雪の石畳の路……
Summer Edition
第十一話 夏の終わりに
=お盆がすぎて=
『今日から学校の人も多いと思います、夏休み中の気持ちを切り替えて、がんばっていってらっしゃい!』
店のラジオがそう告げる。
「和也君や夏穂ちゃんも今日から学校なんでしょ?」
昨日までの店先の雰囲気は今日は無く、なんとなく落ち着いた時間が流れている。
「あぁ、宿題ちゃんとやったのか心配だぜ……できなかった事を、この店のせいにされたらたまらないからな」
そんなゆったりした時間を楽しむかのように、勇斗は店先で大きく伸びをする。
「ウフ、昨日お母さんが言っていました、夏穂の宿題はお義父さんが手伝ったみたいですし、和也君は徹夜をしたみたいだって」
その隣では穂波がクスッと微笑みながら勇斗と同じように視線を空に向ける、その空は既に秋空のように高く、流れてゆく雲は、短い函館の夏が終わった事を示しているようだった。
「おはよ、勇斗!」
よほど暇なのだろうか、千草は二人が店先で話しているのを見つけるや否や店から飛び出し、勇斗にちょっかいを出しはじめる。
「おはようございます」
勇斗の隣に立っていた穂波も笑顔で千草に挨拶をする。
「それにしても、お盆が終わった途端に人通りが減ったわよね?」
そんな穂波に千草は微笑み返しながら店の前の通りを見ると、そこを歩いているのは昨日までの家族連れの姿は少なくなり、人通りも少なく感じる。
「まぁ『漁火まつり』も終わって、社会人も学生も普段の生活に戻ったわけだからな、一般の家族連れというのはなかなかね? 後は、出張に来ているお客さんをターゲットにしたり、秋になれば修学旅行生をターゲットにしたり、これから色々考えるよ」
何もしないで手をこまねいている訳にもいかない、お客が減った時だからこそ、考えなければいけないんだよな?
勇斗は眉間にしわを寄せる。
「……勇斗……素敵、そんな顔をする勇斗って、なんだかカッコイイわぁ〜」
千草はそう言いながら勇斗の腕に抱きつく。
「ちょ、ちょっと千草さん! お店はいいんですか?」
そんな様子を見た穂波は、恐らく我慢の限界であったのであろう、それに割り込むように千草を睨みつける。
「そうだった……ホームページ更新しようと思っていたんだったわ」
千草はそう言いながら慌ててお店の中に入り込んでいった。
最近千草の諦めがいいと言うか、穂波に促されるとやけに簡単にひっこむようになったような気がするけれど……まぁ、俺としてはそのほうが助かるんだけれどね?
ため息をつく勇斗に対し、穂波も同じことを考えていたのだろう、首をかしげて千草のいなくなったほうを見つめている。
「……ちょっと張合い無いかな?」
穂波はそう呟き、お店に入ってゆく。
張合いが無いって……それを張合いにしないでいただきたいんですけれど、俺も結構気を使っているのよ?
トホホな顔をして勇斗も店の中に入ろうとすると、背後から何者かに肩をポンと叩かれる。
「勇斗!」
……そういえばこの娘もいたんだったよな……。
ネコ目にショートカットのヘアースタイルは以前と変わらないが、今日に限ればスーツを着ている直子が、ニコニコと勇斗の顔を見つめている。
「直子か、今日はどうしたんだ? まるで就活にでも行くような格好で」
少し嫌味を込めた言い回しの勇斗に対し、頬を膨らませる直子。
「あたしだって取材に行くときはちゃんとした格好をしているのよ、今日だってこれから『五島軒』に取材に行くからちゃんとした格好をしているの」
「黒川先輩、カッコイイですね? 働く女みたいで」
直子の声を聞いて再び店先に顔を出した穂波に対し、それまで膨らんでいた頬は一気に収縮し、目尻がだらしなく垂れる。
「ありがとぉ〜穂波ちゃん、実は今日は穂波ちゃんにプレゼントしようと思って来たのよぉ」
そう言いながら直子は肩から提げていたバックの中から封筒を取り出し、それを穂波に渡す。
「なんですか?」
封筒を受け取り、表裏を見ながら穂波は首をかしげる。
「いいから開けてみてよ」
頬を赤らめながら嬉しそうな表情の直子は、誰が見ても穂波に惚れているという事がわかるほどだが、当の穂波においてはまったく気がついていないみたいだった。
その辺りは少し直子に対して同情する余地が有るかな?
「これは『函館スパランド』の入場券じゃないですか」
穂波の持つ封筒の中からは、函館市の市の魚であるイカをモチーフにしたキャラクターの絵が書かれているチケットが出てきた。
「そっ! 前に行ってみたいっていっていたじゃない、たまたま会社で貰ったから行ってみようかなって、そろそろ空いてきているだろうし今度のお休みに一緒に行かない?」
嬉しそうな直子に対し、困惑顔の穂波は勇斗に顔を向けて無言で『どうしましょうか』と語ってくる。
「いいねぇ、疲れを取るには温泉が一番! ありがたく頂いておくよ直子」
勇斗がそのチケットを穂波から受け取ろうとすると、直子の目が険しくなり再び頬がプックリと膨れ上がる。
「えぇ〜、勇斗もくるの? それじゃあ楽しみ半減じゃない……そうだ! だったら千草さんと勇斗が一緒で、あたしが穂波ちゃんと一緒というのはどうかしら? ゆっくりと二人の時間を作ってあげるから、ネ?」
その一言に、今度は穂波の頬が膨れ上がる。
「そんなのダメです、みんなで……そうです、一葉さんや和也君たちも一緒に、みんなで一緒だったら行きます」
どうやら決まりのようだな……。
プンプンといった顔をしている穂波に対して、してやったりというような表情を浮かべる直子の顔は、何かを企んでいるようにも見える。
「ムゥ〜……」
風呂から上がり冷蔵庫からビールとつまみを持ち、居間に入るとチケットとにらめっこをしている穂波の姿があった。
「どうしたんだ、そんな難しい顔をして」
勇斗は髪の毛をタオルで拭きながら冷蔵庫から取り出してきた缶ビールのプルトップを引く。
「アッ、先輩、注ぎますよ?」
穂波はそう言いながら勇斗の手からビールを取り上げ、グラスにそれを注ぐ。
「さんきゅ」
お酌されたビールを一気に勇斗はあおり、至極の笑顔を浮かべる。
はぁ〜生き返る……ノンベに生まれてきてよかった。
「ウフ、先輩ったら」
その様子を穂波は頬杖をつきながら嬉しそうに見る、その笑顔で勇斗の心は癒される。
「それで、なにそんな難しい顔をしていたんだ?」
勇斗は、だらしの無い顔をしている事を穂波に悟られないように話題をそらし、机に置かれているチケットを見下ろす。
「はぁ、それなんですけれど、このチケットの枚数を見てください」
穂波がそれを持ち、綺麗に扇状に広げるとそれを勇斗が指先で数える。
「……八枚?」
「そうなんです、八枚もあるんですよ? 黒川先輩は会社から貰ったっていっていましたけれど、あの時点で既にみんなでいく事を予想していたんですかね?」
穂波は小首を傾げながらそのチケットに目をやる。
「まぁ、あいつの事だから何か企んでいるのかも知れないな……それにしても八枚って?」
すばるの七人にしても、あいつが親父や穂乃美さんを誘うとは考え難く、想像されるメンバーというと……。
「ハイ、先輩とあたしに、黒川先輩と千草さんは絶対でしょうし……」
このメンバーは絶対であろう。
「和也と夏穂ちゃん、一葉さんで七人だよな」
勇斗もビールを口に含みながら思案顔になる。
「ハイ、そうなんです、あと一人が思い浮かばないんですよ……一体誰なんだろう……」
二人でチケットを目の前にしながら首をかしげていると、これからお風呂に入るのであろう一葉が、着替えを抱えながら二人に割り込んでくる。
「どうかしたんですか? そんなに二人で神妙な顔をしちゃって、あら? これは『函館スパランド』のチケットじゃないですか」
穂波の手の内にあるそのチケットを目ざとく見つけた一葉は、素直に嬉しそうな顔を見せる。
「行くんですか? 勇斗さんと穂波さんの二人っきりで……いいですねぇ、あたしも一緒にいってくれる人がいれば……」
どことなくいじけたような表情を浮かべる一葉は、穂波の失笑を買うには十分な顔をしており、それにつられて勇斗も苦笑いを浮かべる。
たまに一葉さんって、こういう顔をするんだよねぇ……ちょっと可愛かったりして。
そんな雰囲気を勇斗から感じ取ったのか、穂波の頬が少し膨れる。
「一葉さんも一緒なんですよ? みんなで行きましょうよ」
穂波のその一言に、一葉は一瞬驚いた顔をするが、すぐにその顔は笑顔に包まれる。
「本当にぃ〜、やったぁ、行ってみたかったんですよ、ここ、色々なアトラクションもあるみたいだし、絶叫マシンとかもあるみたいだから……エヘへ、だったら早速明日にでも水着を買いに行って来ないと……」
普段あまり見せた事のないような、満面の笑みを浮かべ一葉は風呂場に向かって歩いてゆく、まるで、スキップを踏むように……。
一葉さんの水着かぁ……そういう楽しみ方もあったな……。
勇斗の目尻がだらしなく垂れ下がっている所に、穂波のふくれっ面は無く、困惑しきったような表情があった。
=函館スパランド=
「先輩、こっちみたいですよ?」
以前のような雑然さがなくなり綺麗に整備された函館駅前のバスロータリーの一角に、シャトルバス乗り場と大きく看板が掲げられており、その看板の元には自宅から直行した和也と夏穂の姿が見える。
「うぉ〜い」
いつに無くはしゃいでいる様に見える和也に、こちらも大喜びの顔を浮かべている夏穂は、大きな浮き輪を持参している。
……これほどこの街にミスマッチなアイテムも珍しいよなぁ。
勇斗は夏穂の持っている黄色い浮き輪に対し苦笑いを浮かべながら二人の出迎えに応える。
「勇斗兄ちゃん、早く! バス来ちゃうよぉ」
そうは言うものの、それらしいバスの姿はなく、主催者である直子たちもまだ来ていない。
「はいはい……夏穂ちゃん、その浮き輪はとりあえず向こうに着いてからにしないか? ちょっと浮いているよ」
浮き輪だけにと言うわけではないが、さっきから近くを通る通行人のおよそ八割がその姿を見て、その中でもほぼ百パーセントの確率で微笑んでゆくのは、微笑ましいからとかそういうのではないであろう、そう、微笑むと言うよりは失笑といったほうがいいであろう。
勇斗は何気なく夏穂に言うと、夏穂も満面の笑みを浮かべ、勇斗の意見に賛成の意思表示をしてくれる。
「うん! 勇斗兄ちゃんにこれ見せてあげたかっただけだから」
夏穂ちゃん、見せびらかすのは向こうに着いてからで十分だよ……トホホ。
ガックリと首を垂れる勇斗に対し、穂波も苦笑いを浮かべながらその肩を優しくポンポンとたたく。
「千草さん! 今日は一緒に泳ぎましょうね?」
相変わらずハイテンションな和也は、千草の姿を見つけるや否や、脱兎のごとく隣に寄り添い、今日の予約を入れる。……が。
「う〜ん、お誘いはありがたいんだけれど、あたし泳ぐのはまったくダメなのよねぇ、どちらかというとプールサイドの花になっている口かしら?」
……自分で花とか言うか? まぁ、昔からまったく泳げないくせに、プールや海にはよくついてきたよな?
「えぇ〜! 千草さんって、ものすごくスポーツ万能と言うイメージなんですけど……」
驚きの声を上げる和也と共に、穂波も素直に驚きの表情を浮かべ、照れ笑いを浮かべている千草の顔を見つめている。
「アハハ、買いかぶりすぎよぉ、あたしはどちらかというと運動はダメなのね? だから勇斗、今日はあたしと一緒に……」
勇斗の腕をつかもうと手を伸ばす千草よりも一瞬早く、穂波の腕がその腕に絡みついていた。
「ダメです、先輩はあたしに泳ぎ方を教えてくれる約束です!」
穂波はぎゅっと勇斗の腕を抱きしめる、その穂波が力をこめて腕を抱くたびに勇斗の目尻はだらしなく垂れてゆく。
ほ、穂波も最近ボリュームがついてきたようで……。
勇斗の腕に押し付けられる穂波の胸は、それを包むようではなく、どちらかというと存在をアピールするようなそんな形で押し付けられている。
「穂波ちゃん……強くなったわね?」
穂波の勢いに気おされるように、千草は少し後ずさりするものの、負けられないという気持ちのせいなのか、空いている勇斗の腕にしがみつく。
「だったら、一緒に温泉に入ろうよ、ネ?」
千草の抱きつく腕には、明らかに穂波とは違った抱擁感がある。
こ、これは……いつまで自分の理性に耐えられるか……既に決壊寸前だったりして……。
「勇斗、何女の子をはべらかして、鼻の下伸ばしているのよ、やらしぃ〜」
否定できないほど、鼻の下を伸ばしていた勇斗の後頭部が、かなりの力で叩かれ思わずその場にしゃがみこんでしまう。
「痛いぞ……」
勇斗はうっすらと目に涙を浮かべながら、キッと叩いてきた犯人の顔を睨みつける。
「痛いように叩いたんだものそんなの当たり前じゃない、それよりも、穂波ちゃんも泳ぐのがダメなの?」
穂波の手を取りながら、直子はまるで拝むように穂波の顔を見上げる。
「は、はぁ……どうも苦手ですよね?」
穂波が戸惑ったような表情で直子の質問に答え、勇斗の顔をチラッと見るが当の直子はなんていう事の無い様な表情を浮かべながら穂波の手を握り締める。
「直子さん、ボクのことは知らん顔ですか?」
その一言に直子はまるで見下ろすような目線を向け、ふふんと鼻を鳴らすだけだった。
な、なんだ? 非常に感じが悪いなぁ。
「さて、メンバーは揃ったみたいね?」
直子が一瞥するその先には、穂波に抱えられるように立ち上がる勇斗、それを楽しそうに見つめる千草、その隣でニコニコする和也、夏穂に質問攻めにされている一葉が、それぞれ纏まらない様に纏まっていた。
「揃ってないだろ? チケットはもう一枚あるんだ、あと一人……」
まだ少しうずく後頭部をさすりながら勇斗は周囲を見渡す。
「あぁ、その一人は現地集合よ」
気のせいか、直子の顔が一瞬俺を見て微笑んだように見えたが……。
勇斗がため息をつくと同時に、ご一行様の目の前に、スカイブルーのボディーに、チケットに描かれていたものと同じキャラクターが微笑むバスが横付けされる。
「さぁ、今日は一日楽しむわよぉ〜!」
いつになく直子は元気いっぱいのような気がする、その元気が、勇斗の中に一抹の不安を描かせる要因でもあるのだが……。
「だいぶ高い所まで上ってきたね?」
市内の数箇所でお客を乗せたバスは、かなりの急坂を、息を切らせるように登ってゆき、目的地のある東山町に入ってゆく。
「函館山があそこでしょ? ということは、あれが太平洋?」
隣の席に陣取っている夏穂が、自信無げに勇斗の顔を覗き込むが、すぐにその視線を逸らす。それもそのはずだ、勇斗の頬は引きつり、こめかみには血管が浮き出ているようにも見える。
しまった、夏穂ちゃんに地理の勉強を教えるのを忘れていたな……。
どうやら地理が苦手な夏穂は、しまったというような顔をして舌を出し、ごまかすように勇斗に微笑む。
「あれは津軽海峡……夏穂ちゃんだって漁火通りは知っているだろ? ちょうど今正面に見えるあたりが大森浜だ」
大森浜イコール津軽海峡という公式が夏穂にあるか、少し不安ではあるが、函館を象徴する場所の一つだ……ちなみに、太平洋は恵山まで行かないと見えないよ?
「夏穂ったら……でも、この施設ができたおかげで、裏夜景を見に来る事ができますね?」
通路を挟んだ隣にいる穂波は苦笑いを浮かべて、勇斗の背後に見える景色を見つめている。
「裏夜景って?」
前の席から千草が首をかしげながら、振り向いてくる。
「裏夜景というのは、函館山の反対側から見る夜景のことを言うの、一般的に有名なのは『城岱牧場』から見る夜景だけれど、地元の人間はこの『東山地区』から見るのが一般的よね?」
その千草と同じように身を乗り出し、体を反転させながら直子が言う。
「ハイ、それに裏夜景のジンクスもありますし……」
「ナニナニ? 何なのそのジンクスって?」
穂波の呟きのような台詞に対し千草は嬉々とした顔で、穂波に顔を近づけるが、穂波はどうしたものかとその後の台詞を飲み込んでいる。
「それはね? 『表夜景を一緒に見たカップルは別れるが、裏夜景を一緒に見たカップルは一生幸せになれる』というジンクス」
直子は、千草を急き立てるように、ニヤニヤしながらそれを千草に伝える。
「フ〜ン……そんなジンクスがあるんだぁ」
千草の口が左右にニィ〜っと広がり、勇斗の顔を見つめる。
「だからあたしも恋人同士になったらここに来るんだぁ、だから勇斗兄ちゃん! 今日は一緒に裏夜景見ようね?」
場の雰囲気を読めない夏穂が、勇斗に抱きつきながらニッコリと顔を見上げてくるが、勇斗はそれにどんな顔をして答えていいかわからないような曖昧な微笑を夏穂に送る。
なんで俺なの?
「着いたぁ〜」
バスの扉が開くと同時に夏穂が元気に飛び降りると、その後からはそれをなだめるように一葉が降りる。
「……着いちゃいましたねぇ……」
ほぼ全員が降りきったバスの車内で穂波は諦めたような呟きを漏らし、それに付き合っていた勇斗がキョトンとした表情を浮かべる。
「どうしたんだ? 楽しみにしていたじゃないのか?」
事実、昨夜も穂波は夜遅くまで、どんな格好で行こうか悩んでいた事を勇斗は知っている。
夜トイレに行こうとしたら穂波の部屋から、唸っている声が聞こえたから、ちょっと驚いて扉の隙間から覗いちゃったんだよね? そこには鏡を目の前に何着もの服を胸に当てている穂波の姿があった……決して邪な気持ちがあったわけではないぞ!
誰に言うでもなく、勇斗は言い訳をするが、穂波はそんな勇斗の姿を不思議そうな顔をして見つめている。
「あは、確かに楽しみだったんですけれどねぇ……」
穂波の顔に、ちょっと影が浮かび上がる。
「どうしたんだ? せっかくの休みだ、みんなで楽しもうよ!」
勇斗はそう言いながら、穂波の肩をポンと叩くとその手に励まされたのか、穂波の顔に笑顔が戻ってゆく。
「はい!」
=憧れの人=
「兄貴、早く来いよ!」
今朝からのハイテンションを維持している和也は、勇斗を手招きしながらフロントと書かれているカウンターの前で足踏みをしている。
「ヘイヘイ……何をそんなに息張っているのやら」
ため息をつく勇斗の隣では、楽しそうに微笑んでいる穂波が寄り添っている。
「和也君もきっと楽しみにしていたんですよ? 千草さんが一緒だから」
優しい顔で見る穂波の視線の先には、千草と楽しそうに談笑している和也の姿、本来元彼氏としては妬く場面なのであろうが、なんとなく許せてしまうのは、やはり……。
「直子せんぱぁ〜い」
直子を呼ぶ声がする……この声の感じからして、直子の言っていた八番目のゲストであろう。
七人の視線が、その声の主に集中する。その視線の先にいたのは、セミロングとショートの中間ぐらいの長さの髪の毛に、耳の上を一箇所でまとめ可愛らしいボンボンをつけ微笑んでいる女の子だった。
「真央ちゃん、先に着いていたのね?」
その姿に直子も微笑み、彼女の肩をポンと叩き、みんなの前に押し出す。
「現地集合は彼女、仁木真央(にきまお)ちゃん、二人を除けばみんな初めてよね?」
二人を除けば?
勇斗は直子の視線をたどると、そこには素直に驚きの表情を浮かべている和也に、なにやら嬉しそうな顔をしている夏穂の姿があり、自然とこの二名が除かれた二名だとわかる。
「はじめまして、仁木真央十六歳です!」
真央はペコリとお辞儀をし、あげた顔には満面の笑顔があった。
ずいぶんと元気な女の子だな?
「な、何で真央がここにいるんだ? それになんで直子さんのことを……」
まるで、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせる和也の様子は、明らかに動揺しているのであろう、勇斗にはこんな姿の和也を見たのは久しぶりだと感動に似た感覚にとらわれる。
「直子先輩は、放送部のOGなの、よく面倒を見てもらっているのよ?」
恐らく直子の悪知恵を吹き込まれたのであろう、真央は作戦成功というようにニッコリと微笑みながら、唖然としている和也の顔を覗き込み、その隣にいる勇斗の視線を向けてくる。
「はじめまして勇斗先輩!」
真央の勢いに気おされしている勇斗に対し、その微笑み攻撃が繰り広げられる。
「ハイ、はじめまして……って、なんで俺の事を知っているんだ?」
真央の口から先輩という言葉が発せられた事に驚き、直子の差し金であろうとその顔を睨む。
「あたしじゃないわよ? 真央ちゃんは初めから勇斗の事を知っていたの」
シレッとした顔をしながら何気なく穂波の隣に寄り添っている直子は、こちらもやはり作戦成功といった顔をしている。
「ハイ! 勇斗先輩の事は高校に入る前から知っていました!」
勇斗のお腹の辺りから聞こえるその台詞に首をかしげ視線を下ろすとそこにはニコォ〜っとした顔が勇斗に向けられていた。
「なんで?」
勇斗の疑問を和也が代弁する。
「エヘへ、小学校の時にあたしも柔道やっていたの、その時にその道場の皆でインターハイに行ったの、地元の応援団という名目でね?」
確かにあの時地元のいくつかの道場が応援に来てくれていたことはよく覚えている、都会の大応援団ほどではなかったが、大きな声援を送ってくれて、何よりも負けたときに大きな拍手を送ってくれた事が嬉しかったよな。
「それって……先輩の?」
固唾を呑んで見ていた穂波の口が開かれる。
「ハイ! 勇斗先輩がインターハイに行った時でした、あの時の勇斗先輩はカッコ良かったです、最初はすぐに負けるだろうなんて大人たちは言っていましたけれど……」
ハハ、俺もその内の一人だったよ、よくって二回戦ぐらいだと自分でも思っていた。
申し訳なさそうな顔をしながら勇斗の顔を見上げる真央に対し、勇斗が微笑むと、その頬が少し赤みを帯びたように感じる。
「でも、何回も勝って、決勝戦で負けちゃったんですよね? あの時の勇斗先輩の表情が今でも忘れられないんです」
遠い目をしながら真央は手を組み、その時の事を思い出すようにしている。
「あの時の先輩は、すごく悔しそうで、でもなんだかホッとしたような、不思議な顔をしていましたよね?」
首をかしげながら真央は素直な視線を勇斗に向けてくる。
「あの時かぁ……」
照れくさそうな顔で勇斗はその視線を受け止める。
「ハイ、なんであんな顔をしたんだろうと不思議だったんです」
真央の大きな瞳が勇斗の顔を映しこんでくる、その瞳は恐らく純真なものなのであろう、曇ったものは何も無い。
「……負けちゃったという気持ちと、やっと普段の生活に戻れるという気持ちからだよ……ずっと練習ばかりで、何も出来なかったから……」
勇斗はそう話しながら穂波の顔をチラッと見る。
「……素敵……」
素敵? 今この娘は素敵といったような気がするが……何が?
キョトンとする勇斗の隣でまるで夢見る少女のような表情を浮かべる真央に対し勇斗は首をかしげ、それを見守っていた穂波は頬を膨らませている。
「先輩はその時穂波先輩の元に戻ったんですね? 愛しい彼女の元に……仕事を終えて、彼女の元に戻る時の表情だったんですね? 素敵……」
今すぐにでも臨戦態勢に入ろうとしていた穂波は、その台詞に意表をつかれたような形になり体勢を崩す。
「……って? あたしの事を?」
穂波は体勢を直しながらも頬を赤らめ真央の事を見ると、まるで太陽のようにあっけらかんとした笑顔で穂波の事を見つめる。
「知っていますよ、体育館では勇斗先輩を一生懸命励ましていた事も、それに勇斗先輩はその応援に答えるようにがんばっていた事も……先輩が負けちゃったときには大粒の涙を流して悔しがっていた事も……こんなカップルいいなぁって小学生ながら思っていました、あたしも先輩たちのようなカップルになりたいです!」
……守弘にしろ、最近の小学生というのは随分とマセているんだなぁ。
勇斗はやれやれという表情を浮かべながらも視線を周囲に配らせると、その身内はニヤニヤと冷やかすような視線を勇斗たちに送っている。
「さぁ、勇斗の武勇伝はどうでもいいから、今日は泳ぎましょう!」
どうでもいいからって……まぁ、どうでもいいかぁ。
直子の意地の悪い一言にみんな賛同し、それぞれのロッカールームに向かって一行は移動を開始する。
=華やかなプールサイド……=
「あっちぃ〜」
ロッカールームから出ると、ムワッとした空気が勇斗たちを包み込み、額からは汗がふきだしてくる。
「室温を三十度に設定してあるらしいよ」
自分でも隣にいるこの男が身内とは思えないよ……この暑さの中をなんでそんな涼しげな顔が出来るんだ?
隣にいる和也は、ビキニの海パンを履き、スレンダーなボディーを露出しており、その姿に近くにいる女性客はため息を漏らしながら遠慮なくその身体を見つめているが、対する勇斗に向けられる視線は無かった。
「おにいちゃぁ〜ん」
いつもにも増して舌足らずな声が聞こえ、勇斗たちがその声に振り向くと、髪の毛をツインテールにし、起伏の少ないビキニ姿は、きっとその筋の方々には嬉しい光景であろうが、勇斗にその趣味も無く、満面の笑顔を浮かべる夏穂に対し優しく微笑むだけであった。
「オッ、夏穂ちゃん可愛いねぇ」
勇斗は当たり障りの無いように視線を少し泳がせながら、夏穂の水着姿を褒めるが対する夏穂の頬は膨らむ。
「ぶぅ〜、いいもん、わかっているもん、あたしも一葉さんみたいだったらなぁ……」
そう言いながら振り向く夏穂の視線に従い、勇斗と和也の視線が動きそこに立っている人の姿一点に集中する。
「こ……」
自分でも何を言おうとするのか良くわかる……でも言ったらいけない、そんなときに発せられる言葉は訳がわからなかったりしませんか?
勇斗は思わず視線をそこから外す、そうしないとどんな変化が自分に起きるかわからなかったからだ。
「ちょっと恥ずかしいですねぇ……久しぶりに水着になりましたよ」
恥ずかしそうではあるが、そのボディーは周囲の視線を釘付けにするには十分な破壊力を持っており、近くにいる男性のほとんどが競泳用のその水着をまとっている一葉の事を見ている。
競泳用の水着というのはそれほど色気を感じるものではないのに、その定義を破るのはやはり一葉さんのナイスボディーのせいなのかな……目のやり場に困るぜぇ。
視線を泳がせる勇斗の隣で和也も照れくさそうにそっぽを向いている。
「勇斗! なに鼻の下を伸ばしているのよ」
そんな毒のこもった事を言うのはまちがいなく直子であろう、この娘にそんな色っぽい格好が出来るわけ……な……い……えぇ〜!
勇斗が視線を向けると、その先にいる直子の姿に思わず赤面する。
「直子……お前……びっくりした」
何を言っているのかわからない勇斗は、再び視線を泳がせる。
「な、何よ……刺激が強すぎたかしら?」
直子は自分の姿を確認するように少し頬を赤らめながらキョロキョロするが、確かに刺激が強いかもしれないよ……お前も女だったという事を今始めて認識したような気がする。
スカイブルーのビキニをまとっている直子は、恐らく勇斗の想像よりもはるかな大きな盛り上がりを作っていた。
「勇斗先輩、顔が赤いですよ?」
直子の隣にいた真央はスポーティーなネイビーカラーのチューブトップセパレートビキニを身にまとい、元気いっぱいというのがその格好から想像がつき、恐らく夏の間は学校指定の水着だったのであろう、日焼けの跡がその水着とは違う場所についており、再び勇斗の視線が泳ぎだす。
目のやり場に困るぜぇ、徐々に視線の行き先が減っていくようだ。
「勇斗! 一緒に泳ごうよ!」
勇斗の腕に柔らかくも暖かな感触が走り、反射的にそれを見るとそこには千草の少し意地の悪い表情と、その奥に見える穂波の思い切り膨れ上がった頬が見える。
「だぁ〜、千草そんな格好でなつくな!」
そう言うものの、勇斗の目じりには少し嬉しそうなものがあり、その表情を読み取った穂波の頬はさらに膨張する。
「ち、千草さん……」
いつの間に温泉につかってきたんだと突っ込みを入れたくなるようなほど真っ赤になっている和也は、視線をそらす事を忘れたかのように千草のそのスタイルを眺めているが、勇斗はその格好に少し胸を詰まらせる。
その水着は……。
白いワンピースの水着は色っぽく、胸元もかなり大きく開いているそれは、東京にいた頃一緒に海に行った時のものだった。
「……」
勇斗がそれに対し言葉を失っていると、千草は申し訳なさそうに勇斗の顔を覗き込む。
「ごめん、新しいのを買っている時間がなくって、これしかなかったの……」
申し訳なさそうに千草は勇斗にささやき、勇斗はそれに笑顔で答える。
「気を使わせたみたいだな? わりぃ」
千草はそんな勇斗に微笑みながら、和也に引っ張られながら波が打ち寄せているプールに向かって走ってゆく。
「先輩、ちょっとだらしない顔になっていますよ?」
勇斗の横から顔を覗かせる穂波は、ちょっとむくれたように頬を膨らませているが、その目はやはり楽しんでいるようだった。
「ハハ、一応健康な男の子だからね……」
勇斗はそう言いながら期待をこめて穂波の姿を見るが、その期待を裏切るかのように、穂波の着ているのは……。
「パ、パーカー?」
いけね! つい口に出しちまった!
思わず自分の口を押さえながら恐々と穂波の顔を見ると、その穂波は照れくさそうにその場でうつむいている。
「あ、いや……そのぉ〜」
バツの悪い顔をしながら勇斗は穂波の横顔をのぞき見るが、相変わらず耳を赤くしてうつむいたままでいる。
「……あたしも一葉さんと一緒に買いに行ったんですけれど……その時はいいなと思っても、実際に着ると……」
まるで蚊の鳴くような声で穂波は呟きながら、勇斗の顔を見上げる。
ハハ、その場の雰囲気に流されてという奴だよな? わかるよ……って、そんなにすごい水着なんですか?
勇斗はさらに見てみたいという欲求をこめながら、目をまん丸にして穂波の顔を見ると、再び穂波はうつむく。
「そ、そんなに派手な奴じゃないですよ? でも……水着になんてなったのは小学校以来かも知れないし……それに、みんなみたいに……カッコイイ体型じゃないから……」
さらに身体を縮める穂波の肩を勇斗はポンと叩く。
「ハハ、だったら俺と一緒に荷物番でもしようか……」
「でも、先輩も泳ぎたいんじゃ……」
申し訳なさそうな顔をしている穂波に勇斗は微笑み、近くにあったスペースに荷物を置き、どっかりと腰をすえる。
「俺は温泉に浸かれればいいんだ、みんなが疲れて温泉に入りたいと言うまでここで待っていようかと思っているぐらいだよ」
勇斗はそう言いながら両手を頭の後ろで組み、ゴロンと横になる。
「ウフフ、先輩ったら若くないですよ? その発言は」
横になっている勇斗の顔を穂波が見下ろしてくる。
「穂波ちゃん、そんなところで花になっていないで、一緒に遊ぼうよ」
疲れを知らないのかこの娘は……現役の高校生と一緒に遊んでいてもまだこれだけのスタミナを持っているとは、恐れ入るよ。
直子と真央は全身ずぶ濡れになりながらも楽しそうな笑顔を浮かべ、穂波の事を迎えに来る。
「勇斗先輩も一緒に泳ぎましょうよぉ〜」
真央は勇斗の腕を取りながら、グイグイと波打ち際に引っ張る。
「おいおい……」
勇斗の腕にはやはり柔らかいものが少し押し付けられ、勇斗の頬が少しゆがむ。
「ほら、穂波ちゃんもそんな服脱いでぇ」
直子が穂波に抱きつくと、そのずぶ濡れだった直子の体から穂波の着ているパーカーに浸透してゆく。
「黒川先輩……もぉ、ビショビショになっちゃったじゃないですかぁ」
直子が離れると、穂波の着ているパーカーは十分に水分を吸い込んでいるのが勇斗の目から見てもはっきりしている。
ナイス直子!
思わず心の中でガッツポーズを作る勇斗に気がつかずか、穂波はそのパーカーを渋々といった感じで脱ぎだす。
「そうそう、やっぱりここに来たならそうじゃなければね?」
直子も勇斗と同じように嬉しそうな目で穂波のその姿を見つめている。
「ホォウ、これは」
勇斗が感嘆のため息を付くと、今気がついたように穂波は恥ずかしそうに着ていたパーカーで胸を隠す。
「穂波ちゃん、可愛いじゃないの」
直子は目じりを垂れ下げながら穂波のその姿をジッと見つめている。
「そんな見ないでくださいよぉ〜恥ずかしいです」
顔を真っ赤にしている穂波の姿は、タータンチェックのタンキニで、デニム地のショートパンツを履いている。
なかなかどうして……穂波も着痩せするタイプなんだな?
勇斗の視線に気がついた穂波は、ホルターネックの紐がかかっているうなじまで赤くして勇斗の視線から逃れるように背を向ける。
「勇斗がそんないやらしい目で見るからだよ」
君に言われたくないよな? 恐らく君の視線も俺と変わらないと思うぞ?
勇斗に抗議の声を上げている直子の目は、勇斗と同じようにだらしない顔になっており、やはり目じりが垂れ下がっている。
「もぉ〜、先輩たち一緒に行きましょうよぉ!」
業を煮やした真央が、勇斗と穂波の手を引きながらプールに向かって走ってゆき、それにやむを得ず従う勇斗と穂波は顔を見合わせながら微笑む。
=裏夜景=
「疲れたぜぇ」
この施設の中にあったアトラクションはすべて水着で乗る事のできるものばかりという事もあり、恐らくその全てを制覇したのではないかと思うぐらいに様々な所に行き、今はやっと勇斗の目的でもある温泉に近づいていた。
「何を言っているんだ、兄貴が一番楽しんでいるんじゃないのか?」
呆れ顔で和也が勇斗の顔を見ると、その隣でやはり茶化すように千草が顔を覗き込んでくる。
「本当よ、一番はしゃいでいるみたいだったわよね?」
「最初は嫌がっていたくせに、真央ちゃんと一緒にウォータースライダーやったり、一葉さんと一緒にジェットコースターに乗ったりして、一番エンジョイしていたよね?」
直子が穂波の腕を取りながら勇斗のわき腹を突っつく。
「ハイ、先輩すごく楽しそうでした、良かったです」
穂波も嬉しそうな顔をして勇斗の事を見る。
貧乏性なのかね? なんだか乗れるとなると乗ってしまうのは……タハハ。
「さぁ、これから温泉ゾーンみたいですよ? みんな水着を着ているから混浴になっているんですね?」
一葉が嬉しそうにその先を見るとそこにはひとつの入り口があり、他の客も男女共に仲良くその中に入ってゆく。
男女ののれんの無い温泉に入るのは初めてだよなぁ……なんとなく恥ずかしいのは気のせいなのかな?
勇斗はそう思いながら隣にいる穂波の事を見ると、穂波もどことなく照れているような表情でうつむいている。
「裸で入れる所もあるみたいだけれど、そこはやっぱり男女別になっているみたい」
真央はあっけらかんとそう言いながら、そののれんに向かって走ってゆく。
「あたしは別にかまわないんだけれどね?」
千草はそう言いながら勇斗の顔を見つめるが、勇斗はとんでもないといった表情で首を横に大きく振る。
「あたしもかまいませんがね?」
勇斗の隣を通り過ぎながら一葉もそう言いながら呟く。
ちょっと一葉さん、いますごい事を言っていきませんでしたか?
「なんだかなぁ……」
パウダールームを抜け、湯船に入る扉を開くと、思わず勇斗はため息ともつかない声を上げ苦笑いを浮かべる。
「ジャングル風呂だぁ〜!」
嬉しそうに、夏穂と真央がそのジャングルの中に姿を溶け込ませる。
「ちょっと、待ちなさいよ! 真央ちゃん!」
慌てたように直子が真央を追いその中に姿を消し、やれやれといった表情の一葉はゆっくりとだが三人の後を追う。
「ここにはいくつかの湯船があるみたいですよ? ここがジャングル風呂で、あっちがハーブと薬湯、その先に露天風呂があって……」
案内板を見ながら穂波は頬を赤らめる。
「どうした……」
勇斗がその案内板を見たところは、
「……『カップル風呂』?」
へんな予想をしてしまいそうなその名前に、勇斗は思わず穂波の顔を見てしまう。
「は、はぁ……どういうのなんでしょうかね?」
穂波も勇斗と同じような想像をしているのか、頬を赤らめたまま上目遣いで見上げてくるが、どことなく興味をそそられているようにも見える。
そういえば千草は?
いつもならこういう場面で必ず勇斗に茶々を入れてくるはずの千草の姿がない事に気がつき、周囲を見渡すが、そこには見知った顔は無く、完全に勇斗と穂波の二人になってしまった。
「和也君たちどこに行ったんですかね?」
穂波もその気配に気がついたのであろう、周囲を見回しながら首をかしげている。
「まぁ、みんな大人なんだから迷子になる事はないでしょ? 俺たちも行こうぜ、温泉!」
勇斗のその案に、ホッとしたような表情を浮かべながら穂波は勇斗の腕にまとわりつく。
「生き返るねぇ」
ジェット風呂につかりながら勇斗は至極の表情を浮かべている。
「もぉ、先輩ったら、そんなジジムサイ事を言わないでくださいよぉ……確かに気持ちいいけれど……はぁ〜いい気持ち」
穂波は勇斗の隣でやはり極楽といった表情を浮かべながらどっぷりと湯船に浸かっている。
水着を着ているとはいえ、穂波と同じ湯船に浸かっているというのは不思議な感覚だよな? ちょっとドキドキしちゃったりして……高校生じゃああるまいし。
苦笑いを浮かべていると間近に穂波の顔が現れる。
「先輩、なんだか幸せそうな顔をしていますね? ウフ、あたしも幸せですよ?」
穂波はそんな勇斗の気持ちを知らずに、本当に幸せそうな笑顔を浮かべながら勇斗の顔を覗き込んでくる。
「おっ、おう、気持ちがいいからな……さて、露天風呂にでも行ってくるかな?」
少し頭を冷やした方が良さそうだ……そうでもしないと変な気持ちになって、風呂から出る事ができなくなりそうだよ……。
勇斗は苦笑いを浮かべながら湯船から立ち上がると、それにつられるように穂波も立ち上がり、湯気に濡れた髪の毛をさりげなくアップにし普段あまり見る事の無いうなじが露になる。
クハァ〜、この娘は何か狙っているのか? 脳髄を刺激しまくりだぜぇ〜。
「先輩、あたしも行きますよって……どうしたんですか? 顔が真っ赤ですよ……もう、のぼせましたか?」
心配げな表情で勇斗の顔を見る穂波の額にはうっすらとした汗が光っており、余計それが艶っぽく見える。
「ん? あぁ、のぼせそうだよ……」
「もう暗くなっちゃったんですね?」
何時間ぐらい中にいたのだろう、久しぶりに外気に当たると、既にそこは薄暗くなり、湯船に向かう外灯がつきはじめていた。
「本当だ……遊びすぎかな?」
勇斗がため息をつくと、その隣で穂波が微笑む。
「ハイ、だいぶ遊びましたよね? でも、楽しかったです、久しぶりに遊んだって充実感がありますよ」
遊んだ充実かんかぁ……最近遊ぶという事をしていなかったよな。
「そうだな……今度は……」
「勇斗先輩見つけたぁ!」
勇斗の話の途中いきなり腕がつかまれ、思わず体勢が崩れる。
「わわわぁ〜」
体制を崩した勇斗はあっけなく腕のつかまれた方に倒れこむ、その場所は大露天風呂の湯船があり、大きな水音と共に水柱が立つ。
「先輩?」
最初は驚いた表情を浮かべる穂波の眼が徐々に険しくつり上がってゆく。
「アハハ、勇斗先輩ったらぁ、だらしなぁ〜い!」
ケラケラと勇斗の上げた水しぶきを浴びながら笑っている真央は、勇斗の胸にギュッと抱きついている。
「な、何だ、ってわぁ! 真央ちゃん何しているんだ」
やっと状況を把握した勇斗は、飛び跳ねるようにくっついている真央から離れるが、穂波の目のつりあがりはそれだけでは留まらない。
「だぁって、直子先輩もどこかに行っちゃうし、知っている人が見つからなかったから、ここに来れば誰か来るかなって……」
ブゥ、と頬を膨らませながら抗議の目を二人に向ける真央は、素直に寂しかったといった様子で、勇斗はそれ以上文句をいう気にはならなかった。
「だからって先輩に抱きつかなくっても……」
穂波はまだ怒りが収まらないのか、真央に対し抗議を続けている。
「まぁまぁ、穂波も高校生相手にそんなムキにならなくっても」
取り繕うように勇斗が言うと、さらに穂波は怒りの形相で勇斗の事を睨みつける。
「あぁ、そんな他人事みたいにいってぇ〜、アッ! もしかして先輩ったら女子高生に抱きつかれて嬉しいんだ……やらしぃ〜」
穂波は頬を膨らませながらそっぽを向くと、ドスドスという音を立てるかのように足を動かしながらその場から立ち去る。
「おい、穂波! ちょ、ちょっと待ってくれよ……真央ちゃん、ここで待って入れば他に誰かが来ると思うから、それまでもう少し待っていてくれ、いいね? うぉい、ちょっと穂波ぃ〜、ちょっと待てよ!」
勇斗は真央にそう言い聞かせるように言い、穂波の後を慌てたようについて歩いてゆくが、その様子を見ていた真央はクスッと微笑を浮かべていた。
なんだか情けねぇかな……後輩にこんな姿を見られるのは。
勇斗の身体には、八月の下旬とはいえ、冷たい空気がまとわりつく。
「ちょっと穂波、待てってば!」
石畳になっている通路を歩き、気がつくと突き当たる……いや、正確には施設の入り口らしい所にたどり着く。
「ここ……」
穂波が小さく呟き、勇斗もやっとの思いでそれに追いつく。
「やっと追いついたぜ、穂波……ん? どした?」
うつむき加減になっている穂波の顔を勇斗は覗き込むと、その顔には照れたような表情が浮かんでおり、穂波の手は無意味に指をモジモジさせており、その視線の先の看板に書かれているのは、さっきから勇斗も気になっていたあのお風呂だった。
なんだか、淫猥な響きというか……まさか裸ではいるわけじゃあないだろうけれど、水着姿ではいるというのもちょっと刺激が強すぎるような気がするなぁ。
「……『カップル風呂』かぁ、なんだかちょっと気恥ずかしいよなぁ……いくべ」
勇斗が、その施設に背を向けようとしたとき、穂波の手が勇斗の腕をつかむ。
「べ……別に……裸で……入るわけじゃないみたいですし……その……ここから『裏夜景』が見えるみたいですし……だからと言うのか……なんと言うのかな……えっと……あのぉ〜……そのぉ〜……ですね」
勇斗の腕を握りながらも、穂波はうつむき、モジモジしている。
「……話の種? といいたいのかな?」
助け舟を出すように勇斗が言うと、穂波はそれが言いたかったとばかりに首をブンブンと縦に振る。
「それに……ちょっと身体も冷えてきました……」
事実、穂波が勇斗に触れている手は冷たく冷えきっているようだ。
「じゃあ、一緒に入ろうか……」
思わず唾を飲み込み、その音が穂波に聞こえないか少し心配になるものの、そんな様子は見受けられず、穂波はコクリとうなずき、賛成の意思表示を示す。
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