第二話 お届物は……。



=現実……=

「もしかして……ファーストキッス……になるのかな?」

 古臭い洋館の玄関先で呼人は力ないため息をつきながら、その佇まいを眺める。古臭くもどこか品があるように感じるのは、この街の至る所に同じような様式の建物があるせいなのかもしれない。

「そんなところで何をたたずんでいるのだ?」

 いきなり声をかけられ、呼人はその声の聞こえた方と逆のほうに五センチぐらい飛び退き、その主の事を確認する。

「……奈穂か……驚いたぜ」

 雪の積った垣根の向こう側には私服に着替えた奈穂が、柔軟性を失い竿に干された状況と同じ形を崩さないタオルを持って呼人の事を見ている。

「……あたしも驚いたよ、この家にはあたしとお前しかいないと言う事を忘れているその頭脳に対して……ずいぶんと遅かったではないか?」

 凍りついたタオルを忌々しそうに見ている奈穂は、機嫌悪そうな表情を浮かべる。

 遅かった? あぁ、既に時間の感覚など止まっていたよ。あの家に言ってどれぐらいの時間が経ったのか……未里とどんな話をしたのかなど、あの一瞬で全て忘れた。

「ん、ちょっと話し込んでいた」

 何となく本当の事を黙ってしまうのは、やはり後ろめたさみたいなものがあるからなのだろうか? しかし何はともあれは事故に近い形で、その行為は別にやましい事などないはずだし、ましては奈穂に対してもどうということはない筈なのだが……。

「――まぁいい、玄関先の荷物を早く何とかしろ、夕飯はあたしが作ってやるから、早くやっておけよ!」

 命令形に命令形……荷物の片付けを俺がやって、夕食は奈穂に作ってもらう……なんだか俺が悪いみたいではないか?

 奈穂は干された状態と同じままの格好に凍り付いているタオルを不機嫌そうに握り締めながら姿を消し、取り残されたような格好になった呼人は寒さを思い出したように身震いをして玄関から家の中に入り込む。



「さて……どうやって開ければいいものなのか……」

 中学時代の学校指定ジャージに着替え、カッターをカチカチと鳴らしながら玄関先に戻るとそこにはさっきから寸分もたがわずにそこに鎮座している段ボール箱は、百七十八センチある呼人のへその高さぐらいまである長方形をしており、厳重な梱包のそれは見ただけでも重たそうに見える。

「とりあえず……」

 その長方形の天辺にビニールテープで封がされているところがあり、呼人はそこにカッターの刃を差し込む。

 なんだかドキドキするなぁ……。

 呼人の気持ちは間違いなく高揚しているようで、その頬は何となく赤みを帯び、瞳は子供がプレゼントを貰った時のようにキラキラと輝いている。

「ん?」

 開いた箱の中からマニュアルなどが入っているであろう分厚いA四サイズぐらいの封筒の他に、色気のない茶封筒が入っており、その封筒には見覚えのある、ミミズが腸ねん転を起こして転げまわっているような文字が書かれていた。

 親父の字だ……俺と奈穂宛……。

 常人では恐らく判読する事ができないような文字を呼人は瞬時に解読し、自分宛と書かれている(らしい)それの封を開ける。

 一体今何処にいるのやら……。

 これまた会社用のように色気のない便箋には、表書きと同じように線が曲がりくねっているだけにしか見えないものが並んでいる。この先は読みやすいように解読しよう。

『呼人へ。お前も高校二年になることだし、そろそろ自分のやらなければいけない事を考えなくてはいけない年頃になってきたであろう。親としてお前の悩みを聞いてやることができないのは忍びないが、家庭円満のために我慢してくれ。

奈穂と二人きりで色々な不安はあると思うが、心配することは無い、父さん達はいつだってお前たちの事を見ているから安心しろ。

函館に引っ越し、家も大きくなったことだから、父さんと母さんから二人にプレゼントを贈らせてもらう事にした。恐らく二人が欲しいものだと思うので喜んでもらえると嬉しい、特に呼人が欲しがっているものだと思うから大切にしろよ? 父』

 呼人はその便箋を元の形にたたみながら大きなため息をつく。

 何が『心配するな』だ、俺が小学校の時から親父たちの顔を見たのはおそらく片手でも足りるぐらいしかなく、あまつさえ強引な形で函館に引越しをさせると言う愚行を『家庭円満』の四文字で片付けてしまうと言うのか?

 呼人は諦めにも似たため息をつきながらその箱の中を覗き込んでみると、そのマニュアルが取り除かれた空間からなにやら人の髪の毛のようなものがチラリと見え、思わず目を逸らす。

 き……気のせいだよな? こんな箱の中に……。

 ありえる訳無いと思いながらも現実が目の前にあるという事に、呼人の思考は完全なパニック状態に陥り手元にあった紐に気が付く。その紐にはタグがつけられておりそれには、

『やさしく引っ張ってネ?』

 わざとらしい丸文字で書かれ、ご丁寧に最後の『ネ?』後には蛍光ピンクのハートマークまで書かれている。

 オウオウ! 引っ張ればいいんだろ? 俺だって生まれてこの方十五年間男をやっているんだ、鬼が出るか蛇が出るか、だ!

 パニックから完全に我を失っている呼人は、その紐を力一杯に引く。

 し、しまった……、もしこれでゴトンと中から……キャァ〜。

 引き終わったところで呼人の精神は元に戻ったようだったが、既に時遅し、その紐は綺麗な一直線の切り口をそのダンボール箱の四角の一辺に入れたかと思うと……、

 ピィー!

 機械的な音が周囲に鳴り響き、残りの角にどういう仕掛けなのか良くわからないが自動的に切込みが入る。

「俺って馬鹿?」

 呼人は自分の行った行為を後悔するように思わず口にしながら罵倒し、事の成り行きをただ見守るしかなかった。

 パタン……パタン……パタン……パタン……。

 支えを失った四面は重力に勝つことができないように四方に広がるように開いてゆくと中に入っていた緩衝材がまるで雪のように周囲に舞う。

「なんだ? 一体何が起こったというのだ?」

 台所からこの騒動を聞きつけ、エプロンをした奈穂が面倒くさそうな足取りで歩いてくる。

「それは俺が聞きたい」

 素直な気持ち、現在目の前で起こっている事実は、夢とかテレビの向こう側で起きているような気がして仕方が無い……いやそうであってもらいたい。

 周囲に舞っていた緩衝材が徐々に重力に従いながら落ち始めると、その箱の中にあった本体の姿が徐々にシルエットとして浮かび上がってゆく。

「ん?」

 そのシルエットに呼人は目を凝らし、

「うん?」

 奈穂はそのシルエットが形になっていくと同じように、一歩一歩と後ずさりしてゆく。

 こ、これは……人……なのか?

 シルエットの輪郭がはっきりしてゆくのと同じくして、呼人はその自分の出した勘を確定させてゆく。

「な、なんなんだ? 一体!」

 奈穂は悲鳴にも似た声を上げながら呼人の背中に隠れる。



=ぷれぜんと=

「一体なんなんだ?」

 奈穂は呼人の背中にかじり付きながら声を荒げるが、その声は恐怖に怯えたように震え、その姿がちょっと可愛いかななどという気持ちを呼人の中に浮かべさせる。

 ぷしゅぅ〜、とどこからか気の抜けたようなエアーの様な音がし、周囲に静けさが戻り呼人の目の前には全貌を露にした謎の物体……。

「これは……」

 体育座りをするような格好をしているそれはまさに、

「人間?」

その一言に奈穂は肩をビクッと大袈裟なまでに震わせて、力任せに呼人にしがみ付いてくる。それはおそらく奈穂の想像しているような物のようだったのだろうが、それ以上に呼人が気になったのはさっきと同じようにその首先に蛍光ピンクで書かれていた矢印だった。

『ここを押してくださぁ〜い』

 これまた呼人に対して挑戦するようにハートマーク付きの丸文字で書かれており、その矢印の先にはオレンジ色のボタンらしきものがある。

 おぅよぉ〜、押さないでか! 男をなめるなよ!

 再び理性を失った呼人はそのボタンに指を触れると、予想していた堅さとは違い、その指を包み込むような柔らかさに驚き、すぐに手を離すが既に時遅いようで、その身体からはなにやら人間離れした音が聞こえ始める。

「お前、一体何をしたんだ?」

「ボタンを押せと言うから押した」

「お前は馬鹿な子か?」

 小気味いい音と共に奈穂の平手が呼人の脳天を直撃し、ジンワリとその痛みが広がってゆき、顔をしかめながら呼人が奈穂を見ようとした瞬間、その人間(であろうもの)の目がゆっくりと開かれ、その瞳は呼人の事をまっすぐに見つめている。

 ピ〜ピピピ……ぴこ!

 間の抜けたような音がしたかと思うと、今まで抜けていた関節をはめるようにガシャンガシャンと機械的な音を立てながら立ち上がり、耳を隠す甘栗色の髪の毛を少し顔にかけたままニッコリと微笑む。

「はじめまして、HALCタイプナンバー七八三式寒冷地仕様TYPE『RUMNE』をお買い求めいただきありがとうございます」

 肩にかかる程度の長さの甘栗色をした髪の毛を揺らしながら女の子は小首をかしげながらニッコリと微笑む。その姿は生まれたまま……呼人の視線はそこで奈穂に目隠しされる。



「それではユーザー登録をしてください」

 キョトンとした顔をしている女の子は、奈穂の東京時代の学校指定ジャージを着ているが、サイズが合わないのか、胸の大きな膨らみはそれをパンパンにし、ズボンのお尻の辺りはちょっとブカブカ感を醸し出しており、その元持ち主である奈穂はガックリと肩を落としていた。

「ユーザー登録?」

 成り行き任せにジャージを着せられたその女の子は仕切り直しといわんばかりにその場に正座して、呼人の顔をジッと見つめる。

「ハイ! ユーザー登録をしていただかないとうまく動くことができないのでお願いしております……拒否することもできますが……そうするとあたしの行き場がなくなってしまいます」

 その瞳はまるで潤んで助けを請うようで、今にも涙が零れ落ちそうな勢いであり、そういう場に慣れていない呼人は慌てたようにコクコクと頷く。

「同意いただけたと判断させていただきます……それではオーナー様、目を瞑ってください」

「ちょっと待ってよ、何で呼人がオーナーなの? この家での最高齢者はあたしなのよ? ちょっと嫌な響きかもしれないけれど……」

 奈穂は苦笑いを浮かべつつも、挑戦的な表情をその女の子に対して向けている。

「いえ、あたしの起動スイッチを押した方がオーナーの権限があります、その方がその権限を放棄された場合のみあなたにその権限が発生します」

 ちょっと嫌そうな顔をしながらその娘は奈穂の事を見ると、それが奈穂の闘争心に火をつけたのだろう、奈穂の厳しい視線と、懇願するような女の子の目が呼人の顔に突き刺さるが、意を決したように呼人はその女の子の顔を見ると、その女の子は嬉しそうな顔をし、奈穂はその呼人の行動に愕然としたような、寂しそうなそんな不思議な表情を浮かべている。

「ありがとうございます、その表情からユーザー登録していただけると結論付けさせていただきました、それでは次の指示に従ってください」

 女の子は気のせいなのか、頬を上気させながら呼人の顔を上目遣いで見る。その娘の容姿は甘栗色の髪の毛は肩先までの長さで耳は隠されており、比較的大きな瞳は濃緑色で、ジッと見つめるとまるで吸い込まれてしまいそうになり、相対的に幼い造形であるがパーツパーツは一人前の大人と言った風である。

「は、ハイ……」

 呼人は情けないながらもその女の子の言いなりになりながら、背筋をピンと伸ばす。

「ウフ、そんな緊張することはないです、ユーザー登録に関してはあたしがすべて執り行いますので心配は要りませんよ?」

 ――なんとなく淫靡な響きを感じるのは、俺の気のせいなのであろうか?

 助けを請うように奈穂に見据えるが、奈穂も同じことを感じ取ったのであろう、顔を赤くさせて視線を泳がせている。

「それではあなたのお名前と生年月日、血液型を教えてください」

 なんだか登録と言うよりも、プリクラみたいな雰囲気かもしれないな?

 ユーザー登録と言うと、自分でキーボード入力するとばかり思っていた呼人は、そんな業務的な言い回しに加えて可愛らしいアニメ声で聞かれ、以前友達(生憎男)と行った唯一のプリクラの中での事を思い出す。

「エッと……端野呼人、二月三日生まれ、血液型は……確かA型だったと思う」

 呼人の一言にニコニコしながら頷く彼女はどう見ても普通の女の子であるが、しかし普通でないことを思い出させる怪しい音がその彼女の体内から発せられている。

「認識しましたぁ、端野呼人様、年齢は本日の時点で十五歳ということでよろしかったでしょうか? よろしければ……はい」

 小首をかしげながらその女の子は呼人の事を見て微笑み、次に右手を差し出す。

 何だ? 一体どうすればいいのだ? その前の言葉から推測するにおいてはよければこの手をどうにかしろと言うことなのだろうけれど……シェイクハンド?

 呼人は恐る恐るとの手を握ると、その手をキュッと握り返しながらその女の子の笑みがさらに膨れ上がる。

「了承ありがとうございます、続いて身長体重とスリーサイズを教えてください」

 身長と体重はわかるけれど、スリーサイズって……。

「あっ、ごめんなさい、スリーサイズは女性オーナー様だけでした……呼人様は男性なのでこの質問はスルーしてください」

 その女の子はテヘッと舌を出して呼人の事を見る。

 おいおい、今一生懸命考えちゃったじゃないか……。

「身長は百八十センチ、体重七十二キロ」

 呼人は記憶を手繰るように視線を泳がせながら答える。

「――身長は百七十八センチだろう……」

 呼人の横から奈穂の冷たい声が聞こえてくる。

「それは今年の春だよ、今はきっと百八十を越えているはずだ!」

 男の同志ならわかってくれるだろう、百七十センチ台と百八十センチ台では、声にする大きさが違うと言うことを……。

「確認します……」

 女の子はそんな諍いをしている姉弟を尻目に、視線を呼人のつま先から頭のてっぺんまで這わせ、その視線に呼人はいけないものを見られているようなそんな恥ずかしい気持ちになる。

「――確認しました、こちらのデーターで登録してよろしいでしょうか?」

 女の子はちょっと困ったような顔をして呼人の顔を見るが、その一言に呼人の言ったデーターが改ざんされていた事がばれてしまった。

「それでは最後の認証を始めますのでこちらにお立ちください」

 女の子に促されながら呼人はその正面に立つと、その身長差のせいで呼人の視線の先にはその女の子の頭しか見えなくなる。

「はい、結構です、それでは目を瞑ってください、途中で動くとうまく認証されない場合があるので注意してください」

 業務的な言葉の言い回しではあるが、ちょっとその台詞に熱を帯びているような気がするのは呼人の邪な気持ちからなのだろうか。

「はい……」

 ゆっくりと瞳を閉じると、隣に立っていた奈穂の息を呑む声が聞こえ、次の瞬間呼人の唇に暖かく柔らかい感覚が走る。

 えっ? えっ? えぇぇ〜!

 さっき隣の家ではじめて感じた感覚と同じ感覚に呼人は思わず目を見開くと、ピントが合わなくぼやけているものの、さっきまで自分に対して登録といいながら人に質問をしていた幼顔の女の子であることだけが確認できた。

「はい、認証できました、ご協力ありがとうございました」

 まるで何事もなかったかのようにその女の子が離れると、同時に奈穂の声が呼人の耳に突き刺さってくる。

「一体何をやっているんだぁ〜!」

 その怒りの矛先が自分に向いていると言うことに呼人が気付いたのは、頬につめたい刺激が走り、やがて痛みと共にその場所だけ火照り始めた時だった。

「って、俺のせいなの?」

 呼人はその火照った頬をさすりながら奈穂の顔を見ると、その顔は怒りに震えているものの、目は潤み、頬を赤らめている。

「そうだ! お前にそういう油断があるからいけないんだ!」

 なんだか無茶苦茶言われているような気がするんですけれど……。

 憤然とした雰囲気をその場にそこに残したまま奈穂は、足音を荒げながら再び台所に続いてゆく廊下を歩き消えてゆく。

「なんなんだよ……ッたく」

 行き場のない怒りがこみ上げてくる呼人は、はたとその場に取り残されたもう一人の人物に気がつく。

「彼女は何を怒っているんでしょうか?」

 まるで悪気がなさそうな顔でその女の子は呼人と同じように奈穂の消えていった方に視線をチラッと泳がせ、すぐに呼人の顔を見上げる。

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