coffeeの香り
第三話 暁子の想い出
=太一が来た日 akiko=
「じゃぁ、真菜ちゃんの介入に乾杯!」
会社近くにある居酒屋で五人のグラスが重なる。
「よろしくお願いします」
真菜はペコリと頭をさげる、その様子を暁子は微笑みながら眺める。
可愛いわね、あたしにもそんな時代があったのかしら? なぁんて考えるような年じゃない筈、成人式を向かえたのが……一、二、三……はぁ、もう八年前……かぁ。
思わず深いため息をつく暁子に隣に座っていた太一がグラスを合わせてくる。
「どうしたんだ? ため息なんてついて」
にっこりと微笑む太一にちょっと顔が赤らむ。
「別に……ただみんな若いなぁって思ってさ」
暁子の視線の先には真菜をはじめ直也と絵里香が楽しそうに談笑している。
「暁子だって若いだろうよ、俺に比べれば」
太一は苦笑いを浮かべながら暁子を見る。
確か太一は既に大台に突入したといっていたわね……ウフフ、そう考えると年上なのよね? 太一は……。
暁子は背中まであるストレートヘアーをかきあげながら太一の横顔をちらりと見る。
三年前に彼は東京の本社から赴任して来た。この会社では珍しい地方赴任よね? この会社では転勤というのは少ないはずだけれど、彼は転勤でこの街にやってきた。あたしもちょうど仕事になれて楽しくなってきた頃だった。
「そうかも……もう五年も経つのよねこの会社に入って」
再び暁子の口からため息が漏れる。
「あぁ、俺もあと二年もすれば永年勤続賞だよ」
太一はグラスに注がれたビールを口に含みながら苦笑いを浮かべている。
「太一も長いわね? こっちに来て三年かぁ」
遠い目をして暁子は呟く。
「今年からこっちに赴任して来ました真島太一です、よろしくお願いします!」
新入社員と一緒に森山所長から紹介される太一、はじめはずいぶんと歳をとった新人と思ったけれど、まさか本社から転勤してきた人とは思わなかった。
「真島係長は今年から開設される営業三課を任せるから……」
営業三課、部署変えで今年からあたしが配属される部署、そこの所属長が彼なのね?
「よろしく……確か茅島主任だったよね?」
太一は真新しい机に座り暁子の顔を眺める。
「ハイ、今年から主任になりました茅島暁子です、よろしくお願いいたします」
役職についた初年度に彼はやってきた。それまであたしは仕事が楽しくって仕方がなく、同期の中でも最初の役付になった。結構やっかみもあったみたいだけれどみんな納得の行く昇進だったみたい。そしてその所属長が本社からの人間だと思って緊張していたことを今でもよく覚えている。
「こちらこそよろしくね、さて堅苦しい挨拶はここまでだ、俺のことは係長なんていわないで太一でいいから……さてと、資料は……」
太一は販売実績表やらの資料を資料室から引っ張ってきたようですでに机の上にはファイルやら統計用紙やらが所狭しと広げられている。
「係長、お茶……」
新人と共にみゆきがお茶を持って右往左往している。
「あぁ、わりぃ……エェっと……あぁ、どおしよう」
太一はそう言いながら助けを請うように暁子の顔を見る。
アハ、なんだかホンワカしている人ね? 本当に堅苦しさがないわ、緊張するだけ損みたい。
「みゆきちゃん、こっちに貰うわ、太一……係長、同じ部署の田口みゆきちゃんと、新人の松島絵里香ちゃんです」
いきなり太一なんて呼べないよぉ……。
暁子はちょっと頬を赤らめながら太一に一緒に仕事をする二人を紹介する。
「……というわけだ、いわゆる俺たちの三課は、一課、二課のサポート的な存在になるわけだ、正直脚光を浴びる部署ではないが縁の下の力持ちという気持ちで頑張ってもらいたい」
月末に行われる部署ミーティングでの太一の顔つきはそれまでの顔とは違っている。まるで別人を見ているようだった、それまでひょうひょうとした表情が一変しビジネスマンの表情に変わっている。
彼が来てから既に一ヶ月が経過しようとしている、彼の仕事に対する姿勢は尊敬できるし、価値観も同じ、それに年も近いせいなのかすぐに打ち解ける事ができた、しかし……。
暁子はそれまでは業務の引継ぎなどでバタバタし、本業の三課の仕事は間々ならずに、やっと落ち着きを取り戻した今その三課の業務内容がわかりだした。
「……縁の下の力持ち」
暁子がそう呟くと太一の表情に笑顔が生まれる。
「あぁ、目立たないけれど役に立つのがこの三課だと思うよ」
その微笑に暁子はちょっと憮然としたものに変わる。
何で? 目立たない営業なんてあるの? そもそも営業部というのに業務の内容を聞いたらまるで雑用じゃない、花形一課のアフターやら、直営店周りの二課の配達の手伝いやら、物流センターからの配達やら、まるで雑用係、営業らしい交渉ができないじゃない……涙が出てくるよ、悔しくって……。
暁子はため息をつく、今までやってきた業務を否定されるようなそんな業務内容には納得がいかなかった。
ハァ……辞めようかな? 男でも作って。
暁子の頭にそんな事が浮かんだとき内線電話が鳴り響く。
「ハイ、茅島です……えぇー、何で? ちゃんと引き継ぎやったじゃないですか! だって」
暁子の顔が険しくなる、その様子をみゆきや絵里香は心配そうな顔で見つめている。
「困ったわねぇ……どうしよう」
引継ぎが上手くいっていなかったのか、明日オープンするお店に品物が着いていないと言うクレームの電話が物流センターに入ったらしい。ゴールデンウィークに向けて開店しようとしているそのお店に下手をすればそのお店に当社の品物が置くことができなくなるだけではなくわざわざうちの商品の為に空けてあるスペースに何も置けなくなるという失態につながる。
困惑した表情を浮かべる暁子の持つ受話器を太一が取る。
「真島です、どうしましたか?」
太一はその受話器を肩にはさみ必死にメモを取る。
「太一係長?」
いきなりのことで暁子はきょとんとするしかなかった。
「わかりました、在庫の確保だけお願いします、後、トラックはこっちで用意しますのですぐに積み込めるよう……ハイそうです、では」
電話を切るなり太一はかけてあったコートを取る。
「みゆきちゃん、申し訳ないけれどレンタカー店に電話して二トントラックを一台キープしておいてくれるかな、俺がこれから取りに行くって、後、絵里香ちゃんは物流センターに電話して、在庫の確保が出来次第俺の携帯に電話を入れてくれ」
それまでのほほんとしていた太一はしっかりとみんなに指示を出してゆく、その勢いにみんなはうなずきすぐに行動に移る。
「あたしは……」
情け無い事ながらあたしはその場でうろうろしているだけ。
「暁子ちゃんは俺と一緒に来るの、場所俺知らないもん、ナビよろしくね」
太一はそう言いながらウィンクを暁子に投げかける。
「いつも使っているレンタカー屋さんはどこだい?」
会社を出ると既に日は傾きはじめている。
「えっと、こっち……でも太一係長、何で?」
少し大股で歩く太一に遅れないように歩く暁子は自分より上にある太一の顔を見上げる。
「何が?」
まるでその状況を楽しんでいるかのように太一は微笑んでいる。
「だって、これは引継ぎが上手くいかなかっただけで、うちが動いてもいいものなの? 一課が動くのが筋なんじゃないの?」
そう、たとえ元々担当していたのはあたしかもしれないけれど、今は担当からあたしは外れている、一課の範疇なのではないか?
「暁子ちゃん、社内ではそうやって振り分けられえているかもしれないけれど、お客はそうは見ていないよ? お客が取引しているのは『とらべるワークス』という会社なんだ」
太一はそう言いながらレンタカー店に足を向け歩く、その後姿はなんとなく頼もしさを持っており、暁子はフッと落ち着きを取り戻す。
そうかぁ、これがあたしたち三課のお仕事というわけよね?
=色気のないドライブ taichi=
「わかった、じゃあセンターの方にはあと十分ぐらいで着くと連絡しておいてくれるかな、積み込む人員も確保してもらえると助かるといういとことも付け加えてね」
レンタカー店で手続きを終えトラックのエンジンをかけた途端に携帯が鳴り絵里香から在庫が確保されたという連絡が入る。
「じゃあ行こうかな、暁子ちゃんとドライブだ」
太一はそう言いながら特徴あるトラックのハンドルを回す。
「太一係長はトラックも運転できるの?」
トラックの運転台は、決して乗り心地のいいものではない。そして女の子と一緒に乗るには色気もへったくれもあったものではないな。
「ヘヘ、何でもやるよ、大学時代バイトでトラック運転していたし、本社時代も何回かトラックで出張に行った事だってある、こっちの方が運転しやすかったりしてね?」
おどけるように太一は暁子に微笑みかける。
「ウフ、それじゃあトラック野郎ね? この会社辞めてもやっていけるんじゃない?」
助手席でやっと暁子の顔に笑顔が戻ってきた。
「ハハ、やっと笑顔になったね……暁子ちゃんは営業なんだから笑顔でいないといけないよ、悔しい気持ちはわかるけれど、誰かがやらなければいけない仕事なんだ」
その一言に暁子はハッとした表情を浮かべている。
「太一係長……も悔しかった?」
暁子はうつむきながら呟くように言う。
「あぁ、正直言うと花形の一課が良かったよ、カッコいいしね、でもカッコ良さで仕事が出来る訳じゃない、カッコ悪い仕事だって結構カッコ良いかも知れないよ? ほら、あそこで荷物を用意してくれている人達だって決してカッコ良くはないけれど、でも、俺から見れば頼りがいのある人達だと思うよ、むしろカッコ良く見えるね?」
太一の視線の先には荷物を用意して待っている物流センターのスタッフだった、みんな必死に出てきた商品をチェックしてくれている。そんな人達を見る暁子の目は優しかった。
カッコ良いかぁ……確かにそうかもしれないなぁ。
「お疲れ様」
明日グラウンドオープンとなる大型観光施設内にあるお土産物店では、既に商品の陳列を終え、後はお客さんが手にとって見てくれるのを待つばかりとなっていた。
「お疲れ様でした、本日は大変ご迷惑おかけしました」
暁子は神妙な面持ちでそのお店の店長に頭を下げる。
「いや、かえってうちのほうが助かったよ、お宅が品物持って来てくれただけではなく、こうやってディスプレーやPOPまで作ってくれたおかげで思ったより早く終わったよ」
早いといっても時間は後一時間で日付が変わろうかというところだった。
「そんな……」
暁子はその言葉に素直に頭を下げる。
「本当にありがとう、お宅ぐらいだよ、こうやってフォローしてくれるのは……何とか明日のオープンにはお宅の商品をいっぱい売るようにするよ」
店長はニッコリと微笑んで暁子の顔を見る。
「しかし、ずいぶんとフットワークの軽い人が来たね、これからもお宅にお任せするよ」
店長はそう言いながらトラックの傍らでタバコに火をつけている太一を見て、暁子にウィンクする。そのウィンクに答えるように暁子は大きくうなずく。
「ヘヘ、よかったじゃないか、いっぱい売ってもらおうよ」
トラックに乗り込むと太一はタバコを消しトラックのエンジンをかける。
「うん、怒られると思っていたけれど、逆に感謝されちゃった……よかった」
暁子はほっと胸をなでおろす。
「あぁ、ミスは誰にでもある、そのミスをいかに美味くフォローするかによって相手の心象は変わってくるよ、失敗すれば付き合いはそこまでになってしまうし、うまくいけば今日みたいに感謝もされる、その駆け引きを請け負うのがこの三課なんだよ、きっと」
太一はそう言いながらトラックを操る。
「そうね? あくまでも相手は心を持った人間なんだから」
暁子もそう言いながら窓の外に流れる漆黒の海を眺める。
「少しは面白みを持たないとね?」
運転席では太一がタバコに火をつけ楽しそうに笑う。
「クス……でもクレームはやっぱり面白くないよ」
暁子はそう言いながら、ハンドルを握る太一の横顔を見つめる。
「遅くなったなぁ……」
会社に戻ると既に暗く、警備員に声をかけてから社内に入る。
「はは……ちょっと不気味かも」
薄暗い社内は誰もいない学校と同じような不気味さを持っていて、暁子を怖がらせるのには十分なシチュエーションだが、まさか暁子を会社の制服のままで帰す訳にも行かないだろう。
「早く着替えて来な、待っているから」
太一は更衣室前にある給湯室でタバコをくわえる。
「うん……待っていてね」
暁子のその声はどことなく震えているようだ。
意外に臆病な娘みたいだな……まぁ、確かに気味のいい雰囲気ではない事だけは確かだ。
太一はタバコの煙を吐き出しながら薄暗い廊下を眺める、そこには非常口の緑色のランプがぽつんとつき、どこからともなく機械がうなる様な音もする。
静かだなぁ……日中の喧騒が嘘のようだ、こういう環境なら仕事がはかどりそうだよ。
ガタン!
そう思っているそばからその沈黙を切り裂くかのように音がする、音の質からするとたいして重たくないような物が床に落ちたような音だ。
「キャァ~!」
その音とほぼ同時に布を裂くような女性の悲鳴が更衣室内から聞こえる、太一はむしろ音よりもその声のほうに驚く。
「暁子ちゃん?」
まさか更衣室の扉を開き飛び込んでいくわけにも行かないが、とりあえずその扉の前に駆け寄るとその扉がいきなり開き、中から暁子が飛び出し太一に抱きつく。
「太一、な、何かいる……」
いきなり呼び捨てにされ苦笑いを浮かべながらも太一はそっと更衣室内を見渡す。
カサ……ガサガサ……。
やけに自己主張の強い幽霊だこと……。
更衣室の中には確かに第三者がいることは間違いない、そしてその正体は。
「……はは、ねずみだぁ」
太一の視線は瞬時に音の根源に行きつきそこを覗き込むと小さな動物と目が合い、それは一目散に逃げて行く。
「ねずみ? もぉ嫌だなぁ……みんなここでお菓子食べたりしているから……」
ほほぉう、たまに姿が見えなくなるのはそのせいなのか……よく覚えておこう。
「まぁ、よかったじゃないか、非現実的なものじゃなくて……てぇ~?」
次の瞬間太一の表情が変わる、それは暁子の姿を見た瞬間だった。
「えっ? きゃぁぁぁぁ~~太一のえっちぃぃ」
太一の視線の先にいる暁子は、上こそきちんと着替えているものの、下にははいていなければいけない物……スカートをはいておらず、ピンクの縞々模様のパンツ……。
こ、これはちょっとラッキーかも……。
パチィ~ン!
目を見開き太一がその光景を脳裏に焼き付けようとした瞬間に乾いた音が闇の中の会社内に響き渡る。
痛いぞ……。
=歓迎会の帰り道 mana=
「はは、そんなこともあった」
「そうよ、もう、思い出させないでよぉ、恥ずかしかったんだからぁ」
太一と暁子は二人話に没頭している、その構図は絵になっていた。
うぅ、なんだか凄く大人の雰囲気……暁子係長はさりげなく太一課長の腕に手をやったりして、ちょっと話しかけ難い雰囲気があの二人から発せられているかもしれないなぁ……お似合いのカップル……だなぁ。
チクリ、再び真菜の胸にちょっとした動揺が走る。
「どうかしたの?」
隣に座っていた直也が真菜に声をかけてくる。
「い、いえ、なんでもないです」
そう言いながらも真菜の視線は太一と暁子に向いていた。
「あのお二人ですか? 仲が良いですよね……傍から見るとお付合いしているみたいなんですけれどそんなことないみたいだし、あたしはいいカップルだと思うけれどなぁ」
絵里香はそう言いながら真菜の視線を追う。
「そうかなぁ、課長には勿体無いような気がするけれど」
直也はちょっと頬を膨らませながら絵里香の一言を否定する。
「そんなこと無いよ、真嶋課長って凄くしっかりしていると思うよ? 目立った頼りがいと言うよりも、気が付いた時に居てくれるという頼もしさって言う感じなのかなぁ……結構あたしは好きかも」
ちょっと照れたような表情になる絵里香の頬も酔ったように桜色に染まっていた。
「アァ、絵里香さん、太一課長に?」
意地の悪い顔をして直也は絵里香に言う。
「う~ん、多分違うかな……好きとかそういう感覚よりも憧れというのかな……」
絵里香の見つめる視線の先には満面の笑顔を浮かべている太一の顔。
「そんなもんですかねぇ……俺は暁子係長の方がしっかりしていると思うけれどな、よく太一課長暁子係長に怒られているし……」
直也のその一言に絵里香は過敏に反応する。
「アハ、そうか、直也君は暁子係長のこと……」
可愛い顔をしながらも意地悪な表情で絵里香は直也の顔を見ると、酔って顔が赤くなっていた直也の顔がさらに赤くなる。
「絵里香さん……茶化さないでくださいよ」
キヒヒと変な笑い声を上げる絵里香に対し直也は真っ赤な顔をしてうつむく、その様子を微笑みながら見つめ視線を太一と暁子に移す。
「フゥ……」
隣では絵里香と直也がキャッキャキャッキャとはしゃいでいるが真菜はそれを尻目に大きくため息をつく。
なんだろうなぁ、憧れなのかなぁ……でも、なんだかあの二人を見ているとつまらない。太一課長はいつものように暁子係長と話をしているが、その二人の表情は輝いているというのか、本当に楽しそうな顔をしている、それはやはり……恋人同士のような感じ。
「フーン……」
真菜は手元にあったグラスの中身を一気にあおる。
「ま、真菜ちゃんそれ……」
驚いた様子で真菜の顔を見つめる直也だが、その表情が暗転してゆく。
これ、強いお酒……喉が焼けるよう……でも、良いか……なんだかどうでもいい気になってくる。
「真菜ちゃん?」
心配そうな顔を見せる絵里香の顔も歪んでゆき、そして周囲は闇になった。
「重くない?」
耳の奥に聞こえる女性の声、お母さんの声のような気がするのはさっきから香るこのタバコの匂いのせいなのかしら……お父さんを思い出す。
「大丈夫だよ……軽いものさ」
暖かい体温を感じる耳の奥には背中越しに心地よく響く声。そして心地のいい振動、懐かしい香り……お父さん。
「でもいいのかしら? あたしの部屋で……」
間近に聞こえる女性の声は困惑しているよう……あれ?
真菜のどんよりとした意識が徐々に覚醒していくような気がする。しかし目を開ける事ができない……心地良すぎて。
「まさか俺の所に連れて行く訳にもいかんだろう」
「当たり前でしょ!」
怒った様な声の女性の声は暁子係長? そうだ、あたし飲みに行って、それから……。
真菜がハッとして目を開けると、そこには暁子の横顔が見える。
「あ、あれ?」
暁子はその声に気がつき真菜に顔を寄せる。
「真菜ちゃん、目が覚めた?」
暁子は微笑みながら真菜の顔を覗き込んでくる。今までゆっくりと動いていた風景が止まる。
「あれ? あたし……一体?」
そこまで言ってはじめて自分の置かれている状況がわかる。
「ハハ、真菜ちゃん無理しただろう、駄目だぞ、お酒は楽しく飲むものなんだからつぶれるまで飲んじゃあ、お酒がもったいない」
再び心地いい声が背中越しに聞こえる……って、あたし?
「太一課長?」
真菜はそう言いながら自分を支えている人のことを見る。
た、太一課長が、あたしを?
真菜を支えていたのは太一の腕で、その落ち着いて頬をつけていたのは太一の背中だった。
「す、すみません、降ります!」
真菜はそう言いながら慌てて太一の背中から離れるが、着地したはずの足には力が入らずその場にへたり込んでしまう。
「おいおい、大丈夫か?」
太一は苦笑いを浮かべながら真菜に手を差し伸べる。
「あれ?」
なにが起きているのかわからない、確かにちゃんと立ったつもりなのに足が地に着いていないみたい。
「ウフ、大丈夫じゃないみたいね? ほら、大人しく太一にしがみついていなさいよ」
暁子はそう言いながら真菜の両脇を支えるようにする。
「で、でも……」
真菜は渋々といった感じで再び太一の背中にしがみつくと、ゆっくりと視界が上昇する。
「ハハ、大丈夫だよ……ところで真菜ちゃんの家はどこだい?」
背中越しに聞く太一課長の声は、昔お父さんにおんぶされたときと同じように落ち着く。
「はぁ、東山です……」
函館の北に位置する東山は住宅街になっており、マンションなどの家賃も安い、しかし交通の便はあまりよくないけれど……背に腹は代えられないのよぉ。
「東山かぁ……タクシー使うしかないかな?」
太一はそう言いながら道を走る車を見るが、あいにく空車のタクシーは通らない。
「やっぱりうちに来なさいよ、どうせ明日は休みなんだから」
太一の横で暁子がにっこりと微笑みながら真菜に言う。
「ウン、そのほうがいいかも知れんな」
太一もその意見に賛成する。
「でも……ご迷惑を……」
どんどんと進んでいく話に真菜は戸惑う。
「大丈夫よ、あたしだって一人暮らしだから」
にっこりと微笑む暁子の顔に真菜はちょっと安心しコクリとうなずく。
「でも、暁子の部屋二人も人が入れるのか? 状況がなんとなく想像できるんだが」
顔こそ見えないものの、きっと太一は意地の悪い顔をしているだろう。
「見くびらないでよね、こう見えてもあたしは綺麗好きなんだから、きちんと片付いているわよ、布団だってちゃんと干しているし心配ないわよ」
暁子はプックリと頬を膨らませながら太一の顔を睨みつけると太一も楽しそうに笑い声を上げる。
本当に仲が良い二人……あたしの入る隙なんて……ないのかなぁ?
真菜は再び目を閉じ背中越しに聞こえる太一の声を聞きながらその昔感じた大人の背中を感じていた。
「太一有り難う」
歩いて五分ぐらいだろうか、暁子の雰囲気にはちょっと似つかないこぢんまりとしたアパートの前に着き、暁子は部屋の鍵を取り出す。
「あぁ、真菜ちゃん大丈夫かい?」
まだちょっとふらつくものの、さっきみたいに足に力が入らない事はないみたい。
「ハイ、本当に有り難うございました」
ペコリと頭をさげる真菜の後ろでガチャリと扉の開く音がする。
「暁子、俺この辺で帰るから……真菜ちゃんを襲うなよ!」
太一はそう言いながら暁子に手を振る。
「太一とは違うよ~だ」
べぇっと暁子は手を振る太一に向けて舌を出す。
「うっせい」
太一はそう言いながら背を向けるが、その背を見送る暁子の顔はすごく優しいものだった事に真菜は気が付いていた。