人生は修行である

人生は修行である
富める者も、貧しい者も
病める者も、健康な者も
自己の魂を磨く、修行である

富める若者が、イエスに弟子入りを願った
「富を貧しい者に与えてから来なさい」
若者は悩み、泣いて答えた
「私には、できません」

「富める者が、天国の門をくぐるのは
ラクダを、針の穴に通すより難しい」
「金も名声も、あの世には持って行けないのに」
富めるというだけで、傲慢に振る舞う愚か者

「天国の蔵に、宝を納めなさい」
宝を納めるとは、自己の魂を磨き、
得を積んでゆく事、そうすれば、
天国に近ずくことになります

人生は修行である
富める者も、貧しい者も
病める者も、健康な者も
自己の魂を磨く、修行である



■書始−17/11/08:曲無。 ◇ 人は普段「なぜ生きるのか?」を意識する事は余りありませんが、困難や病気の時に
「なぜ生きるのか?」を意識したりします。

私の母が心臓発作で死んだ時、大学の授業が忙しく、母の供養及び母の死を自分の事として、十分受け止めないまま
大学へ戻りました。大学が一段落した後、体調を崩し、休学する事となりました。布団の中で読んだのは、新約聖書でした。
心が弱っている私に、イエスの言葉は心に沁み通り、心をろ過してくれました。

ダンテの「地獄篇」等に、生前に富と名声を極めた有名人や政治家が、地獄でよく見かけられると書いています。
人間は「あの世には、富も名声も持ってゆけない」のに、富や名声を死に物狂いで求めます。その為に、不正や悪事や
果ては殺人に手を染める事件が後を絶たないのも、人間の哀しさの一つです。

私は、その人が「人生において、何をどのように修行するか」によって、今世もあの世も大きく変わると、考えてかいた詩です。

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