坂の街の小さな恋……

〜♪〜 はじまりの春 〜♪〜

第八話 春の珍事?



=さくら=

「それでは、カンパァーイ」

 桜が満開の五稜郭公園の一角にマスターの声が響きわたる。

「かんぱい」

 幸作は隣にいる杏子と麻里萌に紙コップを合わせる。

「ゴールデンウィークに桜が見られるなんて思っていなかったなぁ……ハァ、綺麗」

 麻里萌はさっきから口を半開きにして頭上に咲き乱れる桜を眺め上げている。

「でしょ? 北の街で見るから桜の綺麗さは格別なの! 東京で見るのも綺麗だけれど、あたしはこの五稜郭の桜は最高だと思っているわ」

 杏子は、まるで自分がほめられたかに嬉しそうな表情で麻里萌の肩をたたく。

「でも、こっちのお花見ってこうなんですか?」

 麻里萌の困惑した視線の先にはジンギスカン用の鉄板が置かれ、今まさに野菜を投入しようとしている千鶴の姿があった。

「初音ぇ、早く油引いて!」

 千鶴はそう言いながら既にもやしを手にしている。

「千鶴、まだもやしは早いって、先ににんじんとか、火の通りにくい物からなの!」

 初音は呆れたような表情で千鶴をたしなめる。

 やっぱり千鶴には無理だよ……。

 強引というのは、ああ言う事を言うのであろう、現地についた途端、千鶴が料理をするといって聞かないだけではなく、食材をすべて自分で抱えてしまった。

 一瞬千鶴に料理が出来るようになったのかと思った自分に苦笑いだ。

「あれじゃあ、なに食わされるかわからんなぁ……ほら、貸してみろ」

 幸作は見るに見かねて鉄板の周りに出来ている輪の仲に突入してゆくと輪の中にいた初音が嬉しそうな声をあげる。

「幸作も手伝ってくれるの?」

 初音は切ったにんじんを手に、にっこりと幸作の顔を見る。

「ほら、まず切ったにんじんをのせて、ちょっと火が弱いかな? 後は、たまねぎとピーマンと……なんで鮭があるんだぁ?」

 素材の置かれたお皿にはなぜか鮭の切り身が置かれている。

「エヘ、お店から持ってきたの……お父さんがもって行けって言うんだもん」

 初音がペロッと舌を出し、遠慮がちに手をあげる。

「……これじゃあ『チャンチャン焼き』になっちゃうよ?」

 幸作はその切り身を見て苦笑いを浮かべる。

「違うよ、チャンチャン焼きは鮭一本入れるんだから……これは切り身だからならない!」

 頬を膨らめながら、初音は幸作の意見を否定する。

 そういうものかね? まぁいいか?



「美味しい……バーベキューしているみたいで楽しいなぁ」

 麻里萌は皿に盛った肉や野菜をほおばりながら幸せそうな表情を浮かべる。

「でしょ? 北海道では花見のときはジンギスカンって相場が決まっているの、このラム肉だって、東京のとは絶対に違うはず」

 幸作の隣でパクパクと箸を進めている郁子が自慢げに鼻をぴくつかせる。

「確かにそうかも、東京のラム肉は臭いというイメージだけれど、これは美味しい」

 満面の笑みを浮かべながら麻里萌はその肉を口に放り込む。

「……東京では考えられないなぁ……あっちは花見イコール酒のイメージと……」

 いつになく満足げな操が呟くと、

「よっぱらい!」

 その操の意見に同調するようにあからさまに嫌な顔をする麻里萌。

「ハハ、そうかも、でも、これで酒があれば最高なんだけれどなぁ」

 マスターが他のグループをちらりと見る、そこにはビールサーバーが置かれて、そこから泡の溢れるようなビールが注がれて、それを見るマスターはゴクリと喉を鳴らす。

「なに言っているの? 未成年の監視役なんだからそれはご法度!」

 杏子はそう言いながらマスターの耳を引っ張る。

「ハハ、でも、こっちの花見の光景は大体こんなものだよ、入り口では鉄板とビールサーバーを貸し出すお店が必ず出ているよ」

幸作はそう言いながら、驚きの表情を浮かべている麻里萌と操に苦笑いを浮かべる。

「地域の差ですねぇ」

 麻里萌はそう言いながら驚きの表情を隠せないでいる。

「夜桜も綺麗なんだけれど、やっぱり日がかげると寒いのよ、ストーブ持参で夜桜見物している人もいるけれど、青少年は昼間でも十分よね?」

 杏子はそう言いながら盛り上がっている初音たちを見る。

 アルコールの力を借りなくっても盛り上がれるのはこの歳だからなのだろう。

「幸作! 飲み物なくなっちゃったよ……」

 幸作は、だからなんだっていうんだといった表情でその台詞の主である啓太の顔を睨む。

「だから?」

 睨むような表情で幸作は啓太の顔を見ると、ヘラッとした顔で幸作に耳打ちするが、その息はなんとなく酒臭い。

「お前、酒飲んでいるのか?」

 その一言をさえぎるように亮が幸作に抱きついてくる。

「酒の力を借りないと告白できない男だっているんだよぉ」

 既に亮の目は据わっている。

 このままここにいることは危険と判断した幸作はその場から離れようとするが、啓太がさらに腕を引く。

「初音が、お前と一緒に買い物に行きたいんだって……モテモテじゃん!」

 幸作は啓太にわき腹を突っつかれながら啓太の視線の先を見ると、そこには、靴を履き、買出しに行く準備を整えた初音が一人立っている。

「馬鹿言うなよ、そんなんじゃないよ」

 茶化す啓太の頭を幸作は小突きながら初音のほうに向かって歩いてゆく。その後ろでは啓太のいやらしい笑いと、亮の悲痛な叫び声が聞こえる。

「あそこのコンビニでいいべ? ん、どうかしたのか?」

 幸作が声をかけると、初音は驚いた顔で幸作の顔を見つめるが、すぐにその顔はうつむき加減になり、いつものような威勢のよさが感じられない、何か思いつめているようなそんな感じさえ受取れる。

 まさか初音も飲んでいるわけではないだろうな……。

「アッ……いやだ、啓太のやつ本当に呼んだんだぁ」

 まるで表情を読まれないようにそっぽを向く初音は、そう呟く。

「ホント?」

 幸作はその初音の台詞の意味が理解できずに復唱する。

「あぁ〜、ウウン、なんでもないの……さっ、せっかく来てくれたんだから飲み物の買出しに付き合って」

 再び振り向く初音の顔はいつもの表情に戻っていた。



=初音=

「何か食いもんも買っていこうぜ? どうせ足りなくなるだろう」

 コンビニの中で二人は寄り添い棚の中を覗き込む。

「そっ、そうね? もっと飲み物必要ね?」

 話を聞けよ……今、話が音速ですれ違ったぜ?

幸作は今の初音の答えが、自分で彼女にぶつけた質問の答えと合致しているか一瞬判断に困ってしまった。

「……ゴメン、聞いていなかった」

 その表情を読み取って初音は素直に頭を下げる、その顔は紅潮している。

「……大丈夫か? 初音も酒飲んだんだろう」

 幸作はそう言いながら初音の顔を見ると、初音はぶんぶんと首を振る。

「飲んでいないよ、飲んでいるのは亮と啓太だけ……千鶴もちょっと飲んでいたかな?」

「だったらなんでそんな赤い顔をしているんだ? 熱でもあるんじゃないのか?」

 幸作は心配げな顔で初音の顔を覗き込むと、初音はあわてて視線をそらす。

「大丈夫、そんなんじゃないから……」

 レジに向かう初音はやっぱりいつもと違う……どこか具合でも悪いんじゃないかな。

「本当に大丈夫か?」

 レジ袋を持ちながらコンビニを後にする幸作は初音の顔を再び見ると、相変わらず顔は紅潮したままだ。

「……具合が悪い訳じゃないけれど……もしかしたら病気かもしれない」

 公園に向かう信号で青信号を待っていると、初音がぼそぼそと話し出す。

「だったら早く帰ったほうがいいな、俺が送っていくよ、家で横になれば元気になるだろう?」

「違うの! 横になっても駄目なの……むしろ横になると余計に考えちゃうの……」

 幸作の言葉をさえぎるように強い語調で初音が言う。

 考えちゃう? 何のことだ?

「じゃあ医者に行って薬でも貰えば……」

 信号が変わり、ピッポ、ピッポという電子音に促されるように再び二人は歩き出す。

「……医者でも、草津の湯でも直らないのよ、この病は……」

 幸作は初音の言っている意味がわからず、信号を渡りきったところで立ち止まる。

 医者でも治すことが出来ないって……。

「まさかお前……そんな……」

 幸作はガックリと肩を下ろし、同情するような目で初音の事を見る。この男、とてつもない勘違いをしているようだ。

「幸作……何か勘違い……」

「初音が、そんな病気だったとは……いや、今の医療技術を持ってすればきっと……」

 幸作はコンビニの袋をその場に下ろし、そう言いながら初音の肩をぽんぽんと叩く。

「だから……」

 初音の言う事を聞かない幸作は、なんとなく目に涙を浮かべながらも元気付ける様に初音の顔を見る。

「大丈夫だ! 俺がついている! 心配するな、きっといい医者がいるはずだ!」

 完全に誤解しているよこの男……でも俺が付いているかぁ。初音の顔に笑顔が生まれる。

「……ホント? 本当に治るこの病? 幸作が治してくれるの?」

 いつの間にか初音の表情には意地悪なものが生まれている。

「あぁ、任せておけ! 俺がお前の病気を治してやる!」

 その一言に初音はわざとらしく幸作に抱きつく。

「じゃあお願い……あたしの『恋の病』を治してね?」

 はぁ? コイノヤマイ……って? エッ?

 キョトンとする幸作に対し初音はにっこりと微笑み幸作の腕に抱きつく。

「……この前幸作が麻里萌ちゃんとデートしていたでしょ? あの姿を見てからあたし変なの……なんだか、幸作がどこか遠くに行ってしまった様な、なんだか心の中にモヤモヤした感じというか……それから寝ても覚めても幸作のことばかり考えていた。その時に思ったの『あたしはきっと幸作のことが好きなんだって』……そう考えたらすごくホッとしたの、その事に気が付いたらなんだか納得しちゃった」

 初音はそう言いながら笑顔を幸作に向ける。

「はっ、初音?」

 幸作はその一言を理解できなく思考回路が停止している。まるでフリーズしたパソコンのように幸作はその場に立ち尽くす。

「まさかって、自分でも思ったよ……でも……でも……あたしだって女なんだよ? 好きなんだもん……きっと前から……そして今でも……ずっと幸作のことが好き……」

 幸作の肩の力が抜ける。今目の前で初音のいっている言葉が、まるで他人事のように聞こえるが、初音は真っ赤な顔をして幸作の事を一点に見つめている。

「……初音」

 幸作はそう呟くのが精一杯だった。

「まぁ、今すぐに『彼かの』になろうなんて思っていないよ……意外に競争率高そうだし、でも、自分の気持ちがわかった以上は、あたしはあなたの彼女に立候補します」

 初音はそう言い、幸作の頬に口をつける、その瞳にはきらりと一筋の涙が。

「ヘヘ、告白しちゃった……春だからね?」

 初音はそう言い照れたような笑顔を浮かべながら千鶴達の待っている広場に向って大股に歩いてゆく。その姿を幸作は呆気にとられながら見つめている。

 初音が……彼女の候補に立候補? 誰の? 俺の?

「幸作?」

 呆然としたまま輪に戻ると千鶴が不思議そうな顔をして幸作の顔を覗き込む。

「へ?」

 幸作はその声で我に戻る。

「ウウン、なんだか憔悴しきったような顔をしていたから……何かあったの?」

 千鶴は心配そうな表情で幸作を見る。その千鶴の後ろでは同じように心配顔の麻里萌。

 初音が……初音が俺の事を好き? 小学校時代からずっと一緒にいて、他の男の子と同じように遊んで、他の男の子と同じように喋っていた初音が俺の事を好き……。なんだろう? この心の中にあるモヤモヤは、まるでショックのような、どうしようかというような、訳の分からない気持ちは一体……。

「ちょっと、幸作?」

 苛立ったように千鶴が幸作に声をかける。

「ん……あぁ、ポテトでいいよ」

 千鶴と麻里萌が顔を呆れたように見合わせる。

「幸作君……どうしたの? なんだか変だよ」

 麻里萌は心底心配したような表情で幸作の顔を覗き込む。

「ホント……なんでもないよ」

 幸作はそう言いながら、亮たちと談笑している初音をちらりと見る。

 何で、あんなに普通にしていられるんだ? まるで何もなかったような顔で。

 幸作はため息をつき、目の前にあるジュースを眺める。

「……フーン」

 千鶴はその視線に気がついたのかちょっと寂しげな表情を浮かべながら幸作を見る。

「さ、ジュースだよぉ」

 初音は何事も無かったように幸作や麻里萌にジュースを注いで回るが、それを幸作は顔を赤らめながら受け取る。



「おにいちゃん、今日は麻里萌さんが夕食作ってくれるって!」

 お花見が散会した帰り道、郁子が嬉しそうな表情を浮かべながら幸作の腕に抱きついてくる。その様子を見る操の表情が険しかったのを麻里萌は見ていた。

「……一体それは、どういう展開なんだ?」

 幸作はその流れがわからないという表情で郁子の顔を見る。

「今日は麻里萌さんのところお母さんがいないんだって、だったらみんなで食べようという話になって……う〜ん、麻里萌さんの手料理楽しみだなぁ」

 郁子は嬉しそうな表情で麻里萌の顔を見る、その麻里萌の顔は照れくさそうな表情を浮かべ、幸作の事を上目遣いで見ている。

「迷惑かなぁ?」

 迷惑じゃないけれど……いいのかな? それに操君は……。

 犬猿の仲に見える郁子と操、麻里萌がよくっても操が納得しないんじゃないか?

「俺はいいけれど……むしろ助かる」

 幸作はそう言いながらも操の顔を見るが、意外にも操はその幸作の一言でほっとした顔をしている。

「なに? 幸作の夕食を麻里萌ちゃんが作るの?」

 地獄耳というのか千鶴がいきなり顔を出す、その顔は不満げな表情をありありと見せている。

「あたしもお呼ばれしたい!」

 というか来る気満々じゃないか? 

千鶴は何がなんでも絶対に行くという顔で幸作の事を見る。

「あは、どうぞ、大勢のほうが楽しいですし」

 麻里萌はにっこりと微笑み千鶴の顔を見る。千鶴の表情はしてやったりといった感じでニヤッと幸作を見る。

 何なんだ、この展開は……今日はやたらと目まぐるしいなぁ。

「じゃあ、帰りはお買い物しましょう、みんなで」

 郁子もなんだか楽しそうにみんなの顔を見る。



「狭いですけれど……どうぞ」

 麻里萌が鍵を開けながら入る家は、幸作の家から本当にわずかで、歩いて三分もかからないところにある一軒家だった。

「本当に近いんだな……」

 幸作はその近さに驚いた様子でその家のたたずまいを見る。

「ですね? あたしからすればラッキーでした」

 麻里萌はそう言ったと思うといきなり口に手をやり、恥ずかしそうにうつむくが、その様子を千鶴は見逃さなかった。

「麻里萌お姉ちゃん、お料理あたしも手伝うよ! その間、千鶴姉ちゃんとおにいちゃんはちょっと待っていて」

 郁子はスーパーの袋を開きながら千鶴と幸作に笑顔を向ける。

「郁子ちゃん、あたしも手伝おうか?」

 千鶴が申し訳なさそうに腰を浮かすが、それを郁子は苦笑いで制止する。

「ウン、大丈夫だよ、おにいちゃんの面倒でも見ていて」

 郁子の言う意図は幸作にはよくわかった。千鶴の料理音痴は天下一品で、家庭科の調理実習で同じ班の人間が倒れたなどという噂がまことしやかに囁かれるほどだ。

 面倒を見るというより、台所に入ることを阻止しろという命令のように聞こえるが、その命令は自身にとっても有効で、すぐに了承のサインを郁子に送る。

「そう?」

千鶴は物足りなそうにそう言い、再び幸作の隣に腰を下ろす。

「ハハ、任せておけばいいじゃないか」

 幸作はそう言い千鶴の顔を見ると、千鶴はちょっと頬を膨らませ、すねたような表情を浮かべる。

「ぶぅ、あたしだって女なんだよ? 少しは役に立ちたいじゃない」

 千鶴はそう言い、頬を赤らめ幸作の袖を引っ張る。

 役に立ちたいのなら台所に行かないのが何よりだよ……。

 苦笑いを浮かべながら千鶴の顔を幸作は見る。

「……席外そうか?」

 気が付くと隣にはテレビを眺めている操の姿があった。

「うわぁ〜、びっくりした! いつの間に?」

 ついさっきまで無人だったはずのその場にいる操に対し幸作と千鶴は素直に驚き、飛び跳ねるように立ち上がる。

「今来たところ……フン」

 操はあからさまに気に入らないといった目で幸作の事をちらりと見ると鼻を鳴らし再びテレビに視線を移す。

ハハ、どうも俺は彼には完全に嫌われているみたいだな? 一体なんでなんだか良く分からないけれど……。

幸作は苦笑いを浮べながら再び腰を下ろす。

「あら? 珍しいわね、操が自分の部屋からすぐに戻ってくるなんて」

 麻里萌がコーヒーを持ちながら珍しいそうな顔で操の事を見る。

「い、いいじゃないか……たまには俺だってテレビが見たいんだよ」

 さっきとは違い動揺した表情を見せながら操は麻里萌に視線を投げかける……が、その視線の先は違うような……。

「フーン……」

 幸作の隣で千鶴が鼻を鳴らすが、幸作や麻里萌にはそれがわからなかった。

「テレビだったらあなたの部屋にだってあるでしょ?」

「うるせえなぁ、大きな画面のやつで見たいんだよ」

「これを?」

 テレビで映し出されているのは政治討論会、少なくても面白い番組ではないのは確かだし、わざわざ大きな画面で見る必要もないだろう。

「うう……」

 操は、二の句が告げなくなったように小さくうなり、顔を赤くする。

「まぁいいわ、それだったら操お風呂掃除よろしくね?」

 麻里萌はそう言いながら操を軽く睨む。

「えぇ〜……」

「なに?」

 文句を言おうとしたのだろうが、操は麻里萌に軽くいなされる。

「なんだよ……ぶつぶつ」

「ぶつぶつ言っているとブツブツ星人になっちゃうよ」

 ぶつぶつ言いながら部屋を出て行く操の背中に麻里萌は容赦のないことを言う。

 結構麻里萌って怖いのかもしれないなぁ。

「フフ……なるほどねぇ」

 二人のその姿を見比べると、千鶴が楽しそうな笑顔を浮かべ幸作の事を見る。麻里萌は既に台所に姿を消して郁子と一緒に料理を再開している。

「どうかしたのか?」

 幸作にはその千鶴の微笑みの意味がわからなかった。

「わからないの? ホントあなたって鈍感ね?」

 千鶴は呆れた顔で幸作の事を見る。

確かに敏感ではないが、本人を目の前にしてそうはっきりと言う事ないじゃないか。結構傷つくんだぞ、鈍感といわれると。

「……わからない」

 しかし素直にわからない。幸作は首をかしげ千鶴の事を見る。

「もぉ、彼は郁子ちゃんのことが好きなのよ、きっと」

 はぁ? その一言に一瞬幸作の動きが止まる、どこをどう取ればそんな結論がはじき出されるのかがわからない。

 どう考えてもあの二人は犬猿の仲、水と油、猫に小判(?)ではないか? 操が郁子に対しそんな感情を持っているとは思えない。

「本当にわからないみたいね? 彼の様子を見れば一目瞭然じゃない」

 あきれ果てた様子の千鶴は、さっきから首をひねっている幸作の顔を睨む。

「だって、あいつら何かにつけ言い合いしているよ?」

「本当に鈍感男……よく言うでしょ、好きな娘にわざと意地悪する、きっと彼はそうなのよ、口は悪いけれど、今日だってずっと郁子ちゃんの近くにいたし、さっきだって、郁子ちゃんのことが気になってすぐに降りてきたんだと思うよ」

 千鶴は微笑みながら台所で麻里萌と一緒に料理をしている郁子の事を見る。

「ハァ……あの郁子のことがねぇ……物好きな」

 幸作はあまりにも突飛なことに呆気にとられ口を半開きにしている。

「なに言っているの、郁子ちゃん可愛くなったわよ、あの娘は、きっと男の子にもてると思うわよ、これはあたしの感」

 ウィンクしながら千鶴は幸作の事を見る。

「ハハ、嬉しいような……複雑な気持ちかも」

 幸作の心の中には、ちょっとモヤモヤした物が生まれ始めていた。

 郁子の彼氏かぁ……想像したくないなぁ……そのうち、お嬢さんをボクにくださいとか来たらどうしよう。

「ハァ……」

 幸作は力なく笑いそしてため息をつきながら台所に立つ二人を見つめる。

「幸作が気づかないだけ、人を思う気持ちなんて意外に簡単よ」

 千鶴はそう言いながらうつむく。幸作にはその意味がいまいち理解できていないように首をかしげている……。

 

「ご馳走様でしたぁ」

 笹森家前では幸作と郁子、そして千鶴が見送る麻里萌達に手を振る。

「お粗末さま、郁子ちゃん後片付けまで手伝ってくれてありがとう、助かっちゃった」

 麻里萌は笑顔を郁子に向ける、その隣ではちょっと寂しそうな顔の操……やっぱり郁子のことが好きなのかな?

「ウウン大丈夫だよ、じゃあ笹森もおやすみなさぁーい」

 郁子はそれまでにない表情で操の事を見ると、最初は驚いた様子だったが次第に照れくさそうな顔をしながらも軽く手をあげる。

「わかった?」

 千鶴がコソッと幸作に声をかける。

「あぁ、何となくな……郁子も罪な奴だ」

 幸作はそう言いながらも優しい表情で郁子の事を見る。

「なに?」

 振り向くと優しい笑顔を向けている幸作の顔に思わず首をかしげる郁子。

「なんでもないよ……郁子、俺は千鶴を送っていくから、先に帰っていてくれ、風呂も沸かしてないからついでに……」

「わかったわよぉ、沸かしておけばいいんでしょ?」

 頬をプクッと膨らませる郁子の顔を幸作は苦笑いを浮かべ見る。ハハ、こいつは別に変わっていないなぁ、ちょっと彼に同情するよ。

「千鶴さん、またね!」

 アパートの前で郁子は笑顔で千鶴に手を振る。



=千鶴=

「ねぇ、幸作も結構紳士な所があるんだね?」

 二人並び歩く、千鶴の家は幸作のアパートから十分ぐらいだろうか、ちょっと坂を上ったところにある。

「結構ってなんだよ、紳士だよ俺は」

 幸作はちょっと不満そうな表情で千鶴を見る。

「ハハ、ゴメン、でも幸作が紳士だと世の中の男性がみんな紳士になっちゃうかも……」

 えらい言われようだな……否定できないけれど。

「でも、何も言わなくっても必ず送ってくれるよね? 前に初音のところに行った時だってそうだったし」

 嬉しそうな顔で千鶴は幸作の顔を見上げる。

「だって、女の子じゃないか……何かあったら……」

「そう! あたし女の子よね?」

 クルッと幸作に体を向ける千鶴の背後には何度となく通った宝城邸がそびえている、何度来ても大きな家だな。

「だろ? スカートはいているし……」

 幸作のその一言に千鶴はうなだれる。

「この男は本当に……ねぇ、幸作ちょっといい? これ見て」

 千鶴はそう言い自分の胸元で手を差し出し、その差し出した手を幸作に見るよう促す。

「ん?」

 幸作は素直に腰をかがめ、その手を見る。

「そうしたら……もうちょっと近くで……」

 次の瞬間、千鶴はその手を幸作の頬に当て幸作の口に自分の口をつける。

「!」

 反射的に体を離すが、千鶴はさらに幸作の胸に抱きつく、その行為に驚いた様子で幸作は千鶴の事を見る。

「あたしの気持ち……あなたに届けばいいけど」

 そういったかと思うと千鶴は体を離す。

「……幸作、あたしね、あなたが思っているよりあなたの事が好きだよ、それだけは覚えていてね? でも……きっとライバルも多いだろうなぁ」

 真っ赤な顔をしている千鶴はそう言いながら体を反転させ、家の中に消えてゆく。

「幸作、またね!」

 千鶴は玄関から家に入る瞬間再び幸作の事を見て笑顔で手を振る。しかし幸作はその場に立ち尽くしている。

「なんなんだ?」

 今日は一体なんだったんだ? 初音と千鶴、この俺が同じ日に二人の女の子から告白されるなんて……しかも幼馴染から。

「はぁ」

 やっと思考能力が復活し始めたところで幸作は足を動かせることができるようになったが、その足取りは決して軽いものではなくむしろ引きずるように重いものだった。嫌いではない二人の女の子から告白され、本当ならば喜ぶべきことなのだろうけれどしかし、心の奥底で何か引っかかっているものがある。その引っ掛かりが幸作に『どうしたらいいのか』と言う気持ちにさせているみたいだった。

「俺の気持ちは……一体どうなんだろう」

 幸作の目の前をヒラヒラと散ってくる桜の花びら。まるで雪のようなそれを見上げる幸作の頬を撫ぜる風は春の訪れを知らせるようだった。

「なんだか、ものすごい一日になったな」

 港から吹き上がってくる風は冷たく幸作の首を冷やしてゆく。

「へぇ〜くしょい!」

 春らしくない冷えた空気に幸作はくしゃみ一つして、身を縮込める。

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