雪の石畳の路……
Summer Edition
第三話 hakodateすばる
=取材=
「分かった……三時ぐらいに」
電話の相手は直子だった。屋号を決めたのでぜひ取材してくれという内容の話はとんとん拍子に進み、明日の午後三時に取材に来るという事が今の電話で決まった。
「決まったんですか?」
電話を置き一息ついている勇斗に対し一葉が声をかけてくる。
「あぁ、明日の三時に取材に来るそうだ……」
勇斗は客の姿がまばらな店内を見渡しながらため息交じりにそう言うと、それを見た一葉が微笑みながら勇斗の肩に手を置く。
「大丈夫ですよ、そのうちお客さんもいっぱい来てくれますって」
励ますように一葉はそう言いながら勇斗の肩をぽんぽんと叩く。
「はは、そうだと良いけれどね?」
一種の賭けである、ネットで店を紹介してもらうわけだが、既に旅行に来る人間は情報誌なので予定を立てているだろうし、ちょっと遅いかなという疑念もある。
「先輩、ちょっといいですか?」
店の中から穂波に声をかけられる、その顔はちょっと嬉しそうな表情を浮かべている。
「なんだ?」
勇斗はそう言いながら、穂波が丸め持っている紙筒を見る。
「エヘヘ、ちょっと遊んでみました……イメージというか、お店のロゴというか」
穂波は頬を赤らめながらその紙を広げる。
「ほぉ、これは……」
勇斗の声に一葉と和也も反応してその紙をみる。
「へぇ、穂波ちゃん上手ね? こんな才能があったんだ」
「うん、プロの人が描いたみたいだ……」
二人が見ているそれにはイラストチックな顔付の星が七つ無造作に並び、その横にはお店の名前が可愛らしい丸文字で書かれている、どうやらその星もみんなをイメージした顔になっているようだ。
「お姉ちゃんって結構昔からこういうイラスト得意だったもんね?」
夏穂が穂波の隣で自慢げに無い胸を張る、しかし、勇斗の顔はそれを見つめながら難しい顔をしている。
「勇斗さん?」
「兄貴?」
そんな様子を和也と一葉は怪訝な顔をして勇斗の顔を覗き込み、穂波はがっかりした表情を浮かべる。
「……ちょっと出しゃばりでしたかね?」
穂波がその紙を再び丸めようとするとその手を勇斗に握られる。
「せ、先輩?」
穂波の顔が見る見る紅潮してゆく。
「いいじゃないか……可愛いよ、この星の顔は全員のイメージなのかな?」
一番大きく書かれている目つきの悪い星はきっと勇斗の顔だろう、その隣はきっと穂波……みんなの顔がすぐに浮ぶ。
「ハイ、みんなの顔をイメージしました!」
穂波の顔に笑顔が膨れ上がる。
「そうかぁ……思ってもいないところに意外な才能の持ち主がいたなぁ」
勇斗は感心した顔で穂波の事を見つめる。
「兄貴、それをTシャツにしてオリジナルで売ってみれば?」
ナイス! 珍しく意見が一致したなぁ、和也。
勇斗はグッとその意見を述べた和也に親指を立てながら再びそのイラストを見て微笑む。
俺の隣に穂波星かぁ……ハハ。
「業者に連絡してみるよ、多分すぐにできると思うよ」
勇斗は再び受話器を取り、知合いの業者に電話をかける。
「じゃあ外観から撮るわね?」
平日の昼下がり、のんびりとした空気の中に緊張した面持ちの直子が勇斗に対し笑顔を作りながらデジカメを構えるが、その様子はちょっとぎこちない。
「おい直子、本当に大丈夫なのか?」
勇斗は心配になり直子に声をかけるが、その直子の表情は真剣そのもので、勇斗の言葉など耳に入っていない様子だ。
「えーっと……こんな感じかしら」
パシャ。
「違うかな……もうちょっとこう……」
パシャ。
直子はそう言いながらファインダーと景色を見比べながらシャッターを押す。
なんだかすごく不安なんですけれど……。
苦笑いを浮かべる勇斗などおかまいなしにシャッターを切っている。
「うん、これでよし……次に店内の様子ね」
一体何枚写真を撮ったのか分からないほど撮り、少し満足げな表情を浮かべる直子は店の中に入り込んでいく。
本当によしなのかなぁ……ものすごく不安なんですけれど。
「うぁー、良い感じね? ファインダーを通すとこんな感じになるのね? レトロチックというのか、古いお店に似合ったいい雰囲気」
店内を見回しながら直子は感嘆の声をあげる。
「お褒めいただいて光栄ですな」
店の奥から鉄平が顔を出し直子に向かう。
「勇斗、この方が……」
鉄平のその姿を見て直子は苦笑いを浮かべる。その隣にいる勇斗は呆れたように手で顔を覆い、一葉は笑いをこらえるように肩を震わせ、その場所から離れてゆく。
なんていう格好をしているんだ? このクソ親父は……それじゃあまるでこれから誰かの結婚式に招待された出来損ないのマジシャンみたいな格好は……。
防虫剤の香りが漂ってきそうなピシッと折り目のついた燕尾服を着ている鉄平の姿は珍しいという感想を持つ以前に、呆れる。
なんていう格好をしているんだか……。
「わたしがこのお店のオーナー、有川鉄平です。今後お見知りおきを」
いつの間にか作ったのか鉄平は名刺を直子に手渡す。
「ハハ……黒川直子です、よろしくお願いします」
鉄平に面食らいながら直子は笑顔を作るものの、顔のいたるところは引きつっている。
「それではあちらでお店の話など……ゆっくり」
ジェントルマンよろしく、鉄平は直子をエスコートしながら店の奥にある応接兼居間に誘う。
「エッ、エッ、エッ? 勇斗は?」
まるで助けを請うように直子は勇斗の顔を見るが、勇斗は微笑みながら首を振る。
「俺は実務者だから、店のことは親父に聞いてくれ、このお店のスポークスマンだからな?」
その一言に直子の顔には落胆の色が浮かび上がる。
「さ、さ、お嬢さん、とりあえずこのお店の誕生秘話からお話しましょう」
直子はまるで鉄平に引きずられるように店の奥に消えてゆく。
「さて、今日は何時間コースかな?」
意地の悪い顔をしながら勇斗は店先に出ると、穂波も隣で苦笑いを浮かべる。
「黒川先輩も可哀想ですね?」
確かに、あの親父の話を延々と聞かされるのはきっと苦痛以外の何ものでもないであろう。
「慣れているんじゃないか? 直子だって記者だもん」
勇斗はそう言いながら店先にぶら下がっている風鈴を指で鳴らす。
チリン……。
「夏ですね?」
穂波はそう言いながら勇斗に寄り添う。
「あぁ、夏だ……忙しくなってくれればいいがな」
空に浮ぶ入道雲を見ながら勇斗は呟くように言う。
「有難うございました、参考になりました」
店の奥から一時間ぶりに直子が姿を現す。やけに血色の良い鉄平に対して直子は食傷気味といった表情で作り笑いを浮かべている。
「何々、何かあったらいつでも来なさい、いくらでも相談に乗ってあげるよ」
鉄平は気持ち良さそうに話すが、その言葉に直子は苦笑いを浮かべるだけだった。
「それはどうも、アハハ……ねぇ、勇斗また来ても良い?」
愛想笑いを浮かべながら鉄平に手を振り、直子は思い直すように勇斗に声をかけてくる。
「別にかまわんよ……自分の紹介した店が繁盛しているといいけれどな」
意地の悪い顔をしながら言う勇斗に対し、直子はそれまでの食傷気味の表情を一変させ、満面の笑顔を浮かべる。
「ホント? じゃあ遠慮なく遊びに来るね? じゃあまたね!」
直子は嬉しそうな笑顔を勇斗にプレゼントし、小走りに店から離れていく、その後姿からも良いことがあったということがわかるほどに……。
「なんなんだぁ?」
首をかしげながら直子の後姿を見送る勇斗の隣では、あからさまに面白くないといった表情の穂波が頬をプックリと膨らませていた。
=定休日=
「クハァ〜……ねむ……」
意識が覚醒し切れていないものの勇斗は、今日は鳴らない目覚まし時計を手繰り寄せその針の指している数字を読む。
……まだ六時じゃないかよ……なんで目が覚めるんだろうねぇ……職業病かな?
苦笑いを浮かべながら勇斗は近くのカーテンを引き朝日を部屋に注ぎ入れ、完全な意識の覚醒を試みる。
「フム……いつもよりちょっと人通りが増えてきたな?」
店先の通りを見ることのできるその窓から人通りを見るその動作は、勇斗が函館に帰ってきてから毎朝の恒例行事になっている。
七月も今日で終わり、明日からは『函館港まつり』が開催されるし、夏休み本番だな? 店の休みも今日まで、お盆が終わるまでお休みはないよ……稼ぎ時だから。
今日は店の定休日、ゆっくりと休めるのは今日を逃すと八月の末までないであろう。
「せっかく目が覚めたんだ、たまにはブラッとしようかな?」
勇斗はそう呟きながら部屋を後にする。
「さすがにみんな寝ているみたいだな……」
居間に降りるといつもならいる一葉の姿もなく、シンと静まり返っている。
まぁ、この先しばらく休みもなくなるわけだし、朝も早くなるから今日ぐらいはゆっくりさせてあげたいよね?
勇斗は、まだ薄暗い居間を抜け店の裏口に足を向ける。
「う〜ん、朝は涼しくっていいなぁ……東京では考えられない事だよ」
店の裏側には勇斗が全財産をつぎ込んで買ったワンボックス車が止まっており、その隣で勇斗は大きく伸びをする。その勇斗の身体にまとわりつく空気はヒヤッとしており、日中の暑さとはまったく違い、心地の良いものだった。
「動かしていないよなぁ……前に乗ったのはいつだったっけ?」
勇斗はその車のボンネットをポンと叩き記憶を遡るがなかなかその記憶にヒットしない。
「たまには動かしてよぉ」
車から声が聞こえる? なんだ? 俺はそこまで病んでいるのか?
勇斗は首をかしげながら辺りを見回す、すると裏口の扉の所にパジャマ姿の穂波がニッコリと微笑みながら勇斗のことを見ている。
「穂波かよ……驚いたぜぇ」
勇斗はホッと胸をなでおろしながら穂波の事を睨む。
「アハハ、先輩面白い顔していた」
穂波は嬉しそうに勇斗の顔を見る。
「穂波……」
睨む勇斗にひるむことなく穂波はペロッと舌を出しながら勇斗の顔を見る。
「でも、先輩は今日どうするんですか?」
特に予定のあるわけでもなく、だからといって部屋でぼんやりしているのも面白くないかもしれないな。
「そうだな……ブラブラしようかな?」
いわゆる散歩だ、海風を浴びながらぶらつくというのもなかなか気持ちがいいもんだ。
「……お付き合いしても良いですか?」
穂波が呟くように言う、その顔はちょっと赤らんでいる。
「ん? 別にかまわんよ……良いかもしれないな、久しぶりに」
勇斗の顔に笑顔が膨らみ、その笑顔が伝染したように穂波の表情も明るくなる
「じゃあ、着替えてきますから……待っていてくださいね? 一人で行かないでくださいよ!」
そう言いながらばたばたと穂波は階段を駆け上がっていく。
朝っぱらからそんな音を立てるなよ……。
「暑くなりそうだな……」
店先で見上げる空はこれからの暑さを象徴するように青く澄み渡り、事実函館山の方からはセミの鳴く声がまるで輪唱の様に聞こえ始めている。
なんだか久しぶりかもしれないな、こうやって人を待つという事は……。
そもそも待つという行為はあまり好きでない勇斗だが、自分の心の奥底にワクワクした感覚があるのを薄々感づいているようで、表情は明るい。
「お、お待たせしました……ハァ」
店先でたたずむ事十分ぐらいだろうか、息を切らしたような穂波の声に勇斗は振り向く。
「何も走ってこ……なく……ても……って、ほぉ」
勇斗の目の前にいる穂波の姿は店にいる姿とは打って変わり、白いワンピースを着ているその姿はまるで高原にいるお嬢さんのような格好だ。
「……変ですか?」
勇斗の視線に穂波は躊躇し、自身の姿を確認するようにキョロキョロする。
「いや……その……似合っているかな?」
勇斗のその一言に、穂波の頬に赤みがさす。
「アハ……有難うございます」
「勇斗さん、今日は休みですから二人でゆっくりしてきてくださいね?」
二人で頬を染めあっていると、不意に店の中からパジャマ姿の一葉が顔を見せる。
「か、一葉さん……」
二人して顔を赤らめ、うつむくその姿を一葉はニコリと微笑みながら見る。
「久しぶりのデートでしょ? ゆっくりしないと……それに、お二人で出かけていただくと、あたしもゆっくり出来るんですよ」
一葉に穂波に向けてウィンクすると、穂波はそれに答えるようにうなずく。
「はい、いってきます!」
優しく微笑む一葉に穂波は元気よく声をかけ、勇斗の顔を見上げる。
「じゃあ、ちょっと行って来るよ」
勇斗は照れくさそうな顔をしながら海風の香る方に向かって歩き出す。
「先輩、どこに行きますか?」
ニコニコしながら穂波は勇斗の顔を見上げる。
「どこに行くといってもなぁ……この時間じゃあまだ開いている店もないし、本当にぶらつくしかないかな?」
周りを見渡してもほとんどの店はシャッターを下ろしているか、店先で開店準備を行っているかでフラッと立ち寄るようなお店は開いていない。
「そうですね、じゃあベイに行きませんか? 先輩とよく行ったあのお店、朝からやっているって聞いた事があります」
高校時代によく二人で行った喫茶店の店構えを思い出す。
「そういえば忙しさに事欠いて、こっちに帰ってきてから一度も行っていないや、確かモーニングをやっていた記憶があるよ」
勇斗は記憶を手繰るように宙に視線を飛ばす。
「なんで知っているんですか?」
キョトンとした顔で穂波は勇斗の顔を見返すが、その質問には勇斗は笑って答えるしかなかった。
まさかサボった時に寄っていたなんていえないよな?
「ははは」
勇斗は誤魔化すようにその店の方に向かって歩き出す、その後ろから穂波が慌てて追いかけるような格好でついてくる。
「先輩! まってぇ」
何となくそんな時間が心地よく感じている。
「しかし気持ちが良いもんだな……」
店からベイエリア方向に向かって歩き五分ぐらいだろうか、赤レンガ倉庫郡と共に有名な『七財橋』に差し掛かる。タイコ橋になっているその頂上付近ではウミネコが鳴きながら出入りする漁船めがけて飛び去ってゆくその背景には、まだモヤのかかっている函館山。
普段なら観光客でごった返しているこの街並みも、これだけ朝早いとまばらで、落ち着いて風景が見ることが出来る、海から吹いてくる潮風も心地良いけれど……この掘割の水がもう少し綺麗なら言う事ないんだけれどなぁ。
いろいろなゴミが浮いている海からの掘割を見て勇斗はため息をつく。
「ハイ、涼しいですね?」
勇斗に寄り添うように歩く穂波は海からの風を気にしているのか、スカートの裾を押さえながら歩いている。
「……懐かしいな、よく穂波と学校帰りに歩いたよな?」
その当時とはちょっと様相は変わっているものの、雰囲気は変わっていない。学校帰りによく寄ったたこ焼きの屋台や『函館ヒストリープラザ』のアクセサリーショップ。高校時代の想い出の場所だ、まさか、再び穂波と共に歩くなんて大学時代には予想もしていなかったが……よく函館の特集をやるときは、この風景が真っ先に写る、それを東京で見ていた時はやはり切ない気持ちになったよ……思い出があやになっていたんだから、でも、またその穂波と一緒にここを歩いている。
勇斗は隣にいる穂波の横顔を盗み見るようにチラッと見る。
「ハイ、先輩とよく来ましたよね? あの屋台まだあるんですよ? あのカーリーヘアーのたこ焼き屋さん」
穂波も嬉しそうにそう言いながら勇斗の顔を見上げる。
「この辺りはあまり変わらないな?」
ちょうど学校に向かう石畳の坂道の上り口、見上げる先に見えるのが綾西学園で勇斗達が通っていた学校だ。
「ハイ、学校に行く時の最後の難関ですよね?」
そうだ、夏場はこの坂で一気に汗を吹き出させながら、冬場は凍りついたその石畳の足元を気にしないとすぐに転んでしまう。
「今でもこの坂を生徒たちの間で『心臓破りの坂』と呼んでいるらしいです、ウフ、残るんですね? そういうあだ名みたいなものって」
穂波は微笑みながらその坂を見上げる。
「ハハ、そうかもしれないな……直子なんて自転車通学だったから、朝会うと凄い顔をして『立ちこぎ』していたよ、あれは男には見せられないんじゃないか?」
立ちこぎ……函館の高校生では当たり前のことで、坂の多い街だから坂を上る時は男女関係無く皆『立ちこぎ』だ。
苦笑いを浮かべる勇斗に穂波は顔を近づける。
パチン!
穂波の平手が勇斗の右頬を叩く。
「ほ、穂波?」
勇斗は訳わからずに穂波の顔を見ると、その顔はちょっと意地悪く微笑む。
「蚊が止まっていました……本当ですよ?」
本当かなぁ……ちょっと痛かったんだけれど。
叩かれた頬を撫ぜながら穂波を見ると穂波の表情はちょっとすっきりしたようにも見える。
「やっぱりやっているな? マスター覚えているかな」
学校帰りによく寄った喫茶店、勇斗はその店を見上げながら感慨深い顔をする。
「ハイ、朝早くからやっているんですね?」
朝早いといっても既に時間は八時を回ったところ、近くにある水産会社の社員やOLがさっきからちらほらと見えはじめている。
「ウン、モーニングが美味しいんだよ……あっ」
「やっぱり先輩よく知っているぅ……ここでサボっていたんですね?」
穂波は頬を膨らませながら勇斗を睨みつける。
「ハハ、もう時効だよ……さて、入ろう」
穂波のその視線をかわすように勇斗は店の扉を開く。
「先輩たらぁ……もぉ」
その後ろから穂波が頬を膨らましたままついて来る。
「いらっしゃい」
カウンターからはその時と変わらない顔のマスターが声をかけてくる。
「おはよ、マスター……元気していた?」
その声にマスターは勇斗の顔をじっと見つめる。
あまり男にそうやって見つめられるのは気持ちのいいものではないな……。
苦笑いを浮かべながら勇斗はマスターを見る、すると、マスターの顔が徐々に笑顔に変わってゆく。
「勇斗か! なんも久しぶりだなぁい」
マスターはカウンターから飛び出し勇斗の手を取る。
「マスターも久しぶり、四年ぶりか?」
マスターと握手を交わしながら勇斗はニッコリと微笑む。
「そぉだぁ、まぁず四年にもなるかいのぉ……そちらは?」
マスターはそう言いながら勇斗の後ろにいる穂波の顔を見る。
「穂波だよ……高校時代に一緒に来ていた」
穂波はちょっと照れくさそうにお辞儀をする。
「あぁ、穂波ちゃんかぁ、なんだ、お前らまだ付き合っているのか? お前の事だから当に振られたと思っていたんだがな?」
マスターは意地の悪い顔をしながら勇斗に言うとその勇斗は苦笑いを浮かべる。
確かに間違ってはいないかな?
穂波も苦笑いを浮かべている。
「ほれ、ブレンド……穂波ちゃんはミルクティーでよかったんだよな?」
二人の前にオーダーしていない物が置かれる。それは高校時代に二人で寄った時にいつも注文していた物だ。
「マスター覚えていてくれたんですか?」
嬉しそうな顔をしながら穂波はマスターの事を見る。
「まぁね? あんたらみたいな不釣合いなカップルというのは今でもあまり例を見ないから、覚えているんだよ」
マスターはそう言いながらも、嬉しそうに勇斗の顔を見る。
不釣合いなカップルって……もしかして俺のことを指しているのかな?
勇斗は自身に指を当てるとマスターは大きくうなずく。
「マスターそれは無いよ……確かに自分でも認めるところはあるけれど」
勇斗の一言にマスターは高らかに笑い出す。
「ハハハ、自分でそう思っているんなら世話ねぇな? でも、あんたらの事を羨ましがっていたやつらも俺は知っているぜ?」
「そんなに俺ってモテていたの?」
マスターは勇斗の鼻先で大きく手をクロスし、バッテンマークを出す。
「ぶぅ〜、穂波ちゃんだよ、人気があったのは……事実俺の息子だって穂波ちゃんファンだったんだから、そのせいでお前大分憎まれているぜぇ」
マスターの息子ということは確か和也と同い年だったよな……その当時十二歳か……小学六年でねぇ……マセガキだな。
「そんな……あたしなんかより先輩のほうが……」
穂波はそのやり取りを聞きながら顔を真っ赤に染めうつむいている。
「ハハ、まぁ、勇斗のことが気に入っている一部マニアックな人間もいたけれど、うちのお客さんの中では穂波ちゃんが一番人気だったよ」
マニアックって……相変わらず口が悪いなぁ、マスター……。
勇斗は徐々にそのやり取りが高校時代に行っていたそれと同じことを思い出し、そしてまるで今自分は学生服を着ながら穂波達とお茶をしている、そんなタイムスリップしたような感覚にとらわれる。
「そんなぁ……先輩ぃ〜」
穂波が助けを請うように勇斗に話しかけるとカウンターの奥から声がかかる。
「穂波さん?」
その声の主は駆け寄るように穂波に近づいてくる。
「やっぱりそうだ、穂波さんだ……」
カウンターから出てきて無遠慮に穂波の事を見る少年は端正な顔立ちをしており、モテ顔であることは容易に想像がつく。
「こら、守弘!」
マスターは少年の頭を叩きながら申し訳なさそうな顔をして二人を見る。
「悪いな勇斗、これがさっき話した……」
「楠木守弘(くすのきもりひろ)です、よろしく穂波さん!」
おいおい、俺は眼中に無いってか? 見上げた根性だぜ。
守弘はペコリとお辞儀をするものの、勇斗には一切視線は向かず、嬉しそうな顔で穂波の事を見ている。
「はじめまして、有川穂波です」
ニッコリと微笑みながら自己紹介をする穂波に対して守弘はさらに顔を赤らめる。
「初めてじゃないですよ……昔よくこのお店に来てくれましたよね? その時から僕は知っていました」
「えっ?」
怪訝な表情を浮かべる穂波に対して守弘は笑顔を絶やすことなく話し続ける。
「ヘヘ、穂波さんは僕の初恋の人なんです」
その台詞を穂波に伝えると同時に、初めて守弘の顔が勇斗に向く。
ほほぉー、やっぱり良い度胸しているじゃないか……宣戦布告ということか?
「なにませたこと言っているんだ!」
守弘の頭にマスターのゲンコツが飛び、痛そうにそこをさする。
「おやじぃ……」
目のふちに殴られた痛みのせいなのか、涙を浮かべ恨めしそうに見上げるその顔はどこと無くあどけなさを残している。
「穂波ちゃんはお前には勿体無い、勇斗だからなんだよ」
マスターの台詞に勇斗の首は傾くが、穂波はほっとしたような表情を浮かべながらマスターのその台詞にうなずいている。
「……親父……でも、言っていたよな? 『好きになったらとことん好きになれ、たとえそれがどんな形であっても、好きと言う気持ちが変わるような恋はするな』って、だから俺はあきらめないよ!」
守弘はそう言いながら勇斗の顔を再び睨む。意外なライバルの登場に勇斗は苦笑いを浮かべるしかなかった。