなかったのかもしれない、でも、泉美という現実が俺の前にあった、だから一生懸命だったよ、おかげで大学時代は色々な仕事をしたし満足もしているよ……ハハ、様々な仕事のスキルは上がったよ」

 太一はそう言いながら微笑む、その笑顔は男の太一を感じさせない、父親の顔だった。

「……ただ単にだらしの無い男なんだよ、俺は……」

 太一は吐き捨てるようにそういう。

 ……そんな事無い、太一は一生懸命に頑張っていると思う、あなたの悪い癖、なんでも自分で背負い込んでしまう所、それを評価しない周り……。

「……大丈夫……太一は頑張っているよ、近くにいるあたしが言うんだから間違いない、あなたは頑張っている……泉美ちゃんのためにね?」

 暁子は席を立ち、太一の握り締めている手をそっと取る。

「だから、あたしに出来る事を言って、あたし太一のために頑張りたい……きっとあたしは、あなたの事が……」

 なに言っているの? あたしこれからすごい事を言おうとしている、でもそれはあたしの正直な気持ち。

「……暁子?」

 間近に太一の顔がある、そうあたしのこの人に対する気持ちは、憧れでも、尊敬でもない、この気持ちは……。

「太一のことが……」

 二人の顔が近づく。

「ねぇ、お話終わったぁ?」

 勢いよく開くふすまに二人は不自然なほどに距離を置いていた。

「ん?」

 そのふすまでは泉美がキョトンとした顔をして二人を見つめている。

「アッ、アァ、終わったよ……な、暁子」

 太一は顔を真っ赤にして暁子を見る。

「ウ、ウン、ゴメンね泉美ちゃん」

 そういう暁子は苦笑いを浮かべているがやはり真っ赤な顔をしていた。

「?」

 泉美はその場で立ち尽くしながら、二人を見つめている。

「……ひょっとしてお邪魔しちゃった? あたし」

 へんな所ですれているわね、この娘。



=買い物? akiko=

「さて、暁子はどうしたんだ? こんな時間にわざわざ来るなんて」

 太一は着替えを終え、再びダイニングに姿を現す。

「ウッ、ウン……ちょっと仕事の事で」

 本当は嘘、泉美ちゃんのことが気になったから来ただけ、なんて口に出せるわけがないよね? と言っても今更なのかな?

 暁子はカバンから一枚の書類を取り出し太一の目の前に置く。

「このお店なんだけれど……」

 太一の表情がそれまでののんびりした表情から仕事の顔に変わる。

「フム、あまり気にする程ではないと思うけれども……気になるのなら休み明けにでもアポイントとってちょとお邪魔してみようか、暁子と一緒に」

 太一は書類を見ながらそう言い、暁子の顔を見る。

「ウン、そうしてくれると有難いわ、ちょっと気になっていたから……」

 暁子はホッとした表情を浮かべながら太一の顔を見る。

「休みあけって、太一君明日休みなの?」

 黙っていた泉美が太一の腕に抱きつく。

 だからぁ、何でいちいち抱きつくかなぁ。

 暁子は頬をプクッと膨らませる。

「アァ、休みだ、休みだからゆっくりと休ませてもらうよ……」

 嫌な予感がしたのか太一は苦笑いを浮かべながら泉美に言い聞かせるように言う。

「ぶぅ、久しぶりに来たんだからどこかに連れて行ってよ」

 やっぱり、そんな顔をして太一はうなだれる。

「……休ませてくれよぉ、最近忙しくって、ゆっくり休んでいないんだよ」

 なんだかちょっとかわいそうに思えるかも、先週の休みも仕事に出ていたみたいだし……。

「エェ〜、行こうよ、そうだ、お姉ちゃんも一緒にさぁ、親子三人みたいでいいじゃないのよ、ねぇ、お姉ちゃんも一緒にいこ」

 泉美は嬉しそうな顔で暁子の顔を見つめる。

 目がキラキラして拒む事が出来ないじゃないのよ。

 暁子の顔はちょっと照れくさそうに太一を見ると、太一も照れたような表情を浮かべている。

「だから、暁子だってやっとの休みなんだ、ゆっくりさせてあげないと……分かった、俺が付き合ってやるからそれで勘弁してくれ」

 太一は土下座をするような勢いで泉美に言うと泉美の笑顔が膨れ上がらない……むしろ頬を膨らませているようにも見える。

「エェ〜、暁子お姉ちゃんと一緒がいいなぁ、太一君洋服見るといつもつまらなそうに『アァ』って言うだけなんだもん、張り合いが無いのよねぇ」

 ウフ、それはね、どんな男の人と行っても同じよ、泉美ちゃん……、洋服を見るのならあたしの明日の休みの行動と一致するかも……。

 暁子が微笑むと泉美はその表情に顔をほころばせる。

「お姉ちゃん、一緒に行こうよ! ね?」

 泉美が今度は暁子に抱きつく。

 ちょっと、泉美ちゃん……アハ、ホント可愛いなぁ。

「ウン! 明日はいっぱい太一にねだっちゃおうか? 二人で!」

 そう言いながら暁子と泉美は太一の顔を見る。

「……ちょっと、勘弁してくれよぉ、給料日前だぜぇ」

 太一はウンザリしたような表情でうなだれるが、そこはやっぱり同性同士、息がすぐに合う。

「ウフ、明日は太一になに買ってもらおうかなぁ」

 意地悪そうな顔で暁子が言う。

「あたしもぉ、太一君、新しい水着買ってぇ」

 泉美はそう言いながら太一の腕にしがみつく、その腕の持ち主は力なくうなだれながら軽く暁子を睨む。

 あたしのせいじゃないわよぉ……ちょっと期待しているけれど。

 暁子はちょっとウキウキしている自分をその場では気がついていなかった。



=デート? taichi=

「太一くぅ〜ん、朝だよぉ〜」

 これは夢だ……この部屋にこんな甘ったるい声を出す人物がいるわけ無い。

「おきてぇ〜、起きないと襲っちゃうぞぉ〜」

 ……夢にしてはやけにリアルな夢だなぁ……そう言えば。

 モソモソとベッドに人が入ってくるような気配と共に、温かい吐息が太一の首筋にかかる。

「うふぅ〜ん……太一くぅ〜ん」

 そんな呟きが太一の脳髄を刺激する。

「……なにやっているんだ、泉美」

 太一は寝返りをうち、目の前に嬉しそうな顔をしている泉美に対し真顔で太一はきり返す。

「……ぶぅ、ちょっとは慌ててよ、もしかして暁子お姉ちゃんとそんな仲だったりして」

 太一はその一言にガバッと起き上がる。

「なっ、なに言っているんだぁ!」

 ベッドの中で太一の声がむなしく響き渡る。



「太一君、何で待ち合わせなの? お迎えに行けばいいじゃないのよぉ」

 パジャマのままで泉美はトーストにかぶりつく。

「何でもかんでもないの、大人になればわかる!」

 太一はそう言いながらコーヒー用のミルに豆を入れ、ガリゴリと挽き始める。

 やっぱりコーヒーは挽きたてが一番、香りが違うよ。

 太一はまるで自身を落ち着かせるように豆を挽く。

「ぶぅ、せっかくデートの口実を作ってあげたんだから、感謝はされても恨まれる覚えは無いけれどなぁ」

 泉美はそう言いながら頬を膨らませる、しかしその顔はどこと無く楽しそうにも見える。

「デートって、ただ暁子はお前のわがままに付き合うだけだろ? なんで俺と暁子が何でデートをしなければいけないんだよ」

 ガリゴリと豆を挽く音がちょっと大きくなったように聞える。

「だって、太一君は暁子さんと付き合っているんじゃ無いの?」

 ゴリッ!

 挽いていた音がちょっと鈍い音を立てる。

「彼女はだなぁ……」

 そこまで言って太一は考える。

 暁子は一体俺にとってどんな存在なんだろう……、優秀な部下? それだけなのか……たぶん違うと思う、彼女に対する気持ちは、他の人間とはちょっと違った感情があると思う。

「彼女は?」

 泉美がちょっと意地の悪い顔をして太一の顔を覗き込む。

「……彼女だよ」

 そう、彼女はあくまでも彼女なんだ、俺がどうこう言えるような女性ではない。

「ふう〜ん……そっか」

 泉美はそう言いながら太一から視線を外し、太一の入れたミルクティーを見る。

「なんだよ」

 太一はちょっと憮然とした表情で泉美を見ながら再びコーヒーミルのハンドルを回し始める。

「ウウン、なんでもないよ……」

 泉美はそう言いながらちょっと頬を赤らめている太一の顔を見る。



「なんでぇ? 車でドライブとかしないのぉ?」

 函館港、メモリアルシップ摩周丸の舳先にある広場『ふれあいイカ広場』に泉美の声が響き渡る。

「だから、別にデートとかじゃないだろ? 今日は泉美と暁子の洋服を買うのに付き合うだけだ、どこに行く訳じゃない!」

 そう、今日は買い物の付き合いだけ、決してデートではない……たぶん。

 太一がそう言いながら泉美の顔を睨むと背後から声が聞こえてくる。

「そうよ、デートとかじゃないから……今日はお買い物に付き合ってもらうだけ」

 その声に振り向くとそこにはちょっと照れくさそうにしている暁子の姿。

「あぁ〜、暁子お姉ちゃん、可愛ぃ〜」

 泉美はその姿を見て顔をほころばせる。

「ちょっと、泉美ちゃん、可愛いなんて……恥ずかしいよぉ」

 暁子は頬を赤らめる。

「そんな事無いよねぇ、太一君? 太一君? どした?」

 太一はその姿に完全にフリーズしていた、いつものような格好を予想していた太一の予想を見事なまでに裏切った暁子のその様相は薄いピンク色のAラインワンピース、かなり太一の予想を裏切った格好だった。

「……へん、だったかなぁ……」

 暁子はそう言いながら自分の格好を再確認するようにキョロキョロと見る。

「そんな事ないよぉ、暁子お姉ちゃん可愛い、ねぇ、太一君!」

 泉美にわき腹を突っつかれ太一は思わずうなずく。

「う、ウン……可愛いかも……」

 太一のその一言で暁子の顔がボッと赤らむ。

「な、なに言っているのよ、お世辞言っても何もでないわよ? 泉美ちゃんも可愛いわね、その格好……好きなのかなピンクハウス系」

 暁子はそう言いながら泉美のその格好を見る、泉美はピンクハウスばりのフリフリの格好をしている。

「ウン、このフリフリだぁいすき、可愛いでしょ?」

 泉美はそう言いながら暁子の前でフワッとスカートをたなびかせながら一回転する。

 スカートがめくれるだろ! だめだ、そんな事をしては!

 太一の目が一瞬厳しくなる。

「ウフフ、可愛いけれど、あなたのお父さんは気にいらないみたいね?」

 暁子はそう言いながらキッとした目で泉美を見ている太一の事を見る。

「そう? 可愛いと思うけれどなぁ……」

 そう言いながら泉美は暁子の腕を取る。

「い、泉美ちゃん?」

 頬をすり寄せる泉美に暁子は困惑した表情を浮かべる。

「今日だけ……今日だけは、暁子お姉さんが、あたしのママになってくれますか?」

 泉美は嬉しそうな表情で暁子の顔を見上げる。

 泉美……。

 太一はその一言に胸をゆすぶられる。

 やっぱり辛いのかな、母親がいないって言う事は……。

「泉美ちゃん……」

 そうだ、暁子に対してそれは無いよな? わけもわからずに『ママ』と呼ばれるなんて良い気分になるわけが無い。

「泉美、暁子は……」

「わかった、今日は泉美ちゃんのママになるわよ、と言う事は太一はパパね?」

 ちょっと、暁子さん?

 暁子は恥ずかしそうに、それでもどこか嬉しそうな表情で太一を見る。

「ウン、太一く……パパ、今日はよろしくね?」

 どことなく泉美も嬉しそうに太一の腕を取る。

 ……まぁいいかな? たまには。

 太一と泉美、そして顔を赤らめたままで暁子は再び函館駅に向って歩き出す。



「さて、とりあえず洋服を見るのならここからスタートしなければね? ここは函館『棒二森屋』通称『ボーニ』って地元の人は呼んでいるの、ここはおみやげ物から色々なものを売っているのよ? ちなみにあたしはここの会員です、今日は会員優待デーだったりして」

 生き生きしているな、暁子……。

 太一の存在を忘れたかのように女二人はその佇まいに吸い込まれてゆく。

「ちょっと、まってくれよぉ」

 太一のその声も二人には聞こえないようで、どんどんと婦人服売り場に向って歩いてゆく。

「ママ、この服可愛くない?」

 泉美はそう言いながらキャミソールっぽい吊るしの服を胸に当てる。

「ウン! 泉美ちゃんに似合っているかも……これもいいかも……」

 暁子も泉美と一緒にはしゃいでいるし……俺なんていなくってもいいんじゃないのか?

 太一はため息をつきながら周囲を見渡す、そこにはきっと同士であろうお父さんっぽい男性や彼氏なのか、彼女の意見にニコニコしながらもうなずくだけの男性がいることに気がつく。

 みんな同じかぁ……。

「パパ、これなんて似合わない? 泉美ちゃんのイメージぴったりなんだけれど」

 暁子の声に反応する。

 パパねぇ……ちょといいかもしれないなぁ。

 恐らく暁子は無意識に言ったのであろう、苦笑いを浮かべる太一を見て首をかしげている。

「どれ……うん、可愛いじゃないか」

 暁子の手に持たれているのは肩に大きめなフリルがついているピンク色のキャミソール、そして泉美が腰に当てているのはやはりひらひらしている白のミニスカートだ。

「でしょ? これに……こんなニーソックスを履けばばっちりかも!」

 暁子は近くにあった縞模様のニーソックスを手にする。

「うん! 可愛いよ、ママのセンスってすっごくあたしとあっているかも」

 泉美は暁子の腕に抱きつきながら嬉しそうな顔をする、その抱きつかれた暁子もまんざらではないのであろう、その笑顔は普段仕事のときには見たことのない優しい笑顔だった。

「そう? 泉美ちゃん可愛いから色々な洋服着させてあげたいな……これなんてどう、ちょっとタイトっぽいけれどこのキャミとも合うと思うよ」

 暁子はそう言いながらデニム地のスカートを手に取る。

「ちょっと、暁子それ短すぎないか? そのぉ、パンツ見えちゃいそうだよ」

 太一はそのスカートを見て目つきが険しくなる。

「パパ、ちょっと親父っぽい意見だったよ、今の……」

 泉美はちょっと呆れ顔で太一を見る。

「ハハ、太一、こういうときは下にスパッツをはくから大丈夫よ……ちょっと親ばか入っていたわね?」

 暁子も苦笑いを浮かべながら太一の顔を見ている。



=えぇ〜っ? mana=

「お洗濯終了!」

 物干しには様々な服が風にたなびいている。

 ん〜、気持ちいいなぁ、これだけ一気に洗濯物が片付くと満足かも。

 真菜は大きく伸びをして部屋にごろんと横になる。

「そういえば最近買い物に行っていないなぁ……夏物も欲しいし、うん!」

 真菜はすくっと起き上がり、今まで着ていた部屋着を脱ぎ捨てる。

「駅前まで行ってみようかな?」

 真菜はTシャツにGパンという格好に着替え、部屋を後にする。



『次は、函館駅前、函館駅前、終点です』

 バスの車内にはやはり感情のこもっていないテープが流れる、観光シーズンを目前にした函館駅前は、一般車が増えはじめ少し混雑する。

 来週には『函館港まつり』があるし、ゆっくりとお休みできるのは今週で最後かな?

 八月の第一週に行われる『函館港まつり』はちょうど函館の夏シーズンの到来を告げるもので、このお祭りを皮切りに函館の観光客が増え、八月の第三週頃に行われる『湯の川いさり火まつり』まで続くらしい。

 ハハ、夏休みが終わった頃に夏休みをとるようになるのかな? 実家に帰ろうかな?

 真菜は、ゆっくりと走るバスの窓から外を眺める、そこを歩く人たちの格好は十分夏といった様相だった。

「あっ、バーゲンやっている」

 そのバスの車窓にバーゲンの文字が見え、真菜の顔がほころぶ。

 エヘ、最近洋服買っていないし、初めてボーナスも貰った事だし、自分にもごほうびをあげてもいいわよね? 確か、駅前の『ボーニデパート』と、若者向けは『和光デパート』って太一課長が言っていたな……、先に通勤用にボーニに行って、普段着用に和光デパートに行こうかな?

 真菜の表情は無意識にニッコリと微笑んでいた。



「あら?」

 バスを降り、デパートの入り口を見ると大勢の人の中に太一の姿が見えたような気がする。

 太一課長も洋服を買いに来たのかしら? でも、まさかそんな偶然ないわよね?

 真菜はそう思いつつも、今太一がいたと思われた付近で周囲を見渡す。

「やっぱり人違いよね?」

 真菜はそう呟き、ちょっと残念そうな表情を浮かべながら、再びバーゲンの文字の踊っている店内案内を見つめる。

 うん、婦人服は四階、催事場でもアウトレットバーゲンをやっているみたい、あたしってばついているかも……。

 真菜はニコニコしながらエスカレーターに乗る。

「とりあえず通勤用の洋服を見て、そのあとアウトレットに行って、それから和光デパートに行って……ウフフ、帰りに西波止場に行ってたこ焼きでも食べていこうかな?」

 真菜は西波止場にあるたこ焼き屋を思い出して、眼が輝く。

 あたし、あそこのたこ焼きだぁい好き、外はパリパリ、中はふわっとして、最近食べた中では一番だと思う。

 真菜は、屋台にいたカーリーヘアーのおじさん(お兄さん)を思い出しながらつい微笑んでしまう。

 ……でも、今の最優先課題は、通勤着を買う事よね? それが第一の目的なんだから。

 一瞬たこ焼きが通勤着より優先される所だった真菜は首を振り、バーゲンの看板をくぐる、そこはまるでパラダイスのように真菜の目に映る。

「休日というのに人が少ない、東京だったら大混雑は必死なのに」

 予想を反して人気の少ないその売り場に真菜はほっと胸をなでおろす。

 これだけ人がいなければゆっくりと見て回ることが出来る……う〜ん、パラダイス!

 真菜の顔は思わずにやけてしまう。

「さてと、まずはジャケットから……この前暁子係長の着ていたジャケット可愛かったから、あんな様なやつがあるといいけれど」

 よく考えると暁子係長の格好って意外に可愛いものが多かったりするな、トータル的には落ち着いた着こなしをしているけれどパーツで見ると結構可愛い目かもしれない、そしてあたしもその格好に憧れているかも。

「うん、このジャケット可愛いなぁ、でもこれに合うスカート……」

 真菜は吊るされているジャケットや、スカートを胸に当てたり腰に当てたりして候補を物色する。

「このパンツもいいなぁ……でも、スカートの方がいいかもしれないし」

 基本的にあたしの場合はスカート派なのよね、普段着もそうなんだけれどあまりスラックスなどは履かない。

 腕組みをしながら真菜はうなるようにそれを見つめる。

 「やっぱりスカートにしよう、サイズも問題ないし、後はさっきのジャケットと色が合うかどうかが最大の問題点よね? 多分大丈夫だと思うけれど……あれ? 暁子係長?」

 さっき真菜が目星をつけていたジャケットの辺りに視線を移すとそこには暁子が同じジャケットを手に取っている。

「やっぱり暁子係長だ、趣味が同じ……エッ?」

 暁子を見ていた視線に男性の姿が割り込む、その男性は、太一。

「……太一課長」

 二人はそんな真菜の視線に気がつかないのか二人で談笑し暁子は胸にジャケットを当てながら太一に必死に話しかけているようだが、太一は無関心そうだ。

 デートなのかしら……。

 真菜は声をかけようか迷っているとその立ち止まっていると女の子がぶつかり、手に持っていたブラウスを落とす。

「きゃっ」

 ぶつかってきた女の子は高校生ぐらいだろうか、背中まである髪の毛を可愛らしいリボンで一つにまとめており、ウェーブかかった毛先が外にはねている。

「あっ、ごめんなさい、急に立ち止まっちゃって」

 真菜はそう言いながら女の子と一緒に落としたブラウスを拾い、ほこりを払う。

「いえ、あたしもちゃんと前を見ていなかったから」

 女の子はペロッと舌を出し真菜を見る。

「何やっているんだ、泉美」

 この声は?

「……真菜ちゃん?」

 間違いない、この声は太一課長、そしてこの女の子は泉美ちゃん……って一体どういう関係なの?

「真菜ちゃん、ど、どうしたのこんな所で」

 明らかに動揺しているのは暁子係長、さっきあたしが良いなと思っていたジャケットを持ちながら驚いた顔をしている。

「パパ、ママ……このお姉さんとお知り合いなのかな?」

 パパ? ママ? 今この娘は太一課長と暁子係長を見てそういったような気がするけれど。

 真菜の視線は唖然とした表情でいる太一と、動揺を隠しけれないようにあたふたしている暁子、そしてきょとんとした顔をしている泉美と言う女の子の三人が映し出されていた。

「真菜ちゃん、これは誤解だから……たまたま……ねぇ」

 暁子はそう言いながらも視線は周囲に泳いでいる。

「誤解といえば誤解だが……」

 真菜は事の経緯がわからなくなり、そして頭には大きなクエスチョンマークが浮かび上がる。

「えぇ〜!」

 我ながら大きな声が出たと思うわ、フロアー中に響きわたったかも。

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