第六話 ライバル(好敵手)?
=捻挫=
「第四クォーターもあとわずか……点差も切迫している」
十分間の最終クォーターも、残り時間がわずかになりはじめ、僅差の点数を追いかける音子たちは、必死にルーズボールに追いすがり、逃げる千鶴たちもその点差に必死の形相を浮かべながらディフェンス(守備)にまわっている。
ワンゴールをあげればワンゴール取られる……実力は拮抗していると言って間違いがないだろう。それは千鶴たちの必死な形相からわかる。
「音子!」
センターサークル付近にいた女子から、音子にロングパスが出され、それを受け取った音子はドリブルをしながら相手ディフェンスを上手く掻い潜り一気にゴール下まで駆け込む。
「よし! ワンゴールだっ! あっ!」
ガッツポーズを作る幸作が声を上げると同時に、ホイッスルと共にゴール下に人だかりができ始め、慌てた様子で他の部員たちがコートに駆け込んでいる。
「どうかしたの?」
目を眇める麻里萌はそれに気がついたようで、手すりから身を乗り出してコートを覗き込んでいる幸作に視線を向ける。
「誰かが倒されたらしいな……って、ありゃ音子じゃないか?」
人垣の中にチラチラ見えるのは、足を抱えながら座り込むスカイブルーのユニフォームと、それを心配そうに見下ろすエンジ色のユニフォーム。
どうやら音子と千鶴がぶつかり合って音子が倒されたという感じか? それにしてもだいぶ足首を気にしているが、捻挫でもしたのか音子の奴。
なかなか立ち上がらない音子に対して、立ったままながらも千鶴はペコペコと頭を下げながら謝り、それに対して軽く手を振って音子が応えているというのは観客席にいる幸作や麻里萌にも見る事ができる。
「古瀬さん怪我したのかなぁ」
それまでのニコニコ顔が消え、心配そうな表情を浮かべて音子の様子を見る麻里萌は、硬いベンチから立ち上がる。
「幸作クン下に降りてみようよ、古瀬さん酷い怪我じゃなければ良いけれど……」
幸作の意見を聞くとも無く、その言動はすぐに行動へと移される。
「あぁ、すぐに立ち上がれないようだから捻挫は間逃れないと思うけれどな?」
「捻挫かぁ……もっと酷くなければいいけれど……」
まるで自らが痛い思いをしたように顔をしかめて幸作の顔を覗き込んでくる麻里萌に、幸作は励ますように肩をポンと叩く。
「まぁ、そんな酷いものではないだろうよ……ほら、試合も再開されているぐらいだから、ただメンバーチェンジはしたようだけれどね」
コートに出ると既に試合は再開されているが、その一角では治療が行なわれているのであろう見覚えのあるジャージ姿の選手と、大会関係者が数人人垣を成している。
「戸田!」
その人垣に近づくといきなり声をかけられ、幸作は無意識にその声の主に振り向き、その結論を嘆くように首をうなだれさせる。
――大仏(だいぶつ)……。
ウンザリしたような顔をする幸作の視線の先には、かなりの美人なのであろうその容姿であるが、やる事がやたらと体育会系の数学の女教師大仏貴子(おおふつたかこ)が幸作の存在に驚いたような顔をしてみている。
うかつだったぜぇ、女子バスケ部の顧問は俺の最大の難敵だったよな?
体育会系のノリが何よりも一番苦手とする幸作にすれば、一番苦手なタイプの教師であり、しかも一番苦手な教科の教師となれば嫌がおうにも拒絶反応を起こすというもの。
「ども……」
作り笑いを浮かべながら幸作はその端正な顔立ちの貴子の顔を見るが、その顔は明らかに頬を引きつらせているのは自他共に承知済みだ。
「あんたがこんなところにいるとは珍しいねぇ……なんだぁ笹森も一緒か?」
怪訝な顔を浮かべて貴子は幸作の隣にいる麻里萌の事を見るが、やがて何か良い事を思いついたようにその顔を笑顔に変えるが、そんな貴子の笑顔は幸作にしてはまるで悪魔のような微笑に見る事ができ、幸作はさらに顔を引きつらせる。
やばい……何かを企んだような顔をしているぞこの表情は……。
貴子の口の端がキュッと上に上がった事を幸作は見逃さなかった。それはこの体育教師もどきの数学教師が、幸作にとって良からぬ事を考え付いたという事柄であり、長年の付き合いによって幸作はそれに気がつく
「感心だねぇ、自分の学校を応援に来るなんて……そうして今その同志が怪我によって倒れた、医者に連れて行かなければいけないのだが、あたしはこの後もここの指揮を取らなければいけないし、生憎車で来ているわけでもない」
みなを言わなくとも彼女が俺にこれから出そうとしている課題は明らかだ。
「ゆえに俺が変わりに付き添って病院に連れて行けと……そう言いたいんですね?」
ため息を吐き出しながら幸作が言うと、貴子はそれが当たり前というような表情を浮かべながらニッコリと微笑み幸作の顔を見つめ返してくる。
くっ、黙っていれば学校で一、二を争うほどの美人教師に見つめられるというのは悪い気がしないのは正直な気持ちだが……内容が悪すぎるぜ。
「よろしくね、戸田幸作」
天使のような優しい笑顔(幸作には悪魔の笑顔)を浮かべ貴子はそう言いながら、足首をテーピングでグルグル巻きにされた音子の事を見る。
「せ、先生、まさか戸田と一緒に医者に行くんですか?」
明らかに動揺した顔をしている音子は、幸作の存在に気がついた途端その足首の痛みを忘れたのかその顔をうつむかせて、動かす事のできる部分全体を使って拒否をアピールする。
「かまわんだろう、笹森もついているんだ、悪さなんてされる事はないと思うが?」
誰がそんな悪さをするか? というよりも、教師がそういう事を言うのか? そもそもそんな悪さをするのであれば俺だって相手を選ぶぜ?
意地悪い表情を浮かべる貴子に対して幸作はジトッとした表情を向け、その相方に認められた麻里萌も少し不機嫌そうな表情を浮かべている。
「という事だから、笹森も付き添ってくれ。戸田が悪さをしないように監視をしてくれ。病院は近くにあるそうだから、あたしが地図を貰ってきてあげる」
「ちょっとはあたしの意見というのは聞いてくれないんでしょうか? 大仏先生!」
既に確定となったその事柄に対し、少しいじけた様な表情でそんなやり取りを見ていた音子は、照れたように頬を染めながらも、その瞳は少し嬉しそうな光が漏れている。
「捻挫だね……全治一週間というところだろう」
付き添いと言う形で音子と一緒に入った診察室で、初老の医師が出した診断は幸作が思っていた通りのもので、看護師が音子の足首に手馴れたように包帯を巻きつけている。
「やっぱり捻挫かぁ……よかったな?」
「なにが?」
まだ痛みがあるのか音子は少し顔をしかめながらも、険のある言い方をしながら切れ長な目がさらに険しくして幸作の事を睨みつけるが、それはいつものような切れ味は無く、少し弱々しさを感じる。
「いや、捻挫程度でよかったなという事だ……あまり酷かったら困るべ?」
幸作の言い訳に対して、音子は無意識に顔が赤く反応させ、それを隠すように顔をうつむかせるが、再び険のある視線を向ける。
「よくなんてないよ! 結局試合には負けちゃうし……」
診察を待っている間、貴子と連絡を取った麻里萌が伝えてくれたのは、ウチの学校が明和大付属に負けたと言う事だった。
「それは結果論だべ? シード校の明和大付属をあそこまで苦しめたのだから、ウチの学校の善戦だと俺は思うよ。負けはあくまでも結果であって、そこまで至る内容では相手に勝っていたと思う。次の試合につながる結果だと思うよ」
お世辞でもなんでもない。客観的に試合を見ていたから言える事だ。試合内容は千鶴には申し訳ないのだが、ウチの学校の方が勝っていたと思う。
「あたしもそう思うよ? 大仏先生だって電話の時サバサバしていたし、むしろ機嫌が良かったよ? 千鶴さんもわざとではないだろうけれど、ファールギリギリまでブロックしなければいけないという焦りがあったからじゃないかしら」
診察室を出ながら麻里萌は音子の事をなだめるように言うが、当人はまだ納得のいかないような顔をしながら足元を見据えている。
「――でも、負けたら意味がないよ……内容がよくっても……負けは負けだよ」
うつむきながら唇を噛む音子に、幸作は深いため息を吐き出すと、音子の事を心配そうに見つめている麻里萌に視線を向ける。
「ったく……らしくねぇなぁ、とりあえずその格好じゃあなんだから、どこかで着替えて来いよ、帰っていいんだべ?」
頭をガシガシと掻きながら幸作が言うと、それまで悔しそうな顔をしていた音子はキョトンとしたような顔をして、麻里萌は優しく微笑みながらコクリとうなずく。
「ウン、大仏先生も病院から直接帰れって言っていたから大丈夫でしょ?」
「ちょ、ちょっとぉ?」
=心の中の結果=
「ここは?」
函館市電の『五稜郭公園前』電停で降りて少し歩いた所で、幸作が立ち止まると、後ろからついて歩いてきた麻里萌が洒落た雰囲気の店構えを見上げる。
「ヘヘ、ここは『カフェルパン』と言って、ここ本町で三十八年間やっている、老舗の喫茶店なんだよ」
怪訝な顔をした音子が、その長身を生かして麻里萌の頭越しに声をかけてくる。
「そう、俺も初めてなんだけれど一度来てみたかったんだ……」
扉を開くと、シックな雰囲気の色合いの店内は結構賑わっている。
「何だって戸田と笹森と一緒にあたしがここに来なければいけないんだ? 来るのなら二人で来ればいいだろうに……」
いくらか痛み止めの薬が利いているのか、さっきまでの痛みを我慢したような顔が音子から消えて、毒を吐くまで回復したようだな?
「どうせ送らにゃあいかんのだ、これぐらい寄り道したってバチは当たらんだろうよ」
空いている席に座ると幸作は一人で座り、その正面に麻里萌と音子が一緒に座る。
「別にあたし一人でも帰れるから大丈夫だよ……そんな二人の……そのぉ……デートを邪魔するような事をしたくないもん」
言葉尻を濁す音子だが、隣に座っている麻里萌はニコニコとメニューに視線を向けている。
「あのなぁ、既に試合を観戦する時点でその……デート……は終了しているんだよ。本当であればお前の事を突き倒した千鶴と三人でお茶をする予定だったんだ……」
デートという所だけ言い難そうに言う幸作に、音子は表情を曇らせる。
「だ、だったらそうすればいいじゃないか……明和大付属ならばまだ試合をやっているんじゃないか? 決勝までいけるのが当たり前の学校だからな?」
吐き捨てるように言う音子に、隣でメニューを見つめていた麻里萌がクスクスと微笑みながらそのメニューを音子に差し出す。
「エヘヘ、千鶴さんにはさっきメールしちゃった。『怪我をした子を送っていくから』って、すぐにメールが戻ってきたよ? ほら」
カバンの中に入っていたピンク色の携帯を取り出すと、麻里萌はそのメールの部分を取り出し音子に見せる。
「何よ……エッと『あたしのせいだから謝っておいてね? お茶は今度にしよう……すごく強かったから慌てちゃった』って……」
千鶴からのメールの内容に、普段はネコ目の瞳を大きく見開き、音子は隣でニコニコしている麻里萌にその視線を向ける。
「エヘ、千鶴さんもちょっと責任感じているみたい、試合の結果はまだ返って来ないから負けてはいないと思うけれど、千鶴さんもこう言っている事だし」
「まぁ、残念会というところかな? 今日は俺がおごるよ」
正面に座る幸作は、近くを通りかかったウェイトレスに声をかける。
「だって、賭けはあたしの負けじゃない、なんだって戸田があたしの事をおごらなければいけないの? 学食一週間分じゃないの?」
ウェイトレスにオーダーを告げ終わった幸作は、戸惑っている様子の音子に嘆息する。
「だからいったべ? 結果は負けたかもしれないけれど、試合内容では音子たちの勝ちだ。それは千鶴だって認めている事、と言う事は、あの賭けは俺の負けという事だ」
「でも、結果じゃぁ……」
「あのなぁ音子、さっきから結果がどうのと言っているけれど、その結果に至るまでの過程というのが何よりも重要だと俺は思うぜ? 確かに結果がついてくるのが一番いいかもしれないけれど、その結果に向けて自分たちがした事というものが自分たちの結果じゃないか」
「自分たちの結果……」
「そう、客観的な結果は負けなのかもしれないけれど、自分の中での結果は負けていないだろ? あれだけ強豪校を苦しめたんだから、音子たちの心の中の結果は勝ちで間違いないと思うよ」
グッと親指を突き出す幸作に、音子は呆気に取られながらも、何かに気がついたのかやがてその顔を笑顔に変え、その頬は少し赤みが差していた。
「じゃあ遠慮無く戸田のゴチになるかな?」
笑顔に変えた音子に対して麻里萌は少し複雑そうな顔をしていたが、ウェイトレスが持ってきたものによってその表情は崩れる。
「お待たせいたしました『トリコロールパフェ』です」
麻里萌と音子の目の前には、パフェグラスから今にも零れ落ちてしまいそうに盛りつけられている生クリーム一杯のパフェが置かれ、その迫力に目を白黒させている。
「すっごい迫力……今にもこぼれちゃいそう」
いたってシンプルなパフェなのだが、麻里萌はその独特のデコレーションにメガネの奥にある少しタレ気味の瞳を嬉しそうに細め、音子も嬉しそうにその様子を眺めている。
「このパフェは二十年変わっていないんだって、シンプルかもしれないけれど、この盛り付けの技術はすごいよね? どうやって盛り付けているんだろう」
普通に盛り付けたら、頂上部から流してある生クリームが落ちてしまうだろうし、ここまで高く盛り付けるのは結構な技術が必要なんじゃないかなぁ……。
コーヒーを口にしながら幸作は、麻里萌の目の前に置かれているそのパフェのデコレーションの仕方を分析するのは、既に職業病のようなものなのかもしれない。
今度マスターに行って挑戦させてもらおう……ジャンボパフェ。
「ここでいいから……」
函館市内を流れる亀田川のほとりにある住宅街の一角、北海道ならではというような一戸建ての家が並んでおり、その一軒が音子の家だった。
「痛くなったらさっきのお薬飲んでね? できればご飯を食べてからの方が良いって薬局の人が言っていたから、あとシップはお風呂を出てから……」
「ハイハイわかりましたよ……なんだか笹森は母親みたいだなぁ」
懸命な顔をしながら麻里萌が説明していると、音子はいささかうんざりしたように苦笑いを浮かべながら麻里萌の頭にポンと手を置く。
「ぶぅ、だぁってぇ~」
母親というよりも口うるさい妹(郁子)のように見えるんだが、ここはお口チャックだな?
頬を膨らませながら音子に詰め寄るその姿は、その身長差のためなのか母親というよりも妹が姉を心配しているように見える。
「わかったよ、さんきゅ笹森、色々と今日はありがとう」
音子が麻里萌の頭の上に置いた手をグリグリと動かすと、リボンでまとめているその髪の毛がグシャグシャに乱れ、麻里萌の頬はさらに膨らむ。
「もぉ、古瀬さん!」
少し涙を浮かべ睨みつける麻里萌に、音子はキヒヒと意地悪い笑みを浮かべる。
「その……戸田も…………」
それまで意地悪い視線を麻里萌に向けていた音子だが、その視線が幸作を向く時はどこか恥ずかしそうにあたりをさ迷わせている。
「ん?」
苦笑いを浮かべていた幸作は、いきなり音子からの指名を受けて、ちょっと戸惑ったような表情を浮かべ、夕日に影を落としている音子の顔を見る。
「………………ありがとう」
思いもしなかった音子からの言葉に幸作はキョトンとした顔をしてしまい、その表情に気が付いた音子は照れ隠しなのか、少し赤らんでいるように見えるその顔を背ける。
「俺?」
思いもしなかった音子の言葉に、幸作は自らを指差してしまう。
「あのねぇ、人が素直に感謝の意を述べているんだから、もう少し感動をしたような顔ができないのかねぇ? 本当にこの男は……」
肩をすくめ、さっきまでの照れ臭そうな色をウェーブヘアーの隙間から僅かに見える耳に残しながらも、音子は意地悪い顔を幸作に向ける。
「おりゃ、お前に感謝されるような事をしていないぞ?」
「ウウン、励ましてくれたじゃない……結果はどうであれ、自分の心の中の結果が自分の評価なんだって……例え客観的に見て負けたとしても、自分が納得をしているのであればそれでいいって励ましてくれた……だからありがとう……」
着ているジャージのジッパーの金具をモジモジといじりながら、音子はうつむいたまま照れくさそうにモゴモゴと話す。
「ったく、なんだか音子にそんな事を言われると調子が狂うぜ」
少し顔を赤らめながら幸作は、音子の頭をポンと叩き踵を返す。
「あまり無理するなよ? 来週から学園祭の準備に入らなければいけないんだ。せっかくの学園祭そんな格好じゃあつまらないだろ? 早く良くしろよ」
見送る音子に対して幸作は背中越しに手を上げて歩き出すと、麻里萌も慌てたように音子にペコリと頭を下げる。
「あっ、ちょっと待ってよ幸作クン。古瀬さん、お大事にね?」
「あぁ……ありがとう…………ねぇ、笹森」
振り返る麻里萌の背後から音子の声がかけられ、再び麻里萌は振り返る。
「ん?」
首を傾げる麻里萌に、音子は少し意地の悪い顔を浮かべる。
「お前も苦労するな? あんな男が彼氏で……」
=勘=
「どうしたんだ?」
ガタガタと走る市電の中、隣に座り言葉が少なくなっている麻里萌に声をかける。
「エッ? ウウン、なんでもないよ……」
そう言いながらも、どこか心ここにあらずの様な顔をしている麻里萌の顔を幸作が覗き込むが、その表情は見て取る事ができない。
電車に乗ってから様子が変なんだよな? それまではいつもと同じように話をしていたのに、電車に乗った途端ため息を吐いたりもしている……。
怪訝な顔をしている幸作の目の前では、再び麻里萌がため息を吐き出している。
「そうか? なんだかさっきから元気がないような気がしたんだけれど……」
大勢のお客が降りた『十字街』の電停を発車し、いくらか軽くなった電車がゆっくりと左に折れ曲がり、ピンポンとスピーカーが音を発し、
『次は、宝来町、宝来町……』
二人の降りるべき電停が、あまり感情のこもっていない声でアナウンスされ、幸作は半身をねじり降車ボタンに指を伸ばす。
「ウン、本当になんでもないよ……」
「買い物していくのか?」
いつも立ち寄るスーパーの前で幸作が声をかけるものの、麻里萌はうつむき加減でトボトボと歩き去りその台詞を受け流す。
あのなぁ……なんでもない事ないだろ? 明らかに様子がおかしいぞ? いつもなら何もなくとも店の前でどうしようかって悩むのに。
「麻里萌……何かあったのか? と言うよりも何か俺変な事をしたか?」
そう、音子と分かれるまではいつもと同じだったのに、帰りの電車に乗った途端に麻里萌の様子がおかしくなった。これは俺に何らかの原因があると思って間違いないだろう。
恐る恐ると言う感じで麻里萌に問いかける幸作に、麻里萌はガバッうつむいていた顔をあげ、困ったような表情を幸作に向ける。
「そ、そんなの事ないよ、幸作クンは何もしていないよ……幸作クンは……」
再び麻里萌の顔がうつむく。
「じゃあ、どうしたんだ? 絶対元気ないよ?」
うつむく麻里萌の肩を幸作は思わず握ってしまうと、麻里萌は少し寂しそうな顔を上げて、まっすぐ幸作の顔を見つめる。
「――ねぇ幸作クン……古瀬さんってどういう人?」
古瀬さんってどんな人って……さっきまで一緒だっただろ?
いきなりの麻里萌の言葉に、一瞬理解できずキョトンとした顔をする幸作だが、見据えてくる麻里萌の表情は真剣で、その問いに対して真剣に答えなければいけないという気持ちになる。
「音子か? アイツとはこの学校に入ってはじめて知り合ったんだよな? 教室で机が隣になったというのがアイツとの付き合いはじめだ」
中学時代からの知り合いも何人かいたのだが、たまたま隣の机に音子が座っていたのが初めてだったのを覚えている。
「最初の頃はこっちから挨拶しても全然愛想が無くってな? モソモソと話すだけだったんだけれど、そのうち話をするようになって、気がつけばいつも俺の事を馬鹿にしたような口調になりやがった。最近ではどこか好戦的な態度を取りやがるし……」
徐々に話はするようになったのだが、根本的に音子という性格の主は男勝りの気風があるらしく、俺も女子と話をするというよりも、男子と話をしているようなそんな感じだったよな?
「そうなんだ……」
再び麻里萌の視線がうつむく。
「音子がどうかしたのか?」
「ん、あたしの勘なんだけれどね?」
少し言い難そうに麻里萌が口を開き、タレ気味の大きな瞳を困ったように幸作に向ける。
「勘?」
「ウン……たぶん古瀬さん……幸作クンの事が好きなのかも……」
一瞬幸作の思考が麻里萌の一言によって固まり、その言葉の意味を咀嚼するようにゆっくりと理解しようと動き出す。
ちょ、
「ちょっとぉ? 音子が? 俺の事を? 好きぃ?」
盛大にクエスチョンマークを頭の上に浮かべる幸作は、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ウン……たぶん当たっていると思うよ……」
「ありえないって! 絶対にそれは無い! だって音子だぜ? 何かにつけて俺に茶々を入れてくるような奴なんだ、それはありえないって」
いまにも腹を抱えて笑い出してしまいそうな幸作に、麻里萌はブゥッと頬を膨らませている。
ないない! 何かにつけて人に突っかかってくるようなオンナなんだ、俺に対してそんな恋愛感情を抱くはず、があいつに限っては絶対に無い!
「そんな事ないもん! 絶対に古瀬さんは幸作クンの事が好きなんだよ。今日だって試合を頑張ったのは幸作クンが応援しに来るからだろうし、幸作クンに病院に付き添ってもらった時だって少し嬉しそうな顔をしていたのあたし知っているもん……それに……」
いつの間にかその大きな瞳には涙が浮かんでおり、それに気がついた幸作は、慌てふためきながら麻里萌の家に向かう薄暗い道にそれる。
「それに、さっき幸作クンが言っていたでしょ? 第三者が見て負けていても、心の中で精一杯頑張れば負けてはいない……自分の気持ちに負けるんじゃないって……その時古瀬さんはホッとした様な顔をしていた」
まるで幸作の事を攻めるような視線を向ける麻里萌に、幸作は困り果てた様な顔をする。
「それはあくまでも音子の事を励まそうと思ってだなぁ……」
「それ! 幸作クンはみんなに優しすぎるの、だから初音ちゃんや千鶴ちゃんのように幸作クンの事が好きになっちゃうんじゃないのよぉ……」
下唇を突き出し、目一杯いじけた表情を作る麻里萌に、幸作は困り果てた様な顔をする。
んな事を言われましても、俺が悪いのかなぁ……。
「はぁぁ、あの二人だって結構手強いっていうのに、古瀬さんまで加わっちゃうと……以前留美ちゃんが言っていたわね? 他にも幸作クンの事が好きな娘がいるかもって……」
深いため息を吐き出しながら、恨みがましい麻里萌の視線が幸作に突き刺さる。
「ちょっと待ってよ、モテるとかどうかは俺にはわからんけれど、結果は出ているじゃないか? 初音や千鶴にも言ったけれど、俺の好きな女の子は……」
そこまで言うと二人の視線が絡み合う。
「俺の好きな女の子は……」
「ん」
その言葉の続きを聞きたそうな顔をした麻里萌は、幸作の手をキュッと握ってきて、その手の温かさと柔らかさが幸作の胸を高鳴らせる。
「俺の好きなのは……………………麻里萌だけ……だ」
浜茹でされたばかりの毛ガニのように顔を真っ赤にした幸作は、照れくさそうにその視線を麻里萌から外す。
「エヘ……エヘヘ…………て、照れくさいよ……」
わずかに見える耳たぶまで真っ赤にしてうつむいている麻里萌。その小さな姿が妙に愛おしくなり幸作はそのすくめている身体を本能的に抱きしめようと手を広げる。
「あれぇ? 姉貴帰ってきたの?」
あとわずかでその身体を自分の身体に迎え入れる事ができそうになった瞬間、頭上から聞き覚えのある男の声が聞こえ、マヌケながらも幸作は手を広げたままの状態で固まる。
「み、操? た、ただいま……じゃあ幸作クン、また明日ね?」
赤い顔のまま麻里萌は笑顔を幸作に向けて家の中に入ってゆき、ポツンと幸作はその場に取り残されたように立ちすくみ、同情するような視線を送る美少年の顔を睨みつける。
「お邪魔だったかな?」
――今度は絶対にお前の事を邪魔してやる。