第一話 新たなる物語(ストーリー)
=プロローグ=
「おはよ、幸作クン!」
玄関先で海風にあおられた長い髪の毛を揺らし、かけているメガネの奥から少しタレ気味の大きな瞳を優しく細めているその女の子は、雪残る坂の街でお互いに気持ちを伝え合った俺の彼女――笹森麻里萌(ささもりまりも)が、この辺りでは可愛いと評判の制服を身にまといながら立ち、爽やかな風と共に微笑を振りまいている。
「かはぁ〜……おはよ麻里萌……」
そんな爽やかな麻里萌とは対照的に、背が高く大柄な戸田幸作(とだこうさく)は、わざとらしい大あくびを浮かべながら、玄関先に置かれているくたびれたスニーカーに足を突っ込む。
「郁子(いくこ)、いってくるぞ」
背後で聞こえるガシガシという音を頼りに幸作は、まだ部屋に残っている妹の郁子に声をかけると、意地の悪い顔をした郁子がピンクのパジャマ姿のままで歯ブラシを咥えながら、まだ少し眠たそうな顔をのぞかせてくる。
「ふぇいふぇい(はいはい)、いってらっはい(いってらっしゃい)……」
モゴモゴと判別ができないような言葉を吐く郁子が、どんな台詞を吐いているのかよく知っている幸作は、適当な相槌を打ってすぐに玄関の扉を閉める。
「郁子ちゃん今日はずいぶんとゆっくりなのね?」
まだ完全に靴に足が入っていない幸作は、近くにあった手摺に手を置き靴の中に足をねじ込み、不思議そうな顔をしている麻里萌に苦笑いを浮かべる。
「あぁ、なんでも今日は創立記念日とかで休みらしい……羨ましい事に……」
俺ならば休みと知った途端に、夢の中の旅人になっているであろう、もしくは生活費を稼ぐためにバイトに勤しむかどちらかで……って、考えてみると行動範囲がかなりミニマムかもしれないぜぇ、果たしてこの歳でこんな事でいいのだろうか?
苦笑いを浮かべる幸作の隣で、麻里萌は心地のいい風を全身に浴びるよう伸びをする。
「確かに羨ましいなぁ〜、これだけいい天気の日にお休みなんて、きっとお洗濯がはかどるだろうなぁ、それにお布団も干したいかも……」
――ここにも俺と同じように若さを謳歌できない人がいたよ……。
「あは……高校生らしい話題じゃなかったですかね?」
苦笑いを浮かべている幸作の顔を見上げながら、麻里萌は頬を赤らめる。
「ハハ、まぁ、何はともあれ良い天気であると言う事は俺も同感だ」
道端からは雪の山が消え去り、海から吹き上げてくる風に首をすくめる事が無くなったこの坂の多い街『函館』に新緑の季節が来たのは間違いがないようだ。
=六月の転校生=
「おはよ〜」
「おっす」
通い慣れた函館市電を下りると、同じ制服を着た男女が気軽に声を上げ、その数人であったグループが徐々に大きな集団に変わっていく。
「おっはよぉ〜! こーさくに麻里萌ちゃん!」
腕にムニュっと柔らかい感覚がはしるのと同時に、幸作の目の前には髪飾りに縛られたサイドテールの髪の毛がゆらゆらと揺れている。
「初音(はつね)ちゃん!」
語気を荒げる声に視線を変えると、そこでは麻里萌が目を吊り上げ頬を膨らませている。これがいつもの日常のはじまりである。
「モテモテね?」
呆れたように手をあげながら、クールに言いながら幸作の横を通り過ぎてゆく堺谷留美(さかいやるみ)の長い髪を見送る……ここまでいつもと同じに事が進むのであれば、次に現れるのはきっとアイツであろう……あまり現れていただきたいのだが……。
「あぁ〜! 毎朝の事ながら、羨ましいぞ!」
遠巻きに女子が見つめているにもかかわらず、彼はその端正な顔を思いっきり崩し、今にも泣き出しそうな顔をしながら一ノ瀬亮(いちのせりょう)が握りこぶしを震わせながら幸作たちのその様子を見つめている。
やっぱり現れたか……たまには少し違う事が言えないのかねぇこの男は……俺も人の事を言えないけれどちょっとワンパターンにハマっているような気がするぜ。
「へへぇんだ、羨ましいでしょう? 代わってあげようか?」
幸作の腕にまとわりついていた野木初音(のぎはつね)がその身体を離し、亮に向かって意地の悪い顔を見せると、これまた同じようにグビビと息を呑むような反応が亮から戻ってくる。
「いいのか?」
どことなく嬉しそうな表情を浮かべる亮は、今にも僅かに空いているその隙間に入り込もうとしているが、すぐにその隙間は再び初音によって埋められる。
「やっぱだめだよぉ〜だぁ」
意地悪く桜色の舌をベェッと亮に見せる初音に対し、亮は愕然とした様子でその場に立ちすくむ。これもいつもと変わらぬ同じ光景で、既に慣れた感があるのだが、なぜに亮が俺の事にそうまで固執してくるのかがいまいちよくわからない……まさかとは思うが、以前に初音が言っていた禁断の恋って……ひょっとして巷の婦女子に人気のあるというBL(ボーイズラブ)系? いや、そんな事ありえない、そんな事実に俺が携わっているはずが無いと思いたい……。
「ほらぁ、そんな所でボサッとしていると遅刻するぞ!」
脱力したような幸作の背後からは、まるでアニメのヒロインのように鼻に掛かった声が聞こえ、それと共に肉付きのいい(固め?)幸作のお尻がポンと叩かれると、その衝撃に視線を振り向かせるとそこには誰もおらず、若干下に視線を落とすと、そこには、きちんとスーツを着ているものの、全体的にダブダブというイメージが払拭しきれないような格好をしている女性が、幸作の事をニコニコと見上げている。
「絵梨子先生、おはようございます……って、今日はちょっと遅くないですか?」
小柄な麻里萌があまり視線を動かさずにその顔を眺めると、麻里萌と同い年と勘違いしそうな小柄な担任の先生である湯田絵梨子(ゆだえりこ)の事を見つめると、絵梨子はペロッと舌を出しおどけたような表情を浮かべる。
――本当にこの人は先生なのかねぇ? たまに疑問に思う時があるぜ。
「ちょっち寝坊しちゃったよぉ……今日は職員会議のない日だから良かったけれど……ある日だったらタクシー飛ばしてこなければいけないところだったわ……」
そうは言うものの、絵梨子の肩は少し上下にゆれ、小さな口からは息を整えるように吐息が吐かれており、ちょっと色気を感じるほどなのだが、形相は少し広い額にうっすらと汗が浮かび上がらせ、作ったように浮かべられている微笑には切羽詰ったような表情が浮かんでいる事に幸作は気が付くが、それを指摘するのも大人気ないと口をつぐむ。
『湯田先生、至急職員室までお越しください』
校門を入りすぐに聞こえてきた校内放送が、絵梨子の名前を呼び出すと気まずそうに絵梨子の視線が二階にある職員室の窓を見ると、見る見るうちにその幼い顔色を変え、幸作と麻里萌がその視線を追うとその先にいたのは、
「ばぁちゃん先生……」
遠目からも見てもわかるように般若のような表情を浮かべながら窓際に立ち、視線をこちらに向けているのは、ベテラン中のベテランの女性教師の清水はつ江(しみずはつえ)先生。噂によれば、戦後まもなく函館の朝市が出来た当時からこの学校の教師を勤め、嫁にも行かずに教師生活を数十年続けているともいわれ、多くの教え子の中には函館出身で有名なあのアーティストがいるとも言われている。
「やばぁ〜、あの目は怒っているよ……あたし何かしたかなぁ? あれとかこれとか……思い当たる事が多すぎるかも……って、はぁ、あなたたちも早く教室に入りなさいよ!」
動揺を隠し切れない絵梨子はため息をつきながら、小走りに教員入り口に消えてゆき、その後姿を幸作たちは、優しい目で見守る。
「はは、今度は何をしでかしたんだろうねぇ」
以前は理事長の胸像に雑巾を干しているところを、ばぁちゃん先生に見つかりこっぴどく怒られているのを目撃した事がある。
「おはよ」
ざわつく教室に入り自席に着くと背後から声がかけられる。
「おはよ……姉さんは置いてきたのか?」
振り返った先には理知的な顔を、笑顔に変えているクラス委員長の湯田芽衣(ゆだめい)。
「だってオネエ起きないんだもん、あたしまで道連れはいやだからね? 先に出てきた」
肩をすくめ小さく嘆息する芽衣の姉は、さっき職員室に呼び出されていたアニメ声の小柄な先生絵梨子で、相反して妹の方が大人っぽく落ち着いて見える。
「芽衣ちゃんはいつも早いもんね?」
苦笑いを浮かべながら幸作の隣の席でカバンを置いた麻里萌も声をかける。
「湯田さんは、このクラスでいつも一番に登校している、その時間は……」
音もなく忍び寄って来て、まるでストーカーの様に時間を克明に言い当てるのは、このクラスの中でも一、二を争うほど特殊な男である三宅啓太(みやけけいた)で、その克明さに芽衣は数歩引き、さすがの麻里萌も少し嫌そうな顔をしている。
「――お前なぁ、そのうち親方日の丸にご厄介になる事になるだろうと思うよ……今その片鱗を見た気がするぜぇ」
メモをつけずとも、異性の行動を分刻みで把握しているというのは一種の犯罪で、迷惑防止条例に抵触している恐れがある、自首をするなら今のうちという事を彼に勧めておこう。
明らかに啓太の周囲から人の輪が遠ざかっており、幸作も一歩引いてしまう。
「冗談だってば、ただいつも乗る電車の時間を知っているから……」
やっぱり!
ズザッと引くみんなの視線がそれと確定した色になると、その視線に啓太は慌てて頭を振り、全身全霊を込めてその疑惑を否認する。
「わかっているよ、君が普通の女性を好きになるわけがない。君が愛する事のできるのは二次元に生きている美少女たちだけという事を僕だけは知っている」
そんな啓太に一人歩み寄るのは、幸作からするとやはり特殊な人種に分類される亮だ。
見た目は普通……いや普通よりもかなりいい顔立ちをしていて、文武両道、性格は……それを除くといいのかもしれない。そんな男子を世の女子が放っておく訳もないのだが、不思議とそのような浮いた話は聞いた事がないのは、その特殊性からなのだろうか?
「そして僕の愛せる人は……」
ぞゎゎっと背中の毛が総立ちするような感覚に振り向くと、亮の熱い視線と交じり合う。
いや本当は交わらせたくなかったんだけれどね? たまに奴はそんな目で俺の事を見てくる、初音が言うには奴の本命は俺という事だが、そんなアブノーマルな世界には間違っても足を踏み入れたくない。
「はぁ〜い、皆さん席について」
あまりにも小さくて気が付かなかったのか、それともそのロリフェイスが妙にこのクラスに馴染んでいるせいなのかわからないが、いつの間にかこのクラスの担任である絵梨子が教壇上で出席簿をトントンと鳴らしながらアニメ声を発している。
「今日は転校生を紹介しますよぉ〜」
転校生? 麻里萌といいこの学校は転入してくる生徒が多いのかな?
新学期がはじまった頃、幸作の隣の席に座る麻里萌が東京から転校して来た。それから二ヶ月経ち、再び転校生が来るというのはかなり珍しい事だと思う。
「転校生だって」
恐らく同胞を得たような気持ちなのだろう、麻里萌がコソッと幸作に声をかけていると、教室の最前列に座る二人の前を、かなり良いセンスの見覚えのない制服が通り過ぎてゆき、通り過ぎたその後からは、幸作が嗅いだ事のない香りを従えている。
きゃぁぁぁ〜〜〜〜っ!
教室内にざわめきが起きる、その声の根源の八割以上が女子であろうか、その声はかなり黄色かかっており、まるでアイドル歌手のコンサート会場のようだ。
「ハァ〜ィ、静かにしてぇ〜」
パンパンと手を打つ絵梨子に視線が集中する……いや、正確にはその隣にいる人物にだが、一応にその視線は二分され、疎ましそうな顔をしているのが男子のほとんどであり、うっとりとした顔をしているのが女子のほとんどである。
「エッと、突然なんだけれど東京からの転校生で柏崎智也(かしわざきよもや)君です、柏崎君、自己紹介をしてくれるかしら?」
なぜか少し赤ら顔の絵梨子からチョークを渡されると、ニコッと女の子と見間違えそうな顔立ちをほころばせ、男子である証であるその長身を生かすように、黒板の上辺に近い位置から綺麗な文字で自分の名前を描く、その字は教師である絵梨子よりもはるかに上手で、それを見上げている絵梨子はため息をつく。
「はじめまして、柏崎智也です」
いたってシンプルな自己紹介ではあるが、その声は映画の俳優のようで、教室中にその美声が嫌味なく通ると、女子生徒のため息が合唱されるように教室を取り巻く。
「東京という事は、麻里萌ちゃんと同じよね? 元同郷のよしみで色々と案内とかしてあげてね? じゃあ柏崎君の席は、多分にもれず空いている野木さんの隣に……」
今朝来て机が増えている事に首をかしげていた初音だったが、この事かと合点したように頷き、少し頬を赤らめながらその席の椅子を引いたりしている。
なんだ初音の奴、ガラにもなく……。
その様子を見ながら幸作は苦笑いを浮かべるが、その視界の片隅で隣に座っている麻里萌の頬も赤らんでいるように見え、慌てて視線を向ける。
「へぇ、柏崎クンって東京なんだぁ、どこから来たのかな?」
そんな麻里萌の呟きに、幸作の中にモヤモヤした感覚が広がりをみせ、その広がりに比例するように、顔には不機嫌そうな色も広がる。
「すっごいイケメンよね? 完全にアイドル系の顔をしているわ……情報を収集しないと」
背後の席に座っている芽衣は、普段はそういう事に興味を示さないのだが、今回に限ってはそう言いながら目を輝かせており、幸作にはそんな事は念仏程度、いや、疑念の気持ちをさらに増幅させるためのカンフル剤のような役割を果たす。
なんだ? ちょっと色男だからといって皆してざわめきやがって……顔の造形の違いは、完全に俺のノックアウトだが……しかし人間は見てくれだけじゃないんだぞ! 中身、そうだ人間中身が一番重要なんだ!
負け犬の遠吠えのような事を心の中で騒ぎ立てている幸作だが、おそらくこの教室内にいる性別男は皆同じ事を考えているだろう。
「ハイハイおしゃべり終了!」
困り顔を浮かべながらパンパンと両手を叩きながら自体を収集させようと絵梨子はするものの、女子生徒の視線は一点に向かったままで黒板に向かう事はなく、男子のうつむき加減の視線も正面を見据える事はなかった。
「しかし色男というのは何をやっても色男なのね? 勉強よし、運動よし、器量よしと三拍子揃っているよ……他のクラスからのギャラリーが時間を追う毎に増えていっているかも……」
完全に自分の席から弾き出されたような格好の初音は、女子生徒が群れをなして見えなくなっている自席に視線を向けるが、そこには女子の人垣しか見えず、中には携帯のカメラでその姿を撮っているつわものもいる始末で、その中心にいるべき時の人の姿も見る事は出来ない。
全てにおいてノックアウト……いや、完全試合で負けたような気になってきたぜぇ。
一時間目数学……数学なのに出てくるアルファベットに恨みを込めた視線を向けている幸作に対して、黒板上にその数字を躍らせている智也。
社会に出て方程式やら微分積分が必要とは思えないからいいんだ……たぶん。
二時間目英語……完全に日本人の発音の幸作に対して、『実はアメリカ人だったのか?』と本気になって考えてしまうほど流暢な英語を喋る智也。
俺は日本が好き! だからいいんだ……たぶん。
三時間目古典……何とか話しには付いていく事ができるものの、漢字を読み違えるなどのケアレスミスが目立つ幸作に対して『その時代に生きていたのか?』と思わせるほどの智也。
そんな大昔の言葉など知る必要なし! 俺は今に生きるからいいんだ……たぶん。
四時間目体育……得意のバスケットボールで形勢逆転を図りたい幸作は、今まで以上に絶好調だったものの、相手はNBAの選手ばりの智也。
一生懸命生きていればいい……たぶん。
まさに瀕死の状態のような幸作は、気力だけで自分の席に座っているようなものなのだが、その人垣に視線を向けていた麻里萌は、
「ウン、何をやっても絵になるって言うのかな? カッコいいよね? 柏崎クンって」
完全に幸作の息の根を止めるような麻里萌の一言に完全に打ちのめされ、体を地球の重力には向かわせる気力がなくなりとうとう机に突っ伏せてしまう。
ヘェヘェ、どうせ俺は凡人ですよ、何をやっても並な事しかできない、しがない高校生その一でしかありませんよ。
「あっ、で、でも幸作クンだってゴール決めたし、決勝のスリーポイントだって決めたじゃない? カッコよかったよ?」
そんな幸作の様子を見て麻里萌は慌てて取り繕うが、幸作のうつろな目を元に戻す事は出来ず、対応に困り果てたように作り笑いを浮かべる。
哀れむように言わないでくれ……余計情けなくなってくるぜ、そもそもあいつと俺は違うんだ、あんなスーパーマンと俺との接点なんてない。
下唇を突き出しいじけたような表情を作る幸作に、麻里萌は困り果てたような表情を浮かべているが、突然女子の注目を浴びているような気配に気がつき、視線をあげる。
「笹森さん?」
その気配に幸作も気がつき、イジケ顔のままで顔を上げると、その賑やかな中でもはっきりと聞き取る事のできる美声が頭上に響きわたる。
「柏崎クン?」
顔を上げた先に見えたのはパックジュースのストローを咥えたままの初音で、まん丸の目をして幸作の背後に立っている人物に視線を向けており、それに促されるように幸作も振り向くと、そこには良い生地なのであろうを使っているブレザーの壁……。
――腹? いや……背の高い奴だなぁ……見上げる立場にもなってくれよ。
自分の背が高いという事を棚に挙げながら心の中で毒づく幸作だが、そんな人物は眼中にないといった様子でその切れ長の綺麗な目は麻里萌の事だけを見つめている。
「キミが笹森さんかぁ……キミも東京から引っ越してきたばかりなんだってね?」
ニコッ! 自然に微笑むその口からは、まるでレーザー光線でも仕掛けてあるのではないかといわんばかりに白い歯が光り輝く。
コイツと話をするときはサングラスが必要かもしれないな?
「ハイ、二ヶ月前に越してきました……だからあたしもあまりこの辺の事とか良くわからないんですよ、聞くのならやはり地元の方々に聞いた方が……」
モジモジとしながら麻里萌はそう言って幸作の顔をチラリと見ると、その視線に気が付いたのか智也の視線がほぼ真下にいる、憮然とした顔をしている男の事を見下ろす。
困ったような顔をしているが、なぜか麻里萌のやつも頬を赤らめているんだよな?
「エッと、彼は……」
智也は再び麻里萌に顔を向けると、首を傾げる。
「戸田幸作クン、あたしがこの街に来た時に色々と教えてくれた人なんです……」
ちょっと照れ臭そうにして言う麻里萌の頬は、少し赤らんでいるようにも見え、その様子に智也はフゥーンと鼻を鳴らしながら幸作の事を見る。
「戸田君って笹森さんの彼氏?」
視線は幸作を見ながら麻里萌に対しての質問を向けると、その台詞に麻里萌は音を立てたように顔を一気に紅潮させ、幸作の顔も赤らむ。
「そっか、だったらボクも色々と戸田君に教わるようにしようかな? いいかな?」
人懐っこい笑顔を浮かべて右手を差し出す智也に対し、幸作は意表をつかれた様な表情を浮かべながらその手を握り返す。
なんだ? 三拍子揃っている割には嫌味もなく、やけに人懐っこいじゃないか? もしかして俺は偏見の目で奴を見ていたのかな?
麻里萌の紹介で初音や亮にも同じように握手を求める智也は楽しそうな顔をしている、そんな顔を見ていると今日初めて会った人物とは思えないような気になってくる。
「人懐っこい人ね?」
校門から電車通りまでの道はみんなが集中して歩くため、道幅いっぱいに同じ制服を着た男子生徒女子生徒が声を上げており、幸作たちもその中の一員になっている。
「柏崎の事か? そうだな、色男というのは、イコールいけ好かない奴だと思っていたけれど、それはどうやら俺の偏見だったみたいだな?」
春風に近い暖かな風が麻里萌の長い髪の毛を揺らし、その都度新緑の葉っぱの香りに混じってシャンプーの香りがしてくる。
「ウフ、そんな事ないでしょ? 幸作クンだって結構色男だと……」
麻里萌はそれだけ言うと、いきなり顔を赤らめうつむき、その様子に幸作も顔を赤らめる。
「なんだかなぁ……ラブラブゥ、思春期真っ只中しているのかしら? 後ろから見ていると『ウキィ〜ッ』ってなるから、そんな事を公衆の面前でやらないようにしてくれる?」
背後から声をかけられ、幸作と麻里萌はその声に振り向くと、そこには呆れ顔の初音の顔があり、その頬は少し膨らんでいるようにも見える。
「初音? お前いつからいたんだ?」
「エッと『幸作君も結構……』の辺りからかしら? 麻里萌ちゃんも結構大胆ね?」
初音がウィンクしながら麻里萌の顔を覗き込むと、その顔は浜茹でされた花咲ガニのように真っ赤になり、今にも頭から湯気が出てきそうなほどである。
「アァ〜ア、なんだってあたしに春が来ないで、なんで幸作なんかに春が来るのかなぁ……しかもこんなに可愛い初音ちゃんをフルなんていい度胸よね?」
意地悪い顔をしながら初音は二人に背を向けると、照れ笑いを浮かべ顔の赤みを残したまま、麻里萌は申し訳無さそうな顔をしてその背中を見つめる。
「初音ちゃん……」
「エヘヘェ〜……エイッ!」
声をかけようと麻里萌が手を伸ばしかけた途端、初音は目の前にあった幸作の腕に力いっぱい抱きつき幸せそうな笑顔を浮かべ、それを見届けてしまった麻里萌の頬がいっぱいに膨れ上がってゆき、そうして、
「初音ちゃん!」
反対側に空いている腕にしがみついてきて、幸作の胸の前で互いに睨み合う。
既にこの状況に慣れはじめてきている俺ってどうなんだろうか? 麻里萌は俺の一応彼女になるし、初音は小さい頃から知っている幼馴染、しかも二人とも結構可愛い女の子である事は俺の中でも認識があるし、遠目に殺意を持った男連中の視線から見ても、それは明らかであると思われる。そんな美少女に抱きつかれている状況というのは羨ましいのであろう。
「へへぇ〜ん、言ったでしょ? うかうかしていると、あたしが取っちゃうよって」
まるで麻里萌の事を挑発するように、初音は困り顔の幸作の胸の前で舌を出す。
「うぐぅ〜」
この事をグゥの音も出ないというのであろう、言葉を返す事のできなくなった麻里萌は、アヒルのように口を尖らせながらその身体を幸作に強く押し付けてくる。
ちょ、ちょっと麻里萌さん? そんなに強く抱きついてきたりすると、そのぉ……柔らかいものがムニュって腕に当たってきて……やばい事に……なるかも……。
決して大きくはない(悪い言い方をするとむしろ人より小さい……)胸が、幸作の腕に押し当てられている格好になり、その感触に幸作は思わず腰を引いてしまう。
「やるわねぇ〜? エイ!」
負けじと初音もその身体を幸作に押し付けると、反対側の腕にも心地いい感触が……。
こっちはこっちで弾力が違うよなぁ……麻里萌と違って、腕がそれに包み込まれるような感じがすると言うか……初音って結構胸が大きかったのね?
青少年には強すぎる刺激を受けた幸作はその顔を真っ赤にするが、そんな事は関係ないように初音と麻里萌の睨み合いは幸作の胸元で続いている。
「お二人さん、もしも俺のこれからの学園ライフを応援してくれるのならば、このような通学路でのその行為はやめていただきたいのですが……歩けないし……」
周囲の視線は冷たく、見知った顔の同級生あたりからは殺気じみた視線を向けられる。