第十二話 想いとは……。



=でぃ〜ぷ=

「――と言うことだ……その理由は俺にもわからん」

 PHSの攻撃が一瞬収まった所で呼人はらむねに対して一気に話し尽くすが、らむねはまだ半信半疑といった表情をしている。

「だからといって、今まであたしたちに攻撃をしてきた人にそんな態度は……」

 相変わらず頬を膨らませたままのらむねは抗議の目を呼人に向ける。

「そうかもしれないけれど、明らかに今の彼女はその時とは違うだろう……」

 さっきまでの気高さを失い、ただの幼子のように肩を震わせているカレンの事を、このような場所に一人放置するわけにはいかないと思うのは、呼人の優しさなのだろう。

「うぐぅ〜、確かにそうかもしれませんけれど……ご主人様は優しすぎます!」

 らむねはそう言いながら攻撃を仕掛けてくるPHSを指一つで殲滅する。

「まぁ、そういわないで早いところ奈穂たちに合流しようよ」

 呼人の一言にらむねは口を尖らせながらも、その意見に同意したように頷く。

「はぁ〜い」

 らむねはそう言いながら、目の前に現れるPHSをどんどんと殲滅してゆくその姿はまさに逞しさを感じるほどであった。



「呼人! らむね! 無事だったのか?」

 奈穂に合流した呼人たちに、奈穂は素直に嬉しさを表現するようにその胸に顔を埋めると、らむねと未里はあからさまに不機嫌な顔を浮かべる。

「姉弟よね?」

 未里は泥だらけになった顔を拭いながらその様子に口を尖らせる。

「ちょっと羨ましいかもしれません……奈穂さんに嫉妬してしまいそうです」

 らむねも口を尖らせながらも、その様子を羨ましそうに眺めている。

「よかった、呼人に何かあったら、あたし……って……」

 呼人の胸にすがりつきながら涙でぐしょぐしょになっている顔を上げる奈穂は、その肩にしがみ付いている女の子の存在に気がつき、その表情を凍らせる。

「なっ、な、何でその娘が一緒なのよ!」

 今にも噛み付き添うな顔をして奈穂は呼人の胸倉を締め上げる。

「く、苦しいって、今はそんな事でいがみ合っている場合じゃないだろ? とりあえずコレは今の所は無害だ、なぜだかわからないけれどこうなっちまった」

 PHSの攻撃なんかよりも奈穂のこの締め付けのほうがきつい様な気がするぜぇ。

 眉根をしかめる呼人の顔を奈穂は不思議そうな顔をして見つめてくる。

「無害って……」

「俺にも分からん、気がついたらご覧通りの幼子になっちまったっていうことさ……キツネ耳と尻尾のオプション付だがな?」

 呼人のため息交じりの説明に納得したのかしないのか、奈穂は呆れたような表情でその顔を見つめるが、フッとため息をついて優しい笑顔を呼人に向ける。

「昨日の敵はなんとやらか? お前らしいな……優しすぎるといずれ自分の首を絞める事になりかねないから注意した方が良いぞ?」

 意味深な笑顔で呼人を見る奈穂に、今度は呼人が首を傾げる番であったが、背後から近づいてくるPHSの気配に再びその顔を引き締める。

「説教は後にしようよ……さて、あの有象無象どもをどうやって始末するかだな?」

 おびただしい数と言うのはこういう事を言うのであろう、シュールな物体が自分に向かってくるその光景は、しばらく夢に出てきてうなされそうだぜ。

 土煙を上げるような勢いで近づいてくるその『出来損ない』の束は、まるで獲物を見つけた猪のように一点にこっちに向かってくる。

「さすがにあれだけの数はこなし切れないですぅ」

 泣き言を言うらむねは、その数にヘキヘキしたような表情を浮かべている。

「せめてあの中のボスが分かれば何とか活路は見出せるかもしれないが、あの中からそれを見つけるのは砂浜からピアスを見つけ出すようなものだ」

 そんな過去を持っているんですか?

 呼人がちょっと意外そうな顔をしながら未里の事を見ると、未里は慌ててその疑問を払拭するように首を横に勢いよく振る。

「た、たとえ話の事、大森浜でそんな事はなかった!」

 具体的過ぎてその事実があったことが判明……まぁ良い、確かにそれに近いものではあることは間違いない、確かPHSはボスの動きが止まれば一気に動きが鈍ると言っていたよな? この有象無象たちのボスと言うのは……やはりこいつらをここに呼び出した……。

 呼人はチラリと萌と一緒に小さな肩を震わせているカレンの事を見るが、すぐにその考えを否定する。

 それは違う、もしカレンがボスであれば自分たちの動きを止めるようなことをわざわざするはずがない、そうだ、奴らは間違いなくカレンの事を攻撃してきた。

「きます! ご主人様!」

 らむねは助けを請うように呼人の事を見上げるが、呼人は難しい顔をしたまま手を顎に当てて思案顔を浮かべている。

「呼人!」

 未里も掴みかかるように呼人に詰め寄るが、それは奈穂によって静止される。

「まぁ、少し様子を見ようじゃないか、あいつがあんな顔をしている時は何か妙案を案じている時なんだ、あいつは昔からそうだ、あんな顔をしている時は絶対に何かしでかすぞ」

 安心しきったような顔をする奈穂に対してらむねと未里は怪訝な顔をするが、最初に頷いたのはらむねだった。

「はい、ご主人様のコマンドに応じるのがあたしです! だからご主人様を信じています!」

 らむねは満面の笑みを浮かべながら呼人のその顔を見つめ、視線を近づいてくるPHS軍団に向ける。

「だから、それまで時間を稼がなければいけません……」

 キッとその有象無象を睨みつけるらむねであるが、その瞳はすべての信頼を呼人に寄せているというようなそんな安心感を持ったような顔をしている。

「まったく……あんたのスペックはあたしよりも上だろうに、何でそんなあやふやな事に付き合っちゃうんだろうね? まぁ、嫌いじゃないけれど……いくかい?」

 未里の一言に、らむねはコクリと頷きファイティングポーズを取る。

「当たり前! らむね、いきまぁ〜す!」

「なにそんなに張り切っているんだか……HALC七八一型未里、参る!」

 二人のあいあんれでぃーは、蠢くPHSの集団にその身を突入させる。

「ちょっとまてぇ〜い!」

 進行を始めようとしたらむねと未里に対して呼人の一声がかかり、まるで術に掛かったようにその二人はその動作を急停車させる。

「ご主人様?」

「呼人?」

 振り向く二人に対して呼人は不敵な笑みを浮かべる。

「へへ……なんとなくわかってきたぜ……」

 ユラリと立ち上がる呼人の様子に二人はキョトンとした表情を浮かべる。

「わかってきた?」

 隣で奈穂が呼人の顔を見つめ、その一言に我に返ったのか萌とカレンも幼い顔で呼人を見上げてくる。

「アァ……半信半疑だけれどな、試してみる価値はあると思うよ、らむね今のコマンドを全て解除して新しいコマンドを待て、未里も同じだ、実行中のコマンドを解除してコマンドを待て」

 呼人の真剣な目に対してらむねはコクリと頷くと、それまで透き通るような空色だった髪の毛の色が元に戻ってゆき、その表情も徐々に元に戻ってゆくが、困ったような表情を浮かべた未里に変化はなかった。

「ゴメン呼人、あたしの場合、一度あのコマンドを発令されちゃうと他のコマンドは受け入れなくなっちゃうんだ……」

「だったら強制解除をすればいいだろう」

 呼人はそう言いながら未里の顔を見ると、気のせいなのかその顔が少し赤くなり、モジモジとうつむきながらボソボソと何かを呟いている。

「強制解除かぁ……キャッ!」

 未里はそう言いながらなにやら嬉しそうに頬に手をやり、身体をクネクネさせる。

「未里、一刻を争う場合なんだ、強制解除をしてくれないか?」

 真顔の呼人に対して未里は、それに答えるようにコクリと頷くが、その頬に浮かんだ朱色は消える事がない。

「わかったわよ、強制解除方を教えるから呼人も協力してよね? まず一回リセットをしなければいけないのであたしのうなじの所にあるリセットボタンを長押して、その後再度ログインしなければいけないんだけれど、その……呼人が一度認識されたものである事を認証させるために、しなければいけない事があって……」

 未里はそこまで言うと恥ずかしそうにうつむき、手で呼人の事を呼ぶ。

「なんだ?」

 呼人はその意見を聞き入れるように腰をかがめその耳を未里の口のそばに持ってゆく。

「エッと……」

 言いにくそうに呟く未里の言葉をかろうじて聞く事のできた呼人の顔は見る見るうちに真っ赤に変化してゆき、その様子を、事を知らない奈穂や萌、カレンはキョトンとした顔をしているが、なぜからむねだけは、フグと競うほどにその頬を大きく膨らませている。

「し、舌をって! それは……」

「や、やましい気持ちなんてないのよ、ただ一度ログインされたマスターをDNAで管理している以上、余分なその……唾液が必要になるから……」

呼人と未里は顔を真っ赤にさせながら共にその場でうつむくが、その台詞の経緯から今後行われるであろうその行為に、経緯を知っている奈穂とらむねも顔を赤らめる。

「……ディープキスをしろと言うのか?」

 叫ぶような呼人の台詞に対して、隣にいた奈穂の顔が一気に引きつり、その切れ長な目はさらに鋭さを増してゆく。

「でぃ……?」

 奈穂はそこまで言うと絶句すると、その凄みを増した瞳で呼人の顔を睨みつけると、その視線を避けるように呼人はそれに背を向ける。

「他に方法はないのか?」

 コソコソと言う呼人に対して、困惑しながらもどことなく嬉しそうな表情をまぶしたような顔をする未里は満面の笑みを浮かべながら首を横に振る。

「在りません」

 まいった……しかしここで未里も元に戻ってもらわない事にはこの場を凌げる確率は半減してしまう……しかしこれだけのギャラリーのいる前で……ディープキッスをしなければいけないというのもどうかと思うが……。

 困り果てた顔をしている呼人に対して、すっかり幼子になってしまったカレンが足にすがり付いてくる。

「ぱぁぱ……カレン怖いよぉ……」

 ギュッと握り締めてくるカレンのその握力はたいしたものではなかったが、呼人の心はその一言にギュッと掴まれたようなそんな感覚に陥る。

「大丈夫だよ……怖い事ないさ……」

 カレンの頭をポンポンと叩くとその顔は安心しきったような表情を浮かべながら呼人の事を見上げてくる。

 いつの間にかパパになっちまったよ、この歳で……しかし頼られると言うのも悪い気はしないな? わかりましたよ!

 呼人はニッコリとカレンに対して微笑み返すとまっすぐに未里の顔を見つめる。

「まず、うなじにあるリセットボタンを長押するんだったよな?」

 呼人はそう言いながら未里の肩を抱き、ポニーテールにされている髪の毛を払いながらその手を首筋に伸ばす。恐らくその光景は、そっと未里の事を抱きしめているように見えるであろうその格好はらむねと奈穂の感情を逆なでするには十分である。

「――は……はい」

 未里はそう言いながら目をそっと瞑り、呼人は躊躇しながらうなじの辺りにあるであろうそのボタンらしきものを指先で探るが、なかなかそのものに触れる事ができない。

「あん……もうちょっと左……そこ……そこぉ」

 未里のあまりにも悩ましげな声に思わず腰が引けてしまいそうだが、今はそんな劣情をもようしているわけにはいかない、とにかくリセットしない事には先に進まない。

 呼人の指先に突起が当たり、未里の声が上がる。

「そこ! そこぉ〜!」

 ――ホントに変な気になりそうだぜ……。

 呼人はその当たった突起を数秒間押すと、まるで恍惚のような表情を浮かべていた未里の動きが一気に停止し、まるで死んだかのようにもたれかかってくるその身体を抱きしめるが、それには体温を感じず無機質な感じがする。

 ピコ!

 未里の身体から、おおよそ人間の体から発せられる事はないであろう音がしたかと思うとその身体がピクリと活動を再開させる。

「ウェルカム、HALCタイプ七八一型、ログインしますか?」

 今までに見た事のない、あどけない笑顔を浮かべる未里は、無垢な顔をして真正面にいる呼人の事を小首を傾けながら見つめ、その白い右手を呼人に差し出してくる。

 ここはイエスなんだよな?

 差し出されたその右手を見つめ、それを握った後に行わなければいけないログイン(儀式)を想像し、周囲を見渡すとまるでそれまでPHSを睨みつけていたような視線を向けてくる奈穂と、寂しそうな表情のらむねの顔が視界に入ってくる。

 コレは緊急処置だ、ゆえにカウントされない!

 呼人は心の中でそう叫びながらその右手をギュッと握り締めると、ニッコリと未里は微笑みながらその顔を呼人に近づけてくる。

「意思を確認しました、ログインしてください」

 近づく未里の顔、その顔は目を瞑り、控えめにその唇を突き上げる。

 コレは緊急処置であって……キスでは無い、あくまでも、ログインするために必要なものなのだ……そう、パソコンでマウスをクリックするのと同じ行為なんだ……キスでは無い……。

呼人の顔がゆっくりと未里に近づくと、どこからともなくゴクリという息を呑む声が聞こえたような気がする。

「呼人……さま」

 未里の口がそう動いたことに気がつかないで呼人はその唇を未里の唇につけると、未里の両手は呼人のその背中にまわると貪るようにその身体を撫で回す、その艶かしさに奈穂は思わず近くにいた幼子二人の目を覆ってしまう。

「――強制解除終了、呼人様、これで全てのコマンドが使用できるようになりました、何なりとお申し付けください」

 明らかに今までの未里とは違う雰囲気に……いや、妖艶なその行為によってボケッとしている呼人はため息をひとつ付き、我を取り戻すかのように首を横に振る。

「よっ、よし、まずは未里、防御コマンド『tsuti』を発令、目の前にいる『出来損ない』の殲滅を最優先!」

 呼人の言葉に対して、未里はコクリと頷きその瞳の色を土色に変化させる。

「らむね!」

 顔を膨らませていたらむねは呼人の声にハッとしたような顔をしてその顔を見る。

「はっ、はい!」

 慌てたようにいきなりの呼人の声に反応するらむね。

「らむねは今しばらくコマンド待ちの状態で待機、しかし最優先は周囲の防御」

 呼人のコマンドに対して驚いたような表情を浮かべているらむねだったが、やがてその意味を理解したのかその表情は引き締まる。



=血=

「ハァ、ハァ……」

 際限なく現れる有象無象の『出来損ない』に、さすがのあいあんれでぃーの息もあがり気味で徐々に殲滅する個体の数が減っているようにも見える。

「まだまだぁ〜!」

 元気そうにPHSに爪を立てる萌は猫娘ぶりを発揮しているが、その小柄な身体にそれほどの体力があるわけもなく、その顔には疲れが見え隠れしている。

 まずいな……思ったよりもみんなの体力が落ちている……ボスが現れるまでまだ時間が掛かるのか?

 呼人はチラリと周囲を見渡すが、その待ち人はまだ表れる気配は無く、徐々に『出来損ない』の包囲網は目に見えるほどに小さくなってきている。

「呼人、何か妙案があるの? あたしにはただ無駄に体力を消耗させているようにしか見えないんだけれど?」

 スースーと寝息を立てているカレンを抱きしめながら奈穂は呼人の顔を見上げてくるが、その顔には少し焦りの色が見えはじめている。

「わからない……ただ、これしか奴をおびき寄せる手がないんだ」

 徐々に見える『出来損ない』の姿が大きくなってくる。

「わからないって、あんた……」

 思わず立ち上がろうと身体を動かす奈穂だが、その動きにカレンがうめき声を上げるようにグズリだし慌てて体勢を元に戻す。

 なんだかカレンの身体が徐々に小さくなってきているような気がする……いや、確実に小さくなってきている、さっきまでは奈穂のコートから足が見えていたのに、今ではその身体が完全にコートの中に隠れている。

「キャァ〜!」

 らむねの悲鳴が聞こえ、呼人は考える事をやめ、その声に身体を振り向かせるとその身体がまっすぐ呼人に向かってくる。

「どぉうわぁ〜」

 反射的にらむねのその身体を支えると、その手には何やら柔らかい山が二つ握られ、その握力に合わせるように何やら艶っぽい声が聞こえてくる。

「ぁん……」

 無意識にその手を離し、バンザイするような格好になる呼人に対し、飛ばされてきたらむねは頬を赤くしながら軽く呼人の顔を睨みつける。

「……ご主人様のエッチ」

 そう言いながらもらむねは胸を隠すような格好をするが、嫌悪感を持つような顔ではない。

「エッチって、そんな意味合いはないぞ!」

 呼人も頬を赤らめながら、その疑惑を否定すると、それを理解したようにコクリとらむねは頷き、さらにその頬の赤みを強くする。

「エヘ、わかっていますよ、ありがとうございますご主人様、あたしの事を、身を挺して守ってくれたんですよね?」

 そういう悠長な場面ではなかったのだが……、まぁ、そういう事にしておけば変態扱いされないで済む……よね?

 呼人は隣にいた奈穂の顔を見るが、その頬はぷっくりと膨らんでいる。

「あ……っと……らむね、ふぉっくすはどうした?」

 虚空を見つめた呼人の視線が何かを見つけたように一点に集中すると、それまで照れ笑いを浮かべていた呼人の顔が真顔になる。

「ふぉっくすですか? ここにいますが……」

 そう言いながら自分の腰についていたウエストポーチを外してその中を見せてくると、その中で口から光を放つふぉっくすがいた。

「うむ、それでは結界を解除するんだ」

 呼人の一言に、らむねと奈穂の顔が呆気にとられたようになり口をパクパクさせる。

「結界を解除って……」

 らむねはその意味を確認するように呼人の顔を見つめ、

「そんな事をしたらこの『出来損ない』たちが外に出てしまうだろう!」

 奈穂は慌てたように呼人の胸ぐらをつかむが、それに対してその顔はやけに穏やかな表情を浮かべている。

「大丈夫だ、こいつらは外に出て悪さをすることはない……ボスの下に集結する習性がある以上はここから離れる事はない」

 呼人のその自信に満ちた顔に奈穂は小さなため息を付きながらその顔を見つめる。

「それはお前の勘なのか?」

「そうだね」

 自信満々な顔をする呼人に、奈穂は諦めたような顔をしてつかんでいたそのシャツから手を離し、アメリカ人ばりにその手のひらを上に向ける

「――だったら信用しよう……あたしの『勘』もそう感じたわ……」

 奈穂はほぼ赤ん坊になってしまったカレンを抱き上げながら、頼もしいものを見るような表情で呼人の顔を見る。

 奈穂との『勘(意見)』が一致した事で大分自信につながるよ……さてと、最終局面であるボスとのご対面といきましょうか?

 ふぅ、と息をつきながら呼人はらむねの顔を見る。

「らむね! ふぉっくすの結界を解除せよ! それと同時に防御コマンド『hito』を発動敵ボスの殲滅を最優先だ!」

 呼人の一言に、らむねの顔色が変わる。

「防御コマンド『hito』って……ご主人様?」

 驚いた顔をしているらむねに対して呼人は優しい顔をしてコクリと頷くと、らむねはギュッと唇を噛み締めながらふぉっくすの頭を撫でる。

「了解しました……ふぉっくす結界を解除」

「イエス、マスター」

 アナウンサー声のふぉっくすはそう言うと口から放射されていた光の帯を収縮させてゆき、それまで滲んでいた周囲の様子がはっきりと見る事ができるようになる。

「コマンド『hito』を発動します、このコマンドはオーナーの意思と判断します」

 らむねの瞳はどことなく寂しげな色に変わり、それまでの好戦的な気配が消えてゆくのと同じくして、周囲を囲っていたふぉっくすの結界が消えて、目の前には津軽海峡が広がり、水平線のところどころに漁火が見える。

 追いかけられてずいぶんと逃げてきたんだな? 結界が動くという事にも驚くよ。

 PHS群に追いかけられ、結界に守られながら逃げ回ってきて、大森浜まで来てしまったようで、足元はいつの間にか砂浜に変わっていた。

「ら、らむね何をやっているの?」

 結界が消えてゆくさまに素直に驚いた顔をしている未里は呆気に取られており、同じような表情を浮かべながらも、萌はその表情を緩める。

「見ての通りだ、結界を解除している。未里は引き続き『出来損ない』の殲滅を優先させろ、萌は未里のサポートに回ってくれ、決して奴らをこの世界に入り込ませるな!」

 呼人の声に二人は力強くコクリと頷き、その視線を蠢くPHSに向け、声をそろえる。

「了解! マスター!」

 もう少し、もう少しがんばってくれ、そうすれば奴が姿を現すはずだ……絶対に……。

 PHSを相手に飛び出してゆく二人の背中に詫びながら、周囲を見渡すと、結界が完全に消え去って『普通』の世の中が見えてくる。

 なんだかこの世界を見ると安心するかもしれないな? そうして奴はこの世界にいる、何気ない顔をしながら、俺たちの様子を伺っているはずだ。

 呼人の周囲に張り詰めた感覚に、ひとつHITする感覚がある。

 奴だ……やっぱり奴が……ボスだったのか……。

「らむね……第一種戦闘配備だ……ちょっと辛いかもしれないが耐えてくれ……函館の街を守るのはお前だ!」

 呼人の指差す先には見知った顔が、口の端だけを上げ嫌味っぽく笑っている。

「ハイ! ご主人様!」

 らむねは呼人の一言にニヤリと不敵に微笑み、その正面に立っている奴を睨みつける。

「ヘヘ、良くわかったなぁ、俺だと言う事が」

 その見知った顔はいつもと同じように呼人たちをにやけた顔で見つめているが、いつもと違う雰囲気がその頭の上に存在している。

 ――カレンと同じなのか? その耳は……。

 三角形をしたその獣耳はカレンと同じキツネ耳。黄金色をしたそれは先が白くなっており、それだけ見れば可愛らしいものだが、それを装着している人間が問題だった。

「なんとなくですよ……気が付いたのはついさっきです……慎吾さん」

 呼人はその目を真っ直ぐに見つめると、慎吾のその表情は今まで見たことのないような憎悪を見せてくる。

「ほぉ〜、さすがだな……お前の得意とする『勘』と言う奴なのか? それとも……」

 慎吾は挑戦的な笑みを浮かべてくるが、呼人はそれに臆する事無くその視線を真正面に受け止め、見下すような視線を慎吾に向ける。

「――それとも『血』なのか?」

 慎吾はそう言いながらも、それまで見せていた自信ありげな顔を潜めて、呼人の顔を睨みつけてくる。

 血? 何の事なんだ……奴に対して俺の血筋が関係するのか?

 呼人が首を傾げると同じくして、そばにいた奈穂の顔色が微かに変化し、その切れ長な目がさらに険しさを増す。

「呼人は関係無い……彼には関係ない……その血筋は彼には関係ない!」

 奈穂は叫ぶように呼人と慎吾の間に立ちふさがるが、やがてその互いの視線の険しさに、身を引き込めるしかできないでいた。

「呼人は……関係ない」

 力なく呟く奈穂の足元にカレンがすがりつく、その姿はまるで母親にすがる子供のようで、その視線も奈穂に頼りきったようなものだ。

「ほぉ〜、カレンが懐くとはさすがだな……やはり『血』なのか?」

 慎吾は口の端だけを持ち上げながら冷たい視線で奈穂の事を見る。その視線は間違いなく奈穂の事を追い詰めているそんな感じを呼人は受ける。

 さっきから話している『血』と言うのは一体何の事なんだ? 俺と奈穂は兄妹なんだ、血が繋がっていない訳が無いじゃないか?

「――わからない……でもこの子が懐いてくるのは否定できない……やっぱり『血』なの?」

 優しい表情を浮かべながらカレンを抱き上げる奈穂のその姿に呼人は胸が高鳴る。

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