雪の石畳の路……

Summer Edition

第一話 Summerday



=プロローグ=


『……今日も一日暑くなるでしょう、函館市内の気温も三十度を越え真夏日になるかもしれません、暑さ対策を練ってくださいね?』

 テレビの天気予報がそう告げると同時に、有川勇斗はがっくりとうなだれる。

「……嫌だ……」

 勇斗は、そういいながらソファーに深く腰を据える。

 ここは北海道だろ? 何でこんなに毎日暑い日が続くんだ……地球温暖化のせいなのか? だったら何とかしなければいけないじゃないか! 政府はいったい何をしているんだ!

 訳の分からない怒りがこみ上げてくる。

「今日も暑くなりそうですね?」

 太一の目の前には、美味しそうに焼かれた干物に、熱々のお味噌汁と、まるで旅館の朝食のようなものが置かれる。

「まったくだ……暑いのは苦手なんだよ」

 勇斗は苦笑いを浮かべながらその料理を提供してくれた女性、三好一葉を見上げる。

「うふ、勇斗さん、本当に暑いのは駄目みたいですね? あたしはどちらかと言うと暑い方が得意だから、ちょっと嬉しいですよ?」

 笑顔を浮かべる一葉に対して勇斗は苦笑いを浮かべる。

「俺は駄目だね、道産子という事と、冬生まれというせいもあるのかなぁ、寒いのは大丈夫だけれど、暑いのはまったく駄目……」

 勇斗はそういいながら、大げさに両手をひらつかせる。

「関係あるんですかねぇ?」

 一葉はそう言いながら太一に麦茶を注ぐ。

「分からんよ……でも、寒いのは着れば何とでもなるじゃないか、でも暑いのには脱ぐにも限界があるでしょ? まさか、すっぽんぽんで仕事をする訳にもいかないし……」

 やべ! 今の発言はひょっとしてセクハラになる?

 一葉はちょっと照れたようにうつむいている。

「ウ〜ン、水着までなら何とか……それ以上はきっと風営法に引っかかるかと……」

 真剣に返さないでくれよ……。

「……面白いかも……水着ギャルのいるお店というのも」

 勇斗は真剣に考えるように手を顎にやり、一葉の姿を見る。

「面白くありません! 先輩は、なに考えているんですか!」

 勇斗の背後から、まるで烈火のごとく怒った声がして、勇斗は思わず首をすくめる。

「じ、冗談だよぉ……」

 勇斗が振り向くと、そこには髪の毛を今まさにポニーテールにしようとまとめ上げている女の子、穂波がまるで般若のような顔をして勇斗を睨みつけている。

「先輩の冗談は、たまに冗談にならないから怖いんですよ……なんで水着なんかでお店をやらなければいけないんですか、それにそう言うのはナイスボディーな……って、もぉ!」

 髪の毛をまとめきり、勇斗の顔を見るその表情は、見る見る間にに真っ赤になってゆく。

「でも、話のネタにはなるし、集客につながることは間違いありませんねぇ」

 一葉も少し考えるように顎に手をやる。

「なに言っているんですか! 一葉さんまでぇ、そう言うことは、反対してください!」

 穂波は今にも泣き出しそうな顔をしている。

 ……ちょっと面白いかなと思ったが、従業員に反対されるのでは仕方がない、この案は廃案という事だな。

 勇斗は、ちょっと残念な気持ちでその案を心の奥底に沈める。

「ウフフ、さぁ、穂波ちゃんも朝ごはんにしましょう、今日も暑くなるみたいだから、いっぱい食べて体力つけておかないと」

 一葉はそう言いながら勇斗にご飯を盛り付け、頬を膨らませている穂波の目の前に、勇斗と同じメニューを置く。

 既にこの生活についてから三ヶ月が経つのかぁ、最初の頃は無茶苦茶な生活だと思っていたけれど、気が付けば慣れて来たのかな? 穂波と一葉さんが、俺と同じ屋根の下で暮らしているのが当然のような気がする……慣れって怖いなぁ。。

 大学を卒業し、仕事に就けなかった勇斗は父親の勧めでこのお店の店長になった、しかし、ここ函館に越してきてからというもの毎日がハチャメチャな毎日だった。親父が再婚して、その再婚相手が元彼女の母親で、当然その元彼女である穂波が妹になる。そうして部屋が無いという理由で店に住み込むも、従業員である一葉さんや、なぜだか穂波まで一緒に暮らしだすという、まるで漫画のような展開だった。

「先輩、どうかしましたか?」

 隣で小さなお茶碗に申し訳程度のご飯を盛り付けた穂波がキョトンとした顔で、苦笑いを浮かべている勇斗の顔を覗き込む。

「いや、なんでもないよ……」

 勇斗は残っていたご飯を口の中に放り込み、それを味噌汁で流し込む。

 いつものことながら一葉さんの料理は天下一品、美味いよ、まるでお袋の味だ。

 勇斗は一葉に声をかけながら微笑み、席を立ち、職場でもある店舗につながる扉を開く。

「さぁて、今日も一日頑張りましょう!」

 勇斗はそう言いながらお店のシャッターを開ける。すると、そこからは夏の日差しがこれでもかというぐらい差し込み、今まで薄暗かった店内を明るくする。。

 さて今日はどんな一日になることやら。

 勇斗はそんなことを考えながらタバコに火をつけ、紫煙をその夏空に吐き出す。



=日本の夏=

「暑いなぁ……」

 店先で勇斗は空から注がれる光をにらみつける。

 暑さのせいなのかなぁ、人通りがいつにも増して少ないような気がするよ……。

「今日も真夏日になるって言っていました……」

 勇斗の隣では、穂波が商品を並べながら額の汗を拭っている。

 たまらないなぁ……これから本格的な夏になるというのに、助走の段階からこう暑いと後半バテそうだよ。

「勇斗兄ちゃん!」

 ツインテールの女の子が勇斗の腕に抱きついてくる。

「夏穂ちゃん、今日も元気だね?」

 勇斗は苦笑いを浮かべながら、腕にすがり付いている夏穂の事を見る。

「うん! いつだってあたしは元気だよぉ、特に夏はだぁ〜い好き!」

 ニッコリと微笑む夏穂はホルターネックのキャミソールにレモンイエローのミニスカートというまさに夏といった格好をしているが、その格好は……。

「夏穂ちゃん、おはよう」

 一葉がバケツを持ちながら店先に出てくる。

「一葉さんおはようございます」

 ペコリと夏穂は頭を下げる。

「うん、夏穂ちゃん可愛い格好ね? でも、せっかくの服が、商品のほこりにまみれてしまうといけないからエプロンはした方が良いわよ」

 さすが……一部のマニア受けしそうな格好は、肌の露出が多く、ちょっと接客するのに問題あるかなと思ったが、さらっと一葉さんは、それを促してくれた。

 太一は感心して顔で一葉を見ると、視線が一葉と合う。

「勇斗さん、そうですよね?」

 ウィンクをしながら一葉は勇斗の顔を見る。

「そ、そうだね、せっかくの服を汚したら勿体無いだろ?」

 夏穂はちょっと悩んだような表情を浮かべながら勇斗を見る。

「う〜ん、そうかも、せっかく昨日買ったばかりだし、可愛かったから勇斗兄ちゃんに見せたかったから着てきたの……エプロンとって来る!」

 夏穂はそう言いながら店の奥に消えてゆく。

 まだまだ子供なのかな? 今年中学校に入ったばかりの十三歳じゃあ、嬉しくって仕方がないのだろうよ。

 勇斗はお下げ頭で揺れているサラサラの髪の毛を見ながら微笑む。

 パシャ、パシャ……。

 その音に勇斗が向くと、そこでは一葉がバケツの水を手ですくいながら打ち水をしている、その様子に勇斗の胸が高鳴る。

 いいなぁ……日本の夏だな、昔お袋もよくこうやって打ち水していたっけ。

 勇斗の目が釘付けになったように、その一葉の行動を見守る。

「ん? 勇斗さんどうかしましたか?」

 勇斗の視線に気が付いた一葉は、ちょっと照れたような微笑みを浮かべる。

「あっ、いや……夏らしい光景だなぁって、昔よくお袋もそうやって打ち水していたよなって思い出してね……そうだ、これだ!」

 勇斗は、何かを思い出したように店の中に駆け込んでゆく、その様子に、一葉は呆気に取られたような表情を浮かべる。

「先輩、一体どうかしたんですか?」

 ちょうど勇斗と入れ違いになった穂波が、首をかしげながら駆け込んでいった勇斗の後姿を見送る。

「……さぁ、また何かひらめいたのかもね?」

 一葉も首をかしげ、勇斗の消えていった方を見る。



「ゆ、勇斗兄ちゃん……へぇ、カッコいいね?」

 三十分ぐらいしてからだろうか、店に現れた勇斗の姿を見て、夏穂が驚いたような声をあげる。

「先輩?」

「勇斗さん……ハハァン、なるほどね」

 穂波は、呆気に取られた様子で、一葉は、理解したように、勇斗のその格好を見つめる。

「ヘヘ、どうだい? 良いと思わないか」

 勇斗はいつもの作業着風の格好ではなく、夏らしい格好、甚平を着ている。

「うん、カッコいいです……って、まさかその格好で仕事をするんですか?」

 穂波は頬を赤らめながらその格好を見つめる。

「あぁ、確か裏に縁台があったと思ったな、それを店先において、誰でも休めるようにする、サービスに麦茶でも出してあげるのも良いかもしれないな」

 そこまで言うと一葉が手をポンと叩く。

「なるほど、テーマは『日本の夏』ですね? さっき勇斗さんが言っていた」

 一葉の一言に勇斗はニッコリと微笑みながらうなずく。

「そう、普通に接していたんじゃお客さんだってどこも同じって思うでしょ? それに、これならいくらか涼しいかも……実益も兼ねているかもしれないね」

 勇斗の意見に一葉は既に賛同したようだった。

「でも、勇斗さんだけではちょっと片手落ちのような気もしますねぇ……」

 そうだ、俺一人でやっていたらただの見世物だ。

「夏穂も浴衣着たい」

 夏穂が勇斗のことを見上げながら懇願するような表情を浮かべる。

「着たいと言っても……」

 一葉を見るものの、一葉も首を横に振る。

「あたしも着付けは出来ませんよ……」

 そうだよな、あまり浴衣の着付けができる人なんているものでもないし。

「お姉ちゃんできるよ……ねぇ」

 その一言に、一葉と勇斗の視線が穂波に注がれる。

「穂波、本当か?」

「凄い……あたしも何回かやってみたけれど挫折したのよ?」

 穂波はうつむきながらコクンとうなずく。

「お母さんが教えてくれました……でも、最近着ていないし、覚えているかなぁ」

 不安げな表情を浮かべる穂波に対して一葉は嬉しそうに微笑む。

「大丈夫、一度覚えていれば何とかなるわよ……さて、あたしの浴衣、どこにしまったかな……」

 一葉さん、なんだか生き生きしていないか?

 鼻歌を歌いながら店の奥に消えてゆく一葉を見送りながら、勇斗はため息をつく。。

「はぁ……しかし、本当に意外だな、穂波が着付けを出来るなんて」

 隣にいる穂波に勇斗は視線を移す。

「ハァ、高校時代に教わったんです、結構友達とかお祭りのときに着付けてあげましたよ、結局人に着せるだけで自分はあまり着ませんでしたけれど」

 ペロッと舌を出し穂波はおどける。

 穂波の浴衣姿かぁ……見てみたいかも。

 勇斗は頬を赤らめ、うつむいている穂波の事を見る。



「兄貴、こんな感じで良いかぁ」

 店先に縁台を置き、よしずと風鈴を下げると風にたなびく様に風鈴が音を立てる。

「うんグットだ……後は蚊取り線香でも置いておくか? 夏を象徴する香りだろ?」

 勇斗はそう言いながら、売り物でもあるブタの蚊取り線香台を縁台の下に置き、渦を巻いている線香に火をつける。

「しかし、兄貴もなにを考えているのかなぁ……前もって下準備というのはないのか? お店に来ればいきなり兄貴一人でどたばたやって、いきなりこんな物を着せられて」

 勇斗の弟和也が皮肉な顔をして勇斗の事を見る、その格好はやはり甚平姿、その姿に通り過ぎてゆくおばちゃん観光客が、視線を飛ばしてくる。

 俺には誰も見向きしないのに……和也を店先において客寄せでもするかな?

 勇斗とは、まるで顔の造作が違う和也に対し、苦笑いを見せながら着々と準備を進める。

「いいべ? 最近では高校生でも甚平着るって言うじゃないか」

「かも知れないけれどよぉ」

 和也はまだ文句が言い足りないといった感じで勇斗に異議を申し立てるが、その表情には諦めが浮んでいた。

「それで穂波さんたちは?」

 どこから持ってきたのか、勇斗は子供用のビニールプールに水を入れ始める。

「今二階で着替えているよ」

 勇斗はそう言いながら店の奥に入っていく。

「ふぅ〜ん……」

 和也は鼻を鳴らしながら店先に置かれた縁台に腰掛け、周囲を見渡す、それまで貸し店舗だった隣には、お店が入るようで、工事はほとんど終わり、黄色いテントが店先に設置されている。

「兄貴、隣のお店は何屋さんなんだい?」

 和也は店の奥で物色している勇斗に声をかける。

「ん? 喫茶店らしいよ……工事始める前に工事屋さんが挨拶に来たよ……あった」

 勇斗は嬉しそうに引っ張り出した物を胸に抱え、水が湛えられたプールにそれを投げ入れる。

「……アヒルねぇ」

「お前が好きだったやつだぞ?」

「……昔だろ」

 二人の間に、微妙な空気が流れていると店の奥から黄色い声がする。

「あぁ、和也兄ちゃんも甚平さんだぁ」

 白地に朝顔柄の浴衣を着た夏穂は、赤い帯をして店先に顔を見せる。

「おっ、夏穂ちゃん可愛いねぇ」

 和也がそういうと、夏穂はちょっと頬を赤らめながら勇斗の顔を見る。

「勇斗兄ちゃん、どう?」

 勇斗の前でモデルよろしく一回転する夏穂の足元はビーチサンダルを履いている。

 下駄を用意しないといけないなぁ。

 顎に手をやり足元を見つめている勇斗に夏穂の顔が曇りだす。

「似合わない……かなぁ……」

 夏穂はベソをかくような表情で勇斗の顔を見上げる。

「あぁ〜、ゴメン、似合うよ、夏穂ちゃん最高!」

 そういう勇斗に夏穂は頬を膨らませながら睨みつける。

「もぉ〜、なんだかいい加減に答えているみたい」

 プイッとそっぽを向く夏穂に勇斗は手を合わせて謝る。

「そんなことないって、でもせっかくの浴衣なんだから、下駄を用意したほうが良かったかなって思っただけだよ、な?」

 勇斗は和也に助けを請うように視線を向けるが、和也はわざとその視線を避ける。

 この野郎……後で覚えていろよ。

 ただでさえ怖い顔をしている勇斗の顔がさらに険しくなり和也の事を見る。

「ウフ、夏穂ちゃん、せっかく可愛い格好をしているんだから、そんな顔をしないのよ?」

 助け舟を出すように店から一葉の声が聞こえてくる。

「そうそう……って、一葉さん?」

 勇斗は一葉のその姿を見て息を呑む。その隣で和也の動きも止まったことが確認できる。

「ハイ? どうかしましたかねぇ」

 そこに立っている一葉は、濃紺に百合の花の柄の入った浴衣を着ており、いつもとはまったく違った印象を受ける。

「いや……一葉さん、似合うね」

 急場しのぎであろう、アップにした髪の毛に、白いうなじは、同い年でありながらも、大人の色気を感じるほどで、勇斗は、その頭から足先までを、しみじみと眺めてしまう。

「ウフ、有難うございます、こう見えても一応江戸っ子ですからね、小さい頃からお祭りの時は浴衣だったんですよ、でも久しぶりに着るからちょっと心配ですけれどね」

 ちょっと照れたような表情を浮かべる一葉に、和也は茹で上がったカニのように顔を真っ赤にしている。

「お待たせしました、変じゃないですかね?」

 最後に店の奥から穂波が出てくる、その姿は薄紫色に桔梗の花柄だろうか、それまでの幼さをカバーするには十分大人っぽい雰囲気の物だ。

「うん……大丈夫だ」

 いつものポニーテールではなく、まとめ上げた髪型は大人っぽく、おくれ毛などに色気を感じるし、印象が全く違うなぁ……。

 勇斗はうつむきながら穂波の姿を見る。

「そうですか?」

 そんな様子に怪訝な表情を向ける穂波。

「なに照れているんだよ兄貴」

 和也は勇斗のわき腹を突っつく。

「う、うるせぇ、ほら、みんなそろったんだ、商売はじめるぞ!」

 勇斗は照れ隠しか、店先でみんなに声をかける。

「はぁ〜い!」

 さて、来週から『函館港まつり』もはじまる訳だし、函館の短い夏のはじまりだ!



=店先で=

「いらっしゃい!」

 店の中には数人のお客が入り、棚を見回したり吊るされているTシャツをめくって見たりしているが、レジにその客が来る事は少ない。

「お客さん、あんまり来ないね」

 レジ係の夏穂は、ため息混じりに店の中を見回す。

「うん、本格的に忙しくなるのは『函館港まつり』がはじまる頃からだからね、お盆休み前と言うこともあって、お客さんは少ないよ」

 和也はそう言いながらも目は笑っていなかった。

「……大丈夫ですかねぇ」

 店先では穂波が心配そうな顔をして人通りを見ている。

「あぁ、八月に入れば何とか人が増えてくるはずだ……多分」

 勇斗はそう言いながらも一抹の不安に駆られる。

 昨日、近くのホテルの従業員と話をしたとき、今年の予約状況はあまりよくないようなことを言っていた、やはりこの景気のせいなのか、いわゆる旅行に関しては『安近短』という物に変わってきているのだろうか。

「勇斗さんも、そこでそんな顔をしていないでくださいな、みんなが不安になっちゃいますよ? どうですか、ここで一局」

 一葉はそう言いながら、縁台に飾りでおいてあった将棋盤を勇斗に向ける。

 フム……良いかもしれないな、どうせ暇だし。

 甚平の袖をめくり上げ、勇斗も縁台に腰かけて駒を並べはじめる。

「良いね、久しぶりにやってみるか」

「わぁーい、先輩、がんばれ!」

 穂波の声援に、勇斗は手を上げながら応える。

「ウフ、自慢じゃないですけれどあたし強いですよぉ」

 駒を並べながら一葉は自慢げにそういう。

「ほほぉ〜、聞き捨てならないなぁ、俺だって小学校のときは将棋クラブの部長をやっていたんだ、負けないぞ」

 勇斗はちょっとむっとした顔をして一葉の事を見る。



「うぅ〜む……」

 二十分後、店先の縁台でうなり声を上げているのは勇斗だった。

「あんちゃんの負けじゃねぇか?」

 いつの間にかその周りに数人の年配男性が取り巻きその局面を見ている。

「そうだな、お姉ちゃんの勝ちだろう」

 恐らく観光客であろう、誰かを待っている時間潰しに見に来たといった感じである。

 ギャラリーから言われる前にすでに負けは見えているよ。

 勇斗は悔しさを滲ませながら手をあげる。

「参りました……」

 くそぉ〜、この借りは今度返してやる。

「アハ……アハハ」

 勇斗は気がついていないだろうが、その表情は怖さ倍増といった風で、きっと赤ちゃんがいたら泣き出してしまうのではないかというぐらいだ。

「しかし、お姉ちゃん強いねぇ……」

 年配の男性は、感心したような顔で一葉の顔を見ている。

「ハイ、小さい頃から父の相手をしていましたから」

 照れくさそうに一葉がそういうと、もう一人の男性も声をかける。

「お父さんも強いのかい?」

 その台詞に一葉はうなずく。

「ハァ、一応棋士をやっていますので強いと思います」

 それは初耳だ……待てよ、三好で棋士という事は……三好……名人。

 勇斗は驚いた表情で一葉を見る。

「一葉さんのお父さんって、もしかして、あの三好名人?」

 その人物の名前に、年配男性二名も驚いた表情を浮かべる。

「あの三好名人の娘? あんちゃん、それじゃあ勝てないよ……あきらめな」

 俺も今そう思いました……リベンジは諦めることにします。

「さて、片付けてお仕事しましょう」

 一葉がそう言いながら駒を片付けはじめる。

「そうだな……って、ふうぉおぉ」

 勇斗の視線は変な声と共に一箇所に止まる、その視線の先は一葉の胸元。

 ちょっと、一葉さん、もしかして……つけていないんじゃないの? ぶらじゃ。

 視線の先の浴衣の胸元は少し乱れ、その奥では白い膨らみが二つ山をなしている。

「勇斗さん、どうかしたんですか?」

 一葉は勇斗の視線をたどり、そして頬を赤らめる。

「もぉ、勇斗さんのえっち」

 ちょっと頬を膨らませながら一葉はそう言うが、目は本気で怒った様子ではない。

「いや……そのぉ……ゴメン」

 勇斗は素直に頭を下げると、一葉はニッコリと微笑む。

「いいえ、あたしもうかつでした……下に何もつけていないから気をつけないと」

 下に何もって……刺激強すぎ、鼻血でそうだよ。

 勇斗は曖昧な笑顔を浮かべながら再び駒を片付ける。



「店先で女とチチクリ合っているなんて、よほど暇なのね?」

 勇斗の背後から挑発的な声が聞こえ、無意識に勇斗は振り向く。

「暇なんて……ん?」

 振り向いた勇斗の視線の先にいるのは、タンクトップにジーパンといったラフな格好をした女性、どう見ても観光客らしからぬ格好をしたその女性は、意地の悪い表情を浮かべながら勇斗を見下ろしている。

「ヨッ!」

 ショートカットに少し猫目かかったその顔は、素直に勇斗との出会いを喜んでいるようで、敬礼をするような仕草をすると、わずかに髪の毛がかかる耳でピアスがゆれ、キラリと光っていた。

「……この俺に喧嘩を仕掛けるなんていい度胸じゃないか……そういうお前は一体誰だ」

 その一言に、今まで姿勢良く立っていた女性の体勢がガクッと崩れる。

「ちょっ、ちょっとぉ〜、あなたには記憶力って言うものは無いの?」

 女性は勇斗に対し唾がかかるほどの勢いで抗議する。

「冗談だ……久しぶりだな、直子」

 勇斗はシレッとした表情でその女性を見る。

「まったく……相変わらずね、おかげさまでこの通り元気よ」

 直子と呼ばれたその女性は、苦笑いを浮かべながらも懐かしそうな目で勇斗を見る。

「フム、それは何より……髪の毛切ったのか? 一瞬わからなかったぞ」

 はじめ見た時は本当に分からなかったが、あの粗野な言動を俺に浴びせる函館での知り合い女性といったら直子、黒川直子しかいない。

「エヘ、高校卒業と同時にね、思うことがあって切ったの。だから、あなたの記憶の中にある直子ちゃんは背中までの長い髪の少女でしょ?」

 直子は皮肉っぽそうにそう言いながら、勇斗のわき腹を突っつく。

「少女ねぇ……少年と言った方がいいかもしれんなぁ」

 勇斗は意地の悪い顔をして直子を見ると、その直子の頬が見る見る膨れ上がって行く。

「失礼ねぇ、こう見えても大学時代はモテモテだったのよ」

「女の子にか?」

「もぉ〜!」

 そんなやり取りを隣で駒を片付けていた一葉が、キョトンとした顔で見ている。

「勇斗さん、この方は……」

 いけね、一葉さんの存在を一瞬忘れていたよ。

 一葉の一言で、一瞬高校時代にタイムスリップしていた勇斗は、我にかえる。

「あぁ、ゴメン一葉さん、この娘は高校時代の同級生で黒川直子、高校時代からこういうガサツな娘だったんだ」

 皮肉った顔で直子を見ると、その直子は勇斗にアカンベをするように舌を出す。

「ガサツって、えらい言われようねぇ……はじめまして、黒川直子です……一葉……さんは、勇斗の彼女なの? もしかして奥さんだったりして」

 二人は一瞬顔を見合わせ、そして、ほぼ同時に顔を赤らめる。

「なに言っているんだ、そんなわけねぇべ!」

 勇斗の声が店先にこだまする。

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