第一話 はじまりは……。


=ぷろろーぐ=

「雪が降っている……」

外を見つめながら、寝癖のついた頭を掻き毟り、やる気の無いようにあくびなどをしているのはこの物語の主人公である端野呼人だが……本当にやる気があるのか無いのか、ぼぉ〜っとしたまま窓の外に降り続けるその雪を見つめている。

「――雪が積もっている……」

 ――本当にやる気があるのか? 既に三十分近い時間をこの男は外を見ているだけに費やしており、一分一秒を争うサラリーマン氏からかなりヒンシュクを買いそうだが、しかしこの男はそれ以降もまったく動く気配をまったく見せないで、ボォーっと窓の外の雪を眺めており、その背後に影が近づいている事に気が付いていなかったのが、彼にとっての過ちだった。

 ぱしぃ〜ん!

小気味良い音が部屋の中に響き渡り、その音に合わせるように、呼人は頭を抱えながらその場にしゃがみ込む。

「何をお前はこんな所でピー老人みたいな事をしているんだ!」

 列火のようにまくし立てられ、呼人は頭を抱えながらその声の主を見上げると、そこには真新しい制服を身にまとった女の子が腰に手をやり呼人の事を見下ろしている。

「イテェ〜なぁ〜、いきなり叩く事ないだろ?」

 呼人は恨めしそうな顔をしながらそんな般若のような顔をして睨みつけている姉である端野奈穂を見上げる。

「あんたがいつまでたっても降りてこないからこうやってやさしく起こしに来たんだろう、少しはありがたく思えよ?」

 どこが優しいんだ? と突っ込みを入れようとするが、無意識にそれを言うことによって再び自分が痛い思いをするだけだという気持ちに抑制される。

「わかったよ……でも雪が降っているんだぜ? しかもこんなにいっぱい絶対におかしいよ」

 呼人は窓の外で深々と降り続け全てを隠してしまうように積もっていく雪を呆れたように見つめるが、奈穂はため息を吐きながら、部屋を出てゆく。

「当たり前だろ? ここは北海道なんだ、そして今は十二月! 雪が降らないわけがないじゃないか、そんな当たり前の事にヘキヘキしていないで早く着替えて降りて来い!」

 バタンと勢いよく閉められるその扉の振動に、呼人が肩をすくめるのと同時にタンスの上においてあったウサギのヌイグルミが落ちる。

「そうだった……ここは北海道だったよな?」

 呼人は呟きながら外を眺め大きなため息をつく。



=雪の降る街=

「だから……」

 着替えを終えた呼人が、居間でトーストをくわえながら奈穂の事を見るが、奈穂は知らん顔をするようにテレビの天気予報を見つめている。

「なんで函館なんだよ……、いきなり『引っ越す』と言われて、気が付けば北の街に連れてこられて、俺にだって一応知る権利と言うのがあると思うんだけれど」

 呼人は一応抗議するが、いまだかつてその抗議が通ったためしはないので、本当に一応の抗議でしかない。

「――うるさい、黙って食べていろ……あたしだって知りたいぐらいなんだ」

 奈穂は黙々とサラダをついばみながら、コーヒーに手を伸ばす。

「だけどよ……なんだって俺たち姉弟二人だけでこの北の街に放り出されなくちゃいけないんだ? それは親としてどうかと思うが……」

 函館の街によく似合っているこの古い洋館の中に親と呼べる人物はいない、この家の中にいるのは唯一の肉親である姉貴の奈穂が目の前でしかめ面をしているだけだった。

「いまだにわからないのか? うちの親にそんな一般常識は通用しないと言う事が……通用するのであれば、あたしたちにこんな思いをさせるわけがないだろうよ」

 苛立ったように奈穂は吐き捨てるようにいい、その意見に対して呼人も同意するだけだった。

「確かに……でも、うちの親は一体何をしているんだろう……」

 呼人が呟くようにそう言うと、奈穂が伸ばしていたフォークの動きを止める、それは二人の間でタブーにされている事……聞いてはいけない暗黙の事柄だったことを思い出し、呼人の言葉がそこでついえる。

「……行くぞ、転校早々こっちの人間に馬鹿にされないようにしろよ」

 奈穂は呼人が言ったタブーについてそれを戒めるような事はせず、ただ視線を合わせないように呼人に命令口調で学校に行く事を告げる。

「あっ……あぁ、わかった……」

 呼人はそう言いながら席を立ち近くに置いてあったコートに腕を通しながら、その雪の降り頻っている街に足を踏み出す。



「寒い……」

「当たり前だろう、雪が降っているんだからな?」

 信号が変わるのを待ちながらブルッと震える呼人の隣では、同じコートを着ているものの、ひざよりかなり高い位置に裾のあるミニスカートに生足の奈穂の姿があった。

「と言うかさぁ、奈穂は寒くないの?」

 呼人はそう言いながらも、ピンク色に染まっている奈穂の太ももを見る。

「寒いよ、冬だからな……」

 奈穂が口を開くとその息は白く濁り、その周囲を曇らせる。

「だったらなんでそんな格好をしているんだよ……見ているこっちの方が寒くなってくるよ」

 抗議の声を奈穂に向けるが、奈穂のその視線は変わろうとしているその信号の瞬きを見つめているままで、呼吸に合わせるように周囲を白く濁しているだけだった。

「だったら見なければいいだろう……」

 確かにそうかもしれないけれども……。

 呼人がため息を付くと同時に目の前にあった信号は進めを示す青信号が点灯し、奈穂のその足はゆっくりと歩き出す。

「だけど、それなりの格好をすればいいだろ? ストッキングを履くとか、スパッツを履くとかすれば、何もわざわざそんな寒い格好をすることは無いと思うけれど?」

 周囲にいる同じ制服を着た女子はそれなりの格好をしており、奈穂のように生足の人間は珍しいのか、呼人と同じ制服の男子はその足を遠慮なく見つめている。

「……意地だ……」

 奈穂はそう言いながらもスタスタと学校のある方角に向けて毅然と歩いてゆく。



「端野呼人君、東京から来た……まぁ、二年になるまでの短い間かもしれないがクラスメイトとしてみんな仲良くやってくれ」

 頬骨がやたらと張っている先生は、細いメガネをクイッと人差し指で直しながら教室中を見るが、もうその事などどうでも良い生徒たちは東京からの来人に対して拍手喝采であった。

「東京からかぁい、はるばるよく来たねぇ〜」

 まるで誰かの曲のような事を言うお調子者の男子。

「ねね、やっぱり東京って有名人が多いの?」

 東京と言う一言に過敏なほどの反応を示す女子。

「ほら、静かにしなさいよ」

 そうしてその声をまとめるように声を荒げるのは恐らくクラス委員長であろうが、よくある理知的な委員長というよりも、その顔はちょっと愛嬌があってメガネがよく似合う顔をしている、しかしその顔はやはり好奇心を抑えることが出来ないでいるようだ。

「コホン! それでは端野君の席は……」

 呼人はクラス中を見渡すと、窓際の一番後ろの方に二箇所開いている席を見つける。

「エッと……汐見若菜くんの隣に」

 担任はそう言いながらさっきクラスを取りまとめていたクラス委員長らしき女子生徒の席の隣を指差す。

「はじめまして、汐見若菜(しおみわかな)です」

 メガネの奥にある表情は優しく呼人の事を見ているが、やはり好奇心が先行しているのであろう、ウズウズと言った顔をしている。

「はい、はじめまして端野呼人です」

 呼人はそう言いながら、窓の外に見える雪にため息をつきながら呆然と見つめる。



「端野君は東京のどこから来たの?」

「――お台場」

「お台場って、東京の観光スポットでしょ? 良いなぁ、お洒落な街なんでしょ?」

「そうでもないと思うけれど?」

「芸能人とかやっぱりよく見るのか?」

 昼休み、学食に案内してくれると言うクラスメイトが呼人の周りを囲む。

「さぁ? 芸能人とか興味がないから俺よく知らないんだ……ゴメン……」

 呼人が口を開くたびに、周囲からクラスメイトが減ってゆき、最後には隣の席でクラス委員長である若菜と、おかっぱ頭の仁山芽依(にやまめい)、そうして男子クラス委員長と自己紹介する川畑直斗(かわばたなおと)が残っているだけになった。

「……エッと、みんなちょっと緊張しているだけだと思うから気にする事はないと思うよ?」

 若菜は呼人を励ますようにそう言うが、顔は明らかにちょっと引きつっている。

「気にしなくっていいよ……俺はこんな性格だから」

 自嘲気味に笑う呼人は、たぬきそばに箸を伸ばす。

「そんな事ない……と思います、きっと端野君は……寂しがりや……さん」

 真っ赤な顔をしている芽依は自分以外には聞こえないように小さな声で話すが、ものの見事に呼人のその言葉は伝わらずに無視されるような格好になる。

「いや、これは由々しき状態だ! 新しい仲間と打ち解ける事ができないと言う事は大問題だと思う、これは今日の帰りのホームルームで問題提議をしなければいけない!」

 熱く語る直斗は拳を振り上げる。

 ここにいるメンバーというのは、恐らくこのクラスの中でもちょっと特異な分類になるのであろう……と言う事はもしかして俺もその特異な分類に配属された事になるのか?

 たぬきそばをすすりながら呼人は苦笑いを浮かべる。

「呼人!」

 長い髪の毛を翻しながら呼人の目の前に立ち尽くすのは短めのスカートに生足の女生徒。

「ん? 奈穂かぁ……どうしたんだ?」

 割り箸を口に咥えながら呼人が奈穂の顔を見上げると、奈穂はそんな様子にあきれ果てたように額に人差し指を当てながら低く唸るような声を上げる。

「……あんたは一体何をやっているの?」

 視線を上げることなく呼人に話しかける奈穂のこめかみはヒクヒクと引きつかせながら怒りを抑えるように言うが、当の呼人はそんな事気にもしないように首をかしげる。

「何って、たぬきそばを食べているんだけれど? わからない?」

 そんなことは見てわかるだろ? 大好きなたぬきそばが格安なお値段で食べられるのであればそれを真っ先にチョイスするだろうに……。

 幸せそうな顔をしている呼人に対してこめかみの脈動を押さえるだけで精一杯の奈穂は、そんな呼人の顔を睨み下げるしか出来ないでいた。

「なぁ、この人は?」

 ちょうど呼人の対面に座っていた直斗は奈穂の事を見て、なにやら興奮気味に立ち上がり呼人の腕を取る。

「ん? これかぁ、これは俺の姉貴だ……奈穂」

 これ呼ばわりされた奈穂はこめかみだけでなく、必死に作り笑いを浮かべている頬の筋肉を崩壊させるには十分な破壊力を持っていた。

「呼人ぉ……ちょっと……ゴメンね? みんな」

 引きつる頬の筋肉をほぐすように人差し指を頬骨に当てるが、その程度でほぐれるわけもなく呼人をその場から引きずり出すように腕を取る奈穂の顔は決壊寸前になっていた。



「端野くんまたね?」

 教室を出る呼人に若菜が気さくに声をかけ、掃除当番なのであろう直斗もほうきを持ちながら手を振ってくる。

「ウン、また明日」

 呼人は少し照れくさくなりながらその笑顔に対して手を上げて応える。

「あのぉ、端野くん……」

 昇降口で上履きを履きかえる呼人の背中に声がかけられる。

「ん? あぁ、仁山さんか……いま帰りかい?」

 呼人が振り向くと、そこにはモジモジしたおかっぱ頭の芽依が立っており、何かを言いたそうに、その場に立ちすくんでいる。

「はい、日直が終わりましたので、これから帰ろうかと思っています……」

 よくこの芽依の声を聞き取る事ができると思うような声がフェードアウトしてゆくと、呼人は何の気なしにその声に対して微笑む。

「ふーん……そうなんだ」

 呼人は上履きを履き替え、昇降口を後にするがそこを出た所で芽衣がついてきていないことに気がつき振り返る。

「どうしたんだ? 帰らないのか?」

 そんな一言に芽衣は、顔から湯気を出すような勢いで真っ赤な顔をするが呼人はそんな事に気がつかないでいた。

「あっ、はい……」

 芽衣は慌てたように靴を履き替え呼人の後を追う。



「この時期にいきなり引越しなんて大変だったでしょ?」

 同じ制服を着た集団がいくつかのグループに分かれて、いたるところで黄色い声を上げたりしているが、明らかにこの二人はそんな雰囲気とは違い、よそよそしくもなにやら特別な雰囲気が漂っている。

「まぁ、親の都合って言うやつだから仕方がないよ……俺はまだ扶養されている立場なんだし、今に始まったことじゃないからね?」

 たまに海から強い風が吹きつけてきては、その度に芽衣はそのスカートを押さえる。まるでその風がいつ吹いてくるかわかっているような動きだ。

「ご両親は何をしているの?」

 やっと緊張が解けてきたのか、芽衣の口が徐々にだが滑らかになっていく。

「うん、両親は何の仕事をやっているかよく知らないんだ、国家公務員らしいということだけは知っているけれどそれ以上のことは聞いたことないよ、まあ家にいることが滅多にないせいもあるけれど、今では既に慣れているといえばそうかもしれないな」

 呼人はそう言いながら諦めたような笑顔を芽衣に向けると、その芽衣は頬をまるで浜茹でされた毛ガニのように赤くしてうつむく。

「そ、それじゃあ端野くんは……その……お姉さんと二人きりで住んでいるの?」

 芽衣はうつむいたままで呼人に声をかけたため、その言葉がはっきりと聞き取ることができなかったが、どうにかその言葉を理解することができた時、今朝、人の頭を力いっぱい引っ叩き、目の前にいる芽衣と同じ制服を着て背中まである髪の毛をかき上げながら人を睨んでいたその顔が浮かび上がり、思わず苦笑いが浮かんでしまう。

「そうだけど?」

「そっか……お姉さんと二人なんだぁ……じゃあ大変なんじゃないの? 洗濯とか、料理だとか家庭生活全般的に……」

 同情するような顔をして芽衣が呼人の事を見上げてくるが、呼人は笑顔を浮かべて答える。

「当番制でやっているから何とかなっているよ……まぁ、奈穂は料理がまったくダメだから、俺が料理をして、奈穂が洗濯とかしているのが常になっているけれどね?」

 その一言に芽衣は何かを考え込むようにうつむくが、それに対する呼人の視線は違う場所を見ていた。

 あの後姿は、間違いないよな?

 呼人の数メートル先には見慣れた長い髪が海から吹き上がる風にたなびいており、そんな呼人の視線に気がついたのか、振り向くと、その身体からその髪の毛が半回転遅れて後ろに流れてゆき、代わりに切れ長な二重まぶたの目が二人の事を見据える。

「呼人?」

 奈穂は珍しく驚いたような顔をして二人を見つめると、やがてその顔には心なしか不機嫌そうなものに変わる。

「お姉さん?」

 うつむいていた顔を上げると、芽衣は呼人の視線をたどるように奈穂の事を見て、一瞬躊躇しながらも勇気を振り絞るように、その赤らんだ顔をその相手である奈穂に向けて会釈するが、会釈された奈穂はさらに不機嫌そうな顔をしながら今度は二人に向かって歩き出す。

「あっ、そうですね? どうせならお姉さんと一緒に帰るのがいいかもしれませんね? じゃああたしはこの辺で……また明日」

 芽衣はそういいながらその場から離れようとするが、一足先に着いた奈穂によってその腕がつかまれる。

「呼人、あんた転校早々さっそく彼女を作ったのか?」

 さっき見せた不機嫌そうな顔は幻だったのかと疑うように、今度は冷やかすように意地の悪い顔をして奈穂は呼人の顔を覗き込んでくる。

 な、なんだ? さっきの表情とはまったく違うじゃないか?

 怪訝な表情を浮かべる呼人を無視するかのように奈穂の興味は芽衣に向いているみたいだったが、その芽衣にしても彼女という台詞に対して過敏に反応したのであろう、頭から湯気が見えそうな勢いで顔を赤らめている。

「そ、そんなんじゃないよ、たまたま帰りが一緒だったから……」

 呼人の言う事などまったく聞いていない奈穂は、まるで目の前におもちゃを突き出された子猫のような顔をして芽衣の反応を観察している。

「ほんとぉ〜……怪しいなぁ……気をつけたほうがいいよ? こんな顔をしていたってこいつは男なんだから、エッチな所に連れ込まれたりするかもしれないよ?」

 ――実の弟をそう卑下するような事を言うかなぁ、自慢じゃないけれど生まれてこの方彼女なんて作った記憶もないんですけれど……。

「エッ? エッ? エッ?」

 トホホといった顔をしている呼人の隣では、芽衣がその経緯に思考がついていかないように視線が呼人と奈穂の間を何回も往復している。

「そんなことするわけないだろ!」

 再び雪が舞い降りてきた街中に呼人の叫び声がこだまする。



「だから違うといっただろ?」

 まるで逃げるように帰って行った芽衣と別れた後、何回この台詞を奈穂に向かって言ったかわからなくなってきた頃、坂の途中に建っている良く言えば『モダンでレトロチックな洋風の家』、しかし住んでいる居住者からすれば『ただのオンボロな家』が見え始める。

「そうか? 彼女はまんざらでもないと言った様な顔をしていたが……それもあたしの気のせいだというのかな?」

 よくその顔を維持することができるな?

 さっきから意地の悪い表情を浮かべたままの奈穂は、それでも冷やかし足りないといった顔で呼人の顔を覗き見ている。

「たまには奈穂の勘も外れる事があるんだろう……」

 勘の良い奈穂にしては珍しく外したなと思いながらも、呼人の脳は本当に外したのかという疑問府も浮かび上がっている。

「本当にそう思っているのか?」

 気が付くと息がかかる程に奈穂の顔が呼人に近づいており、その意思に反して呼人の顔が赤く反応する。

「そ、それ以外に何があるって言うのだ? そもそも今日初めて出会ったばかりだよ? そんな感情に簡単になるとは思えないんだけれど」

 そう言いながらも呼人の頭の中に、かすかに一つだけ可能性を見つけるが、その可能性は脳内で即時に否決された。

 よく巷では『一目惚れ』という感情があるらしいが、この俺がその対象になるとは考え難いし、そもそもそのような感情自体がこの世に本当に存在するのというのも疑わしい。

生まれて十五年の間に仲良くなった異性というのは、最新の記憶でも幼稚園時代に隣に住んでいた小夜ちゃんぐらいしか引き当たらない呼人は、恋だの愛だのという感情自体何か欠落しているようである。

「……お前という男は……」

 呆れ果てたようにこめかみを押さえながらうなだれる奈穂の向こう側に、日本全国どこにでも走っている宅配便トラックが家の前に止まっている事に気が付く。

「……うちに来たのかな?」

 何気なく呟く呼人に対し、奈穂はうなだれていた顔を上げる。

「であろう……しかしうちに何を配達しに来たというのだ?」

 昔からなのだが、俺と奈穂の勘というのは人一倍良いようで、二人の意見が合致すという事は、ほぼ百パーセント確実といってもいいであろう。

「さぁ? 引越し荷物は全部着いているし、特に送られてくるものなんてない筈だよ? 後は季節柄お歳暮ぐらいだろうけれどそれも絶対にありえない」

 呼人は既にその荷物が我が家に届いたものと確信し、そのトラックに近づいてゆくと、運転席から降りてきたドライバーがその家の造りと呼人の雰囲気を察してペコリと頭を下げる.

「端野さんですか?」

 ドライバーは自信無さげに呼人の顔を見て声をかける。

「はい、サインでもいいですか?」

 呼人は既に荷物を受取る準備を整えており、制服の中に差してあったペンでサインする動作をすると、ドライバーはホッとしたような笑顔を浮かべる。

「構いませんが、かなり重い荷物なんで玄関先までお運びします」

 荷台から降ろされた荷物はかなり大きなもので、それが結構な重量ということはそのドライバーの動きでよくわかった。

 一体なんだろうか……差出人は……。

 ドライバーから受取った伝票を見て呼人は、大きく首をかしげる。

「どうしたんだ?」

 奈穂がその伝票を覗き込んでくるが、その取る動作は呼人のそれとまったく同じで、思わず姉弟なんだなと変な所で痛感する。

「えいち・え〜・える・し〜……なんだこれ?」

 その荷送り人を証明するように、そのダンボールにはアルファベットで『H・A・L・C』のロゴが大きく書かれている。

「あたしに聞くな! 聞いているのはこっちだ」

 憮然とした顔をしている奈穂は、呼人の顔を睨みつけて吐き捨てるように言うが、当の呼人からしても聞きたいというのは同じ気持ちであり、ついため息が漏れる。

 だからって、その怒りの矛先を俺に向けないでもらいたいんですけれど……。

 小雪舞い散る函館の街で、一人額に汗しながらその段ボール箱を必死に運んでいるドライバーに視線を向け呼人は奈穂に気が付かれないように小さくため息をつき、記事欄に視線を向け、その内容を把握しようとするが、さらにその首をかしげる。

「――家電製品?」

 呼人の声が思わず裏返り、その声に奈穂がさらに近づく。

「何だ? 家電製品って……」

 奈穂はこめかみを押さえながら呼人の顔を見上げ大きなため息をつく。

「――一体何を買ったんだ? 怒らないから素直に吐け!」

 ――既に怒っていないか? いや、おそらくこの状況を見ている人間はみんな絶対に怒っていると思うであろうけれど、俺は無実だ!

 思うより早く胸倉をつかまれた呼人は自由を完全に失っていた。



=隣人=

「さて……」

 玄関先に置かれた洗濯機が入るほどの大きな段ボール箱を見てため息をつく。

 家電製品といわれても、少なくとも国内メーカーではないのは確かだし、箱に印刷されているメーカーも見たことがない。そもそも一体何の家電なのかさえも分からない。

「呼人、他にも荷物が届いているようだ……」

 二度目のため息をついていると郵便受けを見に行った奈穂が運送会社の不在通知書を目の前に突きつけてくる。

「……それで、俺に取って来いと言うのかな?」

 一応疑問形ではあるが、間違いなく俺が取りに行くことにあるであろう……何よりも奈穂は隣人と仲良くするという事をあまり好まないからな?

 通知書と奈穂の顔を見比べると、そこには明らかに作り笑いを浮かべた顔があった。

「当たり前ではないか? 他に誰が行くのだと……」

 奈穂の言葉を遮るように呼人はその通知書を取り上げ、やれやれといった顔をしながらその文面を見る。

「――これまたHALCからのお届けものらしいな……」

 荷送り人の名前は、さっき見たその名前が書かれており、呼人の脳裏にさっき腰をトントンと叩きながら帰って行ったドライバーの姿が浮かび上がる。

「女の子にそんな重たいものを持たせるつもり?」

 シナを作りながら奈穂は呼人にフワッとシャンプーの香りと共に体を摺り寄せてくると、ちょっと女を感じさせるその仕草に呼人は無意識にドキッと反応する。

「わ、分かったよ、俺が行けばいいんだろ?」

 照れ隠しのように言うものの、動悸はなかなか収まる事がなく、わざとらしく奈穂のその身体から避けながらその預け先を確認する。

 俺だって一応健全な男なんだから、そんなことを平気でやられるとドキドキしちゃうじゃないか……まぁ、奈穂に対してそんな変な気になることはありえないことだと思うけれど……。

「えっと……シンカワさん?」

 その通知書には『お隣のシンカワ様に預かっていただいています』と書かれている。

 よく思うのだけれど、この通知書に書かれている『お隣さん』とか『お向かいの』という言葉はあまり親切と思えない。隣であればどっち隣なのかを書いておいてもらいたいものだ、そうでなくってもこの街ビギナーな俺なのだから……。

 呼人は頭の中で引越しの挨拶に行った家の名前を脳内でプレイバックして必死に検索し、三件目でその名前にたどり着いた。

「あの家か……」

 脳内に現れたのは、真ん丸い顔をして愛想がよく、面倒見の良さそうな三十代後半から四十代前半ぐらいの女性……世の中で言うところのその家の『奥さん』という存在であろうが、にこやかに微笑んでいる。

「奈穂ぉ、ちょっと行って来る」

 玄関先から、既に家の中に入り込んだ奈穂に声をかける。



「ごめんください」

 古臭い洋館の隣に立っているのは、これまた立派といえる大きな純和風の家で洋館と肩を並べているこの景色自体がどうやら函館らしいと言うものなのであろう。

「はぁ〜い」

 北海道を象徴する二重の玄関、その一枚目の扉を開いて呼び鈴を押すとややあってから、以前には聞いた事のない若い女性の声が返ってくる。

 丸顔の人ではないな?

 以前対応してくれた丸顔の女性の声ではなく、呼人はちょっと体を緊張させる。

 カギの開く気配なく、いきなり目の前の扉が勢いよく内側に向かって開き、次に姿を見せたのは、その丸顔女性とは正反対に細面の顔だった。

「エッと……」

 予想以外の人が出てきた事と、目の前で美しく揺れる黒髪により、呼人の頭は軽く混乱し、その混乱によって言葉がうまく発する事ができなくなる。

 ふぇ〜、ずいぶんと綺麗な人だなぁ……、恐らく今まで話した事のある女性の中では間違いなく一番綺麗な人だと思うよ。

 奈穂より長い黒髪は腰まであり、艶やかなそれは天使の輪ができるほどに綺麗で、その黒髪が映えるように肌は白く、その白さを強調するような唇はさくらんぼ色をしている。

「――端野君……だったわね?」

 眠たそうな顔をしながらその女性はそう言い、足元に置かれていたみかん箱ぐらいの大きさの段ボール箱に視線を向け、その仕草で呼人は自分が何をしに来たのかを思い出す。

「す、スミマセン、荷物を預かってもらっていたみたいで……」

 慌てた様子でそのダンボールを持ち上げる呼人に対してその女性の首はゆっくりと傾く。

「端野君だったわよね?」

 首を傾けたままその女性は呼人の事をジッと見つめる。その眠たそうな瞳は呼人が写り込むのではないかと思うほど透き通っており、呼人のその胸を高鳴らせるには十分な武器であった。

 ちょっと待て? 何でこの女性は俺の事を知っているんだ? 確かここの家に来て俺は自己紹介をした記憶がない。

 今度は呼人の首が傾く。

「――同じクラス……」

 その一言に呼人の首はさらに傾き、眉間には深いしわが刻み込まれる。

 同じクラス? ヘッ?

 呼人の頭の中にある記憶回路が焼き切れるのではないかと言うぐらいに一気に回りだし、目の前にいる美少女とクラスにいる女子生徒の顔を照らし合わせるが、それに合致した顔にヒットする事は無かった。

「エッと……シンカワ……さん……ですよね?」

 呼人は通知書に書かれていたその名前を思い出しながら言葉を選ぶ。

「はい、そぉですぅ、新川未里(しんかわみさと)です……」

 未里はゆっくりとした動作で呼人に頭を下げる。

 ヤベェ〜、全然記憶に無いよ、あのクラスにこんな可愛い女の子がいたっけか?

「はぁ、こちらこそよろしくお願いいたします……って?」

 おざなりに頭を下げる呼人が顔を上げると、まるで観察するようにジッと見つめている未里の顔が間近にあり、その近さに呼人は飛び跳ねるようにその場から一歩引く。

「ふ〜ん……」

 鼻をならしながら相変わらず眠たそうな瞳のままではあるが、未里のその視線はまるで呼人を品定めするかのように足のつま先から頭のてっぺんまでなめまわすように動く。

 何だ?

 無意識に顔を赤らめながら呼人はその絡みつくような視線から身体を逸らそうとするがその行動を起こそうとした瞬間に未里の小さな手が呼人の腕をしっかりと握り締める。

「まぁいいっかぁ〜、及第点……」

 未里はそう言いながら腕に力をこめると、予想をしていなかった呼人の体勢は呆気なく崩れ、未里の暖かな体温を自分のその身体で感じる事になる。

「エッ?」

 未里に抱き疲れたような格好になってしまった呼人は無意識にその身体を離そうとするが、その瞬間その唇にさくらんぼ色をした未里の唇がつけられる。

 エッ? エッ? エェ〜ッ!

 何が起きているのか、呼人の脳はフル回転するが理解するまでには至らず、その代わりに目の前では優しい顔をして目を瞑る美少女……未里の顔があった。

「よろしくね? お隣さん」

 おそらく数秒の出来事であったであろうその時間は、呼人の中ではまるで長い時間だったように錯覚させるが、その美少女は何もなかったように再び眠たそうな顔をして呼人を見つめていた。ちょっと頬を赤らめている以外はさっきとまったく同じ表情で……。

第二話へ