坂の街の小さな恋……

〜♪〜 はじまりの春 〜♪〜

第四話 学校と職場



=雪の朝=

「……なんで積もっているんだ?」

 朝光にカーテンを開けると、幸作の視界には四月ということを否定するような景色が広がっている……一面の雪景色、それはもう幸作にしてみると見飽きた景色だった。

 もう四月だぜ? この季節にこんなに積もるなんていうのは、生まれてはじめて見たかもしれないなぁ。

 幸作は朝日に輝くその雪を見つめながら深いため息をつく。



『……ここ函館でも積雪は十センチになり、観測開始以来……』

 既に起きている郁子も寒そうにしながら台所に立っている。その傍らでついているテレビではそういう内容のニュースが流れている。

「おはよ」

 幸作が郁子に声をかけると、笑顔の郁子が振り向く。

「あっ、おにいちゃんおはよぉ〜」

 なんだかえらくご機嫌そうだな……。

幸作は首をひねりながら洗面所へと向かうその傍らで郁子の声が響く。

「ねぇ、おにいちゃん、今日から部活だからねぇ」

 そう広くはないアパートの一室、当然のことながらそんなに大きな声をあげなくとも十分に聞こえるよ、テレビの音が聞こえるぐらいだからな、近所に聞こえるように言わなくともよろしい。

「わかっているって」

 幸作は歯ブラシを咥えながら顔だけ洗面所から出し答える。

「よかったぁ……おにいちゃんすぐ忘れるからなぁ」

 だから、近所に聞こえるように言わなくともいいといっているではないか。

幸作はため息交じりに歯磨きを終え、顔を洗う。水が冷たくそれを顔にやるたびに頭が一気に覚醒してゆく。



「おにいちゃん本当に大丈夫?」

 トーストをかじりながら郁子は心配そうな表情を幸作に向ける。

「何が?」

 幸作はなかなか噛み切れないハムと格闘しながら、目線だけ郁子に向ける。

「なにがって……夕飯の事!」

 郁子は苛立った様な表情で幸作を睨む。

「まかせておけっていただろ? お前が学校から帰ってくるよりも、俺がバイトから帰って来る方が早いはずだ。それから作っても十分時間はある」

俺がバイト帰りに買い物をしてちょうど同じぐらいになるはずだ。

「本当に?」

 お前、兄を信用していないな? 兄はちょっと寂しいぞ。

不敵な笑顔を見せながら任せておけという表情で幸作は郁子の顔を見る。

「今日はスペシャル料理で君をもてなしてあげよう」

 幸作はそう言いながら郁子の目の前に力こぶを見せる。

「……ウ〜ン、ちょっと心配かも」

 やっぱり信用していないな?



「いってきまーす」

 幸作が家を出て、電停に足を向けると数メートル先をヨチヨチと歩く小柄な女の子の姿が見える。

ハハ、昨日は雪で喜んでいたけれど慣れない雪には弱いんだな? その辺はやっぱり都会っ子だな麻里萌ちゃんは。

家を出たときにあった距離は、あっという間につまり、幸作が麻里萌に声をかけようとした瞬間、麻里萌の動きがおかしくなる。

「フワァ……?」

 麻里萌はバランスを崩し、まるで後ろに幸作がいるのを知っているかのように寄りかかってくる……というよりも、足を滑らせたといったほうが早いか?

「おぉっと……」

 幸作も無意識にその麻里萌の身体を支える。

「あっ、すみません……」

 麻里萌は相手が幸作とわかっていないようで頭を深々と下げて礼を言う。それにしても、昨日といい、今日といい、この娘にはよく抱きつかれるな? まぁ、役得なのかもしれないけれど……。

「……いいえ、こんな可愛い娘に抱きつかれるのは本望だよ」

 幸作はわざと声を低め、茶化すように言う。

「エッ? あぁ〜、幸作君!」

 その声に顔を上げて、幸作の顔を見た瞬間に麻里萌の顔が紅潮する。

「お嬢さん、雪道は滑るから気をつけたほうがいい」

 幸作は続けて声を低く話す。

「もぉ〜、幸作君のいじわるぅ!」

 麻里萌は手を振り上げるが、その瞬間に再びバランスを崩す。

「きゃぁ」

 さっきは寄りかかる程度だったが、今度は真正面から抱き付かれるようになる。

ハハ、本当によく抱きつかれるなぁ……役得役得。

「ほら、気をつけないと危ないよ?」

幸作はにっこりと微笑みながら支えている麻里萌を見る、その顔は真っ赤に紅潮していた。

「ありがとう……」

 湯気が出ているような顔をしている麻里萌はそう言いながら頭を下げる。

「いいえ、お嬢さん」

 そう言う幸作の顔を麻里萌は楽しそうに見て笑う。



「おはよー」

 学校近くの電停に着くと、皆同じ制服を着た人間たちが同じ台詞を掛け合いながら我が物顔で歩いている。道端にはまだ雪が残っているものの、春という事を象徴するかのように暖かい日差しがそれを解かしはじめている。

まさかこの集団の中で、女の子と一緒に歩くなんて想像もしていなかった。しかも、結構可愛い娘と……ちょっと自慢できるかもしれない。

「ねぇ、幸作君、この学校の女子の制服ってかわいいよね?」

 麻里萌は、解けた雪の水溜りをよける様に歩きながらその制服集団を眺めながらそういう。

「ウン、このあたりの学校では可愛いと評判だよ」

 この制服に憧れてこの学校に入る人間までいるほどだ。

「アーァ、あたしの制服早く出来ないかなぁ……この制服ちょっとダサいのよねぇ」

 麻里萌はそう言いながら、自分が身にまとっている服を恨めしそうな顔で見つめる。どちらかというと、洗練されたというか、垢抜けたというか、可愛いというよりは格好がいいといった感じのその制服は、幸作にすると都会的にさえ思えるデザイン。

「そうかな? それはそれでいいと思うけれど」

 幸作は素直に感想を述べる。

「そう?」

 麻里萌はちょっと照れたように幸作の顔を見上げる。

「おはよー」

 話をしながら歩いていると、背後から能天気な声が聞こえてくる。

来たよ、この学校の制服に憧れて入った娘が。

「おはよー、初音ちゃん」

 にっこりと微笑みながら麻里萌は初音に手を振る。

「おはよー、麻里萌ちゃん……ずいぶんと急接近したわね?」

 初音は意地の悪い顔をして寄り添っている二人を見つめる。

「そんな事ないよ……ねぇ?」

 幸作は頬を赤らめながら初音のその意見を否定する。

「そうです……そんな」

 麻里萌もそこまで言うと顔を赤らめうつむく。

「ヘヘ、冗談よ、こんな可愛い娘が幸作の事を相手にするわけないじゃない、それは麻里萌ちゃんに対して失礼よね?」

 オイ、君も大分失礼な事を言っていないか? 初音君。



「ねぇ、麻里萌ちゃんは東京で何か部活やっていたの? もしよかったらテニス部に入らない? 今なら即レギュラー確定だよ」

 三人並んで校門をくぐりながら、初音は部活の勧誘を始める。初音の所属するテニス部は、ほぼ形式だけになっているようで、実質活動をしているのは三年の五人と二年の二人しかいないらしい。

……幽霊部員はこの倍ぐらいいるらしいが。

「はい、中学まではバスケットをやっていたけど、高校に入ってからはやっていないの」

 下駄箱で上履きに履き替えながら、麻里萌はにっこりと微笑みながら初音の顔を見る。

「へぇー、バスケかぁ……千鶴や郁子ちゃんと同じだね、ねぇ幸作」

 初音は上履きのつま先をコンクリート製の昇降口に叩き付けながら言う。

「ヘェ……バスケねぇ」

正直驚いたよ、麻里萌のこの身長でバスケは結構きつかったんじゃないかな。

幸作は驚きの表情を隠そうとはせずに麻里萌の事を見る。

「ちづる? いくこ?」

 麻里萌はきょとんとした表情で初音があげた人物の名前を復唱する。

「あぁ、千鶴はあたしと幸作の小学校時代からの同級生、今はバスケの強い高校に行っているのよ、結構うまくって、今年はレギュラーやれるほどの実力、郁子ちゃんは幸作の妹、たしか今年から中学に入ったんだよね?」

 同意を求めるように初音は幸作の顔を見る。

「幸作君って妹さんがいたの?」

 驚いた表情を浮かべながら麻里萌は幸作の事を見る。

「ウン、年々うるさくなっていくのが一人いる」

 本当にそうだ、小学校の頃から比べるとはるかにうるさくなったような気がするよ。

 三人は廊下で他愛もない話をしながら教室に向かう。

「おはよー」

 教室に入り、カバンを置いた瞬間、幸作は亮と啓太にまるで拉致されるかのように両脇を抱えられながら教室の隅に連れ込まれる。

「おはよう、幸作君」

 亮の表情はいつもに比べると険しく見える、その隣で啓太も険しい表情を浮かべながら腕を組んでいる。

「何事だ?」

 きょとんとしながら二人の顔を見る幸作の表情にも徐々に緊張が走る。

「何事って……お前、自分がやった事の自覚はないのか?」

 気のせいか亮の握る握り拳が震えているような気がするが、何かそんなにまずい事を俺はしたのか?

「ウン、自覚ない」

 幸作が素直にうなずくと、啓太がまるで胸倉をつかむような勢いで幸作に顔を近づける。

「お前なぁー! よりによって麻里萌ちゃんと同伴で学校に来るなんて、いい度胸しているやないけぇー、しかも初音ちゃんとも……両手に花を気取ったつもりかぁ?」

 啓太の唾が力いっぱい飛んでくるんですけれど……ハハ、それにしても両手に花かぁ、言われてみればそうだな……考えていなかったよ。

「そんなつもりはないよ、ただ電車が一緒になっただけだ」

 幸作は近づく啓太の胸を押しやる。

「じゃあ、麻里萌ちゃんと幸作はなんでもないんだな?」

 啓太はにっこりと微笑みながら幸作の顔を見つめる。啓太がこんな顔をしているのは、趣味の世界に没頭しているときぐらいなのだが、今日はちょっと違うみたいだ。

「よかったぁ……わが心のアイドル麻里萌ちゃんの純潔は守られた!」

 そう言いながら啓太はスキップを踏みながら離れていくが……。

わが心のアイドル? 何のことだ、それにあいつは『三次元の女には興味がない』と言い放っていたが? ひょっとしてあの啓太が女の子に興味を持ったのか?

「……珍しい事もあるもんだな? あの啓太がねぇ……それで? 次に君の怒りの原因をじっくりと聞く事にしようじゃないか」

 幸作はスキップを踏みながらその場を離れて行く啓太から視線をしらを切ったような表情を浮かべている亮に移す。

お前も、かなり憤然とした顔で俺に言い寄ってきたよな? きちんと聞かせてもらおうか。

「あぁーそれはだな……そのぉ……なんだぁ?」

 なんだぁじゃなくって……。

「だからなんだ?」

 詰め寄る幸作の視線を避けるように亮は視線を泳がせる。

「なんというか……アッ、先生来たぞ!」

 亮がはぐらかすかのようにいう。

「はぁーい、皆さぁーんホームルームの時間ですよぉ」

 教室の入り口からは、昨日より張りのあるアニメ声……湯田先生がパンパンと手をたたきながら入ってくる。

幸作がそっちに気をとられた瞬間に亮が自席に戻る。

あのやろぉ。

 幸作が忌々しげに亮の事を睨んでいると絵梨子が困ったような顔をして幸作の顔を見る。

「ほらぁ、戸田君も席についてぇ、出席をとりますよ」

 プックリと頬を膨らませる絵梨子に対し幸作は頭をかきながら席に戻るしかなかった。

 アニメ声で怒られちゃったよ……トホホ。



「じゃぁねぇー」

 初音は元気に手を振り、テニス部の部室のある校舎に走ってゆく。

「幸作君はバイト?」

 幸作の隣でカバンに教科書を詰め込んでいる麻里萌が手を止めて、幸作の顔を覗き込む。

「あぁ、毎日だよ」

 幸作は既にカバンに荷物をつめ終えいつでも学校を出る事の出来る体制になっている。

「休みはないの?」

 麻里萌は、ギュウギュウになったカバンの金具を止めるのにちょっと顔をしかめる。

「毎週月曜日は定休日……後は、マスターの気分次第」

 幸作は苦笑いを浮かべながら麻里萌を見る。

「気分次第? そんなので休んじゃうの?」

 麻里萌は呆れた表情を浮かべる。

はは、確かにそうかもしれないよな? 商売っ気がないというか、俺も店まで行って休みに気がつくことがよくある。

「マスターの奥さんがね、映画の撮影をやっているんだ、その撮影のときはマスターも手伝うから休みなんだって、なんでも昔はハリウッドで映画も撮ったこともあるほどの腕前とか……」

 以前腹に据えかねてマスターに文句を言ったことがあるが、そのとき返ってきた答えがこれだった。申し訳なさそうに言うマスターの顔がいまだに忘れられない。

「ハリウッド? マスターの奥さんってすごい人なのね?」

 やっとカバンの留め金がはまりホッとした表情を浮かべながら麻里萌は、驚いたように幸作の顔を見る。

「アァ、その筋の人間はよく知っているらしいよ」

 何回か杏子さんのファンという人がお店に立ち寄り一緒に写真を撮っている所を見たことがある、その時のマスターはつまらなそうな顔をしていたな?

 幸作はその時のことを思い出しながら頬を緩ませる。

「すごいなぁ……杏子さん、夢を見続けていたのね?」

 昇降口に背景を変えながら麻里萌がきらきらした目で幸作を見る。

「そうだろうね? 単身アメリカに行って映画の勉強をして、映画を撮って……そのおかげなのか、英語はペラペラだよ」

 場所柄外人観光客が多いお店には、週に何回か外人さんが訪れる。当然の事ながらその人達は母国語で話しかけてくるが、マスターは、オットセイのようにアウアウ言うだけだが、杏子さんはカッコよくペラペラとその外人さんと談笑しているのを何度か見たことがある、よく分からないけれど、英語だけではなくロシア語も話せるようだ。

「何でそんな人がマスターと結婚したのかは知らないけれどね?」

 幸作は靴を履き替え、麻里萌が靴を履き終えるのを待つ。

「それだけマスターに惚れていたんでしょうね? きっとハリウッドを越えるほどマスターのことを愛していたんだわ……カッコいいなぁ……ちょっと憧れちゃうかも……夢を超える愛かぁ……ロマンチック」

 目をキラキラさせながら麻里萌は幸作の事を見る。

確かにそうかもしれないが、実情を知るとちょっと夢を壊してしまうかもしれないので説明は割愛する。



『次は十字街……十字街です』

 感情のこもっていないテープのアナウンスが聞こえ、幸作は降車ボタンに手を伸ばすと無常にも再び先を越され幸作の指は意味もなく空を舞う。

 いつも楽しみにしているのに……むなしいよなぁ、押そうと思った瞬間に押されるのって、一体この指先をどこに持っていっていいか悩んでしまうよ。

空を舞ったままの指がひらひらと動かしている次の瞬間、その幸作の楽しみを奪ったのが麻里萌であった事に気が付く。

「ヘヘ、今日は、ちょっと寄り道ね?」

 幸作の無意味に舞っている指先より手前には麻里萌の細い指が力強く降車ボタンを押していた。

 何で?

幸作は首をかしげながらその細い指先から、すっと伸びている腕を見て、そうして、麻里萌の顔を見つめる。

「ちょっとコーヒーでも飲もうかなって……うちでコーヒー好きはあたしだけ……弟もお母さんも飲まないから、たまにはね?」

 にっこりと微笑む麻里萌の顔に幸作は赤面する。

お店に来るって言う意味だよね? 

幸作は嬉しいような困ったようなわけのわからない笑顔を麻里萌に向けながら電車を降りる。

「どの辺にあるの幸作君のお店」

 電車を降りさわやかな風の元麻里萌と共に歩む店への道のりはいつもと景色が違うように感じる。

「ベイエリアといって、函館の観光地の中だよ」

 照れくさそうな表情で幸作は言うものの、本人は気がついていないであろう、自然と顔がにやけている事を……。

朝にはまだ残っていた季節はずれの雪はすっかりその姿を水溜りと言う形に変え、それをよけながら二人は歩き出す



=バイト募集中!=

「ここ? 素敵なお店……」

 函館ベイエリア、赤レンガ倉庫郡の近くにある蔵を改造したお店を見上げながら麻里萌はウットリとした表情を浮かべる。

「そう『カレイドスコープ』って言うんだ……うん?」

 お店の前に昨日まで無かったポスターというか、張り紙というか……なにぃ?

「マスター! 表のあの張り紙は一体……」

 幸作は挨拶もそこそこにお店のカウンターでくつろいでいるマスターに噛み付く。かなりの勢いで言ったから数滴の唾はマスターに飛んだであろう。

「なっ、何だよ……藪からぼうに」

 マスターはその勢いにたじろぎながらも、タバコに火をつける。

「だって、なんなの? バイト募集って!」

 そのポスターには杏子さんの文字であろう『バイト急募! すぐにでも出来る方募る』と力強く書かれている。そもそも従業員に何も相談しないで決めるなんて横暴だ!

「あぁ、あれか、杏子が産休に入るだろ? その間やってくれる人をと思ってな、昼間といえ、お前一人じゃきついだろ? 美都子ちゃんに昼間もやってもらおうかとも思ったんだがすると夜やる人間がいなくなっちゃうし」

 マスターはタバコの煙をため息と一緒に吐き出す。

「それだったら、俺が夜も……」

「駄目だ!」

 マスターの目が真剣なものに変わる。

「お前はまだ未成年なんだ、そんなことをさせたら佐木に怒られるよ」

 そうだった……何かと制限があるのは仕方がない、それに一応学校にも公認をとっているのだから下手な事もできない。

「ハァ……」

 幸作は納得のいったような行かないような表情でマスターを見るが、そのマスターの視線が幸作の横をすり抜け背後にいる麻里萌のことを見ているのに気がつく。

「……幸作、お前も色気が出てきたのか?」

 マスターの口がニィッと横に広がり、目が何かを物語っている。

「……同級生の笹森さん、コーヒーが飲みたいっていうから……」

 幸作の一言よりも早く、マスターはカウンターから離れ、麻里萌に対して笑顔を作る。

「ようこそ! 『カレイドスコープ』へ」

 マスター……キャラが違っているよ、マスターはさわやかな笑顔を見せながら椅子を引き麻里萌に席につくよう促す。

「はじめまして、笹森麻里萌といいます」

 麻里萌は最初こそ驚きの表情を浮かべていたが、徐々に笑顔に変わっていく。

「麻里萌ちゃんというのか……可愛いね?」

 さわやかな表情のままマスターはお冷を麻里萌の手元に置く。

ひょっとして麻里萌ってマスター好み? それってひょっとしたら……ロリ?

「あなた……ひとつ確認させて、いつからあなたはそんな年端の行かない女の子に手を出すようになったのかしら? それって犯罪よ」

 買い物から帰ってきたのであろう、奥さんである杏子がマスターの後ろに立ち、腕を腰にやりキッとした顔でマスターを見つめている。

迫力が違うかも……いつもの雰囲気とはまったく違う。

「きょっ、杏子? いつ帰ってきたんだ?」

 安心したよ、マスターの表情がいつもと同じ……いや、いつもより余計に怯えた表情になっているかもしれないな……キャラが入れ替わったのかと思って心配したよ。

幸作は夫婦のやり取りを苦笑いしながら眺めつつ、厨房に入っていく。

「麻里萌ちゃん、コーヒーでよかったよね?」

 サイフォンを取り出し、挽きたてのコーヒー粉を入れる。

「エッ? 幸作君が入れてくれるの?」

 麻里萌はまん丸な目をさらにまん丸にして幸作の顔を眺める。

「任せて、マスターがサボっているときとか俺が入れたりするんだ……って……アッ」

 その一言に、杏子の目がさらにつりあがり、夫婦の言い争いにさらに加速した。

いけね、内緒だったんだな? 杏子さんには。

幸作はペロッと舌を出しマスターを見ると、怨んだような、怯えたようなどっちとも取れない目でマスターは幸作の顔を睨む。

だからゴメンって。

「あなた、ちょっといらっしゃい……幸作君ちょっとの間お店よろしくね?」

「いや、その……幸作一人に……お店を……」

 マスターの声がフェードアウトしてゆく、その姿はまるで引きずられるように杏子に連れて行かれるマスター、その後姿を優しくというか、呆れ顔で見守る幸作と麻里萌。数分後お店の二階からは悲鳴に似たマスターの声が聞こえてきた。

 何が起こっているかは創造したくないな?

 幸作はフッとため息をつきながら忠実に業務を再開する。

「アハハ……」

 麻里萌も苦笑いを浮かべながら幸作の顔を見る。

 自業自得というのかもしれないが……マスター、成仏してくれよ。

 幸作も合唱しながらなんだかすごい音のしている二階の天井を見上げる。

「……殺人事件に発展しなければいいけれど……」

 麻里萌は真剣な表情で幸作と同じように天井を見上げる。

「……それはないでしょ……多分……」

 ほこりのおちてくるその様子はきっぱりと否定できないかもしれないなぁ……後は杏子さんが大人である事を祈るよ。

第五話へ