第十話 萌とは……。



=春の空の元=

「はぁ」

 五月晴れの空の元、呼人は大きくため息をつく。既に道端にあった雪の山は姿を消し、五月の半ばだというのにようやく校庭の桜の木がピンク色に染まり始める。

「どうしたんですかご主人様」

 場所は校舎の屋上、下界になる校庭の中心ではではようやくやってきた春を喜ぶかのように歓声を上げながらサッカーなどのそのスポーツを楽しんでいる者や、体力を有り余らせているのだろうか、むやみに走り回っている者などがいて、その校庭の片隅に視線を向けると話に花を咲かせている女子生徒の集団など様々である。そうしてこの屋上もまたその他ではなく、人目を避ける様に、しかしその幸せこそが人生の春というのだろうか、カップルらしき男女が仲睦ましく語らい合っており、少し目のやり場に困る。しかし、カモフラージュするようにそのカップルの園に呼人がいられるのは隣にらむねがいるためであり、傍目から見ればそれに見えるであろう。

「いや……あれから奴らの出現する回数が減ったなと思って……」

 らむねが来てから半年が経過しようとしている、それに比例するようにあの『出来損ない』たちは出現し始め、ほぼ毎日のようにあのシュールな姿を見ていたのだが、最近では週に一回現れる程度でいい意味で平和だったが、引っ掛かりがあるのも事実だよな?

 呼人が再びため息交じりに校庭を見下ろすと、校庭の片隅で何かを探し回っているような女の子が一人その視界に入り込んでくる。

 あの娘が現れてから減ったような気がするけれど……完全に近い『出来損ない』娘が……。

 学校ではさすがに隠しているネコミミではあるが、ある種特長とも言っていいであろうその小さな身体は逆に目立っている。

「ハイ、急に減りましたね? 最新のデーターですと五月七日に出現したのが最後です、もう一週間以上が経過しています、それに……その回数が減ってきた頃に……」

 らむねが視線を向けたのは呼人が視線を向けている人物と同じ、校庭の端で何かを探しているような萌の姿だった。

 どうやら俺の感覚と、らむねの統計が一致したようだな? だとするとなんでなんだ? 彼女は見た目完全体ではあるが奴らと同じの筈、信吾さんの話によるとPHSは仲間を呼ぶ習性があるといっていたが、その逆になっているわけだ。

「まぁ、減ってきて困る事ではないし、それだけ平和だっていうことだ……」

 自分自身でも本心なのだかがわからない、減ってきて助かるのは確かな事なのだが、その理由に行き着けないというのは、まだクイズで答えが分からないでいるのに次の問題に移行してしまったという様なそんなもどかしさみたいな感じがある。

「そうなんですけれど……」

 身体の向きを変えて手すりを背にした呼人の隣には、手すりに捕まりおそらく萌の動きを見ているのであろうらむねがため息をつく。

「気にすることはないと思うが、らむねの方でも気が付いた事があったら調べてみてくれ、しかしこの件についてはシークレットだ」

 呼人は驚いた顔をして自分の顔を見つめているらむねに対してウィンクを飛ばすと、その驚いた顔はすぐに微笑みに変わる。

 どうやら彼女もそれについては何か違和感を持っていたみたいだ、しかし萌がそれに関わっていないと信じたい気持ちもあるのだろう……。

「あぁ〜!」

 下の方から、おそらく萌の声であろう、何かを発見したような声が聞こえ、呼人とらむねは再びそこに視線を向けると、こちらをじっと見上げている萌の姿があった。

 さすがに目がいいなぁ。

 一瞬視線を話すとそこには萌の姿はなく、五分も経たないうちに屋上への鉄扉が勢いよく開くとその扉の向こうには小柄な女の子が肩で息をしながら恨めしそうな顔で呼人の事を睨みつけている。

「見付けたぁ!」

 その恨めしそうな目は再びへの字のように緩やかな山を描かせながら呼人の胸に飛び込んでくる、あまりのその勢いのため呼人は背後の手すりに背中を打ち付け一瞬息が詰まる。

 相変わらず加減が分からないようだな……。

「呼人さん、探したんですよ? 今日は一緒に帰りましょうね?」

 猫のように(いや、猫なんだが)喉を鳴らしながら見上げてくるその表情は、高校一年生には見えず、むしろ小学生のようにも見えないでもないが、それは言ってはいけない事柄ぐらいは知っている。

「だからって抱きつかないの!」

 ぷりぷりと膨れ面を浮かべるらむねに対して萌はベェッと舌を出すと、さらにそのらむねの頬は膨れ上がる。

「もぉ〜!」

 らむねの腕はまるで腕立て伏せをするかのように、身体の前で突っ張らせながら顔を膨らませたままズイッと萌の顔に近づけるが、呼人の反対の腕が空いている事に気が付き、その腕に自らの腕を絡める。

「エヘヘェ〜だ」

 勝ち誇ったような顔をするらむねに対して、今度は萌の頬が膨らむ番だ。

「あぁ〜、だめぇ〜」

 まるでおもちゃを取られた子供のような声を上げる萌に、らむねがベェッと舌を出す。

 普段はこんなにムキにならないのに、萌が絡むとなんだか対抗意識を燃やすようなんだよなぁらむねの奴、まあ、女の子に抱き付かれて悪い気はしないけれど、周囲の視線が痛い。

 その様子を見ている屋上にいたギャラリーはカップルだけではなく、漫画を回し読みしているような男子グループもいるし、怪しげな男子の比率も高いのがこの屋上。

「ちっ、」

 どこからともなく舌打ちをするような声さえ聞こえてくるのは、気のせいではない。

 確かに実情を知らないやつらからすれば、今の俺のこの状況がとても羨ましく感じるであろうし、俺もそんな場面を目撃すれば舌打ちぐらいはする、しかし、右腕に絡まっている猫目の小さな女の子は『出来損ない』のPHS……世間一般的に言えば化け物の一種だし、左腕に絡まっている胸の大きな女の子はそれを退治するためにこの世に生まれたアンドロイド……その二人が俺の身体を挟んで睨みあっているんだ、そんなデレデレしているだけの余裕はない。

 しかし周囲から見れば好対照ではあるものの、世間一般から見れば美少女二人に挟み込まれているというのは羨ましいの一言であろう。

「呼人くん!」

 ちょっと険のある声に一瞬呼人は身体をすくめ、その声に対して振り向くと想像通りに機嫌の悪い顔をした女の子が立っている。

 最近この娘もやたらと絡んで来るんだよなぁ……何も悪い事はしていないと思うんだけれど、特にこういう場面に良く現れる。

 メガネの奥の瞳には、間違いないであろう怒りの炎が見えるようで、若菜のその様子は静かに怒ってると言った雰囲気であろうか。

「どうしたんだ?」

 何とかその場の雰囲気を水に流したいように呼人は助けを請うような目で若菜を見ると、ため息を吐き出しながら再び呼人の顔を見てくる、その瞳にはさっきの怒りの炎はなく、むしろ同情に近いようなものが浮かんでいるみたいだ。

「先生が呼んでいたよ? 何かしでかしたの?」

 若菜の一言に呼人の脳はフル回転を始め、いくつか持っている悪事を思い出しては検証し立件されない物をしまってゆくが、その悪事が底を付き、安堵のため息を吐くが、次に呼び出された理由を探し始める。

「今現在想像がつかない……と思う」

「でも、今の君の姿は十分に先生に呼び出されるよ? 不純異性交遊で」

 若菜はプイッとそっぽを向き、短めのプリーツスカートを揺らしながら校舎内に続く鉄扉に手をかける。



「それで何の話だったんだ?」

 帰り道、たまたま一緒になった奈緒が、らむねと一緒にいた呼人と合流した。

「いや、なんていうことではないけれどね?」

 事実なんていう事はなかった。来月に行われる体育大会の事とかを聞かれただけで、わざわざ教員室に呼ばれるほどの事ではないような気もする。

「何をしでかしたかまでは知らないが、あまり目立つような事をしないようにしろよな?」

 誤解しているんじゃないか? まるで何か俺が悪いことをしたかのようなその瞳は、力いっぱい俺のことを疑っているだろう。

 奈緒のその瞳は、呼人が何かしらしでかしたのであろうと決め付けたような顔をしているが、それを苦笑いで否定し、視線を校門に向けるとそこにはまだ真新しいこの高校の制服を着ているツインテールの女の子が誰かを待っているように佇んでいるが、三人の気配に気がついたのか、その娘は顔を上げてこちらを見てくる、それはやはり呼人の想像通りの娘であった。

「あっ、呼人さん……よかったぁ、もう帰っちゃったのかと思っていましたよ……」

 萌はそういいながら呼人の腕にその腕を絡めてくると、隣にいたらむねと奈緒の視線が一気に厳しさを増し、それが呼人に突き刺さる。

 俺に罪はないと思うが……。



「今日の夕飯は、暖かくなってきたこともあり、ボルシチに決定!」

 なぜ暖かくなってきて暖かいものにするのかよくわからないが、どうやら我が家の夕食は確定したようだ。

 帰り道、夕食の買出しに付き合う呼人ほか三名は、近所にスーパーに足を踏み入れると、まるで洗脳されるようなその店のテーマソング(?)が流れ、それに合わせるようにらむねも鼻歌混じりに買い物カゴを取る。

「フム、生ラムもあるし、ジンギスカンというのもいいのではないか?」

 生肉売り場では、奈緒がパックを手にしながら品定めをし。

「お魚がいい!」

 鮮魚売り場では、萌が今にもそれに飛びつかんばりの姿勢で魚を眺める。

 なんだかものすごく危険を感じるのは、俺の今までの経験からなのであろう、そして今現在一番危険なのは猫娘だな?

 頭の一部が盛り上がりを見せるのは、ネコミミが飛び出しそうなのであろう、ここでそれを披露したらきっとこの店に立ち入ることができなくなると思った呼人は、萌の腕を引きながら店外に避難する。

「らむね、夕食のメニューは任せるから奈緒を頼む」

 呼人の声に、らむねは不満げに頬を膨らませながらもコクリとうなずく。

「あは、呼人さんと一緒、お魚よりも呼人さんのほうが好き!」

 なんだか店に一緒に陳列されているような言われようであるが、危機を脱した安堵感からか、とくに突っ込む気にならない。

 周囲はすでに茜色に染まり始め、同じく夕食の支度に買い物にきているのだろう、年季の入ったお母さんや、まだ若葉マークっぽいお母さんなどがぞろぞろとその店に入っては出てゆくその光景を萌と眺める呼人の腕を、何者かが引っ張る。

「なんだ?」

 引っ張ったと思われた萌は、近くにいた犬と睨み合いをしており呼人の袖を引っ張ることは物理的に不可能だ。

「――呼人……」

 引かれた方を見ると、長い髪の毛を下ろした女の子がうつむき加減でその袖を引っ張っており、呼人はその人間の記憶を探り出すのに数秒の時間を必要としてしまう。

「未里?」

 いつもはポニーテールにして快活なイメージの未里だが、こうやって髪の毛を下ろすとまるでそこにいることを忘れてしまいそうになるほど存在感がなくなるのは一種の特技といってもいいだろうな?

 驚いた顔をしている呼人の顔を、未里はゆっくりと見上げ、ややあってからコクリと首を縦に振る、その時間はゆうに数秒はかかっている。

「はは……どうした? 買い物か?」

 苦笑いを浮かべる呼人の問いに、再び数秒をかけて首を縦に振るが、このペースで買い物をしたらいったい何時間かかるのか人事ながら心配になる。

「あれぇ、未里さん? なんだか今日のイメージはぜんぜん違うような気がするけれど」

 学校などではよく合うからポニーテールの未里は知っているが、こうやって下ろしているのは初めてだったかもしれない。

「……そうだっけ?」

 眠たそうにいう未里に萌はキョトンと首をかしげるのはいたし方がないことであろう。普段は姉御のように快活な話し方をするのに、髪の毛を下ろしただけでこれほど変わる人間も珍しい、呼人でさえ最近やっと慣れてきたところだ。

「はは……」

 萌が困ったような顔で微笑むと、ちょうど買い物を終えたらむねと奈緒が店から出てくる。

「お待たせしましたぁ……あ、未里さんこんばんは」

 未里の姿を見つけらむねがぺこりと頭を下げると未里もそれに合わせてぺこりとお辞儀をする。それは太陽のように明るく挨拶をするらむねに対して、静かに答える未里、それはまさに好対照な光景だ。

「未里も買い物か?」

 らむねに買ってもらったのであろうか、キャンディーを口に咥えながらどことなく上機嫌の奈緒は、眠たそうな顔の未里を見ると、それに対して未里はコクリとうなずいて答える。

「フム、その姿の未里に買い物を任せるとはなかなか君の母上も豪気なものを持っていられるようだな? いつになったら買い物が済むかわからん」

 奈緒のこの意見に対しては激しく賛成。俺もそう思うよ、人の家庭の事ながら夕食の時間が心配になってしまう。

「ご、ご主人様!」

 苦笑いを浮かべているとらむねの慌てたような声がして、呼人と奈緒はそれに無意識に反応するように振り向く。

 らむねがそんな声を上げるのはうちに来てから初めてではないか?

 滅多な事では動揺しないらむねの一言にそんな疑問を持ちながら振り向いた先にあるものを見て、その声の理由がわかる。

「な、なんで?」

「まったく気配を感じなかったぞ?」

 普段はポーカーフェイスの奈緒でさえ、目の前にある現実に対して動揺を隠しきれていない。

「あたしのセンサーにも反応なかったです、いきなり発生したようです」

 スーパーの買い物袋を持ちながら、らむねはその物を睨み付けているが、それは次第に大きくなるばかりで、それと同じくして呼人の中にある不安が大きくなってゆく。

 なんだ? 今までにない感覚だ……すごく嫌な感じが今までと違って拭いきれない……。

 呼人が不安を覚えるものはいつもと同じサイケデリックな色をした霞だが、見た目ではわからない何かが呼人の予感を刺激している。

「呼人さん……」

 こういう場面に出くわすと萌は率先して戦闘体制に突入するのだが、今日に限れば呼人の隣で怯えた子猫のような目をしている。

<何が起きているんだ?>

 どのようにしているのかわからないが、いわゆるテレパシーで慎吾の声が呼人の頭の中に聞こえてくる。

「わかりません、何の前触れもなくいきなり目の前に……」

 その目の前の空間に滲みは、まさに奴らの現れるプロローグでいつそこからシュールな格好をした『出来損ない』が飛び出してきてもおかしくない。

<そうか、留守番フォックスが、いきなり反応したので気になったのだが>

 どうやら慎吾は自宅にいるようで、ふぉっくすのレプリカが奴らの登場に反応した事に気がついたようだ。

「呼人、とりあえず結界だ! 奴らが普通の世界に足を踏み入れないように」

 奈緒の一言にハッとなり、らむねの顔を見るといつもと違ってそれは緊張したようにも見え、そこから目を放すことができないといたような表情が浮かんでいる。

「らむね、とりあえず結界を張れ! 大至急だ!」

 すでにその滲みからはその姿を現そうと大きく中央が盛り上がってきている。

「ハッ、ハイ! フォックス結界を張って!」

 らむねの声に、カバンの中からフォックスが顔を出しその口から帯状の光を放し出す。

「――くる……」

 未里が小さく呟くのと同時に、その滲みの盛り上がった中央が耐え切れなくなったように光を放ちながら口を開いてゆき、その中からは『出来損ない』が出てくる。

「結界が間に合わないか?」

 奈緒の叫び声に近い声が呼人の耳に届くと同時に、萌がその背中に抱きつくように隠れる。

「いける、間に合うはずだ」

 呼人はその光の帯が括る瞬間と『出来損ない』の出現速度を対比し、その結論に達するがその差は僅差であり自身は今までの経験からである。

 やつらは、口が開いてからすぐには出てこない、それを加味すれば間に合うはずだ。

 光の帯の両端が狭まり、やがてそれがひとつの輪になり、それを基礎に上方にその光が伸びてゆき、その終点は肉眼では確認できなくなる。

「間に合った……」

 ホッとした表情を一瞬浮かべるらむねだが、すぐにそこから出てくるであろう奴を警戒して臨戦態勢に入る。

 今回の奴はどんなタイプだ? 海、陸、空……なっ?

 光が収縮する中からシルエットとして浮かび上がってくる姿を呼人は固唾を呑み見つめる。その形を見取ってかららむねに対してコマンドを発令しなければいけないというのは今までの経験から得たものだった。

「――呼人、今回は少し厄介かも……」

 気が付くと呼人の隣にいた萌をかばうように未里が立ち、その袖口をツイッと引っ張りながら呟くようにいう。

「未里もそう思うということは、残念ながら俺の勘が当たってしまったということなのか?」

 勘の鋭い端野家の姉弟、滅多にその勘は外れないのだがこういう勘は外れてもらいたかったが、ここまで数人の意見が一致すると言うのは確定としてもいいだろう。

「呼人!」

 奈緒の叫ぶような声が聞こえたかと思うと、中からシルエットが浮かんでくる。



=強大な敵=

「出てきます!」

 らむねは第一級戦闘配備に入ったように姿勢を低くし、呼人のコマンド待ちになる。

 今回のはさほど大きくないようだな? 大きい奴だと光が収縮する前からその姿を現すというのに、今回はまだシルエット状態だ……ん?

 そのシルエットがはっきりと形になってくると、呼人の他、奈緒やらむね、未里の顔までが驚愕した表情に変わる。

「な、何で……」

 その姿に奈緒は呟くような驚きの声をあげ、萌をかばうようにしていた未里は眠たそうにしていたその目を見開く。

「人間……なのか?」

 シルエットから浮かび上がったのは、小学生ぐらいの背丈の人間体だが、唯一違う点はあるはずのないものがお尻の辺りに付いているという所だろうか。

「――萌と同じ……半獣半人……PHSの進化系……」

 進化系? PHSも進化をしているというのか?

 未里の呟きに、呼人と奈緒は驚きの表情を浮かべながら、未里の後ろで縮こまっている萌の姿を見る。

「進化系って……という事は萌もPHSの進化系というのか?」

 奈緒は掴みかかるような勢いで未里の顔を睨みつけるが、それにまったく臆していない未里はいつもと同じように飄々としている。

「そう、萌が来てから色々と調べてみた……世界に数例だけれどその実績があるという事がわかった……そしてそのすべては……」

 未里はそこまでいうと、隣で震えている萌の姿を表情変えずに見つめる。

「――消滅している……ある日突然……」

 未里の話によると、捕獲したPHSの進化系は、鍵のかかった部屋に幽閉されていようと、突然その痕跡を消してしまうらしい、着ていた洋服だけをそこに残して煙のように消え去ってしまうらしい。

「でも……萌はまだあたしたちの前にいるじゃないか!」

 奈緒の悲痛な声が萌に届いたのか、その怯えた顔を奈緒に向ける、その目ははじめて萌……いや『ユキ』に出会ったときのように、何かに怯えているような表情だった。

「奈緒さん……」

 いつの間にか生えたネコミミは、ペシャッとねて、その毛先はフルフルと震えている。

「ご主人様、奈緒さん……」

 戦闘隊形を解かないままらむねが近寄り関係者が全員一箇所にまとまった事になる。

「――らむね、何かリボンみたいなのない?」

 未里は手を出しながらそういう。おそらく髪の毛をまとめる為に使うのであろうがらむねは髪の毛が短い為そういうものは持ち合わせていない。

「これでいいか?」

 奈緒が制服のポケットからライトグリーンのヘアバンドを取り出して未里に渡す。

「ありがとう……」

 未里はそういいながら奈緒の掌からそれを受け取り、長い髪の毛をまとめ上げはじめ、その目じりに見える泣きボクロがあらわになった時、それまで空中に浮かんでいた小さな身体が地上に降り立つ。

 嫌な雰囲気だ、今までの奴らとは違う、何か威圧的なものを感じる敵であることだけは間違いない、しかし、こんな敵に対してらむねたちにどういうコマンドを使えばいいのか。

 呼人はちらりとらむねと未里を見ると、その二人の美少女は勇ましい顔でその地上に降りた小さな身体を睨み付けている。

 奴の元になっているのは恐らく獣であろう、お尻から生えているそのものはフサフサとしており、遠めにはキツネの尻尾のように見えるし、萌と同じように頭の上にある耳もキツネのそれに似ている。だとすればやはりコマンドは『riku』でいくべきなのか?

 呼人たちのグループと、PHS進化系の距離はおよそ二十メートルはあるであろう、その造形ははっきりと見る事はできないが特徴だけはわかる。

「萌と同じタイプというところかしら」

 ポニーテールになった未里は目を凝らしながらそれを見る。

「いえ、萌ちゃんよりも小さいです、身長は百四十センチぐらい……」

 事詳細に説明するらむねに呼人は目を凝らしてその姿を見るが、背丈の大きさぐらいまでしかわからないでいる。

 よくわかるものだ……と言ってもアンドロイドなのだから当たり前といえば当たり前か?

「加えて性別は女……ね」

 らむねの説明に未里が付け加えると、息を合わせたように戦闘体系を取り、呼人の顔を二人して見つめてくる。

「呼人コマンドを」

「コマンドって……相手は人間もどきなんだろ? どんな防御コマンドが有効なのかわからないぜ? それに相手が完全に敵と決まったわけではないだろうし……」

 呼人はそう言いながら、奈緒にすがり付いている萌の事を見る。

 萌のように、無害なPHSだっているんだ、今目の前にいるのだって違うとは言い切れないし、何よりもそんな光景を見たくない。

 らむねたちがいくらPHSとはいえ、人型と戦っている姿は見たくない。

「我が名はカレン……天空より舞い降りる……」

 遠くにいるはずなのに近くにいるように通った声が聞こえる、それは恐らくテレパシーみたいなものなのであろう、その姿に相応しく可愛らしい幼女のような声だが、言っている言葉はやけに物々しい。

「PHSが喋った?」

 未里が驚いたような顔をしてその姿を凝視すると、同じような表情のらむねは何かを分析するように瞳をその姿の頭から足先まで動かす。

「口は動いていません……おそらくテレパシーかと思われます」

 らむねはそう分析するが、俺もそれに異論はない、あれだけ離れていながらそんなに声がとおるわけがないし、聞こえたのは頭の中という感覚だった、そう、慎吾が呼びかけてくるときと同じ……同じ?

 自分の考えに疑問符を投げかけるが、とりあえず現在の問題は目の前にいる少女は敵なのか見方なのかを見極めることが最優先課題であり、その疑問は次にしておく。

「われら同属がここに降り立ち、この世の者に同化していると聞き馳せ参じる……」

 頭の中に少女の声が再び響き渡る。

「同属とは何だ! お前はいったい何者なんだ!」

 痺れを切らしたように奈緒が声を荒げると、その少女の姿が一瞬消えた。

「くる!」

 らむねと未里が同時に声を上げ、らむねが呼人を、未里が奈緒をそれぞれ抱き抱えながら後方に飛ぶと、それまでいたところに土煙が数メートルの高さまで舞い上がっている。

「萌は?」

 一緒にいたはずの萌の姿を見失った呼人はらむねに抱えられながら周囲を見渡す。

「あそこにいます」

 らむねの白い指が指す場所は、四人がいるのとはまったく逆の場所、本能的に横に飛んだのであろう、土煙の真横に立っている。

「萌!」

 未里に抱えられた奈緒が声を張り上げるが、その声は萌に届いていないようだった。

「あっ!」

 土煙の中に少女の姿が浮かび上がる、その姿は確かに少女のそれで低い背丈から小学生の低学年ぐらいと推測されるが、普通はついていないものが頭の上にあり異彩を放っている。

「あまりジロジロ見ないでください」

 むくれた様にらむねが言うのは当たり前だ、相手は少女とはいえその身体を隠すものは何も身につけていないからだ。

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