coffeeの香り
第十五話 バイバイ……
=パーティー? taichi=
「太一、ちょっと待っていて」
暁子が着替えに行く間際に太一に声をかける。
「なんだ?」
太一は荷物をまとめ、既に帰る準備は整った状態になっている。
「いいから……真菜ちゃん、早く着替えよ」
暁子はそう言いながら真奈に声をかける。
「ハイ、太一課長、一人で帰らないでくださいよ」
真菜はそう言いながらウィンクを太一に向ける。
何事だ? 一体……。
太一は首をひねりながらも浮かせた腰を再び椅子に落ち着ける。
「ヘイお待ち!」
次に暁子たちが顔を現したのは十分ぐらい経ってからだろうか。
「お待ちって……なんだその荷物は」
暁子たちの荷物を見て太一は呆れたような表情を浮かべる。
まるで出張にでも行くような大荷物だな、それに暁子の持っているあの大きな紙袋は一体なんなんだ?
太一は二人のその様相に驚きを隠せないでいる。
「何って、今日は泉美ちゃんと最後の夜ですよ、最後の夜だからみんなでパジャマパーティーです、太一課長は知らなかったんですか?」
真菜はそう言いながらキョトンとした顔をしている。
パ、パジャマパーティーって……。
「へ?」
太一の顔は呆気にとられたというか、真菜が何を言っているのか理解できないと言うような顔をしている。
「だからぁ、今日は太一の家で、みんなで夜通しパーティーって言う事、わかる?」
暁子は太一の鼻先に人差し指を当てる。
「へ?」
太一は寄り目になりながらその指先を見つめるがやはり理解できないと言うような顔をして首をかしげている。
「……聞いていないの?」
暁子と真菜は顔を見合わせながら微笑む。
「へぇ」
まるで昔の庄屋さんのような答え方をしたなと思いつつも、太一は二人の顔を見る。
「あは、泉美ちゃんの陰謀ね?」
「陰謀?」
「そ、メールであたしと真菜ちゃんに提案してきたって言う事、泉美ちゃんらしいわね」
そういう問題ではないような気がするのだが……。
「ウフフ、今日は一晩中騒ぐわよ」
ちょっと暁子さん?
「ハイ、明日は休みです、ゆっくりと夜更かしできます」
真菜さん……俺の立場は?
「ただいまぁ……」
部屋の扉を開くといつものように泉美が飛びついてくる……あれ?
最近通例になっていた泉美の飛びつき攻撃に身構えているとその衝撃がいつまで経ってもなく、むなしく太一の手が空を切る。
「おかえりぃ、太一君」
手の行き所を失っている太一に向け台所から泉美の声が聞こえてくる。
「泉美? 何やっているんだ、そんなところで」
太一はそう言いながら台所に立っている泉美を見る。
「そんなところでって、水遊びでもしている様に見える?」
泉美はそう言いながら頬を膨らませるが、手だけは忙しそうに動いている。
「泉美ちゃん、お呼ばれに来たよ!」
真菜はそう言いながら途中で買ってきた差し入れを泉美に見せる。
「真菜さん、ありがとう」
泉美はそう言いながらエプロンで手を拭く。
「泉美の手料理かぁ……大丈夫かな」
太一は意地の悪い顔をして泉美の手元を見る。そこには大小さまざまな大きさに切られたジャガイモの入ったなべがコトコトと音を立てている。
「大丈夫かなは失礼ねぇ、こう見えても調理実習ではあたしの班がいつも一番なんだからぁ」
調理実習ねぇ……。
「泉美ちゃん手伝うわよ」
暁子がそう言いながらエプロンをして泉美の隣に立つ。
「太一課長はお風呂に入っちゃってください」
真菜もいつの間にかエプロンをして太一の肩を押す。
「あ、あぁ……」
なんだか調子が狂うなぁ。
太一は背広を着替えて風呂場に向かう。
「ふぃ~……」
なんだかいつもと違う雰囲気に気圧されしている感があるなぁ、何で暁子と真菜ちゃんがこの家にいて、しかも泉美と一緒になって料理をしているのかが理解しきれない。
バシャッと太一はお湯をすくい顔にかける。
泉美は明日東京に帰る、理解できていることはその事実だけだな……それにしても泉美があの二人とここまで仲良くなるなんて思っていなかった。まぁ俺としては嬉しい事なのかな……って、一体なに考えているんだ俺は!
不意に太一の顔に血が上る気配がする。
別に、仲良くなって喜ぶ理由はない……のかなぁ? でも、なんだかんだ強がりを言っていてもやっぱり母親というのは必要なのかもしれないのかな? 泉美にも。
この前暁子のことをママと呼ぶ泉美の顔が思い出される、その泉美の表情は生き生きし、素直に嬉しさが溢れていた。
しかしな……まさかいきなり一児の母になるというのも気の毒だし……。
「ハァ……」
……なに考えているんだろう、俺。
バシャッ!
太一は再びお湯を顔にかける。
「……太一君、背中流すよ」
不意に扉が開いたかと思うと、ちょっと照れくさそうな顔をした泉美がモジモジと背中を向けている。
「いっ、泉美ぃ?」
予想外の出来事に太一の目がまん丸になる。
「べっ、別に変な意味じゃないからね?」
泉美はうつむいたままそう言う。
変なって……別に親子だし、小さい時はいつも一緒に入っていたから特に気にはしないけれど……でも世の中で言う年頃だしなぁ……難しいよ。
太一はそう呟きながら泉美を見る、当然ながら泉美はノースリーブに短パンという格好だ。
「なんだよ、いきなり……」
「いいから、ほらぁ、早く出て!」
泉美はそう言いながら太一の腕を引く。
「はいはい……」
なんだかちょっと嬉しいかな? 何年ぶりだろう、泉美に背中を流してもらうのは。
スポンジにボディーソープをたらし、一生懸命に泉美は泡立てている、その姿を見ながら最後に一緒に入った日を思い出そうとしていた。
「ヘヘ、久しぶりだよね、太一君の背中を流すのは」
どうやら泉美も同じことを考えていたらしい。
「そうだな、お前が小学校に入学した頃かな? 最後に一緒に入ったのは」
背中を擦られているものの、やはりちょっと力不足は否めない、しかし、その力が太一にとってみるとなんともいえない安らぎにも感じる。
「うん、そうかも、ちょっと照れくさくなったのを覚えているよ……太一君は男の子だし……」
男の子って……。
「じゃぁ、今日はどうなんだ?」
意地悪く太一が言うと泉美の手が止まる。
「……すっごく恥ずかしいよ、でも……今日で最後だもん……明日の今頃にはあたしの近くには太一君はいない……また離れ離れになっちゃう」
……泉美。
太一が振り向こうとすると、慌てて泉美はそれを阻止する。
「だからぁ、恥ずかしいって言ったでしょ? 振り向かないの」
再び背中のスポンジが上下しはじめる、その力はなんだかさっきよりこもっているように感じる。
「ハイ、終了! ゆっくり暖まってから出てきてね?」
泉美はそう言いながら風呂場から出て行く。
「……泉美」
恐らく泉美も寂しいのだろうな……離れてからもう三年かぁ……。
太一は水滴の付いた天井を見上げながらため息をつく。
「……やっぱり……かな?」
太一はさっき泉美に洗ってもらった肩をさわり、意を決したように湯船から立ち上がる。
……決めたよ。
=パジャマのままで akiko=
「真菜ちゃん、ちょっとそこのお皿取ってもらってもいいかしら?」
お世辞にもあまり広くないキッチンに女三人が動く。
「はぁい」
真菜はテーブルに置かれていた花柄の皿を取り暁子に渡す。
「ありがと、泉美ちゃん、後はあたしたちでやっているからゆっくりしていて?」
肉ジャガを作っていた泉美に暁子は声をかける。それは既になべの中で盛り付けを待つだけの状態になっている。
「うん、ありがとう……じゃあ、太一君の背中でも流して来ようかな?」
泉美のその台詞に真菜は驚きの表情を浮かべるが、既に泉美は短パンにタンクトップといった格好になっている。
「ちょっ、ちょっと泉美ちゃん?」
真菜はそう言いながら泉美の行動を見ているものの、狭いキッチンで思うように身動きが取れない。
「いってきまぁ~す」
泉美はそんな真菜の狼狽などまったく気にしないように太一の入っている風呂場に向かう。
「ウフフ、やっぱり寂しいのかな?」
暁子はそう呟きながら真菜から受取った皿にから揚げを盛り付ける。
「寂しい?」
暁子の言った意味が理解できないとばかりに真菜は暁子の顔を覗き込む。
「そう……今日で最後でしょ、太一と一緒にいられるのは」
「でも……背中を流すって」
真菜は理解を示しながらも納得がいかないといった風に口を尖らせる。
「恥ずかしいでしょ? でもそれ以上に寂しいんじゃないかな、泉美ちゃん」
暁子はそう言いながら二人が入っているお風呂を眺める。
ちょっと妬けるかも知れないけれど、でもあの二人はやっぱり親子なのよね、太一はお父さんで泉美ちゃんは娘、それだけは変えようのない事実。
「そうですよね……娘さんですものね、泉美ちゃんは太一課長の……寂しいよね」
真菜も感じ取ったのであろう、暁子と同じように風呂場を眺める。
「ヘヘ、久しぶりだなぁ」
五分ぐらいであろうか、泉美はちょっと顔を赤らめながら嬉しそうに微笑んでお風呂場から出てくる。
「どうだった? 太一の背中」
暁子はそう言いながら盛り付けを終了した泉美作の肉ジャガをテーブルに置く。
「うん、やっぱり大きかった……」
そういう泉美の目にはうっすらと涙がにじんでいるようだった。
「そう……よかったわね、さて、料理完了……早く太一出てこないかな……それとも今度はあたしが背中流しにいちゃおうかしら」
暁子が意地悪い顔をして泉美を見るとその隣にいた真菜の目がつりあがる。
「あっ、暁子係長?」
真菜ちゃん本気にしないでよ……冗談よ。
「……それは残念な事をしたな……その台詞は今度に取っておこう」
暁子の背後にはいつの間にかお風呂から出てきた太一が頭を拭きながら立っている。
「きゃ……なに言っているのよ、なんであたしがあなたの背中を流さなきゃいけないの?」
不意をつかれたものだから顔が赤くなっているのが自分でもよくわかる。
「代わりにと言ってはなんだが、俺が流そうか? 暁子の背中」
「太一君、それじゃあただのスケベ親父だよ……」
泉美が苦笑いを浮かべているが、真菜は頬を膨らませながら太一と暁子の顔を見ている。
真菜ちゃん、あたしのせいじゃないよぉ……。
「はぁ~い、それではパジャマパーティーの始まりね?」
泉美は待っていましたかのようにみんなに飲み物を配る。
「太一君と暁子さんはビール、真菜さんは……ジュースで良かったですよね?」
泉美は少し躊躇しながら真菜の手元にオレンジジュースを置く。
「ありがとう泉美ちゃん、あたしお酒はまったくダメなのよね」
はは、確かに以前真菜ちゃんと飲んだときに、真菜ちゃんが酔い潰れた記憶があるわね?
苦笑いを浮かべる暁子を見て真菜は頬を赤らめる。
「じゃあ、泉美ちゃんに乾杯」
暁子が音頭を取ってグラスを合わせる。
「かんぱぁ~い」
泉美もニコニコしながら暁子、真菜、太一の順にグラスを合わせる。
「はい、乾杯……しかし何でこんな状況なんだ?」
太一は周囲を見渡す。そこにはピンク色の可愛らしいパジャマを着た真菜と、キャラクターが大きくプリントされたパジャマを着ている泉美、そうして可愛らしいペンギンのイラストの入ったロングTシャツを着ている暁子、普段の生活では有り得ない光景だ。
「だからぁ、みんな泉美のために来てくれたんだよ? ヘヘ、人徳って言うやつ?」
確かにそうかもしれないな? 泉美ちゃんの性格って大好きだし、何となく太一との距離が一気に縮まったような気がする。
「お前に人徳ねぇ……」
呆れ顔の太一に泉美は頬を膨らませる。
「いいでしょ? さぁ、男の人はあっちの部屋にいっていて、これからここは女の園になるんだからぁ」
膨れ顔のままで泉美は隣の部屋を見る。
「エェ、なんで、一緒にいたっていいじゃないかぁ」
今度は太一が頬を膨らませる番だった。
「ダメ、男の人がいると本音が出ないでしょ? それとも聞きたい? 太一君の会社での評判……」
意地悪い顔で泉美は太一のわき腹を突っつくと太一は困ったような顔をして泉美の顔を見て、そしてため息をつく。
「わかったよ……明日は早いんだから早く寝ろよ」
太一はそう言いながら隣の部屋に消えていった。
「ちょっとかわいそうじゃない?」
太一の背中を見ながら真菜は同情したような顔をする。
「いいの、真菜さんと暁子さんの本音が聞きたいんだから、会社での太一君の様子とか、いっぱい聞きたいの」
泉美は意地の悪い表情ながらも目は真剣だった。
泉美ちゃん、太一の事が本当に好きで仕方がないのね?
「よし! 邪魔者は消えたからどんどんと会社での噂話をしようかしら?」
暁子もわざと隣の部屋に聞こえるように言う。
ヘヘ、ちょっと意地悪すぎるかしら……ゴメンね?
「ねぇ、暁子さん、会社でのパ……太一君ってどうなの?」
パ……ねぇ……やっぱり泉美ちゃんは太一と一緒にいたいんでしょうね? でも、太一のことをパパと呼ぶ勇気がまだないのかしら、でも……もっと素直になったほうがいいわよ、だって太一はあなたのお父さんなんだから!
暁子はそんな意味合いも含めて泉美に言う、
「……フフ、いい上司よ、本当に憧れるわ」
本当に? 憧れだけなのかしら……太一に対する気持ちは。
「泉美ちゃんから見た太一課長はどうなの?」
真菜がそう言うと泉美の顔に笑顔が膨れ上がる。
うん! いい笑顔だよ、泉美ちゃん、それがあなたの素直な気持ちなんでしょ?
暁子は泉美の顔を見つめる、その笑顔は今まで見たことのないような素直な、そして、正直な気持ちを表した表情を浮かべている。
「エヘ、素敵なパパ!」
そういう泉美の笑顔は素直にそう思っているのであろう、素直で、そして交じり気のない純粋な笑顔だった。
=別れの函館空港 taichi=
「裕美姉によろしくな、近いうちに電話するといっておいてくれ」
新しくなった函館空港、函館駅が綺麗になったときは全国紙にも載ったほどなのだが、空港が綺麗になっても特に騒がれることはなかった。
「うん、わかった……真菜さん、暁子さん、不埒な父ですがこれからもよろしくお願いします」
うぉい! それをいうなら『不束者』とかいうだろう……なんで実の娘に『不埒』呼ばわりされなければいけないんだ?
太一が苦笑いを浮かべている隣で暁子と真菜も苦笑いを浮かべる。
「はは、不埒というよりも不孝者といったほうがいいかもね?」
暁子はさらっと泉美の台詞をかわしながら微笑む。
あのなぁ……。
「……ウン……あの……」
泉美はモジモジしながら太一の顔を見上げる。
なんだぁ?
「その……」
モジモジとした泉美は、何が言いたいのか分からないように太一に擦り寄ってくる。
「だから、何だよ……」
太一は、じれたように泉美を見るとその泉美は目に涙をちょっと浮かべながら太一の顔を見上げる。
「……パパ……またね!」
太一は一瞬絶句する。
「……泉美」
太一の表情を見て泉美は照れたような顔をしてうつむく。
「ヘヘ、じゃあね、バイバイ」
泉美は昨夜暁子から貰った大きなぬいぐるみの入った紙袋と荷物を持ちまるで駆け出すように搭乗口に入ってゆく。
……パパ、かぁ。
太一は金属探知機を抜け振り向きながら手を振る泉美の事を優しい目で見つめる。
「……良かったね、太一」
太一の隣では暁子が目を赤くして太一の顔を見つめる。
「ちょっと照れくさいけれどな……」
太一はそう言いながら搭乗口に背を向ける。
「太一課長のことをパパって呼びたかったんですよ、泉美ちゃんは」
真菜の目からも涙がこぼれ落ちている。
「泉美が……」
太一は再び搭乗口の中を見るが、既に泉美の着ていた黄色いTシャツは見えなくなっている。
「そう、太一の事を『太一君』と呼ぶのはあなたのお姉さんの真似みたいね? 物心ついた時には『太一君』と呼んでいたみたい、それをいまさら変えるのは恥ずかしいみたいだけれど、それが泉美ちゃんの本音……太一の事を『パパ』と呼ぶのがね」
暁子の声も涙声になっている。
「そうか……慣れるまでちょっと照れるよな」
太一はそう言いながら再び搭乗口を背にして、展望デッキに向かう。
「あの飛行機ね?」
真菜と暁子は目の前に見える飛行機を見つめる。
「そうだな……あれに乗れば一時間ちょっとで東京だ……別にとてつもなく離れているわけじゃない、一時間ちょっと我慢すればいい」
そうだ、東京まで一時間ちょっと……近いと思わなければ。
太一はそう言いながらも目線はずっと飛行機を眺めていた。
「……太一課長の『ポジティブに』ですか?」
真菜はそう言いながら太一の顔を覗き込んでくる。
「そうだ、今生の別れの訳ではない、また会えるんだ」
太一がそういうと同時に飛行機のエンジンの音が一段と大きくなる。
「……離陸みたいね?」
暁子はそう言いながら太一に寄り添う。
「あぁ……」
不意に太一の胸にこみ上げてくる物がある。
……やっぱり寂しいな、俺ってこんなにセンチだったかな?
目に涙が浮んでいるような感じがし、二人にばれないようにそれを拭う。
「飛び立ちますよ!」
真菜が声をあげると同時に、泉美を乗せた飛行機は滑走路の隅から行きよいよく走り出す。
「……バイバイ」
暁子は太一の隣でそう呟く。