雪の石畳の路……

Summer Edition

第九話 勇斗の想い



=新しい……=

「一体なんだっていうんだよ」

 早朝いきなり電話がかかってきたかと思えば、理由も言わずにいきなり来いとは、豪気な奴だ、実の親でなければきっと蹴りの一つぐらいくれてやるのだが。

 大きなあくびをしながら、勇斗は鉄平の顔を睨みつける。

「うむ、実は……」

 勇斗の睨みつけに物怖じせず、いつになく真剣な表情の鉄平は、勇斗に対し言葉を濁すように言う。

「準備できました」

 準備?

 勇斗がその声に顔を向けると、そこには普段と少し違う、少し緊張したような表情を浮かべた穂乃美の顔があった。

「うむ……勇斗、悪いが車の運転を頼む」

 いつになく、祝勝な事を言う鉄平に対し、勇斗は首を傾げるが、それを茶化してはいけないというような雰囲気が二人の間から発せられている。

「あ、あぁ……わかったよ」

 勇斗はそう言いながら運転席に乗り込み、セカンドシートに乗り込む二人の様子をバックミラーで見つめると気のせいなのか、いつも以上に穂乃美の体を気遣う鉄平に、それに頼る穂乃美の姿は、やはりいつもの様子と違う。



「この道は……もしかして親父?」

 勇斗は、鉄平の指示通り車を走らせていると、途中からその道がどこに行く道なのかが解りはじめる。

 通いなれた道といっても過言ではないこの道、いつもなら俺と親父だけで行くのに、今日に限ってなぜ穂乃美さんも?

「……うむ」

 バックミラーで二人の姿を見ると、どこと無くしおらしい雰囲気の穂乃美さんに、それを頼もしく支える親父の姿……しかし、なんで今?

 車は、新しいタワーの全貌が明らかになってきた五稜郭タワーを右に見ながら、住宅街に入り込む道を進み、『ハセガワストア中道店』の前を通り過ぎ、産業道路を横切ると、鉄平の指示無くその目的地にたどり着く。

「さて……」

「……」

 セカンドシートから降りたつ鉄平の顔はどこか緊張したような表情を浮かべ、続いて降りてきた穂乃美の顔も緊張に引きつっていた。

「親父、なんで今頃……」

 駐車場には、勇斗たちの車の他にも多く止まっており、その車から降りてくる人々は皆お花を持っており、それこそ老若男女入り乱れているようなその場所は、函館市内にある霊園『東山墓苑』で、有川家のお墓のある場所。

 そうか……お盆だったよな?

「……あの……あたし」

 まるで助けを請うように穂乃美は鉄平の顔を見上げるが、鉄平は、微笑を浮かべながら穂乃美を見つめている。

 オッ、なんだか良い雰囲気だなぁ……。

 勇斗はその二人を見ながら、なんとなく胸が温まるような気がし、いつも険しい目が優しくなっている事を自覚する。

「あまり緊張するな、体に毒だぞ」

 鉄平はそう言いながら、穂乃美の手を引く、その姿が絵になっているのは、やはり『夫婦』という絆なのだろうか。

「はい……あなた」

 嬉しそうな微笑を見せる穂乃美の表情に対し、勇斗は少しドキッとし、一瞬、穂波の顔と重なる。

 やっぱり母娘なんだな? 何気ない仕草が似ているのかもしれない。



「……美寿子……」

 有川家の墓前に、神妙な面持ちの鉄平は線香を灯しながら呟く。

 親父の口からは、懐かしい響きが聞こえる。

「……こんな男からそう呼ばれるのは嫌かも知れないがな……」

 親父の口からお袋の名前が呼ばれたのはいつ以来だろう? お袋の葬式の時以来かもしれないな……とても懐かしく感じるよ。

 勇斗も、なんとなくシンミリとし、その墓前を見つめる。

「実はな、今日は報告にやってきた……実は、子供が出来た……俺の子だ……」

 墓前に向かい鉄平の口から発せられたその台詞に、勇斗は唖然とする。

 子供? もしかして、穂乃美さん?

 ふり向く勇斗の表情はかなり動揺しているであろう、穂乃美は少し驚いたような顔をするが、すぐに頬を染め、優しい微笑を浮かべながらコクリと頷く。

 そうなんだ……穂乃美さんに赤ちゃんがねぇ。

「まぁ、俺から見れば孫みたいなものだが、穂乃美との間に初めて出来た子だ、美寿子お前も認めてくれるよな?」

 鉄平はそう言いながら手を合わせながら墓石を見上げる。

 お袋に報告に来たのか……結構まめなところがあるじゃないか。

 気がつくと鉄平の隣では、一生懸命に手を合わせる穂乃美の姿が見える。

「それに勇斗、お前も認めてくれるよな?」

 鉄平は勇斗に顔を向け、珍しくまじめな表情を浮かべており、その隣では穂乃美が心配そうな顔をして勇斗の顔を見つめていた。

 既に『赤ちゃんはコウノトリが運んでくる』と言う年代を過ぎ、どうすればそうなることは良く知っている。穂乃美さんがそうなったと言う事は、やはりそうなんだろうな?

「……まったく、親父も元気だよな?」

 ため息をつき、呆れ顔でそういう勇斗に対し、鉄平は苦笑いを浮かべ、穂乃美は真っ赤な顔をしてうつむく。

「ハハハ、まだまだ現役だぞ?」

 何が現役なんだか……まぁ、認めないつもりもないし、むしろ喜ばしい事であるのは間違いがないことだ、きっと夏穂ちゃんも喜ぶであろう。

「穂那美さん、これからは身体を大事にしないといけないですよね? 雑務なんかみんな親父に任せて、穂乃美さんは悠々自適に過ごしていたら?」

 意地の悪い顔で勇斗は鉄平を一瞥すると、穂乃美の瞳から涙が溢れる。

「勇斗さん、じゃあ……」

 なんだか勘違いしていたのかな? 俺ってそんなに憎まれるキャラクターなのかなぁ……。

「勇斗……有難う」

 鉄平も素直に嬉しそうな表情を浮かべながら勇斗の顔を見る。

「反対なんかする訳ねぇべ? むしろ喜ばしい事だよ」

 勇斗は穏やかな表情で、二人を見つめるとコホンと咳払いをし、墓石を見上げる。

「お袋だってそう思うだろ? なんだかやっと二人の血がつながったと言うのかな……一生懸命に親父を支えている穂乃美さんの事はよく知っているし、何よりも支えていると思うよ、だから、そんな親父との間に子供が出来たという事は嬉しい事だよ、名実共に飯島家と有川家の血がつながったんだ、これでもう否定される事はない」

 勇斗はそっと墓前に線香を供え、手を合わせる。

 そうだ……今までは、なんとなく二つの家族が一緒になったような、そんな感覚があったのだが、これからは違う……新しい命が、二つの家庭をつなげてくれる……でも……。

 勇斗の表情が曇る。

「勇斗さん、ありがとうございます……」

 穂乃美はそんな勇斗の表情に気がつかないかのように、泣き笑いの表情を浮かべ、勇斗の肩を抱きしめるようにそっと寄り添ってくる。



「いつ分かったんだ?」

 墓苑通りと呼ばれる市道を勇斗の運転する車は再び五稜郭方面に向かって走る、その運転は、行きよりも慎重で、振動を車の内部に伝えないように努力しているように感じるほどだ。

「うむ、先週だったかな?」

 鉄平の雰囲気は、今までと同じに戻り、さっきまでの厳かなと言うか、まじめな雰囲気がまるでウソのようだった。

「せ、先週って、そんな身体の穂乃美さんに店を手伝わせていたのか?」

 危うく車をドリフトさせそうになっちまったぜ……。

「うむ、穂乃美さんは仕事好きだからなぁ」

 仕事好きとかそういう問題ではないのではないか? さっき一瞬でもいい親父と思った自分を否定させてもらうぜぇ。

「ウフ、あのお店はあたし大好きですよ? みんな一生懸命にやっているのがよくわかります、穂波もお店に行くようになってだいぶ変わりました」

 セカンドシートからおっとりした口調で穂乃美は運転席に座る勇斗に声をかけてくる。

「穂波が変わった? 昔と変わらないなと思ったけれど……」

 少なくとも俺の記憶の中での穂波は、今も昔も変わっていないと思うが。少しおっとりした様子は、穂乃美さんに会ってよくわかったし、裏からしっかりとサポートしてくれるのも、あの頃と変わっていないと思う……最近ちょっと怒りっぽくなったけれど。

 勇斗は昨夜の穂波の様子を思い出し、表情を曇らせる。

「いいえ、変わりましたよ? 正確には、高校の頃に戻ったと言うのでしょうかね?」

 高校の頃の穂波に戻った?

 勇斗がバックミラーを覗くと、穂乃美と視線が合い、その顔は意地悪い表情で微笑む。

「まぁ、何があったのかはわかっていましたけれど、いつまでもそれが続くので、少し心配しました……それに……」

 穂乃美は言葉を区切ると、鉄平の顔を見る。

「唯一、彼女が悲しい表情を素直に見せたのは、俺が穂乃美さんと結婚すると挨拶に行ったときだな……」

 鉄平は穂乃美の肩をポンと叩きながら視線を勇斗に向ける。

「ハイ、あの時の穂波の顔は、今でも忘れません……そんなにショックを受けるなんて思っていなかったから」

 穂乃美の顔には沈痛な表情が浮び、その当時を振り返っているようだ。

「あんな彼女の顔を見たら、結婚なんてできないんじゃないかなと真剣に悩んだよ、でも、彼女の優しさなのかな? 最後には笑顔で祝福してくれた」

 鉄平はバックミラーに写る勇斗の顔を、まるで睨みつけるような顔で見つめている。

「……そうだったんだ」

 勇斗は思わずそんな鉄平の視線から逃れるように前を向くが、その視線は、まるで矢のように勇斗の背中に突き刺さっているような感じがする。

「何でかわかるな? もう、穂波ちゃんのあんな悲しそうな顔を俺は見たくない、それに、その横で苦痛な表情を浮かべる穂乃美さんの顔もな」



=穂波の想いと穂波への想い=

「お大事に」

 函館市電『杉並町』の電停から少し湯の川に向かった所にある、とある産婦人科には当たり前の事だが、妊婦さんが大勢いて、同行している勇斗は意味もなく顔を赤らめうつむく。

 まるで今にも赤ちゃんが生まれそうな人ばかりだな……あの人なんて、今にもはちきれちゃいそうなほどお腹が大きいし、そのせいなのか、みんな顔が小さく見えるよなぁ……それに、みんな幸せそうな笑顔だ。

 恐らく自分の生まれた時以外でははじめてきたことになるであろう産婦人科では、他の病院とは違い、楽しそうな声が、あちらこちらから聞こえてくる。

 まぁ、病気な訳ではないから、みんな元気なのは当然か。

「有川さん、診察室にお入りください、旦那さんも一緒にどうぞ」

 まだ若い女性看護師は、勇斗の顔を微笑みながら見る。

 ちょっと待ってください……もしかして勘違いなさってはいませんか? 穂乃美さんもそんな所で笑っていないで、何とか言ってくださいよぉ。

 勇斗は、目の前でおなかを抱えて笑っている穂乃美を軽く睨み、続いて、鋭い視線が向けられているほうをゆっくりと見る。

 親父ぃ……俺が悪い訳じゃないだろ? なんだってそんな般若のような顔をして俺を睨むんだ? 目付き悪ぃよなぁ……人の事言えないけれど。

「ハイ、一緒に行かせてもらいます!」

 まるでこれ見よがしのように手を上げながら鉄平が立ち上がり、穂乃美に寄り添う。

「ハイ、良く出来ました、行っていらっしゃい」

 勇斗は、まるで幼子をあやすように鉄平に良い、周囲の視線を避けるように身を縮める。

 恥ずかしすぎる……穂乃美さんがいなかったら、けりのひとつでも食らわせてやるところだ。

 勇斗の顔と、鉄平の顔を見比べながら、その若い女性看護師は申し訳なさそうに頭を下げる。

 まぁ、仕方が無いでしょう? こんな厳つい顔をした男が、こんな若くて綺麗な穂乃美さんの旦那なんて、百人いれば、おそらく九十人は認めないであろう。しかし、その対象が俺というのもちょっと驚きだがな?

 診察室に入る二人の後姿を見つめながら、勇斗は苦笑いを浮かべ、ニコチンが切れていたことを思い出す。

「さて、タバコでも吸ってくるべかな」

 禁煙場所の宝庫である病院から離れ、駐車場に止めた車に戻り、胸ポケットにしまってあるタバコに火をつける。

「穂波……」

勇斗は目の前でゆれる紫煙を眺め、昨夜の出来事を反芻するかのようにじっくりと考える。

 何で昨日穂波は、あんなに恨むような顔で俺のことを見つめていたんだ? それよりも、あんな怖い表情をした穂波の顔……はじめて見た。

 勇斗は、昨夜見た穂波の表情を思い出し、心臓を無遠慮にぎゅっと握り締められるような感覚にとらわれ、たまらなくため息をつく。

「……千草……なのかなぁ」

 呟きながら、車の中は紫煙に曇ってゆく。

 きっと穂波が怒っているのは千草の事なのであろう、しかし、今まで、そんな感情を素直に表す娘ではなかったはず……。

 その考えに行き着いたところで、勇斗は目を見開く。

 ちょっと待て、もしかしたら、俺は穂波の好意にどっぷりと浸かっていたんじゃないのか? 少しやきもちを妬く程度にしか考えていなかったのかもしれない、しかし、さっきの穂乃美さんの話では、本当に一途に俺の事を思ってくれている事が何となく分かった……それに比べると俺のいい加減な態度は……。

 あいつの気持ち……俺の気持ち。

 車のキーを挿し、エンジンが掛かるのももどかしいように、ギアをドライブに一気に投入し、アクセルと踏み込む。

 俺の気持ちは一体なんだったんだ? あいつにふられたと思って、千草の気持ちにあぐらを掻いて……結局は、俺が一番だらしがねぇんじゃないか!

 勇斗の運転する車はタイヤを軋ませながら、いつパトカーに止められてもおかしくない運転を繰り広げ、数時間振りにお店に着く。

「兄貴!」

「勇斗さん!」

「勇斗!」

 店先響きわたったブレーキ音に対し、和也と一葉、そうしてなぜかいる直子の三人が慌てた様子で勇斗の顔を見る。その様子にいつもと違う雰囲気を感じ取り、勇斗はその中心で力なくひざまずいている穂波の姿を見つけた。

「穂波?」

 勇斗はグッタリとしたその穂波に駆け寄り顔を見下ろすと、その顔は真っ赤を通り越し、赤紫色といってもいいほどで、身体のどこかに変調があることは容易に想像がつく。

「……先輩?」

 意識朦朧としたような顔で勇斗の顔を見上げる穂波は、ホッとしたような表情を浮かべ力なくそう言いながら目を閉じる。

「穂波ぃ!」

 勇斗は慌ててその身体を抱き上げ、車に向かう。

「あたし知っている病院があるから、あそこならすぐに見てくれるはず!」

 直子がそう言いながら勇斗の後に続き歩き出す。

「頼む、和也と一葉さんはそのままお店にいてくれ、病院についたら連絡を入れる、和也、携帯は身につけておいてくれ!」

 勇斗のその指示に、和也は真剣な顔をして頷く。

「直子、ナビを頼む」

 直子もそんな勇斗の様子に真剣に頷き、穂波の身体を支えるようにセカンドシートに腰を下ろす。

 一体何があったんだと言うんだ! 穂波……。

 急発進する車を店先では和也たちが心配そうな表情で見送っていた。

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