坂の街の小さな恋U

第五話 火花散る大会



=賭け?=

「ここからすぐだよ」

 二人の通う高校から近く、電車で湯の川寄りに三つ先にある『市民会館前』の電停で電車を降りるとすぐに近代的な建物が見え、その入口には『全道バスケットボール選手権大会道南予選会会場』と大仰な手書きで書かれた看板が立っている。

「なんだかワクワクしてくるなぁ。道南予選という事は、これに勝てば全道大会に出場するわけでしょ? それにも優勝したら北海道代表でインターハイ……千鶴さんが全国大会かぁ」

 まるで夢見る少女のような顔をしてその看板を見つめる麻里萌に対して、幸作は苦笑いを浮かべるしかなかったが、その間にも色々な学校のジャージ姿の男子や女子が忙しそうに二人の横を駆け抜けて行く。

「飛躍しすぎじゃないのか? でも、千鶴の学校ならありえるのかもしれないよな?」

 明和大付属高校という名前は、何回か全国紙にもその名を連ねた事もあるらしく、一回戦負け常連のウチの高校と違って、その夢はある意味現実味がある。その有力校の中でレギュラーポジションを担っている千鶴はやっぱりすごいんだろうなぁ?

「でしょ? ニュースに出ちゃったりして千鶴さんが有名人になっちゃったりして……」

 既に妄想に近い予想をする麻里萌の中では、一躍有名人になった千鶴が出来上がっているようで、ウットリとしたような顔をしている。

「そうして我が学校は一回戦負けだろ?」

 体育館を入り、ロビーに掲げられているトーナメント表の中から自分たちの通う校名を探す。

「ん? 気のせいか校名が消えていないようにも見えるんだが……」

 トーナメント表を幸作が指し示す校名の上に伸びる線を、明らかに手書きで延ばしたというような赤線が延び、数回角を曲がっている。

「お前には愛校心という物が欠落しているようだな……」

 今にも目を擦ろうとする幸作の背後から冷めた声が聞こえてくる。

「古瀬さん!」

 その声にパッと笑顔を浮かべる麻里萌に対して、声の主である音子が人差指と中指をそろえてまるで敬礼するように額に当てる。

「よっ、笹森」

 まるで幸作の存在を無視したように、音子は麻里萌だけに対し挨拶をするが、その顔は自信に満ちたような顔をしている。

「すごいですよね? 二回戦突破じゃないですか!」

 午前中から試合を行っていたのであろう、音子たちの女子バスケ部は、既に二回試合を行い、手書きの赤いラインはさらに上に向って伸びていた。

 男子バスケ部については語るに及ばず……既に部員の姿すら無いとはだらしがないなぁ。

「フフ、これがあたしたちの実力さ」

 自慢げに言う音子ではあるが、その表情は言葉通りの余裕はない。

「であれば、その実力とやらを見せてもらおうか?」

 意地悪い顔でいう幸作に対して音子は、一瞬言葉を詰まらせるが、言い出したら後には引けなくなってしまったのであろう挑戦的な顔をしながら幸作の顔を見つめる。

「――面白い、だったら賭けないか?」

「賭け?」

「あたしたちが次の試合に勝ったら……そうだな……あたしに何かおごるとかはどうだ?」

 うつむき加減で言う音子のその挑発に簡単に乗ってしまう幸作。

「面白い。もしも負けたらどうする?」

 その顔をほくそ笑むような顔をして見つめる幸作に対して、その挑発に乗る音子。

「その時は……昼の学食一週間分あたしが面倒見てあげる」

 思わぬ好条件を出してきた音子に対して、幸作は心の中でギュッとガッツポーズを作る。

「わかった、その条件呑もう……ベストを尽くしてくれる事を祈るよ」

 親指をギュッと立てる幸作に対して音子は、どことなく嬉しそうな顔をする。

「言われなくったって、あたしはいつもベストを尽くすよ!」

 音子もそれに答えるように親指をギュッと立てる。

「でもぉ……次の対戦相手って……」

 そんな成り行きを大人しく見ていた麻里萌が、申し訳なさそうに二人に声をかけてくる。

 そういえば対戦相手まで見ていなかったよな?

「……って、オイ……相手は『明和大付属』じゃないか……」

 やけに気合の入った表情を浮かべる音子は、鼻息荒く幸作の顔を睨みつける。

「そうよ! 相手にとって不足は無いわ!」

 ――その相手が不足に感じているという事も視野に入れて考えた方がいいよ? だから音子は『猪突猛進』といって、みんなから『ウリボウ』というあだ名をつけられるんだ……。

「おめ、相手はあの『明和大付属』だべ?」

諦め顔の幸作に対して、音子の自信満々な顔が近づく。

「そうよ、それがどうしたの?」

 フンと鼻を鳴らす音子は、臆する事無くそのトーナメント表に睨みをきかせる。その表情には怖いもの知らずというか、負けるという設定を無視したように自信に満ち溢れている。

「相手は北海道代表だべや……恪が違いすぎねえか?」

 諦めたような顔をしている幸作の目の前に、白く細長い人差指が付きくけられ、それは音子の声とともに左右に揺れる。

「チチチ、相手が強いからこそやる気になるんじゃないのよ『弱きを助け、強気をくじく』よ!」

 微妙に意味が違うような気がするけれど、これ以上こいつと漫才をしているわけにもいかないし、その対戦相手である千鶴の所にも行かなければいけないから、適当に流しておこう。

 曖昧な笑みを浮かべながら幸作は視線を音子から外し、その視線を隣で何気なく周囲を見回している麻里萌に向ける。

「わかったよ、まぁがんばってくれや」

「うん! がんばるよ!」

 おざなりな励ましに対して、音子は力強く素直に頷き、その姿に幸作は少し胸が痛む。

「がんばってくださいね? 古瀬さん」

 そんな事に気がつかない麻里萌は両手にこぶしを作り、素直に音子の事を励ますように言うと、本来なら喜んだ顔をする筈の音子の顔が曇る。

「ウン、ありがとう笹森……エッと……その……二人はデートの途中なのか?」

 今までの力強い視線とは違って、さ迷う様な視線を麻里萌と幸作の間に漂わせている。

「で、デートって……そんな大仰なものじゃなくってだな……ただ、幼馴染の応援に来るついでに麻里萌に色々な所を案内していただけで……」

 照れくさそうな幸作が言うその隣で、麻里萌もコクコクと頷いているものの、音子の顔は納得いかないというような視線を幸作に向けてくる。

「ふ〜ん……誰を応援に来たの?」

「エッと……宝城千鶴さん……」

 キョトンとした顔をする麻里萌の一言に、音子の切れ長な目がさらにつりあがる。

「宝城って……あの、明和大付属の?」

 ほら、すぐに気がついちゃったじゃないか……。

 さらに険しい顔をした音子が、迫力ある視線のままに幸作の事を見つめてくる……事は無く、その顔はさっきまでのチャレンジャーのような顔をして見つめている。

「なるほどね? それで? 戸田はどっちを応援するのかな?」

 瞳を燃やしているような音子に対し、幸作は少し考えたような顔をしながら、

「やっぱり学食一週間分は魅力的だが、応援に来てくれと誘ってきた相手を蔑ろにするわけにはいかないからな? 九十パーセントは千鶴になってしまうな? 申し訳ないが……」

「じゃあ残りの十パーセントは?」

「フム、愛校心かな?」

 ニッと微笑みながら言う幸作のその言葉に、音子の表情が一気に引き締まる。

「――だったらその十パーセントに賭けるかな?」

 パンと自分の頬を叩きながら音子はそう言い、肩を怒らせながら身体を翻す。



=試合前=

「古瀬さんずいぶんと気合入っていたね?」

 普段はロビーとして使われている場所には、カラフルな色のユニフォームを着た選手や、見覚えがあったり無かったりする学校の制服を着た男女が入り乱れている。

「そうかぁ? 俺にはあまりそうは感じなかったけれどなぁ……むしろ、邪な心の方が見えたような気がするぜ? おごるか、おごられるかという……ハハ」

 どこと無く汗臭いロビーを歩きながら幸作は苦笑いを浮かべ、その隣を歩く麻里萌はどこか不満げな表情を浮かべて歩いていると、ジャージを着た選手団の片隅でヒラヒラと手を振るポニーテールの女の子の姿が幸作の視界に入ってくる。

「幸作ぅ〜」

 手を振るその娘――千鶴は嬉しそうな表情を浮かべながら手を挙げているが、その声に反応したのは幸作だけでないと気がついたのか、周囲の視線が自分に向く事を感じその手をおろす。

 ったく、粗忽者……。

 頬の赤みを残しながら幸作は呆れ顔を浮かべるが、隣にいる麻里萌は、幸作と同様に顔を赤らめている千鶴に向けて手をパタパタと振っている。

「やっほぉ〜、千鶴さぁ〜ん」

 ――たまに天然かと思う事があるのだが……この娘。

 会場によく通る麻里萌の一声にさっきまでの千鶴に対する視線が、幸作達に向けられる。

「よ、よぉ」

 その視線に照れながら幸作も千鶴に声をかけるが、千鶴と同じユニフォームを着た女子らからはヒソヒソと色々な声が幸作の耳に入ってくる。

「誰?」

「千鶴の知り合いらしいわね?」

「宝城先輩の?」

「噂の彼氏かしら……確かにあまりパッとしないけれど……」

「だったら隣にいる女は誰?」

「彼氏の妹じゃないの? 幼いし」

 なんだか知らないけれど色々な噂が出来上がっているようなんですけれど……その前に、あまりパッとしないというのはどういう意味なのか、後で説明してもらおうか?

 ギロッと千鶴を睨みつける幸作の視線に、千鶴は作り笑顔を浮かべながらその腕を引く。

「お、応援に来てくれてありがとう……」

 どこか言葉に感情がこもっておらず、棒読みのように言う千鶴の顔は引きつったような笑顔を浮かべているが、周囲のヒソヒソ声はあとを絶たない。

「そりゃ彼氏が応援してくれるならがんばるわよね?」

「そっか、やっぱり彼氏がいたんだぁ……ちょっとショックかも……」

 力なくうなだれている女の子に対して、その肩をポンポンと叩き励ます女の子……見てはいけない世界を俺は垣間見てしまったのかもしれない。

「アァ〜、あまりギャラリーの言う事は気にしなくっていいから……それより本当に応援に来てくれるとは思わなかったよ」

 照れ臭そうに言いながらも千鶴は本当の笑顔を浮かべる。

「まあね? お前との約束を無碍にすると夕飯が質素になるんでな?」

 それは事実です。以前に千鶴との約束を忘れた日の夕食には、めざししか出てこなかったんですよ? あの日のひもじさを俺は忘れないよ……トホホ。

「フフ、女の情報網をなめないでよね?」

 ピッと幸作の鼻先に人差指があてがい、不敵な笑みを浮かべながらウィンクする千鶴の隣で麻里萌も意地の悪い笑顔を浮かべている。

 ウ〜ム、恐るべき女ネットワーク……変な事ができないではないか……。

「ちなみに、初音ちゃんのメアドも知っているよ?」

 サラッとした顔で言う麻里萌の顔に対して幸作は、一気にドンヨリした表情になる。

 そうか……女の情報網はメールによって成り立っているんだな?

「幸作には無縁の長物でしょ? メールって」

 意地悪い顔をして幸作の顔を覗き込む千鶴の視線に、幸作は思わず目を背ける。

「うるさい。そもそも携帯電話というのは『電話』なんだぞ? 電話というのは話してなんぼじゃないか? それは電話に対して失礼だと俺は思うぞ」

言っている意味がわからないと思うが、俺はメールというのが苦手で、自慢じゃないが五行のメールを打つのに一時間もかける男なのだ。ゆえに貴重な時間を割くメールは嫌いだ。

「馬鹿ねぇ、言葉じゃ伝えられないけれど、文字でなら伝える事だってあるじゃない? だから今はメールなのよ? そんな事を言って、まるで年寄りみたい……」

 両手を肩の高さまであげて、まるで幸作を小馬鹿にしたような表情を浮かべながら、千鶴はその顔を見るが、幸作の隣にいる麻里萌はキョトンとした顔をしている。

「幸作クンってメアド持っているの?」

 無垢な麻里萌の一言に、千鶴はものの見事にズッコケ、幸作も肩の力が一気に抜ける。

 あの麻里萌さん? 俺も携帯を持っているし滅多に使わないものの、一応メール機能も付いているよ、というよりもメールが出来ない携帯を探す方が今は難しいんじゃないでしょうか?

 呆れた顔をしている千鶴は、麻里萌を見るよりも先に幸作の顔を険しく睨みつける。

「――幸作……あんた麻里萌ちゃんにメアドも教えていないの?」

 コクリと頷く幸作には、千鶴の罵詈雑言が投げかけられる。



=戦場=

「エヘヘ」

 場所をスタンドに移し、堅いベンチに麻里萌と一緒に座るとその麻里萌はどことなく上機嫌な顔をして手にしている携帯に視線を向ける。

「ん? どうかしたのか?」

 そんな麻里萌の挙動を不審に思った幸作はその顔を見つめると、慌てたようにその手を振るが、その表情から笑顔が消える事はなかった。

「ううん、なんでもないよ、ただ幸作クンのメアドが分かっただけで、ちょっと嬉しかったの。エヘ、今度メールするね?」

「かまわないけれど、俺からの返信なんか期待しない方が良いぞ?」

 千鶴には力いっぱい怒られ、気がつけば携帯を取り上げられた上に麻里萌とメールアドレスを強引な形で交換させられた幸作はヤレヤレといった顔をして麻里萌を見る。

「ウフ、大丈夫だよ……エヘヘ」

 嬉しさ炸裂といった顔をした麻里萌は、そんなニコニコ顔のまま幸作の顔を見上げるが、ホイッスルの音にその顔を引き締め視線がコートに向く。

「始まるみたいね」

 真剣な顔をした麻里萌に促されるようにコートに視線を向けると、そこにはエンジ色のユニフォームを着た千鶴の姿と、スカイブルーのユニフォームを着た音子が相対していた。

「千鶴さんはスモールフォワード、古瀬さんはパワーフォワードかぁ……対照的かな?」

 アゴに手を置き真剣な顔をしながらコートを見つめる麻里萌の横顔は、どこか凛々しくさえ見え、幸作が声をかけるタイミングを逸するほどだ。

「始まった!」

 身を乗り出すと同時に再びホイッスルの音がし、センターサークルでジャンパーが飛び上がると同時にそのボールを取り合うように選手たちが入り乱れる。

「オフェンス弱すぎ、もっとポイントガードにボールを回さないと……そこ! 古瀬さんにボールが渡った! あっ!」

 コートの中を見ると、床にボールを打ちつける音子と、両手を広げてディフェンスにまわった千鶴が一対一で見つめ合っている。

 さて、ここで音子がどう動くかな? セオリー通りに行ったら間違いなく千鶴がその行く手を阻むであろう。ここは背後にいる見方にパスを出した方が……!

 猪突猛進の音子らしい選択であろう、その身体はよけるフェイントを見せながら、真っ直ぐにゴールポストに向かうと、フェイントのせいで体勢を崩した千鶴の脇をすり抜ける……かのように見えたが千鶴のとっさに出した右手がそのボールに触れ軌道が変わる。

「惜しい! 古瀬さんナイスフェイント! 千鶴さんナイスカット!」

 既にどっちを応援しているか分からなくなってきているんですが……まぁ、麻里萌らしいといえばそうかもしれないが……俺的にも千鶴にがんばってもらいたい気持ちと、ほんのりと学食一週間分という甘い誘惑に負けそうになっているかも。



「ハーフタイム……」

 まるでコートで一緒に試合を行っているように額に汗を浮かべている麻里萌は、気が抜けたように肩を落としてため息を付く。

 三十二対二十一。意外なほどの僅差の点差に幸作も握る拳に力が入っていた事に気がつく。

「十一点差ならばまだわからないよな? 圧倒的に明和大の優勢という下馬評は取り下げた方がよさそうだ。相手もそう思っていると思うぜ?」

 負けているとはいえ、後半戦になる第三クオーターと第四クオーターでの逆転は十二分に可能な範囲で、野球でいうところのコールドゲームほどの差では無く、我が高校の善戦と言っても過言では無いだろう。

「ウン、これから後半で逆転劇あるかもしれないな? 勢い的にはウチの方があるし明和大には少し疲れが見えているかも……」

 解説する麻里萌のその一言を象徴するように、ベンチ前で音子たちは笑顔で話しているのに対し、千鶴たちの明和大付属の選手はタオルで汗を拭うのに精一杯みたいだ。

「――完全にウチの学校の方が押しているようだよね?」

「ウン、千鶴さんには申し訳ないけれど勢いはウチにある」

 きっぱりと言い切る麻里萌の顔には、申し訳無さそうな色が少し浮かんでいるのは千鶴に対する心遣いからであろう。

「確かに、学食一週間分かぁ……」

 ヘラッと笑う幸作に対して厳しい視線を向ける麻里萌は頬を膨らませる。

「純粋なスポーツにそんな邪な心を持ってはいけません!」

 ピシャリといわれて幸作は背筋を伸ばすが、正直言ってここまで自分の学校が善戦するとは思ってもいなかったのも事実だったりする。

「スミマセン……」

 ペコリと麻里萌に頭を下げながら幸作は視線を感じその視線の方に目を向けると、コートの中から音子がこちらを見ている事に気が付く。

 フム、とりあえず手でも振っておこうかな?

 少し遠慮がちに幸作が音子に向けて手を振ると、それに気が付いた音子は嬉しそうに手を振りかえ……さないで、なぜかプイッと相手チームの輪を見つめる。その視線の先には、エンジ色のユニフォームを着た千鶴の嬉しそうな顔があった。

「どうかしたの?」

 見つめてくる麻里萌はその幸作の視線をたどるように見ると、チームの輪から少し離れた所で、周囲に気が付かれない様にだが、しっかりとこちらにわかる様に手を振っている千鶴の姿があり、それに麻里萌の頬がさらに膨れ上がる。

「ふぅ〜ん、幸作君の応援のおかげで大活躍といったところかしらねぇ」

 離れながらも機嫌悪そうな顔をしているというのがわかる音子だけではなく、隣に座る麻里萌もプイッとそっぽを向く。

 なんとなく四面楚歌状態ですか? 今の俺って……ちょっと寂しいかも。

 トホホといった体で幸作がうなだれていると二人の背後から、汗臭いこの会場には少し不釣合いな爽やかな声が聞こえてくる。

「笹森さん!」

 振り返る麻里萌から僅かに遅れる幸作の視線の先にいるのは、東京からの色男転校生。カジュアルな服装をさりげなく着こなしており、その姿は周りにいる女子高生たちの視線を集めるには十分の威力があった。

「と、智也クン? 何でこんな所に?」

 素直に驚いた顔をする麻里萌に対して、智也はまるで発光ダイオードを埋め込んだような白い歯を輝かせながら爽やかな微笑を浮かべる。

「僕の家がこの近くでね? 愛犬の散歩をしていたら笹森さんと戸田君の姿が見えたから」

 不満げな表情を浮かべる幸作に対して、麻里萌の目尻は一気に下がる。

「えぇ〜っ、ワンちゃんと一緒なの? いいなぁ、何を飼っているの?」

 麻里萌の犬好きは俺もよく知っている。以前お店に来たお客さんの犬と一時間近く戯れていた事もあるし、近所の犬とはほぼみんな顔見知りだったりする。

「ウン、ゴールデンレトリバーだったかな? 図体ばかりデカくって甘えん坊なんだよ」

 爽やか笑顔のままで智也の挙げる犬の名前に、麻里萌の目は既に線のように細くなる。

「いいなぁ〜、いまどこにいるの?」

 指を咥えながら麻里萌は、まるで物欲しそうな表情を智也にむけるその表情に、幸作の心の中の何か火が付いたように一気に嫉妬心が湧き上がる。

「ウン、体育館の中に入れる事なんてできないから、入口においてきたよ」

「えぇ〜、そんなの可哀想だよ」

 そうだ! 早くつれて帰ってしまえ!

「ウン、そう思ったんだけれど、笹森さんと戸田君がどこに行くのかちょっと気になったから」

 ペロッと舌を出すその智也の仕草は、同性である幸作でもドキッとするような表情だから、異性である麻里萌はひとたまりもないであろうが……。

「アハハ、そんな事気にするほどじゃないでしょ? それよりも、ワンちゃんの方が寂しい思いをしているかもしれないから、早く行ってあげたほうがいいよ?」

 そんな表情を気にした様子も見せないで、麻里萌は女神のような微笑を智也に向けている。

「あっ、ウンそうだね? そうするよ……」

 そんな麻里萌の笑みに対して智也は頬を赤らめながらうつむき加減に答えると、未練がましいような顔をして麻里萌の事を見つめている。

 ウ〜ム、喜ぶべきなのかなんなのかよくわからない台詞だったなぁ、麻里萌の回答は……。

「でもぉ、あたしもちょっとワンちゃん見てみたいかな? 紹介してもらえる?」

 突然申し入れる麻里萌の言動に呆気に取られたような表情を浮かべる幸作であるが、それとは正反対に嬉しそうな顔をする智也は、大袈裟なまでに麻里萌を誘うように両手を広げる。

「喜んで! 笹森さんと会えばラッキーだって大喜びだよ」

 ――大喜びなのはお前の方じゃないのか? いまお前に尻尾がついていたら、千切れんばかりにブンブン振っているだろうよ。

 心の底で毒を吐く幸作の事など関係ないように麻里萌は智也に促されながら席を立つが、幸作は下唇を突き出しムッツリした顔のままベンチに座って動こうとしない。

「幸作クンは?」

 動こうとはしない幸作に気が付いた麻里萌は首をかしげながら振り返る。

「俺はいいよ」

 ブスッとした顔をしたまま、まだ整備を行っているコートに視線を向けている幸作の事を、麻里萌は怪訝な顔で見つめるが、

「そう、じゃあちょっと行って来るね?」

「エッ?」

 まさか智也と二人きりで行くとは思っていなかった幸作は、思いもしなかった麻里萌の一言に驚きながら、去ってゆくそのワンピースの後姿を見つめ、さらに憮然とした顔をする。

 ケッ、たかが犬を見に行くだけでそんなに嬉しそうな顔をしやがって、そんなに柏崎の犬が見たいのかね、犬なんてみんな同じだべ?

 心の奥底から湧き上がってゆく得体の知れないものは、幸作のアドレナリンを無駄に形成し、その脳内にはイライラという思いがヘドロのように積み重なってゆく。

 大体俺たちの後を追いかけてくるなんて、あいつはストーカーかっていうの! しかも、わざわざ声なんてかけてくるかっていうの! 見てくれと違ってなまらへくせぇ男だなぁい!

 積もるイライラは、幸作の心の中でとてもカッコ悪いと智也を罵倒し、ギリッと目の前にあった落下防止用の鉄作を力いっぱい握り締め、その握り締めた手にかなりの力が入っているのは、その拳が白くなっている事から安易に想像がつく。

 そんな幸作の様子を遠めに見ていた音子と千鶴は、共に気が付いたのかチームメートとの話を中途半端に聞きながら、視線だけを向けていたが、やがて後半戦を告げるホイッスルの音が聞こえてきて、二人は同じように慌ててコート内に飛び出してゆく。

「もうハーフタイムは終わりか……麻里萌のやつ帰って来ないじゃないか……」

 あい変わらずブスッたれた顔をしている幸作は、体育館の入口に視線を向けるが、そこにはさっきの若草色のワンピース姿はなく、そのふてくされた顔のままコートに視線を向ける。

 なんだよ、試合を楽しみにしてきたんじゃないのか? それとも、その事を忘れてしまうぐらいに柏崎の犬が可愛いってか? ったくよぉっ!

 ぶつけようのない怒りを蓄えたまま幸作は視線をコートに向けるが、そんな様子で見る試合内容はまったくといってその脳内に留まる事はなく、ただイライラを募らせていた。



「千鶴にパス回して!」

「音子! マークに付いて!」

 ドリブルの音や、シューズが床をこする音と共に、コート内では必死な女の子たちの声が聞こえ、その声をかき消すような黄色い歓声も飛び交っている。

「きゃ〜、千鶴さぁ〜ん」

 なんだか女の子に人気があるようだな、千鶴の奴……。

「音子せんぱぁ〜い! がんばってぇ〜」

 って、音子もか……いわれてみればあの二人同じようなタイプかもしれないな? 共に背が高くって、運動神経がよく、面倒見がいい、違うのは……この件については音子に言わないでおいた方が良いだろう……教えたらきっと酷い事をされそうな気がする。

 イライラを募らせながらも幸作は、必死に試合に集中しようとそう思い、コートの中を駆け抜けている二人の姿を視線で追う。

「ごめぇ〜ん、もうハーフタイも終わっていたんだ、ラッキーに夢中になっちゃって」

 フワッと汗臭い体育館の中に良い匂いがしたと思うと、隣にはライトグリーンのワンピースの裾を広がせてその隣に座るのが、視野の片隅に入る。

「あぁ」

 どこと無くぶっきらぼうに答えるのは、幸作のその心情をそのまま表していると判断しても良いであろう。事実その表情には笑顔が無く視線を上げる事なく麻里萌の言葉に答えている。

「エヘヘ、幸作クンも一緒に来ればよかったのに、智也クンのラッキー可愛かったよ」

 仏頂面の幸作とは対照的に、満面の笑みを浮かべている麻里萌は、その犬の事を聴きもしないのに一方的に話している。

 ヘン、何だって言うんだよ……俺はあまり犬には興味が無いんだ……イジケていると言うのは自分でも気がついている、しかし、その話を笑顔で聞くほど俺はできた男じゃない。

「それでこの子がおりこうさんでねぇ……」

 嬉しそうな麻里萌の話はまだ続き、幸作の中にあるイライラも募ってゆく。

第六話に続く