coffeeの香り
第四話 軽井沢へ。
=研修旅行 mana=
「……後は、下着も入れたし、アァ、歯ブラシ」
ワンルームマンション、真菜はスーツケースを目の前にしながら荷物を詰め込む。
アーァ、やっと仕事が一段楽して休みが取れると思ったらいきなり研修だもんなぁ、しかも軽井沢の研修施設で一週間……、せっかく休みの日に函館の街を歩いてみたいと思ったのに、また休日返上だよ……トホホ。
真菜はしかめっ面をしてトランクに詰め込んだ荷物を指差し確認する。
「ハァ……」
深いため息をつきながら真菜は天井を見上げる。
忙しい思いをしたゴールデンウィーク、日曜日こそ休ませてもらったけれど、太一課長や直也さんはずっと働きづめだったみたいだし、暁子係長もほぼ毎日早出をしていたみたい、この業界がこんなに忙しいとは思ってもいなかった……、気がついたら五稜郭の桜も散っていたし、今年はゆっくりと桜も見られなかったな。そして研修かぁ……ちょとブルーかも。
真菜の脳裏に、五月病という文字がふと浮ぶ。
これがそうなのかなぁ……みんなどうやって乗り越えているんだろう。
明日から一緒に研修に行くメンバーの顔を思い浮かべる、函館事業所からは新人の五人が研修に参加する、他にも北海道地区の新人が総勢二十五人ぐらい集まるらしい。
「まぁ、明日には明日の風が吹く……人間ポジティブにならなきゃ! だわね?」
真菜はそう思いながら部屋の電気を消しベッドに転がる。
どうあがいても明日からは軽井沢なのよ……これもお仕事。
「おはよう、真菜ちゃん」
翌朝、会社には既に暁子が出社しみんなの席に雑巾をかけている。
「暁子係長、すみません……」
久しぶりに袖を通すリクルートスーツの腕をまくり、給湯室に向かおうとするが、暁子にその腕をつかまれる。
「何やっているのよ真菜ちゃん、今日はいいの、それよりそろそろみんな集まって来ているわよ、早く総務に行ったほうが良いわ」
苦笑いを浮かべながら暁子は真菜の顔を見る。
「ハイ……あのぉ……太一課長は?」
真菜は周りを見渡す、いつもなら出社してデスクでおにぎりにかぶりついているか、パソコンに向かっている時間なのだが出社している様子すらない。
「太一? 彼は今日から出張よ、一週間ぐらいだったかしら」
暁子はそう言いながらもちょっと笑みをこぼしながら真菜の顔を見る。
何だ、出張かぁ……せっかく行く前に挨拶しようと思ったのに。
真菜はちょっと頬を膨らませながら心の中で舌打ちする。
「真菜ちゃん、そんな顔をしないの、せっかく同期と一緒なんだから、笑顔で行かないと」
暁子は真菜にそう言いながらわき腹を突っつく。
「そんな顔って……変な顔していました?」
真菜は慌てて頬に手をやる。
「なんだか怒ったようなふくれっ面していたわよ、可愛い顔が台無しって言う感じぃ」
暁子は意地の悪い顔をして真菜のおでこを人指し指で突っつく。
「きっと良いこともあるわよ……ふふふ」
暁子は付け加えるよう言う、その笑顔は意味深な笑顔だった。
「真菜ぁ、君塚課長が呼んでいるよ」
暁子の一言に首をかしげていると部屋の外から真菜の姿を発見した同期の長谷川哀が声をかけてくる。
「じゃあ行ってらっしゃい、頑張ってね」
暁子は手を振りながら真菜を見送る。
「ハイ! 行ってきます」
真菜はその一言に元気に返事をする。
「そろったようね、それではこれから函館空港まで会社のワゴン車で向かってもらいます、函館空港から羽田まで飛んで羽田で本社の人の指示を受けてください、えっと吉村さん、あなた東京出身だからよく知っているわよね羽田空港の事。向こうで本社の人と合流するまであなたが引率するように、良いわね?」
君塚は異議を受け付けないように一気に話し、真菜に資料らしき物の入った封筒を手渡す。
「あたしがですか?」
真菜はそう言いながら君塚を見ると、君塚は言葉無くうなずく。
「真菜、頼んだわよ?」
哀が真菜の肩をたたく、営業志望の彼女は耳がかろうじて隠れるようなショートボブの髪の毛にカチューシャをしている。
「うん……多分大丈夫だと」
「おいおい頼むぜ、俺ははじめて行くんだから迷子なんて洒落にならねぇぜ?」
不安げな真菜に対してがっしりした体格の北山大輔が苦笑いを浮かべる。
「あたしだってそうだよ……第二ターミナルは行った事ないよ」
真菜の渡されたチケットには『ANA』と書かれている、ANA、全日空は確か羽田空港第二ターミナルに着くはず。
「だって真菜ちゃん羽田からこっちに来たんでしょ?」
肩まであるウェーブヘアーの宮口弥生がそのたれた目で真菜を見る。
「来たときはJALだったもん……日航は第一ターミナルだもん」
泣きたくなる、一人であればそんなに不安にならないだろうが、自分を含め五人の引率をするとなるとやはり戸惑う。
「まぁ、なるようになるよ……だろ? 俺は何回か言った事あるし……覚えていないけれど」
大輔の後ろからすらっとした印象の中山竜一が真菜に微笑みかける。
「そんないい加減な……」
半べそをかいたような表情の真菜の肩を哀が叩く。
「大丈夫、皆で一蓮托生よ、いざとなったら東京見物して帰ってきちゃおうか?」
哀ちゃぁ~ん、そんな不安になるような事言わないでよ。
「それで? 予定はどうなっているの?」
新しくなった函館空港、搭乗手続きを終え一向は出発ロビーでくつろぐ。大輔と竜一は喫煙所でタバコを吸いながら話をしているその脇で哀と弥生は真菜を取り囲んでいる。
「う~ん、羽田で札幌組と合流してからバスで移動でしょ? 本社から総務部長と人事課長が来るって、羽田で待っているみたい……よかった」
行程表に記載されている文字に真菜はちょっと胸をなでおろす。
よかった、何かあったらどうしようかと思っていたけれど、何とかなりそう……でもちょっと待って、総務部長ってどんな顔だったっけ、人事課長の顔も忘れたかも。
面接の時に会っているはずだが、緊張していたせいなのかその面接官の顔を覚えていない、ただ一人だけ綺麗な女性がいたことだけは覚えている。
「そうか、本社のお偉いさんが教官殿って言う事だな」
いつの間にか竜一たちが喫煙所から戻ってくる。
「総務部長ってどんな顔をしていたっけ?」
大輔が首をかしげながら弥生の顔を見る。
良かった、忘れているのはあたしだけじゃないのね?
「確かあのちょっと油ギッシュな人じゃない? 面接の時に真ん中に座っていたあからさまに偉そうだった人」
哀がそう言うと竜一は首をかしげる。
「いや、あれは社長だろう? 総務部長はその隣に座っていた身体のガッチリした人だよ、確か……野口部長だったな」
「そうよ、人事課長は女性だったかな? 片山課長……面接の時にはいなかったからどんな人か分からないけれど、まぁ、課長なんだからそんなに若くないでしょうね?」
弥生はそう言いながら缶ジュースに口をつけているが、その会話についていけないのが真菜だった。
みんなは一次募集、しかも函館での採用だからあたしと違うのよね? 社長なんていなかったし、確かあの時面接したのは女性と男性の二人っきりだったと思うな。
『お待たせいたしましたただ今から東京行き全日空……』
ロビー内にお客を機内に案内する旨の放送が鳴り響く。
「さぁ、行きますかね? 軽井沢への研修旅行」
哀が元気よく腕を上げると皆は同調するようにそれに答える。
=羽田空港 mana=
「人がいっぱい……目が回るかも」
預けた荷物を受取り、待ち合わせ場所であろう所に着くなり哀は悲鳴に似た声をあげる。
「そうね……はじめて東京に出てきたけれど、こんなに人が一杯いるなんて……」
隣ではいささかぐったりした表情の弥生が人波を見ている。
「へぇ~、すごいなぁ千歳空港も広いと思ったけれど、ここはもっと広い……よくみんな迷子にならないよな?」
大輔は物珍しそうに流れる人を観察している。
「おいおい、そんな事言っていると田舎者丸出しだよ」
苦笑いを浮かべる竜一はみんなの顔を見渡す。
はは……竜一君以外は本当に初めてなのね? なんだか周りの視線がこっちを見ているような気がするんですけれど……恥ずかしいなぁ。
「吉村さん?」
頬を紅潮させていると不意に背後から声をかけられ、真菜は無意識にその声の主に振り向く。そこに立っているのは背中まであるストレートヘアーが印象的な女性。
この人は確かあたしの面接の時にいた人だ。
「ゴメンね、ちょっと遅くなっちゃった」
呆気にとられたような表情を浮かべている大輔と竜一を尻目にペロッと舌を出す彼女は綺麗というよりどこと無く可愛らしくも見える。
「真菜、この綺麗な方は知り合いなの?」
哀が真菜にコソッと声をかけてくる。
「知り合いって言うほどじゃないけれど……」
「ウム、函館組はちゃんと到着したようだな、札幌組は何時だったかな片山課長」
真菜の会話を女性の背後にいた背広姿の男性が途切れさす。その男性はは大きな身体を揺らしながらその女性に声をかける。
「ハイ、確か間もなく到着する頃だと思いますが」
女性は各地からの到着を示す掲示板に目をやりながら男性に答える。
「フム、君が吉村さんだね、お疲れ様」
男性はそう言いながら真菜の顔を見る、その顔はあからさまに業務的で本当に労をねぎらっている様子ではなかった。
この綺麗な人が片山課長かぁ……だからあたしの面接の時にいたのね? それにこのオジサン……なんだか嫌な感じぃ。
ピピピ……ピピピ……。
男性の懐からこれまた面白みのない携帯の着信音が聞える、まぁ、これぐらいのオジサンが可愛らしい着メロとかにしているほうがおかしいとは思うが。
「はい野口です……ウム……それは仕方がないだろう業務優先だ……要領の悪いお前らしいとは思うがな」
相手は誰かわからないけれど、嫌みな言い方ね、感じ悪い。
真菜はコソッとその男性から視線を外すと今度は女性と視線が合う、その女性も苦笑いを浮かべ真菜を見ている、どうやら考えている事は真菜と同じようだ。
「片山課長……ちょっと」
女性は男性に呼ばれて真菜から離れる。
「真菜、あの二人が本社の人なの?」
弥生は真菜に耳打ちするように聞いてくるが、真菜にしてもよくわからない、わかる事は片山課長というのがあたしの面接の時にいた綺麗な女性だったという事ぐらい。
「そうじゃないかしら? 総務部長と人事課長、ポジションはあっているし」
哀と弥生の二人でコソコソ話しているのを尻目に、真菜は二人で打合せをしている片山と野口の背中を見つめる。
「全員乗ったな?」
札幌からの二十五人と合流し総勢三十人になった一行はバスに乗車する。
「なんだかちょっと肩身が狭いかも」
席にゆとりがあるものの、まとまって座れという指示のため全員は一箇所にまとまる。
「あなたは函館の人?」
隣の席に座っている女性が微笑みながら真菜の顔を見つめている。
「ハイ、函館事業部の吉村真菜です」
真菜はそう言いながらペコリとお辞儀をする。
「あたしは札幌営業所の黒瀬冴子よろしくね?」
冴子はにっこりと微笑みながら真菜を見る。
「あぁ、皆さん遠路はるばるお疲れ様です」
マイクを握る野口はちょっと満足そうな顔で車内を見わたす。
「今日から一週間という短い期間でありますが、皆さんにはこの会社の事をよく知ってもらうためにこういう新人研修を行います、勉強会みたいなものだが、きっと諸君らにはためになる事だと思うので一日でも早く習得していただきたい」
「十分長いよね? 一週間なんて」
隣に座る冴子はコソッと真菜に言う。
「ハハ……そうですね」
一週間……当然休日も軽井沢で過ごす事になる、ゆっくり出来ないよね?
「講師として、私野口と人事課長の片山が当たる、他に営業講師として一名合流する予定だったが業務の都合上まだ来ていないので来次第みんなには紹介する」
さっきの電話はその事だったのね?
野口はそういうときだけは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「営業講師って、今日あたし達と一緒に来るって言っていた人なんですけれど、なんだかトラぶっているみたいで間に合わなかったんですよ」
隣で冴子はそういう。
「はぁ、そうなんですか」
真菜はそう言いながらその人物を想像する。
要領が悪いなんていわれていたよね? きっと本社の営業さんであまりパッとしない人なのかもしれないなぁ。
「それではあたしから今後のスケジュールを案内します」
満足げにマイクを片山に渡すと野口はどっかりと座席に座り込む。
「あたしは人事の片山美奈、この研修中に困った事とかあったら遠慮なく言ってね? 特に女の子で相談があったら相談に乗るわよ」
気のせいか美菜の視線が真菜に向いていたような気がする。
「う~ん、高原って言う感じかな?」
冴子はバスを降りると大きく伸びをする。
頬を撫ぜてゆく風は函館を出てきたときと同じようなさわやかさを持っており高原特有の新緑の香りが混ざっている。
「うん、気持ちいいかも」
真菜は大きく深呼吸すると今まで肺にあった空気が入れ替わったような気がする。
「軽井沢といっても中心から離れているからちょっと不便は不便だけれど、いわゆる別荘地なのよこの辺りは」
いつの間にか後ろにいた美奈が真菜の肩をぽんとたたく。
「軽井沢というと高原というイメージですが、この辺りはどちらかというと林の中といったイメージですね」
冴子はそう言いながら周囲を見わたす。
確かにそうかもしれないわね、白樺であろう木が道の左右をうっそうと覆い並木道を甦生しており、点在している別荘はそのおかげで見入る事ができなくなっている。
「なんか軽井沢のイメージとは違うような気がするなぁ」
荷物を持った哀は目の前にあるであろう合宿所に足を向けながら呟く。
「そう? あたしはイメージ通りなんだけれど」
真菜はそう言いながらバスから降ろされた自分の荷物を受け取る。
白樺の林の中に点在する別荘地、その白樺並木を森林浴をかねてぶらりと散歩する、ある意味贅沢な時間の取り方かもしれないわね?
「そうかなぁ、あたしの中では軽井沢というとショッピングというイメージだから……ちょっと不満かもしれない」
哀はきっとそれを心の支えにここにやってきたようで、頬を膨らませながら不機嫌そうな表情を作っている。
「ウフ、ここから歩いて十分位で有名な『旧軽井沢銀座』に出られるわよ、研修休みの日にでも行ってみたらどうかしら?」
美奈がそういうと哀の表情が一変する。
「本当ですか? 実は観光ガイド持ってきたんですよ、美味しいスウィーツのお店があるって書いてあったから行ってみたかったんです」
嬉しそうな表情、そんな哀に美奈は苦笑いを浮かべていた。
「うぉ、すごいな……お屋敷みたいだぜ」
目の前を歩いていた大輔が感嘆の声を上げるそこは白樺並木が切れた所で見えた。
合宿所は想像していたような無機質なものではなく、まるでどこかのお金持ちの別荘といった雰囲気で、このリクルートスーツがまったくマッチしていないかも……。
「ここは、うちの社長の別荘だったの、そこを改造して研修施設兼会社の保養所にしているって言う事、だからみんなもここはいつでも使えるのよ」
関東近郊ならいいかもしれないけれど函館からここまで来るのは……ちょっと遠いかも。
「ここまで来るのは大変だけれど、でも……ハァ……軽井沢での結婚式、夢よね?」
哀はそう言いながらウットリとした顔をしている。
何でそこまで話が飛躍するのか良くわからないが、一つだけわかった事がある、この娘は意外とミーハーなのかもしれないということが。
「……頑張ってね」
真菜は苦笑いを浮かべながら哀の顔を見る。
結婚かぁ……今までそんな事考えた事ないよ、相手だっていないし、でも、高原で挙げる結婚式かぁ……隣にいるのは。
不意に太一の顔が浮かび上がり真菜はぼっと顔を赤らめる。
=研修開始! mana=
「各人部屋で着替えたら玄関に集合だ」
吹き抜けになっている正面玄関先に野口の声が響き渡る。
「あたし達は二階の突き当りの部屋ね? 二〇五号室だって」
事前に渡された研修のしおりに部屋割りが書かれており函館事業部の女子三人は一緒の部屋だった。
「でも、ジャージに着替えてなにをするのかしら?」
弥生は首をかしげながら部屋の中で着替えを始める。
「ホント、なんだか学校の合宿みたいよね」
哀もそう言いながら部屋の中心でやおらスーツを脱ぎだす。
「ジャージなんて高校時代以来かも……」
カバンの中から高校時代のジャージを取り出す……まさかここで役に立つとは思ってもいなかった。
「アハ、じゃあブルマーも必要かしら」
哀がそう言いながら真菜の顔を見る。
「さすがにそれは……」
ゆっくりと着替えをはじめる真菜に二人の視線が突き刺さる。
「真菜、あんたそのジャージは……」
ピンク色のちょっと古ぼけたジャージを哀は遠慮なく引っ張る。
「な、何よ……」
ちょっと膨れっ面をしながら真菜は哀の事を抗議の目で睨む。
「……あんたねぇ、もう少し色気を持ったら? 違った意味での色気はあるかも知れないけれど……」
哀は呆れ顔をしながらため息をつく。
何でよ……ジャージなんて持っているのこれしかないし、わざわざ買うつもりにもならなかったし、これだって結構可愛いと思うけれど……その当時では。
見渡せば哀と弥生は今流行のジャージ姿でいる。
「まぁ、いいじゃないの、真菜ちゃん可愛いわよ」
その場を取り繕うように弥生は真奈の顔を見るが、その顔には苦笑いが浮かんでいる。
「ほう、真菜ちゃんは高校生みたいだな」
集合場所である正面玄関には大輔と竜一が先に集まってタバコを吸っていた。
「大輔、そんな事言わないでよぉ……恥ずかしいんだから」
顔が真っ赤になっているのが自分でも良くわかる。まるで顔から湯気でも出ているんじゃないかと思うほどだった。
「でも、似合っているよ」
竜一はそう言いながら真菜の顔を見る。その顔もちょっと赤らんでいるようだった。
「あらあら、高校生がいるのかと思ったわよ」
その一言に真菜は険しい目でその人物を見る、するとそこに立っていたのは美奈だった。
「か、片山課長?」
文句の一つでも言ってやろうと思ったのだが、相手は人事課長……分が悪いわね、それにしてもその格好は一体……。
美奈の格好はみんなと同じジャージ姿だが、そのジャージは黄色をベースに黒いラインが入っておりまるで野球のユニフォームのようだ。
「ウフ、可愛いわね、高校時代のやつ?」
にっこりと微笑む美奈に対し真菜はうつむき、コクリとうなずく。
「それがまだ着られるだけでもすごいと思うわよ……あたしなんてきっとウエスト辺りがチョッチきついかも……」
美奈は嫌みなくそう言い真菜の顔を覗き込む。
「片山課長もその格好はすごいですね」
大輔はそう言いながら美奈の格好を見つめる。
「ふふぅん、ジャージといえばスポーツ、スポーツといえば野球でしょ?」
美奈はそう言いながら大輔に対し人差し指を揺らす。
「もしかして片山課長は……」
竜一は苦笑いを浮かべながら美奈を見るとその視線の先で大きくうなずいている。
「?」
あまり野球に興味のない真菜は首を傾げるが、他の娘にはわかったようだった。
「やっぱりカラオケは『六甲おろし』ですか?」
大輔は苦笑いを浮かべながら美奈を見る。
「まさか、歌えないけれどね? でも、優勝した年は歌いまくったわよ、それはもう声がかれるまで」
嬉しそうな表情の美奈に対しまわりの人間達は引いていた。
「みんな集まったか……これから研修を開始する、まずは、研修所内にある緑地帯の草むしりからだ、心してかかれよ」
一人背広にノーネクタイという、普通のおじさんルックの野口は嬉しそうにみんなにそう言うと、周囲からは抗議のざわめきが聞えてくる。
「何で軽井沢まで来て草むしりなのよ……」
哀は頬を思いっきり膨らませながら呟く。
「まぁまぁ、これも研修の一つよ……理解は出来ないけれど、社会人足るもの上司の命令は絶対だわよね?」
弥生も微笑みながらも眉間にしわを刻んでいる。
結構弥生っておとなしく怒るタイプかもしれないわね? 気をつけよう。
真菜は苦笑いを浮かべつつ、用意されたカマとビニール袋を手に緑地帯に突進してゆく。
「疲れた……」
日が暮れ本日の予定が全て終了した。目の前には美味しそうな夕飯が並んでいるものの食欲が出ないほどに疲れた。
「真菜どうしたんだ、食欲なさそうだが」
竜一が真奈に声をかけてくる。
「うん、ちょっと疲れたかも……」
笑顔を浮かべているつもりではいるもののその笑顔は引きつっていたようだ。
「……大丈夫か? 早く風呂にでも入って休んだほうがいいぞ」
竜一君……心配してくれるんだ、優しいねぇ。
真菜はちょっと照れくさそうに竜一の顔を見ると、その相手である竜一も頬を赤らめる。
「大丈夫?」
心配そうな表情で美奈が二人に声をかけてくる。
「はぁ、たぶん……普段使わない力を使ったからだと思います……はは」
草むしりなど普段使わない労力を使ったのが原因と推測されるが、それよりも講義のほうが辛かったなどとは口が裂けてもいえないであろう。
「ゆっくりした方がいいわよ、明日もあるんだから」
そういう美奈の顔がちょっと小悪魔的に見えたのは気のせいなのだろうか。
そうだ、まだ明日もある……一週間もこの生活が続くのかと思うとちょっと気が重いかもしれない……。
「……はぁ、そうさせてもらいます」
真菜は作り笑いを浮かべながら美奈にそういう。
「本気で疲れたわ……」
部屋に戻りソファーに座りながら弥生は足を投げ出す。
「そうかも……事務系志望の人にはちょっと辛いよね? 営業志望のあたしでも結構辛かったよなぁ……あたしも自信なくなってきたかも」
真菜はそう言いながら笑顔を浮かべるものの心の底では真剣に悩んでしまう。
「お風呂に行く?」
真菜は首を振りその不安を打ち消すように弥生に声をかける。
「うん、そうね……哀はどうする?」
後から戻ってきた哀はテレビをつけて今流行の番組を見ている。
「うん、これが終わってから入るから先に行って」
視線はテレビに向いたまま哀はそう言い、大きな口を開けて笑っている。
男連中には見せられない姿だわね?
「じゃあ、真菜ちゃん先に行こうよ」
弥生はそう言いながら着替えを入れたカバンを持ち立ち上がる。
「うん、哀、先に行っているね?」
哀はその問いにも手を振って答えるだけだった。
『はいるかぁぁ?』
玄関の吹き抜け近くまで行くと談話室というか娯楽室からそんなテレビの音が聞えてくると同時に……、
「はいれぇぇ~!」
という美奈の声と、
「だめだぁ、はいるなぁぁ~」
という大輔の声が聞こえてくる。
確か今の時間ははナイターをやっていたはず。
『はいったぁぁホームラン~、ガッツポーズで金本選手一塁をゆっくりと廻り、ガックリとうなだれている上原選手を一瞥します』
はは、巨人阪神戦だったかしらね?
「よっしゃぁ~! 逆転!」
「ぐうぁぁ~……」
談話室からは美奈の雄叫びが聞え、断末魔のような大輔の声もそれに混じっている。
「やっぱり片山課長はトラファンだったみたいね?」
弥生は苦笑いを浮かべながらその談話室をちらりと見る。
「トラファンねぇ……大輔と絶対仲良くなれないでしょうね?」
大輔は熱狂的な巨人ファン、いわゆる水と油よね?
「アハハ、そうかもしれないわね?」
弥生はそう言いながら談話室の横を通り過ぎようとすると、玄関の開く気配がする。
こんな時間に誰かしら?
時間は夜の九時近くになっている、こんな時間に宅急便などの来客ではないであろうが、二人は無意識にその方に顔を向ける。
「よう……なんだぁ、疲れた顔をしているなぁ」
玄関先では見覚えのある人が荷物を降ろしている。疲れたような顔で……。