雪の石畳の路……
Summer Edition
第五話 函館港まつり
=賑わい=
「いらっしゃ〜い! 今日から『港まつり』だからねぇ、特売コーナーは全品半額だよぉ〜」
今までの客足がウソのようにお客でごった返す『hakodateすばる』の店先、その対応に大わらわの勇斗と穂波。
「これが広告の効果なのかなぁ」
レジでは、こちらも大わらわの夏穂はそう言いながら、数日前までの閑散としたその風景と見比べため息をつく。
「そうかもしれないな……ハイ、有難うございます」
その隣で、愛想よく微笑む和也に、なぜだか時折、黄色い歓声が上がっているのが勇斗の耳にも入ってくる。
「勇斗さん、これのストックはどこにありますかねぇ?」
さすがの一葉も、笑顔が張り付いたような顔で勇斗にお菓子の詰め合わせを振りかざす。
「倉庫にあったと思ったなぁ……今見てくるよ」
勇斗はそう言いながら小走りに店の裏にある倉庫に向かう。
「先輩、この商品も大分少なくなってきましたから一緒にお願いできますか?」
倉庫に向かう勇斗に対し、穂波も無遠慮に声をかけてくる。
「わかった」
勇斗は手だけを穂波に振り、倉庫に向かう。
だぁ〜、忙しいぜぇ。
「確か、ここに……あった、これと、穂波はこれもって言っていたよな? それに確か『Foxシリーズ』のハンドタオルも少なくなっていたと思ったし……」
勇斗はそう言いながら、以前登別で見つけたキタキツネのキャラクターの入ったハンドタオルを二束取り上げる。
「有川さん」
倉庫から出ると、夏というのに背広をきっちりと着た、男性が勇斗の顔を見て微笑んでいる。
「やぁ、片桐さん、お店に来るなんて珍しいじゃないですか」
片桐と呼ばれた男性は、銀縁のメガネをはずし、顔に吹き出している汗をハンカチで拭う。
「イヤイヤ、有川さんのお店がかなり忙しそうだと聞いて、欠品していないかを見に来たんですよ、お店がセールスチャンスを逃さないようにするのも、うちの仕事ですから」
片桐はそう言いながら笑顔を見せる。
白々しいなぁ、いつもなら電話だけで済ませる奴が、わざわざお店まで見に来るとは、セールスチャンスを失いたくないのは自分の方なんだろうよ。
「おや? 有川さんのお店で売るにはずいぶんと懐かしいシリーズですねぇ、テーマはレトロですか?」
片桐は、勇斗の持っているそのタオルの束を見ながら嫌味っぽくそう言う。
やっぱり何も分かっていないなぁ……新作だけがお土産ではないんだよ、古くても、動く商材と言うのはいくらでもあるし、古いからこそ売れる商品だってあるんだ。
勇斗は以前中年の夫婦の会話を思い出す。どうやら、このFoxシリーズは新婚旅行でこの地を訪れた時に買った物らしく、嬉しそうに買って行ってくれた、その笑顔は今でも忘れる事はない。
「……ハハ、まぁそんなところですかね?」
「相変わらずテーマが決まっているんですね? でもお店の雰囲気にあっていて良いんじゃないですか? そうだ、何か足りなくなっているものなんてないですか? うちならすぐに納品しますよ?」
銀縁メガネのフレームがきらりと光る。
……それが目的なんだろうよ、しかしここでこの男を追い出すのは得策ではない、これも商売だ……マインドコントロールだ……マインドコントロール。
自分をそう言い聞かせながら勇斗は頬を引きつらせながら無理な笑顔を作るが、その表情は慣れていない人なら瞬時にその場から逃げ出すであろう顔をしている。
「だったら……」
「勇斗さん、この商品も一緒に……」
そんな顔を作っている勇斗の目の前に慌てたような様子の一葉が顔を見せる。
「一葉さん!」
片桐の背筋がピッと伸びる、さっきまで勇斗に見せていた、だらし無い顔はなく、どことなく爽やかな表情。
「あら、片桐さん、いらっしゃっていたんですか?」
ニッコリと微笑む一葉の事を片桐はまるで天使を見ているような眩しそうに目を細めて見ている。
「ハイ! お店に欠品が出たら大変でしょうから……それにしても一葉さんその格好は……」
浴衣姿の一葉の事を、無遠慮に片桐はつま先から頭まで粘っこい視線で見つめる。
やっぱりこの男、店の事なんかまったく調べていないし、様子を見ていないな? 普通真っ先に気がつくだろう……。
呆れ顔で首を小さく振る勇斗に気が付かない片桐は、ワクワクしたような目で一葉のことを凝視している。
「ウフフ、商売熱心ですね? 勇斗さん、あたしがそれを持って行きますから、これをお願いします、あとこれも大分薄くなってきたので……」
一葉はそう言いながら勇斗に寄り添い、その手に持たれていたハンドタオルの束やお菓子の箱を受け取ると引き換えに商品名の書かれたメモを手渡される、その瞬間フワッとシャンプーの香りなのだろうか、良い香りが勇斗の鼻腔をくすぐる。
「大丈夫かい?」
一葉に荷物を渡しながら勇斗は心配そうな顔をするが、当の一葉はなんていう事ないといった表情で笑顔を浮かべながらうなずく。
「ハイ、じゃあお願いしたやつお願いしますね?」
一葉は片桐に義理にといった感じでペコリと会釈をしながら店に消えてゆく。その姿を片桐は、ぽやぁっとした感じで力なく手を振りながら見送る。
「ゲッ、こんなにあるのかよぉ……まいったなぁ」
勇斗はそのメモを見て思わず声を上げる。
「……結構一葉さんも人使い荒いよなぁ」
「……女王様も良いかも」
「あちゃー、これなんて倉庫の奥だぜ? 何でこんなムチみたいな物がいいのかねぇ……こんなのだったら俺でも作れそうだけれど……」
「……倉庫の奥でムチを使って……あぁ」
「……あと花火かぁ……これは季節感があってよし」
「……線香花火の熱い物が……ハウゥ」
ゲシ!
いけね、つい蹴飛ばしちまった……。
思わず気色悪い表情を浮かべる片桐に勇斗は無意識に足を出してしてしまうが、彼にはその趣味があるのだろうか、恍惚の表情を浮かべながら幸せそうな微笑を浮かべその場に沈んでゆく。
「先輩! これなんですけれど……」
再び店に顔を見せた勇斗に、ホッとした表情を浮かべながら駆け寄ってくる穂波、その後からついてくる男性客は勇斗に対し目でお辞儀する。
「何だ? どうかしたのか?」
穂波の持っているTシャツに勇斗は目を見開く。
「このTシャツは……」
男性の持っているTシャツを思わず掴み取ると、勇斗はそのTシャツを広げ見る、そこに描かれていた模様は……。
「さすがにこんなのは扱っていないですよね?」
勇斗の横から穂波は顔を覗かせながらそう言う。
「ハハ、これと同じやつが欲しいと?」
勇斗はぎこちない笑顔を浮かべながらそのTシャツと男性客の顔を交互に見る。
「ハイ、知り合いが函館で買って来たらしいのですが、どこに売っているのか……この柄が結構好評で、友人にも頼まれたんです」
この柄が……好評ねぇ……世の中の趣味と言うのはよくわからないよ、だけれど……。
「このTシャツなら、朝市の中にある魚屋さんで売っていますよ、確かお店の名前はちょっと忘れちゃったけれど、気さくな若女将がやっていたと思いましたよ」
勇斗は店先にはためいているそのTシャツを思い浮かべる、その周囲に置かれているのは毛ガニやら、新巻鮭、新鮮とれたてイカ等で、店の女将はいつも元気に『いらっしゃぁ〜い』と言っている。
「有難うございます、行ってみます」
男性は活路を見出したような表情になり、朝市の方角に駆け出していった。
「……なんなんだぁ?」
その様子を呆気に取られたような表情を浮かべる勇斗に穂波も苦笑いを浮かべる。
「あの柄が良いというのはちょっと……イカ最高って……」
「勇斗、休憩に行ってきていいぞ」
お客の流れが落ち着くと和也の代わりにレジに入っていた鉄平から声がかけられる。
「あぁ、そうさせてもらうよ……穂波は?」
忙しすぎて周囲を見渡すことができなかったが、気が付くと店の中にいる見慣れた浴衣姿は一葉だけだった。
「穂波ちゃんならさっき女将さんに呼ばれていましたよ?」
散らかっているディスプレイを片付けながら一葉が答える。
「穂乃美さんが?」
そういえばさっき穂乃美さんを見たような気がしたが……この時間に顔を見せるなんて珍しいよなぁ。
このお店での穂乃身の立場は、いわゆる事務全般で、自宅で仕入や経理などの、いわゆる縁の下の力持ちみたいなもので、お店に顔を出すのは店が終わった後のほうが多い、その穂乃美さんがさっき店にいたことには勇斗を薄々感づいていたが、それに疑問を持つ暇がなかった。
「ハイ、穂波さんを引きずるように奥に消えていきましたけれど」
……穂乃美さんも徐々に親父に似てきたのかな……それだけは止めて貰いたんだが……。
勇斗は苦笑いを浮かべながら、居間に向かう扉を開く。
「勇斗兄ちゃん、お先でしたぁ〜」
首をかしげながら勇斗が居間兼応接……今では食堂まで兼用されている多目的部屋に入ると、お腹を押さえながら満足そうな表情を浮かべた夏穂とすれ違う。
「おう、和也は?」
夏穂と一緒に休憩に入った和也の姿は見える範囲にいない。
「和也兄ちゃんは、コーヒーでも飲みにいったんじゃない? いつもの事でしょ」
ちょっと苦笑いを浮かべる夏穂に対し、勇斗も苦笑いを浮かべながらそれに答える。
「よく続くよなぁ……」
勇斗は窓の外に見える黄色いテントを見ながらため息をつく。
隣のお店……喫茶『どりーむ』が開店したのが、ほんの数日前、それから欠かさず和也は通っている、以前はコーヒーなんて飲まなかった奴が金を出して飲みに行くなんて珍しい事もあるもんだと思うよ。
「さてと、俺の昼飯は……」
視線を窓からテーブルの上に戻すと、そこにあるのは既に空になっている皿や茶碗が並んでおり、到底すぐに食べられる状況ではないことが分かる。
「夏穂ちゃん、俺の昼は?」
その皿をかいがいしく片付けている夏穂に声をかけると、意外な台詞が切り返されてきた。
「えぇ〜! 勇斗兄ちゃん食べていなかったの?」
素っ頓狂な声をあげるその夏穂の一言に昼は無いと言う事が判明した。
「……どぉしよう……みんな食べたと思って和也兄ちゃんと食べ切っちゃったよ……他に何もないし……なにか出前でも取る?」
申し訳無さそうな顔で夏穂が勇斗の顔を覗き込んでくる。
「いいよ、出前もいつ来るか分からないだろうし、隣に行けば何かあるだろう……それにしても穂波はどうしたんだ? あいつも食べていないだろう」
ニッコリと微笑む勇斗に夏穂はちょっとホッとしたような表情を浮かべながら、チラッと居間から見える階段を指差す。
「お母さんと二階に上がったままだよ?」
二階? 母娘で何をしているんだろう……。
勇斗が首をかしげるのを見計らったように、その階段が二階から誰かが降りてくることを告げるような音を鳴らす。
「穂波ぃ〜なんか食べに行こう、昼飯は和也が食っちまったら……しい?」
勇斗の声が途中で上ずる……。
「あぁ、勇斗さん、今日からあたしもお手伝いしますから、大船に乗った気持ちで構えてくださいね?」
ポンと胸を叩く穂乃美の顔は満面の笑顔を湛えている。
「大船って……その格好」
目をまん丸にしている勇斗の前で、ニコニコしている穂乃美は黒を基調に花火の柄なのだろうか、地味な柄の浴衣なれど、それをいなせに着こなしている。
「アハ、お母さんもお店手伝うって……先輩の迷惑になるからやめろと言ったんですけれど」
その隣で困り果てたような苦笑を浮かべている穂波だが、その頬が徐々に膨れてゆく。
「迷惑なんて……いや、穂乃美さん似合っている」
大人の色気と言うのだろうか……目が離せなくなると言うか……穂波や一葉さんの色気とは違ったものがある。
頬を上気させている勇斗には、穂波の厳しい視線が突き刺さっているが、それでもなおかつ視線をはずす事ができないでいる。
たぶん、親父も仕事にならないだろうなぁ……。
「お母さん、早くお店に行ってあげないとみんな困っちゃうよ」
まるで邪魔者を追い払うかのように穂乃美の背中を押す穂波。
「そうね? じゃあ勇斗さん、ゆっくり休憩してね?」
穂乃美は優しい表情でお店に出て行くが、その瞬間に、鉄平の断末魔のような声がが聞こえる。
……やっぱり仕事にならなくなるな。
「先輩、さっきお昼がどうのと言っていましたけれど……」
穂波のその一言に勇斗は我に帰る。
「そうだ、和也の馬鹿たれが昼飯全部食っちまったらしいんだ、隣に行って何か食べようかなと思って」
勇斗はポリッと頬を掻きながら穂波の顔を見ると、その顔には困惑したような表情が浮び、視線を宙に浮かしている。
「隣……ですかぁ」
明らかに穂波の顔色には反対の色合いが浮んでいる。
「他に案ある?」
勇斗としてもそうだ、隣に行けば千草と穂波の鉢合わせになる、その状況と言うのも勇斗にすれば針のムシロに座らされているようなものだ。
できればその状況だけは避けたい……穂波の奴、普段は大人しいくせに、こと千草がらみになると目の色を変えてくるからなぁ。
「そうだ、駅に出ませんか? 新しくできた『どんぶり横丁』とか、ちょっと行ってみたかったんですよねぇ、この前来たお客さんが、結構美味しかったといっていたし、どうですか?」
穂波の案に勇斗は首をかしげる。
「良い案だと思うが、浴衣のままで行くのか?」
自分の出した案に会心の笑みを浮かべていた穂波だったが、勇斗のその一言にそのままの笑顔で固まる。
「あうぅ〜、そうでした……それはちょっと恥ずかしいかも……」
どうやら第一の案が可決されたようだな?
「行こうか?」
勇斗はそう言いながら穂波の手を握る、その行動に穂波の頬は真っ赤に変化していた。
=花火大会=
「まいどぉ〜」
カランとベルが鳴ると同時に、このお店のオーナーがカウンター越しに笑顔を振りまくが、その笑顔が勇斗の姿と判断するや否や、その笑顔はその日最高の輝きを増していた。
「勇斗、いらっしゃい!」
他にお客もいるのに、そんな大声で人の名前を呼ばないで貰いたい、恥ずかしいじゃないか。
そのオーナー……千草の声に、店にいる客のすべての視線が勇斗に向かう。
「兄貴も休憩か?」
カウンターには見慣れた甚平姿の和也、その表情は明らかに招かざる客が来たといった感じで、勇斗をみる目はちょっと険しい。
「も……とは聞き捨てならんな……ここに俺が来なくてはいけない原因は貴様にあるのだが」
ただでさえ目つきの悪い勇斗の目が数十倍増量中みたいな顔をすると、気のせいか他の客の視線が勇斗から離れた。
「何のことだ?」
その目つきに慣れている和也はたやすくその険しい視線をスルーし、逆に睨み返してくる。
「何の事だと言う口はこの口か? そんな口はこうしてやる」
勇斗はそう言いながら和也の口を左右に引っ張る。
「ヒテテ、あふぃすふんはぁ〜(いてて、何するんだぁ〜)」
和也は必死にその手を振り解こうとするが、もがけばもがくだけ自分が痛い思いをする。
「まぁ先輩、そんなところで……他のお客さんもみていますよ?」
周囲にいる客は遠巻きにというか、目を合わせないように勇斗と和也の様子を伺っている。
「そうよ、そんな事をしてこのお店の印象悪くなったらどうするの?」
カウンターから千草は身を乗り出す。
「プハァ〜、何か俺悪い事をしたか?」
やっと勇斗の呪縛から開放され、引っ張られていた口の端を両手でさすり、和也は涙を浮かべながら勇斗の顔を睨みつける……が、睨み返されシュンとするが……。
「食い物の恨みは怖いと言う事を覚えておいたほうが今後社会に出て役に立つと思うぞ」
ギロリと言う効果音が聞こえそうな目つきで睨まれた和也は、ややあって苦笑いを浮かべる。
「なんだ、まだだったのか?」
さらにギロリ……。
「アッ……いやぁ、もう誰もいないだろうと思ってさ……ほら僕たち食べ盛りだから……アハハ……ゴメン」
和也は睨みつける勇斗に対し素直に頭を下げる。
フム、わかればよろしい、夏穂ちゃんも引合に出さなかったところは評価してあげよう。
「なに、勇斗お腹空いたの? 早く言ってくれれば……ほらぁ、早く座って、何にする? 穂波ちゃんも食べていないんでしょ?」
千草はそう言いながら、慌てて勇斗と穂波を空いているカウンター席に座るように促す。
「わりぃな、うちの愚弟のせいで……」
勇斗は腰高の椅子に座りながらすごすごとしている和也のことを軽く睨む。
「いいのよ、ランチで良い? 今日は『ハンバーグピラフ』なんだけれど」
千草はそう言いながらも既に調理の準備に取り掛かっており、周囲を見渡すと、大き目のプレートにサラダと一緒にピラフが盛られ、その上にハンバーグがのっている物を食べている。
「千草さん、あたしもお手伝いしますよ……」
浴衣の袖をまくるようにして、穂波は席を立つが、千草はそれをやんわりと拒む。
「いいわよ、浴衣姿じゃ動きにくいでしょ? それに穂波ちゃんはお客さんなんだから」
ニコニコしながら千草は言うが、その手元ではせわしなくフライパンが振られていた。
「ハイ、おまち! サービスでちょっと大盛にしたよ」
湯気をたたえながら二人の目の前に大き目のプレートが置かれる。確かに勇斗のプレートのピラフは穂波のそれより盛りが多く感じられるし、その代わり穂波のプレートはサラダがちょっと多く盛られている。
「有難うございます」
穂波は嬉しそうな顔をしてそれを眺めている。
「ヘヘ、穂波ちゃんはサラダの大盛にプチトマトを一個サービス」
うん、美味そうだ、元々千草の料理の腕は一級品だし、聞く話によると和也のようなリピーターも結構いるらしい。それはやっぱりこの味と、千草目当ての奴との二通りであろう。
「美味しいなぁ〜、あたしも千草さんに料理教わりたいです」
隣でパクパクとスプーンを動かしながら、穂波は羨望の眼差しで千草のことを見つめている。
「そんなことないよ、穂波ちゃんの料理だって美味しかったよ?」
コポコポとコーヒーを注ぎながら千草は照れたように言う。
「いや、千草また腕を上げたんじゃないか? 間違いなく美味くなっているよ、特にこのピラフの味付けの妙と言うのか、ちょうど良い感じに仕上がっている、今まで食べたピラフの中では間違いなく一等賞だ」
勇斗も贔屓目なしに最高な賛辞を送る。
「勇斗までぇ……コーヒーサービスするよ」
耳まで真っ赤にしながら千草はうつむき、視線を二人から逸らすが、動揺しているのはその千草の手つきで十分すぎるほどわかる。
「ねぇ、今日花火大会なんだって?」
食後のコーヒーに口をつけたとき、千草は笑顔をこぼしながら勇斗の顔を覗き込む。その後の台詞がわかったのであろう、瞬時に穂波は身構える。
「そうだよ、今日からはじまった『函館港まつり』のオープニングを飾る物で、毎年一万発の花火が打ち上がるらしい。俺は久しぶりになるな?」
確か最後に見たのは高校三年の時、しかも、インターハイ出場のため練習帰りの道で見た記憶がある。
「へぇ……ねぇ勇斗は……」
「先輩はお店があるからダメです!」
既に臨戦態勢に入っていた穂波が勇斗の隣から千草の台詞をさえぎる。
「……穂波ちゃん、あなたもやるようになったわねぇ……さすが好敵手」
穂波と千草の視線が勇斗の目の前で交わる。その交わった視線からは火花が散っているようにも見え、それに対し勇斗は苦笑いを浮かべるしかなかった。
カラン……。
店の扉が開いた瞬間千草のそれまでの挑発的な表情が消え、見事と言わんばかりの営業用スマイルを音のするほうに向ける。
「穂波さん!」
その扉の向こうに立っていたのは楠木守弘……マスターの息子だ。
ニコニコと微笑みながら、相変わらず勇斗のことは眼中に無いように微笑んでいる守弘に対し、勇斗はちょっと厳しい視線を向ける。
「守弘君? どうしたの?」
穂波は素直に驚いた表情を浮かべ、まん丸な目をして守弘の事を見る。
「エヘヘ、ホームページ見て、お店に行ったらここに来ているってオジサンが言っていた」
……親父だな。
勇斗は、グッタリとうなだれるが、そんなことおかまいなしに守弘は話を進める。
「ネネ、穂波さん! 今日の花火大会一緒に行きませんか?」
言っている意味を理解しているのか、こいつ……。
勇斗の奥歯がきしむ。
「へぇ、いいじゃない、こんな可愛らしい男の子と一緒に花火が見られるなんて、羨ましいわぁ〜」
カウンターの中から千草が意地の悪い顔をして穂波の事を見る。
「な、なに言っているんですか」
穂波はそんな千草の意見を否定するように大きく手を振る。
「いいじゃない、仕方がないから勇斗はあたしが面倒見てあげるから……」
仕方がないからって……俺は刺身のツマか?
「よくありません! 守弘君、悪いけれどあたしも、先輩もお仕事なの、だから花火にはいけないのよ……それに守弘君ぐらいなら同級生に可愛い女の子だっているじゃない、その娘を誘ってあげたらどうかな?」
穂波は幼子に言い聞かせるようにそういうが、守弘のニコニコ攻撃は留まる事を知らない。
「そんな事ないよ、僕は誰かと違って穂波さん一途だから」
その守弘の視線はしっかりと勇斗を捕らえていた。
このクソガキ……どこからか俺たちのことを聞きやがったな……。
それまでのニコニコ顔が明らかに勇斗に向いた時は、ニヤリと変化していた、まるで挑戦状を叩きつけるかのように。
「あら、だったら同じね? あたしだって一途よ」
穂波の視線も勇斗に向く。その顔は自信たっぷりな表情で、笑みさえ浮んでいる。
「ほ、穂波?」
「……言ってくれるわねぇ」
「……クス、諦めないもんね」
勇斗は顔を真っ赤にしてうつむき、千草はふふんと鼻を鳴らし、そうして守弘は不敵な笑みを浮かべる。
な、何を急に言うのかと思えば……ちょっと照れるぜぇ。
「まぁ、今日はお仕事優先じゃあ仕方がないですよね? 今度お休みの日にでもお付合いください、穂波さん」
やけにあっさりと納得した守弘にちょっと拍子抜けしたような表情を浮かべる勇斗、そんな勇斗の横には穂波がいつの間にか寄り添っていた。
「……あのぉ、俺は花火、行けますけれど、千草さん……?」
……相変わらず場の空気が読めない奴だなぁ……。
コソコソと和也は千草に声をかけている。
「なに言っているんだ和也、花火の日なんていうのは掻き入れ時だ、お前も仕事だよ!」
ちょっと力強く勇斗は和也の頭をグーで叩くと、今にも泣き出しそうな表情で和也は勇斗の顔を見上げる。
俺だってデートぐらいしたいんだよ、一蓮托生、みんなで幸せになろうよ……。
勇斗の心の中にちょっとダークな部分が生まれる。
「そうね、お隣さんがお仕事だったら、うちも休むわけにはいかないから、和也君の申し込みは今回お断りさせていただくわ、今度誘ってね?」
千草のその一言に、今まで泣き出しそうだった和也の表情が一気に明るくなる。
「ハイ! いつでもお誘いします!」
はは……現金な奴……。
ため息をつく勇斗の隣で穂波は楽しそうに微笑んでいる。
「先輩、うかうかしていると千草さんを和也さんに取られてしまいますね?」
「意地の悪い事言わないでくれよぉ」
「アハハ……」
二人のそんなやり取りを千草はぶ然とした表情で見つめていた。
「……一途なの……かぁ」
千草のそんな独り言は誰の耳にも届いていない。千草は再び深いため息をつき、そんな勇斗と穂波のやり取りを見つめていた。
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