coffeeの香り

第六話 軽井沢&函館



=普段着 mana=

「哀ちゃんや弥生は、どうしたんですか?」

 当然店内にいるだろうと真菜は周囲を見渡すがその姿は見えない。

「あぁ、長谷川さんに宮口さんはショッピングと言って出かけていったよ」

 あの二人はぁ……。

 真菜の表情には怒りを通り越して諦めにも似た表情が浮かぶ。

「それにしても、あの太一が課長ねぇ……世も末だな」

 話題を変えるようにマスターはそう言いながら力なく首を振る。

「そんな言い方無いだろうよ……俺だって一応カタギなんだから」

 照れたような表情で太一はマスターの勇作に言う。

 カタギ?

「よく言うわよ、この辺じゃあワルで有名だったあんたがこんなカタギの職について……しかも課長なんていう立派な職につくなんて……あたしは嬉しいよ」

 ママさんである麻紀はそう言いながら太一の顔を見る。

「ワル? 太一課長が?」

 真菜はそう言いながら三人の顔を眺める。

「真菜ちゃん、その件については後でゆっくりと……ね?」

 はぐらかすように太一がいうが、その様子に真菜は首をかしげる。

「……なんだ、太一、話していないのか? お前の武勇伝」

 武勇伝?

 さらに真菜は首をかしげる。

「話すわけねぇべ……」

 太一はそう言いながら勇作を睨むが、勇作は臆することなく話題を進める。

「なんだ、話せばカッコ良いだろうって……」

 意地の悪い顔で勇作は太一の顔を見る。

「カッコなんてよく無いよ……その話題はナシで……たのんます!」

 土下座するような勢いで太一は勇作に頭をさげると、ママさんである麻紀は優しい顔で亭主である勇作の顔を見る。

「まぁいいじゃないの、若気の至りっていうやつよね、太一君にこれ以上恥をかかせる訳には行かないでしょしかもこんな可愛い部下の前で」

 麻紀はウィンクを真菜に向ける。

「……恥?」

 その一言に太一は頭を抱える……。

「麻紀さん……それフォローになっていないから」

 店の中に笑い声が響きわたる。

 エッ? エッ? エッ?

 ただ一人のその話題についていけない真菜はキョトンとして三人の顔を代わる代わる見るだけだった。



「……と言う訳だよ、今じゃあ普通のサラリーマンみたいな顔をしているけれど、その昔はこのあたりじゃあ札付きのワルだったって言う事だ」

 真菜はその話を聞きながら太一の顔を再び見る。

「ハァ、だから言っただろう、カッコのいいもんじゃないよ」

 太一は頭を抱えるようにしてマスターを睨みつける。

「何でだ? あの時の傷はお前にとって勲章といっても良いと思うぞ?」

 そんな話を真菜はきょとんとした表情で太一を見る。

 二人の話についていけないかも……直訳すると太一課長がこのあたりの番長さんで暴走族さんとよく喧嘩をしたりしていて、不良……だったということでいいのかしら?

 真菜にはまったく違う次元の話で想像がついていかなくなっている。

「ほら、見てみなよこの傷」

 マスターが強引に太一の袖をめくる。

「アッ!」

 真菜は息を呑む、その傷は左腕に大きく刻まれていた。

「マスター!」

 太一は慌てて袖を戻す。

「ヘヘ、この傷はね、同じ学校の女子生徒が暴走族に絡まれた時に助けに行って刺された傷なんだ、あのときの太一はカッコよかったぞ」

 刺された? 太一課長が?

「そうなの、あの時の太一はカッコよかったなぁ……思わず惚れちゃったもん」

 遠い目をして麻紀は呟く。

「惚れた?」

 真菜が思わず言ったその一言に麻紀は飛びつくように話し出す。

「そうなのよぉ、同じ学校で、同じクラスの娘というだけ……たったそれだけで、何十人といる族の中心に一人でこの男が登場したのよ、しかも雨が振る最中を……馬鹿よね? でもカッコよかった、まるでヒーローのように見えたわ」

 麻紀はちょっと潤んだ瞳で太一を見る、その視線の先では太一が恥ずかしそうに鼻先を掻いている。

 ひょっとしてその女の子って、麻紀さんの事?

「ただツッパリに興味があっただけのお嬢さんだったのよね? でも現実を目の前に突きつけられた。その光景はちょっとショッキングだったわ」

 麻紀は目を伏せる。

「当然族の連中は息巻くわよね? 『いきがっているんじゃねぇよ!』って、それでも彼はおじけることなく女の子を背にしたわ……その時の彼の背中が大きく見えたことか……」

 麻紀は熱い瞳で太一の事を見る。

「……必ずそういう場所にいるのよね? 一人ハイテンションになる奴って……そいつは光り物を出して女の子に切りつけていった」

 真菜の喉がゴクリと言う音を立てる。

「太一は女の子をかばうように抱きしめてくれた……でも、その腕にはその女の子に襲いかかってきたナイフが……刺さっていた」

 麻紀は今目の前にその光景があるかのように目を背ける。それにつられる様に真菜も目を背ける。

「あの時は本当にどうしようかと思ったわよ……あたしのせいだって思いっきり泣いちゃった、太一は警察に連れて行かれるし、女の子は太一に言われてその場から離れていたからなんともなかったけれど……」

 麻紀の瞳からは既に涙が零れ落ちていた。

「こんな男臭い男も良いのかも知れないなとあの時思ったわ……硬派と言うのかしらね? 本当に男臭くって、ダサいかもと思ったけれど、気が付いたら惚れていたわ」

 不意に麻紀の頬が赤らむ。

「だからもうやめようよ、その話は……」

「まったくだ、俺の身にもなってくれ……トホホ」

 今にも泣き出しそうな顔のマスターに対して麻紀は意地の悪い顔をして舌を出し、その隣では太一が照れくさそうに頬を赤らめる。

 フーン、太一課長でもこんな顔をするんだ……ちょっと意外かも、いつもはもっとひょうひょうとしている太一課長がこんな顔をするなんてちょっと意外だったかな?

 そんな三人のやり取りを見ている真菜の表情にはいつの間にか微笑が浮んでいた。



「じゃあ、また機会があったら来るよ」

 コーヒーを飲み干した太一は席を立つ、それに応じるように真菜の席を立つ。

「なぁに函館から来るんじゃあ大変だろうから、今度はこっちからお邪魔しに行くよ……お前の嫁を見にな?」

 マスターは意地悪な顔をして太一を見つめる。

 って、マスター今太一課長の嫁を見に行くなんていっていたけれど、そんな人がいるの?

「アハハ、それじゃあしばらく来られないよ、今のところ予定はないから……」

 太一はそう言いながらマスターの顔を見て大笑いする。

「あら、分からないわよ? 案外近くにいたりするかもしれないよ」

 麻紀はそう言いながら意味深な表情で太一の顔を見つめていた。

 カラン……。

 カウベルが鳴り表に出ると、高原の心地いい風が二人の頬を撫ぜる。

 いい気持ち……新緑の香りとでも言うのかしら、ちょっと落ち着くかも……。

「ゴメン、やかましいお店だったろ? いつもは静かなんだけれど、マスターは何を気に入ったのかベラベラ喋っていたなぁ」

 隣の太一の顔は苦笑いを浮かべながら真菜の顔を見ていた、その姿はいつものスーツ姿ではない普段着なのであろうTシャツの上にコットンシャツを着るというラフな格好だった。

「エヘ、でも楽しかったですよ、太一課長の過去の話も聞けたし……」

「アァ〜っと、その話は皆に内緒にしておいてね? 知っているのは一部の人間だけなんだ、一応俺にも面子というのがあるから……頼む!」

 太一はそう言いながら真菜に手を合わせ、懇願する。

「へへぇ……どおしようかなぁ、この手の話題はきっとOLでは人気の話題だと思いますよ? しばらくこれで話題を繋げるかも……」

 真菜は意地の悪い顔をして太一の顔を見る。

 ウフ、動揺している太一課長もはじめて見たな? こんな狼狽する事もあるんだぁ、ちょっと新鮮かも、それに太一課長が元不良さんだなんて……うふふ。

「頼むよ。真菜ちゃん」

 意地悪しすぎたかしら? でも、もうちょっとこのまま……。

 二人で歩く軽井沢、はじめて来たわけではないが、なんだか周りに見える風景が新鮮に感じられるのは隣に太一がいるということだからなのだろうか。

「じゃあ、口止め料代わりに……」

 そう言い真菜の顔が太一の顔に近づく。

「ま、真菜ちゃん?」

 太一の顔が一気に紅潮する。

「ウフ……軽井沢の街を案内してください」

 息がかかりそうな距離で真菜は微笑み、顔を離す。

「へ? 案内?」

 太一はきょとんとした顔で真菜の顔を見る。

「ハイ、やっぱり地元の人の方がよく知っていると思うので、お願いします」

 ニッコリと微笑む真菜に対し、太一も次第に笑顔になってゆく。

「分かった、今日一日真菜ちゃんとデートだな?」

 太一のその一言に今度は真菜が動揺していた。



=太一のいない…… akiko=

「茅島係長、真島課長の代わりに部門長会議に出席してくれ」

 函館事業部営業三課、暁子は太一の代わりにこなす仕事でちょっとうんざりしていた。

 ハンコを押したり、企画書読んだり、日報書いたり、得意先やら本社やらから電話はいっぱい掛かってくるし、挙句の果ては会議に出ろとは……ハァ。

「はぁい」

 暁子は頬を膨らませながら金山次長の後姿に舌を出す。

「暁子係長、少し手伝いますよ」

 直也が心配そうに声をかけてくるが、頼むにもなにを頼んで良いのかわからないし、中途半端な指示も出せない。

「う〜ん、気持ちだけもらっておくわ」

 微笑みながらもその笑顔はちょっと引きつっていた。

 もぉ、早く帰って来てくれないかなぁ……太一。

「茅島係長ぉ、真島課長宛てに一番にお電話入っているんですが? どぉしましょう」

 遠慮したような、困ったような表情を浮かべながら絵里香が暁子の顔を見る。

 また太一宛かぁ……人気者の部下は大変よぉ。

「絵里香ちゃん大丈夫、あたしが代わりに出るわ」

 暁子はそう言い、点滅しているボタンを押し受話器をとる。

「ハイ、茅島です、あぁ、はい、いつもお世話になっております、申し訳ありません真島は今出張中でして……ハイ、ありがとうございます」

 なんだか作り笑いにも慣れてきたような気がするよ……あなたはいつもこんな仕事をしているんだね?

 暁子はそう思いながら電話の応対に大わらわになる。



「……それでは営業三課からの報告をお願いします?」

 滅多に出る事のない部門長会議、周りはみんな難しそうに顔をしかめている偉そうなオジサンたち、なんでこの席に座っているのか、気を抜くと分からなくなってしまいそう。

「……三課からの報告は以上です」

 暁子は緊張の面持ちで太一の用意した報告書を一通り読みきる。

 あんな忙しい中でもこんな報告書を彼は作っているんだ。

 恥ずかしながら報告書を読みながら暁子は感心する。その中には普段の会話の中にあったような小さな発見などが盛り込まれたりしている。

「フム、茅島係長」

 不意に上座からお声がかかり、暁子は飛び上がるように立ち上がる。

「ハッ、ハイ」

 偉そうなオジサンの顔がすべて暁子に注がれる。その声の主はこの事業部の長である森山部長だった。

「フム、この資料は真島課長が作った物のようだが、確か彼は今軽井沢に研修に行っているんじゃなかったね?」

 森山はそう言い資料から視線をはずし、緊張している暁子の顔を見つめる。

「ハッ、ハイ、真島課長からメールでこの資料が届きまして、あたしが多少付け加えました」

 いやだ、あたし何か変な事でも書いちゃったのかしら?

 暁子の顔から血の気が引いてゆく。

「そうか……いいコンビだな、君と真島君は」

 森山はそう言いながら暁子の顔を見て再び資料に視線を落とす。

「さて、この業界では比較的暇な時期になる六月をどうやって乗り切るかが今回の会議の題目なのだが、皆は何か良い案を持っているかな?」

 森山が周りに視線を向けると全員が視線をそらすように資料に目を逸らす、しかし暁子だけはまっすぐに森山の顔を見ていた。

 この前のミーティングのときに太一が直也君に言っていたのと同じ質問。

「茅島係長、何か案があるようだが」

 森山はニヤリとして暁子の事を見る。

「ハァ、六月というと道外は梅雨に入ります、それにジューンブライドということもあり結婚式も増えます」

 暁子は太一の言っていたことを思い出すように話し出す。

「この函館という街は教会などが多く、結婚式を挙げるにはもってこいの場所だと思います、雨の日はふえるものの、内地のように梅雨時期特有の長雨ということはありません、それにこの『函館』というロケーションは結婚式を挙げるにはもってこいだと思います」

 森山は暁子の事を見ながらうんうんとうなずいている。

「まだ具体的に調べていませんが、ベイエリアに新しくできたチャペルにしろ、他の教会にしろ、かなりの結婚式が予定されているようです、そうすると当然参列者が増えますし、近郊で無い人はホテルに泊まりますし、内地からの人間は……」

「なるほど……結婚式で遠出して来た客をターゲットにするか」

 うなずいていた森山は目をつぶり、ため息をつきながら考え込む。

「しかし、結婚式の参列者には限りがあるし、引き出物などでお土産どころではないと思うが」

 森山の隣で金山が、その意見を却下するように言う。

「ハイ、数こそ出ないと思いますが、観光シーズンと違ってお客さんが買うお土産は家族に対するものが多くなると思います」

 暁子は続けてそういう。

「なるほどね、数は出ないが客単価は上がる筈だと言う事だな」

 暁子の斜め前に座っている営業一課の課長川村があごに手をやり考える。元暁子の上司である彼は驚いたような表情で暁子の事を見る。

「ハイ、数をこなし安価で済ませるという会社などに買っていくお土産と違い家族のために買って行くものは安い物ではないと思います……それに、ホテルや教会近くの参列者が立ち寄りそうなお店に入り込めば……」

 自信に満ちた顔で暁子が周囲を見渡すと、周囲はうなずきながら同調の声を上げる。

「売り上げは取れるな……お菓子など数の多い物ではなく、ひとつ単位のもの……キーホルダーやストラップといったものに重点をおく……」

 川村はそう言いながら暁子を見る。その表情は心底感心したと言う感じのものだった。

「さすが女の子だ……よくそんな事まで考えたよ……失敗だったかな? 君を三課に行かせた事は、一課においておくべきだったかも知れないな?」

 川村はニッコリと微笑み暁子の顔を見る。

「……いえ、真島課長に鍛えられたせいもありますね? 結構無茶を言いますから……」

 そう、太一の考えていた事をあたしが今言っただけ、あたしも最初に聞かれたときは何も考えていなかった。

「はは、彼らしいかも知れんな」

 川村はそう言いながら微笑む。

「決まりだ、二課は直営店の在庫状況の確認、一課は教会やホテルの近くにあるお店のリストアップとセールスの強化に努めてくれ、三課は一課と共にホテル周辺のお土産物店にアプローチと、データの収集、新規店があるようならばプレゼンして一軒でも多く入り込むようにしてくれ、茅島係長、詳細は真島課長に報告して、今後の対応を指示してもらうように」

 森山は席を立ち各課の課長に指示を出していく。

「はっ、はい」

 暁子はそう言いながら背筋を伸ばす。



「フゥ……」

 暁子はため息をつきながら席につくと、絵里香がお茶を入れてくれた。

「お疲れ様でしたぁ」

 絵里香はそう言いながら暁子の顔を覗き込む。

「何か良いことでもありましたか?」

 ニッコリと微笑みながら絵里香は暁子の顔を見る。

「なんで?」

 暁子は首をかしげながら絵里香を見上げる。

「う〜ん、暁子係長、なんだか表情が生き生きしていますよ」

 ウフ、確かにそうかもしれないわね? 久しぶりにワクワクしているかも。

「まぁね? さて忙しくなるわよ、絵里香ちゃん直也君に連絡とって、なじみのお店のピックアップをするように指示を出して」

「ハッ、ハイ」

 絵里香はその勢いに気押される様に暁子の指示に従い直也の携帯に電話をする。

「……そして……みゆきさん、資料をお願いしたいんだけれど」

 暁子はみゆきに遠慮がちに指示を出す。

「ウフ、気にしないで、どんどん指示してくださいね?」

 みゆきは微笑みながら資料室に姿を消す。

「ありがと……あとは……」

 暁子は自分の携帯を見つめる。



「……大体こんな所ですかね?」

 みゆきはそう言いながらリスト表を暁子に見せる。

「やっぱりね? 予想通りかぁ……あとはコネクションかしら?」

 函館と言っても教会や結婚式の挙げられるような施設のあるのは『西地区』に限定される、その辺りにあるお店は大手が多く、既に一課が手配しているような所ばかりだった。

「はぁ、直也君にも何度も連絡入れていますが……」

 言葉尻を濁す絵里香は思ったような結果が出ていないと言う事を象徴していた。

「……でしょうね? 三課オリジナルなんてなかなか無いわよね?」

 そもそも下請けみたいな仕事をしている三課にオリジナルの客がそうそうついているわけでもない、人脈しかないのかしら?

 暁子はそう思った時点で再び机に置かれている自分の携帯に目がいく。

 あなたならどうする? つい携帯にそう呟きそうになる……でも、留守を預かっている以上あなたに迷惑をかけるわけにはいかない……でも……。

 暁子は携帯の待ち受け画面をジッと見つめる。

「軽井沢と函館、ちょっと距離が離れているわよね?」

 でも、あなたの力をあたしは頼りにするしかない……。

「……やっぱりあなたが頼りなのよね?」

 暁子は携帯のダイヤルに指を伸ばす。

「モシモシ?」



=軽井沢Holiday taichi=

「ヘェ、ここがそうなんですかぁ」

 旧軽銀座の真ん中と言っていい所にある『チャーチストリート』で様々なお店を見て、やがてそれまでの喧騒が嘘のように静かになると目の前に現れるのは、

「あぁ、ここが『聖パウロカトリック教会』だ、軽井沢の代名詞と言っても過言ではないだろうな? 高原の中の教会と言った風情だよな?」

 白樺並木の中にある小さな教会、そういう言葉がここにはよく似合うと思う。女の子達がここで結婚するのを夢見る気持ちも分らんでもないよ。

「ホント……素敵かも……こんな所で結婚できたら、きっと一生の思い出になるなぁ」

 ウットリした表情で真菜はその様子を眺めている。

「はは……頑張れ」

 太一はそう言いながらタバコに火をつける。

「ハイ! こんな所で結婚式挙げたいですね?」

 真菜は真剣な表情で太一の顔を見つめる。

 夢見る少女かな? と言うより、何で俺の顔を見るんだ?

 太一は苦笑いを浮かべながら真菜の顔を見る。

「さて、後はどこに参りましょうか、お嬢さん?」

 太一がおどけるように真菜の顔を覗き込むと真菜は嬉しそうに微笑み返してくる。

「ハイ、旧軽銀座に行って、洋服が見たいですね? ちょっと気になったお店がさっきあったので、お付き合い願えますか?」

 真菜がそういうと太一もうなずききびすを返し再び旧軽銀座に足を向ける。



「ここです!」

 旧軽銀座の中央から少し奥に入った所にある一軒のブティックの前で真菜の足が止まる。

「フーン、洒落ているね?」

 そのお店は常設ではないのか、借り店舗のような場所に、所狭しに洋服が掛けられている。その風合いは結構洒落ている。

「ハイ、さっきここを通ったときにどうしても忘れられなくって」

 舌をペロッと出して太一を見る真菜の表情は会社では見る事の出来ない顔だ。

「はは、悔いの無いように行っていらっしゃい」

 太一がそう言いながら真菜を見送る。

「ダメです、太一課長も一緒に見るんです」

 真菜は頬を膨らませながら太一の腕を引く。

 俺苦手なんだよな、こういうお店……。

 太一は苦笑いを浮かべながら真菜について店内に入ってゆく。

「うぁー、やっぱり可愛いなぁ……」

 雑然とした店内には生成りのシャツや、ワンピースなどが並び同じようなカップルがワイワイ言っている。

「これなんてどうですかねぇ」

 真菜はハンガーにかかっていたワンピースを胸に当てる。

「うん、可愛いんじゃないか?」

 特にフリルが付いているわけでもなく、ところどころシワ加工が施されているそのワンピースはどちらかと言うとおとなしめのデザインだが真菜には似合うような気がする。

「うん、お似合いですよ……彼氏にねだっちゃえば?」

 店員がどこからとも無くあらわれ真菜の格好をチェックする。

「か、彼氏?」

 太一は思わずふきだす。

「そ、そ、そ……」

 真菜はそのワンピースを抱きしめながらうつむいてしまった。

 それもそうだろうよ、十歳近くも違う男を彼氏なんていわれれば、そりゃ真菜ちゃんだって可愛そうだよ。

「違うの?」

 店員はさらに追い討ちを掛けるような事を言い出す。

「ハイ、そうですね? 買ってもらっちゃいましょうか? 太一さん、これなんていいと思いませんか?」

 太一が否定をしようと口を開くと共に真菜は真っ赤な顔をしながら嬉しそうな顔で太一の顔を真っ直ぐ見ていた。

 た、太一さん?

 驚いた顔をしている太一の顔を見て真菜は満面の笑みを向ける。

 まっ、まぁいいかぁ。



「ありがとうございましたぁ」

 二人は腕を組みながらお店を出る。真菜の手にはそのお店の紙袋が持たれている。

「ヘヘ、カップル作戦成功です」

 真菜はにっこりと微笑みながら太一の顔を見る。

「なるほどね、そういうわけだったのか」

 レジに張ってあった張り紙を見て太一はうなずく。

『カップルでお越しのお客様には二十パーセントOFF!』

「ハイ、チラッとその張り紙が見えたもので、つい……でも、後でお金は返しますね?」

 当然洋服の代金は太一が支払った……それにしても女というのはそういうところがしっかりしていると言うか。

「ま、真島課長!」

「と、真菜?」

 店を出て腕を組みながら二人寄り添って歩いていると背後からいきなり声がかけられ、その声に二人の背筋が伸びる。

「エッ? あぁ〜、哀ちゃんに弥生! やっと見つけた!」

 振り向く真菜と太一はその視線の先で呆気に取られた表情でいる二人に気がつく。

「やぁ、ショッピングを楽しんでいるようだね?」

 二人の手にはお土産なのか、様々なお店の紙袋が持たれている。

「やぁって……真島課長と真菜……が?」

 弥生は驚きのあまりに口をパクパクさせている。

「いつの間に……」

 呆けたような表情の哀はそう言うのがやっとだったようで再び口をあんぐりと開いている。

「なに? って、あぁ〜、ごっ、誤解よ!」

 ようやく二人が驚いている意味に気がつき真菜は太一の腕から自分の腕を抜く。

「本当にぃ〜?」

 弥生は意地の悪い顔で真っ赤になっている真菜の顔を覗き込む。

「本当だってばぁ、ねぇ太一課長?」

 真菜は助けを乞うように太一の顔を見上げる。

「ハハハ、本当だよ、こんなオジサンと一緒にしたら真菜ちゃんが可愛そうだよ、真菜ちゃんだって同い年にいくらでもいい人はいるだろうよ」

 ここは力いっぱい否定しておかないと……。

「ほ、ほらぁ」

 そう言う真菜の表情はちょっと寂しそうだった。



「でもちょっと驚いちゃったな、真菜と真島課長が付き合っているのかと思っちゃった」

 クラッシックな外観の軽井沢観光案内所の前でソフトクリームを舐めながら哀は太一の顔を見上げる。

「うん、後ろから見たらてっきり仲の良いカップルだと思ったもん」

 隣では弥生もソフトクリームを舐め満足そうな笑顔を浮かべている。

「もう、そんな事ないって言っているじゃないのよ」

 照れ笑いを浮かべながら真菜もソフトクリームを舐める。

「ははは」

 甘いものが余り得意ではない太一はその光景を眺めながら笑顔を浮かべる。

 しかし痛い出費だな……たかがソフトクリームかこんなに高いとは……おごるなんていわなければよかったよ。

「これは口止め料ですかね?」

 弥生はそう言いながら太一の顔を見る。

「だからぁ、口止めも何も無いんだから……ねぇ太一課長」

 顔を赤らめながら弥生の一言を真菜は否定する。

「そう、でも違った意味で口止めかもしれないな……ん?」

 苦笑いを浮かべる太一の懐で携帯が鳴り出し、一瞬太一の顔に緊張が走るが、すぐにその顔には安どの表情が生まれる。

「ハイよ、太一」

 携帯の液晶に浮かんでいるのは暁子の携帯の番号だった。

『……太一?』

 どことなく神妙な暁子の雰囲気に太一の顔が引き締まる。

「……暁子か? 何かあったのか?」

 携帯に向う太一の表情はそれまでの顔つきとは違い、真剣なものに変わった。その表情を真菜は心配そうな顔で見上げている。

 何かトラブルでもあったのか?

 太一の携帯を握り締める手に力がこもる。

「暁子って誰かしら?」

 哀はそう言いながら電話をしている太一の顔を見る。

「うん、茅島係長のこと……何かあったのかしら……」

 真菜はそう言いながら表情の変わった太一の顔を見る。その表情はいつも会社で見ている顔、社会人としての顔だった。

『ううん、トラブルとかじゃないわ……ゴメン……今大丈夫?』

 暁子は遠慮がちに言う。

「大丈夫だ、今日は研修休みだから……今は旧軽銀座にいるよ」

 ちょっとおどけたように太一が話すと電話の向こうの暁子はフッと微笑む感じがした。

 さほど切羽詰っている感じではないな? ちょっと安心したよ。

 太一は表情を緩める。

『ウフ、いいわね……あたしも行って見たいな、軽井沢……行った事ないのよね』

 電話の向こうでの暁子はちょっと落ち着きを取り戻したのであろう声を上げている。

「そうか、俺たちの時代はこんな研修なんて無かったからな、良い所だぞ、今度来てみろよ」

 優しい表情を浮かべながら太一は周囲を見渡す、その光景は休みの日を象徴するように様々な格好をした観光客が楽しそうに歩いている。

『じゃぁ、案内は太一にお願いしようかしら?』

 暁子はそう言いながら電話の向こうで微笑んでいる。

「機会があればな……」

 太一がそう言うと電話の向こうではため息が聞える。

『……あのね? 今日部門長会議があったの』

 一気に現実に戻してくれたなぁ、この娘。

 心地いい風を浴びていた太一の顔には一気に苦笑いが浮かぶ。

「そうだったな、なんだ暁子が出たのか?」

 普通は課長がいない場合は出席しないのが通例だが。

『うん、金山次長に言われて出された』

 やっぱりな、あの人のやりそうな事だよ。

「念の為に送っておいた資料が役に立ってよかったよ」

 昨日研修を終わらせた後に暁子の端末にメールに添付して資料を送っておいたのが幸いしたようだった。

『うん、助かった、森山部長も褒めていた』

 どうやら話の本線はそこではないようだな。

「それで、何を俺はやればいいんだ?」

 太一はそう言い、人通りからちょっと離れて立ち止まる。

『何って……あなたは軽井沢だし……あたしは函館だし……あなたの留守を預からなければいけない立場だし……』

 暁子はそう言いながらもちょっと嬉しそうな声を出している。

「出来る限りのことはさせて頂くつもりだよ、一応その課の長なんだから俺は……それにいくら離れていても、この携帯には俺がいる、心配するな、頼られる方が嬉しいよ」

 太一はそう言いながら微笑むと、真菜がその顔を覗き込んでくる。

『ありがとう、実は今日の会議で……』

 太一は人の流れを眺めながら暁子の話を聞き入り、アゴに手をやり考え事をはじめる。

 なるほど、森山部長も同じ考えだったんだな……だとすると……。

 太一は携帯を持ちながら眉間に人差し指を当て、無意識にその眉間のしわをいじる。

「フム……そうしたらまずデータが必要になるな……その近辺の得意先のチェックから入らないといけないだろうなぁ……うん、そうしたら……」

 太一は指を空にさ迷わせながら指示を出す。

 その様子を三人娘達はぼっと見つめている。

「仕事の話みたいね……ちょっとカッコ良いなぁ、真島課長」

 哀はそう言いながら携帯に向って話す太一の姿に頬を赤らめながら眺めている、なんだかその表情は目が潤み、まるで恋する乙女のようだ。

「ちょっと、哀ちゃん?」

 その一言で真菜の表情に動揺が生まれる。

「いいなぁ、仕事をする男の人って……頼りがいがあるというか、男らしいというか……」

 哀はそう言いながらも太一のその横顔をジッと見つめている。

「ちょっと、哀ちゃんなに言っているのよぉ〜」

 真菜はそんな哀の表情に驚きを隠せなくなっていた。

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