「真心」と書いて「まごころ」と読む

「真心」と書いて「まごころ」と読む
多少の縁で「真心」が、他人に施される
無から発した「真心」の施し それは、
親から子供への無償の愛に似ている

「真心」あふれる言葉 :
言葉からも「真心」が、施される
「目は、口ほどに物を言い」 :
目からも「真心」が、施される

人は、不思議なものです
人に「真心」を、無意識に施して
「ありがとう」と、感謝されてから
自分の施した「真心」に気が付きます

「真心は、人の為ならず」
人が「真心」のありがたさを、知るのは
人から「真心」を、施された時
人に「真心」を、施こした時です
(「情けは、人の為ならず」に、似ています)


「真心」と書いて「まごころ」と読む



■書始−17/11/23:曲無。 ◇「真心(まごごろ)」は、特別な行為ではなく、日常の中なかで、
意識するしないに関わらず、施し、施されています。たとえば、「真心」あふれる言葉一つで、
爽やか気分で一日をに過ごせたりします。
しかし、いろいろな要因や理由で「真心」を受け取る事も、施すこともできなくなっている人がいます。
たぶん、家庭でも職場でも生きずらい状態ではないかと思いますが、本人がその要因や理由を
解き放そうとしない限り、なかなか解決は難しい問題だと思います。
そういう人には、できる限り「真心」あふれる言葉がけをしてあげたいと、私は思います。

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