第九話 待ち人は……。
=信じられない事=
「はぁ、はぁ……」
ようやく追っ手の姿をまいた二人はすでに体育館の裏手にまで来ていた。どれぐらい走っていたのか分からないが、校庭を数周した時と同じぐらいに息が切れている。
「はぁ、はぁ」
そうして隣でも苦しげに息を付く女の子の艶っぽい吐息が聞こえてくる。
「ゴメンな、俺の姉貴と関係者なんだ」
素直にその息を切らしている女の子の背中に対して詫びを入れる。
「い、いえ……来て……来てくれて……ありがとう……ございます」
なかなか切れた息が元に戻らないのか、後姿しか見えないその女の子の背中は息を整えようといつまでも上下に揺れていた。
「手紙をくれたのは君なんだね?」
呼人の一言にその揺れていた身体がビクッと反応し、ゆっくりとその向きを呼人に向ける。
「は……ハイ、一年B組の浄瑠璃萌(じょうるりもえ)です、いきなりスミマセンでしたあんな手紙を送っちゃって……でも本当に来てくれるなんて思っていませんでした」
小柄なのであろうその身体をさらに小さくした萌の頭は呼人のお腹の高さぐらいまでしかないようだ。
一年生と言うと今日この学校に入学したばかりじゃないか? 奈穂の推理が外れたな。
「一年生……なんで俺の事を知っているんだ?」
素直な疑問を萌に向ける。さっきも奈穂が言っていたが、一年生が俺の事などを知っているわけもなく、この街に知り合いなどは数少ない。
「知っています、あたしは呼人さんの事を前から知っています」
それまでオドオドしていた目とは違って、まっすぐに呼人の事を見つめる萌の視線は力強くさえ感じるほどだった。
「しかし、俺は申し訳ないことに君の事を知らない……」
そういった呼人の目の前には思いがけない物が蠢き、それを認識した視神経とそれはありえないことだという脳が激しく火花を散らす。
エッと、まさかだよね? そんなはずがありえない……。
人間とは、目の前にその事実があったとしても、脳がその存在を否定すると、その目の前にある光景を認めなくなるというがまさに本当の事であると呼人は痛感する。
「そうかもしれません、こうやって話をするのは初めての事です、でもあなたはあたしに良く話しかけてくれましたし、あたしも答えていたんですよ?」
呼人の視線の先にはあってはいけないものが蠢き、視神経と脳の攻防は続いている。
「何の事なんだ? 話すのは初めてだけれど、俺が君に話しかけて君もそれに答えていた?」
目の前にある事実もわからないけれど、萌の言っている事も理解できない、徐々にその事柄について脳がカンシャクを起こしたように痛くなってくる。
「あたしは今でこそ浄瑠璃萌と名乗っていますが、あなたはその頃あたしの事を『ユキ』と呼んでいましたよね?」
ユキ……その名前に呼人の脳はまるで癒されるようなそんな感覚が走り、ふと記憶がプレイバックしてゆき、その記憶がはっきりとするとそれまで目の前にあった物と、自分が話しかけたということすべてが線で繋がる。
そんな事ってあるのか? ユキは東京にいたはず、それが何でこの街にいる? いやそれ以前の問題がある……。
「そんな事……」
愕然とする呼人の事を見る萌の瞳は優しく、やがてその優しい瞳に涙が浮かんでくると、その体を呼人の身体に摺り寄せてくる。
「ずっと会いたかった……呼人さんと話がしたかった、そうして……」
潤んだ瞳が呼人の顔を見つめてくる。
「あなたはあたしの事を救ってくれた、その恩返しがしたかったんです……猫としてではなく、あなたと同じ姿になって……」
目を細めて微笑むその表情は、そう、間違いなく東京に住んでいた時に家にいた真っ白な猫『ユキ』だった、そしてその特徴でもある三角形のフサフサしたその先には黒い模様があり、それに見覚えがあることに気が付く。
「何でここにいるんだ? 東京にいるはずのお前が……」
猫耳をせわしなく動かしながら萌は呼人の顔を見上げてくるが、その顔は良くわからないようでキョトンと首をかしげているだけだった。
「分からないけれど、でも、呼人さんと同じ姿になって、こうやって呼人さんとお話できるだけであたしは十分幸せです!」
萌はギュッとその体を呼人のくっつけてくると、その背後から声にならないような声が聞こえてきて、その声の持ち主の顔が呼人の脳裏にはっきりと映し出される。
誤解しないでくれといっても誤解されるよな? この体勢では……だからといってこの娘が猫の『ユキ』だといっても信じるわけもないし……短い命だったよなぁ。
その後奈穂に何をされるか安易に想像が付いてしまった呼人はその眉根を八の字にして振り返ると、さっきまで追いかけていた三人がそれぞれの表情を浮かべている。
「よぉ〜びぃ〜とぉ〜」
切れ長な目がさらに鋭く、まるで獲物を見つけた肉食獣のような瞳をした奈穂は、その視線を呼人から外す事無く着実にその距離を縮める。
「ご、ご主人様……と、浄瑠璃さん?」
萌と同じクラスなのだからその存在は覚えているであろうらむねは呼人と萌のその姿にどうしていいのか分からないように佇む。
「何なの? コスプレ?」
若菜は萌の頭に生えているその猫耳にいち早く気が付いたようだ。
「それで猫耳なのか……しかし不思議な事があるものだな? あの『ユキ』が人間になってしまうなんて」
我を取り戻した奈穂は、萌のそれを見つめながら感心したように見つめているが、その隣には元呼人だった物が転がっている。
「不思議な事がって、そういう問題なんですか?」
若菜はそう言いながら恐る恐るその猫耳に触れる。
「んゃ……くすぐったいです」
萌のその声に若菜は思わず顔を赤らめ、呼人が復活する。
「なんだって俺がこんな目に遭わなければいけないんだ! 確認作業をしてから手を出せ!」
抗議の目を奈穂に向ける呼人であるが、それはすぐに否決され、意地の悪い顔をして奈穂はその猫耳に手を伸ばす。
「いぁん……アン……くふぅん」
艶っぽいため息が萌から漏れると、若菜と同じように呼人は顔を赤らめ、その腰を思わず引くのは男なのだからであろう。
「本物なんだな、暖かくってこの手触りがなんとも……癖になりそう」
ワクワクしたような顔をする奈穂からその耳を隠すように萌は頬を膨らませながら抗議の視線を向けると、奈穂は申し訳なさそうに、でも、物足りなさそうな顔をする。
「敏感なんですから遊ばないでください、奈穂さんは昔からそうなんですからぁ」
その耳をどこにしまったのか分からないが、次に手を離したとき、その頭からそれの存在が消えていた。
「どういう仕掛けなの? ねぇ」
若菜が萌に詰め寄っているとき、らむねは腰を引いている呼人の隣にそっと近寄り、その耳元で思いがけない事を言う。
「ご主人様、彼女はPHSのようです、朝からずっと微弱な反応があるから気になっていたんですが、あそこまで人間に近いPHSと言うのは初めてかもしれません」
萌がPHS?
呼人の首は大きく傾く。
=味方?=
「しかしPHSというのは……」
呼人の頭の中に出てくるPHSは、間違いなく美的感覚のない化け物しかないが、今目の前で若菜の好奇の目に照れている萌は、短い呼人の人生の中でもかなり可愛い分類に仕分けされるほどだ。
「ハイ、あたしのメモリーの中にあるPHSの姿の中でもあれほど人間に近い形をしていたものはありません」
らむねも素直に驚いた顔をして萌の姿を見る。
「確かにそうかもしれないな……あんな可愛いPHSが存在するのならば、俺も知り合いになりたいほどだ」
いつの間に姿を現したのか、慎吾は呼人とらむねの間にヤンキー座りをしながら萌の姿に目を細めている。
「わぁ、びっくりしたなぁ、いつの間に来たんですか?」
小さく呼人は飛びのきながら、あごに手をやりながら感心した顔をしている慎吾の事を睨みつける。
「いや、ふぉっくすを介してPHSの反応が出ているから気になって来ただけなんだが、まさか、あそこまで人間に近い形の奴がいるとは思っていなかった」
真剣な顔をしている慎吾は萌の姿を見ながら難しい顔をする。
「やっぱり殲滅しなければいけないんですか? 特に害があるようではありませんが」
らむねの一言に、呼人の顔色が変わる。
「殲滅って、ユキも……萌も他のPHSと同じようにするという事なのか?」
今まで見てきたPHSの事を思い出す、それは断末魔のような声をあげながら光の中に消滅していく姿、それが萌だとすると……。
思わず唇を噛む呼人に対して慎吾はその肩をポンと叩きながら口を開く。
「いや、ここまでHomo Sapiensに近い形状のものは研究所で調べた方がいいであろう、呼人君らむねに捕獲コマンドを実行してくれ」
慎吾はそう言いながら若菜とじゃれあっている萌の事を見る、それはまるで科学者が新しい実験体を見つけたような生き生きしたような顔をしており、その表情に呼人は反感を持つ。
「研究所で調べるというのは、色々実験したりするという事ですよね?」
呼人の疑問に対して慎吾は、首をかしげながらコクリと頷く。
「そうだ、ここまでの材料は初めてだ、PHSの実態を把握するにはもってこいだと思う」
慎吾の言っている事が、呼人の中にある怒りをグッと掴みそれを表面に浮かび上がらせる。
何を言っているんだこの人は、実験するという事は……きっと萌の命も潰えてしまうであろう、そんな事を実験と言う大義名分で済ませてしまおうというのか?
「――いやです、捕獲なんてしません、だかららむねにもそんなコマンドを命令しません」
呼人の一言に慎吾は眉間にしわを寄せる。
「ハ、何を言っているんだ、あれはPHSなんだぞ? この街を困らせているものなんだ、今まで君たちの目の前に現れていた怪物と代わりがない、奴らの一人なんだ」
「そんな事はわかっています! でも、まだ困らせているわけじゃないでしょ? 萌が人に危害を加えたというんですか? 危害を加えないものに対して危害を加えるという事は、人間だってやっている事はPHSと同じなんじゃないですか?」
思わず涙声になって叫ぶ呼人に、それまで戯れていた若菜と萌が怪訝な視線を向けてくる。
「慎吾さん、いつの間に来ていたんですか?」
若菜は嬉しそうな声を上げて慎吾に近づこうとするが、そのただならない雰囲気に対して無意識に足がすくむ。
「まだ呼人君には分からないだろうか? 例え危害がないとしてもPHSは人類にとってプラスになれるものでは無い、負の要素しか持っていないんだ、そうしてそのものの実態がわからない以上それを研究するのはあたりま……え?」
信吾の首が、真横を向くと同じくして肌を打つ乾いた音が響きわたる。
「――しかし、人間の心を失った人間のやる事は、PHSよりも始末におえない……奴らは目の前のものしか襲ってこないが、人間は無差別に襲ってくる、それは考えるという人間にしかもっていない知識のせいなのだろうが」
慎吾の頬を打ったその手はそのまま振り抜かれ、その手の持ち主である奈穂はとても悲しそうな顔をして慎吾の事を見ると、周囲から音が消える。
「あんたも目の前にある事実しか見ることのできない人間だったんだな……しかし、事実に反する事だってあるということを忘れないで欲しかった……」
誰も気が付かなかったであろうが、その時奈穂の瞳には涙が浮かんでいた。
奈穂……。
重苦しい雰囲気の中、その自覚がないのであろう萌はキョトンとした顔をしてそんな二人の顔を見ると、ニッコリと微笑みながら互いの手を持つ。
「エッ?」
「なっ?」
奈穂はそんな萌の顔を、慎吾は掴まれたその手をそれぞれに見る。
「ダメですよ? 喧嘩なんてしたら、ぶたれた人も痛いかもしれませんが、ぶった人も痛い思いをしてしまいます、だからすぐに仲直りしないといけないんですよ?」
微笑む萌の笑顔に対して、奈穂の緊張した表情はすぐに解け始め、呆気にとられたような慎吾の顔にも微笑が浮かび始める。
「ご主人様、PHS反応が増大しています! 防御ランクはBです」
そんな様子を微笑ましく見ていた呼人の腕がらむねに引かれると、らむねのその真剣な表情に呼人の顔はまじめなものに変わる。
「いい所だったのになぁ……らむね結界の準備、ふぉっくすのマナーモードは解除して情報の収集を最優先」
呼人のその動きの中に一瞬若菜の不思議そうな顔が見えた。
しまった、若菜がいたんだった、この状況を説明することは今の状況では無理だ、エェ〜イままよ!
諦めたように呼人がその勘に従って視線を向けたところには、既に滲んだ色をした靄の中からそのものが顔を出す瞬間であった。
「何?」
若菜はそう言いながら周囲を見回すが、隣にいる萌はその頭に再び猫耳をたて、その表情を険しくする。
「らむね結界を張れ! 周囲の保護を最優先」
「ハイ! ご主人様、ふぉっくす結界を、周囲の保護を最優先」
「イエスマスター」
らむねのもっているカバンの中から顔を出したふぉっくすの目から光が放たれそれが帯状に広がってゆく。
靄の中から出てきたその物は、普段であれば小動物であろうが、その大きさは小動物といえる大きさではなく、その美的感覚は相変わらずクエスチョンだ。
確かに俺の好きな動物では無いよ……むしろ嫌いなものに分類できるかもしれない、しかもその姿はさらに嫌いにさせてくれるよ。
ネズミをベースにしたのであろう、その姿はそれなのであるが顔は人間、むやみにリアルなその手は夢に出てきそうだ。
「らむね、防御コマンドrikuを実行! 頼むから早いところ俺の目の前から殲滅してくれ」
その姿に思わず背を向ける呼人に対してらむねは苦笑いを浮かべる。
「了解ですご主人様、エッ?」
振り向いたらむねよりも早く飛びついていたのは、さっきまで若菜と弄ばれていた萌で、その攻撃力は半端でなく強力であった。
「にぃ〜……ふにゃ〜ぉ」
どこから生えたのか分からないその爪はしっかりとそのネズミもどきを捕らえ、まるでじゃれ付くようにそれを弄ぶ。
やっぱり猫なのか?
感心した顔でその様子を見る呼人だが、その隣では怯えた様子の若菜が、腰を抜かしたように逃げ惑っている。
「あっ!」
一瞬萌の手からそのネズミもどきが離れ、自由を再び得たそれは、今この舞台上で一番弱そうなところに行く、その標的になったのが若菜だった。
「キャァ〜!」
絹を裂くというほど悠長ではなく叫び声といって間違いのない悲鳴が若菜の口から発せられる、その時のネズミもどきとの距離は数十メートル。
「くっ!」
ネズミもどきを離した衝撃で萌の体制は大きく崩れ、その体勢を立て直し向かってくるまでの時間は接触までの時間に間に合うわけなく、ちょうど萌を援護しようと背を向けていたらむねはさらにそれに間に合わない、そうして距離が確実に迫って来た時若菜の身体に届いたのは、
「呼人くん?」
まさにネズミに睨まれた何とかのように挙動する事ができなかった若菜の身体を力ずくで動かしたのは呼人だった。
「キシャァ〜!」
ネズミのその雄叫びを後頭部ぎりぎりのところで聞くと同じくして背中に一瞬痛みがはしり、呼人の視界の片隅にそれまで自分が着ていた洋服の切れ端が散るのが見える。
「呼人!」
近くにいた奈穂の声が聞こえたかと思うと目の前に見覚えのある奈穂の履いていたグレーのスパッツが見える。
奈穂なのか?
感じていなかったその背中の痛みが現実のものとなって呼人の事を襲う、その呼人の胸に抱かれている若菜は呼人のその様子を実で涙をあふれさせ何かを叫んでいる。
「何をしてくれているんだよぉ〜このネズミ男がぁ!」
奈穂の蹴りがそのネズミの横をすり抜けたかと思うとその慣性の法則に従って踵が落ちてきてその標的には避けたと安心していたのであろうネズミもどきの脳天があった。
「ぐえっ!」
ネズミでありながらカエルがひき潰されたような声を上げながら呼人の真横にその身体を横たえる、その目は既に白目を剥いている。
「呼人! ラストよろしく!」
奈穂はそう言いながら親指を地に向けて下げる仕草を見せる。
「らむね! 最終コマンド実行!」
呼人の一言に反応してらむねは指先に光をたたえるとその光をネズミもどきに放射し、その姿が光の帯に包まれ断末魔を発する。
=PHSって……敵味方?=
「デリート完了、ふぉっくす反応を確認して」
らむねはそう言いながらも、普段であれば周囲を気にするその行動を省きながら、若菜をかばったような格好でうずくまっている呼人の元に飛びついてくる。
「呼人さん!」
「ご主人さまぁ!」
「呼人!」
様々な声が呼人の耳に入ってくるが、自分ではそんな大きな傷を負った自覚はないが、徐々にその背中にちりちりしたような感じが広がってゆく。
「ちょっと、き、救急車!」
若菜が抱き起こすように呼人の背中に触れると、その手先には生暖かい少し粘り気のある液体に触れ、無意識にそれを見ると真っ赤に染まったその手に顔色が変わり、周囲に助けを請うような大きな声を上げる。
そんなに酷いんですか背中の傷は……そういえば、さっきよりも痛みが増してきたような気もするし、意識も遠くなってきたような気もする……。
ざらぁ〜……。
そんな意識が薄らぐ中、呼人の背中に暖かくざらついた、今まで感じた事の無い感覚がはしり、それまで痛んでいたその痛みが癒されるような感覚を感じる。
「死んじゃ嫌だよ……呼人さんにやっと再会できたんだから……」
ざらぁ〜……。
その感覚が萌の舌の感覚だと分かった途端に呼人の薄らいでいた意識は一気に戻り、それから離れようとする。
「ちょ、ちょっと何をしているんですか!」
らむねの声が響く。
「確かにつばをつけておけば治りそうな傷ではあるが」
奈穂さん、それはあまりにも無責任じゃありませんか?
「だったらあたしが……」
らむねの舌が呼人に向かったと思うと、奈穂が引き離す。
「何を言っているんだ! とりあえず呼人の怪我はたいしたことがない! 以上!」
奈穂はそう言いながら散会を申し伝える。
そんな無責任な……結構痛いのよ?
助けを請うような顔で奈穂の事を見る呼人であるが、そんな視線は奈穂によってすぐさま却下されてしまう。
「詳しい事は良くわからないけれど、呼人くんと奈穂さんが函館に来た理由と言うのはいわゆる化け物退治なの?」
誤魔化すことなど出来ないであろう、若菜はその現場を見て、あまつさえその化け物に襲われそうになったわけだから、誤魔化すという観点は頭から排除しなければならないであろう。
「まぁそうなるな?」
しかし国家機密であるということは内緒にしておかないと、いつどこからエージェントが現れ何をされるか分からない。
「それでらむねちゃんが呪文を唱えて、この犬のぬいぐるみを操って償還するという手筈なわけなのね……」
呼人たちの心配を尻目に素直にそれを信じきった若菜の表情はどことなく瞳をきらめかせながら、ワクワクしたようなものと言うのだろうか、憧れの人を見るようなそんな目でらむねの事を見つめている。
「犬じゃない! キツネだ!」
一応反論するものの、それは若菜の腕に抱かれて幸せそうにしておりあまり説得力がない。
「それで、慎吾はどうするんだ? まだ懲りないで萌を捕獲するか?」
奈穂の流し目に対して慎吾はため息をつく。
「パスだ、奈穂ちゃんに引っ叩かれる方がPHSよりも怖いよ」
その意見に俺も賛成票を投じるよ、さっきのあの生き生きした奈穂を見ていたら、俺もなんだか背筋が冷たくなった。
苦笑いの呼人の顔を慎吾は見て、まるで同情するような表情を浮かべる。
「さて、俺は風呂にでも入って頭を冷やしてから寝る事にしよう……」
意味深な顔をしたまま慎吾は風呂場に消えてゆくが、その真意が分からない呼人は首をかしげたままその背後を見送るが、やがてその腕に柔らかいものが押し付けられ、反射的にその物体を見て、その顔を一気に紅潮させる。
「みぃ〜、呼人さんだぁ」
呼人の腕には小柄な身体なれど、一人前に膨らんだそれが押し付けられ、胸に頬を摺り寄せ幸せそうな顔をするその顔はまさに猫だ。
「何をやっているんですか!」
お茶の提供を終えメイド服姿のらむねがまなじりを吊り上げながら、萌の事を睨みつけるが、萌はそんな事関係ないといった面持ちでその行動をやめようとはしない。
「だったら!」
反対の腕には萌のそれよりもさらに弾力があり、大きな柔らかいものが押し付けられると同時に、奈穂の罵声が呼人に容赦なく降り注ぐ。