第九話 前夜祭?
=設営=
「うぉ~ぃ戸田ぁ! ここはこんな感じでいいのかぁ?」
トンテンカンという釘を打つような音や、どこからともなく聞こえてくる破壊音(?)に包まれている校内は、まるで戦場のように慌しく、気がつくと声を荒げてしまう。
「ん? あぁ、そんな感じで打ち付けておいてくれ、もし備品が足りなかったら俺が生徒会と交渉しに行って来るから、それと亮! お前は厨房の設営だろ? なんだって俺の背後についてまわっているんだ! はっきり言って鬱陶しいぞ!」
熱気のためなのか、かなり暑い校舎内でメイド喫茶の最終設営の指揮を取る幸作は、着ているワイシャツのネクタイを外して前を大きくはだけさせており、そんな幸作の後ろには尻尾を振ったワンコ(ヘッヘッという荒い息のオプション付き)のようについて歩く亮。
「いや……お前がそんなに色っぽい格好をしているからつい……はぅぁ……」
「みんな忙しいんだ、冗談は置いておいて自分の職務に戻ってくれ!」
気のせいなのか頭から煙を吹き、まるで床にうつ伏せでめり込んだような格好になり、幸作が言うようにすぐ職場に復帰するのは無理そうな亮を一瞥すると、続いて準備室で行われているであろう衣装合わせに向う。
「うぉい、留美こっちの準備はどんな塩梅だ?」
準備室の扉をノックすると、中から長い髪の毛の留美が顔だけを覗かせ、その相手が幸作だと言う事に気がつくと、その口をニカッと横に広げる。
「バッチリだよ。我々の腕を信じて欲しいね?」
「そりゃよかった、これが失敗だったら何にもならんからね? もう遅いから衣装の調整が終わったら帰ってくれていいから」
自信満々の留美の表情に、ホッとため息をつく幸作はその場から離れようと踵を返すが、その腕を留美に掴まれ、首を傾げる。
「もぉ、せっかく実行委員なんだから、その特権で先に見ていけば? 麻里萌ちゃんや初音のメイド姿……すっごく可愛いよぉ?」
ニヒヒといやらしい笑いを浮かべている留美の一言に、思わず幸作は生唾を飲み込んでしまい、仕事の事を一瞬忘れてしまう。
ま、麻里萌のメイド服姿……ちょっと見てみたいかも……。
「留美ぃ、ちょっとこれスカートの裏地がほつれているよぉ……直してぇ」
「ちょ、ちょっと初音ちゃん、こんな所でスカート捲り上げないでぇ、パンツ見えているよぉ」
引かれるがままに準備室の中に入ろうとした瞬間、部屋の奥から初音の容赦のない声が聞こえてきて、慌ててそれをなだめようとする麻里萌の声が聞こえてくる。
「お、俺はいいから、早く直してやってくれ。それと他の女の子にも言っておいてくれ、女子は早く帰すように絵梨子先生にも言われているから……じゃあ」
逃げ出すように準備室の前から退散する幸作の心臓は、まるでディスコでサンバを踊っているようにドキドキしていた。
危なかった……あのまま己の欲望であそこに入っていたら、初音のパンツを目撃してしまう所だったぜ……見たくないわけでは無いが、まだ一年ちょっとこの学校に通わなければいけないんだ、できる事なら平穏な高校生活を過ごしたい。
「あっ、幸作、チラシ出来たけれどこんな感じでどうかなぁ」
会場に戻ると、一番気合の入っている啓太が一枚の紙を幸作に突き出してくる。
「どれ……ウン、可愛いじゃないか? これならいいと思うよ……あとで印刷してくるから、啓太は設営の方を手伝ってやってくれ」
三回のリテーク(ダメ出し)を受けた啓太は、心配顔をして幸作の顔を見つめていたが、やっと許可が下りた事にホッとした顔をしている。
当然だ、最初に描いてきたチラシはどこかのピンクサロンのチラシのようだったし、二度目のやつはイラストになっているメイドさんが明らかに麻里萌だったし(しかも肌の露出が多い)、今回のもだいぶ露出度が多いけれど、書き直している時間がないから妥協だ。
「ウン、印刷が終わったら友達の漫研に置いてもらうように手はずは整っているから、任せておいて、後、いくつか置いてもらえる所をピックアップしてあるよ」
抜かりがないなぁ……いつもそうだったらいいのに……てか、アイツこのイベントが終わったら燃え尽きちゃうんじゃないのか? 真っ白に……。
「戸田君、パフェの上手なデコレーションってどうやるの? どうしても上手くできないのよ」
厨房担当の千恵子(ちえこ)が、丸い顔を困り顔にしながら幸作の顔を覗き込んでくる。
「パフェは、チョコもフルーツもあまり変わらないよ。基本はパフェグラスの中にチョコソースを入れるところから。フルーツだったらメロンシロップね? これを入れる時に、器の方を動かすと上手にムラなく入ってゆくよ」
カレイドスコープから借りてきたパフェグラスを使って幸作が実演してゆくと、周りの女子が感心したような顔をしてその様子を見つめる。
「まず、グラスの底にフルーツを入れる。そうすると最後まで残さないで食べる事ができるでしょ? その後こうやってグラスを回しながらソースを入れていくんだ。この時出し過ぎないように注意をして……」
右手でチョコソースの入っている容器を傾け、左手は垂れ始めているソースをグラスの淵に沿うように回しながら入れるとグラスがチョコレートでコーティングされたようになる。
「次にホイップクリームを入れて、その上にコーンフレークを敷いてから、もう一度ホイップクリームをかけて、その脇にカットしたフルーツをバランスよく配置する」
手馴れた様子で造って行く幸作の手つきに、周囲からホォという感嘆の声が上がる。
「ちょうど上から見ると穴が開いたようになるでしょ? そこにアイスを入れるんだけれど、ここがちょっとコツのいる所で、上手くいえないけれど、アイスクリームを落とすんじゃなくって置くっていう感じなのかな?」
スプーンですくったアイスクリームを、もう一つのスプーンを使って上手に丸めると、すっとそのポッカリ空いている場所にはめ込む。
「ここまでいけばあとは簡単。広がっているパフェグラスの脇からアイスクリームを隠すようにホイップを中心に向って円を描いていって、フィニッシュの所はスッと絞り口を持ち上げてあげると綺麗なシルエットが出来るでしょ? あとはミカンとメロンとバナナ、チェリーを盛り付けて、最後にポッキーを差し込む」
出来上がったパフェは、お店で作るものよりも少しチープな感じではあるけれど、模擬店で出すには豪勢な仕上がりだ。
「すっごぉ~い、やっぱり戸田君って才能あるんだよ、アイスの所がちょっと難しいかもしれないなぁ。私がやるとどうしてもボトッてなっちゃうのよね?」
出来上がりを見ていた千恵子は軽くため息を吐き、周囲の女の子はそれを誰が食べるのかと、お互いをけん制したような視線を向け合わせている。
「男子はもう少し残って仕上げちゃおうぜ? 女子はもう暗いから帰っていいよ」
絵梨子先生の教育(洗脳?)の賜物なのだろうか、クラスの全員は途中で帰る人間もおらず、クラス一丸となって模擬店作りを行っていたが、既に窓の外は茜色に染まり始めている。
「でも、まだ準備に時間がかかるんじゃないの?」
いくらか骨組みは出来始めているのだが、教室(家庭科実習室)は他の教室に比べかなり広く、装飾やテーブルの設営、厨房の準備などが完全に終わっていない。
女子がだいぶ手伝ってくれたから、結構進んだけれど、結構厳しいかもしれないなぁ……まだやる事は山のようにある。
店というよりも、まだ散らかっているという雰囲気の教室内を見渡すと、幸作は深いため息を吐き出してしまうが、明日は学園祭当日、出来ませんでしたではすまない。
「何とかなるでしょ? やるしかない!」
気勢を張るような幸作の言葉に、麻里萌は心配そうな顔をしている。
「じゃあ、男子には申し訳ないけれど、女子はここで解散させてもらいましょ? 心配なのはわかるけれど、先生からも女子は六時半までって言われているから」
クラス委員である芽衣子も少し心配そうな顔をしているが、先生からのお達しには従うしかないのだろう、女子の事を上手くまとめ上げている。
「本当に大丈夫なの? 幸作クン……」
荷物をまとめた麻里萌は、心配げな表情のまま帰り際に幸作に声をかけてゆく。
「まぁ、いざとなったら徹夜でもして仕上げるよ。明日学校に来てビックリするなよ? 完璧に仕上げてあげるからさ」
「ウォーイ、戸田ぁ、ちょっとここの看板掲げるのを手伝ってくれ!」
「あいよ! じゃあ麻里萌、暗くなるから帰り道は気をつけろよ?」
ウィンクして麻里萌を見送る幸作の背中を、少し考えたような顔をして見つめると、何かを思い出したように教室から飛び出してゆく。
なんとなく徹夜になりそうな予感があるんだけれど、まぁ、いい高校時代の想い出にもなるかもしれないから、結果によるな?
「幸作……申し訳ないんだが、俺も八時を目安に帰らしてもらっていいか?」
申し訳無さそうな顔をして亮が声をかけてくる。
「あぁ、かまわんよ……みんなも何か用事があったら遠慮なく言ってくれ?」
幸作の一言に、にわかに教室内がざわつく。
「俺もちょっと……八時までは全力でやるから」
「実は、俺もバイトが入っていて七時半までなら何とか……」
……意外にみんなドライなのね? ちょっと寂しいかもしれない。
=夜食=
「終わるのかなぁ……ちょっと心配になってきたよ」
とっぷりと暮れた窓の外を眺める。時間は既に八時を回っており、進捗状況からすれば徹夜になってしまいそうな感じが流れ始めている。
「なんとしてでも終わらせるよ」
心配げな顔をしている啓太の肩をポンと叩く幸作は、心配をかけないように笑顔を作るが、その心の内は誰よりも一番心配していた。
さっき麻里萌には完璧に仕上げておくとは言ったが、ちょっと心配かもしれないぜぇ、みんな疲れもあるのかもしれないし、人が減ってきたせいなのか、効率が落ちはじめているという感じも否めないよな? でも、やるっきゃないよ。
「戸田君、これはどこに置く?」
意外にも二枚目転校生の智也は、最後まで手伝うと言いながらまだ教室に残ってくれており、影の言いだしっぺの啓太と一緒に汗を流している。
「あぁ、それは使わないから準備室の中にしまっておいてくれるかな? あと準備室に備品が置いてあるからそれを持ってきてくれるかな?」
はじめこそ鼻持ちならないやつと思っていた幸作だったが、みんなに協力的な智也には素直に感謝をしている。
真っ先に弱音を吐くと思っていたんだけれど、意外に骨があるな? 転校生だからと言って率先して行動してくれるのは嬉しい限りだぜ。
「戸田ぁ、とりあえず音響の配線終わったぜ?」
放送部の男子が、店内に流すBGM用の音響を終わらせる。
「わかった、スピーカーをこっちに回してくれ、天井から吊り下げる」
教室内には、人が減ってきたとはいえまだ十数人の男子生徒が残っており、設営作業に忙しそうに動き回っており、幸作たちのクラスだけでは無いのだろう、他の校舎でもいくつかの教室に光が灯って消える事は無い。
ありがたい事だな? みんなが協力し合って作る学園祭かぁ、杏子さんが想い出に残る学園祭にしなさいと言っていたけれど、確かに良い想い出に残るよな?
釘を打ちつける音は、夜であるにもかかわらず学校のいたるところから聞こえてきており、教室の中は、徐々にではあるけれどもお店らしくなり始めており、みんなで協力し合って作ったと言う満足感が徐々に湧き上がり始めている。
「ホイ、スピーカーだよ」
「サンキュ、あとは脚立だな?」
フッとため息を吐きながら幸作は、教室の片隅に置かれていた脚立を担ぐ。
「ウォ~イ、誰かゲンノウを持って来てくれないか?」
煌々と電気のついている教室内で、脚立に上った幸作は天井から吊り下げるタイプのスピーカーを押さえながら周囲に声をかける。
「ヘェ~イ親方ぁ」
差し出した手にパシッとゲンノウ(トンカチ)の柄が勢いよく打ち付けられ、それをクルッと回しながら土台になる角材にスピーカーを固定するが、ふと今の声に違和感を覚え完全にその角材に固定すると、その声の主に視線を向ける。
今の声って……もしかして。
案の定と言うのだろうか、振り返った幸作の視線の先には、さっきまでの制服姿では無い私服を着た麻里萌が、ニッコリと微笑みながら幸作の事を見上げている。
「って……麻里萌ぉ? なんだって……うぁあっ」
「きゃぁ、って、ちょ、ちょっと幸作クン大丈夫?」
脚立から落ちそうになっている幸作を、助ける事が出来るはずもないのだが、麻里萌は慌てて手を出し、よろめいている幸作の体を支えようとしており、その隣では郁子が麻里萌と同じぐらいの背丈でニコニコ微笑んでいる。
「いや、大丈夫だけれど、なんだって……」
「郁子ちゃん! わざわざ来てくれたんだねぇ~はぐゎぁっ!」
郁子に抱きつこうとしている啓太に、幸作はとりあえず脚立の上からドロップキックで阻止。
てめぇ、俺の目が黒いうちに郁子に近づけると思うなよ? 俺の中ではお前は最重要危険人物の一人になっているんだからな?
足元でキュウと言いながら白目をむいている啓太をひと睨みし、麻里萌と共に持っている荷物をほどいている郁子にその険しい視線を向ける。
「なんだって郁子がここにいるんだぁっ!」
唾がかかるような勢いで詰め寄る幸作の事など、ちょっと蚊が近づいてきた程度にしか思っていないような顔をしながら郁子は、麻里萌と二人で持ってきた大きなバッグを開いている。
「エッ? みんなに差し入れって言ったら先生が入れてくれたよ?」
――いや、我が妹よ、根本的に俺の投げかけている質問の答えになっていないぞ? てか、完全にかみ合っていないと思う……って、差し入れ?
嬉しそうな顔をしているクラスメート(全員男子)の視線を浴びながら開かれているのは、お重(ミスター○ーナッツでポイント貯めてもらった我が家のお節用のやつ)に入っているおにぎりやら、おかずの数々。
「エヘ、さっき電話でおにいちゃん遅くなるって言っていたでしょ? それに、みんながお腹を空かせているんじゃないかっておねえちゃんが教えてくれたからお夜食だよ? あたしとおねえちゃんの二人で作ってみました。みんなで食べてね? テヘ?」
それまで荒んでいたような教室の中に、まるで地響きのような歓声が上がり、獲物に襲い掛かるハイエナのようにそのお重(フロムミスター○ナッツ)に飛び掛っていく。
「みんなお腹が空いていたんだね?」
ニコニコしながら、まるでサバンナの猟場のような状態になっている机を見つめている郁子に、幸作は心の中で激しく突っ込む。
違う! 理由はよくわからないけれど、俺の本能が麻里萌と郁子の二人を守らなければいけないと緊急事態を発令している。
「いいなぁ、戸田の奴」
「まったくだ。あんな可愛い妹に『おにいちゃん』なんて呼ばれているだけでは飽き足らず、我が心のキューピットである麻里萌ちゃんにまでつばを付けやがって」
「でも、他人事ながら良いよなぁ、『おにいちゃん』……かぁ……萌えるぜぇっ!」
「こんなに美味しいシチュエーションがあった事をアイツが知っていたら、きっと涙を流して悔しがるぜ? 『何で俺はそこにいなかったんだぁぁぁぁ』と」
「ウフ…………おにいちゃん……………………この響きだけで、何日もつかな?」
嫌だ……なんだか郁子と麻里萌が汚されているような気がしてきたぞ?
「……作クン? 幸作クン!」
腕を引かれて我に返る幸作だが、なぜかその瞳には涙が浮かんでいるように見える。
「うぁ? って、ま、麻里萌か?」
心配げな顔をして幸作の顔を覗き込んでいる麻里萌に、あからさまに動揺する。
「どうしたの? そんなに慌てて……郁子ちゃんが来てビックリしちゃった?」
ハイ……かなりビックリしました……まさか、こんなにも啓太に感化している人間が多くいるとは思わなく……じゃなくって、ハゲタカが舞っている中心に極上松坂牛の塊(グラム三千六百円相当)を置くような真似……これも違う……まさか郁子がこんな所に来るとは思っていませんでしたよ……。
見る見る間にお重の中身が無くなっていくのを、呆然と見守る幸作の横顔を見ながら、麻里萌はシュンとしょげたような顔をしている。
「確かにビックリしたよ……」
「ゴメンね? 幸作クンが遅くなりそうだからと思って郁子ちゃんに話しをしたら、『夜食を作って差し入れする』って言い出して……」
「いや、麻里萌は悪くないぞ? ただ、あいつらの反応が……ちょっと怖いかも……」
食欲を満たしたハイエナ……いや違った、ハゲタカ……これも違う。男子連中の視線は確実に子羊(郁子)に向いているような気がして仕方のない幸作は、さっきから第一種戦闘配置についたままの状態でいた。
「みんな頑張っているもんね? 成功したいという気持ちからなんでしょう? だからあたしもちょっとだけのお手伝いができればなと思って……これを作ってみました」
他の人間が貪っているのとは違う弁当箱が幸作の目の前に差し出される。
「へ? これは?」
差し出された弁当箱は見覚えのない物。
「エヘ、みんなとは別に幸作クン用に作ったの。本当はあたしも実行委員だから幸作クンと一緒に頑張らなければいけないんだけれど……あたしの代わりに一生懸命にやってくれている幸作クンへの罪滅ぼし……かな?」
ペロッと舌を出し恥ずかしそうに言う麻里萌は、その弁当箱の蓋を開けると、以前幸作が絶賛した肉ジャガが入っているお弁当だった。
「そんな事ないよ……すっげぇ嬉しいぜ?」
二人の視線が絡み合う。
「幸作クン……」
二人の顔の距離が縮まり、その空間は僅かになる。
「えっとぉ……非常に申し訳ありませんが、そんな二人でラブラブしていると、他の人間のヤル気がそがれるので、お声をかけさせていただきます」
いつの間にか復帰していた啓太の声に、それまで縮みきっていた二人の距離は、その反動でなのか大きく離れ、呆れ顔をしている郁子他クラスメイトの視線を一手に浴びている。
=夜中のエスコート=
「美味かったぁ、ごちそうさま。これでもうひと頑張りできそうだぜ」
空になった弁当箱を麻里萌に渡す幸作同様、他のメンバーも思い思いの体勢で休憩を取り、さっきまでの疲れきったような雰囲気が払拭されていた。
「良かった、お役に立てて」
ニコッと微笑む麻里萌に、幸作も微笑み返すが、その幸作の妹である郁子がいきなり素っ頓狂な声を上げる。
「あぁ~ッ!」
あまりにもいきなりの大声に、周囲にいた男子は素直に体をビクつかせ、慄いた様な顔をしてその声を上げた郁子の事を見据えている。
「おねえちゃん、早くしないと最終電車が行っちゃうよぉ!」
慌てた様な顔をする郁子に、麻里萌が腕時計に視線を向けると、その表情が一気に凍り付いてゆき、郁子動揺に慌てた様子で荷物をまとめはじめる。
もうそんな時間なのか……時間が時間だけに二人きりで帰すのも少し心配だな?
「送って行くよ」
郁子の素っ頓狂な声が合図になったかのように、各々自分の持ち場に戻り設営作業を再開させており、幸作はその様子を見守り立ち上がる。
「えぇ~、幸作がここから離れるのはちょっと不安だよなぁ。現場監督でもある幸作がいないと段取りがわからなくなっちゃうよ」
いつになく張り切っている啓太(郁子がいるせいだろう)は、困った様な顔をして立ち上がっている幸作の顔を見据え、それに同意したように数人の男子もうなずく。
確かにそうかもしれないけれど、でも、二人だけで帰すと言うのも無用心だし。
「あたしたちは大丈夫だよ? だから幸作クンはここにいてよ、郁子ちゃんも一緒だからそんなに怖くは無いよ?」
パタパタと顔の前で手を振る麻里萌だが、そうですかといって二人きりで帰すと言うのも忍びないよな? 困ったなぁ……。
「僕が送っていくよ」
そう言いながら片づけをしていた智也が立候補の声を上げる。
「そんな、いいよ……智也クンだって仕事があるんでしょ?」
チラッと幸作の顔を見ながら麻里萌はやんわりと断りを入れるが、智也は既に郁子が持っていたカバンを取り上げていた。
「僕は生憎と戸田君のように一杯仕事を持っていないから大丈夫。それにまだ戻ってくる事が出来るから、いいよね、戸田君」
智也はいつもと同じようにレーザー光線を装備したような白い歯を幸作に向けてくる。
「あ、あぁ……気をつけてくれよ……」
拒否する事も出来ずに、幸作はつまらなそうに口を尖らせながら、何度も振り返る麻里萌の視線を背後に受ける。
くそぉ、なんだって柏崎が立候補なんてするんだよ。他にもいるだろ? 啓太は危険人物だから真っ先に却下だが、お前とかお前っ!
「戸田ぁ、ここのレイアウトなんだが……」
「なんだっ!」
図面を見ながら幸作に声をかけてくる男子に、幸作はまるで火でも吹くのではないかという様な顔をして睨み返し、その気迫に男子も沈黙してしまう。
そもそもだなぁ、こんな時間になっちまうのは……ったく。
いつの間にか静まり返っている教室の中に、少なくとも軽やかでは無い釘を打つ音が響き渡り、他の男子生徒はその幸作の様子に苦笑いを浮かべる。
「幸作ぅ……」
「あぁん?」
面白いほど口を歪めながら振り返る幸作に、啓太が声をかける。
「さっきお願いしておいた印刷は出来た?」
「ったく、なんだって柏崎なんだよ……」
ガシャコンガシャコンと音を立てながら印刷機を動かす幸作は、その音にまぎれて恨み言を言い続けている。
「先生も先生だぜ、用意してあったかのように宿直室で宴会なんか始めているし、そんな事でいいのか? この学校の教育と言うのは!」
徐々に怒りの矛先がいたるところに飛び火し始めた頃、印刷機は疲れきったような音を立てながらその動きを止め、幸作はインク臭いその上の束を乱暴に取り上げると教室に向う。
まぁ、徹夜になるのは俺たちだけでは無さそうだな? 他のクラスでもまだ電気のついている所もあるし、先生も毎年恒例なんて言っていたから、それだけは救われているかもしれない。
まだ校舎内では釘を打つ音や、わずかながらも人の声が聞こえてきて、よく言うところの薄気味悪さは半減されている。
「出来たぞ」
可愛らしい女の子のイラストの描かれているチラシを啓太に渡し教室内を見渡すと、ほぼ八割完成している事に気がつくが、人数の足りない事に気がつく。
「あれ? 柏崎はまだ帰ってきていないのか?」
さっき麻里萌たちが出て行ってからもう一時間以上が経過しており、通常であればもう戻ってきてもいい時間なのだが、智也の爽やかな顔はまだ教室の中には無い。
「あぁ、そういえばまだだなぁ」
さすがに疲れた様な顔をしている啓太がそう言うと、幸作の携帯が着信を告げる。
「モシモシ! 郁子か?」
電話の向こうは郁子からだった。
『あ、おにいちゃん、ちゃんと家に着いたからね? 心配しないでもいいよ』
「麻里萌はどうした」
『エッ? おねえちゃんならあたしと一緒にアパートの前まで来て、あのハンサムなお兄さんと一緒に家に帰ったよ?』
「いま別れたのか?」
『そんなわけないじゃん、あたしはシャワーを浴びて、おにいちゃんが心配しているといけないかなって思って今電話しているんだもん、もう一時間近く前に分かれたよ』
………………という事は、柏崎はどこにいるんだ? てか、なんでこの時間になって帰ってきていないんだ? まさか……麻里萌と……。
おくり狼……そんな単語が幸作の頭の中に浮かび上がり、郁子がまだ電話の向こうで話しているにもかかわらず一方的に終話し、改めて麻里萌の携帯に電話をかける。
頼むから出てくれ、そんな事がなかったよっていつもの声で電話に出てくれ。
祈るような気持ちで幸作は電話をするが、返ってきたのは、
『おかけになった電話は電波の届かない所におられるか、電源が入っていないため……』
無常にも聞こえてきた声は、麻里萌の声ではなく、もう少し大人っぽい女性の声だった。
「幸作、どうかしたのか? 顔色が悪いぞ?」
「啓太!」
いきなり胸倉をつかまれた啓太は、その幸作の迫力に気圧されし、小さく悲鳴をあげる。
「ど、どうしたんだよ」
「柏崎の携帯の番号知らないか? 誰か知っている奴はいないか!」
教室中に響き渡る幸作の声に、誰もが顔を見合わせながら首を傾げている。
「僕は携帯持っていないよ?」
思いもしなかった背後からの声に、幸作は一歩飛びのきながらもその声の主に視線を向けると、そこには少し疲れきった様な顔をした智也が立っていた。
「か、柏崎……ず、ずいぶんと遅かったなぁ……」
声を震わせながら言う幸作に、智也は少しはにかんだような表情を浮かべていた。
「向こうから帰ってくる最終の電車に乗り遅れちゃって、一駅歩いちゃった」
一本遅くまで走っている十字街の電停まで歩いたと言う智也に対して、幸作は体中の力が抜けたようにその場にへたり込んでしまう。
な、なんだよ……慌てて損したぜぇ……。
「そ、そりゃお疲れさんだったなぁ」
経たり込みながらも智也に対して形ばかりながらも労をねぎらっていると、智也は少し不敵な微笑を浮かべながら幸作の顔を覗き込んでくる。
「そんなことは無いよ、電車の中で戸田君の妹さんや笹森さんから色々な話を聞くことができたから、それだけでも行った甲斐があったよ」
何の事だ? なにを郁子や麻里萌から聞いたと言うんだ。
フフンと鼻持ちならない顔をする智也に対して、不満げな顔をする幸作の携帯が再び着信を告げてくる。電話の相手は麻里萌からだった。
「モシモシ」
少し不機嫌そうな声の幸作に、電話の向こうの麻里萌は声を曇らせる。
『あ、ゴメン、忙しかった?』
申し訳無さそうな麻里萌の声に、幸作は頭に上った血がいくらか落ち着く。
「いや、そんな事は無いぞ? どうしたんだ?」
既に作業に合流している智也に視線を向けながら幸作も声を潜める。
『ウウン、幸作クンが心配しているといけないかなと思って……どうなの? 作業の進み具合は、やっぱり徹夜になっちゃいそう?』
心配そうに話しかけてくる麻里萌に対し、さっきまでの自分の嫉妬心が恥ずかしくなり、周囲から少し赤らんでいる顔を隠す。
そうだよな? 麻里萌にそんな事があるはずないよな? それなのに俺は麻里萌が智也との事を疑っていたりしていた。麻里萌は素直に俺の事を心配してくれているのに……。
「……心配ないよ、もうほとんど出来ているから。俺は帰る事ができないから学校に泊まるけれど、明日麻里萌が来る時には完璧に仕上がっているよ」
心の中で自分を反省している幸作に対し、電話の向こうからは麻里萌はホッとしたような吐息が聞こえてくるが、その声は相変わらず心配げなものだった。
『よかった……でも学校で寝て風邪なんてひかないでね?』
「大丈夫だよ……ウン、わかった……じゃあ」
携帯を折りたたみ、ホッとため息を吐き出しながら振り返ると、その教室にいた全員の視線が幸作に向いている事に気がつく。
な、なんだぁ?
「大丈夫だよ……かぁ、いったい二人の会話の中に何があったんだろうねぇ」
「きっと『今日は一緒にいられなくてごめん、でも、俺は麻里萌の事を愛しているよ』とかじゃないのぉ、くそぉ~、一気にやる気がなくなったぜぇ」
――キミたちのその想像力の豊かさに俺は敬意を表するよ。