coffeeの香り

第十四話 まつりの日


=函館港まつり taichi=

「……以上だ、観光シーズンもこの『函館港まつり』からトップになり『湯の川温泉いさり火まつり』まで続いていく、忙しくなると思うので各自健康管理に気をつけるように」

 太一がそういうと一同はペコリと頭をさげ各自の席に戻っていく。

 港まつりが終われば世間で言うところのお盆休みに入る、そうすれば観光客も増えるからな、一年で一番忙しい時期になる。

「ふぅ……」

 太一がため息をつくとみゆきがお茶を運んできてくれる。

「お疲れ様です……ミーティング中に森山部長が呼んでいましたよ?」

 部長が? ……なんだろう。

 太一はお茶を一飲みすると席を立つ。

「暁子、ちょっと部長の所に言ってくる、後は頼んだ」

 太一のその一言に暁子はコクリとうなずくが、その目はちょっと心配そうだった。

「……今日は何もやっていないよ……たぶん」

 その視線に太一は苦笑いを浮かべるものの、部長に呼ばれるというのはあまりいい気分ではないし、たいていあまりいい話でないのが常だよな?

「……太一」

 暁子はまるで哀れ見るように太一の顔を仰ぎ見るが、その顔に太一は笑顔で答える。

 そんな顔をしないでくれよ、不安になるじゃないか……。



「おぉ、真島課長来たか、悪いな忙しいときに、ちょっとこっちにいいかな?」

 広い営業部室内の一番日当りの良い所に部長のデスクがあり、その周りにはよくわからない荷物が山積みになっている。当然個室になっているわけではないので太一が近づいてきた事を承知していたのであろう、森山は太一が声をかける前に席を立ち近くにあるパーテーションで仕切られたスペースへ手招きする。

 機嫌は悪そうではないな……。

 サラリーマンの悲しい性なのか、上司の機嫌を見るのが癖になっている自分にちょっと苦笑いを浮かべる。

「座りたまえ……真島君はコーヒー党だったよな?」

 森山はそう言いながらパーテーションから顔を出し、近くにいた女の子であろうにコーヒーを入れるようにお願いをしている。

「ふぅ、最近どうだ、三課は? だいぶ実績も上がってきているようだし、若手も良く動いているようだな」

 森山はソファーに腰を据えるとタバコを取り出す。

「はぁ、吉村さんがうちに正式配属になったおかげで動きに幅が出来てきましたね、暁子……茅島係長が自由に動けるようになったのが大きいです」

 太一もそう言いながらタバコを取り出す。

「そうか、それはよかった、さっきも一課の川村課長と話をしていたんだがな、三課にだいぶ助けられていると言っていたよ、俺の目から見てもそう思っている、こんな営業の下請けみたいな営業活動を嫌がらずに三課の連中が良くやってくれていると思うよ」

 森山はニコニコしながら太一に頭をさげる。

「いえ、俺は何もやっていませんよ、ただスタッフが仕事を理解して良くやってくれているだけです」

 謙遜ではない、本気でそう思っている。所詮課長なんていうのは下で働いてくれているスタッフがいてからこそだと思っている、だから三課の手柄はみんなの手柄だと常に思っている。

「フム、真島課長らしいな……」

 森山はそう言いながらタバコの煙を吐き出す。

「……三課はお前がいないとダメかな?」

 森山の質問に太一の胸はえぐられるような痛みを感じる。

「…………」

 言葉が出ないで、ただ森山の顔を見上げる太一、手に持ったタバコは口に含まれる事はなくただムダに煙を上げているだけだった。

「……実はな……」

 森山は経緯を太一に話す。



「太一! どうだったの?」

 席に戻ると暁子が心配そうな顔で太一を見る。

「……ん? 大丈夫だよ、三課は良くやってくれていると言うお褒めの言葉だったよ」

 太一はそういうものの、その顔色はあまり優れていないようにも見える。

「ホント? なんだかそれにしては顔が暗いけれど」

 暁子は太一の顔を覗き込む。

「暗いのはいつもの事だよ……今度の休みにお祭りに行かなければいけないし」

 太一ははぐらかすように暁子に言う。

「お祭りって……『港まつり』に行くの?」

 暁子はキョトンとした顔をしたかと思うとにっこりと微笑む。

 表情がコロコロ変わる娘だな。

「もしかして、泉美ちゃん?」

 暁子は耳打ちするように太一に話しかける。

「そ、話したらいってみたいって、たまたま休みがあたるんだよねぇ……よりによって」

 ウンザリ顔の太一に暁子は苦笑いを浮かべる。

「ハハ、お疲れ様……」

「太一課長『港まつり』ってどんなものなんですか?」

 真菜は資料を太一の席に置きながら質問してくる。

「港まつりと言うのはね昭和十年に安政六年の開港から七十七年目に喜寿のお祝いを兼ねながらその前の年にあった大火の復興への意欲を奮い立たせるためにはじまったのが始まりなんだ。このお祭りは毎年八月一日から五日まで行われる函館でも最大のお祭りになっていて、函館市民だけではなく北海道全域や日本中から観光客が訪れる一大イベントなんだよ。初日には花火が打ち上げられたり、イベントがあったりで楽しいよ」

 太一はその書類に目を通しながら真菜に話しかける。

「ヘェ、大きいお祭りなんですね?」

 真菜は素直に驚きながら隣に立っている暁子の顔を見る。

「そうね、特に『ワッショイはこだて』と言うイベントがあってそこではみんながいっしょになって『イカ踊り』を踊るの、それは圧巻よ」

 暁子も嬉しそうにそういう。

「なんだ、暁子も楽しそうじゃないか……」

 太一は書類にハンコを押して暁子に渡す。

「だって、函館っ子だもん、やっぱりワクワクするわよ」

 そう言いながら暁子は微笑む。

「楽しそうですねぇ……行ってみたいかも」

 真菜はそう言いながら太一の顔を見る。

「ハハ、俺は休みたいよ……」

 苦笑いを浮かべながら太一は違う事を考えていた。



=浴衣 mana=

『今日から函館港まつりです、皆さんこれからの五日間盛り上がっていきましょうね?』

 カーラジオから流れる『FMいるか』のDJは楽しそうにそう語りかけてくる。

「今日は花火が上がるって言っていましたよね?」

 ハンドルを握っているのは太一、助手席で真菜は楽しそうに微笑んでいる。

「そうだな、会社が終わったら一旦家に帰らなければいけないんだよ」

 苦笑いを浮かべる太一。

 何で? 会社から直接行けばいいのに?

 真菜はその台詞に首をかしげる。

「ハハ……泉美がね、浴衣を着るといって聞かないんだ」

 何で浴衣を着るのに太一課長が家に帰らなければいけないの?

 真菜はその台詞の噛み合わせがわからなく、さらに首をかしげる。

「……着付けをね、俺がやるんだ……まだ一人で着られないから、泉美は……」

 エッ?

「着付けをやるって、太一課長浴衣の着付けできるんですか?」

 車中と言う事を忘れて真菜は体をよじるが、その動きをシートベルトに抑制される。

「あぁ、大学時代に覚えたよ、今では一人で着る事もできる」

 すごいかも……それは自慢できると思いますよぉ。

 真菜は尊敬の眼差しで太一の事を見る。

「すごいですねぇ、あたしも持っているけれど、一人で着付けはできないですよ」

 お母さんが着付けを出来るから持っているけれど、考えてみれば持って来ても意味がなかったかもしれないなぁ……まさか太一課長に着付けてもらう訳にもいかないし。

 真菜は頬を赤らめながらうつむく。

「着付けなんてコツだよ、一回出来れば簡単に出来るよ、今度チャレンジしてみれば?」

 太一は事も無げにそういう。

 そう簡単じゃないですよぉ。



「ただいまぁ」

 既に定時を過ぎたオフィスに戻ると帰り支度をしているみゆきと絵里香が声に振り向く。

「お帰りなさい、太一課長、暁子係長は直帰するって、メモは机においておきましたが、スミマセン、お付き合いできなくって」

 みゆきはそう言いながらペコリと頭をさげる。

「気にしないで、旦那さんとゆっくりしなよ」

 太一がそういうとみゆきはにっこりと微笑みながらうなずく。

「ハイ、ありがとうございます、お疲れ様でした」

「はい、お疲れ様でした」

「真島課長、絵里香も今日はダメでしたぁ、この後直也君と待ち合わせなんです、だからごめんなさい」

 直也君と待ち合わせって、いつの間に絵里香さんとそんな仲になっていたの?

「ハハ、気にしないで、直也にはそのまま直帰でいいと言っておいてくれ」

 そういう太一に対し絵里香はちょっと照れたような表情を浮かべる。

「はぁい、お先に失礼しまぁ〜す」

 絵里香もそう言いながら部屋から出て行く。

「はぁ、絵里香さんと直也さんがそんな仲だったんですかぁ……気がつきませんでした」

 真菜はそう言いながら席に荷物を置く。

「ハハ誤解だよ、今日は直也のお客と一緒に飲みに行くらしいよ、まぁ、絵里香ちゃんはそれでも嬉しそうだったけれどね」

 なるほど、それだけなんだぁ……。

「それにしても珍しいですね、暁子係長が直帰だなんて」

 いつも会社に戻ってくるのに、今日は直帰かぁ……一緒に花火見に行けるのかなぁ。

「あぁ、仕事が優先だからね、もしダメなら携帯に電話が入るでしょ、さて、俺も早いところ家に帰らないと」

 太一はそう言いながら荷物をまとめて帰り支度を始める。

「真菜ちゃんはどうするの? 一旦家に帰るかい?」

 ビルを出るとそこはいつもより人通りが多く感じる。

「はぁ、家に帰っても仕方がないので、どこかぶらつこうかなと思っています」

 家に帰っても仕方がないし、函館駅の辺りでもぶらついていようかな?

「だったらうちに寄っていくかい? うちから一緒に行けばいいでしょ、真菜ちゃんがよければだけれど」

 ナイスな案をありがとうございます、太一課長!

 真菜の表情に笑顔が膨らむ事によってその意志が太一に伝わる。



「お帰り〜、太一君!」

 何度となく来た事のある太一課長のアパートその部屋の中からノースリーブにミニスカートといった格好で抱きついてくるのは、泉美ちゃん。小学生とわかっているものの、そうは見えない体格にちょっと真菜の頬は膨れる。

「ハイ、ただいま」

 太一は既になれたのか、さらっと流しながら部屋に入ってゆく。

「あぁ、真菜さんも一緒に来たの? いらっしゃい」

 泉美は真菜の顔を見てにっこりと微笑む。

 こうやって微笑んでいる顔は確かに幼さが残っているわね?

「こんばんは、泉美ちゃん」

 真菜は泉美に微笑み返す。

「真菜さんも太一君に着付けてもらうの?」

 無邪気にそう言う泉美の一言に真菜の顔が一気に赤くなる。

「そんなわけないだろ?」

 部屋の奥からは太一の悲鳴にも似た声が聞こえてくる。

 そうよ、太一課長に着付けてもらうって言う事は……太一課長の目の前で脱がなきゃ……。

「ありゃ、真菜さん顔が真っ赤だよ」

 あたりまえよぉ。

「ほら、早いところ着替えるぞ」

 太一はネクタイを外し、ハンガーにかかっていた淡いピンク色の浴衣を取る。

「はぁ〜い」

 泉美はそう言いながら嬉しそうな顔をして部屋の奥に入ってゆく。

「ほら、早く脱いで……、なに色気を出しているんだ、それも取る」

「エェ、ノーブラなの?」

 なんだか会話だけ聞いているとすごく卑猥な感じなんだけれど……あの二人は親子なのよ、そんな事は無い……よねぇ?

「パンツはいいの!」

「そっか……これは……いやん、くすぐったいよ」

 やっぱり卑猥かも。

「そこ持って……良し、完了」

 その声が聞こえた頃には真菜は顔を真っ赤にしていた。

「真菜さん、お待たせ……ん? どした、顔真っ赤だよ」

 可愛らしい薄いピンク色に朝顔の柄の入っている浴衣を着込んだ泉美はただでさえ大人っぽく見えるのにさらにそれを倍増させたように可愛らしく、ちょっと色っぽくさえ感じる。

「泉美ちゃん、可愛いなぁ……」

 ホント、可愛い、これならあたしも浴衣にすればよかったかも……。

 真菜の格好は通勤着、この前買った薄ピンク色のジャケットにフレアースカート、色気を感じる格好ではない。

「エヘヘ、ありがとう、真菜さんも浴衣にすればいいのに」

 泉美はすとんと座り、置いてあった麦茶を飲む。

 今の仕草ちょっと色っぽかったかも……って、何で小学生に色気を感じているんだろう、あたしってば……。

「ヘェ、浴衣を着ると仕草も変わるんだね」

 その泉美の仕草はさっきまでの活発なイメージではなく、まるで大人の女性のように落ち着いた仕草だった。

「ウン、これを着るとちょっと動きに制約されるから、自然とそうなるのかな、それに変に動くとシワになるって太一君うるさいから」

 泉美はそう言いながらペロッと舌を出す。

「誰がうるさいって」

 真菜はその声に顔を上げると、そこにはいつものイメージとはまったく違った太一の姿があった。

「太一課長?」

 キョトンとした顔で真菜は太一を見上げる。

「はは、久しぶりに着たからな……おかしくないかな?」

 太一は格好を気にするようにキョロキョロする。

「おかしくなんてありません! よく似合っていますよ、浴衣」

 太一はブルーグレーの浴衣に横縞模様の帯を巻き、いなせな格好をしている。

「ありがとう、さて、そろそろ行ってみようか」

 太一はそう言いながら玄関に向かって歩く、その姿は颯爽と言ってもいいだろう、真菜はその姿から目が離せなくなっている。

「真菜さん、どうかしたの? 行くよ」

 泉美に腕を引かれて我に返る。

「アッ、ウン……行こう」

 これはずるいですよぉ、太一課長も浴衣ならあたしも着たいかも……似合わないじゃないですか……でも、いいなぁ、いなせと言うのか、粋な感じがする、太一課長って和服似合うんだ。

 真菜の頬からはしばらく熱が引くことがなかった。



「すごい人出……迷子にならないようにしないと」

 函館駅前にはどこからこんなに人が来たのだろうというぐらいに人がいる。あたしが函館に来てはじめてかも、これだけ人がいるのを見たのは。

「ハイ、泉美ちゃんも離れないようにしないとね?」

「ウン、大丈夫だよ」

 泉美はにっこりと微笑みながら真菜の顔を見る。

 なんだかあたしと大して年が変わらないように見えるんですけれど泉美ちゃん、もしかしてあたしの方が幼く見えたりして……。

♪〜 ♪〜

何処からとも無く携帯の着信メロディーが聞える。

「ん? あぁ、暁子からだ……ハイよ、太一」

 太一はそう言いながら携帯に出る。その様子はどこと無く嬉しそうに見えたのは真菜の気のせいなのだろうか。

「わかった……ウン」

 ピッ。

 携帯を折りたたみ袂に仕舞い込むその姿もちょっと絵になるかも、やっぱり似合うなぁ、太一課長。

「暁子さんなんだって?」

 泉美が太一の顔を覗き込む。

「ウン、函館駅の改札の所で待っているって」

 太一はそう言いながら、ちょうど正面に見えた函館駅を見る。

「良かった、暁子係長もこられたんですね?」

 真菜もそう言いながら笑顔を浮かべる。

「早く行こうよぉ、花火はじまっちゃうよ」

 泉美はせかせるように真菜と太一の手を引っ張る。

「はいはい」

 カランコロンと、真菜の下駄の音に太一の雪駄の音が聞えてくる。



「どこだ?」

 太一は人で溢れる函館駅で周囲を見渡す。さすがに駅の中では浴衣を着ている人は珍しく、観光客らしい人々は太一と泉美の顔を見ている。

「いたぁ〜……わぁ、暁子さん綺麗」

 改札口のすぐ近くにちょっと人目を引く格好の女性……浴衣女性が物憂げに誰かを待っている、その姿は周りの男性客らが視線を飛ばしていくほどだった。

「アッ、太一、遅いよ……恥ずかしかったんだから、みんなから見られているみたいで」

 そりゃ見ていきますでしょうよ、暁子係長、本当に綺麗、藍染に菊模様は落ち着いた大人の女性といった感じ、いつもは下ろしている髪の毛もアップにして本当に大人っぽい、同姓ながら惚れてしまいそう。

 真菜はその姿を見てポッと頬を染める、そして泉美もその姿を拝むように眺めている。

「おっ……おう……その、なんだぁ」

 太一は顔を真っ赤にして動揺している。

「あぁ、太一君照れている、暁子さんが綺麗だから、エヘ、可愛いなぁ」

 冷やかすように泉美が言うが、太一はその台詞を否定することなく素直にうなずいていた。

 ウ〜ン、ちょっと複雑な気持ち、確かに暁子係長の格好は綺麗だけれど、太一課長がここまで見つめているのはちょっと面白くないかも。

 真菜も困った顔をして二人を見つめる。

 でも、お似合いの二人に見えちゃうのよねぇ……悔しいけれど。

「ほらぁ、早くぅ」

 泉美は太一の手を引きながら朝市に向って歩き出す。

「はいはい……」

 太一は苦笑いを浮かべながら泉美についていく。



=花火の想い出 akiko=

「うぁあ、人がいっぱい……」

 函館山ロープウェイを降りると既にそこには人が鈴なりになっていた。

「ただでさえ夜景を見る人に加えて、今日は花火大会だもの、人もいっぱいいるだろうよ」

 太一はウンザリした顔で泉美の顔を見る。

「でもここから見るの! 花火が下に見えるなんて滅多に見ることが出来ないんだから」

 泉美はプクッと頬を膨らませながら太一を睨む。

「わかったわかった、はぐれないようにしろよ」

 太一はそう言いながら泉美の手を引く。

 ウフ、本当に仲が良いわね? 親子というよりも兄妹のよう。

 暁子の顔がちょっと曇る。

「暁子係長、あたし達もはぐれないようにしないといけませんよね? 早く行かないとおいていかれちゃいます」

 真菜はそう言いながら太一達の後を一生懸命ついて歩く。

「ここ! ここがいいかも」

 泉美はそう言いながら人垣が切れた場所を陣取る。そこからはちょうど花火の打ち上げ場所である『緑の島』がよく見える。

「そうだな、さてと、俺はちょっと一杯飲みたいな……真菜ちゃん達なにか飲むかい?」

 太一はそう言いながら全員の顔を見る。

「そうね、あたしも一緒に行くわ、真菜ちゃん、泉美ちゃんと一緒にここにいて」

 暁子はそう言いながら裾を払いながら太一の後について歩く。

「一人で大丈夫だよ」

 照れくさそうに太一は暁子に言うが、その視線はなかなか暁子に向かない。

「……ちょっとね、歩きたかったの」

 暁子はそう言いながら太一に寄り添う。

「暁子?」

 太一はちょっと顔を赤らめる。

「エヘ、この場所はね、あたしにとってあまりいい想い出のある所じゃないんだ……」

 そう、この場所はあたしにとって嫌な想い出のある所……でも、太一のことだからそんな事を払拭してくれるはず。

「そうなのか……悪かったな、無理に付き合せて」

 太一は素直に暁子にわびるが暁子はその台詞に対して首を振る。

「ウウン、大丈夫……ここにはねジンクスがあるの」

「ジンクス?」

 太一は首をかしげる。

「そう、高校時代に聞いた事があるジンクスなんだぁ、そしてあたしもそのジンクスにかなってしまったと言うわけ……『カップルでこの夜景を見ると別れる』というジンクスにね」

 高校時代に付き合っていた男の子にここで別れを告げられた、そのときも確かこの花火大会の時だった……あれから何年経ったんだろう久しぶりにここに来るわね。

「……暁子」

 太一の顔が曇る。

「なにそんな深刻な顔をしているのよ、もう十年も昔の事よ……そう昔の事」

 暁子は自分に言い聞かせるようにそう言う。

「……ジンクスかぁ、そういうことを聞くとそのジンクスを打ち破りたくなってくるんだよね、俺っていう男は」

 太一はそういいながら暁子の顔を覗き込む。

「太一?」

 どういう意味なの? 今のあなたの台詞は一体どういう意味を持っているの?

 暁子は首をかしげながら太一を見るが太一はニコニコと微笑みながら売店に向かって歩いてゆく。



「ハイよ、さて、花火が上がるまでゆっくりとしましょうかね……かんぱぁ〜い」

 太一はそういいながらビールのプルトップを引く。

「カンパーイ」

 一同から声が上がる。

「暁子、乾杯だ」

 そう言いながら太一は暁子の持っているビールに自分の缶をあてる。

「う、ウン……ねぇ、太一……」

 どぉ〜ん……どぉ〜ん……。

 暁子の台詞の途中で大輪の花が大音響と共に開く。

「はじまったぁ〜」

「綺麗……少し視線より下に花火が見えるのね?」

 真菜と泉美は柵にしがみつきながらその花を見つめている。

「ほら、暁子も見てくれば……昔は昔、今は今だろ、お前の近くには俺がいるよ、ジンクスはあくまでもジンクス、迷信だよ」

 太一……それって、もしかして……。

 暁子の顔が一気にほころぶ、その笑顔は花火の光に照らされていた。

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