坂の街の小さな恋……

〜♪〜 はじまりの春 〜♪〜

第六話 はこだて



=デート?=

「おはよー、幸作君」

 にっこりと笑顔を振りまきながら私服姿の麻里萌が幸作の元に歩み寄ってくる。これだけだとなんだかデートみたいだが、待ち合わせ場所は幸作のアパートの前、行き先は喫茶『カレイドスコープ』、少なくともデートといった色っぽいものではない。

本日笹森麻里萌バイトデビューの日だ。

「おはよ」

 四月も中盤になり暖かい日が続くようになってきた。桜が咲いたという話こそ聞いていないがつぼみは大分膨らみ例年通りの開花になりそうだとはニュースで言っている。人間の服装は徐々に縮みそれまでモコモコしていた物から大分スレンダーな物に変わってきた。幸作や麻里萌にしてもそう、それまではコートが必需品だったのが、今ではジャケット程度でも大丈夫なぐらいだ。

「今日は暖かいね?」

 麻里萌は嬉しそうな顔をして幸作の事を見る。

「あぁ、もうすぐ桜が咲く季節だよ」

「エッ? 桜の咲く季節……東京は過ぎているけど……そうかぁ、こっちではそうなんだよね? これから桜が咲くのかぁ……」

 函館の桜の開花日は四月の下旬から五月の上旬、ちょうどゴールデンウィーク頃が見頃になる。麻里萌の顔の笑顔がさらに広がり、嬉々とした目で幸作を見る。

「花見したいね? みんなでさ」

 花見かぁ……ウン良いかも知れない、みんなでジュースとか持ち寄ってワイワイやるのものいいな。

「いいアイデアだね? やろうか、花見」

 幸作もその意見に賛同の笑顔を浮かべ麻里萌のことを見る。



「おはようございます」

 まだ看板の出ていないお店の扉を開き、店内に声をかける。

「おはよー、麻里萌ちゃん、今日からよろしくね?」

 まるで飼い主を待ち構えていた飼い犬のような表情で店の奥からマスターが飛び出してくる。

きっと今のマスターに尻尾をつけたらちぎれるばかりに尻尾を振るだろう。

「ハッ、はい、よろしくお願いします」

 その様子に驚いた表情のまま麻里萌はマスターにペコリと頭を下げる。

「はい、こちらこそよろしくお願いします……さぁ、これに着替えて」

 マスターの手にはウェイトレス服が持たれている……って、なんでマスターそんな物を持っているの? メイド服チックなそれは、いわゆるコスプレという奴ではないかと言う雰囲気を醸し出すには十分すぎるほどの隠微な香りが漂っている。

「こ……これですか?」

 麻里萌の顔には困惑したような表情が浮びあがり、心底困ったというように眉毛が八の字を書いている。

「そ!」

 マスターはさわやかにうなずきそれを麻里萌に渡そうとする。

「こぉのぉぉ……セクハラおやじぃぃー」

 瞬間にマスターの顔が視界から消える。マスターのいた空間にはさっきマスターが手に持っていた服がひらひらと舞い落ち、そして床にめり込んでいる……まぁそれは言い過ぎにしろ床に突っ伏しているマスターの頭にかぶさる。

「何を考えているんだか……」

 その横で憤然とした表情の杏子が目を吊り上げ頭から湯気が出ているように真っ赤になって怒り散らしており、既に言っていることが俺たち尋常な人間が聞き取る事が出来ないような事をマシンガンよろしく連ねている。

マスターってそんな趣味があったのかな? それにしてもその服どこで手に入れたのか……聞いてはいけないかな?



「さて、今日は快晴の日曜日! きっと忙しくなるから頑張ってね」

 怒りを撒き散らした杏子はすっきりしたような表情で麻里萌にお店のエプロンを手渡す。

本当にすっきりした表情だな……ストレスを発散したみたいで爽やかささえ感じるぐらい、マスターにちょっと同情するよ。

「ハァイ、よろしくお願いします」

 麻里萌はペコリという音がしそうなお辞儀をして、近くにあったダスターでテーブルを手馴れた様子でふきだす。幸作はその様子を見ながら、窓拭きにはじまり冷蔵庫内のチェックなどいつも行っている開店準備を進めてゆく。



「ハァ……本当に今日はいい天気ね? 暖かいし、絶好の撮影日和……」

 店の前に打ち水を打っていた杏子が口をニィッと横に広げながら店内に入ってくる、その台詞を聞いて幸作はマスターと顔を見合わせ、次に深いため息をつく。

「撮影日和?」

 まだその意味に慣れていない麻里萌は、店の奥に姿を消した杏子の姿を目で追いながらも幸作たちを見ると、その視線の先には二人してうなだれている姿。

「さて、片付けするかな……」

「片付け?」

「ハァ……今日はどこに行くつもりなんだ?」

「どこに行く?」

 麻里萌はそれぞれに行動を始める二人をきょろきょろと見つめるだけだった。

「幸作、今日は開店していないからバイト代は無しだからな!」

 マスターはそう言いながら、店の奥に消えてゆく。

「……まいったなぁ……せめて半日の日にしてくれればいいのに」

 なんだって一日できるときにそうなっちゃうかなぁ? 一日分のバイト代がないというのはきついよ……トホホ。

幸作はため息をつきエプロンをはずす。その姿を麻里萌は首を傾げるだけだった。

「幸作君、一体? 何?」

 やっと不思議に思っていたことを聞く事が出来た、そんな表情を浮かべる麻里萌に対して幸作は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「麻里萌ちゃん……本日は臨時休業になりました」

「へ?」

 その一言に麻里萌の顔が引きつる。

はじめてだからなぁ仕方がないだろう、俺もはじめての時はしばらく呆然としたものだ。

「前に話をしたでしょ、杏子さんの事」

 映画撮影が趣味の杏子さんは気が向くと撮影に向かってしまう、そのお手伝いをマスターがする、その為お店はお休みになってしまう。

「本当だったのね?」

 呆れ顔で麻里萌は幸作の顔を見る。

俺にそんな顔をされても困るんだけれど……しかしどうしたものかなぁ、家に帰っても郁子は休日部活だって言っていたし。困ったな、思いもしないところで暇が出来てしまったなぁ。

「どうしようかなぁ」

 幸作が口を開こうとした直前に麻里萌の口から、今幸作が言おうとしたのと同じ台詞が飛び出した。

「どうかした?」

 麻里萌はエプロンをはずしながらうつむき、これからの自分の行動をどうしようか模索している様子だ。

「ウン、今日は弟もいないし、お母さんは用事があって出かけるって言っていたし……ちょっと暇かも……」

 お互い様だったようだな。

「天気もいいし『ベイエリア』でもちょっとぶらついて帰るかな?」

 函館の観光スポット『ベイエリア』は赤レンガ倉庫群でも有名で、函館を紹介するガイドには必ずその風景が写っている。

「えぇーっと……幸作君?」

 店を出たとき麻里萌がうつむきながら幸作の袖を引く。

「ん?」

 それまでと違った、心地よい潮風が心地よく二人の頬を撫ぜてゆく。

「そのぉ……幸作君の迷惑でなければ……一緒に……行ってもいいかな?」

 蚊の鳴くような声というのはこういう事を言うのであろう、たまたま車が走っていなかったからその声を聞き取ることが出来たが、きっと雑踏の中ではわからなかったであろう。

「俺は別にかまわないよ」

 そういう幸作に向けて、麻里萌は満面の笑顔を見せてくれた。

「ホント? 嬉しいなぁ、こっちに来てまだ家の周りと学校に周辺しか行ったこと無かったから、この街のあっちこっちに行ってみたかったの!」

 麻里萌の目がキラキラしたものに変わっている、そういえば東京から来たんだったよな? 麻里萌は……よし、観光案内in幸作バージョンスタートだ!

「だったら任せて、今日は麻里萌姫をお連れして函館観光だ」

 なんとなくワクワクしている自分を幸作は気が付く。

 どこか心の奥底で麻里萌と一緒というのが嬉しいのかな?

「ウン! おねがい」

 麻里萌もワクワクしているのであろう、頬の筋肉が緩みっぱなしになっているみたいだ。



「さて、どこから行きたい? ご希望の場所があったら案内するよ?」

 お店は赤レンガ倉庫に近い場所にあり、観光するには一番手っ取り早いのだが、まだ時間的に早いため開いているお店は限られてしまう。

「ウン、とりあえず『函館駅』に行かない? そこからスタートの方が観光客みたいで面白くない?」

 観光客っぽいって……まぁいいかぁ。

幸作は苦笑いを浮かべながら進路を函館駅に向ける。隣にはニコニコした麻里萌が寄り添って歩く。

「麻里萌ちゃんは歩くのは大丈夫?」

 既に歩かせていながらこんな事を言うのは矛盾していると思うが、幸作は隣で歩くたびにフワフワと揺れる麻里萌の髪の毛を見る。

「大丈夫! あたし歩くのって大好き、お散歩部なんていうのがあればきっとあたし入部しちゃうかもっていうぐらい」

 お散歩部って……まぁ、いいかな?

「函館という街はこの市内だけでもあっちこっちに観光名所があるんだ、今日みたいに天気が良くって暖かい日ならば歩くのが一番、穴場も見つけられるしね?」

狭いこの街の中に色々な史跡や観光スポットが目白押しになっており、それを見て回るのは自分の足が一番。寒いときなどは市電を使ってもいいかもしれないけれど、俺はこの街は歩く事をお勧めする。

「美味しいものも見つかるかな?」

 相変わらずニコニコしている麻里萌。

なんだかその笑顔を見ているだけでこっちも嬉しくなってくる気がする。

「美味しいものは任せておいて、後で俺が案内してあげるよ、函館名物をネ?」

 幸作は頭に浮かんだ一つのお店を、観光案内に取り入れる。

「ヘヘ、それは楽しみだなぁ……美味しいものを食べるのも好きだよ」

 麻里萌の目じりが下がる。



「ハイ、函館駅に到着、昭和十八年にここにこの函館駅ができた、その当時は青函連絡船の桟橋につながったまさしく北海道の玄関口だったけれど、最近では飛行機や、青函トンネルが出来てちょっと寂しくなってきたかな? この新しい駅舎は二年前の平成十五年にできたんだこのスペースは『ピアポ』と呼ばれている」

 開放的な大きな窓に駅の改札周辺は卵形に吹き抜けになっている。観光客で結構混雑しているものの、人にぶつかり合うほどではない。

「綺麗な駅ね? それにしても『ピアポ』ってどういう意味なの?」

 麻里萌は吹き抜けの天井を見上げたり、お土産物店などを見たり忙しそうに動き回っている。

「ウン『ピアポ』というのは、桟橋を意味する『ピア』と港町を意味する『ポート』から取ったいわゆる造語だよ」

 麻里萌は幸作の説明にフーンと鼻を鳴らしながらお土産を見ている。

ねぇ、麻里萌さん? 聞いている?



「次はここ、函館といったら『朝市』戦後の闇市から始まったといわれていてその件数は四百件あまり、魚や生鮮品はもとより日用雑貨まであって『朝市で売っていないのは墓石と棺桶ぐらい』というぐらいに充実している……そのうちの一軒が初音の店だけれどね?」

 幸作が苦笑いを浮かべていると背後から声をかけられる。その声は、たった今、噂に浮かび上がった娘の声だった。

「幸作? 何で?」

 アチャ〜、よりによって噂をしているときに現れたな? 間がいいのか悪いのか……。

振り向く幸作の視線の先には、その空気が読めないといった表情を浮かべている初音の顔があった。

「よ、よぉ……奇遇だな」

 奇遇な訳がない、ここに来ればこうなることは想像が付いていたのだが、何処かでその想像が欠落していたみたいだ。

「初音ちゃん、こんにちは!」

麻里萌はそんな事お構いなしに幸作の影から初音に声をかける。

「麻里萌ちゃん?」

 初音の驚きの表情がさらに大きくなる。

「初音ちゃんのお店もこの中にあるの?」

 カニが所狭しと並び、磯臭いというか、魚臭い通りを眺めながら麻里萌は悪びれた様子もなく初音に声をかける。

「ウ、ウン、もうちょっと奥だけれど……それにしても……あなた達一体」

 首をかしげながら初音は幸作の顔を覗き込む。

「幸作君に観光案内してもらっているの」

 にっこりと微笑む麻里萌に対し初音は苦笑いを浮かべるだけみたいだ、しかしチラッと俺に視線を投げかけたときはものすごくきつい目をしたような気がするけれど……。

「フーン、デートっていう訳」

 やっぱり視線が冷たい。

「違うよ……多分……いっ」

 幸作がそういうと初音は麻里萌に向け微笑み、幸作に向けては冷たい視線を投げかけその場から離れていく。

俺の足をわざとらしく踏みつけ……痛いじゃないか。

「初音ちゃん忙しそうね?」

 忙しいと彼女は俺の足を踏むのか?

 翌日に何を言われるかわからず、とりあえず苦笑いを浮かべながら幸作は朝市を後にする。



「ここが『赤レンガ倉庫群』、函館の顔といっても過言じゃないよね?」

 港に面した赤レンガの倉庫群はあまりにも有名すぎる景色。

「そして今立っているこの橋が『七財橋』といって海運業が盛んだった頃、船荷を倉庫に運ぶために作られた『掘割』にかけられた物なんだ、あまりきれいな水じゃないけれど、ここから見る景色は函館山から係留されている船など、十分に函館を象徴する風景だと思うよ」

 そこから見る景色は、正面に見える函館山、港には漁船が係留されている様は、函館に来たら一度は見る景色であろう。

「ホント、今になって、やっと函館に来た実感が今になって湧いてきたかも……なんとなくロマンチックね?」

 麻里萌はちょっとウットリした表情でその景色を眺めている。

 ハハ……ロマンチックねぇ。

 幸作は、苦笑いを浮かべるものの、そこから見る景色を見ながらため息をつく。

「確かにそうかもしれないね? 夜になるともっと綺麗だよ、女の子なんて好きなんじゃないかな? ライトアップされている景色とかって」

 バイト帰りにたまに寄ったりすることがあるが、周りにいるのはカップルばかりで、一人でいるほうが恥ずかしくなるほどだ。

「フーン、そうなんだぁ、ちょっと見てみたいかも、その時は幸作君連れてきてくれる?」

 麻里萌はそう言いながらちょっと顔を赤らめているが、それには幸作は気が付かず、微笑みながら麻里萌の提案にうなずいている。

「ここの赤レンガ倉庫群は、明治二十年に長崎からここにやってきた渡邉熊四郎が開業したのが始まり、今建ち並んでいる建物は明治四十二年から明治四十三年に建てられたもので、昭和六十三年に『函館ヒストリープラザ』として生まれ変わったんだ」

 観光客が写真を撮ったり、歓声を挙げているそのそばを幸作たちはゆっくりと歩きぬける。

「明治かぁ、レトロチックというか、なんだか時代を超えた威圧感というか、歴史を感じる建物よね? この街にとてもマッチしている感じかもしれない」

 赤いレンガを麻里萌は見上げながら感心した目でそれを眺めている。

「ウン、今でも観光名所になっているし歴史上から見ても、この倉庫のおかげでこの街の繁栄もあったわけだから、名実共に函館の顔だよね?」

 幸作は、五棟ある倉庫のうちの一つに入ってゆく。

「わぁ、中はこんなになっているのね? 外からは想像できないよ」

 倉庫の中は、アンティーク商品やアクセサリーなどが売っているお店が建ち並び、観光地というよりもショッピングセンターのようになっている。

「観光地だからお土産物屋ばかりと思われがちだけれど、この中は結構地元の高校生などにも人気があるんだよ」

 所々に倉庫だった頃の名残である赤レンガを見ることの出来るその内部のお店をひやかしながら二人はゆっくりと歩みを進める。

「ヘェ、ここは石ばかり……でも綺麗」

 アニメキャラクターの石像が置かれているお店の前で麻里萌の足が止まる。

「ここは天然石なんかを扱っているお店だって……まぁ、あまり俺は興味ないから寄ったことないなぁ……って、麻里萌?」

 幸作の説明もよく聞かず麻里萌は店の奥にどんどん入り込んでゆく。

「ヘェ……色々な種類があるのね?」

「もしよかったら彼氏と一緒にネックレスでも作ってみては?」

 麻里萌に店員が声をかけてくる。

「かっ、彼氏って……」

 麻里萌はそこまで言うと幸作の顔を見て顔を真っ赤にする。幸作にしてもそうだ、顔が赤らんでいるのが自分でもよくわかる。

「そっ! この石にはね、色々な事を成就させてくれるお守りみたいなものもあるのよ? だから、二人で恋愛成就なんてどう?」

 店員は悪気があるわけではないだろうが、真っ赤になってうつむいている二人に容赦なく話しかけてくる。

「いや、そんなんじゃぁ……」

 麻里萌の一生懸命にその誤解を解こうとするが上手く口が回らず更に誤解されている。



「ヘヘ、買っちゃった……」

 満足そうな表情を浮かべながら麻里萌はその袋も見つめる。

「何のおまじない?」

 それを選んでいるときちょうど違う所にいた為、幸作は麻里萌の購入した石が何のおまじないなのか分からないでいた。

「ウフ、ヒミツ」

 意地の悪い顔で麻里萌はその紙袋をポケットに押し込める。

 ……気になるかも……。

「さぁ、何か食べに行かない? ちょっとお腹が空いちゃった」

 ペロッと舌を出し幸作の顔を見る麻里萌の姿に、幸作の心がちょっと高鳴る。

「ウ、ウン、じゃあお勧めのお店に案内するよ」

 なに動揺しているんだ、俺は? なんだか彼女と一緒にいると楽しいかな、それにこんな無邪気な表情をされると、こっちまで嬉しくなってくる。意味もなく頬が緩んでいる自分の気持ちは今までに得た事のない感覚だった。



「……ここ?」

 次に向った先はベイエリアの西詰まりになる場所にあるコンビニらしい場所。

「そう、ここは函館だけで展開している『ハセガワストア』、GRAYで有名になったここのお弁当がすごく美味しい……函館名物というだけあるよ、隣にある『ラッキーピエロ』も同じように函館限定だけれど、ちょっとこの時間は混んでいるからまた今度という事にして、何よりも今日はこれ!」

 店内に入るとちょっと他のコンビニとは違った感じがするのを麻里萌は感じ取ったのであろう、キョロキョロと周りを見わたす。

「ここの『ハセスト』といったら、このやきとり弁当が有名なんだ」

 お店の中にはまるでファーストフード店にあるようなカウンターが配され、そのショーウィンドーの中にはお弁当が並べられている、しかし、そのお弁当の内容は同じように見えるけれど……。

「なになに? 塩とタレかぁ……あと大きさが違うのね?」

 ショーウィンドーを眺めながら麻里萌は腕を組み悩んでいる。

「ウン、大きさは人それぞれだけれど、味付けはどっちも美味いよ、俺は塩がお勧めだけれど、タレも美味い……」

 塩も普通の塩ではなく何か隠し味があるらしい。

「ウゥ〜、悩むなぁ……どっちがいい?」

 麻里萌は懇願するような表情で幸作の顔を見つめる。

「ウン、そんなときはこれが一番、このお店の裏技なんだよ」

 幸作はにっこりと麻里萌の顔を見て、カウンターにオーダーする。

「とり弁の大塩と中の塩二本とタレ二本のミックスで!」

 そのやり取りを麻里萌は不思議そうに眺めている。

「ここでは作り置きしていないんだ、だからホッカホカでいつも美味しいの、ほら、お店で作っているでしょ? 他のお店もみんなそうなんだ」

 二人の目の前で弁当の上に乗る焼き鳥が焼かれてゆき、店内にはいい匂いが広がってゆく。

アァ、この匂いだけでご飯一膳はいけそうだよ……。

幸作は今にもよだれをたらしそうな顔になり、それを見る麻里萌は楽しそうに微笑む。

「いい匂い……お腹が鳴っちゃいそうかも……」

「俺なんてさっきから鳴りっぱなしだぁ」

 二人は顔を見合わせ笑い出す。

「お待たせしましたぁ」

 二人の前に弁当箱が二つ置かれ、幸作はそれをもちレジに向う。

「ちょっと独特の清算方法でしょ? お弁当と一緒にコンビニの買い物もできるって言うことなんだ」

 レジで会計を済ませ二人は店外に出ると、温かい風が再び二人の頬を撫ぜる。

「このお店の中で食べるのもいいけれど、これだけ天気がいいのなら、やっぱり外で食べたいよね?」

 幸作の案に大いに満足したのか麻里萌も大きくうなずく。

「ピクニックみたいでいいかもしれないわね? どこか良い所ある?」

 麻里萌は嬉しそうに幸作の顔を覗き込む。

任せておけって! 

幸作は自信満々にうなずき歩き出す。



「これからちょっと坂を上るから、もう少し頑張ってね?」

 見上げる先には坂がそびえ、その坂の先には綺麗な洋館が立っている。

「幸作君、あの洋館は?」

 麻里萌はそう言いながら、ちょっと眉をしかめながら幸作の隣に寄り添い歩く。

「あれは『旧函館公会堂』で、国の重要指定文化財にもなっている、海を象徴したようなブルーの外壁が印象的でしょ? ここも夜になるとライトアップされて綺麗なんだ」

 そう言いながら二人は坂を上りだす。

「この街は別名、坂の街といって、坂がいたるところにあるんだ、この坂もそうなんだよ、この坂は『基坂』といって、その昔、坂の下に里数を図る基準点が置かれたのが名前の由来、以来函館の街はこの基坂を中心に作られたと言う事なんだ」

 ゆっくりと坂を上る二人。春だという事を体感させられているような日差しが心地いい。

「ここも石畳なんだね?」

 不意に麻里萌が口を開く。

「?」

 幸作は意味が分からず麻里萌に振り向く。

「ううん、なんだかこの街って石畳の道が多いなぁって思ったの」

 麻里萌は足元を見ながら呟くようにいう。

「アァ、雪が多いからね、雪が降ると坂道が上りにくいでしょ? だから滑り止めをかねてなんじゃないかな?」

「でも、街並みにマッチしているみたい……なんだかいいなぁ」

 幸作にすればただのでこぼこの道のイメージしかないが、麻里萌にとってみればそれも函館らしいになるのだろうか。



「さて、今日のランチスポットはここ!」

 幸作は公園内にある一つのベンチを指差すと、麻里萌はそのベンチを怪訝な顔で見る。

確かにちょっと周りを観光客が歩き落ち着いてランチという雰囲気ではないが、でも。

「さっ、振り返ってみなよ……」

 幸作は麻里萌の肩を押し、振り返るように促す。

「わぁ、港が一望できる……」

 振り向いた麻里萌の顔に笑顔が膨らむ。その光景はきらきら光り輝く港の景色、係留されている船や、港を出入りする船が見渡す事ができる。

「港を見るビュースポットの一つなんだ、これも函館らしい景色かもしれないね? でも、とりあえず食べようよ、せっかく温かいんだから」

 幸作は待ちきれないといった様子で弁当を開く、すると幸作たちの鼻腔をくすぐるいい香りが周囲に漂う。

「うぁー、美味しそう……」

 麻里萌も目をまん丸にしてそれを眺める。

「これを食べるときはね、弁当箱に溝が彫ってあるでしょ? その溝に串を当てて、再度ふたを閉めて……こう串をひねりながら抜くと、ほらね、こうやって肉だけがご飯の上に乗るっていう寸法……いただきまぁ〜っす」

 幸作は我慢できないといった表情でその弁当にかぶりつく。

十七歳食べ盛りだからねぇ。

「これがやきとり?」

 麻里萌はきょとんとした顔でそのお弁当にのっている串を見る。

「そう、道南地方ではこの『精肉』いわゆる豚串を『やきとり』って言うんだ。なぜかって言うと諸説色々あるけれど、高価な鶏肉の代わりに精肉を使ったという説や、発祥といわれている室蘭には工場が多く、そこで働く人のために栄養価の高い豚肉にしたという説など、色々とある、俺的には、美味しいから良いんだけれどね?」

 もぐもぐと口にご飯をほおばりながら幸作が説明すると麻里萌はにっこりと微笑みながらうなずき、つられるようにご飯を食べ始める。

 なんだか今日一日は、得したような気がするなぁ……。

 幸作は心の奥でそう感じながら、美味しそうにそれをパクつく麻里萌の顔を見て微笑む。



「なんで一緒なのよぉ」

 夕方というにはちょっと早い気もするが、夕飯の買い物を終え家路につくと幸作のアパートに近いところで前を歩いている小柄な女の子が声をあげる、その娘の着ている制服は郁子と同じ学校……というより郁子本人ではないか? 背格好からそう見受けられる。

「何でって……家の方向が同じだから仕方がねぇじゃねぇかよ!」

 怒鳴るような声で郁子の台詞に反論を唱えている隣にいる男の子は郁子の頭より二つは飛び出しており結構な長身のようだ。

「……あれ、操じゃないかしら?」

 麻里萌は苦笑いを浮かべながら視線を男の子に向ける。言われてみればそうかもしれない、この前に会ったときはよくわからなかったが、背丈は似ている。

「なんで郁子と一緒なんだ?」

 何となく幸作は不機嫌な表情になる。

「さぁ? ……操!」

 首をかしげながら麻里萌は前を歩いている二人に声をかける。

「あ、姉貴?」

 振り向いた操は、まずいといった表情を浮かべる。そして続いて振り向いた小柄な女の子は、やはり郁子だった。

「おにいちゃん? どうしたの、今日はバイト早くない?」

 郁子はちょっとバツの悪そうな顔をするが、すぐにその後、自分に浮かび上がった疑問を投げかけてくる。

「お兄ちゃん? この人が戸田の?」

 操が驚いた表情を浮かべながら声をあげる。

「バイトはいつもの臨時休業……」

 幸作がそういうと郁子もなれたように苦笑いを浮かべる。

「だったらなんで? その人はおにいちゃんの彼女?」

 彼女……その一言に幸作と麻里萌は顔を見合わせ次に言い合わせたように顔を赤らめる。

「違うよ、同級生で、バイトが一緒なの……それだけだよ」

 そう言いながらも幸作はその一言を言う事を一瞬ためらっていた。

麻里萌が彼女かぁ、決して悪い気はしないな?

「お前こそ、いつの間に操君と仲良くなったんだ?」

 その一言に二人が噛み付く。

「この情景を見てのどこを見て仲が良いんだよ!」

「おにいちゃん、あたしだって人を見る目はしっかりしているはず、よりによってこんな三白眼な人と付き合わなければいけないのよ、それならまだおにいちゃんと付き合ったほうがいくらかまし!」

 それって、どういう意味だよ……いきなり二人に噛み付かれる幸作は苦笑いを浮かべる。

「なぁに? 喧嘩でもしたの?」

 麻里萌もにっこり微笑み二人を見る。

「喧嘩って言うのは仲がよかったりするからだろ? 喧嘩じゃねぇよ、ただの世間話だ!」

 世間話を怒鳴り合うっていうのも珍しい話だが……息が合わないのかな、この二人。

「姉貴こそ、最近ウキウキしていると思ったら、やっぱり彼と一緒なんだな?」

 形勢逆転といった表情で操は麻里萌の顔を覗き込む。

「そうよ、おにいちゃん、いつの間にこんな可愛い人と仲良くなったの? 教えてくれてもいいじゃない」

 郁子も同じように幸作の顔を覗き込む。

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